3 健太、敵地に赴く
健太はアメリカに出かけた。
当初健太は躊躇したが、マリーアに無理矢理引っ張って行かれたのだ。
敗戦後のアメリカ合衆国がどうなったか……まあ知らないで済ませるのは無理だろう。落ち目になっても世界の中心だった国であり、没落したらしたで世界のあらゆる面に影響を及ぼす……もちろん日本にもだ。
西はサンアンドレアス断層の巨大な裂け目に海水が流れ込んで塩湖になり、カリフォルニア帝国との再併合も遅々として進んでいない。東はハリケーンと水位の上昇による水没でやはり大変そうだった。
アルドリッチ・タイボルトは生きていた。しかし〈ゲーム〉終了翌日に罷免され、身柄を拘束された。重度の心神耗弱状態で入院しているという。
独断で日本に核攻撃を命じ、実際に6,000基のICBMを発射した。それだけでも大逆(だれにとってか、というのは議論の余地がある)だが、ほかにも人類抹殺をもくろむ異星人と結託していたことで告発されていた。
アメリカ人はこの告発が妥当かという議論を1年以上続けていた。
しかし世界は以前ほどアメリカに関心を持たなくなっていた。ほかでいろいろ有り過ぎたからだ。
まずは軌道エレベーター計画が前倒しされていた。タンガロロボットの普及と、メイフラワー号による大量人員輸送が可能になったため、計画全体が加速したためだ。
各国のAI研究機関は開発した大規模プロセッサーを(比喩的に)斧で叩き壊した。もちろん〈悪い異星人/ナンバーズ〉の残り滓がメモリーの隅に残っている可能性を心配したためだ。気の早い人間の多くがスマートフォンやパソコンを破棄した。いずれも代替品となり得るタンガロロボットがあったので、そうした運動は盛んだった。
惑星サンクチュアリの牢獄から解放された異星人の幽霊、そのうち地球の素材で肉体を復元可能な幾種類かが、人類の協力によって復活を果たした。高度なバイオテクノロジー技術との引き替えだった。
そうして復活した鯨星人が人類を脇に置いて、海棲哺乳類たちとコンタクトを始めた。
ある面でこれが人類をもっとも戦慄せしめたニュースだった。
この一報に関して、なかば恐慌状態の記者からコメントを求められた近衛実奈博士はひとこと「ふーんそう」と返し、それきり関心を失った。
そのコメントを補完するようにバチカンが声明を発表した。
「世界の皆様、みだりに恐れおののくのを避けてください。我々は謙虚に受けとめ、経過を静観すべきでしょう」
その呼びかけに従ったのは半数に満たなかった。
「鯨を殺すのをやめろ!海洋汚染もいますぐやめろ!」
かつて無くヒステリックな抗議が世界各地で上がり、日本やノルウェーが叩かれた……もちろん、今度ばかりは捕鯨国も慌てていっさいの調査捕鯨中止を決定し、各国は違法操業船を片端から拿捕した。続いて鯨星人の活動にいっさい介入せず、接近を禁じる法案が各国で決定された……。
だが政治的大勝利の歓喜に酔う反捕鯨団体の団長はその法案を無視した。ボートで鯨星人に近づき、贖罪と対話要請のメッセージをメガホンでがなり続けた。
すると鯨星人は、イルカとの交流を妨害したその男を食ってしまった。
この教訓的な出来事は、人類の立ち位置と謙虚さについて大いなる熟考を促した。
健太が北米に上陸したときはそんな調子で、鯨星人の件で袋叩きにあうものと覚悟していた。そうでなくてもアメリカを破った張本人である。日本の外交筋からも渡米は控えてほしいと懇願されていた。
ところが意外にも、健太は歓迎されたのである。
赤絨毯に花束というのではないが、とにかくあからさまな敵意や殺人予告はなかった。
健太はアメリカを正々堂々打ち破った……勝者には一定の敬意を払うお国柄なのだ。敵を矮小化するのは彼ら自身が惨めになる。だから健太は強力なライバルだったと納得して、平静に敗北を受け入れた。
そう解説したのはあの元民間宇宙開発会社CEOだ。歓迎委員会のメンバーはみんな、メイフラワー号でつかの間運命をともにした人たちだった。政府が関わることはなかった。健太自身民間人だから妥当な線だった。
「わたしもメイフラワー号でご一緒したかったですわ!」
五日間の航海は伝説化していた。
「ミス・ストラディバリ、メイフラワーには乗れますよ。いまだって馬鹿騒ぎが続いてます」
「いまはどこにいるんです?」
「月軌道の遙か向こう。〈スミカ〉の軌道修正作業に携わっている……終わったら火星にテスト航海に出かけると思う」
〈スミカ〉とは軌道エレベーターのアンカーに使う小惑星のことだ。メイフラワー号命名のときは健太も抵抗したが、今回は親類全員にお伺いを立てた結果、折れた。
当初はタクティカルオービットリンクの超高出力レーザー(別名・エルフガインサンダー)で小惑星を小突き、気長に軌道修正する予定だった。しかしメイフラワー号でみーにゃんの反重力ミラーを持ち込めるようになったので、自由落下に頼らない軌道変更と減速が可能になったのだ。
