9 包囲
地球には健太の言葉を裏付ける技術はない。ガンマ線は光速でやってくるので、到達するその瞬間まで観測できないのだ。簡単な理屈だがだれも納得できないでいた。
どうしてもっと早く教えなかったのだ!?という文句は比較的はやく納まった。
「世界じゅうが耳を傾けてくれるまで待ってました」という健太の主張は、それなりに妥当性があった。それに隠していたのはわずか5年である。
日本では例によって、発言そのものの深刻度を差し置いて健太の態度が気に食わないという議論が巻き起こったが、「そんな場合じゃないだろ!?」という世界じゅうの驚きかつ呆れた非難の声に圧され終息した。
逆恨み的な殺害予告はいくつか届いたが、『預言者を葬る愚をふたたび繰り返すのはやめなさい』という法王のお言葉で静まった。たいへんありがたい側面支援だったがその例えはどうかと健太は思った。
ただしそのお言葉は「このまま行けばいずれそうなるぞ」と示唆してもいる。それだけのものを背負ってしまった、と考えられたのだ。
最初の大混乱が納まると、いつの間にか「銀河系の中心部がすでに爆発している」という説は、サイモン教授があの「3分間の沈黙」で健太に伝えた、というストーリーが出来上がっていた。さほど間違ってはいないので健太は放置した。とにかく大勢に真面目に受け取ってもらえたことが重要だ。
人類は1500年という期限を冷静に考えられるようになった……なんと言ってもみんな死んだ後の話だし、500年くらいあればなんとかなるんじゃ?。
みーにゃんも異星人たちもその考えを支持した(根拠は1㎜もなかったが)。
とはいえ……
『もーお兄ちゃん酷くない?わたしにはすぐ伝えてくれて良かったんじゃないの!?』
「悪い」健太は声変わりですっかり大人びたみーにゃんの抗議を聞きながら謝った。「でももう気付いてっかなと思ってさ……」
『そんなわけないでしょがっ!おかげでおーはばに予定狂っちゃったよ!けどそれは許したげる!でもまだなんか隠してんなら全部言うのよ!秘密にしたら許さないから!』
「あー、あの……」健太は躊躇した。「この回線安全か?」
みーにゃんは黙った。およそ10秒沈黙していた。
『……安全だけど、念のため一度会おっか』
「いいよ、いつ?」
『いま第1中継ステーションだから、降りたら連絡するね~』
ナンバーズが生物を一掃するため天の川銀河中心の巨大ブラックホールを爆発させた、という言葉は母親が健太に伝えたのみで、信憑性は五分五分。
信じるか信じないか、あと10年くらいは議論してもいいだろう……健太はそう思った。健太自身がどうすべきかは、もう分かっている。
右翼団体とか、およそどうでもいい連中からの非難は続いていた。
「それでわしんとこ転がり込むたあ、てぇした了見やないか」祖父が言った。
「用件ついでに挨拶しに来ただけだよ」
「まああのテレビは傑作じゃったな。おめえ、あの先生引退するってよ」
健太は溜息をついた。
いまだに良心が疼く。あのあと、老人は健太に手紙を寄越した。ばか丁寧な言葉で、どうも謝罪しているようだ。健太はその返事をいまだに書きあぐねていた。
「気にすんじゃネエよ!」祖父は言い捨てた。「先方も返事なんぞ期待しちゃいねえから、胸にしまっときゃええんじゃい」
「まあ、おれはそれで敵増やしただけだし……」
「脅迫のほうは大丈夫なんか?」
健太は頷いた。「おれになにか危害加えようったって無駄だかんね。ロボットが護るから」
健太の祖父は何も言わずに驚くほど素早い動作で神棚の日本刀をひったくり、鞘から抜いて健太に振りかざした。……そのとたん刀身がキン!と澄んだ音を立てて折れ、折れた切っ先が健太の背後のふすまに突き刺さった。
「あれま」
松坂老人は折れた刀をしげしげと眺め、それから縁側にいつの間にか現れたウズメを見た。
