第23話 『健太のハーレム完成!?』
前回あらすじ
日本の同盟国、アフリカのタンガロ共和国に米軍が侵攻開始……その報を受けた健太たちエルフガインチームはアフリカに急行した。表向きは自衛隊の支援。しかし島本博士は北米大陸上空にエルフガインを通過させ、日本の軍事的優位性をアピールしてしまう。
タンガロ共和国に接近する敵巨大ロボをタンガロ共和国防衛軍の〈ナーガイン〉とともに阻止する健太……しかし敵は自爆作戦を強行、タンガロ共和国首都を破壊から守ろうとした健太は勢い余って敵ロボと一緒にふたたび異世界に転移してしまった……
見わたすかぎりの森林地帯。
一見するとロッキー山脈だか国定公園的などこか、という風情だ。
だが空に眼をやれば、ここが地球ではないことは一目瞭然だ。
健太は近衛実奈をストライクヴァイパーの補助シートに座らせ、この惑星上空二万メートルを飛んだ。その結果判明したことは……
1) ここは以前健太が転移した惑星である。
2) この惑星はいっぽうの面がつねに上空のブラックホールに向いている。だが自転していないわけではなく、回転軸がブラックホールのほうを向いている。そのおかげか、永遠に凍りついた夜の側からの気象的影響が少なく済んでいるらしい。
3) この惑星の直径は地球の1.5倍あまり。でも重力はおよそ0.85G。コアの密度がスカスカなのか、空洞化した人工天体なのかもしれない……。
4) 地球との時間のズレ具合からすると、前回健太が訪れたときから(おそらく)100年が経過していて、そのあいだに大々的な環境改変が行われたらしい。
5) 空気は呼吸可能で、放射線量も自然レベルで、やや寒いが、地球並みに過ごしやすい。大きな真水の湖も発見したし、部分的に植物も繁殖している……得体の知れない異世界の植物のほかに、あきらかに地球産という植物もあった。見慣れた果物のなる木さえあった。
以上である。
様子があまりにも様変わりしていたため、健太は当初、あの惑星――アルドリッチ・タイボルト大統領が〈サンクチュアリ〉と呼んでいた星とはまったく別の場所に来てしまったのだと思っていた。
ブラックホールを背後に、強烈な光を発するミニ太陽が空に浮かんでいた。おかげでまえよりずっと明るい。ミニ太陽が出現したことひとつをとっても、ここが人工世界だ、という可能性が高い。自然のままなら、ここはもっと滅茶苦茶な気象状態のはずだった。ところが突風も豪雨もない。
一度だけ、赤道を越えて夜の側に飛んだ。赤道は分厚い雲の壁が立ちはだかり、惑星を一周する猛烈な嵐の帯が取り巻いていた。それを飛び越えると、広がっていたのは荒涼とした雪の世界だ。だが漆黒には程遠く周囲の星の海に照らされ、青みがかっていた。
高度を上げると、この世界の星空がさらにはっきりと見えた……
満天の星空に、青紫色のガス星雲。そして極彩色を背景に月ぐらいの大きさの惑星が何個も見えた。
「ここが天の川銀河系なら、ずっと中心にちかいところね。天の川銀河とは限らないかもしれないけど……」
実奈が言った。
サンクチュアリに転送されて五日が過ぎた。
島本博士は救出計画を立てることだろう。しかし、地球ではまだ3分経過しただけなのだ。なるべく急がなければならないのは博士も承知だろうが、たとえ1時間で準備できたとしても、救出チームがやってくるのは二ヶ月後だ。
馬ロボットと一緒に転移した健太たちは、ものすごい爆発に巻き込まれ……パイロットは全員無事だったものの、エルフガインは相当なダメージを負ってしまった。
あちこち故障したエルフガインをなんとか歩かせて、山間の平地に辿り着いた。それがこの、国定公園じみた緑の土地だ。ひらけた湖畔の草原にキャンプを定め、まわりに合体を解いたヴァイパーマシンを並べた。
最初の二日間はコクピットで寝泊まりした。この惑星の持ち主がだれであれ、エルフガインの出現を探知したら襲ってくると踏んだからだが……丸一日待ってもそんな様子はなかった。
実奈と真琴は礼子先生と一緒にヤークトヴァイパーで寝た。そこには簡易寝台とトイレがあり、いちばん快適だったのだ。
三日目になると、宇宙人の来襲はしばらくなさそうだ、ということになった。
それで、当面なすべきは生き延びることとなった。
さいわい、大型のバニシングヴァイパーとヤークトヴァイパーには、本格的な遭難用のキットが備えられていた。シャベルやツルハシ、ロープ、電動鋸、懐中電灯、ゴムボートにテント、非常食と水が10日分。
手持ちの装備類をひととおりあらため終えると、こんどは周囲の探索となった。
見通しのきく平地が山裾まで広がっている。その距離はおよそ8㎞。湖は水深が浅く、剥き出しの岩場に水が溜まった感じに見えた。水中にはおびただしい数の黒っぽい塊が並んでいて、礼子先生やマリアは気持ち悪がっていた。実奈の説明では、酸素を作り出すストロマトライトではないかという。地球の海岸にも存在している微生物の群体だ。湖には小川が幾筋も流れ込んでいた。
まばらな雑木林が湖畔を囲んでいた。植物の分布は不自然で、まるで管理を放棄して5年ほど過ぎた果樹園や畑みたいな様子だ。つまり、食用に適した果物の木や根菜がまとまって分布していた。
エルフガインチームで本格的なサバイバル訓練を受けていたのは真琴だけだ。その真琴の提案により、非常食はなるべく温存することとなった。彼女はすぐ食糧調達に向かった。
健太はキットに添えられていたサバイバル読本を読み倒し、ふたつあったテントセットを組み上げ、石を積み上げてかまどを作って、火を起こした。
実奈と礼子先生は薪を拾い集めた。マリアは真琴と同行している。基本的に、離れた場所に行くのは二人ひと組。
まこちゃんたちは果物や芋類を持ち帰った。
健太は魚を発見していた。
実奈たちは鶏を見たと報告した。
この惑星の自転周期は32時間。その半分の時間には、かりそめの夜が訪れる。頭上のミニ太陽が光量を弱め、温もりのない月の光に変わるのだ。変わって現れるのはガス星雲の幻惑的な色彩と、頭上にぽっかり空いた丸い穴……金色の降着円盤を纏った巨大ブラックホールだ。この世界に漆黒の闇夜はなかった。
屋外で過ごす最初の夜、焚き火を囲んで、まこちゃんがあり合わせの食材で作り上げたカレー味のごった煮と缶詰のパンで夕食を済ませたあと、五人でいろいろと話し合った。
「ここは……人間が住めるように作られているようです」真琴が言った。
健太たちは頷いた。誰かが、地球人が生存可能な環境に作り替えたのだ。
ざっと計算しても、前回健太がここを訪れてからおよそ3週間が過ぎていたから、この惑星では100年以上経過したことになる。そしていまでは、食糧も水も、大勢を賄うのにじゅうぶんな量が揃っていた。
それがなにを意味するのかみんなで話し合ったが、無邪気に新天地の出現を喜ぶ間もなく、意見を交わせばかわすほど見通しは暗くなった。
