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終末ロボ エルフガイン  作者: さからいようし
ゲーム 第3ラウンド
24/37

第24話 『みんな仲良く……』

抜けがないようチェックするのに時間の大半を使ってます。おかげでまた遅れてしまいました。ごめんなさい!

                 1


 健太たちエルフガインチームが地球――アフリカ大陸のタンガロ共和国に帰還して4日間が経過していた。

 その4日間というものは国賓級待遇だった。

 タンガロ首都を敵ロボのカミカゼアタックから守ったのだから当然なのかもしれないが、歓待されるほうとしては転移先のテント生活との落差があまりにも激しく、当惑するばかりだ。

 日本大使館で滞在手続きを済ませた健太たち一行は、首都ジャベスタの真新しいリゾート施設に案内された。

 タンガロ共和国は文字通り新興国で、高級ホテルや観光施設は存在しない……現在開発中なのだ。リゾート施設は外交上必要のため外国要人むけに造られたもので、南国風の広い庭園に2階建てのコロニアル式ホテル施設と、独立したバンガローで構成されていた。都市部に近い緩やかな山裾で周囲には陸軍駐屯地があり、頼もしいロボットが警備しているのでセキュリティーも万全だ。

 庭園内に離れて点在するバンガローは居心地良かった。しかし使ったのは寝るときだけ。

 1日目は煩雑な手続きが重なり、ろくに骨休めもできなかった。

 まあ、のんびりしている暇がないのは、健太もすぐに理解した。

 

 日本国内はいまたいへんな騒ぎが起きていて、健太たちは政府からしばらく帰ってくるなと公式に通達された。

 島本博士は身柄を拘束されたという。これが懸念その1。

 

真夜中……健太はバンガローのコテージに出て安楽椅子にからだを預けた。

 高台に位置するここからは首都が一望できる。

 近代的な街の向こうには〈ヴァンガード1〉が横たわっていた。幾筋ものサーチライトに照らされた船体が幻惑的な白い姿を夜に浮き上がらせていた。

 サンクチュアリから健太たちが連れ帰った26000人は法的な立場が決まらないままとりあえず難民扱いとされた。彼らはいまもヴァンガード船内にいるが、タンガロ製ロボット同伴で外出は許可されていた。

 彼らも当惑している。

 半数以上は南米に帰りたいと望んでいた。そして亡命希望者が1割ほど。残りは態度を保留しているという。サンクチュアリで過ごした年月が長いほど、迷うらしい。

 タンガロロボットがアメリカ製の恐ろしいいとことは違う、という事実に納得できない者も大勢いる。

 とにかく、巨大宇宙船の居心地もまた快適だという。事実上の捕虜収容所だとしても不満を言うものはいまのところ居ない。


 そしてアメリカ政府はただちにわが国の財産であるヴァンガード1を返還するよう、タンガロ、日本両政府に強く要請している。これが懸念その2。


 二日めはパーティー三昧だった。国家元首との朝食会に始まり、タンガロ製ロボット製造元であるアフロテック社主催の昼食会、そして夜もまた歓迎祝賀会に勲章授与式、健太の母親の銅像を背にして記念撮影etc……要人との接見もひっきりなし。なんど握手したことか。

 みーにゃんはヴァンガード船内に籠もりきりになり、マリアは御堂さくら隊長に会いに行った。

 礼子先生はイディナ・メンデスと仲良くなり、人手不足の日本大使館と難民のパイプ役を買って出ていた。突如亡命希望者数千人を抱えて大使館は殺人的な人手不足だったので、事態を見かねた自衛隊員(帰還命令をのらりくらりと独自解釈して残り続けている100名ほど)までがボランティアとして参加していた。

 その自衛隊……タンガロ防衛軍派遣顧問団には、健太の父親、松坂耕介二等陸佐も含まれていた。

 (父ちゃんも英語話せたのか……!)軽くショッキングな事実。

 というわけで、なにもすることのない健太と真琴が残された。

 まこちゃんは健太の通訳を買って出た。おかげでパーティー三昧もなんとか乗り切れたと言える。

 日本国内の騒動はニュースになっていたため、タンガロ側も気を遣ってくれていた。我々はエルフガインコマンドと島本さつき博士を全面的に支持している。日本政府はアメリカの恫喝外交に揺さぶられているが、いずれ冷静になるはずだ……。



 それから三日目だ。

 首都は世界じゅうから詰めかけた科学者とマスコミでたいへんな騒ぎになった。

 もちろん目当てはヴァンガード1だった。

 アメリカの猛抗議にかかわらず、すべての情報はオープンソースとされたため、アジア=オセアニア同盟並びに日本とタンガロ共和国と国交のあるすべての国から人が押し寄せた。

 〈日本の高名な若き天才近衛実奈(13)を中心とした調査チームが組織され……〉これはニュースの見出し。

 健太が初めてヴァンガード1船内を訪れたのは、最初の騒ぎがようやく落ち着いた頃だった。

 おもにヨーロッパのマスコミ関係者がさんざん騒ぎ立てたすえ、タンガロ政府からヴァンガード船内に宿泊しても良いと許可され、急に静かになったのだ。市内にはじゅうぶんな宿泊施設がなかったから、苦肉の策だった。船内にはさらに5000人が加わっても余裕があった。

 まあそのおかげで彼らは好きなだけ取材を敢行できて、〈惑星サンクチュアリ〉で奴隷労働させられていた人たちから話を引き出し、貴重なスマホの動画まで入手して、世界じゅうに配信した。


 都市部郊外……将来的な都市拡張を見込んだ造成地に野次馬がひしめき合い、そこにずらりと屋台が建ち並び……船とその周辺はまさしくお祭り騒ぎだった。〈宇宙人の船〉あるいは〈アメリカ製の箱舟〉を一目見ようと集まった群衆は10万人とも50万人とも言われていた。ろくに着陸装置もなく昇降ハッチだけを接地させて特大の飛行船のように地上に横たわる姿は、控えめに言っても驚異的な光景だ。民族衣装で踊っている集団もたくさんいてサンバカーニバル状態だった。

 おまけに、船のかたわらにはエルフガインとナーガインが歩哨のようにそびえ立っている。それだけでもちょっとした見物なのだ。


 そんななかをリムジンに乗って進むと、ぱっくり口を開けた船底ハッチにそのまま乗り入れた。

 さすがに一般人の船内流入は規制していろ。

 本格的な狂乱状態に陥らずに済んでいたのは、警備員がほぼロボットだったためだ。いちばん騒いでいた外国人はその事実に気付いて少なからず驚愕した。

 それをきっかけとして、ここがスーパー未来都市なのだと気づきはじめた。彼らはアフリカの途上国にありがちな行政の滞りや意図的な妨害、いやがらせを一切経験せず、異常に物わかりがよく協力的で知的な兵隊に案内され、つぎにその兵隊がロボットだと知らされた。

 先日の大規模戦闘が無人兵器同士の戦いだったというのは彼らも知っていた。同じ型のロボットがイスラエルを支援して日本で物議を醸しているというのも知っていた。だがタンガロロボットはヨーロッパにはあまり普及していない。

 それが人間そっくりだというのは、直に会ってみないと分からなかったのだ。


 野球ができそうなくらい広い船倉にはたくさんの自動車が駐車されていた。

 ヴァンガードの船内はいっけん、黒っぽい半透明ガラスのような素材でできていて、エレベーターらしきゴンドラが上下する様子がうっすら見通せた。

 健太と真琴は関西の国立大学から来たという若い女性研究者に案内され、〈選抜チーム〉が占拠したヴァンガード第一コントロールルーム……つまり〈ブリッジ〉に上がった。

 〈選抜チーム〉とはつまり、近衛実奈の頭脳になんとか着いていける科学者70名あまりのことだ。

 「選抜テストにパスできたの、日本からはあたしと、あと一人だけだったんだよねー」

 Tシャツにジーンズにサンダル、化粧っ気のないおさげ髪の井上さんはそういってせせら笑った。

 「まったく情けないったら。CERNから来た連中に「おまえらはなんでミス近衛に博士号を与えないんだ!」ってまじめに叱られちゃった。日本の大学に行ってないからなんて言えないじゃない?三年も前にカリフォルニア工科大学に留学してたってのにさ」

 健太は、みーにゃんが留学していたことも、博士号を持っていないことも知らなかった。名誉博士号を授与される前に世界鎖国が起こって、みーにゃんは帰国を余儀なくされたのだ。

 しかも健太の母と島本博士の弟子と見なされたため、おもだった日本の学会からハブられ続けた。反重力理論研究が認められ……それが莫大なカネになると企業に認められ、ようやく大先生がたも認めざるをえなくなったが、それさえも浅倉財団の鉄壁な庇護によって成果を横取りする隙がなかったのでしぶしぶと……という有様だった。

 「大先生たちはいい気味よ」

 門戸はなかば閉ざされたのに、科学者はどんどん集まっているという。閉め出された連中も悲観することなく下で待機していた。オープンソースというしきたりは徹底していたので研究内容はすべて配布される。なにか思いつけば誰でも上に呼ばれる。そのシステムに不平を漏らすものはいない……本当に難しい研究なので、よほど自信がなければ二の足を踏むからだ。

 天文学に工学、天体物理学、数学、物理学、ほかにもいろいろ……おかげでいまではここが世界最高学府だよ、と井上さんは言った。

 そして広いブリッジはイノベーション……とびきりの科学発展の場に特有の浮き足だった雰囲気……躁病的な陽気さに支配されていた。健太たちが船内を進むあいだにも紙の束を振って叫びながら走り去るひげ面の若い白人と、まったく同じ様子のおじいさんを見た。若いほうは判で押したようにTシャツと安物のデニム、年配者はツイードのズボンにシャツと蝶ネクタイ、そしてほぼ全員眼鏡をかけていた。

 みーにゃんは熱気に満ちた一団に囲まれ、円形のテーブルに向かっていた。まるでハリウッド映画から抜け出したようなメカメカしいテーブル上にホログラムが浮かび上がっていた。

 「あ、健太くん!おねーちゃん!」

 みーにゃんが叫ぶと、科学者の一団が揃ってこちらを向いた。

 「あ、あのひとはエルフガインのパイロット、浅倉博士の息子さんでーす!」

 「オォ!」

 「ドクター浅倉の息子さんか……」

 三人ほどの科学者が健太と固い握手を交わし、心の籠もったお悔やみの言葉を述べた。健太はなんとか「サンキュー、サー」とか礼を述べた。だが相手は超絶頭の良い科学者集団なので、気の利いた社交辞令も思いつかない。

 「お邪魔でしょうから、おれたちはこれで……」

 「そんなことはないよ!そうだ、コーヒータイムにしようじゃないかミス近衛?我々は脳味噌を使い過ぎて疲れた」

 「そういえばおなか減ったねー。ピザ食べよう」

 それで科学者たちは解散して、いくつかのグループに分かれて各々持ち寄ったディレクターズチェアや木箱に座り込み、ディスカッションをはじめた……結局休みになってない。

 「あんたたちもピザ食べて。この船の万能調理器特製だよ」井上さんが悪戯っぽく言った。

 「材料は神のみぞ知る」誰かが言い、笑いが起きた。

 2分と待たず一ダースほどもピザが配達された。どうやら難民たちがそういう面の世話を買って出ているようだ。ちゃんと箱に入っている熱々のラージピザだった。有名なチェーン店のロゴまで模していたが、名前は「ピザトレック」。

 実奈ちゃんのグループには6名の科学者が寄り合っていた。ひとりふたりは「ディスカバリーチャンネル」で見た人だった。同席を許された井上さんは恍惚とした表情を浮かべていた。

 「この箱舟はキャデラックだな」ピザとコーラを味わいながらひとりが言った。「選ばれし民が道中快適に過ごせるよう、至れり尽くせりだ……」

 「タイボルトは何人連れて行くつもりだったのか、分かった?」

 「ざっと計算してみたが、五万人なら高級ホテル並……最大限なら12万人収容可能だ」

 「12万人……」健太は言った。「たったそれだけ?」

 ディスカバリーチャンネルの人は重々しく頷いた。

 「きみの母上にケツを蹴飛ばされて、我々は眼が醒めた……すべて手遅れになる直前だ。まことに、幸いだった」

 「うちの母とはお知り合いだったんですか?」

 「ここにいる数人がね、残りは手紙を受け取った。……だれだ?調理システムいじった奴は!」

 べつのグループの誰かが言った。「ミラノ風ですよ博士!アメリカ人はちゃんとしたチーズの味も知らないんだから……」

 「けしからん!……それはともかく、我々も日本で起きていることは懸念している。島本博士には早く復帰してもらわねば」

 「おれたちもニュースしか知らされてないんです。日本はこの船をアメリカに返しかけてるみたいですけど……」

 日本がアメリカの恫喝に負けてこの船を返却すると、島本博士も地位を失うことになる……そして日本政府は欺瞞だらけの不毛な「和平会談」に臨むことになる。

 「わたしも元アメリカ市民だが、それには断固反対する。この船は全人類の宝だ。あの愚かな大統領の私物にはできないよ」

 「おれ、サンクチュアリであの大統領と会ったんです」

 みなからだを乗り出した。いやに熱心な顔だと思ったが、ひとりが言った。

 「そう、きみたちはべつの惑星に行ったんだ!それからブラックホールを間近に見たんだったね……?」そう言う科学者の眼はきらきらしていた。

 (なるほど、その道の人にとっては得難い経験をおれはしたんだ)

