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終末ロボ エルフガイン  作者: さからいようし
ゲーム 第1ラウンド
3/37

第3話 『女の子と同居はじめたけどけっこう辛い』 ★

挿絵(By みてみん)

             1


 エネミー01の襲撃から三日が過ぎて、埼玉県はようやく大混乱から回復した。

 だが収まったのは避難誘導や自宅の損壊による混乱だけで、その後新たに始まった騒ぎはじわじわと、日本全土に拡大しつつあった。

 総理大臣の記者会見によって納得した人間は皆無で、国民――とくに埼玉の住人の多くは、戦場となったこの地から逃げ出すべく狂乱していた。

 健太の高校も、子供が家でゴロゴロしているのに耐えられなくなった父母の猛抗議によって授業を再開した。しかし勝手なもので、出席率は七割程度だった。自衛隊が秘密基地を構えていることが判明した山の近くの学校など通わせることはできないのだそうだ。


 健太自身は戦闘終了後、エルフガインコマンドの事後手続きやら口頭報告やらに付き合わされ、解放されたのは丸一日経過後だった。

 やはりコマンドに待避していた祖父母と一緒に黒塗りのワゴンに乗せられ、こっそり自宅に戻された。

 祖父は健太を巻き込むことに一役買っていたらしい。島本博士とも顔見知りの間柄だ。

 妙な気分だった。

 かすかな虚脱感。非現実から日常への移行がどうもしっくりいかない。

 博士の説明によれば戦いは始まったばかりなのだ。そんなことを言われるとどうしても気が抜けない。事実、エルフガインコマンドは警戒態勢をとり続けているらしい。

 エルフガインの修理も急がれている。一度の勝利を祝う余裕はだれにもなかった。

 とはいえ自宅に戻ったときは日も暮れており、健太は祖父母と遅い夕食を取りに近所の寿司屋に出かけた。回転するやつではなく、畳敷きの奥座敷に座って上にぎりを御馳走になった。

 ささやかな祝い……健太が無事生還したお祝いだ。


 明くる日の朝。

 健太は八時頃まで眠っていたが、祖父にたたき起こされた。

いつもの慌ただしい朝食と違ってゆっくりしていたが、やがて祖父がいささか衝撃的なひと言を切り出した。

 「おまえ、エルフガインコマンドに引っ越しだ」

 「え?」

 「島本博士と相談してな……そのほうが保安上良いつうて。もちろん学校には通学できる。今日さっそくだそうだ」

 「そんな……突然だな」

 「こんなときだから仕方あるまい?とりあえず数日分の着替えだけ用意すればいいだろう。私物はおいおい送ってあげる。近所だからな」

 「マジかよ……」

 「だからそのつもりで、荷物をまとめておけ。ひとり暮らしもなかなか楽しいもんだ。メシは食堂で取れるから自炊しなくて良いそうだし」

 もうすっかり決定済みらしい。健太はしぶしぶ頷いた。

 「悪いことばかりじゃないぞ。スマホを支給するとか言うとった……欲しがってたろう?それにおまえ、給料が出るんじゃぞ。衣食住すべて無料の上に給料まで」

 「えっ?マジで!?」

 「手取り25万に出撃ごとに危険手当だそうだ。おまえが押しつけられた仕事にたいして安過ぎかもしれんが、まあ学歴がアレだし……」

 学歴がどうのこうのが関係あるのか分からないが、健太にとっては月給25万という数字がすべてだった。

 途方もない話だ。あれもこれも欲しかったもの全部買えるじゃん!しかもそのひとつ、スマホはただで貰えるという。

 突然引っ越しせよと命じられた苛立たしさも簡単に霧散していた。健太はさっそくスポーツバッグを取り出し、昼前には支度を終えていた。



 迎えの車が午後一時きっかりに健太の家の前に到着した。黒いスーツ姿で強面のおじさんふたりが乗るワゴンだ。健太と祖父をここに連れ帰ったときと寸分違わず、乗っているSPも見分けが付かない。

 健太が後部座席に荷物と共に収まると、車はすぐに出発した。

 思いがけないことに助手席のSPが後部座席に頭を巡らせ、話しかけてきた。

 「ああこれ、きみに渡すよう言われてる」

 健太は小さな化粧箱を受け取った。「なんです?」

 「携帯端末だと思うが」

 「へえ……」健太は上箱を開けた。尾籠度張りの内箱に四角い機械が収まっていた。「なんだこりゃ」たしかに四インチ液晶の端末だが見たことがない機種だ。軽いがやたらと分厚い……黒いゴムみたいな感触のボディは一㎝くらい厚みがある。

 「スマホを支給されるって聞いたんだけど……」

 「スマートフォンだよたしかに」

 やや鈍くさい筐体に健太は顔をしかめた。

 「なんだか……」

 「きみ、不満そうだがそれを支給されるってのは凄いことなんだぜ……純国産、密輸品のiPhoneほどいかさないのは認めるが、あんな玩具よりずっと実用的なんだ。セキュリティーは万全だ。ウィルスソフトも要らない。ホットラインでもハイウェイネットでもなんでも繋がる。しかもいくら使っても無料だし」

 「はあ……」

 「ま、エッチな使い途はほどほどにな。内務保安局のファイヤーウォールに筒抜けだから」そう言うとSPふたりは楽しげに笑った。

 (007にQが支給する秘密兵器みたいなもんか……)

 朝の話で大喜びしたのもつかの間、世の中そんなに上手い具合にはいかないか。


 ワゴン車は学校の近所を通り過ぎて団地も抜け、やがて「私道につき立ち入り禁止」と立て札のある道路に侵入した。

 白樺に囲まれた河原沿いの小綺麗な道路を進んでゆくと、一軒の家……というか屋敷と呼んだほうが良さそうな大きな邸宅が見えた。黒っぽい木造でゴルフ場のスタートハウスのようだ。

 実際高校の裏手は倒産したゴルフ場だったが、新しくだれかが買い取り整備したのか。まさかと思ったがワゴン車はその屋敷の門をくぐり、手入れの行き届いた芝生の広い庭を囲む道をぐるりと回って玄関の前に停車した。

 「着いたぞ」SPからそう告げられ、健太は途方に暮れながらワゴン車を降りた。

 SPは無線で二言三言言葉を交わすと、さっさと走り去ってしまった。

 (なんだかとんでもないところに置き去りにされたぞ……)立派な両開きの玄関を見上げながら思った。(ノックしたら本物の執事かメイドが現れるんじゃないか?)

 試しに扉にぶら下がったどっしりした金属の輪を掴んで、二回ほどノックしてみた。

 ガシャリ、と音がして、扉が内側に開いた。

 「お邪魔しま~す……」

 だれも出迎えてくれなかったので勝手に踏みいった。一階は広い吹き抜けのフロアで、幅の広い階段が二階に続いていた。奥のほうは教室ほどもあるダイニングルームになっていて、ガラス張りの向こうに庭が見通せる。

 (こんなとこに住めってのか……)

 その場にそぐわない機械が壁際に置かれていた。駅のホームにある特急券券売機に似ていた。そいつが音もなく動き出して向かってきたので、健太は仰天した。

 「わっ!」

 「浅倉健太サマですね?」そいつが柔らかい女性の声で喋った。「エルフガインコマンド武蔵野ロッジにようこそ。チェックインのため画面に手を当ててください」

 健太はそうした。チャイムが鳴り、画面に「完了」の文字が浮かんだ。

 「浅倉サマのお部屋は二階の三号室となります」

 「分かったよ」

 「ご質問があれば何なりとお訊ねください」

 「はーい」

 健太は階段で吹き抜けの二階フロアに上がった。やっぱり埼玉県にメイドはいないようだ。なかば本気で期待していたのだが、ちょっとがっかりした。

 考えてみると、本当にメイドさんが現れたら、それはそれでどう接したらいいのか健太は知らない。

 (だいたいメイド喫茶さえ行ったことがないし……)

 我ながら経験値が足りないと思った。普段観てるアニメや本の主人公なら、どんな女性に出くわしても即応できてるだろう?

 健太は首を傾げた。そうでもないか?