健太が以前に目撃したおびただしい数の巨大ドーム、そこには異星人のサンプルがたくさん保存されていた。どこかの誰かが地球人もサンプリングしようとしている……この世界はその下準備なのかもしれない。
「そう、あのドームを見つけなきゃな……」健太は言った。
「見つけて、どうするの?」実奈が興味津々で尋ねた。
「あそこにいた鯨みたいな異星人と約束したんだよ……言葉を交わしたわけじゃないけど、解放してあげなきゃならない……そんな気がするんだ」
膝を抱えて座っていたマリアが、焚き火の向こうから言った。
「異星人……見たの?」
「ああ、うん、見た」
みんな黙り込んだ。
異世界を訪れ、ひと息ついて焚き火を囲む夜のひととき、パチパチ爆ぜる音と炎の揺らめきを眺めていると、不思議な連帯感が生じる。
異星人のことは、ふさわしい……ふさわしすぎる話題だった。春に「ゲーム」が始まって以来、誰もが異星人は存在すると信じた。しかし見たのは8面体UFOのみで、異星人は姿を現さず、挨拶もないため、いまいち確信に至らなかった。
だがこうして「人為的」にいじられた別世界にいると、異星人は本当にいるのだとあらためて実感せざるをえない。
とにかく、炎で強調された背後の闇からカメラを担いだドッキリテレビのスタッフが現れるかも知れない……そんな展開はどうやら無いらしいとみんな納得して、事態を前向きに考えはじめている。
「ストライクヴァイパーを飛ばして偵察する?」
「ああ」健太は背後のヴァイパーマシンを見上げた。「バニシングヴァイパーとヤークトヴァイパーの自己修復にはまだ時間かかりそうだし、ひとっ飛びしてみようと思う」
「実奈も連れてって」
こうして健太と実奈はサンクチュアリ上空を四日間にわたって飛び回った。
ドーム群を見つけたのは二日めのことだった。しかし、そこはこの惑星の北極近くに位置していた。健太たちのキャンプとは2000㎞の隔たりがあった。エルフガインに合体して走ってもまる1日かかる距離だった。ヤークトヴァイパーだとその倍以上だ。
「一度地球に戻って出直したほうが簡単かも」
「その地球に戻る方法が曖昧なんでしょ?」
「まあ……そうなんだけど」健太は頭を掻いた。ドーム群のそばまで行けばなんとかなる、という予感はあった。でもそれはいますぐ実行できることではなかった。「みーにゃんのほうが詳しくなってたんじゃないの?地球とここを行き来する方法さ」
「まあね~。でもそれこそエルフガインコマンドでいろいろ準備しなくちゃ。ここには何も機材ないんだもん……」
「そっか……」健太は溜息をついた。母親が夢うつつに登場しなくなった反面、よほど集中しなければ今回のような「奇跡」は起こせない。
ドーム上空でホバリングしても、人の気配はなかった。アメリカ人……タイボルト大統領もアンドロイドも不在のようだ。
「着陸してみる?」天才少女にとっては興味津々であろうと思い尋ねたが、答えは意外だった。
「ううん」実奈は首を横に振った。「また今度、ヴァイパーマシンが全部回復してからにしよ」じつに慎重な考えだった。実奈がそんなときは直感的な不安を抱いているからに違いなく、健太も心配になった。
最初の混乱から立ち直ると、チームのみんなは、健太が予期した恐慌状態には程遠く、むしろ驚くほどしっかりしていた。こんな場所に連れてきてしまった健太に対する文句も、マリアの冗談混じりの悪態程度だった。
礼子先生さえしっかりしたものだった。いちばん現状を受け入れるのに苦労しそうに思えたのだが……年下ばかりなので不平不満をぶちまけるわけにもいかないのか。
「あら、でも大学の時旅行したフィジーの無人島とかヨーロッパの田舎とか、不便なところはここと同じかも」マリアが捕った魚をさばきながら先生は言った。ナイフと薄っぺらなビニール製のまな板を使っていた。塩焼きと、一部は燻製にするらしい。
魚は鮎のようだった。健太が毒味しようと申し出たが、エルフガインを動かせる唯一の人間であり地球に帰れなくなるという理由で、却下された。ついでまこちゃんが立候補したが、医療の心得がある唯一の人間なのでふたたび却下。結局、礼子先生が試した。ひとくち食べて呑み込み、10分ほど様子を見て……だいじょうぶと分かったのでみんなが食べた。
要するに、唯一の不満は文明からかけ離れた場所に連れ込まれ、少々不便、ということだけなのだ。これほどみなが冷静なのは、いつか地球に帰還できるのは間違いない、と楽観しているからだ。
健太でさえ当初はそう思っていたのだが……いざとなると、あの妙な感覚が沸きあがってくる切羽詰まった感じが、どうしても再現できないのだ。
正直言って、健太は密かに焦り初めていた。
礼子先生がアフリカに行くに当たってバッグに詰め込んだのは、カジュアルな着替えが三日分、そして化粧品やらなにやら。パスポートまで持参していた。これにはみんな大笑いだった。
衣服はあまり実用的ではなく、結局、礼子先生はサバイバルキットに収められていたつなぎの作業服姿に落ち着いた。マリアとまこちゃんはだいたいいつもパイロットスーツを身につけていた。みーにゃんと健太は私服のジャージだ。
ふたつあるテントは、当然ながら男性用と女性用に分けられた。つまり健太はだだっ広い5人用テントをひとりで使っていた。まあテントを使うのは寝るときだけなので、たいしたことではない。屋外で寝袋でも良かったのだが、変な夜空は見ていて心落ち着かず、屋根があるほうがホッとした。
健太のテントは入浴にも使われた。ゴムボートにお湯を張って風呂代わりにするのだ。だがポータブルの湯沸かし器でお湯を張るのは気長で贅沢な作業だ。健太は気が向けば水浴びして済ませていた。風呂に入らなくても死なないのは前回の経験で分かっている。
食事が終わってしまうとあとは寝るだけなのだが、女性陣はいろいろと支度があるらしい。それで健太は気を遣い、食後1時間くらいはキャンプからちょっと距離を取ってブラブラするのが習慣化した。ただでさえ長い夜だから、ちょっとくたびれたくらいじゃないと眠れない。健太は運動して、それでも余る時間を、スマホにダウンロードしまくっていたマンガやラノベを読みふけって過ごした。
エルフガインに乗るようになってからしばらくは、マンガやアニメが楽しめなくなっていた。自分の境遇があまりにも数奇で、空想の世界にリアリティを感じられなくなっていたためだった。でも最近は一周まわって楽しめるようになっていた。心にゆとりが生まれたのか……。
(妙なもんだ……地球から遠く隔たった場所にいるのに)
いつまでたっても奇妙な夜空には慣れることはなかった。ブラックホールの漆黒は夜の闇とも違って、根源的な不安を喚起する。見つめ続けていると眼が変になる。みーにゃんに言わせると特異点……時空の歪みを直に見ているせいらしい。繊細な人間なら気が変になることもありえる……。
なかば魅入られたように空を見上げていた健太は、視界の隅に動く小さな光点に気付いた。
(衛星かな?)
