11 凱旋
会社設立四年で実奈が辞め、健太は埼玉に戻った。
「もう実奈がいなくてもだいじょうぶだから」という言葉を健太はひとことも疑わなかったが、それは、健太が会社で過ごす時間が増えることを意味していた。
仕事で海外出張しても、わざとらしく時計を見て「よし、君には5分あげよう」と朝8時15分に言われることもなくなった。
とは言っても成功した若社長としてマスコミに取り上げられるのは好きではなかったし、ほかにもいろいろと無駄なことに時間を使うことが増えていた。ある日、取引先の重役とゴルフをしている自分にひどい違和感を感じて、健太は考え込んでしまった。
世界を巡っていろいろ見聞きしたことと比べて、なんと現実離れした生活か。
つまるところ、健太は集金係であり、有名人というだけで多少ちやほやされているだけだ。会社は健太なしでもやっていける。
宇宙に行けるかな……そう思い始めて、いろいろと模索した。
さいわい、会社はエルファイブに初の直販店を作る計画があった。コンビニ形式の店を開いて宇宙開拓者にスイーツとか趣向品を売るのだという。植民地経済はそこまで発展していて、チョコレートケーキやピザを食べられるなら死んでもいいという人間が溢れかえっていた。
そこの店長になれるか打診してみると、役員会は諸手を挙げて賛成した。会社は生産基盤を宇宙に移す計画を進めていて、いつかは本社も宇宙に移す予定だった。社長が率先してくれるならこれ以上の話はない。
地球上でも比較的穏やかだった日本にも、本格的な気候変動の影響が出始めていた。それで、ようやく宇宙に行こう、という風潮が生まれはじめていた。
じつのところそれまでは、宇宙人口2億人に対して、日本人はたったの50万人しか含まれていなかった。
移住しなくてもなんとかなるのではないか……だから基本言語が英語という世界には二の足を踏んでいたのだ。
宇宙への路は片道切符だ。
飛行機でべつの大陸に旅行する費用を考えれば明らかだが、宇宙植民地は10万㎞の彼方にあり、補助金無しだと地球に戻る費用はひとりあたり120万円ほどかかる。戻りたくても簡単には戻れないのだ。
そうでなくても軌道エレベーターの旅は一度経験したらもう結構、という代物だった。文字通り特大エレベーターに千人が詰め込まれ、一週間ひたすら昇り続けるのだ。途中で最終適性訓練のため宇宙ステーションにより、検疫も受ける。景色は一日で飽きるし、低重力による体調変化もつらい。
いっぽうで日本という国の没落は確実に進んでいた。
「亡国」とはどんなものか……それは天変地異とは関係がなかった。しばらく前から「観光立国」を政策に上げていたが、それが本格化した……。大勢の外国人、おもに経済的新興国となった東南アジアから客が殺到した。気候が比較的安定している日本はそれだけでも楽園だったのだ。
そして、ストリートにはタンガロロボットのおかげで仕事をしなくなった人々が溢れ、外国人に物を売っていたのである。
変化がゆっくりだったため没落に気付いた者は少ない。深刻な貧困問題も持ち上がっていないせいもある。
タンガロロボットに働かせて給与だけ受け取っていた人々は、収入を増やすために対外国人向けのサービスにかつてなく熱心になっていた。ロボットを雇用するにあたって企業は社会保障手当を一部削ったのだ。
この変化が続いて日本は観光地になってしまうのか……少なくとも〈ゲーム〉によって世界の頂点となった国の姿とは思えない。いまや世界の中心はアメリカではなく、日本にも移らず、大勢の外国人は軌道エレベーターに向かう前の一時をこの穏やかな田舎で過ごすのみだ。
人々はロボットから外国語を学びながら、心の隅にくすぶるまだ形にならない疑念と向き合いはじめた。
自分たちの子供も道端で外国人に物を売るのか?
いっそ宇宙に出て外国人と交わっても同じことじゃないか?