 つまらないことを考えながら辺りを見回した。

 二階フロアもそれなりに広く、テラスの張り出しに面した大きな窓、本物の暖炉、観葉植物が置かれ、壁には絵画まで掛かっている。豪華な絨毯まで敷かれていた。

 左側に通路が続いていた。大理石の床にモノグラム模様の壁紙に化粧板というホテルのような廊下だ。等間隔にドアが並んでいた。三号室はこの並びだろう。一〇メートルもいかないうちに目当ての部屋番号を見つけた。ドアノブをひねると、鍵はかかっていない。ドアを内側に開け放ち、廊下に立ったまま自分に割り当てられた部屋を眺めた。

 「うぉーマジか……」

 一五畳はありそうなワンルーム形式の部屋だ。実家のダイニングより広い。天井も高く、映画に出てくるアメリカの住宅のようだった。さっそく中に入ろうと思って足を踏み出した瞬間、隣のドアがガチャリと開いた。

 「あら、健太くんだ!」

 振りかえると近衛実奈ちゃんがいた。

 軽やかなノースリーブにショートパンツ、ポニーテール、ちっこい背丈に細い足、ちっこい靴。廊下が急に明るく賑やかになった気がした。

 中学一年生(いろいろな意味で対象外)

 「お、おう……」

 「健太くん隣の部屋―?」

 「そうみたいだな。……えーと、健太くんて呼びかた、決定事項なのか?」

 「健太くんじゃやーだ?それじゃなんにしよっか。やっぱり健太お兄ちゃんとかが良い?」

 健太お兄ちゃん。

 なにやら、熱を帯びたタールみたいなものが胸中にドロリと滲んでくるような、この感覚……。

 「お兄ちゃん」が脳内でリフレインしていた。

 「うーむ……」

 「気に入ってるな―?それじゃ健太お兄ちゃんで決定!実奈のことはなんて呼んでくれる?」

 「え?実奈……ちゃんじゃダメなん?」

 「ダメだよう。それじゃつまんないじゃん!」

 「つまんないかな。それじゃ、エー」健太は考えた。「実奈りん?」

 実奈は腕組みして首を横に振った。「いまいち」

 「実奈っち」

 「え、ぜんぜんだめ」

 「うー、それじゃ実奈ッペ」

 「だっさい!なにそれまじめに考えてる?もういいよ、暫定的にちゃん付けで様子見ね!あくまで暫定。いい?」

 健太は敬礼した。「おっけ」

 「夕ご飯は六時半だよ。それじゃまったね―」指先だけ曲げるバイバイをしながら実奈が自室に引っ込んだ。ドアが閉まると、健太はため息をついた。四歳も年下の女の子にいいようにあしらわれた気がする。

 (でも可愛いよな……ちっちゃい竜巻みたいでさ)健太は我知らずニヤけていた。

 ホテルみたいだが、入口で靴を脱いで上がるらしい。下駄箱があり、一段高くなった奥にはスリッパが何足か並んでいた。床はフローリングで、部屋の一角は畳敷きになっていた。40インチはありそうなテレビがベッドの向かい側の壁に据え付けられている。大きなベッドに荷物を放り出し、ついで自分も大の字で横たわった。部屋の奥はまるまるガラス張りで明るいがなんだか外からの視線が気になる。広すぎる上に天井も高すぎて落ち着かない。

 お兄ちゃんか。

 妹ができたらこんな感じか。

 ――などと呑気に感慨に耽っている場合ではない!

 健太は慌てて身を起こすと、荷物の中から先ほど支給されたスマホ(らしきもの)を取り出し、画面をあれこれいじり回してようやくアドレスを呼び出した。

 思った通り、いくつかの連絡先はすでに登録されている。丸っこい字体で書かれた「島本はかせ」を見て顔をしかめた。若槻先生の番号まで登録されていたがやはり丸文字の上に、名前のあとにハートマークが付いているではないか。いったいこれを登録したやつはどういうセンスしてるんだ?釈然としないまま島本博士に発信した。呼び出し音六回でようやく博士が出た。

 「あ、もしもし博士?」

 「なぁに?」面倒くさそうな声が答えた。

 「あの、いま寄宿先に到着したんですけど、隣が中学生の女の子ですよ!?まずいでしょう……」

 「なにが?」

 「なにがって……そりゃいろいろと。ひとつ屋根の下なんて」

 「共同生活における風紀に関しては、あなたの心がけ次第だと思うけど」

 「え?そりゃそうかもしんないすけど……」

 「自制できないっていうの?無理もないかもしれないわねえ。でも心配ない。二階堂さんも一緒だから。彼女しっかり屋さんだし」

 「中学三年生も一緒なんですかっ!?」

 電話の向こうでくっくっくっと笑うのが聞こえた。

 「嬉しくないの?あなたねえ、携帯に女の子が五人も登録されているのよ?アドレス帳見てみた?」

 「アレ登録したの博士なのか!?」

 通話が切れた。

 まったく……。楽しんでないか?。

 だいたい「女の子」にちゃっかり博士も含めているじゃないか。健太はふたたび寝転んでぼんやりスマホをいじくった。たしかに五人、女の子三人と女性ふたりが登録されていた。女性のひとりは礼子先生だ。

 すげえ。先生に繋がるのか。

 髙荷マリアの番号は非公開設定されていた。発信しても無駄のようだ。

 「ちっ」こっちだって電話をかける用事なんかないわい!

 それに二階堂真琴ちゃんと近衛実奈ちゃんの番号。それで全部かと思いきや、ほかにもたくさん登録されていた。コマンド総合案内(エルフガインコマンドのことだ……博士が正式名称は無いと言ってたっけ)はともかく、自衛隊統帥本部?朝霞広報センター?種子島宇宙防衛司令室?経済産業省次世代エネルギー課なんて、いったいなんで登録されてるのか。臨海大学総合戦略研究所??なんだそれ。

 とにかく、明日から学校も再開だ。健太は立ち上がって荷物の中から制服とシャツを取りだし、壁のフックに吊した。制服がそぐわない部屋だ。鞄と筆記具……

 オカズを持ち込むべきか悩んだが、持ってこなくて正解だった。

 「あ」

 登校することを考えたとたん、二日以上まえ路肩に乗り捨てた自転車を思いだした。まだあそこに置いてあるかな……。

 「行ってみるか」

 ここから学校まで二㎞ってところか。ママチャリはその近所に放置した。健太はスマホをジーンズの尻ポケットに突っ込み、靴を履きなおして廊下に出た。階段をふたつ飛ばしで降りていると、背後で誰かが健太の名を呼んだ。

 「浅倉さん」

 「はい?」健太は階段で立ち止まり、振り返った。

 二階堂真琴ちゃんがいた。

 ショートボブ、当たりの柔らかそうな笑み。ゆったりしたチュニックにすそが広いショートパンツ。小さなバッグを袈裟懸けにしている。一五歳だが、島本博士が言ったとおりしっかりしている感じ。実奈ちゃんがやんちゃな妹なら、こちらは落ち着いた姉だ。

 (だがとてもキュートだ)

 「こんにちわ、浅倉さん。お出迎えできなくてごめんなさい」

 「そんな、いいんだ」

 真琴ちゃんは軽やかな足取りで階段を降り、健太に追いついた。並ぶと身長は一五三センチというところか。ほっそりしているが、顔立ちはまだ子供らしい丸っこさが残っている。

 「お出かけですか?」

 「うん、ちょっと野暮用で、学校の近くまで」

 「わたしもご一緒してよろしいですか?」

 「え、あ、べべつにかまわないよ」

 「良かった!ここに来て一年くらいなんですけれど、あまりお散歩したことがないんです。ひとりでは不安で」

 「そうか」



          2


 ふたり並んで玄関の自動ドアを出た。

 「ここって、まさか二階堂さんと実奈ちゃんふたりだけなのか?」

 「いろんなひとが出張とかでやってきますけど、一年以上住み込みなのはわたしたちだけですよ。多いときは一〇人くらいになるかしら……島本博士のお部屋もあるんですけれど、博士、いつも地下発令所の執務室に泊まり込んじゃうから、滅多に帰らないんです」

 「ふーん。人が減ると寂しそうだな……ここらあたりはなんにもないもんなあ。近くに民家もないし一番近いコンビニも三㎞以上離れてるし、自販機もろくに置いてない」

 「コンビニですか。わたしそういうお店でお買い物したこともなくて……」

 「そりゃ珍しいなあ!二階堂さんどことなくお嬢様ぽいと思ったけど」

 「そうですか?」真琴ちゃんは少し照れたようにはにかんだ。「そんなつもりはないんですけれど……」

 「学校はどこに通ってるの?」

 「少し遠いんですけど、臨海大学付属女子中学です。ご存じ?」

 「聞いたこと無いけど付属かあ……待てよ、その大学スマホのアドレス帳に載ってたような……」

 真琴ちゃんは神妙に頷いた。「別の呼び方は一部で有名なんですけど……「私立防衛大学」って……」

 「ああ!」健太は思わず叫んだ。

 それは信州の山奥にあるという文字通り私立の軍事専門大学なのだ。ネットの噂によればその所在は秘匿されているという……「知ってる!凄いじゃん!」しかも付属の、女子中学校とは。