健太は立ち上がると、みーにゃんを呼びに帰った。
「なーに~?」
健太は空の一角を指さした。「アレ見える?動いてるだろ?」
「ん?ああホントだ!」みーにゃんはたちまち興味を示した。
礼子先生を呼び出してヤークトヴァイパーを起動させた。高性能レーダーが必要らしい。それから自機ミラージュヴァイパーに乗り込み、なにやら観測をはじめてしまった。
突然の慌ただしさに礼子は眉をひそめた。「健太くん、実奈ちゃんになにを言ったの?」
「人工衛星みたいなのを見つけたんで、みーにゃんに知らせたらあの調子で……」
10日目には、実奈がエルフガインに内蔵された各種ドローンを改造して、簡単な偵察を行った。食べ物を見つけ、同時に周囲のパトロールをさせるためだった。壊れた金属部品を加工してフライパンと鍋も作っていた。
それから、ヤークトヴァイパーの冷却システムからホースを引っ張って、大量のお湯を供給できるようにした。
生きるための仕事はたくさんあった。毎日水をくみ、飲用に煮沸しておく。そして食物採取。娯楽と言えば食べることだけだったので、単調にならないよう趣向を凝らし、かつ採取地域も選ばねばならない……近所の食べ物だけ集めていたら、いずれだんだん遠くに出かけなければならなくなる。これがいちばん時間がかかる作業だった。
ついで掃除洗濯、あるいは衝立や物干し竿を作る作業等々……やむにやまれぬ事情で、女性陣は衝立を必要とする。材料は竹とロープだ。
人間というのは、ちょっと気を抜いてだらしなくあろうとすれば、あっという間に原始人に先祖返りしてしまう……ここの生活ではそのことをしみじみ実感した。規則的な生活サイクルやソーシャルディスタンスの設定は、極限環境で生活共同体を維持するのにぜひとも必要だった。
竹で作ったトーテムがひとつあるだけでも、気分は良くなった。無人野菜直売所より素朴な代物だったが、これで雨天でも火を絶やさずにいられる(いまのところ雨はいちども降っていない……そもそも雲さえ見たことがない)。
それに旗竿。ふとタイボルト大統領の星条旗を思いだし、対抗するつもりで立てた。旗はなかったのだが、健太の意図に賛同してくれた礼子先生が貴重なハンカチを提供してくれた。やってみると、そういった象徴的なものもモチベーションを維持するのに役立つようだと気付いた。埼玉の生活では実感できなかったことだった。
みーにゃんは衛星を観測し続けた。
2時間ごとに空を横切る人工衛星にエルフガインのありったけのレーダーセンサーシステムを向けさせ、暇があれば湖畔の地べたに座り込んで、ラップトップコンピューターでなにやら作業している。しばらく没頭していたので健太はとなりにしゃがんで、なにごとかと尋ねた。
「みーにゃん、なにか分かったのか?」
「うん?あ、あれ宇宙船。人工衛星じゃなかった」
「う、宇宙船てマジで!?」
「すごいでっかい宇宙船だよ。びっくりしちゃうような最新式」実奈は膝上のラップトップを健太に向けて見せた。
最大望遠で撮影された宇宙船の姿が画面いっぱいに映っていた。
「おおう!」NASAが発表した近未来スペースシップの想像図にありがちな、無機質なシリンダーの塊ではない。アメ細工のミサイルとでも言うべき、複雑な網目模様がより合わさった滑らかな乳白色の紡錘形。
「これ……どのくらいの大きさなんだ?」
「だいたい1500メートルってところかな……」
「せっ!せんごひゃく……それって、異星人の戦艦みたいなもん?」
「最初はそう思ったけど違うんだよね~。船体よく見ると英語で名前が書いてあるしアメリカの星マークが付いてたし」
「アメリカ製だってのか……?」健太はごくりと喉を鳴らした。健太が学園祭とかちんたら過ごしているあいだに、アメリカ人はこの惑星に橋頭堡を築いて、アンドロイドを生産するのみならず巨大宇宙船まで建造していたのだ!
さすがの行動力、というほかない。
「たぶん高等異星人のテクノロジーを供与してもらったんだと思うよ。あれが〈箱舟〉なんじゃないかな……」
「船名は分かったの?」
「うん〈ヴァンガード1〉」
日曜日も設けられた。なにもしないで休む日だ。とりあえず食物は備蓄できたので、そんな余裕もできた。
健太はその日、小型ドローンをお供にして散歩に出かけた。弁当はリンゴかイチゴを現地調達するつもりだったが、まこちゃんが笹の葉にくるんだ芋と魚の燻製を持たせてくれた。
南の方角に比較的険しい山岳地形があり、ちょっと山登りしてみるつもりだった。
ドローン経由で1時間に一度連絡を取りながら、だんだんキャンプから遠ざかった。3時間くらい歩くと、山裾に辿り着いた。切り立った崖のあいだから滝が滴り落ちている。緩い傾斜を見つけて山に登った。まえにも経験したことだ……
やがて平地を眺め降ろすことができるほどの標高に辿り着くと、健太は腰を下ろした。
ヴァイパーマシンが並んでいるのが見えたので、キャンプの場所はすぐに分かった。一〇㎞は離れただろうか。
ドローンの無線がオフになっているのを確かめると、健太は言った。
「ここは、ハーレムだ」
もういちど、こんどは叫んだ。
「おれのハーレムだ~ッ!」
ずっと言えなかったことが言えた。健太は満足して寝転ぶと、ガハハハハ、笑った。
夕方近くに帰還すると、キャンプの様子がどことなく変化していた。
地べたの雑然とした感じがなくなり、そこはかとなくいい匂いがあたりに漂っている。
(ああ)健太はなんとなく察した。(野郎が居ないあいだに洗濯に精を出したんだ……)
「健太さん、お帰りなさい」竹と笹を編んだ大皿を抱えながらまこちゃんが言った。「山で寝転んでるの、見えましたよ、望遠鏡で」
「ありゃ、マジ?」健太は決まり悪げに笑った。「おれが散歩してるあいだに草むしりとかしたの?」
「まあ、暇だったので……」
「石ころもなくなって、なんか――」言葉が浮かばず健太は手のひらををぐるぐるした。「――良くなった」
まこちゃんがはにかんだ。
(可愛い)思わずキュンとなった。(こんなお嫁さんがいたらいいだろうなあ……イカン!なに考えてる俺!)