「高いんじゃぞ」
「ごめんなさいね」ウズメが頭を下げた。指先からなにかきらきら光る繊維みたいなものが伸び、生き物みたいにそよいでいた。
健太はあぐらを掻いて、顔色も変えず祖父を見上げていた。
「まあええわ……」祖父は刀を戻して座り直した。「ロボット三等兵が護ってんのはホントなんやな」ロボットは姿を消していた。やれやれと首を振った。
「それでじいちゃん、二階堂家に挨拶に行く前に、知らせに来たんだ」
祖父は無言で庭を眺めていた。懐を探って、そのうちチッと舌打ちした。よく見れば灰皿が無くなっている。達美さんが禁煙させることに成功したのか(禁煙しないと曾孫に会わせないと脅した)。
「……どうしても行くンか?」
「ああ、行くよ」
祖父は盛大に溜息をついた。
「親にして子有りやな……」祖父は渋い顔でどこか遠くを見つめた。やがてへっへっと自嘲気味に笑い、話し始めた。
「15年くらい前じゃ、澄佳さんがひょっこりうちに来てよ、カネ貸せ言いよった。耕介と離婚しておまえがまだ幼稚園くらいんときや。わしゃ養育費のことかと思ったよ。ところがあいつはたまげたことに一億五千万ドル寄越せ言う。一週間後に利子付けて返すっつうて」
「そっ……それで?」
「わしゃせせら笑って、貸してやったよ。返せなんだら別のもんで払ってもらうちゅうて。じゃが……」祖父は痛快そうに笑みを深めた。「澄佳さんはリヒテンシュタインだかどこかでポーカーしてな。三日で十億ドル稼ぎよって、倍の利子付けて返済しよったわ!」
「……スゲえ」金策に駆けずり回っていた身としては、金額に目眩がしそうだ。
「そんなのぁおめえ、序の口だど。賭場からはたちまち出禁食らったんで大金元手に事業起こしてのう。暗号解読のなんかや。澄佳さんはそれでお宝を探し回った。スイス銀行に眠っとった、もう持ち主が死んで受取手のない口座の番号と暗号を推測したんだと……それで一兆ドルは稼いだはずじゃ。実際に海賊だかナチスだかの財宝なんぞも見つけとったよ……その頃にはわしの組の若い衆を言いなりにして、世界じゅうかけずり回せておった。
わしゃもう馬鹿馬鹿しくなってな……せこいシノギから身ィ引いたわ。澄佳からもやめるよう勧告されとったし……なんせ武装組織を使って余所の組を片端から叩き潰しとったから、わしはなにせんでもシマが手にはいったんじゃ。じゃがカネと強請りのネタはおまえの母親が根こそぎ持って行っちまった」
母親のダークサイドを聞いて健太は神妙に頷いた。〈ゲーム〉開始前に行った地ならしが途方もない規模だったことは断片的に聞き及んでいたが、それもこれも健太とエルフガインを勝利させる、というただひとつの目的のためだった。
それで終わりでもなかった。自分は母の労に報いることが出来ているだろうか?
「それで母さんはタンガロ共和国につぎ込んだ……」
「まあざっと10兆ドルは稼いだようじゃからな……それだけありゃ日本じゅう買収して、国の一個も作れるわな。じゃがな、澄佳さんの凄いところは、実際にそれをやっちまったってことだ……」
祖父は感に堪えないという顔で首を振った。
「あんな女はほかに見たことねえ。カネなんぞ思うがまま掻き集めて、頓着せず全部使っちまった。あれが大人物ゆうのか……わしゃどこかであの人が失敗するもんと思っとうた。願ってた言うべきかな。年甲斐もなく血をたぎらせるくらいいい女だったが、とても手が届かねえ。憎んで嫉妬して、恐れおののいて、最後にゃ崇拝した……ざまねえわ」
祖父はパンと膝を叩き、健太を見た。
「おまえがテレビで大口叩いたとき、わしゃ澄佳さんを思いだしたよ。大先生がた相手におめえ、いっさい怯んでおらなんた。もうわしゃあなにも言わん。好きにせえや」
「ありがと、じいちゃん」
「けど二階堂は強敵やど……心してゆけ」