 浮世離れしている感じも無理はない。

 「二階堂さんは地元の人なの?」

 「いいえ、わたしの家は長崎で、実奈ちゃんは函館出身ですよ」

 「遠くから来たんだ……。二階堂さんは、代々武家の出身で、部活は弓道、それに茶道と習字を習ってる感じだよ」

 真琴ちゃんは目を丸くした。「わ、分かります?」

 「当たり?」

 「近いです……。剣術と槍も少々、それに茶道……浅倉さんて観察眼が鋭いんですね」

 「そんなこと言われたの初めてだ」

 楽しい時間はあっという間に過ぎ去る。もう学校の裏側に面した通りにたどり着いてしまった。

 金網に囲まれたグラウンドでは、学校が休みにもかかわらず野球部が練習中だ。健太は内心落ち着かなかった。可愛い女の子とお散歩デートの真っ最中という状態である。クラスメートに目撃されたくないような見られたいような。

 通りの向かい側は緩やかな山の斜面で、造成されたニュータウンを見渡せる。

 その向こうの平地はひどい状況だった。

 エルフガインとエネミーが戦った傷跡が刻まれていた。クレーター状にえぐられた爆発痕や深く巨大な轍で赤土が剥き出しになっていた。粉々になった建物を避けながら、かつては二車線の国道だった割れたアスファルトの上を、自衛隊のトラックが何台も行き来している。

 ニュータウンの住宅にも破壊が及んでいるようだ。流れ弾か特大の破片が飛んできたのか。だが壁を破壊され中身が剥き出しになった家を見て、改めて確信したことがあった。この団地はダミーだ。前々から人の気配がほとんど感じられないと思っていたが、この団地はほぼ無人なのだ。夕方になると家の明かりは灯っていたが、破壊された家屋は中身がない。薄いトタン板の張りぼてだ。

 「このニュータウンは、エルフガインコマンドを隠匿するためのダミーだったんだな」

 「そうです」真琴ちゃんがあっさり認めた。平地の奥の街を指さした。「鉄道沿いはほとんど無人化しています。JR以外の路線はほとんど工業輸送専用に作り替えられました。国道も一部閉鎖されていますから、川越から奥の丘陵地帯は地図上に存在していないようなものですよ」

 そうだ。池袋まで行くには新しく作られたトラムと地下鉄を乗り継ぐしかルートが無くなっている。いつの間にそうなったのか、はっきり思い出せない。三年くらい前からか? 住宅街の四角い角をいくつか曲がりながら坂道を下ると、健太のママチャリは無事、電柱の脇に置かれたままになっていた。健太はほっとした。これで通学が楽になる。

 サドルに土埃が積もっていた。たった二日でこんなに積もるわけはなく、これもエルフガインが戦い、大量の粉塵が巻き上がった結果だと気付いた。よくよく辺りを見回してみると、道路に細かい石ころや土の塊が散乱していた。

 「けっこうひどいね」

 真琴ちゃんはなんのことかちゃんと承知していた。頷いて言った。

 「このあたりを片付けるのは後回しでしょうね……。街のほうの被害優先でしょう」

 健太はゴクリとつばを飲んだ。

 「こうやってだんだん荒れていくのかな……」

 「戦禍による荒廃……」真琴ちゃんはうつむいたままぽつりと呟いた。

 またあんな戦いが繰り広げられるのか。博士によれば確実に起こる、と言う。健太は努めて明るい声で言った。

 「この先にコンビニあるよ。営業してるか分からんけど行ってみる?」

 「はい」真琴ちゃんが顔を上げ、にっこり笑って答えた。同年代の女の子に比べて会話や返事が非常にはっきりしていて、言葉遣いもあり得ないくらいに丁寧だ。

 ママチャリを手で転がしながらコンビニに向かった。

 さいわいコンビニは営業していた。

 自動ドアをくぐって店内に足を踏み入れると、真琴ちゃんはさっそくレジ前の棚に陳列された色とりどりの飴に見とれた。

 「いっぱいある……」女の子らしくあれこれ物色し始めた。

 健太は習慣で表に面したブックスタンドを物色した……が、マンガ雑誌を手に取ろうとして思い直した。

 真琴ちゃんはマンガ読むのだろうか?

 アホっぽいと思われたらたいへんだ……。だからといってまじめな週刊誌を読むフリというのもあざといので、健太は仕方なくカップラーメンが並ぶ棚に移動した。

 (これはこれで備蓄すべきかもしれないぞ)カップ麺にスナック菓子、今日から生活する屋敷は立派なたたずまいだが、ジャンクフードのたぐいは入手できそうに思えない。

 健太は買い物カゴを取り、好みのカップ麺と焼きそば、それにポテチを突っ込み始めた。

 真琴ちゃんがいくつか商品を持ってレジに向かい、「すみません、これください」とわざわざ店員に告げていた。健太はそのうしろに並んだ。可愛いお財布を取り出して千円札を一枚、店員に手渡ししていた。様子の違う客相手に、バイトの兄ちゃんも神妙な面持ちだ。

 健太の会計する番になると露骨に態度が変わっていた。無理もないが。健太が会計を終えて店の外に出ると、真琴ちゃんは健太のママチャリの傍らで待っていた。

 「けっこう買ったね」

 真琴ちゃんは買い物袋を掲げて見せた。

 「実奈ちゃんにも分けてあげようと思って」

 なんと優しい。

 「カゴに入れなよ」健太は自分の買い物袋をママチャリの買い物カゴに放り込みながら言った。真琴ちゃんは「はい」と言って素直に従った。

 「健太さんもいっぱい買ったんですね……あっ」真琴ちゃんは指先で口元を押さえた。戸惑っていた。

 「健太でかまわないよ。そっちのほうがいい」

 「はい、ありがとうございます。それじゃあ、わたしのことも名字ではなく……」

 「え?ああ、ええとに、じゃなくて、真琴……さん?」健太は頭を搔いた。「まこちゃんというのはどうかな?」思い切って提案した。

 「はい!」

 健太はホッとしてへたりこみそうになった。顔が赤くなってるに違いない。

 「じつは実奈ちゃんにも呼びかた考えろって言い渡されててさ……」

 真琴ちゃんは笑った。「たいへんですね。実奈ちゃんじゃ嫌だと?」

 「そうなんだ」

 健太たちは学校の正門前まで戻っていた。

 「ここが健太さんの高校?」

 「そうだよ」

 「髙荷さんも通っていらっしゃるんですよね?」

 「おなじクラスだよ……担任は若槻先生だし」

 「あら、ステキ」

 健太は苦笑した。ぜんぜんステキではない。と言うか、明日からいったいどうなるのやら。


 そんなわけで、学校再開の日。

 真琴ちゃんはひとあし早く登校しなければならず、健太が起きたときにはセーラー服姿で玄関に向かうところだった。実奈ちゃんが勝手に部屋に入ってきて元気いっぱい健太を叩き起こす、というような展開は残念ながら無かった。

 (またしても幻想がひとつ潰えたな)

 表にはなんと黒塗りの高級セダンが控えていた。遠くの学校だと言っていたが、途中で実奈ちゃんの学校にも寄るらしい。二人揃ってその送迎車に乗り込み出かけてしまった。

 健太は一階の食堂でひとり、用意されていたご飯と味噌汁、ハムエッグという朝食を取った。この屋敷を管理している人が少なくとも三人いるらしい。それなりに忙しいらしくちょっと姿を見かけ短く挨拶を交わしただけだった。学校に向かう健太を「行ってらっしゃいませ」と送り出したのは例のロボットだけだった。

 昨夜の晩飯は地下行きのエレベーターでエルフガインコマンドに降り、二四時間営業の大食堂でバイキング形式だった。――そう、この屋敷の真下にも基地が広がっていたのだ。

 その後真琴ちゃんと実奈ちゃんの案内で広大な施設をまわり、博士と久遠一尉に挨拶して、屋敷に戻ると、部屋の風呂に入ってすぐに寝てしまった。細かいことはあまり覚えていなかった。

 八時四〇分に教室の席に着いたときも半分夢うつつだった。この二日半があまりにも非現実的でめまぐるしかったので、日常に戻ったという実感がまだない。

 「浅倉ぁ!生きてたんか!」

 漫研時代からの友人である国元廉次が健太の肩を叩きながら言った。

 「おめえもな!」

 二人は拳をとんとんぶつけ合ういつもの挨拶を交わした。クラス、いや学校じゅうでそんな言葉のやりとりが交わされていた。放課後のあの騒ぎだったのですでに帰宅していた者も多く、避難所に健太の姿が無くても誰も気付いていない。国元は避難組だったという……夏の即売会用の原稿を制作中だったのだ。

 「おかげで昨日やっと家に帰れてよ。バスに押し込まれてへんぴな避難所に連れて行かれたおかげでアレも見れなかったんだぜ!まったくよう!」

 アレというのはむろん戦いのことだろう。

 「浅倉見れたのか?」

 「あ?うん、見た。凄かったなあ、あの……」

 「ロボ!」国元が叫んだ。「すげえよなあ!テレビで言ってたの見た?自衛隊の最新装備だって!あんなもん誰にも知られず造れるもんなのかね?なんていう名前なんだろ。公募とかするかもなあ」