「健太ぁ~?帰ってきたぁ?」衝立の向こうからマリアが言った。「あんたの仕事取っといたから、水汲み~」
「なんだよ日曜日だろ?働けってか?」
「あたしたち、ひっさしぶりにじっくり入浴したからさあ、今日は汗かきたくないの、よっろしく~」
健太は溜息をついた。「了解!」
「それからぁ、入浴って聞いてエッチな想像すんなよな」
「しねーよ!」
実際には素晴らしい光景を妄想してしまったのだが。思わずまこちゃんのほうを見ると、困った顔でそっぽを向いていた。
「かっ髪、キレイだね」なにか言わねばならないと思ったので思わず口走っていた。
「あのっ」まこちゃんはますます困惑して髪を撫でた。「礼子先生にカットしてもらってその……」
「み、水酌んでくるわ!」居たたまれなくなって健太はその場を逃げ出した。
その夜。焚き火を囲んだ女性陣は、全員こざっぱりした私服姿だった。もともと、温かいと言われていたアフリカ用だったので、Tシャツとジーンズといった感じだ。寒いので、まこちゃんとみーにゃんは銀色の保温ブランケットを羽織っている。礼子先生だけがスカート姿だ。
微妙に改まった様子なので、おおかた健太不在のあいだに好き勝手なガールズトークを堪能したのだろう。
「お兄ちゃん、なんかみっけた?」
「いやー、とくになにも……地面に生えてる食えそうなもんばっかり眼が行ってたし」
「ひとりになってのびのびしたろ?今度あたしもやってみようかな」
「つぎの日曜がくるまえに帰りたいけどな……」
「先生はここの暮らしちょっと気に入っちゃったけど」
「えっ?どうして?」
「こんなにのんびりできたの、久しぶりだから……社会人になってから初めてかも」
「夏休みとか……」
「先生は働いてるんですっ!」
「そりゃ知らなかった」
毎日せっせと働いてはいたものの、「のんびり」という言葉に違和感はなかった。アメリカ西部開拓時代の生活じみているが、おそらくテキサスの荒野よりずっと住みやすい場所にいる。
井戸を掘る必要も食べ物の心配もなく……そして、テレビやネット環境から切り離されてしばらくすると、そんなもの無くてもいいことに気付く。予期せぬ着信とか、知らなくてもいいような死亡事故のニュースに心煩わせたり、時間割りに縛られることもない。
仕事が一段落してぽっかり空いた時間に釣り糸を垂らしたり……そんなとき「のんびりする」という言葉の神髄が分かる。
「でも、まこちゃんがしっかりしてくれてるからよね……先生大人なのに、ちょっと情けないわ」
「そうだよなー、あたしたちだけだったらもっと悲惨な生活になってたかも……」
今夜の食事はまこちゃんが奮発して、缶詰の赤飯とソーセージ、それに味噌味のごった煮。久しぶりのご飯食だ。それに冷えたリンゴジュース。
手持ちの調味料は塩と砂糖、ブリスターパックに詰まった弁当用のソースと醤油……それにレトルト調理済食品のスープのみ。それなのにまこちゃんはよくやっている。ケチャップやマヨネーズ使い放題だったらもっと素晴らしかったろうが、だれひとり文句は言わなかった。言えるわけがない。
食事が終わって、インスタントコーヒーの時間になった。健太は寝袋と薪を縛って作った背もたれに寄りかかって、言った。
「島本博士、どうしてるかなあ……」
実奈が言った。「向こうはエルフガインが消えて15分……そろそろ対策会議始まったかもねえ~」
地面に片肘をついて寝転んだマリアが言った。「精一杯前向きに見積もっても、開会宣言中、てところだな……」
先生も片手をついて恰好を崩したので、健太はたいへんなことに気付いていた。
(ノーブラ、だ……)
ややうつむき加減のバストが黒いTシャツを魅惑的に押しあげ、焚き火の加減で布地のポッチの陰影が見えちゃっていた。
じつに心乱れる光景であった。
まあ、健太も薄々感づいてはいた。みんな替えの下着を三枚くらいしか持ち込んでいないのだ。
それで、節約することにしたのか!?
(まさか、みんな……)
キャンプの配置が微妙に変わっていたのは、衝立が移動していたせいだ。おそらくその衝立の向こう側には、洗濯したての下着が……
「健太くん、どうかした?」礼子先生が声をかけた。
「えっいや、べつに」
「健太さん、汗かいてますよ……熱でもあるんじゃ……」
「いや、まこちゃん、体調は悪くないよ」健太は慌ててスーツのポケットを探り、布切れを取り出して額を拭った。
そのとたん、女性陣がハッと息を呑んだ。
「え?なに?」
健太はいぶかしげにみんなを見回し、ついで自分が握っている布切れの正体に思い当たってギクリとした。
マリーア・ストラディバリの、パンティー、だ……!
