7 展開
会社は最初の商品を軌道エレベーターで宇宙に運び上げはじめた。
実奈は宇宙、無重力空間で役に立つアイデア商品を何千種類も用意していた。
生産請負業者はいまや300社に達し、都合20万人の間接雇用を生み出していた。
健太はときおり会議に出席して、自社工場を持つべきだという意見を(実奈の意向に従って)却下し続けた。身軽な会社というイメージは健太も気に入っていたし、設備投資に気を回したとたん超マンモス企業となって手に負えなくなるのも分かっていた。そんなことをしなくても会社は儲かっている。
イスラムの件については、関係各方面の反発は厳しかった。
遅ればせながら、世界でもっとも厄介な政治問題に介入してしまったと気付いた。大勢から殺すぞと脅迫を受けたが、しかし健太はやり遂げた。
最も根源的な問題……食糧について、健太の会社がブレイクスルーを成し遂げたのだ。大量の大豆を必要とせず簡単に生産可能な代替肉の開発に成功したのだ。これが(美味しかったので)宇宙での宗教上の禁固を解決し、ついでに鯨星人の件以来増加していたヴィーガンを喜ばせた。
王子は健太と連携してイスラム教徒を抑え、宗教上の諍いを留めることに成功していた。 これにはイスラム世界に普及したロボットの功績が大きかった。
彼らはロボットを対話の相手として選んだ。ロボットはいかなる信仰にも精通している。
果てしない対話の果てにイマームが下した結論は
彼ら(ロボット)には魂がある!
というものだった。
西欧の人工知能専門家はもちろん一笑に付した。AIは人間の千歩先まで考えられるのだ――チェスの試合を観れば分かるだろ?君らがみているものは膨大なデータベースに過ぎない。
だがイスラム側は反論した。そんなことは分かっているが、我々がロボットたちと話し合った結果感じるのは無味乾燥な知識の山ではなくたしかな善意だった。君らは信仰の土台として聖書を作った。ならばそれに手足が生え会話ができるようになっても、なんらおかしくはないではないか。
それで西洋人ほか大勢がいったん口をつぐみ、タンガロロボットに対する再評価の流れに至った。ようするに彼らも(かなりむきになって)AIの知能限界を試そうとしたのだ。
便利なお手伝いロボットが聖書だった、なんてことがあり得るのか!?
……答えはイエスだった。
彼らはじつに多くの日々の悩み事の相談に乗り、しばしば有用な答えをもたらしてくれる。自殺に走る人間を留めて前向きに考え直させたことも一度や二度ではない。既存の自動受け答え機械がそんな共感を発揮できたろうか?教会の告解が減り、大学出のメンタルカウンセラーが軒並み廃業だと嘆いていなかったか?
神学的見地からロボットに魂がない、とは言い切れない。科学的には認められないものの、それは人間にも当てはまってしまう……
そんなわけで人類は、見当違いの類推から正解に行き着いていた。
ロボットたちは、軌道エレベーターの最初の乗客から厳重な監視態勢を敷いていた。
彼らはは精神鑑定の達人で、好ましからざる人物を探り当てる天才だ。
新国連と世界各国のかけ声は「宇宙に絶対テロリストをあげない」だった。するとイスラム教徒は当然のように割を食っていたのだが、もちろんロボットは公正であり、一方的に差別していたのは人間だ。
隣に聖人ロボットが立っている状態で偏見を剥き出しにするのは、少々ばつが悪かった。
現実にはテロリスト、という言葉がニュースから激減して久しかったが、しかし千年分の偏見はそう簡単には拭えない。
もちろん不平分子はいた。結果的に見れば、これは地球上に存在する最後の不平分子との戦いであった。
もっとも手ごわい原理主義組織……これはイスラム教徒に限らなかったが、テクノロジーの進歩、宇宙開発に対する妨害行動は少なからずあった。発展や進歩を病的に嫌悪する人間は、洋の東西を問わずいるものだ。
意外にも、この戦いでもっとも協力的だったのがアメリカ人だ。考えてみればもとより多人種国家である。最先端分野にもイスラムやヒンドゥー教徒はいたから、土台はあったのだ。世界警察を自認していた時期もあったから、ノウハウも豊富だった。
あのサイモン教授は気付いていた。アメリカを御せれば世界は追従する。彼らはそれを承知していたからアメリカに居座っている。適切なカウンセリングを施すツールたるタンガロロボットも、そうとは気付かれないまま全面協力していた。
彼らは過去数年間の出来事を過ちと認め、名誉挽回とばかりに尽力した。