 「どうかな」テレビで連呼するのをはばかって改称されてしまう可能性はあるかもしれない。「どうせネットじゃもう勝手に呼び名が付けられてるよきっと」

 (エルフガインという正式名称もあるんだ。言えないけど……)

 「かもなー……くっそ、直接見たかったぜ。また見れるかな?……けどよ!自衛隊の仮設テントで一晩過ごしたんよ!おもろかったぜえ~?あとで画像見せてやっから」

 健太も素直に避難していたら、同じように過ごしていたのかもしれない。仮設テントや非常口糧に喜んで……。

 健太の席は窓側の真ん中あたり。髙荷マリアの席は窓際のいちばんうしろだ。健太は努めてそちらに顔を向けないようにしていた。だが髙荷の存在感は輻射熱のように背中に感じていた。

 時間になり、礼子先生が教室に来た。起立―礼。

 「みなさんおはようございます」礼子先生がいつもと変わらない調子で挨拶した。健太はそちらのほうも見ないようにしていた。そうなると机の木目を眺めているしかない。

 礼子先生が本日は半ドンだとクラスに告げると、まばらな歓声が上がった。明日は土曜日なので、登校していない連中は二度目のゴールデンウィークとなる。健太のクラスも三人ほど欠席していた。

 「――たいへんでしたけれど、さいわい学校に被害はありません。生徒やそのご家族に怪我をした人もいませんでした。来週からは通常時間割に戻ります」

 「先生は合同避難しなかったんですかぁ?」

 「えっ?ああうん、先生車で、下校中のひとに注意しているあいだに避難が終わってたの。別の場所の避難誘導に従って笛吹峠のほうに行ってたわ」

 健太はうつむいて先生の不器用な説明を聞きながら、嘘が苦手なんだなと思った。

 いったい健太たちはいつまで欺瞞生活を続ければいいのだろう。

 島本博士によれば、べつにすべて公表してもいいのだけど、と言うことだった。ただし、健太たちはたいへん煩わしい思いをすることになるだろう……さらにセキュリティー的にも負担が増える。

 「わたしも内緒話は嫌いだけど、いまはできるだけ正体を隠したほうが良さそうね。どうする?」

 それで健太たちはしぶしぶ二重生活を始めることに決めた。いずれ……近い将来、そんな状態から抜け出せるかもしれない……。

 久遠一尉は彼なりに公表には反対だと言った。彼は自国のセキュリティー感覚をまったく信用していない。鎖国政策で外国人がいなくなったとしても、まだモグラ工作員は国内に潜伏していると考えていた。しかも大勢。



           3

 

愛知県、防衛省ビル一二階会議室。

 防音処置が施された分厚いガラスを通して名古屋城が見える。朝から天気はめまぐるしく変化している。いまは低い雲が垂れ込め、強い通り雨が降ってきそうだ。

 天城塔子はぼんやり思った。豊田の特車生産ラインは見学したのに、あんなにちかくにある名古屋城に行ったことがないな……。

 ふと足元に目をやれば、塔子たちのいるビルに面した通りには人だかりができている。50人程度か、左翼のデモ隊が今日もがんばっているようだ。外国人退去でお仲間を大勢失ったのに、なかなか根性がある。

 降水量は毎年増加する一方だ。去年も一昨年も台風で大きな被害が出た。それでも日本はまだ穏やかなほうだった。ヨーロッパでは洪水で都市がいくつも水没している。死傷者の数も二桁多い。

 あとひと月もすれば梅雨だ。そして台風シーズン……。東シナ海が台風街道と化せばしばらくアジア方面の心配をせずにすむ。

 北米は去年11月のサンアンドレアス地震で壊滅した西海岸都市の復旧で手一杯……。

 ふざけた戦争さえなければ、ひと息つけるのだけど。

 会議室のドアが開いていつもの顔ぶれが入ってきた。次官連中はみなくたびれきっているようで、呻きながら会議卓を囲む椅子にどかっと座り込んだ。自衛隊関係者はこざっぱりしていて、小馬鹿にしたように次官の後ろを回って所定の席に座った。塔子も席に着いた。

 外務省の男が書類の詰まった封筒をぞんざいに投げ出して言った。

 「カナダは白旗を揚げたよ。やれやれ」

 さっそく本題のようだ。

 「アメリカ人がなんと言っているか知っているかね?」

 「いまのところしらばっくれているようだ」

 G8がすべて国交断絶状態となった現在でも、世界は細い糸で繋がっていた。日本の友好国であるオーストラリアから欧米の情報はもたらされる。台湾からはアジアの情報が来る。情報がほぼ皆無なのは大中国とロシアだ。外務省は職員全員が軽い鬱状態だという。 「これでわが国のあー、例の「コア」は、三個になった、のだな?」

 「はい」

 「どうするんだ?カナダに返還するつもりなのか?」

 「人道的な理由で、カナダの電力を回復させる決定が下されました。まるまる三日間停電を経験したのですから、あちらは大変なことになってるでしょう……」

 「わが国はお優しいな」

 「ちゃんと降伏条件は呑ませましたよ?」

 「調印式はビデオで見たよ。わがほうの政府関係者のほうが恐縮していたじゃないか。情けない」

 「それじゃあカナダまで護送艦隊出動なのか?」

 「いいえ」海自の一佐が答えた。「バイパストリプロトロンは距離に関係なく作用します。コアは日本で貯蔵されたままカナダに電力を供給できます」ご存じですよね?と問いかけるように方眉を上げた。

 「ま、そうだな。これで我々が面倒見なきゃならない国は、いくつになる?」

 「台湾、ミャンマー、フィリピン、アフリカのなんとかいう国、南シナの島いくつか、インドとスリランカにも我々の技術供与で作られた反応炉がいくつかある……」

 「そしてカナダ、か。米国は余計な国を我々に押しつけ負担増になるのを狙っているんじゃないかね?」

 「当然そうだろうがコアが三個あれば余裕なんだろ?」

 「電力だけならな!まあさいわい、カナダは世界屈指の食料生産国だよ。久々に麦の供給制限が解除されるだろう」

 「ならやっぱり護送船団じゃないか!どこぞの潜水艦にタンカーを沈められないよう気をつけなきゃなるまい?」

 海自の一佐は頷いた。「すでに護衛艦隊の編成作業に入っています」

 会話が一時途切れ、何人かがさっそくたばこに火を点け始めた。

 この面子による会合は三度目になるが、地下のセキュリティーのしっかりした部屋ではなくこの会議室に移された。情報収集機能が充実した地下のほうが便利なのだか、禁煙だった……。どうやらこの会議はこの先も続きそうなのに忌々しいことだ。

 経済産業省の男が紫煙を燻らせながら会話を再開させた。

 「そういや、自衛隊に採用されなかった連中が大勢東北に行ったそうだよ」

 いま「東北」と言えば企業グループによる大規模集団農場を指す。日本はついに食糧自給率改善に乗り出したのだ。

 「コルホーズだな」と揶揄する人間も多いが、事実日本のみならず、世界中が社会主義を実践しようかと考え直しているところだ。グローバル経済が終焉を迎えて内需だけでなんとかしなければならなくなった現在、どの国も規模を縮小させる方向で経済再編を余儀なくされている。

 アメリカだけがそうした潮流を無視している。

 もとよりバイパストリプロトロンによる電力供給にも強烈な嫌悪感を示した国だ。塔子でさえワシントンDCの背広を着たデブが「それは共産主義だよ」と言い捨てる様子を容易に想像できた。かの国のパワーエリートにとって弱者たる民衆に無料の電気を施すなどあってはならないことだ。保険制度改革を断行しようとした大統領が熱心な共和党員にリンチされる国なのだ。

 そして日米安保の傘から抜けた日本はいまや、彼らが嫌悪するすべてを実践しようとしているのだった。

 彼らにとって浅倉澄佳はサタンの手先だ。

冷戦以来世界中の火種の原因となり、信仰のわりに――とくにピラミッドの頂点に近いパワーエリートほど反キリスト的なことばかりしている国に悪魔呼ばわりされるのは、ある意味痛快なことだ。

 長いことアメリカのポチだった日本は交戦規則まで変え、次の湾岸戦争が起きたときには属国として戦うことになっていた……だがそれは結局実現せず、忌々しい超大国のくびきから抜け出した。

 同じように反米(と反日)に走った半島の国は、愚かなシーソーゲームを続けたあげく国連主導で北の兄弟と無理矢理連邦化させられ、挙げ句の果てに混乱のどさくさで棚ぼたを狙った大中国に呑み込まれた。