 「はい。知ってるでしょうけど、あいつは異星人と手を組んで、あいつ自身のアンドロイド軍団を量産していました。実奈ちゃんは、タイボルト大統領が組んだ異星人は「悪い宇宙人」だと言ってます……」

 「それは聞いた。まあ言い方は適切さを欠くと思うが、バイパストリプロトロンを人類にもたらした異星人とはべつの意図を持った勢力が存在する、という仮説は認めざるをえない……」

 「ホントに悪い奴らなんらって」みーにゃんがピザをかじりながら言った。「異星人さんたちが言ってたんらもん」

 その場に座した科学者がはたと手を止めた。

 「どの……異星人が、言ったのかね?」

 「デジタル状態でドームに保存されてた異星人大勢だよ!」

 ぽかんとしているみなに向かってみーにゃんが言い添えた。

 「あれ、言ってなかった?」


 それでまた大騒ぎになった。


 「ごめーん!忙しすぎて言い忘れてた」

 「それで!?その異星人はいまどこにいるんすか!?」血眼になった10名くらいに詰め寄られてさすがのみーにゃんもたじたじだ。

 「エルフガインのなか。バイパストリプロトロンコアにみんな潜り込んでる」

 「たいへんだ!」何人かが頭を抱えた。「異星人専門家……暗号専門家……言語学者……それから……」

 「生物学!」

 「AI専門家も!」

 「それ全部、100人くらい呼んでこい!」

 健太はそろそろと立ち上がってみーにゃんにいとまを告げた。

 「なんか大変そうだから、おれらは帰るよ。あんまり無理するなよ?」

 「うん、でも良かったよー、大事なこと思い出せて」


 帰りの道中でまこちゃんがクスクス笑った。

 「実奈ちゃんでもうっかりするのね」

 「科学者ってそんなイメージあるよ。きっと考え事が多すぎなんだ」

 この数日間で健太と真琴は自然に手を繋ぐようになっていた。というのも、タキシード着用の正式スタイルパーティーでは、男性が女性をエスコートするのが普通だからだ。アポロン型ロボットもつねに護衛についていたが、健太はこと通訳に関しては真琴に頼っていたから、だいたい横にいた。

 それに彼女は独自ルートの連絡網を日本と結んでいた。それで兄貴から日本国内の動向を逐一報告してもらっていた。

 日本は日増しに状況が悪化し続けていた。



 四日目を迎えるとお祭り騒ぎは街中に広がった。近頃再編された国境なき記者団を中心とした新聞テレビの取材班がヴァンガードの外に出て走り回っていた。

 首都ジャベスタはニュース種の宝庫だった。

 それにアメリカ大統領がタンガロ共和国政府を名指しで恫喝している真っ最中だ。

 タイボルト大統領ははっきり宣言した。

 「わが国の資産である宇宙船を返還し、先日の警察行動に対する損害賠償と全面降伏を要求する。回答期限は五日。期限を過ぎたらICBMによる核攻撃によって、まず〈ヴァンガード1〉を破壊する」

 対して記者団代表はこう宣言した。

 「我々は核が炸裂するまで留まり取材を続ける」

 あっぱれな態度だと言わざるをえない。


 行事が終わったので、健太と真琴はアポロン同伴で街をぶらついた。すっかり有名人になってしまったので街行く人の大半が挨拶してくる。

 それにマスコミの取材もたびたび。煩わしいが、そう思うのは日本人らしい外国人恐怖症で二の足を踏むからだ。まこちゃんにやんわりいさめられて健太は取材に応じた。結局アポロンのおかげで6カ国ぐらいの言葉に対応する羽目になった。

 

 日本人、そしてあの「エルフガイン」の少年は首都に留まっている。彼は核攻撃を気に病んでいない。彼は五月にも北朝鮮の核攻撃を防いだ。日本で起きていることは大変憂慮している。


 そんな程度のニュースが流れた。

 結果はフィフティ=フィフティ。

 ジャベスタではさらに友達を増やし、同盟国の偉い人からから賛辞のメッセージが届いた。

 それから大使館に呼び出されてケチョンケチョンに罵倒された。


 「きみはなんの権限があって勝手なことを言っている!?この大事な時にどれほど迷惑をかけるのか、無責任にも程があるじゃないか!きみは本来なら拘束されてもおかしくないんだぞ!?」


 しかし罵倒の数々は空虚で、健太の頭には一㎜も響かなかった。

 その大使館は退去指示が下され、帰国準備の真っ最中だった。

 礼子先生がいると思っていたから、健太は当惑して尋ねた。

 「亡命希望の人たちはどこに行ったんです?」

 腹を立てていた大使館員は得々と喋った。「彼らはあの宇宙船に帰ってもらったよ!手続きはそちらでやってもらうしかない。大使館は閉鎖される。法的権限のないボランティアは解散させた」

 あとは知らん、というわけか。(ひでえ話……)と思ったが言っても無駄だ。

 応接間には大手マスコミのロゴ入りバッグを足元に置いた一団がソファーにふんぞり返り、煙草をイライラ吹かしながら、通り過ぎる健太たちを睨んだ。どうも同国人から嫌われているらしい……なぜなのかうすうす見当は付くが、詳しく知りたいとも思わなかった。

 

 外に出ると、記者の腕章を着けたみすぼらしい恰好の日本人男性がひとり、待ち構えていた。ずんぐりした身体に大きなカメラバッグとリュックを背負い、顔は30代に見えたが髪はほぼ白髪だ。

 「あんたは帰国しないんですか?」

 「へへ、日本はわし以外全員帰るんだって。じゃけんひとりくらい日本人が残らんとカッコつかんがね……わしフリーだし」

 「核ミサイルまで残ると?」

 「そらそうよ!いちど生で見たかったんよね、キノコ雲」

 「不謹慎です……」まこちゃんが怒った顔で言った。

 「ミサイルなんか降らせないですよ」

 「お?それ記事にしていい?」

 「構わないッスよ。いまさっき勝手なこと言うなって説教されたばかりだ。もうひと言追加してもいいや」

 「いいね~!わし週刊誌だし売れないと記事にならんけど。写真、いい?」



 騒ぎのきっかけは島本博士がエルフガインを使って米国を挑発したことにある。

 これで日本国内の「穏健派」がキレた。穏健派というのは反浅倉主義の保守と国防マフィアと呼ばれる官民共同体である。

 「一科学者の暴走、核戦争手前まで!」「許しがたい暴挙!」「米国、日本政府に説明要求!」

 そんな見出しが躍った。

 それに加えてロボット導入反対を掲げ一定の支持を受けた新野党連合、この期に及んでも「とにかく話し合いで」と繰り返す善意のインテリ層、テレビと新聞など旧メディアの8割、人権弁護士、○○を許さない会全部などなど……夏のクーデターで一掃したかに思われた、足を引っ張るしか能のない連中の生き残り……

 それがすべて敵に回った。

 彼らはアメリカの大激怒に恐れをなし、「ゲーム」もなにもかも放り出して「日米主導による世界秩序再編」という、タイボルト大統領が投げて寄越したエサに食いつこうとしていた。

 真琴の兄である亮三さんによれば、それら「反対派」がなにに反対しているのかぶっちゃけるならば

 「女(島本博士)の主導なんぞ絶対許さない」

 の一言に尽きるそうだ。それに抵抗できるなら、どんなに筋の通った考え方も投げ捨てる勢いなのだという。

 (餓鬼の癇癪だ)健太は思った。旧支配層のタマネギの皮を剥いて剥いて、最後に現れたのがそれだ。

 伝統的なアジア的男尊女卑社会……「女性の進出」という概念なんて本質的には理解できず、カタチだけ欧米に追従しつつ弄んでいた社会が、極限まで締め付けられ、ついに噴出した醜い本音。

 哀しいことだが、男である故に難しい理屈抜きで直感できる話だった。

 大事なのは個々人の能力なのに、大きな括りで十把一絡げにしようとする。そういうのは絶対うまくいかないけど面倒だからそうなる。それでずいぶん損していてもやめようとしない。巨大なる思考停止の壁だ。

 彼らは島本博士を魔女裁判で火あぶりに処そうとしている。


 もちろんその勢力に対する批判もかつてなく、世論は真っ二つに分断していた。


 「それじたい珍しいことです……普段の日本は右が1割、左が1割、声の大きいその人たちを眺めるグレーゾーンの人が大半、というのが普通です」

 健太は頷いた。

 「だよな。だけど亮三さんの話だと、今回は完全に二派に分かれてるようだ」

 構図は明らかだ。

 かつてネット右翼と呼ばれていた連中が、ついに「信念」なるものを獲得したのだ。彼らの武器はタンガロ製ロボットだ。どんなときでも正論を述べてしまう超頭脳明晰なロボットとの対話によって理論武装している。

 これはスカイプでクラスメイトの国元廉次と話し合った時にも実感したことだった。挨拶もソコソコに廉次は健太になにを成すべきか蕩々と語り、健太には少々能弁すぎるように聞こえたが、筋は通っていたので反論は控えた。

 スーパー知性に依存してしまう感覚は健太にも分かった。そして反対派はそれを麻薬か有害物質に例えて痛烈に批判しはじめた。

 要するに、パソコンが普及したときと同じだ。新しいモノが社会に導入されるたびに巻き起こる議論が繰り返されている。

 つまり「変化についていけない人間VS順応できる人間」「回帰VS変革」「老人VS若者」という分かりやすい対立構造。

 ただし今回は変化が大きすぎてかつ急激なため、大騒ぎに発展しただけ。

 (そう考えると他愛もない……)

 長い眼で見れば、負けるのは必ず保守派だ。

 そうでなければテレビもパソコンもケータイも存在していなかったろう。


 健太はタンガロ大統領府前の広場に立てられた母親の銅像を思いだした。

 数カ国のテレビレポーターが彼女が誰で、どんな功績を残したのか紹介していた。健太たちが眺めていると、めざとい記者に見つかってたちまち囲まれてしまった。

 「なぜ日本国内ではなくここアフリカに?」とフランスのレポーターに質問されて、健太は答えられなかった。



 そんなわけでいまは滞在四日めの夜。

 コテージから見下ろす首都は煌々と明かりが灯り、カーニバルの喧噪が微かに聞こえてくる。

 (くたびれた……)

 あまりにも大勢の人と突き合わされ、慣れない質問にたどたどしく答え、自分が自分でなくなってゆくような……

 そう、公の場に出るということは、自分を殺してほかの誰かがイメージした別人を演じるようなものだった。しかも会う連中の半数以上は「こいつが英雄?」みたいないぶかしげな目つきだ。

 (見た目でがっかりされたって知るもんかよ……)

 結局だれもかれも自分の見たいものを見て、現実がそれに沿わなければ勝手にストーリーを作り上げるのか。マスコミに対応して、その結果彼らが報道する内容を比べてみた印象はそんな感じだ。

 まえに実奈ちゃんがぼやいていたマスコミ不信が身にしみる。

 そうやって不満を覚えつつ、彼らが勝手に紡ぎ出すイメージに乗っかれば良いじゃないか、という打算的な考えもある。そういう狡さに身を委ねるのが大人なのかもしれないが、なにか自分が汚れていくような気分が拭えない。

 (好き勝手に祭り上げられてさらなる活躍を期待されるなんぞまっぴらだ……おれも大概だ!たった一日でこなれて気の利いた口利きやがってこのお調子者!)

 イライラする。なぜ自分はこうも自己嫌悪しているのか。

 (だれもホントの俺を知らない!……ッてあれ?くそっ!なんだその屁みたいなフレーズ)

 月並みで俗っぽいことしか考えられない自分に腹が立った。

 (インタビュー受けてるアスリートってなんであんなにポジティブなん?)

 それとも、やっぱり悩むこともあるのか?あるよな?

