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終末ロボ エルフガイン  作者: さからいようし
ゲーム 第1ラウンド
4/37

第4話 『国内も敵だらけな件』

           1


 日曜日の午前五時。夜明け前の白み始めた空が高い。晴れ。

 日本海は凪いでいた。

 だが一見穏やかな海にふたつの機動艦隊が展開している。〈いずも〉を中心とした第一タスクフォースと、〈いずも〉級二番艦〈かが〉の第二タスクフォースが、長大な索敵の手を広げていた。

 各艦はお互いが視認できないほど広い海域に展開していたが、およそ8隻ずつ……〈ひゅうが〉級より武装の少ない〈いずも〉を中心に、三隻のイージス艦と四隻のミニイージス艦が展開している。

 陸上から発進した対潜哨戒機もフルローテーションで作戦空域を巡り続けている。それに加えて10隻あまりの潜水艦が水中にひっそり身を伏せていた。

 海上自衛隊自慢の鉄壁であった。ロシア海軍……米海軍でさえヘタに手出しできないほど緊密に組まれた艦隊陣形である。ヴァイパーマシンという怪物が現れる前までであれば、だが。

 艦隊の外周、アジア大陸寄りを四隻の高速ミサイル艇が遊弋していた。

 その艇長たちは、これから始まる戦いでは自分たちが主役になると考えていた。なんせ相手はボロ船に乗ってやってくるはずだからだ。南自慢の攻撃型なんちゃってイージスと強襲揚陸艦は港から出ようともしていない。

 (けちな奴らだ)艇長の向井一尉は思った。(アルミ製船体はよく燃えただろうに)

 南も北も同じく厄介な点は、戦略というものが皆無という点だった。

 まじめに部隊を展開させていると思えばまるっきりやる気無しな時もある。もとより国内の不平分子のガス抜きのために意味もなくミサイルを発射するような国だ。筋の通った戦略計画を持たないというのは、予測不能なだけにかえって厄介だ。

 現在は例の不審船もうろついておらず、レーダーサイトも日本海の自衛艦に向いていない。

 しかしながらもちろん、統幕――親方日の丸がもっとも心配しているのは弾道ミサイルだ。

 1993年のノドン一号騒ぎ以来、日本は北のミサイルの脅威に悩まされ続けている。脅威、というより親知らずの虫歯みたいな煩わしさと言うべきだろうが、鬱陶しいことは間違いない。

 60年前のロシア製改良に始まった時代遅れのポンコツミサイルと当てにならない誘導装置とろくに爆縮テストもしていない水爆なんぞにいつまでも怯えるのはくたびれたし、ちょっと恥ずかしいことでもある。

 日本の誰もがその煩わしさを永久に終わらせたいと思っていた。今回がその機会だと思われた。イージス艦は日本全土をくまなくカバーするよう展開しており、あとは相手がぶっ放してくれればいい……。

 だが

 自衛隊幹部の期待に背き、ファーストアタックは埼玉県の片隅で始まった。



  朝起きると、健太のスマホに久遠一尉からのメールが着信していた。


   日曜日は遠出せずコマンド周辺で待機。


 健太は顔をしかめた。日曜だというのに朝一番におっさんからのメールで始まるとは。

忌々しげにベッドサイドテーブルにスマホを放り、背中をポリポリ搔きながら立ち上がった。どうせ日曜日を充実のうちに過ごす当てなんかない。言われなくても近所でぶらぶらするだけだ。

 ――あるいはこの屋敷に籠もって、礼子先生が部屋から現れるのを待っててもいい。我ながら浮き足立ち、柄にもなく朝食の前にシャワーを浴びてしまった。

 (ガイジンかおれは)

 礼子先生とひとつ屋根の下……と言うにはだだっ広すぎる屋敷ではあるが、るんるん気分は押さえがたかった。

 大人の女性が一緒というのは真琴ちゃんたちも嬉しいらしく、昨夜は礼子先生の引っ越しが一段落したあと、エルフガインコマンドの食堂でささやかな歓迎会となった。会話は弾み、とくに実奈ちゃんが遠慮なく質問攻めにして礼子先生から話を聞き出した。

 健太は発情した馬みたいに後ろ足で立ち上がって嘶きそうになるのをなんとか堪えて話に聞き入っていた。その結果――


 1)うん、彼氏はいたわよ。と言っても大学の時なんだけどね~。教職に就いてから忙しすぎて恋愛どころじゃなくて……(溜息)


 2)だからいまは彼氏募集中なの、残念。


 というきわめて重大な情報をゲットした。

 そうか。

 彼氏いないんだ。

 それでどうなるという話でもないが、いずれ礼子先生が誰かと恋仲になり結婚するのだと考えるだけで胸が苦しくなるいまは、それだけでじゅうぶんだった。

 

 だが身体を鍛え始めたいまではじっとしているのが逆に落ち着かなかった。いちにちサボると鍛えたところが元に戻ってしまうようで、心配でならない。結局健太はジャージに着替えて道沿いをランニングすることにした。

 もうすぐ梅雨になる。

 空はどんよりと低い雲が垂れ込めいて、気温はそれなりに上昇している。

 日本は何年も前から亜熱帯気候化が進んでいて、常夏の国ならスコールと呼ばれるべきゲリラ雷雨が頻発している。突風や竜巻も多く、被害が発生するほど激しい。蚊が媒介する病気――マラリアが日本で発生するのも時間の問題だといわれていた。

 そんな深刻さが実感できないのが埼玉の土地柄だが。

 

 河原沿いをニュータウンに向かって走っていると、穏やかならざる一団と鉢合わせになった。数は20人ほど。

 一見社会人のおじさんおばさんがピクニックしているように見えたが、ここはまだ私有地のはずだ。べつに健太は私有地の持ち主ではなかったので気にせず通り過ぎようとしたが、ピンクのポロシャツに白いパンツのおばさんが横から通せんぼするように手を伸ばして健太の行く手を阻んだ。

 「あ、ちょっときみ」

 やむを得ず健太は立ち止まった。

 「なんすか?」

 「きみ、このへんの人?」

 「え?まあ……」

 「この前の騒ぎ知ってるわよねえ?ニュースでやっていたやつ、巨大ロボットが山から出現して街を壊したでしょう?あなたも巻き込まれたのよね?ひょっとしてひどい目にあったんじゃない?」

 「えっ?あの、いやべつに」

 50代くらいに見える丸顔の男性がさらに質問してきた。

 「箝口令が敷かれてるって話だよね?この地域全体の住民に。そういうのどう思うかね?」

 「えー、ちょっとすいません、みなさん何関係なんで?」

 「わたしたちは「平和を守る世界市民の会」だよ。知ってるよね?いまこのへんを調査中なんです」

 「なんのために?」

 「なんのためにってきみ」男性は軽く憤慨したように声を強めた。「あの被害見たでしょう?街をひとつ破壊したのに政府は謝罪ひとつしていないんですよ?そういうの変だと思うでしょう!?」

 「破壊したのはカナダのロボットだったようですが……」

 「そういう問題じゃないんだよきみ!」

 気がついたら健太は怒れる市民団体に囲まれていた。

 みんな血相を変えて激しく身振り手振りを加えながらまくし立て始めた。したり顔で、理解を示そうとしない健太をなじるような調子で眼をギラギラさせている。

 (なんなんだよこいつら)

 軽く苛立ちを覚えた健太は逃げ道を捜して辺りを見回した。怒り半分、侮蔑半分のみなさんはいまにも健太を小突きそうな勢いだった。

 「ああ、おれもう行くんで、サーセン、じゃ!」言いながら走り出した。

 「あ、ちょっと待ちなさいよぼく!」

 最後は掴みかかってきたおばちゃんの手を振り払って駆けだした。

 (いったい何という連中なんだ!)

 健太は市民団体一行が見えなくなるまで走ると、河原に降りてポケットからスマホを取り出し、久遠一尉に連絡した。

 「どした?」

 「いま平和を守るナントカって団体と鉢合わせしたんすけど、屋敷の私有地で」

 久遠が舌打ちするのが聞こえた。

 「そうか……それでなんて?おれ様がエルフガインのパイロットだって言ってやったか?」

 「言うわけ無いでしょ!そんなことしたらリンチされそうな勢いだったもん」

 「だよなあ……」

 その一言で、向こうも相手がどんな連中なのか把握しているらしいと察した。

 「まあなるべく距離を置けとしか言えねえんだ、悪いがな。あの手のみなさんに対しておれら無力なんだ」久遠は溜息混じりに言った。

 「おれはいいけど……ほかのみんなに知らせたいからいちおう報告したよ」

 「よく知らせてくれた。正直もうちょっとあとあと心配することだと思ってたんだが、どうやら甘かったらしい……。あの皆さんに対して直接規制することは難しくてな。かえって逆上するだけだから。だからといって放置はしねえから、おまえも奴らの話に乗せられるなよ?腹立てて殴るとかも無しな?」

 「分かった」

 


              2


 けっきょく出撃命令のないまま日曜日が終わり、翌月曜日。

 健太はさらに空の机が増えた教室で始業を迎えた。

 礼子先生が教室に入ってきた。起立―礼―着席。

 「おはようございます。えーと……さっそくですが、今日から新しくクラスに加わることになった人を紹介します。さ、入って」

 礼子に手招きされてその新顔が教室に入ってきた。

 健太たちはぽかんと見とれた。

 一人目は身の丈190㎝はありそうな巨漢だった。

 クラスでいちばんがたいの良い野球部の押山も呆然と見上げていた。巨漢は角刈りにした四角い顔に柔和な笑みを張り付かせている。

 とても16、7歳には見えない。

 二人目は女の子だった。なかなか美人だがやや南国系の顔立ち……というか、日本人に見えない。

 三人目の男子は身長163センチくらい、やや長めの髪でイケメン、まともな日本の高校生に見えたが、世の中のすべてが気に食わないという表情を貼り付けている。

 「三人も……?」誰かが呟いた。

 いっぺんに三人転校生がやってくるなんてふつう無い。礼子先生も少なからず当惑しているようだ。

 「そ、それじゃ、佐伯くんから自己紹介してもらおかな……」

 巨漢が一歩踏み出した。両腕を後ろに回し、足を肩幅に開いた堂々とした立ち姿だ。

 「わしは佐伯亮三です。神戸から引っ越してまいりましたぁ!」黒板に向き直ってチョークを砕きそうな勢いで大きく名前を書いた。腕の筋肉が隆起していてまくり上げたワイシャツの袖が張り裂けそうだ。

 名前を書き終わるとふたたび教室に向き直り、「よろしくおねがいしますっ!」とよく響く銅鑼声で言い勢いよく一礼した。

 次は真ん中の女子。

 「ワタシ田中由子(たなかゆうこ)ネ。前フィリピンにいたヨ。だけど日本人。オーケー?」

 黒板に「田中田子」と書いた。

 タコ?