「健太……てめっ、それ……!」
「ちょっと待った!たぶん誤解だから!」
「なっなにをどう誤解だというの……?」ひどく硬い声で礼子先生が迫った。
「これはッスね、マリーアがし、出撃まえにその、お守りって寄越したもので……」
「へーえ」マリアの声も1オクターブ低くなった。「やっぱりマリーアとそういう仲だったんだ……!」
「ちゃうちゃう!やっぱりってなんだよ!そこまでは行ってないッス!」
「キャーッ!」みーにゃんが楽しそうに耳を塞いだ。
「ま、まあわたしたちから盗んだんじゃないのは知ってるけど……でも」
「先生、落ち着いて……」まこちゃんが言った。
「うわ~、黒いレースのTバック……」みーにゃんまでが引いていた。
「とにかく、それは没収します!」
「……」
ここはこれ以上ぶざまな言い訳をかさねる時ではない。健太は無言で黒いレースの塊を差しだした。礼子先生が厳格な表情でそれをつまみ上げた。そんな持ち方されると悲しいが、なにも言うな、我慢……。
健太がぶちこわしにしてしまったため、その夜は早々と解散となった。
みんなが寝間着代わりの作業服に着替えるまで近所を散歩してこいとマリアに言われ、健太は従った。とにかく、おまえなんか死ねと言われてはいない。
湖畔をとぼとぼ歩きながら、星を見上げた。ブラックホールが奇っ怪な目玉のように見返してきた。情緒もへったくれもなかった。
「ちぇっ」
しゃがみ込んで湖に石を投げた。
たいへん迂闊だった。できれば時間を巻き戻したかった。
「お守り」は帰ってこないだろうなあ……。
こんな事態に至っても、一瞬にしてエルフガインチームに生じかけた絆らしきものをぶちこわしたことと、お守りを取り上げられたこと、どちらが惜しいのか判断しかねていた。多少自己正当化の気持ちが働いているせいもあった。ものはアレとはいえ日本人、「お守り」と言い渡されたとたん霊的ななにかが宿ってしまうのだ。マリーアの気持ちを裏切ってしまったような気もする。
(えいくそ、なにをくよくよすることがある?べつに悪いことしたわけじゃねーし。
……なんて言いぐさは通用しないよね……?)
昼間の密かなハーレム宣言がひどく空虚に思えた。
なんとも決まり悪かったので、結局1時間ほど時間を潰してキャンプに戻ると、全員衝立の向こうに消えていた。焚き火あとだけが細い煙を立ち昇らせていてもの悲しい。トーテムの頂点にくくりつけられた懐中電灯の明かりがさらに侘びしげだ。
(あんなもん作らなきゃよかった……)
眼にするものが何もかも空しさを抱かせる。
「健太くん」
背後から声をかけられ、健太は振り返った。
礼子が、巨大なバニシングヴァイパーの主脚タイヤに寄りかかっていた。
「あ……先生……」
「健太くん、さっきまこちゃんから聞いたわ。健太くんとの部屋にマリーアさんが忍び込んで、ふたりで話し込んでるのを、たまたまバルコニーで盗み聞きしてしまったんですって……」
「えっ!?まこちゃんが……」
「ウン、それでね、いろいろ話し合った結果、健太くんを責めるのは酷かなって……」
健太は内心ホッとし過ぎてへたりかけた。
「ああ……そ、そうすか、よかった……と言うべきかな……」
「まこちゃん、盗み聞きしてしまったことすごく悩んでたのよ。感謝してあげて」
「ハイ……」健太はギクリとした。まこちゃんがあの会話を聞いていた、ということは、礼子先生のことをゲロさせられたことも……。いやいや!マリーアとはひそひそ話してた……だよな?くそっよく思い出せない……。
そっと礼子の顔に眼をやると、湖のほうに顔を向けていた。
「ねえ、健太くん」
「は、ハイ」
「わたしたち、帰れるの?」
健太はまたうつむいた。
「ゴメン、すぐ帰れると思ったんだけど、その、なかなか……」
「ああ、責めてるんじゃないの」礼子は慌てて首を振った。「不思議なんだけどわたし、帰りたくてしょうがないってわけじゃないのよね。最初の数日は正直不安だったけど、わたしより年下のみんながしっかりしてるから不満は口にできなかったし、そのうちに慣れちゃったというか……そしたら、変なこと考えるようになったの。このままずっとここで生活することになったら、どうなるんだろうな、って……」
「そ、それはないよ」健太も慌てて付け足した。「いちおう言っとくけど、おれわざと帰ろうとしてないわけじゃないからね!」
「ウン」礼子は後ろ手でステップを踏むように歩いた。それから立ち止まって、言った。「今日、健太くんが留守の間にそんな話になって――もちろん冗談でよ?――みんな同じようなこと考えてたみたい」
「えっ……そう、なんだ」健太は困ったように頭を撫でた。「髙荷はさぞ言いたい放題だったろね……」
「まあね」礼子がクスクス笑った。「でも、健太くんのことあれこれ言ってたら、お姉ちゃん健太くんのことホントは嫌いじゃないでしょって、実奈ちゃんに突っ込まれてたわよ」
(マジか……)
「えーと……先生」
「ン?」
「このまえのこと、なんだけど……」
「このまえって?……ああ」礼子は恥ずかしそうに手をひらひらさせた。「あのこと……」
「俺……」
健太は顔をうつむけて頭を掻いた。うまい言葉が思いつかない。むしろ言葉にしたら全部陳腐に響いてしまいそうで、言えなかった。
「健太くん?ひとこと聞きたいんだけど、その~……」
「なんすか?」
「あなたと、その、マリーアさんは……」
「あっ!それはおれがドッ……で、からかってんじゃない?イタリア人っておーらかだし」
「へ、へえ……カノジョとかじゃ、ないんだ」
「うぃす」
「それじゃあ、やっぱりまこちゃんが……好き?」
「はっ!?そんな、すごく可愛いとは思うけど、中学生だし……それにおれ、エルフガインのみんな好きだよ、よく分かんないけど」
これは拷問か?健太は急に腹が立ってきた。礼子先生は話をどこに持っていきたいのか?
「ッ、ていうか、おれはせせせせ先生がっ……!」
健太は礼子の肩を掴んで引き寄せ、抱きしめていた。
礼子は抵抗しなかった。驚いてもいない。
「……好きです」
礼子は無言だ。
それから、礼子がすすり泣いていることに気付いて、健太はうろたえた。
「せ、先生……?」
「分かってるよ」礼子がくぐもった声で言った。「健太くんの気持ち、知ってるもん。だけど……」
だけど!?
「……やっぱり、先生年上だし、健太くんよりずっと先におばさんになっちゃうのよ?そんなの耐えられない……」
健太は腹からちからが抜け落ちてゆくのを感じた。
(そんなことないよ!先生はいつだって――」
礼子は健太の肩の辺りに顔を埋めたまま、首を横に振った。
「いつも……クラスのみんなからおばさん扱いされるの、怖がってたんだもん。これからずっとそんなの心配しながら、過ごしていけないよ……」
「けど――」
「けどはやめて!」礼子が顔を上げて健太を見据えた。「ここで健太くんだけ過ごして歳を合わせるとか、馬鹿げた話はやめてちょうだい!……それより……それよりまこちゃんを見てあげて!本当はあのあと泣き出してたいへんだったんだよ?」
「えっ……!」またもやショッキングなひとこと。
でもまこちゃんは中学生だし健太に対する思慕の情があるとしてもそれは恋愛というより身近な異性に対する淡い恋心に過ぎないんじゃ……
とかなんとか。
そういった思考が健太の頭の中で猛烈に渦巻いたものの、とても言い出すことはできなかった。
小さな背中を丸くして嗚咽する真琴のすがたが、あまりにも鮮烈にイメージできてしまったからだ。胸が締め付けられた。
礼子が二の句が継げず立ち尽くす健太から身を離した。
女性4人に幻滅され、そのうちふたりを泣かせてしまった。
(おお、なんて男前なんだおまえは!)健太は自嘲した。(ハーレムが聞いて呆れるぜこのくそ馬鹿野郎!)