 (わかんねえな……なんと簡単そうなことまで謎なことか)

 「ああもう!」

 健太は膝を叩いて立ち上がった。

 スマホで番号を確かめた。

 (海外だけど通じるんかな……)かけてみると呼び出し音が聞こえた。間もなく相手が出た。

 『よお健太』

 「や、やあ父ちゃん……えーと、ちょっといいかな」

 

 

 すぐに直接会おう、ということになった。

 父親は全身黒ずくめで健太のバンガローに現れた。玄関ロビーを通ったとは思えなかった。松坂耕介二等陸佐は特殊部隊の隊長で、黒ずくめで腰にでかいナイフまで差した姿は、いわば正装のようなものだ。

 父親の宿泊所は隣接した陸軍駐屯地にあったが、自衛隊員という立場上、エルフガイン関係者である健太に会うのも慎重なのだ。

 それでもとにかく、駆けつけてくれた。

 「どうした、息子よ?」

 「父ちゃん、おれ日本に帰らないと」

 耕介は腕組みして黙り込んだ。それからぽつりと言った。

 「そうか」

 「それだけ?」

 「まあ……絶対ダメだと言うのがおれの役目なんだが、言っても無駄な気がする」

 健太は面食らったまま頷いた。親らしい言葉をくどくど言わないのは松坂家の血なのだろうか。

 「……しかしおまえ、分かってんだろうな?エルフガインごと日本に帰っても島本博士のためになるか……それどころかたちまち差し押さえ食らって、良くてお払い箱という展開もあり得る。じっさい、かなり厳しい立場だぞ」

 「それでも構わないとおれは思ってる。文句言ってくる奴らには勝手にしろ!って言ってやる」

 「久遠も天城さんも当てにできるか分からん。みんな後ろ暗い微妙な立場だからな」

 「おれはどうでもいい」それからすこし口ごもった。「ああその……いざって時、礼子先生たちの安全だけなんとかなれば……」

 「そのへんは二階堂のお嬢さん関係がなんとかしてくれそうな気がする――不本意だが、いざとなればおまえの爺様に頼むし……」

 健太はその意見に賛成だった。「なら行くだけだ」

 「覚悟はできてるんだな?」

 「覚悟なんてそんな大層なもんねえけど、すぐぶっ殺されるわけじゃないし……」

 「このまえの夏、あやうくぶっ殺されそうになってたようだが?」

 「それ言ったら敵と対戦するたびにそうだ!」

 耕介はにんまり笑った。

 「よくよく考えてるんだな。……まあ、生きてりゃなんとかなるくらいの構えなら良かろう。――でも正直、パパは事前に相談してもらえて嬉しいよ」

 「なんだよ気持ちわる。とりあえずひと声かけるのが筋って思っただけだ……」

 「照れんなや」

 「照れてねーよ!」

 耕介は頷いた。「じゃ、行ってこい!」



             2


 話し合いはまず船内の科学者と始まった。

 健太はまこちゃんの翻訳の助けを借りて考えを説明した。高校生の戯れ言なんか真剣に受けとめられるのか……焦りで額に汗がにじむ。

 2時間後には難民代表も交え、タンガロ政府代表団と記者が加わった。議論は夜までつづき……使命を終えた健太は満足していた。少なくともまじめに検討されている。あとは結論を待つだけだ。

 法律専門家がいくつか意見を言い、船の所有権に関する見解が固まった。

 明くる日の朝にタンガロ政府首脳が記者会見を開き、長々と説明したが、要するにヴァンガード1は出発することが決まった、ということだった。

 

〈ヴァンガード1〉は激しい議論の末〈アーク二世〉を退けて〈メイフラワー号〉と改名された。多分にアメリカ的だが彼らの注意を引く名前なのが重要だ。(アサクラスミカ)も有力候補だったが健太が丁重に断った。


 それで二日後、独立国家を宣言したメイフラワー号は出発した。

 進路を南米に向けた。

 難民全員に加えて、タンガロ共和国代表団と記者団がオブザーバーとして乗り込み、エルフガインを船底貨物室に収め、総勢3万人。

 まっ白な船体の上面には赤いペンキで巨大な×が「タイボルト、ここだ!」というメッセージとともに描かれた。衛星からじゅうぶん見える大きさだ。

 船はわずか10時間でチリ南端に到着して、希望者二万五千人あまりを下船させた。


 新たな乗船希望者は三万人以上集まっていた。

 「あらかじめ予告していたとは言え、数時間でよくもまあ揃ったものだ」ディスカバリーチャンネルの人が言った。

 「全員乗せるのか?彼らは意味が分かってるんだろうか?」

 「誓約書にサインさせます」健太は「入植希望書類」と呼ばれていた紙切れを振った。

 誰かが「参加資格を設定すべき……」と言いかけたとたん実奈に却下された。

 「年齢性別人種その他差別なしで、来るものは拒まず!」

 その結果、妊婦がふたり、子連れが50組、ターバンを巻いた人が30人あまり、いぬ三頭とネコ一匹、スーパーヒーロー(のコスプレイヤー)一名、ヴェイダー卿とトルーパー、身障者12人が参加した。車椅子の人間が三人、ひとりは寝たきりで専用救急車ごと乗船した。

 「この航海に参加すると51%の確率で死亡する可能性があります」「この船は独立自治領であり、一時的に先進国基準の法律に従って統治されているが、既存の保険契約はいっさい適用されない可能性があります」とかなりはっきり明記されているのだが、みんな入り口でサイン済みの用紙を渡してどんどんハッチを昇ってきた。

 28人の人間がタンガロの警備ロボットにスパイと見破られてひと悶着あったが、驚いたことに実奈は武装解除された彼らに「まだ乗る気ある?」と尋ねた。さらに驚くべきだがそのうち4人が乗船を選んだ。

 南米諸国はともかくカナダ、イタリア、ドイツ、フランス、インド、サウジ、オーストラリア、フィリピンに台湾……日本人とアメリカ人までいた。

 子供や妊婦まで乗せてしまったことに気をやむ大人の男性は多かったが、人道上の非難を浴びることと差別からスタートすることを比較するのは難しかった。


 物好きな連中には科学者のほかにセレブもたくさん含まれていた。民間宇宙開発会社の元CEOである有名な人物は、専用のブロードキャスティング部隊を引き連れ、あらゆるメディア配信を組織化しはじめた。メイフラワー号になにが必要なのかよくよく理解している人間が、いっちょ手を貸すかという心意気で集まっていた。

 一般人と見なされている人々も、大半は冒険好きやUFOマニア、SF作家といった数奇者のようだ。みんな自分の命を担保にしている。


 メイフラワー号はアメリカの攻撃部隊が追いつく前に再出発した。

 太平洋を横切り、いまは一路日本を目指している。

 高度3万メートルを飛翔しているから米軍戦闘機は攻撃できなかった。どのみち、中途半端な攻撃は役に立たないと米軍も判断したようだ。ミサイル一発飛んでこなかった。


 とは言え、ただちに停船せよ、日本に行くな!という脅迫混じりの通信はひっきりなしだ。それも日米両国から。

 いたずらに相手を警戒させないよう、メイフラワー号はゆっくり動いていた。

 ゼロタイムには硫黄島沖に到着する予定だと伝えていたが、「もったいぶってないで東京に来い!」というメッセージも大量に舞い込んでいた。それらのほとんどが友好的だった。

 「ジャパンにもロック魂があるな」

 アメリカを捨てて参加した元CEOが言った。

 彼は軌道エレベーター事業の煽りで自社株が暴落し破産していたが「ビジネスではよくあることさ」と恨みもなく、きわめて事務的で陽気な人物だった。

 それに押しが強いアメリカ人らしくこの船の「首脳部」にもすぐに当たりを付け、ご意見番として食い込んできた。

 タイボルトの「箱舟」船内を隅々まで精査して毒を含んだニュースを世界配信していて、すでに一億ドルほど取り戻していた。

 「科学者先生の解説も大事だが、幸いメイフラワーにはシガニィとマットが紛れ込んでいて……ウィットに富んだライブショウを披露してくれている。ほかの連中も協力的でね、ガガさんの呼びかけで「ウィアーザワールド」並の盛り上がりになりそうだ」

 セレブたちは財産も持ち込まず家族も引き連れていなかった。着の身着のままで駆けつけたのだ。

 だからこそ「保身のため箱舟に乗りたかっただけなんじゃないか?」という非難も向けられずに済んだ。まあ「乗りたかっただけ」という部分はある意味正解なのだが、歴史的瞬間に立ち会わねばなるまい、という妙な義務感ゆえだった。野次馬の拡大版と言えばそれまでだが、人によっては200万円も費やして駆けつけている。



   * * * * * * * * * * *


 クリスマスシーズンを迎えた東京は静まりかえっていた。

 まだ戒厳令施行の噂が流れただけなのだが、連日寒暖差20℃の異常気象も手伝って人々は外に出たがらない。

 警察機動隊と自衛隊総勢二万人が街を警備中で、朝9時でも人の姿もまばらだった。車道も空いている。

 経済は事実上麻痺していた。

 霞ヶ関、日比谷、有明だけがデモでごった返していた。

 100万人越えのデモだ。あまりにも規模が大きくて取り締まり側の規制も消極的だった。

 (これが日本だとは……)

 黒塗りの政府専用車から外を眺めながら天城塔子は思った。

 いまのところ投石略奪放火の報告はない。迷惑行為と言えばせいぜい路上を散らかしている程度だ。

 ただしネットを通じて、不気味な脅迫めいた文言が絶え間なく投稿されていた。

 「標的リスト」に名を連ねているのはおもだった政府官僚、野党議員、財界人、タレント、などなど……具体的な「罪状」と居住地まで明記され、あまりにも悪質なので警察が血眼で取り締まっていた。

 しかしリストは国民の3割に共有されている。

 巧妙な情報戦術はおそらくタケル型ロボットの支援によるものではないか……なんの具体的証拠もなくそんな見解が広まっていた。ある意味それは正解だ。

 もちろんロボットが焚きつけて反対派を抹殺しようとしているとか、SFホラーじみた話ではない。偉いさんたちはその説をなかば信じかけているが、それは彼ら自身の尊大な自己評価の裏返しと言えた。

 (彼らは理解していない……国民が憎んでいるのは「理屈抜きでロボットを忌み嫌うタイプの人」なのに)

 憎まれているのはこの国を十年前に戻そうとしている人たちだ。その構造を社会的に読み解いたのが無限の忍耐と比較分析力を持ったロボットだったに過ぎない。いわば自分のハードディスクに溜まった情報を整理してユーザーに説明できるパソコンだ。

 その結果がいまの状況だ。

 ロボットたちはユーザーに危険行為をやめるよう忠告する。だからみんな注意深くなって軽率な暴力行為に及ばない。いやがらせ電話さえなかった。

 これがかえって政府を震え上がらせた。昔の左翼過激派のような目立ちたがりの素人ではなく、本物のクーデター勢力が育っているのではないか?

 その「彼ら」が刻一刻と変化する「リスト」を造り出したのだ……。

 疑心暗鬼に陥った愚かな人たちは、あのメイフラワー号が日本に向かっていると聞いたとたんパニックになり、情報統制を敷いた。

 耳障りな意見を述べる官僚をつぎつぎと首にした。

 それから見せしめに市民を1500人ほど身柄拘束した。

 懐疑論者をスキャンダルに陥れて社会的に抹殺しようとした。

 島本博士とエルフガインパイロット五名を「国家に対する重大な造反行為」のかどで告発した。

 およそ考えつくかぎりの悪手をすべてやってしまったと言える。

 

 「天城くん」

 塔子はうしろの席に首を向けた。小湊総一郎議員がひとり座っている。彼は政府支給のスマートフォンを見ていた。

 「決まった……18時から翌朝6時まで時限執行……言い方は避けているが事実上の戒厳令だ。一時間後に官房長官が記者会見を開いて発表する」

 塔子は溜息をついた。「これで違反者は即刻逮捕ですね……」

 「脅しになると思っているんだろうな……じっさいは百万人をはるかに超えた怒れる市民VS警察三万人だ。流血沙汰は避けられず……そして押し切られるだろう」小湊議員は口をつぐんで外を眺め、呟いた「馬鹿な奴らだ」

 「自衛隊は……」

 「西川本部長が解任される見込みだ。彼はタクティカルオービットリンク停止に抵抗し続け、陸上自衛隊の都内展開にも反対している……」小湊議員はスマホを背広の懐にしまった。「これで首脳部に常識人はいなくなる」

 小湊総一郎はつい先日防衛大臣を解任されていた。

 (タクティカルオービットリンクが切られる……!)