 三人目が面倒くさげに言った。

 「あー、おれ杉林信(すぎばやししん)。よろしくっす」

 口の中でぶつぶつ告げると、片手を尻ポケットに突っ込んだままぞんざいに名前を書いた。態度は悪いのに恐ろしく達筆だった。

 (なんかむかつく奴……)クラスの男子全員が即座に敵愾心を抱いた。

 「そういうことなので、みんなよろしく。転校生の皆さんは空いている机に座って。佐伯くんは大きいからいちばんうしろが良いわね。悪いけど」

 「わし視力エエから問題ないッス」そういって巨漢は髙荷マリアの隣にドスンと腰を下ろした。

 髙荷は憮然とした面持ちで巨漢を見上げていた。タコちゃんはなんと健太の隣を選んだ。杉林信はいちばん後ろの廊下脇を選んでいた。

 「アナタ名前なに?」タコちゃんが健太に尋ねた。

 「エー、浅倉、浅倉健太」

 「おれ国元廉次ね田中さん」タコちゃんの前の席の廉次がすかさず言った。

 「ケンタサンにレンジサンね、よろしくネ」

 

昼休みになり、クラスは転校生を歓迎するグループに分かれた。

 陽気な田中由子さんは早々と「タコちゃん」の愛称が定着して、10人くらいで学食に向かった。態度の悪い杉林はなにが気に入られたのか、女子に囲まれていた。巨漢の佐伯は相変わらず髙荷の隣の席で、ひとり超然と持参した弁当を食べていた。

 廉次は田中さんのグループについて行ってしまったので、健太は売店に出かけていつもの調理パンを買い、こっそり屋上に向かった。

 屋上のベンチにふんぞり返ってひとり富士の眺めを独占しながら、ゆっくりランチを取った。

 ひょっとしたら礼子先生がひょっこり現れるかも――。淡い期待を抱いていたものの、あれ以来一度も出くわしたことはなかった。まあ来ないだろうとは承知の上だが。

 それでもほかの生徒が一人もいない場所を独占できるのはなかなか気分が良く、健太はここでぼんやり過ごす時間を気に入り始めていた。

 ところが思いがけない闖入者が現れたのである。

 10メートルほど離れた金網フェンスの根本、建物のコンクリートの縁に腕が伸び、金網を掴んだ。ガシャンと金網が揺すられる音が響いて健太は飛び上がった。

 「な……なんだ?」

 健太はそろそろと立ち上がった。金網を掴む腕が二本になり、ついで足が現れた。機敏な動作でわずかな足場に革靴を踏ん張り、身体全体を引き上げた。

 佐伯亮三だ。

 「マジかよ……」

 巨漢が健太に気付いて「やあ、どうも」と挨拶した。巨体に似合わぬ猫みたいな俊敏さでフェンスを登り、あっという間に乗り越えて屋上に着地した。見たところ命綱もなにも見あたらない。

 「どっどどどうやって――!」

 「邪魔してしまったかな?わしボルダリングが趣味でなあ」

 「そういう問題か!?」

 「大丈夫、誰にも目撃されておらんから」

 「怪しいやつだと思ってたけど――」

 「そんな、怪しくないですよ」制服をはたいてほこりを払い落としていた。「あらためてよろしくね、浅倉くん」

 「しらばっくれんなよ。あんたどう見ても高校二年生じゃないだろ」

 「人を見た目だけで判断してはいかんですよ。わしは確かに17歳です」

 「見た目とたった今の壁登りだ!ふつーの高校生は校舎の壁登んないから!」

 「じつは一年ほど病気で浪人しまして、本当は18歳です」

 「もう一歳増えちゃったぞ!つうかどう見ても二十歳(はたち)は過ぎてるよ!」

 「きみ疑い深いな~」

 佐伯亮三は苦笑して健太に背を向けた。「や!これはこれは、富士が本当によう見える!思った通りじゃあね」

 話題を変えたつもりらしい。

 細かく追求する気分が失せたので、健太もとりあえず調子を合わせることにした。

 「富士山がよく見えるかなと思ってわざわざ登ってきたん?」

 「そうですよ。浅倉くんの邪魔するつもりはなかった。許しておくんなさい」

 「いいよべつに」あまり目立たない健太の名前をもう覚えているあたりが突っ込みどころだが、追求してものらりくらりとかわすだけだろう。

 何者なんだこいつ。


 学校が終わり、健太は屋敷までチャリを転がした。

 学校の校庭に面した金網沿いに昨日の左翼団体と似たような連中が張り付いていた。続々集結中ということか。

 嫌な予感がして、健太はなるべく人がいなさそうな裏道を選択した。ペダルに力を込めて帰り道を急いだ。

 だが基地のほうに近づくほど通りをうろつく人間の数が増えてゆくようだ。田舎の道路脇の空き地にバンを止め、なにやら探すようにまわりの様子を眺めるグループ。自衛隊員や警察官もやけに目に付いた。

 50人くらいの市民団体が自衛隊員に大声でまくし立てている。中には黄色い安全ヘルメットにマスクで顔を隠し、プラカードを抱えたものもいた。

 そして、そんなグループの中に田中由子と杉崎信の姿を見かけた。

 疾走するチャリンコから見ただけだからほんの一瞬だが、見慣れた学校の制服に田中由子のエキゾチックな肌色は見間違えようがない。平和を愛する市民グループにからまれているという様子ではなく、笑顔でお喋りしていた。

 (あの二人はあっち側の人間なのか?)

 健太は少なからず衝撃を受けた。ひょっとしてもう一人……あの人の良さそうな巨漢もか?

 左翼活動家が騒音問題を抱える基地の周辺にわざわざ引っ越してくる、という話を思いだした。

 きゅうに空恐ろしくなって、健太はさらに家路を急いだ。さいわい屋敷の敷地の境界には昨日よりでかく「ここから先は私有地につき立ち入り禁止」という看板が掲げられ、闖入者はいなかった。

 スマホをチェックしながら屋敷の玄関をくぐると、例の玄関ロボットが柔らかいチャイムを鳴らした。

 「お帰りなさい浅倉サマ」

 「はいよ、ただいま」

 ロボットの正面ディスプレーの表示に何気なく眼を走らせると、屋敷の俯瞰透視図が表示されていた。玄関にイスクラメイションマークのような人型のアイコンが浮かんでいて、その上の吹き出しに「浅倉健太/帰着/15:35」と表示されていた。

 (ステータスボードになってんのか)

 画面のアイコンをひとつふたつ突いてみた。

 「昨日」という文字が眼に入ったのでそれを押した。すると昨日一日の屋敷内の動きが一時間ごと二秒間隔で再生された。

 (誰がどこにいるのか分かっちゃうんだな)少し迷惑なような気もしたが、やがてある時点で礼子先生と実奈ちゃんが合流しているのに気付いた。場所は――

 地下浴場。

 (地下浴場)

 その言葉が健太の脳内でこだました。

 屋敷の地下に大きな風呂があるのだ!

 (畜生そんなの知らされてなかったぜ!)

 つまり、礼子先生が、おそらく実奈ちゃんに誘われて一緒に風呂に入ったのだ……。

 (ナンテコッタイ!)

 廊下をよく見れば突き当たりに

しっかり「地下浴場」という案内札があるではないか。

 一週間も部屋のユニットバスで済ませてたのに!なんだか大損した気分で自室に上がった。

 さっそく今夜使ってみようと思った。なるほど、あのステータスボードで風呂で誰かと行き当たらないよう分かるわけだ。おそらく予約機能などもあって、スマホで確かめられるのだろう。

 


 そんなわけで夜11時、健太はTシャツと短パン姿で屋敷の廊下で足を忍ばせていた。こそこそする必要なんか無いのだが……念のため一階に下りると玄関のロボットをいまいちど確認した。礼子先生もまこちゃんも実奈ちゃんも自室にいた。

 「よーし」

 健太は地下に向かう階段を駆け下り、短い廊下の突き当たりに掲げられた温泉マーク付きののれんを発見した。本格的だが男湯、女湯に分けられてはいないようだ。

 のれんをくぐって脱衣所で素っ裸になった。手ぬぐい一枚持ってガラス戸を開けると、20メートル四方もありそうな広い風呂場だった。

 「おおすげえ」

 健太は悦に入って、壁際の洗い場でプラスチックの腰掛けに腰を下ろした。

 広すぎてやや落ち着かない。周囲に目を配りながら手早く身体を洗って、風呂に飛び込んだ。風呂の奥はガラス張りになっていて、ジャングルふうの植物が植えられていた。奥にはらせん階段が見えた。地上と吹き抜けになっていて、風呂の位置からしてプールサイドに直接出られるようになっているらしい。庭のささやかなプールは使われておらず、水は抜かれていた。

 壁の一角にはサウナも完備されているようだ。

 健太は立ち上がってサウナ室の小さな窓から中を覗き込んだ。

 サウナは無人ではなかった。

 島本博士がいた。

 (うおッ!)

 健太は思わず口を押さえて身を屈ませた。

 それからおそるおそる、もういちど覗き込んだ。

 間違いない。さつきは木製のベンチにうつ伏せていた。のんびり上に曲げたすねを交差させ、両肘を組んだ上に頭をのせていた。目はつぶっている。

 初めてじかに見た女の裸体だった。

 しかも

 なかなかどうして、あのくびれ……タオルが邪魔だったがおしりもふっくら盛り上がって、ぜんぜんたるんでいない。滑らかな背中にしっとり汗を浮かべていた。そして体の下敷きになったおっぱいのボリュームときたら……。

 健太の母親の後輩ということは、礼子先生より10近く年上のはずなのだが。ということは健太の倍以上。

 18歳以上の婦女子をBBR呼ばわりしてる連中はなにも分かってない。バスタオルを巻いた天然ぼけの女の子と風呂場で遭遇するだけが人生じゃない。

 とりとめのない思考を巡らせつつ体の曲線を食い入るように見つめ続けた。

 何分間そうして堪能していたのだろう。

 ふとさつきの顔に眼を戻すと、こちらをまっすぐ見据えていた。

 「がッ!やべっ!」

 健太は弾かれたように後ずさりすると、そのまま脱衣所に逃走した。

 猛スピードで部屋にとって返し、ベッドの上で丸まって雷が落ちるのを待った。

 

 30分経過―ー

 

 さつきが健太の部屋のドアをノックすることはなく、スマホも鳴らなかった。

 (お咎めなしか?)健太は抱えていた頭をおそるおそるドアに向けた。

 反応無しなのも、それはそれで心穏やかではない。いったい明日以降どんな顔して島本博士と会えばいいんだ!?

 健太は悶々と思考を堂々巡りさせ、そのうちにくたびれきって寝た。



           3


火曜日の朝。

 髙荷マリアが始業時間になっても現れなかった。そして隣の佐伯亮三の姿もまた無い。出席を取る礼子先生も当惑していた。

 健太のスマホが尻ポケットの中で振動している。健太は机に隠れてスマホを取り出し、メールの文面をあらためた。


 髙荷マリアを助けたければひとりで体育館裏に来るべし。誰にも知らせてはならない。


 メールは髙荷のスマホから発信されていた。

 健太はその短い文面をしばらく見つめ続けた。

 なにが起こってる?

 どうしたらいい?