立ち尽くした健太の脇を礼子が通り過ぎてゆく。
そのとき、忌々しいスマホが鳴り出した。もちろん通話には使えないのだが、健太も礼子もなんとなく習慣で持ち歩いていたのだ。ヴァイパーマシンの戦術コンピューターから届いた警戒警報だった。礼子は立ち止まり、健太を、ついで愛機ヤークトヴァイパーを見上げた。
超重戦車の砲塔が唸りを上げて旋回している。
「なにが起こったんだ?」健太はスマホの画面を見た。「ドローンがなにか動きを探知したらしいけど……」
マリアがテントから這いだしてきた頃には、実奈が状況を把握していた。ドローンから送信されたカメラの画像をスマホに呼び出していた。その画像を見た健太たちは息を呑んだ。
「人間だ!」
女性が地べたに倒れ込んでいる。見たところ南米系だろうか、長い黒髪はもつれて服もぼろぼろだった。
「座標は分かるよ……北西30㎞」実奈が山のほう……ドーム群がある方向を指さした。
「わたしが、スマートヴァイパーで救助してきます」いち早くパイロットスーツを着込んでいた真琴が言った。
「念のため、おれが上空を援護する」
「お願いします」
それから1時間ほどのち、その女性はスマートヴァイパーの手のひらに載せられて、キャンプに運ばれてきた。
女性は生きていた。
テントに運び込んで真琴と礼子が看病に当たっていた。寝床を失ったマリアと実奈が所在なげに突っ立っていたので、健太は言った。
「あのひとは先生たちに任せて、今夜は各自、ヴァイパーマシンで寝てくれ。おれはここで待機してる」
「そうね……健太、3時間くらいしたら交代してやるよ」
「それじゃお兄ちゃん、おやすみ~」
5分もするとテントから礼子が出てきた。
「健太くん、お湯を用意して。たっぷりね。それから非常食のスープを温めて」
「あのひと、大丈夫なんですか?」
「分かる範囲ではね……骨折とかはないけどあちこち打ち身や擦り傷がある。ひどく消耗してるけど……明日まで様子見ね」
夜が明けて、礼子と真琴はテントの隅で寝袋に潜って眠り込んでいた。マリアが変わって女性の世話をしていた。マリアによると女性の名前はイディナ・メンデス。
一年以上まえにこの惑星に連れてこられたという。
「アメリカ人が……?」
「正確にはブラジルの国境防衛隊に所属してて、米軍の捕虜になってここに連れてこられたらしい……同じような連中が何万人もいるらしいよ。みんなタイボルトのアンドロイド生産工場で働かされてる。その工場は10年以上まえから稼働しているんだってさ……」
「あの野郎、ここにそんなもの作ってたのか!」
マリアが頷いた。「アフリカにアメリカ製ロボット軍団が大挙した理由が分かったって、実奈が言ってたな。時間の遅いこの場所で軍隊を増強してたんだ……ああそうだ、健太」
「なんだ?」
「あんたの作業服提供して。あのひと身体大きくてさ……あたしたちのじゃサイズ合わないの」
そう言えばあの女性は健太より背が高くて、テントに運ぶのがたいへんだった。
「おっけー」
思わぬ来客のせいで健太の悪行(?)はひとまず脇に置かれた形になり、ちょっとホッとしていた。
願わくば、このままうやむやになってくれまいか……
翌日になると、イディナ・メンデスは起き上がれるほど回復した。それで健太たちは焚き火を囲み、彼女から詳しい話を聞いた――むろん、英語が分からない健太は通訳してもらったのだが。
イディナはこの惑星のひと月ほどまえに脱走した。
工場の古参からいろいろ聞き及び、ここが地球ではないこと、人間は工場のほかに居な
いことは知っていた。食うや食わずでとにかく歩き続けたが、助かるとは思っていなかったそうだ。
だが一度だけ、見たことのない航空機が遠い空を飛び去るのを目撃して、すがるような思いでそちらの方向に歩き続けたという。
「たぶんアレだと思う」
イディナは背後に鎮座しているストライクヴァイパーを指さした。彼女もエルフガインの存在は知っている。「あのジャップロボ……失礼、日本のロボットね」
健太たちとの遭遇は、彼女にとっては奇跡としか言いようがない。おかげでひどく熱烈に感謝されてしまった。
それから実奈に頼まれ、イディナは工場の様子を絵に描いた。見取り図だ。差し渡し10㎞の敷地にかまぼこ形の大きな建物が12棟。貯水施設に発電機、いちおう上下水道まで整っていた。建物を囲むように居住者のバラックが並び、スラム街の様相を呈している。いちばん古参の人間は8年以上まえからここに住み、結婚して子供まで生まれていた……。
その脇には採掘所があり、巨大な機械で地面を漏斗状に掘っている。これも差し渡し1㎞ほどもあるクレーターがたくさんある。
工場のひとつでは、巨大ロボットも建造中だ。
「脱走を決意したのは、奴らの計画が終わりかけている、という雰囲気だったからなの。工場を管理しているアンドロイドはひどく合理的なところがあって、用の無くなった人間には関心を示さなくなる。厳しく管理しなくとも、どうせ誰もどこにも逃げられないと分かっていたから……そしてわたしたちは、生産計画が終わった暁には、全員餓死するまで放置されるだろうと察した……」
だから監視が甘くなった隙を突いて逃げ出したのだ。
「じゅうぶんな数のアンドロイドが生産されると、あたしたちに取って代わったのよ……あの、人間そっくりな恐ろしいアンドロイドども。でも、あたしは直接見てないけれど、ときどき人間が視察に来た。アメリカの大統領を見たって人もいたけど、彼がぜんぜん歳を取ってないって、そのひとひどく怯えてたわ」
それで実奈が、この星の時間の進み方が地球よりずっと早いことをイディナに説明した。
「え……?まさかそれじゃ、あたしがここに連れてこられて、あっちはまだ半日も経ってないっての!?冗談でしょ!?」
さすがにショックだったようだ。失われた時間を悼むいっぽうで、地球に残してきた家族はおそらく変化していないと知って、悲喜こもごもといった様子で涙を浮かべていた。 「なんとかしなけりゃ」
イディナが顔を上げ、健太をまじまじと見た。
「あたしたちを助けてくれるって言うの?」
イディナがいぶかしげなのはどうしてなのか、健太には理解できなかった。それでいろいろ尋ねてみると、ようするに、イディナにとって健太たちは敵だ、と認識していたらしい。
「だってあんたたち日本人でしょ?あたしたち、さんざん日本人は敵だって教え込まれたのよ?」
