5 健太、仕事する
近衛実奈は天才だ。彼女も会社の特別顧問に就任していた。新会社の社員は当初20名で、いずれも実奈の名声に引かれて会社に就職した天才秀才集団だった。
実奈は週に一度会社に来て、その際にアイデアスケッチの束を渡す。
それだけで社員全員が仕事に忙殺された
実奈が考え出した業務内容は試作品の開発で、目標は実用的な宇宙生活者用雑貨を格安で提供すること。NASAが無重力哺乳びんを一個一〇万ドルで開発しているあいだに、もっと実用的な製品を三ドルで作る……そういった考え方だ。製品の開発が成功したら請負企業に生産を依頼する。会社の規模はなるべくコンパクトに保ち、ロイヤリティで稼ぐのだ。
それでも会社の規模は一年で30倍になり、埼玉県のビルをひとつ買い取って600人が働いていた。増えた社員の大半は書類手続きと営業担当である。取扱商品が毎月増えるのでしょうがないのだった。
最初の二年は利益ゼロだとあらかじめ言い渡されていた。、みーにゃんに預けた資金はあっという間に底をついて、健太は資金繰りに奔走した。
驚くことに、健太の会社に投資しようという人間は現れた。実奈の名声のおかげと、健太の名前もちょっとだけ役にたったらしい。
交渉相手は日本人の大半が知っているような個人資産家の有名人で、情報に聡く、健太の会社がやろうとしていることを健太以上に理解しており、その将来性についても健太以上に注目していた。
ただし油断はできない。
開発中の知的財産ごと引き剥がして売却して、手っ取り早く儲けようという連中も少なからずいた。金の卵を産み続けるガチョウを殺して食べてしまうような行為だが、信じがたく近視眼的な投資家はいるのだ。そういう連中は真にひとのためになる事などには興味がなく、他人を出し抜くことに病的な執念を燃やし、健太には邪悪に思えた。そんな投資家の見極めも健太の大事な役目だった。
それには横の繋がりが大事だった。
紹介を通じてお互いを知り、友人の意見を聞く。思いがけないところから情報を得ることがしばしばだった。相手が世界的に有名な会社であっても気は抜けず、日本国内であっても同様か、それ以上に厳しかった。学歴がものを言う社会で高卒の健太をまともに相手しよう、という人間は少ない……みーにゃんと島本博士、浅倉澄佳の威光がなければ、だれひとりカネを預けようなどと思わなかったろう。
さらには敵対的買収、新しい産業に対する大企業と官が結託した横やり。有益な事業でも潰してやろう、という意気込みに満ちた役所や大企業のなんと多いことか!
乗り切るためには、ちからが必要だった。
人材の出入りはとても激しかった。首脳社員がすべて技術屋で、ノウハウを会得するとどこか余所に移っていくからだ。重役椅子に納まって何十年も安泰に過ごそうという人間はいない。実奈がそういう風潮に仕立てていたのだった。
そして会社は幾多の中小企業に仕事を割り振っているため、地域に必要かくべからず、という評判を勝ち得ていた。
実奈は格安で信頼性抜群の宇宙服を売り出して大ヒットさせた。
新年度のプレゼンテーションではごく近い将来、最初の商業宇宙船を造ると公言した。
会社の資産規模は爆上げした。健太はその段階でようやくまともな給料を受け取った。それまでの2年間は無給で働いたのだ。みーにゃんも時給百円(税込み)で働いていたので、文句は言えない。それどころか一生感謝することになるだろう。
3年目には、健太は企業から相談を受ける側になっていた。
タンガロ製ロボットの技術を応用したスマートカーの開発に、健太の会社が作り出したテクノロジーを取り入れたいと申し出てきたのだった。それまで次世代技術を軽視してきた国内メーカーは、海外新興メーカーの台頭に焦り遅れを取り戻したいと考えたのだ。
自動運転対応でメタノールハイブリッドエンジンのスマートカーは事故を起こさず、タンガロロボットの表皮変形技術を応用したタイヤは舗装路でなくとも……たとえ崖や45°以上の坂でも快適に走れてしまう。人口減少と高齢化を乗り切るために必須と言えた。
日本の社会はロボットによって様変わりしている。いまや国内4社がロボットを製造して、人間そっくりではないタイプも作り出されていた。
朝の通勤ラッシュがなくなり、余暇のできた市民が街に繰り出した。
国民の暗澹たる予想を裏切って、政府は企業による生産用ロボット大量購入を認めず、「ひとり一台」政策を推し進めたのだ。これは滅多にない善政だったと言えよう。
オーナーがロボットを働かせ、給料を受け取る。そして気が向けばオーナー自身がバイトに精を出して収入をアップさせる。
ロボットより人間が好まれる職場は常にあった。学校の先生はマイロボットを同伴させてサポートさせていた(基礎教育指導は人間よりロボットのほうがずっとうまい、という事実は頑として認めなかったが)。
人間の仕事が奪われる!という一部のヒステリックな主張とは裏腹に、経済は好転した。
マリーアと一緒にドバイの新年パーティーに参加した夜、健太はクラブの駐車場でアラブ人に喧嘩を売られた。
対戦要請は久しぶりだった。アメリカでの一件で健太はある種アンタッチャブルな存在と目されていた。危害を加えたら異星人が激怒するとでも思われたのだろう。身の安全はもとより仕事上も都合のいい評判だったので、あえて改正しようとは思わなかった。
一対一の殴り合いのあと、相手はサウジの王族だと知った。ヒゲを蓄えようとしていたが、健太と年の変わらない王子だった。パーティーの残り時間のあいだに健太たちは仲良しになり、都市部での豪遊ののち砂漠のテントに招かれ、相談を受けた。
王子は切り出した。
「宇宙にムスリムの居場所を作りたいのだが……」
イスラム教徒向けの宇宙食が無く、困っているという。むろん食糧だけではなく、衣食住全般にわたって、イスラム教徒には宇宙の居場所が限られている。欧米企業はその仕事をやりたがらず、健太の会社が最後の頼みの綱だという。
喧嘩は健太の人となりを試すためだった。(マンガ読みすぎだろ……)と内心思ったものの、イスラム教徒に対する考え方を確かめるのに必要だったのだろう。
健太は快諾した。