 (それに比べれば我々はタイミング的に恵まれていた……)と塔子は思った。

 しかし将来的にはまったく見通しがきかないのだが。

 六年前、スウェーデンのノーベル社会学者によってひとつの論文が発表された。

 「ドゥームズデイ・レポート」と題されたわずか八五ページの論文は、人類の終末をいくつかの統計データと数式によって数学的に証明していた。

 無理矢理要約すると、ヤンキーノウハウと、それに追従する官僚主義により、あと半世紀で地球は熱死する。22世紀には地球は金星よりちょっと寒いくらいになり、生物のほぼすべてが死滅するのだ。

 それが結論だった。

 ちょっと信じられない話だが、まっとうな反証は誰にもできなかった。

 レポートは世界に広まる前にアメリカが握りつぶしたが、いくつかの国には届いた。大学で自由に閲覧できる日本やイギリス、ドイツなどでは真剣に受け止められ、検討された。ベネチアが水没したイタリアやオランダ、南極の氷が溶けて実際に被害が出ている国や北欧諸国、シベリアでも同様だ。

 そして現れたのが浅倉博士だった。

 小手調べで世界中の発電施設を過去のものとした。それと呼応するように「新しい戦争」が異星人によってもたらされた。

 確かに、今回の日本VSカナダの戦争はわずか二時間で終わり、死傷者は三四三名(しかも自衛隊員は損失わずか四名。カナダ軍に至ってはゼロだ!)、費やされた戦争資材とエネルギーはイラク戦争の一〇万分の一だった。資源節約に二酸化炭素の放出量減少その他、人類と地球にとってはいいことずくめの結果と言える。紛争が起こると先ず株価の上下に注目していたハイエナ共にはいい気味だ。

 だがしかし、新しい戦争はちっとも儲からないと気付いたのは、欧米人ばかりではない……。

 「ほかに、民の様子はどんなかね?」

 「大騒ぎですよ。巨大ロボット出現とUFO出現。どちらを優先すべきなのかマスコミさえ分からないでいる。ですがコアが出現したシーンはばっちりカメラに捉えられていましたから、みんなあの「主審」のメールを思いだしました……。カナダの降伏宣言でみんないよいよ〈ゲーム〉が始まったのだと確信しています。官房長官が二度会見しても質問や問い合わせが増える一方です」

 「これでしばらくパンとサーカスはじゅうぶんだな……」

「エー、みなさん」

 「きみは?空自の人かな?」

 「わたしは大村一佐。航空自衛隊高高度作戦司令部から来ました」

 「高高度……つまり宇宙軍団か、米国式に言えば」

 「まあそうです。わたしのほうの情報筋から報告があります。じつは12時間前、ロシアとウクライナのあいだで〈ゲーム〉形式の紛争があったようです」

 その場にいた半分が呻いた。

 その情報はこの場の発表に先立って自衛隊に知らされていた。アメリカに破壊されなかった虎の子の偵察衛星の情報だが、もちろん偵察衛星が生き残っていることを官僚に知らせたりはせず、表向きは通信衛星の傍受ということになっている。過去の手痛い教訓によって、教えたら来週には世界中に知られてしまうというのが自衛隊首脳部の信念となっていた。

 次官級なら政治家ほどとんまではないだろうが、用心に越したことはない。

 「それで……どちらが勝ったのだ?」

 「ロシアのようです」

 「くそっ」

 「これでロシアのコアはいくつになる?たしか八個目だな?」

 「アメリカと並んだな」

 「わが国ももっと外交手腕を発揮して、ゲーム以外でコアを供出してもらわんとな……でなければ、異星人と戦う栄誉はアメリカかロシアのものとなる」

 「ムウ……」官僚たちは気むずかしげに唸った。仏頂面で腕組みしたまま中を睨んでいる経済産業省の男は、さしずめ(わが国もとっととアメリカにコアをあげてしまったほうがいいのに)と思っているのか。

 与野党共々そう考えている者はけっして少なくない。来るべき第一次宇宙戦争などアメリカに任せてしまえばいい。彼らは嬉々として闘うはずだ。「ドゥームズデイ・レポート」がなければ多くの国が早々とそうしたことだろう。

 実際には、50年後に世界を滅ぼすことになる国に命運を委ねようという国はほとんど無かった。

 アメリカ人は躍起になって「ドゥームズデイ・レポート」を否定しているが、彼らも馬鹿ではない。自分たちの問題点にはもう気付いているはずだ。だから改めてアメリカに任せてみてはどうか?そんな論調を作り出そうという動きは内外にあるのだ。しかしまだ少数派ではある。

 だが代替案は?中国人には誰も期待しなかったし、ロシアも似たようなものだ。

 だからといって日本人に任せてみようと考える者もいない。相互不信。世界連邦などとうてい実現するとは思えない。

 結局はちからでもぎ取るしかない。

 政府にもうちょっと気概があれば、恫喝外交でひとつふたつのコアを獲得することもできたろうが、もちろんそんなことは一寸たりとも期待できない。

 自衛隊関係者としては「もっとがんばりましょうよ」とも言えない。たちまち危険な主戦論者として社会的に抹殺されてしまう。日本はまだまだそういう国だった。



           4


午前の授業が終わり、健太は教室をあとにした。

 購買と学食はやっているようだ。行ってみるとけっこう賑わっていた。やはり巨大ロボとUFOの話で盛り上がっている。

 健太は自らの立場を意識せざるをえなかった。会話の輪に無邪気に飛び込めないのがなんとなく悲しい。しかしいま会話に加われば、のらりくらりと調子を合わせて嘘を並べるしかなくなる。

 結局購買でハムカツロールとツナサンドを買い、自販機のイチゴ牛乳で済ませることにした。どこで食べようか思案しながら中庭を横切っていると、グラウンドに出る短い通路の壁際で礼子が待ち受けていた。

 「浅倉くん」

 「れ……若槻先生」

 「少しお話があるの。お時間大丈夫?」

 「はあ」

 先生が鍵を差しだした。「はいこれ」

 「なんすかこれ?」

 「屋上の鍵よ……鍵屋さんでスペアを作ってもらったの」

 (おお!)健太の脳内でチリンという音が再生された。アイテムゲットのSEだ。屋上に出るドアは鍵がかかっていて、普段外には出られないのだ。

 「屋上なら他に人はいないでしょう?先生先に行ってるから、こっそり上がってきてね」

 「了解っす!」健太は自分でもどうしようもないほど元気よく答えていた。若槻先生は戸惑ったような笑みを一瞬だけ浮かべると、校舎に戻った。健太は校内をぶらぶらしてなんとか三分だけ待ち、礼子のあとを追った。


 礼子先生は屋上機械室の壁際に背を持たれて待っていた。

 健太が現れると壁から身を離して小走りで近づいてきた。屋上は高い金網フェンスで囲われている。見たところフェンスに近寄らなければ姿を目撃される心配はなさそうだ。

 健太はなにやら背徳的な気分にもやもやしながらドアの鍵を閉めた。べつにやましいことはしていないのだが。むしろ職員室から鍵をくすねてちゃっかりコピーしてしまう先生のほうが大胆だ。

 「浅倉くん、こんなところに呼び出してごめんなさいね。その……例の話なのでどうすればいいのか分からなくて……」

 「ていうと……先生はやっぱり……辞めるの?」

 「えっ?……いえ、そうではないの」

 健太はなぜかホッとした。

 「やめないんですか……けっこう嫌がってたと思ったけど」

 「ああ……」礼子先生はちょっと決まり悪げに手をひらひらさせた。「そのつもりだったのよ。ねえ、どこか座れる場所ないかしら」

 見回してみると機械室の反対側の壁際に古びたベンチが置かれていた。公園か売店の店先に置いてあるような、ソフトドリンクのロゴが書かれた青い樹脂製シートのベンチだ。昔の生徒がどこからか失敬してこっそり持ち込んだのだろうか。

 「ちょっと汚れてますね」健太はポケットティシュを取り出して座面を拭いた。なんとか座れるくらいになったので二人並んで慎重に腰を下ろした。長年直射日光に曝され色あせていたが、材質は劣化していないようだ。

 「先生昼飯はすんだんですか?」

 「うん、健太くんは遠慮しないで食べて」

 「それじゃ失礼して」

 健太はイチゴ牛乳にストローを差してひとくちすすり、ツナサンドの包装を剥いて一切れ取り出し、二口で片付けた。

 礼子が話し始めた。

 「たしかに無理矢理あんなこと押しつけられて腹が立ったけど……いろいろ考えたの。それでやっぱり引き受けてみようと思って。だけど少し決まり悪くて……それで浅倉くんに話を聞いてもらおうと思ったの」