 健太は無意識に立ち上がっていた。

 「浅倉くん?」礼子がいぶかしげに尋ねた。

 クラスの注目が集まり、健太はたじろいだ。

 「あ、えっと、すんません先生、きゅうに腹が痛くなっちゃった。ちょっと失礼」

 「浅倉うんこかよ」誰かが言い、健太ははしゃぐクラスをあとにして廊下を急いだ。

 

 はやる気持ちを抑えて下駄箱でブーツを履き、どうしようもない緊張でぎくしゃくする身体をなんとか動かして外に出た。

 こういう時に限って誰も見かけない。監視されているんじゃないかと辺りを見回しながら体育館裏に向かった。

 朝っぱらのさわやかな空気が妙に空々しい。なにか現実の出来事と思えないまま足だけが勝手に動く。

 罠に決まってる。なのにどうしようもない。

 感覚が異常に明敏になっていた。学校裏手の湿った土と雑草と生ゴミの匂いが鼻につく。体育館の壁の曇りガラスのむこうでなにかが動いた気がした。

 (気のせいか……くそっ)

 こんな時に限って体育の授業も行われていないらしく、人の気配はない。

 本当に腹の調子までおかしくなってきた。まったく忌々しい。

 遅ればせながら狙撃されたらどうしようなどと考えた。真琴ちゃんなら知っているかもしれないが、健太はそんな事態に対処する方法なんか教えてもらってない。

 体育館裏に着いた。

 長いこと使われていない焼却炉が雑草に埋もれかけていた。金網フェンスの向こう側の道路にも人の姿はない。

 が、体育館の端のあたりに地味な白い車が一台止まっていた。

 その車のドアがすべて開いて、男が四人出てきた。派手な柄のTシャツに半ズボン姿のいかにもヤンキーふうの四人組で、野球帽や毛糸の帽子を被り、濃いグラサンをかけていた。腕にはこれ見よがしにタトゥーを施していた。ひとりなど釘バットを持っている。四人はフェンスの一角に空いた非常出入り口の金網ドアを蹴飛ばして敷地に入ってきた。

 「にいちゃん名前はなんつうん?」釘バットの男が尋ねた。

 「浅倉健太」

 釘バットは仲間のほうを向いて尋ねた。「こいつでいいんか?」

 「良いんじゃね?メールしたらこいつが来たンやもん」

 「そだな。おいガキ、ケータイ出せや」

 健太はしぶしぶスマホを差しだした。釘バットが健太の手からスマホをひったくり、しげしげ眺めた。「なにこのダせえやつ。あの糞生意気なメスガキも持ってた」

 「髙荷は無事なのか?」

 「うっせーよガキが!」釘バットが叫んだ。

 見れば相手は健太よりずっと年上だ。少なくとも久遠一尉より上……40代過ぎのオヤジだった。

 いい年こいてチンピラみたいな風体……しかも釘バット。

 健太は急に恐怖を感じなくなった。

 (こいつらつまんない人間だ)

 四人で寄ってたかって高校生ひとりを脅して悦に入っている。

 (大人なのにそんなことで楽しめるなんて、人生でもっと大事なことを見いだせなかったのだろうか……)

 滑稽すぎてちょっとかわいそうなくらいだ。

 「野脇さんこいつ舐めた顔してまっせ。殺しちゃいましょうよ」

 「殺しちゃだめじゃん。金さんが無傷で連れてこい言うとったろ」

 「ちょっと痛めつけるだけならいいっしょ」

 ひとりが突然一歩踏み出して健太の足を払い、健太は地面にひっくり返った。

 「ってえ!」

 自慢の釘バットを健太の腹に当て、歯を剝きだした酷薄なにやけ顔で見下ろした。知性のかけらもない顔だと思った。健太はありったけの気力を奮い起こしてまっすぐにらみ返した。

 こんな態度は寿命を縮めるだけだ。

 それは分かってたが、怯えてこいつらを満足させるつもりはなかった。

 (おれの仇はきっと久遠一尉がとってくれるよ……あの人ならひとりでこいつらやっつけられそうだもん)

 そのとき、

 「ね~おっさんたち~」

 突然背後から物憂げな声をかけられ、釘バット一行はぎょっと振り返った。

 (なにが起こった?)健太は両手を突いて上体を起こした。

 チンピラのあいだから向こうを眺めると、杉林信が白い車のボンネットにのんびり片肘を突いて寝そべっていた。ナイフをボンネットに突き立ててなにやら書き込んでいる。

 「てめぇなにしてやがる!」チンピラふたりが車に向かって駆け出した。

 「見りゃ分かんだろうが、独創性のかけらもないセリフだなぁ。やり直し~」杉林はチンピラのほうを見てさえいない。

 「ざけんなよガキ!車からどけよ!」

 「どかねえとぶっ殺すぞ?」

 「どかねえと、ぶ……」男は二の句が継げなくなり、絶句したまま杉林に飛びかかった。

 杉林はさっと両足を翻してボンネットから車の屋根に飛び移った。FRPがへこむベコンという音が響いた。飛びかかった男はボンネットに無様にひれ伏した。杉林がポケットに手を突っ込んだままその男の背中に飛び降り、男がぐえっと喘いだ。

 そのまま男の背中の上を歩いて、呆然と立ち尽くしていたもうひとりのチンピラのあごを蹴り上げた。そいつは勢いよく背後のフェンスに激突してずるずると崩れ落ちた。

 健太は慎重に立ち上がった。

 「アサクラサンダイジョブ?」

 「え?」健太と、釘バットともうひとりのチンピラが一斉に振り返った。

 「怪我ナイね?」

 田中由子が健太のすぐ側にいて、肩に軽く手を置いた。

 「田中さん……」

 「チョットどいてて」

 田中由子は健太の肩をそっと引いて釘バットとのあいだに立った。

 「なんだこのガキ共……」釘バットがそれなりに妥当な疑問を呟いた。

 彼女がポケットから携帯を取りだし、頭上に掲げた。

 「今からアサクラサンのケータイにお電話するね、ダレか別の人がケータイ持ってたらタイヘンなことになるよ」

 田中由子が発信ボタンを押すと、まもなく釘バットの尻ポケットからブーンと唸るくぐもった音が聞こえ――

 「ぎゃっ」

 バシンと音がして釘バットが突然海老反り、糸が切れたマリオネットのようにガクガクと膝を崩した。そのまま地面に横たわって痙攣していた。

 「五万ボルトのスタンガンネ、オソロシ~」

 なにか言わなければならないような気がしたが、けっきょく健太が思いついたのはひと言だけだった。

 「……田中さん、おれのスマホの番号知ってるの?」

 「ウン!あとでアタシのナンバー登録してネ」そういいながら卒倒した釘バットを蹴飛ばしてうつぶせにして、尻ポケットから健太のスマホを取り出した。

 ついでバットを拾うとしげしげ眺め、両端を掴むと、すね当てで簡単にへし折った。

 傍らで呆然としていたチンピラ最後のひとりはそれを見て形勢不利を悟ったのか、無言のままのろのろと後ずさり、くるりときびすを返して逃走を図った。

 だが通りに飛び出したとたん自衛隊の高機動車に危うく轢かれそうになった。高機動車はかろうじて急停車したが、チンピラは巨大なフロントにぶつかって地面に尻餅をついた。

 高機動車のドアが開いて、久遠一尉とニンジャ装備の隊員たちが現れた。

 「逃走しようとした怪しい奴発見……」久遠が言った。

 黒ずくめの隊員たちが哀れなチンピラに群がって乱暴に立ち上がらせた。

 「ちがっおれは関係ない!暴行事件目撃しただけなの!ガキ共が大人襲ってたの!」

 「その怪しい奴と倒れてるお仲間を拘束しろ。尋問の必要はない。痛めつけろ」久遠は時計を見た。「5分間」

 「了解」

 「ちょっと待て!やめろ!勘違いだっつってんだろ!……やめてくださいよぉ!」

 隊員たちが釘バット一行を見えない場所まで引っ張っていった。

 「さてと……」久遠は胸ポケットからピースの箱を取り出すと振って一本抜きだし、くわえて火を点けた。ジッポーのカチンという音が響いた。「もうひと組、ならず者がいるようだが……」煙を吐き出しながら言った。

 「バスケ、来んの遅えよ」杉林信がタメ口で言った。

 「久遠さんと呼べ」

 健太が叫んだ。「久遠一尉!髙荷が捕まったんだ!」

 「分かってる。すぐに――」ニンジャ隊員たちのほうにあごをしゃくった。「――マリアの居場所を吐き出させる」

 隊員のひとりがすぐに戻ってきた。

 「隊長、あいつら小便漏らして泣きだしたんすけど」

 久遠はしかめ面で時計を見た。「まだ2分しか経ってないんだが……素直に喋りそうか?」

 「02の居場所は朝霞の荒川のJR高架橋脇だそうです。訊いてないのに勝手に喋り出しました。四人とも自白内容は一致してます」

 「久々にお天童さまを拝んだのに、一服する間もねえ」久遠は溜息と紫煙を吐き出してたばこをもみ消した。「少し遠いな……さっそく行くとするか」

 健太は思わず言っていた。「髙荷を助けにか?おれも行くよ!」

 久遠は渋い顔で健太を凝視した。

 「髙荷が戻って来なきゃエルフガインで待機してても仕方ないだろ?」

 「しかしおまえが付いてきたってなあ……」

 「いいじゃん、連れて行こうぜ」意外にも杉林が言い添えた。「そいつ、あのパイロットなんだろ?」

 「連れて行こうぜって……おまえら授業中だろ?教室戻れよ!」

 「髙荷マリア救出はおれらに任せろよ。いまごろ亮三が救出に当たってるはずだしよ」

 「あいつも来てるのか?……しょうがないな、それじゃ責任持ってきっちり落とし前つけろ」


 そういうわけで健太たちはチンピラが乗り付けた車に乗り込んだ。高機動車では目立ちすぎる。「おまえたちは基地の防衛に回ってくれ」ニンジャ隊員たちに指示して、久遠は車を発進させた。

 久遠が運転席、助手席に杉林が乗り、健太と由子は後部座席に収まっていた。

 「オートマとは軟弱なテロリストだな。ボンネットにあいあい傘書いたの誰だよ?」運転しながら久遠が尋ねた。

 杉林がのんびり手を上げた。

 「田中さん、あんたたち何者なんだ?」健太が尋ねた。

 「ワタシフツーの転校生」

 「よしてくれよ。久遠さんが寄越したんじゃないの?」

 「おれじゃねえよ」

 「きのうサヨクの人と一緒にいなかったか?」

 「怪しい奴がいないか見回ってたんだよ」杉林が助手席から答えた。

 「へー?」久遠が楽しそうに言った。「そのわりにはドジッたようだ」

 「うっせえな、おまえらだって髙荷マリア拉致を防げなかったじゃん。税金泥棒」

 「あの~、ところでさ、なんで久遠さんバスケって呼ばれたの?」

 杉林がせせら笑った。

 「だって本名だし」

 「へ?」

 久遠自身が答えた。「おれのフルネーム、馬の助と書いて久遠馬助。オヤジがNBAのファンでな。息子をプロバスケットボール選手にしたくて名前つけたんだと……」

 「DQNネー……」

 「違う」久遠が断固として答えた。「それ言ったら殺す」

 バックミラーの久遠の目が健太を睨んでいた。健太はそれ以上追求するのは控えることにした。



             4

 

佐伯亮三は朝の通勤電車に巨体をねじ込んで川を越えた。所々裂けた薄汚れた制服に痣だらけで腫れあがった顔という亮三にほかの乗客は怯え、すし詰めの車輛内でなんとか距離を取ろうとしている。おかげで下車はスムーズだった。


 髙荷マリアは自宅を出てすぐに襲われた。

 二台の車が髙荷のスクーターの行く手を塞ぎ、転倒した彼女をあっという間に車内に引っ張り込んだ。佐伯はただちに駆けつけたが、相手の数が予想以上に多かった。

 車の7人にくわえて背後から5人が亮三に襲いかかり、取っ組み合っているあいだに逃走されてしまった。

 亮三が9人を片付け、残った比較的元気だった一人からすべてを絞り出すのに3分かかり、それから追跡を開始した。


 川越で奴らの車に追いついた。幸運にも奴らはまだ髙荷マリアの携帯を始末していなかったのだ。気取られないように距離を置いて尾行した。行く先はさきほど聞き出していたから追跡は楽だった。ただし渋滞で先回りはできなかった。