「アメリカがそう宣伝してたんだろ?まあ敵対してるのは本当だけど……」
「あんたたちは中国を滅ぼしたって教わったの。ロシアもドイツも、他の国もいっぱい。違うっての?」
驚いたのは健太たちのほうだった。
「そっそんなふうに考えたことはなかったな……べつに、無差別爆撃とか、占領もしてないんだけど……」
「本当に!?」
健太たち全員が頷いた。
そういう事情に詳しい真琴が長々と説明した。健太たちが本当にロボット同士のVSバトルをし続けていたこと、それで「コア」を40個集めたほうが勝利すること、アメリカに勝たないと50年以内に地球温暖化が進んで人類が滅亡すること等々……。
イディナは真逆を教え込まれていた。サタンに魅入られた極東の島国が世界を焼き尽くしており、アメリカはそれを阻止するため極端な戦時体制を敷いていると信じ切っていた。すべて嘘だと言われても、簡単には信じられないだろう。
健太はあらためて尋ねた。
「あんたたちだってアメリカを敵視してるんじゃないのか?」
「あたしら三等市民扱いだもの……アメリカが一等でアメリカに支配された南米が二等。でも二等市民扱いしてもらえるのは富裕層だけで、あたしら貧困者は奴隷扱いだったの……だから抵抗して、このざまよ」
「だから、助けるよ」
「本当にいいの?工場にはアメリカ人やカリフォルニア帝国の囚人も混じってるんだよ?あんたたちに助ける義理なんかないでしょ……」
健太は肩をすくめた。「どうせおれたちが戦ってアメリカに勝たなけりゃ、みんな死んじゃうんだ。あんたたちの国も状況変わらない」
「そ……そうなのかしら」イディナは眉を寄せ、考え込んでいた。「そうなのかも……」
1時間ほど話し合ったが、いい考えは浮かばないまま解散した。健太はひとり湖畔を歩きながら物思いにふけった。
いままではただ地球に帰ることだけを考えていたが、事情が変わった。そしてキャンプ生活もお終いだ。あしたかあさってには決断を下さなければならない。
(どうやって工場の何万人も助ける?)
それだけではない。
タイボルト大統領の工場を叩き潰す。これが課題だ。だがその工場は、異星人のドームとはべつの場所にある……数千㎞も離れているのだ。
「ええいくそ!どうすりゃエエんだ?」 頭を掻きむしった。島本博士も久遠隊長もいない。健太に具体的な指示を与えてくれるものがいないと、こうも無力というか、意思が萎えそうになり、我ながら不甲斐なかった。
おれが、自分で決断しないとイカンのだ。
それで?
そこから一歩も進めない。
「畜生……バカたれめ!」
エルフガインに乗り込んで敵地に突撃すりゃなんとかなる……そんな考えが浮かんだとたんにしぼむ。
もうちょいまじめに考えろ!考えるんだ……
その1) まず敵のアンドロイド軍団をどうにかしなけりゃならない。
その2) 捕虜になってる人たちを助ける。
その3) みんなで地球に帰る。
まずはその1だが……。
「かーッ!やっぱグッドアイデアなんかうかばねーよクソッ!」
へたな考え休むに似たり。
健太は水際の草むらにどかっと腰を下ろし、仰向けに寝転んだ。
(なんで母さんはこんな時に出てきてくれないんだ……)そう思った途端、またしても居たたまれなくなった。結局、誰かに考えてもらわなきゃ、なにもできないのか俺は……
(流されて来たもんなあ)
春からずっとそんなだった気がする。あれをやれこれをやれと言われて諾々と従い続けてきただけ。
そしてようやく気力を振り絞って礼子先生に告ってみたら、あっけなく撃沈された。あの時のことを思いだすと腹の力が抜けた。溜息を長々と吐き出した。
(イカン。思考がマイナススパイラルってる)
寝返りを打った。
(シリアス思考は嫌いなんだ。いや、まじめに人生考えるの避けてただけ)
分かっていてもマイナス思考に歯止めがかからない。
(こんなん俺らしくねえっつの)
俺らしくってなんだ?健太はそう自問してみたが、やっぱりよく分からなかった。
翌日朝。
慌ただしい朝の気配に気付いて健太は目覚めた。草むらで寝込んでしまったのだ。立ち上がって焚き火のそばまで歩くと、しゃがみ込んで薪をくべていた礼子先生が顔を上げた。
「おはよう、健太くん」
「おはよーございまッス」
「早いのね。散歩でもしてた?」
「いや、あっちの空き地で寝ちゃって……」
「そう」先生がしょうがないわね、というように苦笑した。「なんだかスッキリした顔ね。名案でも浮かんだの?」
「えっ?」健太は驚いて顔をこすった。「いやべつに……でも、今日出発しなくちゃ、とみんなに言うつもり」
礼子が立ち上がった。
「そう、健太くんも決断したんだ」
「俺もって……先生も?」
礼子は頷いた。
「健太くんと別れてから、みんなで話したの。今日出発するかなって」
「健太」
振りかえると、テントから出てきたばかりのマリアが言った。
「今日出発?」
「そのつもり」
「テントは畳んでいくの?」
「いや、ちょっと気が引けるけどこのままにしとこう」健太はささやかな生活空間を見渡しながら言った。「ここに帰ってくるのは想定しない……けど残しておく。ここに逃げ帰るのはボロ負けしたときだけだから、最悪の想定ってやつ。あくまで地球に帰還するつもりで」
「なるほど……だな」マリアはストレッチするように肩を回した。「なんか、決戦て感じじゃない?」前屈したり首を回したり、アスリート的に締まった身体をほぐしていた。
「ああ、アメリカに勝てば、終わるな」健太は首を傾げた。「それでみんなあらたまってるの?」
「そうだよ。当然でしょ」
真琴と実奈もテントから這いだしてきた。
「健太さん」「お兄ちゃんおはよー」
「おはよ、みんな。さっそくだけど今日でテント生活終わりだから、用意してくれ」
「はいよ」実奈が言った。予期していたという口調だ。
「健太さん、どうやって戦うのか決めたんですか?」
健太は咳き込むように苦笑した。「いやそれが、ぜんぜん思い浮かばなくてさ~。みーにゃんがグッドアイデア浮かんでないかなって、期待してた」
マリアがやれやれというように首を振った。「ダメなお兄ちゃんだ」
「それでいーの。ムズカシーことは実奈が考えてあげるから」
「ゴメンな……」いつになく恐縮してしんみりした口調になってしまった。