 「はあ。あの博士にしたり顔されたら嫌ですもんね」ふたつめのツナサンドを噛みながら言った。

 「分かってくれる?」先生はホッとしたように言った。

 「島本博士が苦手なんですか?」ハムカツロールの封を開け、先端にかじりついた。

 「押しが強いじゃない?人のこと見透かしたみたいに、本当はこう考えてるんでしょ?って」

 健太は苦笑した。「そうすね」

 「でも……あの人の言うとおりなのよ。わたしまんざらでもなかったなって。あの大きな戦車を動かすの、嫌じゃないなって。それにね、わたしが降りて誰か別の人に押しつけるなんてなんだか無責任だし」

 「ああ……」

 礼子先生ってけっこう責任感強いんだ。

 みんないろいろ考えてるんだ。なんだか身のすくむ思いだ。月給二十五万と聞いて浮かれ気分だった自分は浅はかだった。空になったハムカツロールの袋を丸めてツナサンドの包装と一緒に紙袋に放り込み、イチゴ牛乳の最後のひと息をすすっておなじ紙袋に押し込めた。

 今日は珍しく快晴で、ベンチから噴煙を上げる富士がくっきりと見えた。富士山をちゃんと眺めたことなんてしばらくなかった。

 「なに見ているの?ああ……富士山ね」礼子は立ち上がった。「よく見えるわねえ……このベンチを置いた人も富士山を眺めようとしたのかな」

 「かもしんないすね」

 「……あの髙荷さんもがんばってるんだし、先生もなんとかやってみようと思うの。浅倉くん、先生がへましても温かい目で見守ってよね」

 健太も立ち上がった。「ええ、はい」

 「ありがとう。それじゃあ先生これから島本博士に会いに行くね。浅倉くんも近いうちに行くんでしょう?」

 「さあ……なんにも予定伝えられてないんです」例のスマホを尻のポケットから取り出し、礼子に見せた。「これ、支給品なんですよ。エルフガインコマンドとの連絡用で。先生にも支給されると思います」

 「あらそうなの」礼子はしげしげと眺めた。「大きいわね。やだ、ふたつ持たなきゃならないのかしら。困るなあ……」 やはりあまりお気に召さないようだ。

 タイミングよくかどうか、健太のスマホが鳴り始めた。さっそくか。

 「はい、もしもし」

 『よう久遠だ。ガッコ終わったんだろ?油売ってねえでとっととこっちに出頭しろ。一三四五時までに来ねえとぶっ飛ばす』そして返事も待たずに切れた。

 「了解ですよ」健太は切れたスマホに答えた。



 健太は命令通り1時45分までにエルフガインコマンドに出頭した。

 そして2時15分には体育館の床に這いつくばっていた。

 「かっ……」ろくに息継ぎもできない。酸素を求めて喘いだ。

 「ほれほれその程度でへばってねえで、立て」

 健太は萎えた両腕を床に突っ張ってなんとか身体を起こし、立ち上がった。足が震えてふらついた。

 「まだ準備体操じゃねえか」

 久遠は舌打ち混じりに言い捨てた。竹刀を床に突き立て、その上に両腕とあごを乗せてのんびりしている。

 「こっ……」甲子園に行くんじゃねえぞ。そう言うつもりだったが声にならない。

 「しょうがねえな。ルームランナーに乗れ、軽くランニングだ」

 健太は無言で従い、のろのろと走り始めた。

 あとあと気付いたことだが、自衛隊式の体育訓練では軽いランニングが「休め」という意味らしい。

 「おまえはぜんぜん身体ができてない。無駄な贅肉をそぎ落とすまではちょっと荒っぽくしなきゃならねえんだ。ま、若いから多少無理はきく。しばらくは毎日二時間基本メニューに従ってもらう。一週間もすればもっと楽になるはずだ」

 まだ始まって20分しか過ぎてないのに二時間か……。健太はうんざりした。

 発汗スーツを着せられているので全身ずぶ濡れになっていた。久遠は背中に「どけ!陸自だ!」と大書きされた黒いジャージ姿だ。中学時代嫌っていた万年日焼けしていた日体大出身の体育教師に似ている。

 (それだけでもムカつくわ!)

 「島本博士の注文でな~兵隊はいらないんだってよ。難しい注文だ。おまえさんを命令に絶対服従する兵士に仕立てるだけなら簡単なんだがな~」

 これが『フルメタルジャケット』じゃないってのか?健太は歯を食いしばった。


 果てしなく続くと思われたトレーニングメニューが終わり、健太はようやく解放された。心身ともにぼろぼろになっていた。

 トレーニングの終わりに久遠がハンドグリップを放ってよこした。

 「そいつを握れ」

 強力なバネは片手ではとても曲げられないほどだった。健太はしばらくむきになってハンドグリップを握り続けた。


 明くる週の月曜日にも休み時間に握り続けた。

 「なにやってんの?なんだおめえ、鍛えてんのか?にあわね~」廉次が健太の机の上のハンドグリップを拾い上げた。さっそく試していたが、やはり一度も曲げられない。

 「なんだよこれ……最初からこんな強いの使うの無駄だぜ?もっと弱いのから始めるんだよ」

 身体を鍛えたことなんぞないくせにいっちょまえな意見を開陳してくれる。健太はグリップをひったくり、満身の力を込めて一度だけ曲げて見せた。それから溜息をついてすぐ机の上に放り出した。

 「な?」

 なにが「な?」なんだ。

 そのとき横から手が伸びてグリップを乱暴に拾い上げた。

 「お?」

 健太と廉次が振り返ると、髙荷マリアが立っていた。冷めた眼でグリップを眺めていた。ついで健太を見据えたが、その眼は軽く健太を嘲笑しているようだった。

 「な……なんだよ」

 マリアはグリップを片手で三回、苦もなく屈伸させてみせた。

 バネの反発で弾けさせることもなく、ゆっくりと。健太も廉次もそれを声もなく見つめていた。

 「ま、せいぜいがんばんなよ」

 そういって健太の膝にグリップを放り捨て、さっさと廊下に立ち去ってしまった。

 「くそッ……!」

 「なになにアレ?なんで髙荷が?なにがあったの?」

 「べつになにもねーよ」健太はハンドグリップをまた握り始めた。

 「べつにってさ……あの髙荷だぜ?誰とも口きかないのに」

 廉次が騒ぐのも無理はない。礼子先生と髙荷マリア。我が校の宝と言われるほどの双璧美人だ。それがこのクラスに集中しているのだからまさに奇跡と言える。かたやふんわりタイプの先生、かたや今世紀最後のスケバンと言われる女だ。髙荷からだれかに話しかけるなんてことはまず無いから、いまのは大事件なのだ。



           5

 

 健太たちが個人的な大事件に遭遇していたちょうどその頃、日本海でも本物の大事件が進行していた。

 厚木基地に新設された自動警戒管制……すなわちジャッジシステム管制センターに情報が押し寄せていた。半島に不穏な動きアリ。

 ふたつの朝鮮が統一を果たした結果、あの地域のディフェンスコンディションは格段に上がっていた。

 かの国のそうした動きが多分にパフォーマンス的であることはいつものことだ。

 〈ゲーム〉が始まったと承知していなければ自衛隊の誰も真剣には受け取らなかっただろう。だが先週のカナダの件に比べると緊迫感はやはり薄い。

 もとより、ユナイテッド・コリアもその宗主国も、海を越えて大規模陸上兵力を投入する術など持ち合わせていない……狭い日本海でさえだ。いままではせいぜい、空と海から侵犯行為といった嫌がらせ程度が関の山だった。

 しかし新しい戦争では、馬鹿げたロボットを一台送り込めばいいのだ。

 それだけが懸念すべきことであった。

当直管制官がコンソールに着いた分析官に尋ねた。

 「今度こそ本当に来ると思うか?」

 「可能性は70%です。あの国は……ここ三年ほど酷いことになっていますが、西側諸国やわが国の企業から剽窃したテクノロジーを無駄に溜め込んでいました。人民解放軍がそうしたテクノロジーを利用してそれなりの兵器を作った可能性は高いですから」

 「先週のカナダのように、今度は中国人が傀儡国を使ってわが国にちょっかいを出してくると言うことだな」

 「南韓の技術者も、人民解放軍指導下では必死になにか作るはずです……事実そうした情報はいくつか上がってますし」

 「頭に銃を突きつけられ……あるいは家族を人質に囚われか。ちょっと同情するな」

 「それで、本当にやってきたら?」

 「決まってるだろう。蹴飛ばしてやる!今度は埼玉の世話にはならん!」



二日間が何ごともなく過ぎ、健太ははやくも新しい生活に慣れ始めていた。

 学校が終わったらすぐに出頭して二時間の運動、そしてシミュレーター訓練。つらいしごきも無料で鍛錬できるのなら悪い話じゃない。呑気な性分なのでそんなふうに考え納得していた。