 奴らは荒川の朝霞側の土手にアジトを築いていた。公営グラウンドをなかば占拠していた。自動車が何台も駐車しており、大勢のジャージ姿の工作員がテニスラケットケースやゴルフバッグを抱え、周囲を警戒していた。

 髙荷マリアはグラウンド脇の小さな用具倉庫に連れ込まれたようだ。

 亮三はしかたなくJR駅に戻り、電車に乗って川向こうの駅に移動した。

 急いで川に戻ると、高架線下の作業用キャットウォークで朝霞方向に戻り始めた。

 さいわい対岸は無警戒だった。

 難なく橋を渡りきって土手に降り立ち、そのまま川に入って用具倉庫に接近した。

 途中で川に向かって用を足そうとしていた奴を引きずり込んで窒息させ、テニスラケットケースを手に入れた。

 中身はMP5Kサブマシンガンだった。

 それにジャージのポケットに無線機と使い捨ての携帯電話、トカレフが入っていた。財布には紙幣と500ウォン硬貨が二枚。身分証はなく、コインはおそらく身元を騙る小道具と思われた。今やたいした違いはないが。

 時間は10時10分。携帯に田中由子――別名ワン・シャオミーからメールが届いていた。


 いまそっちむかてるくるまでとうちやく10じ25ふんこちらはよん3にんにほんこむつかしいね


 43人?おそらく三人ということだろう。車で接近中……もうすぐ現れる。グラウンドの奴らがそちらに注意を向けてくれれば、それでじゅうぶんだ。急いでメールを返信した。



 久遠が無茶な運転で川越街道をひた走るあいだに、健太はいろいろ聞き出していた。

 「つまりあんたたち大学生なのか!」

 「たぶんそうなんじゃネーの?なんだかんだ言われてるけどちゃんと国の認可受けた学校みたいだし」

 「文科省最大の過ちだ」久遠が言い捨てた。「当時は文部省だが」

 「アタシも浅倉くんより二歳年上ネ」

 「私立防衛大学……」

 「その愛称はよせよな……どこぞのネット掲示板で言われ始めたんだ」

 「ご、ごめん……でも凄いじゃん。やっぱ卒業したら自衛隊に入るの?」

 「バカ言うな。おれたちなんか入れてくんねえよ。間違って入隊したら死ぬまでいじめ抜かれちゃうぜ」

 「その通り」久遠が認めた。

 「それじゃなんで私立の……えー、防衛だかミリタリー専門校に進学する……?」

 久遠が忌々しげに鼻を鳴らした。「傭兵だ。企業に雇われたりどこかの私兵になる。困った奴らだ」

 「でも本筋は祖国防衛の志士を育成すんのが目的とかなんとかなんだよね~。初代学長が戦前日本軍が満州で好き勝手してるの見て心配したんだって……硬直したマンモス官僚組織じゃ負けるための軍隊だ、ってさ」

 「そんな昔からあったんだ……」

 「昭和20年に廃校しなかったのが不思議だ」

 「警察予備隊が創設されるまで誰が苦労したと思ってんだあ?おっさん」

 「自衛隊さんに嫌われるわけだ……」

 「けどシンパも多いんだぜ?馴れ合わない程度にお互い利用しあってるんだ。いまもそうしてる真っ最中だろ?」

 「なるほど……で、田中さんは留学生かなにか?」

 「そう、アタシ台湾から来たよ。臨海大学の理念グローバル化してるのヨ。ガイジンいっぱいいる。サムライ魂習うネ。アタシホントはワン・シャオミー名前よ。だけど本名でアドレス登録NGヨ」

 「シャオミーさんね。それでみんなどうして身分詐称して転校してきたんだ?久遠一尉に呼ばれたんじやないなら、島本博士?」

 「あーあの美人のおばさん元気?まだ独身~?」

 「うるせえんだよ」久遠が答えた。「亮三が来たんだから、真琴ちゃんが連絡したんだろ?」

 「当たり~」

 「なんで真琴ちゃんが?」

 「だってあいつ真琴ちゃんの兄貴だもん」

 「えー!?」健太は驚愕した。あの巨人が真琴ちゃんのお兄さんだと?……「それじゃ本名は二階堂……」

 「そう、二階堂亮三」

 田中由子――シャオミーが携帯を取りだした。

 「亮三から返事きたヨ」

 「なんて?」

 「グラウンドに50人くらい兵隊がいるから攪乱してくれ……そのあいだに川から突入する。髙荷はグラウンド隅の小さな小屋の中。相手は重火器で武装」

 「オーケー!見えてきたぞ」

 久遠は土手上の狭い舗装道路に車を乗り上げ、ゆっくり走らせた。前方に高架橋が見える。グラウンドは高架橋の下を過ぎたすぐ向こう側だ。高架橋の真下に差しかかったところで杉林が走る車から土手の反対側に転がり出た。健太は急いで助手席に移り、ドアを閉めた。

 久遠はそのままグラウンドの横を通り過ぎた。

 グラウンドのジャージ姿の連中は明らかに久遠たちの車に気付いており、おいこっちだ、戻ってこいというように手振りしながら叫んでいた。グラウンドを通過しきるところで健太がふと川のほうを見ると、佐伯亮三が巨体に似合わぬ俊敏さで川から這い上がり、小屋に向かっていた。

 久遠はハンドルを切り、土手の傾斜をずり落ちながら車の向きを180度変えた。健太は転がりそうな車内で必死に取っ手を掴んだ。シートベルトを外すよう言い渡されていた。いざとなったらすぐ動けるようにだ。

 「掴まってろ!」アクセルを踏み込んでグラウンドに突進した。

 ただならぬ様子に気付いたジャージ連中が武器を取り出し始めていた。

 そのときジャージ連中の背後、高架橋の柱から杉林が射撃を開始した。

 たちまちあたりは混乱した。

 久遠はジャージ姿の兵隊を何人か蹴散らしながら小屋の側に車を止めた。後部座席から田中由子が飛び出し、小さな缶をあたりに投げつけた。缶から煙幕が噴き出してあたりに立ちこめた。

 「伏せてろ」久遠が健太に命じた。

 小屋のドアから亮三が現れた。下着姿のマリアを抱えていた。

 あたりには怒号が飛び交っている。日本語と韓国語のちゃんぽんだった。散発的なパンパンという音も響いていた。車のサイドウインドウが突然粉砕され、シートに屈んでいた健太は身を固くした。

 亮三はなにも言わずに後部座席にマリアを放り込んだ。反対側のドアから由子が乗り込み、マリアの体を膝に抱え上げた。

 久遠が叫んだ。「おまえも乗れ!」

 「わしにはちと狭い。久遠さん、さっさと行ってくれ!わしは杉林くんと一緒に足止めするから」

 「死ぬんじゃねえぞ」

 「わかっとりますがな」

 久遠はただちに車を発進させた。ジグザグにグラウンドを走り抜け、土手を一気に駆け上がってそのまま加速し続けた。

 「案外簡単だったな」久遠が言った。

 健太はようやく頭を上げて辺りを見回した。本当にあっという間だった。訳が分からないうちに救出作戦が終わっていた。

 由子がマリアの頭を抱くようにして膝に乗せて、あちこち調べていた。マリアが下着しか身につけていないことに気付いて健太は慌てて前に向き直った。

 「マリアの様子は?」

 「眠らされてるネ。注射されてない。外傷はないヨ。顔ひっぱたかれただけ。きれいな顔なのにカワイソウ」

 「追っ手はいるか?」

 由子は後ろに顔を向けた。「まだいないヨ……あ、一台現れたヨ」

 健太もきれいになくなったサイドガラスの枠から後ろを眺めた。

 「頭出すな!」久遠が言った。

 「まって、あの車運転してるの佐伯……真琴ちゃんの兄貴だ!」

 「あら本当ネ!うしろに信も乗ってるネ!」

 「タフな野郎共だな」

 健太はホッとしてシートに身を沈めた。

 何気なく川を眺めた。山間の雨で荒川は水かさを増し、茶色に濁っている。

 その水面に一筋、白いボートの航跡みたいな筋が生じた。

 だがボートは一隻もいない。

 「なんだあれ……」

 白い航跡が盛り上がり、なにかが浮上した。

 「どうした坊主?」

 「川からなにか浮上してる。潜水艦みたいな大きなのが……」

 「なんだと……?」

 巨大なムカデみたいなメカが、大量の水を滴らせながら勢いよく頭をもたげて川から躍り出た。

 健太と久遠はぽかんと見上げた。

 ムカデメカは高さ30メートルほども一気に伸び上がった。ギザギザした角だらけの頭は大型乗用車ほど。胴体は幅5メートルくらいあるブーメラン状の節が連なり、その全体の長さは……

 「何百メートルもあるぞ……」

 巨大ムカデの頭が健太たちの車をまっすぐ見据えていた。

 ついでその胴体が生理的嫌悪感を催すような動きで土手に這い上がり、クネクネうねりながら健太たちを追い始めた。ブーメラン状胴体の両端が節足に変型して、ますますムカデっぽい無数の足がわさわさ動いていた。

 ムカデのすぐ側を走っていた亮三たちの車が慌てて土手を降り、側道に曲がった。

 「あのキモイゲジゲジわたしたち追ってくるヨ!」

 「マジかよ」

 「俺たちも土手から離れたほうが良くない?」

 「まだだめだ!住宅地だぞ。もうちょい先に桑畑が広がってたはず……それより島本博士に連絡しろ!おれは安全運転中で手ェ放せねえから」

 そう言って久遠はアクセルを目一杯踏み込んだ。車一台がやっとという狭い土手で速度表示が108㎞に達した。

 健太はスマホを取り出して島本博士にかけた。

 『浅倉くん!マリアも無事?』

 「博士!髙荷は取り返したけど荒川から巨大ムカデみたいなメカが現れた!おれたちそいつに追いかけられてる」

 『巨大って、どのくらい?』

 「よく分かんないけど2~300メートルもあるよ!いま時速100㎞で逃げてるけどあんまり引き離せてない!」

 『分かったわ。コマンドの周辺も散発的な銃撃戦の真っ最中だから、こっちに戻ってこないほうが良い。あなたたちはとにかくひらけた場所を目指しなさい……そうね、できればあと10分くらい逃げて。いいわね?』

 「了解!」

 「博士はなんて言ってた?」

 「エルフガインコマンドのまわりも攻撃されてるらしいよ。あと10分逃げ回ってくれってさ。ひらけたところに行くようにって」

 「そうか……それくらいならなんとか――」車の両脇に巨大な弾着柱が走った。車が巻き上がった炎混じりの黒煙に突っ込んだ。

 「うわっ!」ボンネットとフロントガラスに土くれが降りかかった。「攻撃してきた!」

 「やっぱ10分はきついかもしれんな」

 


           5

 