 そうなったらエルフガインは例の「必殺武器」を使えなくなる。それはすなわち、アメリカの核兵器がふたたび有効になるという意味だ。

 核兵器アレルギーが昂じて自国防衛の意味も分からなくなってしまった政府が、「アフリカで大量殺戮兵器を使ったな!?」というアメリカの非難にあっさり折れてしまった。

 政治力学とはまこと奇妙な代物だ。統治者の意志薄弱でスーパー防衛兵器も役立たずのガラクタになる。

 エルフガインサンダーの一斉射によって侵攻作戦は阻止され、327人が死傷した。

 いずれも民間軍事会社の社員……傭兵のごろつきだ。しかも彼らはアフリカに軍事侵攻中で、アフリカじゅうで無差別攻撃を繰り返していたのだ。死んで当然のクズどもだが、日本政府もマスコミも「いわれのない犠牲者」と言う表現を突きつけられたとたん哀れなくらい萎縮してしまった。

 それに先だって島本博士はエルフガインにアメリカ大陸を飛び越える弾道飛行をさせた。

 それも大勢の逆鱗に触れた。

 彼女は背水の陣を敷いただけだ。いわば日本人全員に覚悟を決めさせるために、どれほど日本が優位なのかアピールして見せた。

 しかし残念ながらその真意は伝わらなかった。政府はアメリカとの直接対決という重圧に耐えきれず講話に走った。勝てる見込みが高かった「ゲーム」を放り出したのだ。

 これに国民は大激怒した。

 政府は現実に目を背けて、何もなかったかのように事態を収拾しようとしている。

 タクティカルオービットリンクを無効にしたということは、島本さつきを犠牲にすることも厭わないだろう。



              3


 世界じゅうが健太たちを注目していた。

 船内ではタンガロ共和国以来の馬鹿騒ぎが続いていた。

 自ら人間の盾を買って出た者どうし、温かい連帯感が生じている。ただし「誰も大麻とマリファナを余分に持ち込まなかったのか!?」と一部で文句が上がったが。

 異星人と宗教観と人種問題と人類の行く末について興味深い議論が交わされた。面白いのですぐに公開討論のかたちで世界配信され、冗談なのか本気なのか分かりかねるディスカッションが続いた。

 全乗組員の名簿も作成され、公開された。タンガロロボットは優秀な国勢調査員で、制作には10分もかからなかった。

 ムスリムのほぼ全員が「わたしはイスラム教徒だが乗ってもいいのか?」と丁寧に尋ねた。それに対して乗船担当者(白人清教徒)は「船長は日本人の女の子ですけど、差し障りあります?」と返したという。

 「それって笑い話なの?」健太は尋ねた。

 「言ったのはあのロボットなんだ」元CEOは言った。「わたしはコメントしかねる」


 加えて、エルフガインのなかに潜んでいた異星人の幽霊ともコンタクトが取れそうだった。

 コンタクトチームは300人以上に膨れあがり、最優先で取り組むべき課題とされた。

 「ミサイルなんかよりずっとずっとずーっと重要なんだ!!」

 ある作家が主張した。あながち極端とも言えない。タイボルトと組んだ異星人に滅ぼされた種族がスポークスマンになれば……その影響はちょっと計り知れない、と誰もが考えた。

 大勢がみーにゃんの導きで異星人と霊的な触れあいを果たしていた。つまりテレパシーだ。

 アンデスから「呼ばれた」というヒッピーみたいな女性がもっともじょうずにコンタクトを達成して、異星人の数は718種と報告した。その形態も詳しく。アーカイブに収められていたのは異星人のみならず、滅ぼされた惑星の生態系を含んでいた。その星系の位置もだ。

 だがデジタルデータに過ぎないそれらを、誰にも理解可能なかたちでビジュアライズするのは別問題だ。誰かがオープンワールドRPGに例えていた。

 「超大容量で難易度最高ゲームが718本あるようなもんで……攻略には一本あたり千人の専門家が必要だ。ところがプレイするための専用ゲーム機がそもそも無い……」

 とてつもなく未来的なインターフェイスが必要だ、ということだった。

 「未来的?それってこの船だろ?」

 誰かが言って、また船のシステムをひっくり返す家捜しがはじまった。


 船の前半分には大きな展望窓がたくさんあって、丸みが分かるほどの高度から眺める地球の景色を堪能できた。

 見本市会場のエントランスホールじみた展望フロアは船の形に添って数百メートルも幅がある。人の姿は比較的まばらだ。

 雰囲気抜群なのでふたりだけになりたいカップルが何組か、ベンチシートで寄り添っていた。それと数人のジョガーがランニングしていた。

 ここで健太はエルフガインメンバーと合流した。忙しいみーにゃんを除いても、四人が集まるのは久々だった。

 タンガロ共和国以来、礼子先生はずいぶん様変わりしていた。すこし短めにした髪を膨らませてワイルドな感じだ。突然増えた海外のお友達にレクチャーされたのだという。

 マリアはブラックのジャージ姿で、あいかわらずマイペースだ。

 「先生、女優にでもなるの……?」

 「やめて!レセプションに参加させられるたびにスタイリストにいじられて、わたしちょっとヘコんだんだから」

 (でもキレイです)健太は内心思った。

 メイフラワー号船内の動画配信は絶好調だが、あえて言えば日本向けのコンテンツが圧倒的に不足していた。ちょうど、日本国内大手がようやく重い腰を上げて番組を買いたいと申し出てきたところだったので、元CEOが白羽の矢を立てたのが礼子先生だった。

 専門的すぎて健太には意味不明なマスコミ指標があって、タンガロ共和国のニュースにしばしば登場していた礼子先生の株が上がっていたのだという。

 それで急遽礼子先生がホストの解説番組が作られ、健太には法外と思える額で売りに出された。

 「なるべく高く売るんだ。そのほうが買い手の真剣みも増す」

 それが功を奏したのか、NHKが即座に落札してゴールデンタイムに放送した。

 「あの美女はいったい誰なのか!?」視聴率45%を叩きだした国内反響の大半がそれだった。

「出演料聞いてびっくりしちゃった。先生お金持ちよ!」ただし日本に帰れればだけど……と笑って付け加えた。健太はどうにか称賛コメントを吐き出したものの、腹筋の細胞が全部死んだような虚脱感を覚えた。

 「健太くんもちょっと成長したと思わない?」

 礼子先生はまこちゃんに聞いていた。だが真琴が答える前にマリアが言った。

 「ああ、こいつも出ずっぱりだもん」

 「そっそんなことねーよ……てかおまえだけ逃げ回ってなんにもしてねーじゃん!」

 「してたってば!あたしだって大変だったんだよ?日本の電話インタビューがムカつく内容ばっかりだったのあんた知ってる?」

 「え?そうなの?」

 「この大事な時にさ、あの惑星でどんな生活してたんですか?ってそればっかりしつこく聞いてくんのよ?信じらんないでしょ!アタマきたからさいごは死ねよバカって言ってやった!」

 「え~……?」

 どんな趣旨なのか想像はついた。いまごろ週刊誌にあること無いこと書かれてるに違いない。あるいは昼の番組で図解入りで紹介されてるか……。

 マリアは清々した顔で肩をすくめた。

 「というわけでー、あたしたち健太くんとすんごい生活送ったことになってると思うから覚悟してね!」

 「あらまあ……」

 「ごめんな、短気なおねーさんのせいで」健太が言うと、真琴はこくりと頷いて恥ずかしそうに下を向いた。

 「まこも災難だ……健太の通訳やらされてさ。バイト代請求しな。ね?」

 「はい」

 もちろん、まこちゃんが健太とずっと同行していることは知られてしまっている。それで健太もなかば開き直った。

 「それにしても、健太くんたいへんな旅始めちゃったわよね」

 「すんません、巻き込んじゃって」

 「ほかに選択肢はありませんでした」

 「全面降伏以外はね……でもそんなのできない相談だし」

 「実奈ちゃんは大丈夫?無理してない?」

 「いちばん楽しんでそうですけどね……」

 あと一日ちょっとで死ぬかもしれない……エルフガインが核ミサイルを阻止可能なのはタイボルト大統領も承知していることだろうが、それはタクティカルオービットリンクが切られていなければ、だ。

 米国にたいして「誠実さ」を示すため日本政府がノーガードを決め込めば、そういうこともあり得た。

 スマホの呼び出しが鳴った。マリアのだ。

 「珍しい、実奈から呼び出しだ……用があるって」

 「なんだろ。ただ事じゃねえな」

 「ちょっと行ってくる」

 マリアが行ってしまうと先生も立ち上がった。

 「さて、先生は勇気を出してローマ大浴場を試してみようかな」

 「え!?あそこ混浴じゃ……」

 「もちろん水着です!ヨーロッパ人のお友達になんども誘われて断れないのよ……ほら、向こうはヌー……ナントカビーチとかおおらかだから……」

 「おれたちも行こっか……?」健太は呆然としたまま思わず言った。

 「え?け・健太くん行きたいなら……」まこちゃんが消え入りそうな声で言った。

 「べべつに先生だってその、か、構わないけど?」


 その気になれば船内の全員が個室を持てたが、プライバシイにこだわっていたのはごく少数だった。それよりも船内のあちこちで行われているイベントに参加するのに夢中だ。通信システムが拡充され、誰もが国の家族や友人と話し合ったり、SNSや動画サイトの更新に使っていた。

 通信自由だからCIAによる脅迫、といった話はあった。家族を人質に取られ協力を迫られたのだ。メイフラワー側はその事実を白日に晒すという対抗手段を取った。不思議なことにそれで解決し、以降脅迫はパタリと止まった。

 (タンガロロボットが暴れてるな)健太は思った。

 彼らは世界中に潜伏している。おそらく、アメリカ本土にもひそかに上陸している……なんせ海を泳いで渡れるのだ。名前と住所さえ告げれば、守護天使が駆けつけて救出してくれるのだろう。

 どのみち何人かそうして裏切らせたとしても、効果的な破壊活動は無理だった。船内には銃も爆弾もない。船はどうやったら破壊できるのか見当も付かない素材とテクノロジーの塊だ。そして1200体のアポロンが守っている。

 乗船を許可された例のアメリカ側スパイも果敢に妨害工作を試みたが、面が割れているので役には立たなかった。「よう、ジャック・バウアー!」とか「自爆装置は見つかったか?」と言われ、いまは消極的な情報のやりとりに終始していた。噂ではしたたかに酔っぱらってくだを巻き、アポロンにカウンセリングを施されているという……。


 贅沢に造られた船なのでレクリエーション施設は充実している。だだっ広いホールがいくつかあり、世界から届いた映像を上演したり討論会を催したり、あとは単純に馬鹿騒ぎしていた。

 そして〈ローマ風呂〉だ。

 タイボルト大統領がどんな楽園をイメージしていたのか、最もよく理解できそうな施設だ。オリンピックプール並の広さだが、白いローマ風の柱と黒タイルの不規則な段差で全体が見通せない複雑な構造になっていて、四角い凹みにさまざまな温度の水が張られている。プールは水底のライトで鮮やかなブルーに煌めいていた。

 タイボルトが例の〈ナイトプールパーティー〉で楽しくやろうと画策していたのは明らかだ。まあじっさい、いまもそのように使われている。

 船内はすべてそうだったが、空調の気配は感じられないのにどこからともなく生じた微風が空気をつねに攪拌していて、高い天井にプラネタリウム的な夜を映し出しだすと、屋外と錯覚しそうだ。


 礼子先生は、大胆なカットのワンピース水着姿でプールサイドに座っていた。

 (ガウォッ!)それに尽きた。

 「やっやっぱり見ちゃダメ」健太にガン見されて先生は膝を抱えた。

 (いや屈んでもおしりがほぼ全部見えてんですけど)

 とは言えせっかくのご厚意である。健太は気力を振り絞って顔を背け、ザバザバプールに分け入った。(じろじろ見すぎて逃げられたらもったいないから盗み見しよう)

 どうも近所にまともな水着は売っていないようだ。プールサイドにはスパンコールのドレス姿の女性からほとんど全部丸出しまでさまざま……老若男女問わずというのがアレだが。

 (いや~眼福……)

 健太の対岸には若い白人女性がプールサイドに両腕をかけて寄りかかっていた。水に揺らめく首から下はなにも身につけていないようだが、全方位に「なんか文句ある?」と言わんばかりの顔を向けていた。

 (なんかこの一週間でいちばん社会経験積んでる気がする……)

 あれほどナマで見たかった異性の裸が、いまや見放題……いざそんな状況に放り込まれてみると、なんと他愛のない。

 さりげなさを装って礼子先生のほうを見ると、やはり大胆な格好した同年代のお友達に手を引っ張られてバーカウンターに向かっていた。


 先生は別の世界に行こうとしている……健太もついに認めた。

 たった一日で、エルフガインを巡る人間関係が国内マスコミ最大の関心事となっていた。きっかけは先生だ。

 健太は元CEOに詰問した。

 「世界じゅうがもっと大事なことに目を向けてんのに、これでいいんすか!?」

 「いいんだ、大成功だ!日本はタンガロ共和国の軍事侵攻さえろくに報道してなかった。エルフガインに関することは無視するよう官民で示し合わせていたようなんだ。独裁者が圧政を敷いているわけでもないのまこと日本的で妙ちくりんだが、我々はついに風穴を開けた!国民は芋づる式に世界に目を向けざる得なくなるよ」