 それに髙荷マリアに対する自分でもよく分からない対抗意識がある。そのために夜六時から一〇時までテレビが見れなくなったが、犠牲としては自分でも意外なくらい他愛もないことだった。現実があまりにもシュール且ついっぱいいっぱいで、あれほど欠かさず見ていたバラエティ番組がちっとも面白く感じられない。

 「こんなに、身体鍛えるのは、なんでなの?やっぱ、自衛のため?」健太はスクワットしながら尋ねた。忙しいのに今日も久遠一尉直々の指導だ。

 「ちげえよ!おめえのなまくらボディを少しでも鍛えにゃ、ストライクヴァイパーのポテンシャルをじゅうぶん引き出せないの」

 「え?おれそれなりに、飛ばせてると、思ったんだけど、なあ……」

 「あのな、ストライクヴァイパーのデジタルフライバイワイヤーシステムには四段階の制限がかかってんの。第四段階は完全に無人状態専用のオーバードライブマニューバに対応してて人間が乗ってたら即死レベルだから、実質は三段階なんだが、おまえはまだたったの第一段階なの。首と腹筋をもう少し鍛えねえと、マシンの本領発揮できねえんだよ。お分かりか?」

 「な……なるほど」

 がっかりするような事実を知らされて健太は神妙な面持ちだ

 「まあ転じておまえさんの寿命に関わるんだから自衛と言えなくもねえが……よっし、今度は背筋だ、うつぶせになりな」

 健太はうつ伏せになり、頭の後ろに両手を組んで背筋を仰け反らせた。

 「そんじゃ、自衛用に、銃とかは?」

 「銃?ピストルか?」

 「そだよ」いちおう先日のカナダ兵のことも念頭にあったから、護身用になにか持たせてくれるのではと期待していた。だが久遠はまじめに取りあわなかった。

 「なにに使うんだ?むかつく先公でも射殺すんのか?」

 「違うよ!自衛用って、言ってる、だろ」

 「そんなもん役に立ちゃしねえよ。忘れろ」

 いともあっさり一蹴された。

ちぇっ!

 とはいえ健太も本気で銃を支給されるとは思っていなかった。

 (未成年だしな)

 おなじ未成年がつい最近巨大ロボット兵器を操ったのはともかく。

 久遠に言われるまでもなく、自分が銃を構えているところなどイメージできなかった。せいぜい鏡の前で構えて悦に入るくらいだろう……イメージしてみるとちょっと間抜けっぽい。ただ、射撃訓練は楽しかろうと思っただけだ。

 それも見当違いだったと近い将来思い知らされるのだが。



 夕食後には二時間のシミュレーター訓練が控えている。

 今度は島本博士の指導で、矢継ぎ早に指示が飛び口汚く罵られるところは久遠より厳しい。それもこれも、健太が死なないための訓練なのだということは分かる。

 だからといって腹立たしさは薄まらないが。

 ハードな訓練だが、油圧で動く本格シミュレーターはそれなりに面白い。

 三半規管が混乱して吐き気を催すこともあるが、我慢することだ……いずれヴァイパーの制限とやらを解除させてやる。

 久遠の話はシミュレーターによって裏付けられていた。たしかに、戦闘機というのはうっかりしたら簡単に十Gの荷重がかかり、一瞬で気を失いかねない。

 健太は音速で何度も地面に激突した。1秒間で300メートルも進んでしまうというのがどういうことなのか、ようやく理解し始めたところだ。

 仮想敵として登場する自衛隊のFー15イーグルは、健太の乗るストライクヴァイパーに遠慮なくミサイルを叩きつけてくる。アムラームを五〇発食らっても撃墜されない機体でなければ何度殉死していたことか。

 初出撃であれだけやれたというのに、訓練が進んで知識が増え、経験値が上がるにつれて、逆に自分がどんどん無能になって行く気がした。おかしな話だ!

 現実はキビしいのだ。

 それに自衛隊の航空管制は基本的に英語だ。

 米軍が引き上げて日米安保がポシャったんだから日本語でいいじゃんと思うが、国際規約というのはそう簡単に変えられないらしい。

 真琴ちゃんも奈美ちゃんも英語ぺらぺらだ。真琴ちゃんは三カ国語をマスターしているらしい。

 実奈ちゃんはメンサの会員で、島本博士より頭が良いという。健太はメンサがいかなる組織なのかさえ知らなかった。だが母親はそこで実奈をスカウトしたのだ……自分の母親が世界的な天才交流団体の会員だったとは。

 礼子先生は英語教師だし、あの髙荷でさえバイリンガルなのだ……赤点取るほどだから勉強はできないと思っていたのに、そうではなかったらしい。帰国子女で2年前までオックスフォードに住んでいたのだ。勉学がいまいちなのはそのためだという。

 なんとなく裏切られた気分だ。

 夜中にふと目覚めると、エルフガインコマンドでただひとり、自分だけが能なしなのだという恐ろしい疑念が頭をもたげ、心細さに胸が押しつぶされそうになる。

 いまの健太を突き動かしているのはその危機感と言えた。

 エリート職能集団に間違って迷い込んだなんの取り柄もない高校生……。さっさと消えろよ、という髙荷の冷笑が脳内再生される。

 健太がまだお払い箱にならないのは、ひとえに健太の母親が、なぜかエルフガインを健太専用に作っていたから、ただそれだけの理由だ。自衛隊はその事実を覆そうと躍起になっているという。健太と同等かそれに近いバイパストリプロトロン・エンジンと親和性のある人間はいずれ見つかると、島本博士でさえ認めていた。

 (ひでえ話だよな、母さん……)

 島本博士の説明によれば、エルフガイン開発初期に都合良くシミュレーターを動かし続けてくれたのが健太少年だった。それでたまたまシステム全体が健太に合わせて構築されたのだという。

 気付いたときにはもう手遅れだった。システムを万人向けに再構成する直前に母が亡くなり、残ったのが健太をそのまま本番のパイロットに据える、という案だったのだ。

 「だから健太くんが類い稀なスーパー能力の持ち主だとか、そういうありがちな話じゃないの。そんな話を期待してたとしたら申し訳ないけど」

 「ハハ、まさか、そんなマンガみたいな展開……」

 今週いちばんがっかりした話だった。



 「久遠一尉」

 背後から声をかけられ、久遠は素早く振り返り、一礼した。「天城三佐殿」

 「楽にして、久遠くん、元気?」

 陸上自衛隊内でも屈指の美貌と才媛の持ち主、天城塔子。33歳。六本木の高級ブティックで仕立て直したと噂される制服は、身体にぴったり張り付いたように見える。

 「忙しくてへたばる暇もないすよ。天城さんがここに来るとは珍しい。なんのご用で?」 「捕虜と回収されたカナダ軍の機材を引き取りに」

 「ご苦労様です。電話していただければ朝霞まで運んだのに」

 「直接自分で手配したいのよ」

 「相変わらずですねえ。ぼくも信用してくださらないんですか?」

 「忙しいんでしょ?邪魔したくないの」

 「まあ、半分は小僧をしごいてるだけなんですが」

 「浅倉健太くんね?本人はまだここにいるの?」

 「いまシミュレーター訓練中です。お会いになります?」

 「いいえ。わたしはすぐ帰るの……ところで、日本海の動きは伝わっていて?」

 「いえ……」久遠は声を潜めた。「初耳です」

 「やっぱりね……海自が張り切ってるから 」

 「ひどいなあ。ここだって自衛隊の一部なのに仲間はずれですか?」

 「なにか上陸してきたわけじゃないし、ウチだって似たようなものよ。だから仲間はずれどうしこうして情報をシェアしてあげてるんじゃないの」

 「へへへ、すんません。それで動きとはどんな?」

 「日本海沿岸にずらりとミサイルを並べているようね。潜水艦が釜山に集結中……大規模な陽動じゃないかと思うのよね……と言うことは」

 「ヴァイパーマシンが来るかもしれないと」

 天城塔子は人差し指でピストルの形を作り、その通り、というように久遠を撃つ真似をした。

 「それじゃあ行くわ。あんた、こんなところに籠もりっぱなしは身体に毒だわよ。今度暇になったらさつきも一緒にどこかで飲まない?」

 「いいすね」

 久遠は上官の後ろ姿を見送った。

 (捕虜ねえ……カナダの兵隊をどこに連れて行くんだか……)



 今日も体育訓練とシミュレーターを終え、健太は寝るまでの時間を基地内をぶらぶらして過ごしていた。

 どこになにがあるのかきっちり把握しているべきではないか、とかそれらしい理由ひねり出してはいたが、ようは子供っぽい好奇心の発露に過ぎない。なんせ「地下の巨大秘密基地」なのである。徘徊したくなるのが人情というものだ。

 基地の中は日を追うごとにわかに騒然となっているようだった。二四時間フル操業らしく、食堂も一〇人くらいのグループが入れ替わり、立ち替わり忙しげに飯をかき込んでは立ち去ってゆく。