 防衛省ビル12階にいつものメンバーが勢揃いしていた。

 天城塔子は内心苛々しながら会議の進行に耳を傾けていた。

 こんなところで呑気にだべっていたくない。今すぐ日本海沿岸に向かいたかった。あるいは政府の重要拠点、原発施設、どこでもいい。

 国内の敵工作員が蠢動している。一昨日から不穏な報告ばかりが次々舞い込み、警察も重い腰を上げているのだ。

 Xデイは近い。

 だと言うのに、会議の趣旨はとりとめがない話題ばかりだ。

 政府首脳はアメリカの様子ばかり伺っている。アジア勢との戦闘が間近だというのに、文官は勝って当然とばかりにその先のことばかり議題に乗せている。

 これではまるでミッドウェイ攻略前夜だ。

 「先月の大統領選で現役が退き、変わって護民党のアルドリッチ・タイボルト氏が第46代大統領に就任しました。皆さんご存じでしょうが、護民党は10年ほど前から活動している、ティーパーティー運動の流れをくんだ保守新党です……」

 「由々しきことだ」

 「ここ数年アメリカは際限なく保守に傾倒していましたが、これでいよいよ決定的です。キリスト教右派の台頭、自分たちは神の寵愛を受けた民族と確信しています。強硬的社会平和維持、あらゆる堕落行為の排除、中絶禁止、同性愛禁止……納税額に比例した社会階級の構築。少数民族に対する弾圧も強化されるでしょう」

 「古代ローマの再現と聖書的楽園のミックスというわけか……昔のマンガや童話を一億ドルもかけて映画化してるあたりからあの国はどこかおかしいと思ってたが」

 「現在は民族的受難の物語が流行ってますね。市民はノアの方舟を待望しています。自分が乗船切符を手に入れられるのか心配させて、熱心に働くことを奨励しているようです」

 「そんな連中が世界征服に乗り出したら大変だ」

 ほんの何十年か前に日本も似たような社会……挙国一致体制を敷いて戦争に臨んだのだが、このひとたちは覚えているのかな?と塔子は思った。

 この国がふたたび「欲しがりません勝つまでは」なんてお題目を唱え始めるまであと何ヶ月くらいだろう。

 島本さつきは国民全員が戦争馬鹿になることを危惧していたが、それは自衛隊も同じだ。だが政府は例によって統制が必要ではないかと考え始めるはず。あの人たちは民をけっして信頼しない。

 「しかしだよ、彼らの関心は相変わらず中東やヨーロッパだろう?」

 「最終決戦の相手をロシアと見なしているならそうですが……仮にわが国が中国に勝利しますと、アメリカにとっても無視できない勢力になります」

 「なるほどねえ……」

 「政府のお偉方に態度を決めさせなくてはならん、と言うわけだ」

 「もうユナイテッドコリアとの戦いは避けられないんだよね?どうするつもりなんだ?対馬に上陸するとでもいうのか?」

 「あの国はめちゃくちゃな状態です……。名目上には南北統一していますが、南の人間が北の同胞にそれはもう酷たらしい差別をくわえて以来、事実上内戦に近い分裂状態です。しかも宗主国に脅され、対日戦争の準備を無理矢理強要されているのが実情です」

 「わが国に対する戦意は低いと?」

 「いえ、残念ですが……かの国の上層部には日本に攻めたくてしょうがない連中も少なからずいますから」

 塔子は内心溜息をついた。

 せっかく話が差し迫った問題に向かったのに、またしても戦争を避けたいのかどうなのか煮え切らない話が堂々巡りしている。この会議で文官が各省に持ち帰った内容が、その後の政府方針にある程度影響するのだ。先が思い遣られる。

 (また後手後手に回るのか……)

 会議室に聞き慣れない呼び出し音が鳴り響いた。

 みな口をつぐみ、隅のテーブルに置かれた赤電話に注目した。

 防衛省の男が立ち上がって電話を取った。

 「はい……」男は少しのあいだ電話口に聞き入り、やがて「分かりました」と言って受話器を置いた。

 「えー……皆さん」男は咳払いした。「本日午前10をもって、ユナイテッドコリアよりわが国に宣戦布告が為されたようです」厳かに告げた。

 「なんと……」

 塔子は腕組みしたまま天井を仰いだ。

 まもなく自衛隊関係者の携帯が一斉に鳴り始めた。マナーモードが強制解除されるケースは地震と、もうひとつしかない……。

 「天城です」

 『厚木ジャッジの玉置です。たったいま朝霞から報告がありました……。エネミーと思われるロボットが荒川河川敷に出現したようです』

 「荒川ですって……?」

 「埼玉の荒川です」

 塔子は軽い目眩を覚えてこめかみを揉んだ。まだ前回の反省会さえ終わっていないというのに、寄りによって朝霞駐屯地のお膝元に……。気を静めるため数を三つ数えてから言った。

 「なぜ……そんな場所に現れるまで誰も気付かなかったの?」

 「エネミーは長さ280メートル、最大幅5メートルという細長い蛇状です。海底を這って川を遡上したのではないかという分析ですが――」

 それ以上馬鹿な話を聞いていられず塔子は話を遮った。

 「まあそれはあとでいい。対処はどうなってるの?」

 「エルフガインの出撃命令が下りました」

 

 

  一時間目の授業中にサイレンが鳴り、またしても避難が始まった。礼子は生徒を避難誘導した。生徒たちが校庭に集まるころ、例のスマホが着信した。

 「はい?」

 『若槻先生、お仕事中悪いけど出撃だから、駐車場にお迎えが来るからそちらで待機してちょうだい』それだけ一方的に言って島本博士は切ってしまった。

 「はあ……」

 礼子はグラウンドを見渡した。

 (わたしひとりいなくても大丈夫かな……)

 トイレに行くよう装って校舎に戻った。忍び足で職員室に向かってハンドバッグを取り、駐車場に向かった。

 駐車場でそれらしい迎えの車を探したが、見あたらなかった。

 まもなく頭上にバタバタという音が聞こえ、どんどん近づいてきた。その音が絶えがたいほど大きくなると同時にヘリコプターが校舎を越えて現れた。

 「うっそ……」

 大きなヘリ――濃緑色と黄土色に塗り分けられたCH―60が、駐車場のわずかな敷地に尻をねじ込むように降り立った。激しく叩きつけられる風を避けて建物の陰に隠れて様子を見ていると、胴体側面のドアが開いて中から自衛隊員が現れた。おずおずと姿を現した礼子の姿を認めて手招きしている。

 礼子はスカートのすそと髪を押さえて背中を丸めながらヘリに駆け寄った。自衛隊員が礼子に手を貸してヘリに引っ張り込んだ。重いヘルメットを手渡されたのでそれを被ると、「座ってください」とカンバス地のベンチシートを指さされた。礼子が指示に従うと、自衛隊員が「ちょっと失礼」と断ってシートベルトを装着した。

 ヘリが上昇した。



           6


健太たちはなんとか生き延びていた。暴走する健太たちの車はパトカーに追いかけられたが、警察は健太たちを追う巨大ムカデに気付くとどこかに消えた。

 ついで自衛隊の攻撃ヘリが現れた。

 彼らはムカデにロケット攻撃を浴びせて追跡の足を鈍らせてくれた……しかしムカデロボはあまりダメージを受けていない。

 やはりヴァイパーマシンのようだ。

 ムカデロボがようやく後方に遠のき、久遠は畑が広がるひらけた場所で車を止めた。送電線が連なるその先で、ムカデロボと攻撃ヘリが死闘を繰り広げていた。20㎜モーターキャノンの重い打擲音が響いて曳光弾が宙を切り裂き、ロケット弾ポッドから煙を曳く光の束が迸る。ムカデロボの辺り一面が爆発した。長大な尾っぽが空をひと薙ぎしてヘリを一機叩き落とした。

 久遠はあちこち電話をかけまくっている。

 髙荷マリアが目を覚まし、ややふらつきながら車の外に這い出してきた。ボンネットに両腕を付いてぐったり寄りかかっている。気分が悪そうだ。由子が寄り添い背中をさすっていた。

 健太は上着を脱いで由子に差しだした。由子がにっこり笑いながら受け取った。

 「サンキューねアサクラサン」礼を言ってマリアの肩に羽織らせた。

 マリアがこちらに顔を向けるのが気配で感じられた。

 しかし……予期していた憎まれ口は飛んでこなかった。


 ムカデロボは戦闘のあいだに健太たちをロストしたようだ。だがどのみちエルフガインコマンドは健太たちの方角であり、敵の目標はそれに違いない。着実に接近している。

 背後でブォーンという低い唸りが聞こえた。健太たちがその音に気付いて振り返ると、鶴ヶ島の方向遙か遠くで土煙が舞い上がっていた。

 「爆撃されてる……?」

 「いや、違う」久遠が言った。「おまえの担任が迎えに来てくれたんだ」

 「えっ?」

 目を凝らすと、それが見えた……おそろしく巨大な四角い構造物が激しくバウンドしながらこちらに向かってくる。陸上を移動する物体にしては大きすぎて我が眼が信じられず、健太は目を見張った。

 ヤークトヴァイパーだ。

 健太はヴァイパー3が実際に動いている姿を地上から見たことがなかった。まだ何㎞も離れているのに、それは純粋に身の危険を感じるという意味で恐ろしい光景だった。世の中に超巨大な陸の乗り物はいままでも存在したが、それらはたいてい最高速度時速12㎞かそこらだ。ヤークトヴァイパーはその何倍も速い。現用戦車と変わらない機動性だ。市役所くらいの大きさの物体が時速100㎞で移動しているようなものだ……。

 「豪奢ですなあ!」

 ヤークトヴァイパーに見とれているあいだに、いつの間にか亮三たちが追いついていた。杉林信も怪我ひとつなく亮三と並んでいた。

 「ふたりとも無事!?怪我してない!?」だんだんひどくなる騒音に負けじと叫んだ。

 「かすり傷じゃ!心配ないですぞ!」

 陸上戦艦は健太たちが突っ立っている畑の100メートルほど離れたところを通り過

ぎた。地面を一メートルくらい削り取り地形のあらゆる起伏を平らにならしながら突進してゆく

 「マジすげえな……」さすがの杉林も目を丸くしていた。

 あたりは耳を聾する轟音に満たされ、地面が揺れていた。ヤークトヴァイパーはさらに一㎞ほど進んでガクンと前のめりに停車した。

 自衛隊の攻撃ヘリが攻撃をやめてムカデロボのまわりから散開してゆく。

 「先生……がんばれ」



 『若槻先生、目標を照準に捉えたわね?』

 「は、ハイ……」

 『これより敵兵器をエネミー02と呼称します。距離が近いからミサイル攻撃は控えて。相手を威嚇しつつ後退。ヴァイパーが揃うまで時間を稼いで』

 「はい……はいっ!」

 『落ち着いて、だいぶ脈拍が速いわよ』

 「き嫌いなんです……!ムカデとか蛇はだめ……」

 『は?なに言ってるの?』

 「こっち向いてます……こっちに来る……やだこっちに来る!」

 声が恐慌をきたしていた。

 島本博士はレシーバーを握ったまま呆然と立ち尽くした。


 

 ムカデロボがヤークトヴァイパーを認めてふと動きを止めた。頭部を地面に伏せ、ふたたびジグザグに体をくねらせながら動き始めた。ヤークトヴァイパーに突進している。

 ヤークトヴァイパーが轟音と共に超信地旋回して、ものすごい勢いで時計回りに走り出した。ドリフトしそうな勢いで巨大な車体が傾いている。

 「先生凄い運転だな」

 「だがなんか様子変だぞ……」久遠はふたたび携帯を取りだしてどこかにかけた。

 「博士、久遠です!若槻さんは大丈夫なんすか?」

 『蛇やムカデが苦手なんですって……』

 「はあ?」

 『それよりも久遠くん、ユナイテッドコリアが開戦通牒を叩きつけてきたわ。あのゲジゲジロボットはエネミー02と呼称。いま二階堂さんと実奈ちゃんがヘリでコマンドに向かってるわ。ヴァイパー1と2を自動操縦でそちらに向かわせます。浅倉くんとマリアを待機させて。久遠くんはできれるだけ速やかにコマンドに戻るように』