 元CEOによると、日本の大手マスコミはメイフラワー号に記者を送り込まなかったことを深く後悔している。そうしていれば情報は無料で手に入ったのだ。


 『いま話題沸騰中の若槻礼子さんはなんと高校の英語教師!そして衝撃的事実!彼女はエルフガインパイロットで、あの浅倉博士の息子と一緒に戦っていた。

 そして私生活では彼の担任だった……!』


 ワイドショーの見出しに健太はひねくれた満足感を噛みしめた。まともに関心を持っていれば何ヶ月もまえに知り得たことをいまさら「告発」している。

 (せいぜい吠えてくれ)


 目の隅に魚が泳ぐような動きを認めて振りかえると、水中から真琴が浮かび上がった。

 「まこ!」

 まこちゃんも水着だ……白いワンピースが素肌に張り付き……陸上選手なみに引き締まった小柄な肢体が必要以上に露わだ。

 「まっまこちゃん、すごく可愛いよ、でもそれちょっと……」

 「健太くんなら……」大胆なひと言を言いかけて真琴は俯いてしまった。

 (そう言われてもなんだ……)当惑して周りを見渡したものの、誰も無関心のようだ。

 「とっとりあえずおれの前から離れんな」

 「なんで……?」

 「ほかのヤツには見せない!」

 真琴は微笑み、健太の胸にぴったり身を寄せた。

 そのとたん、全身が心地良くゆるんでいった。

 この数日間で初めて肩の力が抜け、我ながらどれほど気を張っていたかに気付いた。

 (なんかアロマセラピー的な……)

 女の子に超接近されてどぎまぎしたことは何度かあったが、安らぎを覚えたのは初めてだった。

 「まこ……」

 「ン?」

 「なんで……その」

 「健太くん無理してるの分かってるから――先生もよ。だからその……」

 「……ありがとな」

 健太は精一杯真心こめて言った。伝わっているのかは分からない……いざとなると言葉なんてもどかしいばかりだ。

 なかば途方に暮れていると、ふと眼が合った向かいの女性が健太にニヤッと笑いかけ、サムアップした。



 「わずか4日で滅んだ国家の例はあるかね?」

 「古代中国で二年しか保たなかった国があったような……」

 「9日女王ジェーン・グレイ」

 「おそらくたった一日で滅んだ国もあったでしょうね。しかし記録に残るだろうという点ではこの……メイフラワーが最短でしょうな」

 「ありがたいねえ。歴史に名が残るよ。四万人程度ならウィキペディアに全員記載できるから」

 「そんなタイタニックに例えるみたいなのやめましょうよ!吹っ飛ばされると決まったわけじゃないし」

 「でもそのほうが劇的だ……」

 「我々が生け贄のひつじとなり、かくて人類は贖罪しみんな仲良く手を繋ぐと?いささかナイーブと言わざるをえないわね」

 「英国人はこれだから……こういうややこしい時だからこそベタなシナリオが必要なんですよ。癒しです」

 「マット、きみはどうせ映画化を狙ってるんだろ?」

 「もちろん、もう脚本は書き始めてる。主人公を白人少年にすべきかどうかでエージェントと揉めてるよ」

 みんな笑った。

 三千人をいちどに収容できる食堂もつねにごった返していた。万能調理システムは誰もが興味津々で、性能の限界を試す試み(というかなかば悪戯)に挑戦する者はあとを絶たない。

 こんなツアーに参加したがるような人間はおおむね社交性豊かで、みんなどんどん知り合いになってゆくようだ。

 健太たちはしばしば代表グループ(5つぐらいの「自称代表」がかたちを成していて「我こそが内閣なり!」「すっこんでろ!」という陽気な応酬を続けていた)の席に招かれた。そして英語が喋れなくてこれほど残念だと思ったことはなかった。

 とは言えかれこれ一週間も外国で生活すると、なにを言ってるのかぼんやり理解できるようになっていた。

 まこちゃんのおかげだ。ネイティブと会話するたびに意味不明な単語を繰り返し教えてくれたのだ。これでなにも覚えられなかったら本物の脳たりんだろう。

 うしろから声をかけられて「ナイストゥーミートゥー」と自然に口をついて出た時は、自分にびっくりした。ここ最近は脳味噌がフル回転してるのが自分でも分かった。

 相手はマットだった。

 「サインください」とどうやって切り出そうか悶々としていたので、心底びっくりした。

 しかも逆に「サインして欲しいんだが」と言われたのだ。

 「あの、どうしておれなんか……?」

 「だってきみはあの〈ボルトロン〉のパイロットだろ?ぼくの友達は一人残らず羨ましがるから、あとで一緒にインスタしてくれないか?」

 それで差し出された手帳に震える手でサインした。日本語と英語で。エルフガインパイロットと署名した。サインももらった。いくつか作品名をあげてファンだと伝えると、喜んでくれたようだ。


 みーにゃんは事実上メイフラワーの女王だ。頭脳明晰で謙虚、しかもエルフガインパイロットのひとりとして「国」の防衛を担っているとなれば、異論は無かろう。誰もが意見を求め、報告するのが当たり前になっていた。

 「ミス近衛、このドタバタ騒ぎが終わったらどうするんです?」

 「うん、火星か木星って意見が割れてるねぇ」

 同席者から「オー」と溜息が漏れた。

 「はい!ぼくが船長ね!」マットが立ち上がって挙手した。「この船は猿でも操れるって分かってるんだ!ぼくなら経験者だし」

 「おっけー」実奈がピストルのかたちにした手でマットを指した。

 「ちょっまてよ!きみ火星に行った時は、たしか植物学者だ」

 「その理論だとシガニィのほうが資格がある」

 「わたしは宇宙船とかエイリアンはお腹いっぱい!もう結構だわ」

 「決めた」みんなが笑ったあとで元CEOが言った。「わたしは今後いっさい下船を拒否する。この船が木星に行くまで住み続けるぞ。10万人も乗れるんだ。わたしと家内くらい乗せても構わんだろ?」

 「ひとまず火星だ。ミス近衛、テスト航海はそれでいいですよね?」

 「うーん……まだ理論値だけど、火星な7日、木星なら20日で行けるみたいだよ」

 「そんなに早く!?」

 ときどき何気ない調子で新事実を告げるのがみーにゃんの悪い癖だ。今回もみんな驚愕した。数ヶ月で太陽系一周旅行できる早さなのだ。

 『賢帝にお伺い奉るには注意深く言葉を選び要点を選びかつ枝葉に発展する余地を残すべし。さすれば英知は与えられよう』

 科学者のあいだでまかり通っている冗談(本気かもしれないが)だった。専門分野に絞らず頭に浮かんだ質問はとりあえず聞いてみろ、なにかポロッと言うかもしれないから。というような意味だ。

 逆に言えば誰もが隠し事にはナーバスなのだ。

 たったひとつの嘘や隠蔽でこの小さな楽園は崩壊してしまう。じっさい「この情報を発表するのは時期尚早なのでは……」という意見は度々あったが、オープンソースの方針は徹底され続けた。


 

               4


 健太は、島本博士が塀の中に幽閉されているイメージでいた。

 じっさいにはそこまでは行っていない。島本さつきは武蔵野ロッジの自室に監視付きで軟禁されていた。

 

 一度だけ、眠らされ、どことも分からない窓のない部屋に連れて行かれた。

 衣服をはぎ取られて後ろ手に手錠をかけられ、パイプ椅子に縛り付けられた。

 まっ暗な室内に、すこし離れてデスクがひとつ。灯りは下を向いた卓上スタンドだけだった。絵に描いたような「尋問部屋」なので、さつきは下手人の想像力をちょっと心配したほどだった。背広姿の尋問官の顔は見えない。

 下着姿で拘束し、無力感を味あわせる。得体の知れない注射(十中八九生理食塩水)を施し、心配させる。それしきでねじ伏せられると考えているならご愁傷様だがさて……そんな手段は通用しないと指摘して相手を挑発するのも時間と労力の無駄だ。

 怯えているフリがいちばん。

 聞いているだけで頭が悪くなりそうな脅迫文句を頭から閉め出し、じっと男を見つめた。愚かにも、さつきを拘束して生殺与奪権を握ったと確信している男は、得意げな調子を隠しきれないようだ。内務調査局の子役人だろう。声と頭のかたちは覚えた。仕返しはいずれゆっくりと……

 

 久遠一尉がいきり立っているのは分かっていたが、激怒して暴れてもさつきの立場が悪くなるだけだと伝えてある。

 それでこの五日間は誰の訪問も受けず、静かなものだ。

 なにもしなくていいと言い渡されたので本当にそうしていた。

 為政者たちはテレビとパソコンを取り上げ、外からの情報を遮断することで苦痛を与えているつもりらしいが、さつきの世界は脳内完結している。なにを奪われても、思考さえあれば何日でも過ごせた。だからいまもクイーンサイズベッドにのんびり寄りかかって目を瞑り、かれこれ6時間ほどとりとめもない思考の世界に漬っていた。

 実奈ちゃん……さつきに母親的な感情を呼び起こした可愛い天才少女。彼女が異星人の巨大宇宙船を奪って地球に帰還した。それだけでじゅうぶんだった。その先の展開を想像するのはチェスより簡単だった。そしてその予測においてただひとつの不確定要素は、浅倉健太だ。

 あの少年が、さつきが望むほどしっかりした男になっていれば……せめて久遠くんくらい責任感を自覚していてくれれば……

 浅倉澄佳の名に恥じない息子に成長してくれたら。

 さつきは眼を閉じたまま自嘲気味に笑った。

 (このわたしがひとりの男の子の成長に気を揉んでいるとは!)

 計画のすべてが、浅倉健太の存在に集約されてゆく。壮大で、独善的で、エレガントな単純さ。

 天才の母親が愛する息子を救うため、ついでに地球全部を救うことにした……それが事実。五日間考えた末の結論だ。

 (そんなことだれも信じないでしょうね)

 頭の中で警戒ランプが点滅をはじめ、さつきは眼をひらいた。

 (なにが注意を引いたのだろう……?)

 時間をあらためると、午後6時35分。

 きっかり6時半に夕食が届けられるのに、今日は遅れていた。

 さつきはドアを見た。

 (いや違うな……)

 ベランダのほうに顔を向けた。

 さらに数分過ぎると、ベランダの端に動く影が見えた。

 男性のようだ。自衛隊の迷彩服を着た誰かがガラス戸を探っていた。

 それから、薄暗い部屋の中でベッドに座って眺めているさつきに気付いた。

 「開いてるから、壊さないで」

 男はガラス戸を引いて部屋に入ると、丁寧に締め直した。

 「どうも、博士」

 「久遠くん、もう我慢できなくなったの?」

 久遠は頭に被っていた眼出しマスクを脱いだ。

 「無理ッスね。いろいろと展開が早くて」

 「健太くんたちが帰還目前なのね」

 「えっ!?ご存じなんで……?」

 「政府はどう決断したの?」

 「決断なんてあいつら下せませんよ。首相が突然辞任してからは大荒れです。てめえで防空体制全部解除したうえに核ミサイルに脅えているんだから、もう滅茶苦茶ですよ。昨日はついに、都内に戒厳令を敷いちゃいました。ですが誰も言うことを聞きません。国民の半分は政府首脳を縛り首にしろとわめいてます」

 「それじゃわたしたちはますます八つ当たりされるわね……」さつきは溜息をついてベッドから立ち上がった。

 「エルフガインコマンドは占拠されているのね?」

 「いざという時には奪還します。兵隊は集まってますんで」

 「あんたたちがそんな調子では、このあたりはすべて警戒されてるんでしょうね?」

 「正直、悠長にお喋りする余裕はないです……いますぐ逃げていただかないと」

 久遠は腰の拳銃を抜いてスライドを引いた。さつきはその動きを手を上げて制した。

 「久遠くん、ここのセキュリティはわたしが設計したのよ。ドンパチは必要ないから」

 「え……?」

 さつきはナイトスタンドしか置かれていないサイドテーブルに手のひらを押しつけた。シックな木製に見えるテーブルの表面にアイコンが浮かんだ。さつきはいくつかコマンドを打ち込み、「これでよし」と言ってウォークインクロゼットに向かった。

 戻ってくると白衣姿だった。


 数分後、さつきと久遠は堂々と玄関から出た。まあ少なくとも、さつきはポケットに手を突っ込み悠然とした足取りだ。広間に詰めていた黒服は全員卒倒していた。

 「島本博士、行ってらっしゃい」スタンガンのテザーケーブルを何本も引きずった玄関ロボットが言った。

 久遠はひそかに後ろを振り返りながら頭を掻いた。

 (やっぱ怖えぇ女だな~)

 半㎞離れた場所に隠した車まで歩くのも面倒だったので、駐車場のセダンを無断拝借することにした。倒れた黒服の上着からキーを抜いてして出発した。久遠は走りながらコンソールにUSBを差し込み、追跡装置を切った。