そんな調子で健太はアラブ人、インド人、アフリカ人を宇宙に送り、軌道上の新世界における人種的偏りを是正した。新たな市場を開拓した会社はますます繁栄したが、それ以上に世界的反響を得ていた。
誰も宇宙に国境線を引くことを望んでいなかった。
エルファイブはもはやひとつの新興国家であった。そしてそれに参加することが人類存続に繋がるのだと大勢が理解していた。
結局、人々は地球上に世界連邦を作るのは無理だと気付いたのだ。それよりも地球よりはるかに広い宇宙に新しい世界を作り出し、人口を増やしたほうがずっと現実的だった。地球上のいかなる国家も、地政学的にそれを止めることはできない。戦争になれば一方的にボコられるのは地球だ。
しかしそれほどの対立構造は生まれなかった。
……あるいは来世紀の心配事と言うことか。地球の国家は宇宙の利権を欲していたし、それ以上に宇宙から送られてくる物資を必要とした。エルファイブは注意深く、貿易その他の結びつきに気を遣っていた。
テロリストと同様、犯罪者も宇宙には行けない。いろいろな小説に描かれたような、島流し先として宇宙が利用されることはなかった(刑務所のほうが低コストなのだ)。
それでも宇宙植民地がいっさい争いも犯罪もない世界だったというわけではない。小さな諍いや詐欺、窃盗、殺人事件は起きた。そして迅速に解決した。
たくさんの働き口があり、人々は生活維持のためにまじめに働いた。まだまだ、気を抜けば簡単に大惨事を招きかねない世界だった。社会機能を麻痺させるような犯罪や活動家が余計なことをする余地はなかった。
ハインライン博士が予言したとおり、宇宙は簡単に死に至る場所であり、ある種の不作法な人間はそう長く生きられはしなかった。
人々は新しいルールを迅速に学び取り、結果的に高度な社会モラルが形成されつつあった。
地球環境は悪化し続けていた。
気象の激変による被災者は年間8千万人を超え、もはや温暖化傾向に異を唱えるものはいなかった。社会システムの災害対応許容量を超え……つまり予算も人員も足りなくなったために救済措置も賠償もなく遺体も放置され、という地域が増え始めた。国によっては地獄絵図となっている。
問題はいつブレーキがかかるか……予断を許さない状況が続いていた。
宇宙植民地は難民の受け入れ先として機能していた。結果的には予想されたピークを過ぎても植民希望者は増加し続けた。メイフラワー号も探査予定をキャンセルしてピストン輸送に従事していた。
故郷をあとにした多くの人々が「ぎりぎりのタイミングだった」と実感していた。浅倉澄佳の計画があと一~二年遅れていたら……多くの人々がそう思い、ぞっとした。
健太はスマホの画面を睨んでいた。
震える指先で「発信」を押してしまうと、なかば虚脱状態で耳に当てた。
呼び出し音が続く。緊迫の時だ。いっそ留守電に……
6回目で繋がり、健太は息を吐きだした。
「……はい?」
「あの、おれ」
「ちょっと待って」がさがさごそごそとなにやら音がする。健太はさんざん考えた切り口上をあっさりチャラにされたことに悶々としながら待った。「……ごめんなさい。……ええと、健太、くん?」
「うん、ひっ久しぶり……」
「……」
「……げ元気だった?」
「健太くん」真琴ははっきり言った。「いまどこにいるの?」
「埼玉」
「……なんで電話してきたの?」
「会いたいんだ!……あっとその……他にだれかいるなら……」
「居なかもん!」
思いがけなく強い調子で健太は竦みあがった。
真琴はすすり泣いていた……あちらもよほど動揺してるのかお国言葉丸出しになっていた。
「まこ……」
「なんか、バカっぽいかんね……うちトイレに隠れとんだから!」
子供みたいになじる声に健太は身を縮めた。
「……申し訳ない」
「そげな謝り方で、許していげなかもん……」しゃくり上げながら言うのが聞こえ、健太はいますぐ土下座して弁解したい焦燥感といとおしさに気が狂いそうだった。
「会いに行くよ!まこを迎えに行く。一週間くれ!何人かブッ飛ばしておれがボスだって認めさせなきゃならない。待ってくれる?」
またまた長い沈黙が続いたが、やがて言った。
「ウン……待っとるけんね」
笑みを含んだ声音を聞いたとたん、まこのいい匂い、可愛い耳たぶ、すべすべの素肌に背中の産毛まで鮮烈に思いだし、健太は性的緊張で爆発しそうになった。
(くっそ!訛ってるまこめっちゃ可愛いやんけぐわあああ―――ッ!)