 「了解ッス」携帯をしまった久遠は健太とマリアを呼んだ。

 「マリア、体調はどうだ?」

 「もう平気」

 「よし。おまえたちはここでヴァイパーマシンを待て。飛んできたらただちに乗り込み、飛び立て。おれはコマンドに戻る」

 「え?あたしたちだけで?」

 「ほんの数分だ。まわりは戦場だから身を低くして、気ぃつけろよ」

 亮三が言った。「わしらが付いてるよ」

 「頼むぞ。二機が近づいてきたら突っ立ってねえで物陰に待避するんだぞ。着陸時のエンジン噴射で吹き飛ばされないように。敵の注意も引くからな」

 久遠はいったん言葉を切ると、健太とマリアの肩に手を置いた。

 「ユナイテッドコリアが宣戦布告した。敵はエネミー02,ヴァイパーマシンだ。合体して倒せ!だが日本のためとかそんなの背負わなくていいからな……さっき撃墜されたヘリのバイロットの仇を取ってくれりゃいい。以上だ」

 「分かったよ」

 

 久遠が車に乗って立ち去った。二階堂亮三と杉林信はサブマシンガンを手に二手に分かれ健太たちと距離を置いていた。ワン・シャオミーは10歩ほど距離を置いて健太たちの背後に気を配っている。

 ヤークトヴァイパーは相変わらず暴走していたが、結果的にムカデロボ――エネミー02の攻撃をのらりくらりとかわしていた。先生には可哀相だが時間稼ぎは立派に果たしている。

 まさか髙荷マリアとふたりきりにされるとは。

 健太は気詰まりな沈黙に顔をしかめて耐えた。

 「浅倉」

 マリアがぽつんと言うのが、ヤークトヴァイパーの騒音の中でかろうじて聞こえた。健太は振り返った。

 「制服、もうちょっと借りるから」

 「ああ……べつに寒くねえから、いいよ」

 ふたりともまた黙った。

 やがて空にヤークトヴァイパーを凌駕するほどの轟音が響き渡った。超特大の雷のようにバリバリと割れた音だ。雲のあいだから巨大な全翼機のシルエットが現れた。すでに着陸態勢に入っており、斜めに降下してくる。

 健太たちは送電鉄塔のコンクリート製の土台に待避した。

 続いて健太のストライクヴァイパーが着陸態勢で降下してきた。

 バニシングヴァイパーが着陸脚を地面に押しつけた。巨大な主翼は健太たちの頭上をなかば覆うように空を切り取っていた。

 「あんさんがたこんなのに乗るのか。凄いのお……」

 「ちょっとみんな、見ないでよ」マリアがそう言いながら健太の制服のボタンを外し始めた。男たちは素直に頭をそむけた。田中さんはにこにこ眺めている。

 マリアが制服を投げると、健太の頭に被さった。甘い香りに包まれた健太は当惑しながら制服を頭から払いのけ、袖を通し直した。下着姿で愛機に駆け寄るマリア野後ろ姿をちらりと見てしまった。

 (思ったよりお尻が大きい)と思った。

 「さてと……」健太は立ち上がった。「それじゃみんな、いっちょ仕事してきます」

 「おう、がんばりなせえ」

 ワン・シャオミーが突然健太に飛びつき、口づけした。

 「ンッ!??」

 まったく思いがけない一瞬の出来事だった。

 とても柔らかい唇の感触……すっと上唇を舐める舌の感触に、健太の脳天は電流が走ったように痺れた。

 シャオミーはすぐに身を引いて「幸運のおまじないネ」と言った。

 「ふぇーい」健太は骨抜きになったような体をヨロヨロ動かして愛機に向かった。



 ロボットふたたび出現!

 第一報と共に埼玉中で待機していたテレビ局のバンが動き出し、警察が封鎖した道路ぎりぎりまで寄ってカメラを構えた。

 すでに日本じゅうの自衛隊基地周辺、休業中の原発施設、工業地帯や都心部、そして越生の山中で不審な爆発や銃撃戦が勃発しているという未確認情報が寄せられていて、マスコミもいよいよ来るべき時が来たと悟っていた。11時から総理大臣が緊急会見を開く。

 「来たぞ!」

 巨大な全翼機が飛来する様子をいくつものカメラが捉えた。さらに、比企丘陵方面から二体のロボットが走り寄ってくる。

 「いよいよ例の奴をやるな。合体を」


 

 『健太さん、お待たせしました』

 ストライクヴァイパーのメインモニターに「04」というウインドウが開き、真琴ちゃんの声が聞こえた。

 「授業なのに悪いな」

 『どうせいまは大騒ぎで学校どころではありません』

 「そりゃそうか」

 『ガッコの授業退屈だからちょうど良かったよ』実奈が言い添えた。

 『若槻先生が大変だって聞いたんですけれど……』

 「ああ」健太はヤークトヴァイパーに回線を開いた。「先生?無事ですか?」

 『無事じゃありません!』礼子先生の泣きそうな声が響いた。『早くなんとかして!この気持ち悪いのどっかにやって!』

 「先生、落ち着くんだ。グルグルするのやめてエルフガインコマンド方面にまっすぐ後退してくれ」

 『わ・分かった』

 ヤークトヴァイパーがものすごいスピードでバックし始めた。追いかけようとするムカデロボの行く手にスマートヴァイパーとミラージュヴァイパーが立ちはだかった。

 スマートヴァイパーが片膝を付いて素早く巨大なライフルを構えた。立て続けに3発、ムカデロボに弾丸を叩き込んだ。動きを止めて威嚇するように頭を振り上げたエネミー02に向かって実奈ちゃんのミラージュヴァイパーが突進した。やはり巨大な鎌を振り切り、ムカデロボの胴体を真っ二つに寸断した。

 だがふたつに切れたどちらも機能停止しない。2機のロボットは後退した。

 『めっちゃキモイじゃん』実奈ちゃんがイヤそうに言った。

 「くそっ一節ごとに独立した構造みたいだな」

 『厄介ですね』

 「とりあえずもっとバラバラにしてやれ!」

 『オッケーお兄ちゃん!』

 健太はストライクヴァイパーを急降下させてミサイルを放った。髙荷のバニシングヴァイパーが別の方向から同じ攻撃を繰り出していた。二機が機首を起こして上昇旋回するあいだに二体のロボットがムカデロボに襲いかかり、それを何度か繰り返すあいだにムカデロボは10個あまりに寸断された。

 短くなり節足の数が減ったムカデは明らかに機動性が落ちていた。

 「よし、そろそろフォーメーションフェイズに移ろう」

 スマートヴァイパーとミラージュヴァイパーが後退して礼子の元に急いだ。

 「若槻先生、フォーメーションフェイズ、準備してください」

 『お願い、はやくして……』憔悴した声が答えた。

 5機のヴァイパーマシンがそれぞれの位置に着いた。

 髙荷マリアも無言ながら健太の後方にぴったり付けて旋回し始めている。

 スマートヴァイパーとミラージュヴァイパーがエルフガインのすね部に変型してゆく。

 健太は高度5000メートルまで機体を上昇させた。マリアのバニシングヴァイパーが追従した。

 (なにかこう……主題歌でもかかるべきだよな)健太は思った。訓練の成果か、合体中でも精神的に余裕がある。

 拍子抜けするくらいシミュレーター通りの動きだった。一昔前であれば歴戦の勇士が「実戦はシミュレーターとは違うんだぜ……坊主」とか言いそうなところだが、時代は変わるらしい。

 そう言えばおれさっきファーストキス経験しちゃったんだ。

 あっという間でなにが何だか分からなかったが、あのむにっとした感触と甘い味だけは脳に刻みつけられていた……。

 ガツン!突然うしろからどつかれて健太は白昼夢から覚めた。マリアのバニシングヴァイパーとドッキングしたのだ。驚いたことにぼんやり物思いに耽りながらちゃんと操縦していたらしい。あともう一回ガツンと来れば合体完了だ。

 内蔵が引っ張られ胸が悪くなるような機体制御が続き、健太はコクピットが倒れるまでのつかの間天を仰いだ。

 髙荷のパンツは白だった。



           7 


 「おおっ!合体したぞ!ちゃんと撮った?」

 カメラを構えた男が言った。「ばっちり」

 「VTRで何度も観たが本物は凄いなあ。なんかこう……五時のニュースに流すときは昔のロボットアニメの主題歌被せたいね。子供が喜ぶっしょ」

 「そりゃやめといたほうがいっスよ」

 「なぜ?」

 「いまの男の子はああいうの喜ばないっすって。うちのちびもそうだ。ああいうでっかい奴怖いんだと。喜ぶのは歳のいったおたくどもだけっしょ」

 自身もおたく趣味をもつ30代ディレクターは顔をしかめた。

 「へえ……そりゃがっかりな話だな」

 とはいえあいつの半径5㎞以内に接近せよと命ぜられたら、やはり二の足を踏むだろう。従軍カメラマンじゃあるまいし、時速100㎞で動き回る超巨大重機が衝突し合うような所にのこのこ紛れ込むのはごめんだ。

 「でもまあBGMはともかく、ニュースにあいつが映ると食い入るように見てるけど。やっぱ男の子かね……」  



合体を果たしたエルフガインの各部で髙荷マリアたちは強制睡眠状態に入った。

 ひとり取り残された健太は全高80メートルの巨大兵器の中で孤独だった。だが嫌な孤独状態ではない。こんな凄いメカをたったひとりで任されるというのは、やはり特別な気分だ。

 『浅倉くん』

 「へ?あ、はい博士」

 『よく聞いてちょうだい。あのムカデロボの体のどこにもバイパストリプロトロンコアの反応がないの』

 「それってつまりどういうことです?」

 『つまりこの前戦ったカナダのメカほど強くないってこと。見た目ほど複雑な構造でもない。同一構造のユニットを電車みたいにつなげているだけで、各ユニットは一対の節足と胴体裏の移動用ローラー、それにロケット弾ポッドを装備しているだけ。あのムカデは通常型の反応炉で動いているからジェネレーター出力はたいしたことないわ。問題はコアがどこにあるか、よ』

 「どこにあるのか分からないのか」

 『コアを持った敵をやっつけないと勝敗が着かないでしょ』

 「それを探さなくちゃならないのか?」

 『探し出すまで気が抜けないってことよ。でもいまはあいつを倒すことに専念して』

 「了解」

 ムカデロボは再結合を果たしていた。エルフガイン同様奴も合体の時間を必要としたのだ。

 コアのかけらを装備していないってことは、耐久力もそれほどではないということだ。

 「だったら剣で切り刻んで踏みつぶせばいいじゃん」

 健太はさっそくウエポンセレクターを操作してロングソードを探した……だがロングソードのアイコンは灰色だ……使用不能だった。

 『ああ、あんたが先々週壊してまだ直ってないのよ……あれものすごい高価な装備なんだから』

 「すんません」

 『その代わり手持ち武器はエルフガインコマンドに揃ってるわ。……みんな試作品だけどね。必要なら取りに来て』

「了解!」

 健太はエルフガインを反転させた。

 ムカデロボは追ってくる。



最悪の場合、別のエネミーがどこかに潜伏しているかもしれない。

 島本さつきは爪を噛んで考え込んだ。

 発令所のメインモニターは三分割され、ふたつはエルフガインとエネミー02を捉えていた。ひとつは日本地図、関東から日本海沿岸までを映していた。

 (もう1機現れるとしたら日本海だろうか)

 だが日本海は海上自衛隊が張り付いて小舟一隻通さない覚悟でいる。ソノブイが大量に投下され、防衛データは軍用ネットを通じてエルフガインコマンドにも届いていた。

 (確かにエネミー02には出し抜かれたけれど、怒った陸上自衛隊はすでに利根川を始めある程度水深のある川や湖に調査チームを差し向けている。新しい敵が現れるならエルフガインがいる今ではないか?)