 それからさつきにミニラップトップを渡した。

 「現状を把握してください」

 「どこに向かってるの?」

 「バイパス沿いのバイク屋に」

 さつきはローカルネットワークを眺めていた。

 「メイフラワーチャンネル……?」

 久遠が頷いた。

 「それ観ればほとんど状況把握できます。健太たちも出演してますよ。若槻先生と実奈ちゃんの配信が世界じゅうで議論されてます。それからイーロンの告発番組、こいつが世界じゅうを大激怒させてます。いまやみんな反アメリカを叫んでますよ」

 「それで?わたしたちはもうすぐ指名手配だけど、時間はどのくらい残されてる?」

 「35時間後、タイボルトが健太たちの宇宙船――メイフラワー号に核攻撃すると言ってます。わが政府はわざわざ攻撃しやすいようタクティカルオービットリンクを切っちまいました」

 「アメリカが本当に核を使ったら「主審」のペナルティーが――」さつきは舌打ちした。「ああくそっ!回避する術があるのね……奴らは「悪の異星人」と手を組んだから」

 「そうなんでしょうね。タイボルトは強気だ」

 「するとわたしたちは、タクティカルオービットリンクを復活させなければならないわけ?」

 「そうしないと健太たちはセラフィムウイングもエルフガインサンダーも使えません。……正直言って、アメリカは総力戦を仕掛けています。健太たちが目指す硫黄島周辺を艦隊で包囲しています。それだけじゃないです。天城さんが米艦隊すべての動きがヤバイって言ってます。核戦力の行使も覚悟すべきだとも」

 「日本本土に大規模侵攻……?」

 「ええ。それで政府は完全にブルッちまいました。ひれ伏してアメリカに許しを請うています。おかげで国内は荒れ放題です」

 「マリーア・ストラディバリさんはどうしたの?」

 「えっ!?」唐突に話題が変わったので久遠はまごついた。「あ~……天城さんが保護しているんじゃないかな。そんな段取りになってたと思いますが」

 「そう……わたしと一緒に幽閉されてなかったから、ちょっと気になってたの」

 「さいですか。それで、おれらはすぐにエルフガインコマンド奪取作戦に移ります。それまでは安全な場所に潜伏してください」

 「腕ずくで占拠しようっての?」

 久遠はしぶしぶ頷いた。「ご同業に銃を向けるのは気が引けますが、ほかにやりようがないです」

 さつきは久遠にニヤリと笑いかけた。

 


   * * * * * * * * * * *


 熾烈なメディア合戦が続いていた。

 アメリカ合衆国も黙ってはいない。ありとあらゆる権威筋の言質をとりつぎ、堅苦しく威厳たっぷりのブロードキャスターが日本と不法占拠船メイフラワー号の「人類全体に対する重大な背信」を非難した。世界をより真剣に憂慮しているのは我々だ、と印象づける作戦だった。

 「箱舟」の定員はたった5万人だったという事実は、すでに米国圏すべてに配信されてしまっている。それでも巧みな印象操作でアメリカの正当性を訴え続けていた。

 御用学者がそれっぽい具体的な数字を並べて、世界じゅうに蔓延した終末論を嘲笑した。そういう情報戦略には長けた国だ。メイフラワー船上なら戯言に聞こえる内容でも、場所によったら信用する気になったかもしれない。

 (妙なもんだ……)

 健太は思った。以前なら「マスコミなんてクソ」と一蹴しただろう。

 しかしここ数日、真実の側と、意図的にねじ曲げた「事実」を既成化しようとする側の戦いを間近で見て、考えを改めていた。

 アメリカとサンフラワー号は高く積み上げた積み木をハンマーで叩き合っていた。出っ張りを叩きながらなんとか崩さないようにしている。叩き終わった時にどんなかたちになっているかは誰も分からない。

 健太は厭になるほど思い知らされた。

 世の中には邪悪な人間がいるのだ。

 独善的な信念に突き動かされ、「わたしが正しい」と確信して、その考えに相反することはすべて叩き潰す。あるいは勝つためならどんな間違ったことでもやり、それが周囲にもたらす結果には露ほども関心を示さない……。

 大事なのは自己正当化だけ。

 メイフラワー号に参加する多くの人間が、そうした人間の暗部を憎んでいた。そして近代から現在までの歴史的な過ちの多くを、アメリカをはじめいくつかの先進国、自分たちこそが正しいという妄信が負うていると確信していた。

 「いまなら我々にも浅倉博士の意図が分かる」記者団の偉い人が言った。

 「彼女は、世界の枠組みを解体しなければならないと分かっていた……」そう言って記者は自嘲気味に笑った。「そう、我々の誰もが、若い時分ならいちどは考えるようなことだね。だが我々はやがてそれを「青臭い」「若気の至り」と卑下して大人になっていった。でかい壁にぶつかると肩をすくめて「そういうもんさ」というのが大人と思い込んだ。しかしきみの母上は……」彼はやれやれと首を振った。

 「今度こそ我々は最後までやり遂げねば。それこそが〈ゲーム〉を仕掛けた異星人が求めたことだ」


 それでも元官僚をはじめとして女優や知識人など、多くの女性がタイボルト支持を表明していた。愛国心ゆえか何かは計り知れない。だがアメリカの正当性に説得力を与えていたのはたしかだ。

 同じ傾向は日本国内でもあった。

 有名な野党議員やテレビタレントが「もうやめましょう」「平和の席について語り合い……」と訴えていた。彼女たちはボロクソにこき下ろされていたが、正直言ってひどい文言が並んでいた。それでも状況を無視したコメントが非難されるのは当然の報いだ、というのもどこかにあった。

 「頭おかしいよ……」健太はこぼした。

 「おっと、それは禁句だぜ」マットが忠告した。「僕ならもっと慎重になる。我らが人類の半分を敵に回すのは簡単で、取り繕うのは激ムズだ」

 「そもそも不適切発言するたびに慌てて取り繕う、みたいなのから進歩していないのが問題なのよ……いつまでたっても対等の立場は認めないで、声の大きな人が現れると「まあまあ落ち着いて」と言う……」シガニィは口元に手を当てた。「あらわたしとしたことが」

 必要以上にややこしくなるから船内でポリティカル・コネクトネスはなるべく控えて、と言い渡されていた。欧米人が自主的に設定した非公式ルールだった。

 しかしいざとなると、避けては通れないのか……。

 「我々は進化を促されているな……」

 「おれは007の特典映像が好きだったなー」

 「なんだそれ」

 「ボンドガールが集まって語り合うヤツ、見たことありません?「わたしたちもボンドウーマンと言うべき?」「とんでもない!ボンドガールよ!」っていうくだり。やんちゃな男の子を許してくれるママみたいな感じ……ああいう気楽さって言うか、包容力って言うのか、うまく言えないけど、ああいうの好きだな」

 シガニィが健太が100点を取ったような感じで抱きしめ、キスしてくれた。

 「どうやらきみは大事な教訓を学んでいるようだな」

 「そりゃ、この半年超優秀な女性に囲まれてましたから……」

 言ってみると、じつに正鵠を射ている。健太はひそかに電撃的なショックを受けていた。


 やがてアメリカ側は、たったひとつの戦略ミスを犯した。致命的なミスだった。


 「近衛実奈の知能指数は176に過ぎず、世界最高の頭脳とはとうてい言い難い。そもそも13歳の少女を君主のように祭り上げるなど正気の沙汰ではない!不法占拠中の海賊気取りの愚か者たちは恥を知れ!」


 FOXニュースがプライムタイムに30分延々とその路線で続けた。

 責任感の欠如……世界の調和を破壊するソシオパス気質……浅倉・島本両博士の白黒写真をここぞというタイミングでカットインさせ邪悪さを演出した。

 相手が黒人かメキシコ人だったらここまではやらなかったに違いない。黄色人種に対する根本的な関心の薄さが招いたミスだった。

 これが世界じゅうの怒りに油を注いだ。

 正確には、態度を決めかねていた世界じゅうの女性を中心として、日本国内を慄然とさせ(ここに至ってもアメリカに憎まれていると知ってショックを受ける日本人が大勢いた)、そしてなによりアメリカ国内のひんしゅくを買った。番組プロデューサーが13歳の女の子を槍玉に挙げる愚に気付いた時は手遅れだった。

 メイフラワー号のおもに白人男性も、これには身を縮めた。

 「恥ずかしい。まったく恥ずかしいよ!功績の数々を無視してくだらない数字で比較するとは――!」学者の多くは怒りと恥辱で二の句が継げないでいた。

 健太は英語が分からなくてかえって救われた。そうでなくても胸くその悪い番組だった。すべての言葉を理解していたら、どす黒い殺意を抱いたことだろう。

 みーにゃんも涙を流していた……が、年配の科学者が肩にそっと手を添えると、泣いているのは浅倉博士たちを悪者扱いされて悔しかったからだと答えた。

 「しかし……」

 「気にしないでいーよ。実奈知ってたもん」けろっとした声で続けた。

 「博士に言われたの。実奈よりIQ高いけど、詩を書いたりチェスマスターになったり、犯罪捜査に協力するのを生き甲斐にする人もいるって。その人がなにを選択するかはまわりの環境に影響されるのよね。実奈は博士たちに教わって才能引き出してもらった結果がいまの状態。不安も不満もありませ~ん」

 「いいぞ!」マットが実奈の頭を掴んで髪をくしゃくしゃにした。実奈がキャーとはしゃぎながらやり返した。

 「それに実奈、おととい14歳になったんだから!」

 周りじゅうで歓声が上がった。

 元CEOはしっかりカメラを構えていた。

 「きみは素晴らしい!」実奈が話し終えると彼は外聞もなく泣いていた。「いまの言葉使っていい?」



 日本現地時間朝6時、メイフラワー号は硫黄島上空に到着した。島周辺にはアメリカ第7艦隊が集結していた。さらに外側には自衛隊護衛艦が数隻展開している。同じ距離を置いて報道陣がチャーターした船が何隻か。

 『ヴァンガード1を不法占拠するものに告ぐ。我々の指示に従い地上まで降下しなさい』

 米軍が無線と拡声器で呼びかけてきた。


 健太たちは大勢とブリッジに集まり、様子を見ていた。

 「一発も撃ってこない。この様子じゃ少なくとも核攻撃はないな……どうする?」元CEOが尋ねた。

 (え?おれに聞いてる?)健太は内心まごついたが、まるでべつの誰かが乗り移ったように淀みなく答えていた。

 「500メートルまで降下してください。エルフガインを降ろします」健太は地上を撮しているカメラ画像を指さした。そこには巨大ロボが一台立っていた。

 「こいつと戦うのか?」

 「そのためにああして待ってるんでしょ。タイボルト大統領は正攻法でおれを倒すのが手っ取り早いって判断したんだ」

 「そのようだな……」

 「おれたちが離れたら、あとは任せます。危険なら九州に急行して、みんな下船してください……おれの味方が比較的多い土地です」

 「了解だ!だがきみが勝ってくれ。マットも本当はハッピーエンドが好きなんだ。あいつの映画観たら分かるだろ?」

 健太は笑って手を振った。「それじゃ、行ってきます」


 健太はパイロットスーツに着替えていたから、通り過ぎる人たちがみな声をかけてきた。エルフガインが横たわっていた船倉には礼子先生たちがすでに集合していた。

 それに記者団カメラマンほぼ全員が、遠巻きに健太たちを囲んでいた。妙な案配だ。しかし撮影にはすっかり慣れてしまった。あの日本人フリーライターとはすっかり友達になっている。帰国できたら本を執筆すると言って健太たちを何十回も取材していた。いまも最前列でカメラを構えていた。

 

 「健太、修復率は85パーセントだ」マリアが言った。タンガロロボットの一団がナーガインの予備部品を使って突貫で仕上げてくれたのだ。

 「ロケットも満タンよ。240㎜砲弾は3割、ミサイルは2割しか残ってない」

 「了解、先生」

 「ひっさしぶりだね!」

 「悪いなみーにゃん」

 「いいの、研究はいちおう一区切りできたから」

 「まこ……ちゃん」

 「はい」

 「最後まで手間かけさせてごめん。先生たちのことよろしくね」

 「はい……でも健太くん……」

 「勝っても先が分からないからな、いちおう」

 マリアが人の悪い顔で眺めていたので、健太は咳払いした。

 「そ、そうだ、御堂さんは?」

 「順調だってさ」マリアは改まった声で答えた。

 「よ・よっし!エルフガイン出撃!」



             5


 アルドリッチ・タイボルト大統領は執務室に籠もっていた。

 ワシントンDCは雪が積もり、いまは季節外れの生暖かい雷雨がその雪を溶かしていた。そしてホワイトハウス前には10万人が集まりシュプレヒコールを上げていた。

 民衆の声は防弾壁にシャットダウンされていた。

 大統領執務室にほかの官僚はいない。みな国内の対応に追われていた。変わって12使途が暖炉の前に整列していた。

 観音開きのマルチモニターにさまざまなメディアが映し出されていた。いちばん大きな画面には潜水空母エンタープライズ艦上のCNN生中継が映っている。

 椅子の上で身じろぎもせず、モニターを見るタイボルトの眼はどんより据わっていた。歴代大統領がつねにそうであるように、度重なる心労で老け込んでいる。

 アメリカ国内には500万体のアンドロイド軍団が配備され、いっけん治安は維持されている。

 だがそのアンドロイド軍団は、もはやタイボルトの命令に従ってはいない。

 厳密には形ばかりの恭順を示しながら独自の意図を持って動いている。

 (最初からそうだったのだ……)