タイボルト降板後、民主党の新大統領が誕生して、合衆国政府は世界じゅうに平謝りしながら国内立て直しに忙殺されていた。
6,000基のICBM……25,000発の核弾頭を世界じゅうにばらまき、その破片は太平洋に落下するか、いまだに低軌道をデブリとなって漂っている。アメリカはその事後処理と損害賠償で財政破綻寸前だ。とは言えそれを商売にしてしまうのがアメリカ人のしたたかさであった。彼らはオセアニア連合に大幅リードされた宇宙産業に追いつこうと必死になっていた。
それに浅倉/島本/近衛実奈がもたらした先進テクノロジーを呑み込むのに30年は必要、と目されていた。
エルフガインとタンガロロボットのために開発された千あまりの特許技術は、じつは申請さえされていなかったのだ。それはつまり、目先の利益に鼻のきくアメリカ人にとっては、大儲けのチャンスがゴロゴロ転がっているということだった。
「気前がいい、としか言えないね。きみの母上はそれを公共利益のために使ってほしいと願ったのだ。ただしひとつひとつの基礎理論を習得するだけでも相当な根気がいる。やれるものならやってみろと言わんばかりだ」
健太は頷いた。「そうみたいですね。アメリカ、ヨーロッパ、インド、新華国……世界じゅうで企業が研究に取りかかっているって聞いています」最後に付け加えた。「おれの国以外ね」
元CEOは苦笑した。
「きみの国は相変わらずだよな。最高学府に属した権威から認知されなければ、どんな優れた業績も存在していないことになっちゃうんだから。まあそのうち変わるだろう……」確信を欠いた口調だった。浅倉澄佳博士はずいぶん前から日本を見限っていた、というのが昨今の世界的な見解であり、知らぬは日本人ばかり……というのが実情である。
「ええ、だけど損失をいくらか食い止めるためにおれは会社立ち上げましたよ」
「ホッホー」もとCEOは真顔になって腕を組んだ。「興味深い話だ。あとでじっくり聞かせてもらおうか」
カナダに親戚がいる元CEOはオンタリオ湖畔に立派な別荘を持っていた。それで観光は健太がイメージしていたベガスやオレゴンとは趣が違ったが、それでもボストンやシカゴといった、名前は知っている場所には行った。
ワシントンDCではアーリントン国立墓地に赴き、真新しい追悼石碑に献花した。日本でこういうものが作られた、という話はまだ聞かない。
そしてニューヨーク……エルファイブ独立自治区の地球連邦宣言が大まじめに議論されている旧国連本部ビルに招かれ、マスコミから、いつ第1代地球皇帝に就くのかと冗談めいた質問を受けた。
健太はそこで意外な人物と遭遇した。
小湊総一郎と……天城塔子――現在は小湊塔子夫人だ。
小湊代議士は〈ゲーム〉終了と同時に政界から引退した。与野党の半数の政治家が同じ道を辿ったので特別話題にはならなかったが、新国連事務官に就任したのは彼だけだ。一部週刊誌が【有望な次世代リーダー謎の都落ち】と残念がっていた。
健太にとってはかつての敵……健太を殺そうとした男だった。
健太の立場からすればほかにも数々の悪行を重ねた人物だったが、それらは闇に葬られ、不問に処された。そして塔子によれば、彼は悔い改め、誓ったとおり社会的立場を捨てた。その際には新しい日本にとって百害あって一利なしという人間100人あまりをを脅し、まとめて道連れにした。
彼は現在浅倉澄佳派の絶対支持に回っている。
ならば健太も納得するまでだ。釈然とはしないものの、世の中はそんな状態で放置しなければならぬ、という事柄がたくさんあった。
夫は多忙なため、塔子夫人が健太たちを迎えた。
「ハイ健太くん、マリーアもお久しぶり、元気そうね」
「おかげさんで」
塔子は髪を伸ばし、物腰も柔らかくなっていた。それにベビーカーを押している。
「あら可愛いベイビー!」マリーアは屈み込んで指先をにぎにぎさせた。
「そういえば若槻先生も結婚したそうね?お相手は会社の若社長さんだとか……」
「ええ」健太は苦笑した。「結局礼子先生も年上が好みだったらしくて……一時期マスコミに大注目されて、教職を続け辛くなったときに熱烈なプロポーズ受けたそうです。来年早々赤ちゃんが生まれるそうですよ」
「ステキねえ!これでさつきが久遠くんの子供産んだら、一度集まりたいところだわ」
「はは、そっちのほうはどうなのかなぁ……」
「久遠くんも思いきったものね。やめてしまうなんて……まあさつきはお金持ちだから、一生養ってもらえるでしょうけど」塔子はぐずり始めた赤ちゃんを抱き上げて揺すりながら言った。「松坂さんは残ったのにね……お父さん陸将補になったんですって?すごいわね」
「ええまあ、人手不足だったとかで……それに再婚前提で交際中でして」
「あらそうなの!お父さんに結婚式には出席したいって伝えておいてね」
「お相手も再婚なんで式を挙げるのか分かりませんけど、伝えておきますよ」