 さつきの頭になにかが引っかかっていた。

 北にはあんなメカを何台も作る余裕はない。

 南と共同作戦――あり得ない。奴らが別々に動いていることは観測で確認されていた。

 韓国は自前のコアを持っているが北は確認されていない。しかし大中国の取り立てかたからしてコアはあると考えられている。

 政治的にも対立している。だから共同で日本と戦う必要はないと考えるはず。

 やはり北は北で切り札を持っているのだ。

 北の切り札。

 「そうか……!」

 「博士?」

 「誰か、今すぐ統合幕僚本部を呼び出して!大至急!」


 

 比企丘陵の国定公園の地下から巨大な剣がせり上がった。やはり特大の武器ラックにハンマーやらモーニングスターやら三つ叉の矛やら、物騒な得物が立てかけられていた。傍らには円盤状の盾まであった。

 ナビゲーションガイダンスに従うまでもなく、あれがエルフガイン専用武器だと分かった。健太はひたすら武器群をめがけてエルフガインを走らせた。

 敵に奪われないよう武器はがっちり拘束されている。エルフガインからのシグナルによって解放される仕組みだ。

 (なんだか禁断の武器を解放するみたいで格好いいぞ)

 大剣を支えていた拘束具がショットガンシェルの爆発で弾け、柄を握りしめたエルフガインが大きく腕を振り上げ、勢いよく振り下ろしてまっすぐ前に構えた。おそらく何百トンという鉄の塊で、剣を振ったとき上向きの慣性が健太のコクピットまで伝わってきた。

 (覚醒ってか!)

 健太は振り向きざまに大剣を一閃した。

 大剣がうかつに接近していたムカデの胴体を薙いだ。ムカデロボはふたたびふたつに分かれた。その衝撃でムカデの頭を乗せた上半分がくるくる回りながら山のほうに飛んでゆく。健太は残った長いほうの胴体部をエルフガインの足で踏みつけた。頭を失った胴体が激しくのたうっている。

 (こいつには何人乗ってるんだ)

 やはり頭部に一人か二人パイロットが乗っているはずだ。バラバラになっても動き続けるということは、ほかにも乗ってるのか。博士は単純なメカだといっていた。制御システムも超絶コンピューターが必要というほどではないだろう。すると乗組員は前と後ろ、それに真ん中というところか。

 のたうつ長大な胴体に目を凝らすとわずかに太いユニットが見えた。健太はそれめがけて剣を振り下ろした。剣先は目標をわずかに外して地面に突き刺さった。

 ムカデはその剣を伝ってエルフガインの腕に素早く這い上がった。

 「うわっ気持ちわりいな!」

 ムカデロボの胴体を掴んでおもいきり引っ張ると、簡単に引きちぎれた。だが独立稼働する各部はエルフガインに取り付こうとのたうち回っていた。健太は両腕を操作して賢明に引きはがし続けたが、自分の体をまさぐるようにうまくはいかない。ようやく半分ほど引きはがしたとき、エルフガインに張り付いたムカデユニットが突然自爆した。

 立て続けに起こった激しい爆発の衝撃で9600トンの巨体が激しく揺すぶられた。

 「うがッ!」

 プロレスラーに頭をシェイクされているような震動に襲われ、健太はぐったりシートにもたれた。 

 『浅倉くん!』

 「うー……はい」

 『大丈夫なの?』

 家に帰って眠りたい。「……へいきッス……ちょっとぐらぐらするけど」

 緊急転倒防止システムが働き、エルフガインががくりと片膝を付いて地面に伏せた。胴体の所々から煙を曳いている。

 『システムが25%ダウンしているわ。さいわい腰から下はダメージ無いけど……』

 「動かせますか?」

 『右腕と肩の損傷がひどいわ。センサーはいかれてない?』

 健太はモニターを見渡した。ところどころブロックノイズが生じている。

 「カメラがちょっといかれたけど問題はないよ」

 『フェイズドアレイレーダーがダウンしている。敵の捜索に支障が出る……今無人支援機を発進させている。航空自衛隊にも協力してもらう。これからはそれらが送ってくるデータに頼ることになるわよ』

 「了解!……行けっエルフガイン!」

 健太はコントロールスティックとフットペダルを操作してエルフガインを立ち上がらせた。ぼろぼろになった大剣を杖代わりに重々しく立ち上がる姿は、傍目にもダメージを予感させる。

 いまの自爆攻撃でムカデロボは胴体の半分以上を失った。

 「残りはどこに行っちまったんだ」

 『浅倉くん、エネミー02をロストしたの?』

 「姿が見えません。逃げちゃったのかな?」

 『まずいわね……総力を挙げて捜索させるわ……』


 健太との通信が終わったとたん久遠馬助が連絡してきた。

 『島本博士……応答願います。久遠です』

 「久遠くん!今どこ?」

 『坂戸インターあたりです。それよか博士、エネミー02の片割れが笛吹峠のほうに這いずってるのが見えました。エルフガインの9時方向』

 「コマンドの真上!?」

 『ええ、さっき自爆攻撃したみたいですが、エルフガインコマンドにも同じことをしようとしてるんじゃないすか?』

 「コマンドの屋根はあの程度の爆薬量では破れないわ……目的は別よ」

 『自分はあと20分でそちらに帰ります』

 「いいえ、久遠くん、今すぐ朝霞に向かって!ここは危ないわ。いざとなったらそちらでエルフガインの指揮を継続して」

 『なんでですか?』



 会議は一時休憩となったが、そのまま待機するよう言い渡された。

 エネミー02との決着次第で政府の対応は決まる。だが戦闘開始からまもなく、新たな凶報がもたらされた。

 「バイパストリプロトロンコアを積んだ弾道ミサイルですって……?」

 『島本博士の話ではそういうことです……朝霞に現れたエネミー02はそのための誘導装置ではないか、と』

 天城塔子はゴクリと喉を鳴らした。「警戒態勢は……」

 『現在討議中ですが、全自衛隊にひとまず特別警戒態勢が発令されました。稼働中のAーWACSはすべて半島のミサイルサイトに向いています。イージス艦も同様です。まもなく埼玉および東京全域に空襲警報を発するはずです』

 「そう……」

 それ以外日本は対処する術がなかった。

 塔子は携帯を切り、力が抜けたように椅子に腰を下ろした。

 バイパストリプロトロンのフォースフィールドに包まれた兵器に対して、通常兵器は効かない。

 

 

           8


「北は一度に複数の弾道ミサイルを発射して攪乱するはずよ。断言はできないけど、通常のテポドン改良型とコアを装備したミサイル……エネミー03では挙動が違うはず。ペイロードも加速特性も違うからよ。北が保有する弾道ミサイルは20器。通常弾頭は自衛隊のMDが片付けてくれるでしょう。我々はできるだけはやく本命を探し出して迎撃しなければならない。

 発射されたら残り時間は8分。いいわね?」

 発令所に居合わせたオペレーターたちは神妙な面持ちで頷いた。我ながら仮定だらけの話でさつきはうんざりした。

 エルフガインコマンドにミサイル防衛の専門家はいない。自衛隊の軍用ネットワーク を通じて日本じゅうのMD関係者がコンタクトし始めていた。たったひとつ有利な点があるとすれば、着弾地点がはっきりしていることだった。

 さつきにできることは予想される弾頭の重さと、バイパストリプロトロンエネルギーを利用した推力の概算。

 それともうひとつ、弾頭の破壊力だ。



 北朝鮮沿岸、日本海側から無数の艦艇が一斉に出航した。

 古いオセロ級から鮫型小型潜水艦、高速ミサイルボートまで、60隻あまりが海上自衛隊タスクフォースに向かって真っ直ぐ突進してくる。戦術を凝らすというような様子はなく、闇雲に突っ込んでくる。

 航空機の姿は捉えられなかったが、安心はできなかった。沿岸の中距離ミサイルサイトが活気を帯びていた。朝鮮人民軍の艦隊が攻撃範囲に達する前にミサイルを放つはずだ。 「あきづき」をはじめとする護衛艦が、これから弾道ミサイル狩りで手一杯になるはずのイージス艦を防御する位置にフルスロットルで向かった。

 相手は本気――弾道ミサイル発射中日本の防衛システムをできるだけ掻き回そうとしているのだ。

 まもなく数百の対艦ミサイルと魚雷が襲いかかってくる。



 「見ぃつけた」

 笛吹峠の山間にパラボラアンテナが立っていた。逃走したエネミー02の頭部が変型したものだ。アンテナの傍らには茶色い制服姿の兵隊ふたりがいた。接近するエルフガインの巨体を見上げ、なにやらサブマシンガンらしきものを向けていた。

 健太はモニターを見ながら尋ねた。「博士、見えますか?」

 『ええ、破壊してちょうだい』

 健太はぼろぼろの大剣を振り上げ、パラボラアンテナに突き立てた。エネミー02はスクラップになった。

 ふたりの兵隊は慌てて逃げ出してゆく……が、駆けつけた陸自の高機動車三台に包囲された。

 「博士、これからどうします?」

 『わたしたちにできることはもう無いわ。……浅倉くんはここから離れなさい。エルフガインに乗っていればある程度安全だけど、50メガトンの核爆発に巻き込まれる必要はないわ』

 「あのアンテナが誘導装置だったんでしょ?壊したんだからもう大丈夫じゃないの?」

 『最終軌道調整を妨害する役には立つでしょうけど、すでに着弾座標は送信されているはずよ。それに、弾頭のコースが逸れて他の都市に落ちるより、ここに落ちてきてくれたほうが被害は少ないのよ……』

 「そんな……」健太は絶句した。さつき以上に弾道ミサイル迎撃に関して門外漢なので、それ以上なにも言うことは思いつかなかった。

 〈お兄ちゃん……〉

 健太はすっと頭を上げた。

 実奈ちゃんが呼んでいる……?