 あの忌々しい船が発信する情報のすべてを、12使途たちは否定さえしなかった。その上でタイボルトほか数万人を〈サンクチュアリ〉にお招きしましょうと確約した。

 タイボルトが命じて大量生産させたアンドロイド、そしてAI、すべてがへびつかい座のほうから届いた毒電波の影響を受け、人類抹殺を企てるプログラムに乗っ取られた。

 〈俺は……俺は悪者みたいじゃないか!〉

 「おお神よ……」

 その慣用句は、タイボルトにとってはべつの意味を持つ。

 12使途は無言で立ち尽くしている。奴らはもうお義理程度でさえタイボルトに対して人間らしく振る舞うのをやめていた。腹立ちまぎれにゴルフクラブで殴っても、無関心に眺めてくるだけだ。

 アンドロイドたちは国内でにわかに燻り始めていた反政府的な動き、マスコミの懐疑的な論調を封じるべく暗躍していた。上院議員三人とテレビ論説員ふたりが変死すると小康状態が訪れたが、それは「ヘタに動くと暗殺される……」と誰もが警戒し始めたからだ。

 いっぽうでデモにはなんら対策を執っていない。彼らの活動を直接妨害しない有象無象にはまったく興味がないのだ。

 (本当に人類を滅亡させる気なんだ……だがもちろん、〈ドゥームズデイレポート〉によって人類は滅ぶと決まっている。だから気に病むことはない)この一週間頭の中で繰り返した言葉だった。

 タイボルトの判断すべてが正しかったと証明するためには、やむを得ないことだ。これは黙示録なのだ。選ばれた人間がやり直すしかない……世界にはクズが多すぎる。くだらない御託を並べて資源を浪費するしか脳のない奴らが際限なく増殖するなど、もはや看過できないのだ。

 だがサンクチュアリ……そこで短い邂逅を果たした小僧が、世界じゅうを味方につけて歯向かってきた。あの餓鬼……取るに足らないジャップの餓鬼が!

 (あの小僧……そしてあの女!)

 タイボルトの思念はとりとめもなく過去に飛んだ。

 

日本では午前6時18分。タイボルトが指定したゼロタイムを過ぎていた。

 早暁の島に巨大な宇宙船がのしかかっている。その船底から小さな人型が離れ落ちた。

 その人型は全高80メートル、質量1万トンの巨大ロボ〈エルフガイン〉。派手なロケット噴射で地面に降り立った。

 

 「健太……」

 「ああ、分かってる」

 滑走路の端でエルフガインと対峙する敵ロボット。あれはサンクチュアリで作られたメデューサタイプだ。やはり巨大に見えた。

 メイフラワー号は攻撃されることなく高度を上げ、間もなく雲の合間に消えた。

 アメリカ側からふたたび呼びかけがあった。

 『エルフガインに告ぐ!ただちに武装解除して投降しなさい。あなたたちは包囲されている。抵抗はやめてその機材から降りてください』

 「イヤだね……」健太は独りごちた。回線を開いてお喋りする必要も感じなかった。

 その代わりにツインソードを展開してエルフガインにファイティングポーズを取らせた。これで意図は伝わるだろう。

 「さあ来い!」

 突然、それまでの声とはがらりと調子の違う声がスピーカーから響いた。

 『ボクの声が聞こえる……?』

 ずっと明瞭だがあの声、サンクチュアリで呼びかけてきた少年の声だ。健太はギクリとして、無線のチャンネルを合わせた。

 「おう、聞こえるぞ……」

 少年の声が仰々しい大人の声に変わった。『わが名は〈ゼラー〉。マギュアムティテュウスよりこのセカイのカンリを任されしもモノ……』その部分だけあらかじめ録音されてあったような調子だ。ふたたび少年の声に戻ったゼラーは続けた。

 『抵抗しても無意味だよ。きみたちはいつだってドジだから。でもおかげでアーカイブデータもまだ拡散してないようだから助かったよ……よけいな手間かけなくて済むもん。さっどうする?』

 「分かってんだろ!?戦いだ!」

 『しょうがないなあ!』

 ゼラーは突然動き出した。巨大な蛇状の下半身を鞭のように繰り出してきたのだ。

 「くっ!」

 健太は両腕を交叉させて攻撃を受けとめた……が、直径20メートルもある鞭の一撃にエルフガインの巨体は弾き飛ばされ、擂り鉢山に叩きつけられた。

 「さすがに強いな――この!」

 蛇の胴体を目一杯伸ばしてゼラーが襲いかかってきた。背部ロケットブースターでエルフガインを急速復元させながら両腕を突き出した。

 「ウエイブカッタ――――ッ!!」

 ツインソードに超周波振動が宿った。しかしゼラーはその刃を巨大な肩アーマーで押しのけ、返す刀でエルフガインの脇腹をしたたかに殴った。

 「キャア!」

 (先生!)健太は激しく揺すぶられながら、早くも額に汗していた。「――ッキャノンブラストッ!!」

 のしかかってくる敵の巨体に4門のリニアキャノンが火を噴いた。ゼロ距離の砲撃で凄まじい爆発が起こった。さすがに敵の動きが止まる。

 その隙に健太はエルフガインを反転させて摺鉢山を駆け上がった。ゼラーが長大な尻尾を振り上げてエルフガインに足払いをかました。エルフガインは頂上に達しかけたところで転倒させられ、すり鉢の斜面を底までずり落ちた。



 さいたま新都心。

 早朝だというのに、駅周辺は大勢の人間がひしめき合っていた。東京都心部が戒厳令と米軍の攻撃対象だという噂によって過疎化していたが、機動隊の警備が都心に集中していたため、埼玉はデモの穴場となっていた。

 核兵器の被害予想範囲は浦和~大宮付近にも及んでいたため、住民は他府県に退去避難中で、平日にもかかわらず通勤者の姿はない。おかげでスタジアム周辺はほぼ無法地帯となった……といっても群衆が暴徒化していたわけではない。

 彼らはあちこちに設けられたパブリックビューイングに釘付けになっていた。

 「おい見えなくなっちゃったじゃん!」

 エルフガインと敵巨大ロボが擂鉢山の火口に消えると、ギャラリーから一斉にブーイングが起きた。メイフラワー号からのネット配信はエルフガインの硫黄島上陸と同時に休止していたから、肝心のライブ中継が米軍のCNNのみとなり、彼らはいきり立っていた。

 「ああもう!NHKは!?ミンポーの奴らなにしてやがんだよォッ!」

 タブレットやスマホをいくらいじっても、地上波もケーブルネットワークもダメだった。

 「くそっ!信じられん……!」

 朝のワイドショー番組はいま現在、エルフガインが戦っていることなどひと言も伝えていない。それどころか「このあとは「いま話題の」若槻礼子氏と教え子のただれた関係!?に迫る」などという特集を告知している始末だ。

 「ありえね~……!」

 これはあまりにもシュールだった。生まれて初めて本物の情報統制を体験したかれらの感想は一様に「恐怖」そのものだった。通常のネットワークも検索が著しく不便になっている。

 だが情報が完璧にシャットダウンされたわけではなかった。

 タンガロロボットが独自ネットワークを形成している……日本国内に限らず世界じゅうに放たれたタケル型やアポロンたちがどうやってか繋がり続けている。仕掛けはIT専門家でも容易に理解できなかったが、情報のやりとりやメールも使えた。

 埼玉新都心に集結した群衆の中にも数百体のロボットが混ざっていた。それで、暇なときにはロボットを囲んでディスカッション、というか勉強会……まあぶっちゃけるなら深夜のファミレスお喋りの拡大版のようなものが催された。

 タケル/ウズメは、すべからく理路整然と世界のありようを語り、人間だけなら不毛な水掛け論や混ぜっかえしに終始してしまうところを、巧みな司会進行で中身のある議論にした。しまいには筋金入りの冷笑家でさえ、ロボットが文句の余地がなく公正な知性を備えていることをしぶしぶ認めた。

 

 政府は社会混乱の責任すべてをエルフガイン関係者になすりつけて、日米関係の修復を図り、タイボルト大統領主導による世界新秩序の分け前にあずかろうとしている。

 こうした単純で戦慄すべき構造がすべて暴き出され、すべての国民に……と言うより全世界に共有されていた。あらゆる妨害にかかわらずメイフラワー号の発信する情報が届いていたので、日本国内にもそうした状況が伝わったのだ。

 硫黄島到着と同時にそれがぴたりと止んだ。

 おかげで硫黄島決戦の実況も米軍のプロパガンダ放送だけとなり、新都心に集まったデモ隊の不満も危険レベルまで高まり続けていた。

 「畜生!」

 国元廉次もまた新都心にいて、この二日間あまりは路上生活で馬鹿騒ぎを満喫していた。

 「おれ浅倉健太のクラスメイト、だから礼子先生も担任なんだ~」

 調子よく言ってしまったひと言で友達が100人増えた。ついでに有名税というか、健太の苦悩の一部も共有したかたちになってしまった。

 この期に及んで健太にケチをつけるやつがいるのも驚きだが、廉次はムキになって健太を擁護した。むしろ礼子先生の容姿や年齢にケチをつけるほうが多いくらいだったが、そいつらはあまりに無神経で下劣だったので、キレて取っ組み合いのケンカになりかけた。

 「なんで?なんで自衛隊動かねえんだよ!?」

 「……九州からの情報なんだけど、大勢乗ったフェリーが拿捕されたらしいよ……市議とか官僚とか家族で香港に逃げようとしてたんだって……」

 「あ~……日本もいよいよオワコンてか?」

 「マジっぽいよ?役所とか省庁とか、連絡つかねえ所もあるとか……」

 「都内カラッポの影響でここら辺も活動停止状態だもんな~」

 「総理もどこにいるのか分からないらしいぜ?」

 「ひっでえよなぁ」柔道部の中谷がしみじみとした口調で言った。「たった一週間でこんなんなっちっちまって……おれら絶対勝てるはずだったのに、なんでこうなるかな」

 「おい!まだ負けたって決まってねえから!」

 廉次の親友は決まり悪げな顔で頷いた。

 「そうだった、わりぃ」

 「おい!こっちの動画チャンネル再開してる!」

 たちまちリンク先が共有され、やがてパブリックビューが切り替わった。

 誰かがカメラを担いで実況していた。見たところ、硫黄島に上陸しているらしい!平坦な海岸線の向こうにずんぐりした擂鉢山が見える。

 『繰り返す……こちら硫黄島上陸隊。メイフラワー号からこっそり降りたって、いまここにいます!我々は200体のタンガロ製マークⅣアポロンとともに上陸した。わたしはプロのカメラマンではないが、できるだけ現状を伝えたいと思う……硫黄島を包囲している米軍艦艇にはアメリカ製アンドロイド……タンガロマークⅣのコピー品が乗っているらしい……アポロンによれば、人間の気配はないそうだ。奴らは我々に気付いたら攻撃してくるはずだ。だからいつまで保つか分からない……』

 日本人だろうか、男性が息を切らして走り続けながら喋っていた。

 『まもなく、我々のドローンの映像も届くと思う……エルフガインは擂鉢山の火口に落ちて、「ゼラー」と自称する敵ロボットがあとを追っている……奴は……みずから大音響のスピーカーで「ゼラー」と名乗りやがった……それが地球人を滅亡させようとしている異星人の名前らしい。「ゼラー」はタイボルト大統領と手を組んだ……』

 「ゼラーだって……マジかよ。アニメかよ」

 「悪の異星人」がアメリカ大統領と結託している。

 あまりにも荒唐無稽なので、日本のマスコミはいっさい取り上げていない。無理からぬこととは言え、まぎれもない事実なのだ。彼らはまた間違った方向を選択したのだ。

 社会の表面張力は限界に達していた。事実を事実として認め早急な対策を整えねばならないときに、それを完全無視した……。

 すでにデモ参加者だけに留まらず、現場レベルも危機感で張り詰めていた。すでに一部で混乱が起きていた……対案もなく世界情勢に目も向けず政府批判のみを繰り返す野党の事務所が焼き討ちされたという噂……同様に的外れなコメントを吐くテレビタレントも何人かリンチされたが、それらの大半はすでに雲隠れしていた……いずれにせよマスコミも警察もなかば機能していないので噂話の域だ。

 政府上層部とマスコミだけがそれに気付いていなかった。いや、気付いていても「きっとすべてが収まって元通りになる」という願望が強すぎて、健忘症的に現実を無視していたのか。