まだ政府の補助金が出るうちに切符を買うべきか……。
まことの交際は控えめに再開された。
亮三さんがあとで語ったことだが、決定打は「試合」の直後にまこが父親に浴びせた手加減無しの罵倒だったという。それに本当かどうか知らないが、適度に痛めつけたあと交際を認めるつもりだったとも……。
「不甲斐ない話わしがいとも簡単に負けたので、父は逆上してしまったんですわ」
これには軽く徒労感を覚えたが、そんなことは再会と同時に吹き飛んだ。
成人式を控えた真琴は、もうあの頃の子供っぽさはなく、しかし可憐さは少しも変わらず、健太の前に現れたときは肺が空気一杯になってふたたび爆発しかけた。とは言えトロフィーのように担ぐものではなく(抱え上げてグルグルしたいのは山々だが)健太にとって重要なのはその内面だった。
「遅くなって、すまん……」
まこは頷いた。うつむき加減で健太を探る改まった目つき。健太は固唾を呑んだ。
「健太くんがいろいろ背負い込んでるの分かってるから……」
「まこ……」
まこは首を振った。
「あのとき、硫黄島で健太くんの心と繋がってたの。だから健太くんがお母様から伝えられたこと、なんとなく気付いてた……なにをしようとしてるのかも分かってる」
「あの……」
「だから、健太くんからこれからも助けてほしいって言われたとき、わたしずっと付いていくんだって決意してたんだからね!……なのにさっさとイタリアなんか行っちゃってこのあわてんぼ!!」
健太は汗だくになっていた。
「ごめんなさい!」
文字通り平伏して両手を合わせた。
まこは腕組みしてプイとそっぽを向いてしまった。
「すぐに許してなんかあげないもん……マリーアさんとベダベタしてた時間より長く過ごすまで……」
「それは保証する。まこがおれを振らないかぎり」
「余計なこと言わないの!」
「ハイ」
少なくとも大学を卒業するまで深い付き合いは許さん、という条件だった。
ふたりとも妊娠は許さんという意味と解釈した。
またまた厳かな婚約の儀が交わされた。松坂家は参加せず、浅倉の祖父母と二階堂家が神戸で顔合わせした。
「健太くんな宇宙に来るんやか」
「ええ」
「真琴ばよろしゅうお願い申し上げまっしゅ」
義理の父となる予定の人物は深々と頭を下げた。半年前ぶちのめしかけた(と健太は思っている)にしては良好な関係を築いていた。
彼は10年ぶりくらいに表舞台に復帰して、挨拶先で健太を青二才と触れ回っていたが、その相手先は浅倉健太が二階堂家とタッグを組んだ、という事実に戦慄した。
二階堂家が後ろ盾となった、という評判は健太に絶大な社会的地位向上をもたらした。暴力団の家系、というのが一部のマスコミに問題視されていたのだが、追及の手は拍子抜けするくらいあっさり消失した。
結婚するまでは地球にいるつもりだったが、気候の悪化から予断を許さない状況になっていた。今日はたまたま晴れていたが、一年を通じて雷雨、突風、という日が増加していた。それで真琴の父親も予定の前倒しを考えはじめている様子だ。つまり、なるべく早めに娘を安全圏に連れて行ってもらいたいのだ。
最近の「日本人よ、宇宙に上がれ!」という空気にも影響されているだろう。
健太の祖父母も宇宙に行くことを決めている。近親の希望者は健太がまとめて面倒をみるつもりだった。
ただし松坂老人とまこの父は頑なに拒んでいた。
礼子先生にも声をかけた。ほかにもいろいろ。結局健太の結婚式に会わせて希望者のほとんどが予定を立て始めた。式と披露宴参加者とだいぶ被っていた。
「失礼しまーす。そろそろお時間なので……」
式の支配人が控え室に現れたので、廉次と中谷は立ち上がり「それじゃまた」と言って退室した。
やがて健太も立ち上がり、支配人に案内されて死ぬほど緊張しながらチャペルに向かった。