 健太が誰なのか知ってか知らずか、ひとり目的もなくうろついていても、誰も気にしていないようだ。もっとも、エルフガインコマンドのロゴを背中にプリントしたジャンパーと安全ヘルメットを被っていたら人の判別は容易ではなかろう。地下深い基地の中はつねに肌寒いくらいの気温で、上着は必須だ。

 セキュリティー上の処置なのか、案内図のたぐいはごく少ない。それもたいていは矢印と「G6」「AS2」といった記号のみで、どんな施設がどこにあるのか行ってみなければ分からなかった。

 恐ろしく広いので、たいてい洗面所のそばに作業員待機施設が設けられていた。待機施設には自販機や毛布が備えられ、迷子になってもすぐには死なずに済む。

 そして日本の施設らしく、基地の一角に小さな神社が造られていた。

 神社と言ってもこぢんまりとした祠と小さな鳥居のある3メートル四方ほどの敷地だ。それでも明るい砂利敷きに石畳、マツの茂みに竹の柵などで異質な空間を作り出していた。水を張った黒曜石の水盤には小銭まで投げ入れられている。

 安全祈願のための神社のようで、エルフガインの勝利を祈願するためではないらしい。これもまことに日本的と言える。どこかべつに必勝祈願の祭壇もあるのか。なんにせよ、健太は祭壇に向けて手を合わせた。

 ほかに適任者が現れたとしたら、それはそれで健太に課せられた使命も消滅して、気楽な生活に戻れる。だいたい全世界の主要国を相手に戦い勝ち続けるなんて、途方もない話もいいところだ。そうしないと人類が滅ぶって?無茶苦茶すぎて信じろというほうが無理というものだ。

 それで、その誰かさんが健太と取って代わり英雄になって、健太はそれをテレビで見るのか?

 それもちょっと納得いかない……。

 功名心とか、そんなものではなかった。健太もまた男の子ということだった。

 礼子先生に「残念だけど、またいつか会おうね」などと言われたくない。そのためにはストライクヴァイパーのシートにしがみつき、悪あがきするしかないのだ。

 だが目標は果てしない高みに思え、冷静に考えれば考えるほど気力が萎えてくる。



           6


一週間があっという間に過ぎた。

 第二警戒態勢の緊張感も薄れ、健太はあれほどつらかった訓練にも慣れ始めていた。人間、余裕が生まれるとあれこれ考え始めるもので、健太も新兵が陥る危険領域に踏み込んでいた。

 ――おれなにやってんだろ……。

 今日もまたショッキングな事実を知らされた。

 健太はなぜほかのメンバーと一緒に訓練しないのか?そんな疑問を何気なく口にしたのだ。久遠の答えは素っ気なかった。ほかのメンバーは健太のレベルを一年以上まえにクリアしている。

 若槻先生?彼女は別だ。戦車は操縦が簡単だからな。

 つまり、健太はいま補習授業中ということだった。

 そうなると、館の中で真琴ちゃんたちと滅多にかち合わないことまでが健太の疑心暗鬼に油を注いだ。避けられてるんじゃないか、一人前になるまでまともに声をかける価値もないと思われてるのか……自分が病原菌にでもなった気分だ。

 むなしさと脱力感と相変わらずの無力感。実家に帰れない心細さも重なり、健太の心は殺伐とした荒野をあてどなくさ迷っていた。ふたたび眠れない夜を悶々と過ごし、土曜日には一一時まで寝過ごしていた。

 健太は人が信念と呼ぶものを見つけられずにいた。要するにブレていた。

 それに加えて、自 家 発 電 ができない。

 環境が変わり、ホテル住まいのような生活がこれからずっと続くのだ。しかも隣には中学生の女の子。

 こんな状況でシコれるわけないじゃん!

 無駄に元気な高校二年生にとってそれは切実な事態ではあった。

 毎夜寝しなになるとそれで頭がいっぱいになり、仕方ないので疲れにまかせて早々と寝てしまう。その結果睡眠時間だけは増大して夜中に目が覚めてしまう。そして人生全般について考え込む、という悪循環が形成されつつあった。

 過酷な運動のおかげで身体的にはここ数年間でもっとも健全になっているにもかかわらず、それがかえって精神の空回りに拍車をかけている。

 真琴ちゃんや実奈ちゃんの存在もなんら救いにならない。祖父の話では、エッチな妄想と恋愛は似て非なるものなのだという。それぞれ心の異なる部分に関わるものなのだそうだ。

 要するに妄想とは相手を記号化することから始まる。相手の人格や人間性は考慮されない。

 「いじめと同じじゃな」

 それに対して恋とか付き合いというものは相手の人格を認め、理解することで始まる。

 なるほど、短い間だが真琴や実奈とお喋りすることで健太は相手を知り、その結果妄想の対象にできなくなった。そんなことより理解を深め合うことのほうがずっと楽しかった……健太はいままでぴんとこなかった祖父の話をついに実感した。

 だがいまの健太を救う足しにはならない。

 (むしろ人格を理解した上で妄想の対象にできたら、もっと楽しい人生の一面が切り開けるんじゃね?)

 健太はそんなヤバイ考えを弄ぶほど追い詰められていた。試しに真琴ちゃんの素肌のいい匂いや恥じらうようにふくらみかけた胸のかたちを想像してみる……

 健太はたちまち自己嫌悪に打ちひしがれた。

 「うがーっ!」ベッドにうつ伏せに倒れ込み、しばしのたうち回った。

 (いくら何でもマズい!マズいっすよ……)

 浅倉健太は基本的に小市民であった。

 うかうかしているとこの先ずっと「いいひと」と言われ続けてしまう。

 自分自身そのことにはうすうす感づいていて、まわりじゅう女の子に囲まれ、漠然となにかしなければ、結果を出さなければという焦燥感に駆られていた。

 だがそのまわりの女の子とはすなわち美魔女(天才)、十歳年上の女教師(高嶺の花)、可愛げのない同級生(とっかかり皆無)、年下の妹みたいな子ふたり(健太より大人びて健太より戦闘力の高い女の子と天才エスパー)。

 取り柄のない健太がどんなパフォーマンスを演じようと、帰ってくるのはちょっと同情的な笑みだけだろう。

 健太は自分の土俵からかけ離れた場所に放り込まれ、混乱しているのだ。張り切れば張り切るほど空回りしているような気がする。

 要するに悲しいくらいオスの本能に振り回されているのだった。


 ベッドにうつ伏せてグッタリしていると、ふとささやかな思いつきが頭に浮かんだ。

 (いっぺん帰っちゃおうか)

 誰にもなにも告げず祖父母の家に帰る。あのくだらないスマホを切って半日ほど寝る。誰が騒ぎ出そうが知ったことか。

 ささやかな反乱計画が魅力的に思えた。


 身支度して階段を下り、玄関をあとにした。誰にも会わず、見送られもしない。屋敷の駐車場の奥にひっそり作られた屋根付きの二輪車駐車スペースに向かい、愛車のママチャリを押して玄関前にふたたび戻った。

 (しばしお別れだ)

 やや破れかぶれな開放感を噛みしめながらママチャリにまたがった。

 そのとき屋敷の門から大型トラックがこちらに向かってくるのが見えた。引っ越し業者の配送車だ。

 健太は自転車から降り、トラックが噴水を迂回して玄関前に止まるまで眺めていた。

 (新しい住人か)

 なんとも間の悪い新参者の登場に立ち去るタイミングを逸して躊躇していると、背後の玄関から真琴と実奈ちゃんが出てきてしまった。

 「あれ、健太お兄ちゃんお出かけ?」

 「ああ……うん、それよかさ、また誰か来るのかな?」

 「そうだよ!あ、アレじゃない?」実奈がぴょんと跳び上がって門を指さした。

 実奈が指し示したほうに目を向け、健太は我が目を疑った。

 見慣れた軽のハイブリッドがやってくるではないか!

 「あの車まさか」

 「若槻先生ですね。今日引っ越してくると島本博士が言ってました」

 (マジっすか!?)

 健太が呆然と突っ立っている前で軽が停車して、私服姿の礼子が降り立った。初めて見るジーンズとボーダーTシャツというラフな格好だ。サンダルをつっかけ、頭に手ぬぐいを巻いている。

 「あら実奈ちゃん!二階堂さんに浅倉くんまで。みんなでお出迎えしてくれたの?」

 「健太お兄ちゃんはお出か――」

 「いやいやいや!べつにどこ行くわけでもないんだ!せっかく先生来たんだから引っ越しの荷物運ぶの手伝うよ」

 実奈は早口でまくし立てた健太を不思議そうに見上げたが、健太は努めて無視した。

 「本当?助かるわ。荷物けっこう多いのよね」


 こうして、健太のささやかな反乱はあっけなく未遂に終わった。


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