 もちろん、アメリカ合衆国は太平楽な極東の島国にケーキのひと欠片もお裾分けする気はなかった。

 元通りになるような過去はもう存在していない。日本政府とマスコミはそれを思い知らされることになった。

 東京湾に三体の巨大ロボットが出現したのだ。

  


 「司令部に上申いたします!」

 浦沢一等空尉は直立不動で言った。

 ここはエルフガインコマンドの小会議室。島本博士に代わってここの管理者となった辻井陸将補の執務室に改造されていた。調度も何もないがらんとした部屋に事務机がひとつ置かれ、辻井はその机について憮然とした表情を浮かべている。

 浦沢一等空尉ほかエルフガイン・ダッシュのパイロット4人が机のまえに整列していた。 「浦沢……」

 「ダッシュの出撃許可をお願いいたします!」

 辻井陸将補はさらに渋面になった。

 (究極の選択のときだ)

 エルフガインコマンドは自衛隊の直接管理下に置かれていたが、政府が暗に示したのは「なにもするな」のひと言だった。ならば従うのが本分である。

 だがいまや、アメリカのヴァイパーマシン3体が東京に上陸しようとしていた。

 けしからんことに、上陸を知らせてきたのは、機能停止したタクティカルオービットリンクに変わって監視態勢を敷いていた旧来のジャッジシステムではなく、同僚のリークによってだった。目の前に勢揃いした連中も似たようなものだろう……知り合いが携帯でこっそり知らせてきたのだ。

 (まあ、こうなったら選択肢はふたつだけだな)辻井はこれでキャリアはおしまいか、と考えて内心自嘲した。

 (実際に選べる選択肢はひとつだけじゃないか)

 辻井は顔を上げて若いパイロットたちを見据えた。

 「出撃したとして、諸君はエルフガインに迎合するのか?それとも首都を防衛するのか?」

 「防衛出動です!」

 「よし」辻井は立ち上がった。「俺が全責任を持つ。各員は出撃準備!」

 「了解です!」

 五人のパイロットは敬礼して、踵を返して走り去った。

(死ぬなよ……)辻井は思った。だが儚い望みに思えた。



エルフガインの闘いを映し出していたパブリックビューイングに注目していた全員が喘いだ。擂鉢山の火口からゼラーがふたたび現れたのだ。

 その片腕はぐったりしたエルフガインの頭を掴んで、引きずっていた。

 ゼラーはエルフガインを無造作に放り投げた。力尽きたように、巨大ロボは斜面をずり落ちた。その金属の体はいっけんしてダメージを負っているように見えた。

 「やべえ……!」

 それと同時に地面が微かに揺れ……誰かが「おいっ!空見ろ!東京のほう……!」と叫んだ。

 廉次たちもその声に思わず振りかえった。

 「なんだ……あれ」

 巨大なオレンジ色の火の玉がゆっくり立ち昇っていた。ただあまりにも大きい。

 (核兵器!?)その場にいた誰もが、最悪を予期した。

 悪夢的すぎて現実とは思えない。みんな棒立ちのまま、ぽかんと火球を見上げていた。

 彼らが網膜も焼かれず熱波に打ちのめされることもなかったのは、それが核兵器ではなかったからだが、東京湾に上陸した三体のヴァイパーマシンから放たれた爆裂砲弾が赤羽駅周辺を一撃で噴き飛ばした、その爆発だった。

 米軍が開発した、大型貫徹爆弾を基にした広域破壊兵器である。

 どこか遠くでサイレンが鳴り響きはじめた。

 遅まきながら、あちこちでスマホがJアラートをがなりはじめた。

 「おいおいなんだよ! エネミーが東京湾に出現したってよ!」

 「それってアメ公の奴!?」

 「知らねえけどそうじゃねえの?しかもクソッ!三体いっぺんにだ!」

 「三体って……」

 「国元よ」額に汗した中谷が言った。「おれらもどこか逃げないとイカンちゃうか?」

 「つったって……どこに逃げるってんだよ。東京なんてあっという間に縦断しちゃうロボだぜ?電車も動いてないのに……」

 そのとき、聞き覚えのある轟音が空から聞こえてきて、廉次は口をつぐんだ。

 特徴的な雷鳴に似た重低音。それも空全体から鳴り響き地上を圧するような轟音。それがどんどん大きくなってゆく……

 「バニシングヴァイパーだ……!」

 「えっ?」

 廉次は躁病的に眼を輝かせて叫んだ。

 「た……たぶん、エルフガインコマンドのヴァイパーダッシュだ!やっと出撃したんだ!」

 「マジか……」中谷も徐々にその言葉を呑み込んで、大きく破顔した。「てえことはつまり、自衛隊の反撃がはじまったってことか!」

 会話もできないほどの轟音が廉次たちを叩きのめすと同時に、巨大なV字翼の怪鳥が頭上1000メートルほどを横切った。

 「ほら!バニシングヴァイパーダッシュだ!」

 「聞こえねえよ!」

 それでもふたりともわめきあいながらピョンピョン跳びはねていた。



 辻井陸将補は10名ほどの部下を引き連れてエルフガインコマンド発令所に上がっていた。オペレーター席に就いた隊員たちがモニターにかじりついてオペレーションコードを引っかき回していた。基地機能が復帰したとはとうてい言えない状況で、出撃したヴァイパーのフォローもできない。

 「タクティカルオービットリンク回復コマンドは、まだ見つからんか?」

 「バックドアを捜しているんですが……」

 本来、政府首脳部の承認がなければ復帰は無理なのだ。米軍の戦略核に相当するシステムなのだから当然だ……

 (島本くんはどこかに裏口を仕込んでいたはずだ……いまこそそれが必要だというのに、我慢できずに逃亡したとは……)

 入口のほうが慌ただしくなり、歩哨として立たせていた隊員が叫んだ。

 「こちらに来ないでください!」

 「辻井くん!馬鹿な真似はよせ!」

 あまり馴染みのない声に辻井は眉を上げ、隊員に頷いた。抵抗する術はなかった。もとより籠城しようにも装備が足らない。

 「いいんだ、お通ししろ」

 隊員を押しのけて現れたのは、高級そうな背広の一団だった。

 先頭は交代したばかりの日本国新首相その人。そして新官房長官と外務大臣、次官数名。さらに中条海将補と小森陸将が従っていた。

 「これは、首相閣下」

 彼らは大宮の臨時首脳部を早々と放棄したらしい。それで関東でいちばん安全なここに逃げて来たのか。

 するといまはいったい誰が政府を動かしているのかな?辻井は興味深げに頭を傾げた。

 「辻井くん!重大なことをしでかしてくれたようだな!これはシビリアンコントロールの危機的状況だ。理解しておるのだろうね?」

 「本官は与えられた義務に従っております、閣下」

 「わたしはなにもするなと言ったはずだ!」

 「お言葉ですが閣下、状況は変わりました。東京が三体のエネミーに蹂躙されようとしているのです。我々は、国民を庇護するという立場なので、出動せざるを得ません」

 「そういう独善がさらに事態を悪化させるのだ!貴様ら戦争屋はそうやってこの国をさらなる危機に陥らせるのだということを理解していない!馬鹿め!」そう言い捨てたのは外務大臣だ。

 辻井はうしろに控えているご同業に眼を遣った。ふたりとも直立不動で完全表情を消し、据わった眼で虚空を見ていた。

 (あれがシビリアンコントロールの鑑か)

 「きみが放ったあの馬鹿げたメカを、いますぐ呼び戻したまえ」

 「拒否します」

 「それではきみを解任する!」

 小森陸将補がうしろを向き、かれ自身の部下を招き入れた。完全武装の普通科隊員1個分隊。

 「わたしは謹慎ですかね?」

 小森陸将が答えた。

 「貴様は内乱罪により逮捕だ。追って沙汰があろう。席に座ってるおまえらも全員!立て!」

 辻井は振り返って頷いた。「みな従ってくれ」

 「司令……」

 「だまって従え」

 「いえ、基地最深部の作業監督からです。下で騒ぎが起きているらしくて……」

 「なんだと!?」小森陸将補が叫び、問い詰めた。「いったいなにが起こってるというのか!」

 「作業区画最下層のさらに下のブロックから……エー、大勢の人間がわき出し、作業員を制圧にかかっているとのことです……至急対処して欲しいとのことで……」

 それまでテストパターンを映し出していた大型プロッターが突然瞬き、発令所にいた全員が思わず注目した。

 【緊急対策指令CODEXXX始動】パソコンのエラーを思わせるような不気味な青一色の画面に、その言葉が表示された。

 「なんなんだ!?」

 室内にビープ音が鳴り響き、スピーカーから機械的な女性の声が告げた。

 『ただいま特別緊急事態対策指令発動により、第2エルフガインコマンドが、起動しました。基地機能および防衛システムは、第2コマンドにシフトします。全職員は所定の位置について指示を待ってください。繰り返します――』

 「だっ第2コマンドだと……?」小森陸将補がよろめいた。

 「辻井、きっ貴様、なにをした!」

 辻井陸将補は肩をすくめた。

 「思うに、我々は島本さつき博士に一杯食わされたのでは?……またしても」

 

 

 「タクティカルオービットリンクは再起動できたのか?」

 「データリンク回復中です。ただしリセットされたので、100%稼働状態に戻るまで数分かかります」

 「とりあえずエルフガインに繋がりゃいいんだ!最優先でやれ! 」

 「了解です!」

 久遠馬助はペットボトルのぬるい水をひとくち煽った。

 毛呂山の地中300メートル。湿っぽく埃くさいコンクリート打ちっ放しの穴蔵。第2エルフガインコマンド発令所ははそんな場所だった。だが必要な物は揃っていた。10メートル四方の部屋の正面は大型プロッタースクリーンが閉め、馴染み深い日本地図を映し出している。コンソールもビニールカバーをはぎ取ったばかりで妙に新しい。そのコンソールに就いた古参オペレーターたちが、慣れた手つきでコマンドを打ち込み続けている。

 久遠は作業服の袖で汗を拭った。

 電気が通ったとたん室内の温度は上がり続けている。エアコンがどこにあるのか誰も分からなかった。久遠は人材不足を痛感した。コマンドの機能を横取りするにあたって、最低限必要な頭数しか集められなかったのだ。

 やがて天井から涼しげな風が吹きつけ、同時に島本博士が現れた。

 「空気循環器が点いていなかったわよ?窒息するところだったわ」

 「そんな気がしてました」

 久遠は何度目か分からないが、ホッとしていた。さつきの背後には、久遠たち突貫部隊を手引きした武藤という中年男性が付き添っていた。

 彼は人知れず、ほかの300人あまりの物好きな連中とともに、「第2エルフガインコマンド」を維持し続けていた。驚くべきことに、浅倉博士が暗殺されて以来4年近く地下都市で暮らし続けていたのだ。

 彼の仲間がエルフガインコマンドも制圧した。抵抗はほとんど無かったという。

 (こんなに下準備が整ってたならもっと堂々開城を迫っても良かったな……)

 とは言え後の祭りである。久遠たちが極悪人として処断されるか、それとも法的正当性を幾ばくかでも持っているのか、だれも知らない。

 「それで、順調なの?」

 「まもなく……」

 「いま繋がりました!」

 メインモニターの画面が切り替わり、エルフガインのステータスが表示されると、室内の全員がハッと息を呑んだ。

 エルフガインのシルエットのそこらじゅうに危険レベルの損害警告が灯っている。

 その隣にはパイロット五人の身体ステータスが表示されている。

 メインパイロット――身体ダメージ・衰弱。昏睡。

 昏睡。

 さつきが手近なコンソールからインカムをひったくって叫んだ。

 「健太!」

 応答がない。

 ややあって髙荷マリアの声が聞こえた。

 『博士……?』

 「ええそうよ!マリア、どうなってるの――」

 『健太の野郎……気絶してる?』

 「ええ、まこちゃんと若槻さんも気絶してる。実奈ちゃんは……」

 『はかせー?』実奈の物憂げな声が聞こえた。『実奈たち、めっちゃボコられちゃった……アイツ強すぎだよぉ……』

 「いまタクティカルオービットリンクを回復させてる!もうちょっとよ、こらえて!」

 『そう……でも勝てるかな……エルフガインもうボロボロなの――』

 なにかガンという音が響いてスピーカーの音が割れた。『キャッ……!』実奈の弱々しい悲鳴が続く。

 「エルフガイン!右腕脱落しました!」オペレーターが叫んだ。

 さつきはメインモニターを見つめたまま立ち尽くしていた。

 「博士……」

 「健太くんを起こさなければ」

 「手っ取り早く、なにか遠隔防御の方法とかないんですか!?」

 さつきは首を振った。

 「……あの子の音声入力がないと、エルフガインサンダーを使えないのよ」

そしていよいよ次回で最終回!


年は越さないと心がけます!

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