 メインモニターの一角に並んだ各ヴァイパーマシンのウインドウを見た。ほかの四人はみんな眠っている……。

 〈お兄ちゃん……聞いて……〉

 「島本博士……!」

 『浅倉くん?はやく待避しなさい』

 「実奈ちゃんを起こす手段はないか?」

 『え?なにを言ってるの……』

 「いま実奈ちゃんを目覚めさせる方法はなにか無いの!?」

 『右足の機能を停止させれば起こすことはできるけれど……歩けなくなるわよ』

 「やってくれ!」

 回線の向こうから溜息が聞こえた。『分かったわ……』

 すぐに合体解除の警報が鳴り、エルフガインのシルエットを模したステータスボードの右足部分が赤く点滅し始めた。機械音声が告げた。

 『ヴァイパー5セクションのエルフガインフォーメーション接続解除します。システムシャットダウン……これより右脚部システムは動作不能になります』

 まもなく実奈ちゃんのくぐもった声が聞こえた。

 「実奈ちゃん、起きた?」

 『健太お兄ちゃんおはよ……』ムニャムニャ言うのが聞こえた。『まだ合体中なのね?』

 「そうだよ、実奈ちゃんに呼ばれたような気がしたんで起こしてもらったんだ」

 『そうなんだ……そう言えばなんかすごくイヤな夢見てたなあ……それで健太お兄ちゃんに教えなくちゃって思ったのよね……なんだっけ?』

 ひょっとして見当違いだったのだろうか。健太は焦った。

 「とにかく……島本博士に状況を説明してもらってくれ」

 『うん分かった……博士~?』

 『実奈ちゃん、北朝鮮の弾道ミサイルがここ……エルフガインコマンドに落ちてくるかもしれないのよ。ミサイルにはバイパストリプロトロンコアが埋め込まれている可能性がある。通常のミサイル防衛では迎撃不可能だわ』

 突然実奈のギアが入れ替わった。

 『それで健太お兄ちゃんが実奈を起こしたんだ!大変じゃん!博士、すぐにイナーシャルドライヴァー試作8号を運んで。それから軍用ネットワークの弾道ミサイル追跡データをぜんぶエルフガインに回して。あとなるべく硬い弾丸がいるなあ。あ、それからね、コアのフォースエネルギーを背中のキャノンにありったけ回して!』

 『実奈ちゃん……?』博士がハッと息を呑んだ。『……了解よ!ただちに用意するわ』

 「え~と……いったい何が始まったんかな?」

 『お兄ちゃんが実奈を叩き起こしたのが正解だってこと!』

 「ごめんな実奈ちゃん。ここに50メガトンの爆弾が落ちてくるんだって……。エルフガインは歩けなくなっちゃったし」

 『そんなのへっちゃらだよ!実奈が発明したイナーシャル・ドライヴァーでやっつけちゃうから大丈夫」

 そんなにお気楽に言って、実奈ちゃんは本当に状況が把握できてるのだろうか……

 「その、イナーシャル・ドライヴァーってなに?」

 実奈はあっけらかんと言った。

 『反重力装置だよ』



 わずか10分後にはエルフガインコマンドから大勢の職員が地上に這い出てきた。大急ぎで弾道ミサイル迎撃の準備を始めていた。散発的な地上戦を制した陸上自衛隊も作業現場の防御に回っていた。

 1㎞ほど離れた山腹のヴァイパーマシン発進ゲートが開いて、巨大なキャタピラ運搬車の上にのせられた直径20メートルくらいの皿が現れた。

 あれがイナーシャル・ドライヴァー……実奈ちゃんが言うところの『試作慣性制御システム縁の下の力持ちさん八号器』……だそうな。近い将来重量物を静止軌道に投入するのに使用される。

 そしてエルフガインに飛行能力を持たせるためにも使われる予定だという。


 山間にそびえ立つエルフガインの周囲で突貫作業が続いた。さつきも見晴らしの良い山頂の道路脇の空き地で、安全ヘルメットを被り作業部隊の指揮に当たっていた。大型キャンピングカーを改造した移動指揮車の側で、エルフガインに特殊弾頭を搬送するヘリを眺めていた。

 エルフガインの巨大な腕が伸びてヘリの胴体から吊された弾体ユニットを掴み、背部のキャノンに装填した。

 「博士」

 さつきは振り返った。白い車から久遠が降りてくる。

 「久遠くん、朝霞に行けと言ったのに……」さして意外そうな口ぶりではない。

 「子供たちが残ってるのに?それに職員も全員……」

 「ひとりだけ朝霞に帰っておめおめ生き残るのはイヤ?」

 「昔の兵隊さんじゃないからそういうのはがらじゃないっすけど。……実奈ちゃんの発明品を引っ張り出してきたんですって?大丈夫なんですか?」

 「種子島に送った実用初号器のテストタイプですからね。問題なく動くと思う。難しいのは高速で飛来するミサイルの捕捉だけよ。縁の下のちか……試作八号機の反動ミラーの焦点がうまく合わないと、弾頭を止められない。弾頭の運動エネルギーを相殺するためには一度に大量のエネルギーを投入しなければならないの。のんびり焦点を合わせている暇はない……」

 「そのためにありったけのレーダーサイトのデータとリンクしてるわけですか。で、弾頭をうまく止められたら、エルフガインのキャノンで撃墜と……」

 さつきは頷いた。

 「弾頭迎撃に使用する弾丸はiHiが開発した長距離直進弾よ超高速でも燃え尽きずに高度三〇〇㎞まで届くわ……弾頭破壊にはじゅうぶん」

 「衛星迎撃用のやつですな」

 「作戦は実奈ちゃんが二秒で考え出したのよ。準備を始めて一五分……予行演習なし、弾丸は一発」

 「上等じゃないすか……して、準備完了まであとどのくらい?」

 「あと2分もあれば……」

 あたり一帯にサイレンが鳴り響いた。

 空襲警報だ。

 


 北朝鮮沿岸部三カ所の発射基地からたて続けにミサイルが発射された。

 「6発目……続いて7発目の発射を確認」

 〈あたご〉のCICではしかめ面のオペレーターたちがモニターにかじりついていた。壁の一面を占めるステータスボードに日本列島と近海の俯瞰図が表示されていた。ミサイルが発射されるたびに新たなデータが付け加えられてゆく。

 (本当に撃ちやがった!畜生め!)

 内心でそう叫んでいるとしても、オペレーターたちは一見冷静すぎるくらいに淡々と入力作業を続けた。だが空調が効いているはずの室内で彼らの額には汗が滲んでいた。

 20海里ほど大陸寄りの海では、八隻の護衛艦とおびただしい数のハンターキラーが文字通りイージス艦を死守している。

 弾道ミサイル迎撃態勢中のイージス艦はその他の攻撃に対処する術をほとんど持たない。しかしCICのオペレーターたちはそんなことに気を揉んではいなかった。

 あと数十秒で迎撃ミサイルの発射データ入力が終わる。それが終わったらすべては自動システムに移行する……SMー3が発射されて飛翔体を打ち落とすまで、もはや人間の出る幕はない。

 イージス護衛艦艦首のVLS――垂直発射装置からスタンダードミサイルが一斉発射された。



エルフガインの脚部コクピットに座った実奈も、モニターに映し出された弾道ミサイルの航跡データをじっと睨んでいた。

 最終的に20機のミサイルが発射された。北が保有するほぼすべてのはずだ。だが明らかにオーバーワークであり、二機が地上で爆発、三機が上昇後まもなく故障して墜落、残った無事なミサイルの一部も成層圏に達した頃には怪しいコースを辿っていた。

 だが健在なミサイルは三つの目標に狙いを定めた。東京、大阪、そして埼玉だ。どの弾頭に核が搭載されているかは分からない。落ちてくるものはコースを逸れたぶんを含めてすべて高々度で迎撃するしかなかった。

 エルフガインキャノンの最終目標修正操作は実奈に一任された。

 健太もまた引き金であるトラックボールに汗ばんだ手を置き、発車の合図を身じろぎせずに待った。

 島本博士の裸を見たのはわずか12時間前だ。それから下着姿の髙荷マリアを見て、二歳年上の美人と初めてのチュー。その顛末が空から振ってくる50メガトンの爆弾とは、短かったけど壮大な人生とは言えまいか?

 (いやまだまだ、志が低い。

 DTのまま死ぬわけにはゆかぬ!)



(あれか……)

 実奈は弾かれたようにシートから身を起こし、コンソールの上で両手を忙しく動かし始めた。自衛隊のミサイルが北朝鮮の飛翔体を次々と破壊していた。だが問題のコア搭載型は、SMー3の攻撃でコースを乱されてしまうとかえって捕捉しづらくなる。バイパストリプロトロンコアを搭載した弾頭は最低でも15トンに達すると思われ、北にそんなペイロードを持ち上げられるミサイルはない。おそらく中国から供与された長征ロケットを利用している。飛行特性はテポドンと違う。

 実奈は目当ての飛翔体に向かっているSMー3を自爆させ、同時にイナーシャル・ドライヴァーのミラーを操作した。

 「健太お兄ちゃん見つけたよ!いま弾頭にブレーキかけてるから実奈が合図したら撃っちゃって!」

 『了解!』



 ヴァイパーマシン発進ゲートに配置された巨大な皿が唸りを上げ、天を向いた面がわずかに身じろぎして角度を微調整してゆく。

 「始まった」さつきが呟いた。

 久遠が背後で言った。「博士……」

 「あと30秒……失敗したら弾頭はマッハ20くらいで落ちてくるわね。だいたい3分後に」

 後ろから手が伸び、さつきの体を抱いた。

 「さつきさん……」

 さつきは目を丸くして久遠を見上げた。



エルフガインコマンドめがけてまっすぐ落下していた超大型弾頭が速度を落とし始めた……。

 防衛省ビルの地下で成り行きを見守っていた文官と自衛隊関係者がおお、と喘ぎ声を漏らした。

 天城塔子も組んだ両手を口元に押し当てたまま画面を見つめ続けた。ほかの飛翔体は次々と打ち落とされ、ペトリオットの出番はどうやらなさそうだ。

 超大型弾頭の落下速度がみるみる減退して、まもなく静止した。

 「奇跡だ……」誰かが喘ぐように言った。



 「健太お兄ちゃん!いま!」

 「よっしゃあああ!」健太はトラックボールを押し込んだ。

 目標十字線のど真ん中に捉えた目標に向かって、エルフガインの背面キャノンが火を噴いた。

 

 エルフガインの周囲で作業中だった人間すべてが仕事の手を止めて空を振り仰いだ。30㎞圏内でロボットの戦いを眺めていた人間すべてがそうした。

 空襲警報はテレビとラジオ、それに携帯を通じて衆人に伝わっている。

 多くの人間は警報を受けてもピンと来ていない。漠然と、どうにかなるはずだと考えていた。避難しろと言われてもどこに行けばいいのか?地下鉄?家の中にいろ?

 青空の一角で光が瞬いた。音もなく、一瞬の弱い光点だった。

 視力のいい人間ならパッと四散する核弾頭が見えたはずだ。


 「命中した!」健太と実奈が同時に叫んだ。


 

さつきが咳払いした。

 久遠はさつきをうしろから抱きしめたまま、その肩に顔を埋めている。

 「久遠くん、もう終わったわよ」

 久遠は短い溜息をつき、さつきに回していた両腕をパッと放した。

 「失礼しました」

 「いったい何なのよ」

 「蒸発しちゃうならきれいな女を抱いてと思いまして……」

 「馬鹿な男!」さつきは白衣に両手を突っ込んだまま、久遠の尻のあたりに軽く膝蹴りを入れた。

 「まだ終わってないわ!半島の南が動いてない。さっさと指揮所に行って!」

 「了解ッス!」


 小走りに去る久遠の後ろ姿にふと笑みを浮かべたさつきは、ふたたび空を仰いだ。

 核弾頭が迎撃されたあたりから青い光が降りてきた。その光の周囲に「主審」の八面体UFOが三機現れた。

 エルフガインが両腕を頭上高く上げて、青い光……バイパストリプロトロンコアを受け止めた。


 日本が入手した四個目のコアであり、これでコア保有数は中国と並んだ。

 

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