実奈は健太の肩をトントン叩いた。「お兄ちゃんは必要に応じて採用してくれればいいの。適材適所」
(そうだ……)健太はあらためて自覚した。(任せるべきはほかに任せて、結果はおれが責任もつ。事実上お飾りのリーダーだってそれくらいはできるさ!……たぶんな)
いつの間にか五人で輪を作っていた。なにかしなければという気がして、健太は片手を円の中心に差しだした。まこちゃんが躊躇なくその手に手のひらをかさねた。みーにゃんが続く。さらにマリアと礼子先生が手をかさねた。
「それじゃみ、みんなよろしく」健太が言った。
五人同時に手を離した。なかなかいいコンビネーションだった。
「健太、そこで照れてちゃダメじゃん」マリアが言ったが、やはり照れくさそうだった。不本意げに手首を揉んでいる。
「なんつーか……面映ゆいっつの?おめえだって照れくさそうだろ!」
「だってガラにもないこととつぜんするから!甲子園行くんじゃないんだから」
礼子先生が溜息をついた。「チームっぽい雰囲気だったのに台無し」
「ああそうだお兄ちゃん」
「なに?」
「テント畳まないならアレもそのままね」
実奈が指さすほうを見て健太はおもいきり顔をしかめた。竹竿の旗に黒い布切れが追加されていた。健太のお守りだった。
「ひ、ひでえ……」
「ぜんぜんひどくない」マリアが断固言い捨てた。その口調からしてやったのはマリア自身に違いない。だが女性陣は結束していて、健太を仲間はずれにする気もないらしい。
それで良しとすべきだろう。
みーにゃんは本当に対策を練っていた。
昨晩イディナから工場周辺の様子を執拗に聞き出していたのには、れっきとした理由があった。電気や水の取り回しから基地の中核を見当付けるためだった。
実奈の考えによれば、工場を支配するアンドロイドたちはセントラルAIによってコントロールされており、そのAIか電力供給源を叩けばアンドロイドは無力化される。
イディナの証言によって工場は軍事基地化していないと分かっていた。対空防御兵器もレーダーもない。建設した当初は海兵隊が守っていたらしいのだが、何年たっても外敵が現れなかったので引き上げたのだという(地球と行き来しているあいだに時間のズレから精神を病んだものが続出したため、という噂もあった)。
危険なのはアンドロイド軍団だけだ。
「よっしゃ」
健太たちは各々のヴァイパーマシンを駆って工場を目指した。つまり礼子先生、まこちゃん、みーにゃんが先行して、健太とマリアはあとから出発して到着時間を合わせる。
ジャンプロケットの燃料が残り少ないため、合体できるのはあと一度だけ。それで温存していた。今回の攻撃には合体前のほうが都合もいい。
ヤークトヴァイパーが工場に到着するまでおよそ3時間。到着する寸前に同乗しているイディナを降ろして、彼女の仲間に危険を知らせてもらう予定だ。そのためには陽動作戦でアンドロイドをおびき寄せねばならない。工場周辺に住んでいる人たちに被害が及ばないよう注意する必要がある。
まずはドローンを先行させる。それで相手の出方を様子見だ。地上型ドローンの何体かが無事工場敷地内まで辿り着いたら、無線マイクを通じてイディナに危機を知らせてもらう。
計画はすべて、敵がエルフガインに気付いていないことが前提だった。ただし作戦に奇襲攻撃の要素はない。敵ができるだけ早く動き出してくれたほうが、ありがたかった。ただ一点心配なのは、敵が健太たちに気付いていたのにも関わらず、二週間近く放置していた可能性だ。だとしたら相当に厄介な隠し球がある、と考えなければならない……。
(もうじき分かることだ)
敵には、エルフガインが工場の人間ごと攻撃するつもりだと思わせなければならない。人道主義を気取られたら人質に取られるかもしれないからだ。相手の一歩先を読まないとね、とみーにゃんは言うが、よくもまあ、そこまで考え抜くものだ。
とはいえ、みーにゃんは不満げだった。
計画がほぼぜんぶ推測と仮定に基づいているからだ。不測の事態はつねに起こりうる。
(そんなのどんな計画だってそうだが……)
でもみーにゃんが不安を感じているのは気になる。
そのうちに先行組が目的地に接近したため沈黙して、あれこれ考える時間は終わった。
「よし、おれらも突撃だ!」
『了解!』マリアが応じた。
健太は旋回をやめてストライクヴァイパーを増速した。マッハ2、音速の二倍。マリアのバニシングヴァイパーもぴったり追従してくる。先行した礼子先生たちに追いつくのは10分後。
『健太くん、イディナさんが外に出た。先生たちは工場から2㎞のところ……』
「了解、気をつけて!」
『健太』マリアが言った。『高度を上げて。15000まで上昇したほうが見通しがきく』
「分かった!」
礼子先生がヤークトヴァイパーに搭載されているありったけのドローンを発進させていた。そのドローンから映像が届きはじめていた。飛行ドローンからは工場地域全体の俯瞰図が送信され、実奈がその映像を解析して、発電所の位置を特定中だ。
地上歩行型ドローンの一機にはイディナが乗り……というかバイク並みのスピードで疾走する大きめの犬ぐらいのメカに必死でしがみついて、工場に向かっているはずだった。
『健太くん、来た!』切迫した礼子先生の声が聞こえた。『人間みたいなのがゾロゾロ先生めがけて走ってくるわ!あれアンドロイドなの?』
「人間よりずっと早いなら……たくさん?」
『何百人もいる!時速50㎞以上で接近してくるわ!』
「後退して奴らをおびき寄せてください!できるだけ工場から引き離して!あと、攻撃してきたらやっつけちゃって構わないんで」
『分かったわ!』
『健太さん、工場上空のドローンを通じて、イディナさんが呼びかけをはじめました……』住民に向かってポルトガル語と英語で、攻撃が始まるから工場敷地から退去するよう訴えているのだ。『それから、わたしと実奈ちゃんにもアンドロイドが多数接近中。ゆっくり後退し始めます』
「了解!こちらはあと5分で到着する」
ストライクヴァイパーの戦術コンピューターにデータがアップロードされた。サブウインドウに真上から観た工場施設の画像が映し出され、その上に建物のかたちや配管図のデジタルデータが被せられてゆく。
さらには人間が大勢いることを示す赤外線分布図。接近中のドローンを示す点も画面上に現れ始めた。
いくつかは交戦中を示す赤いアイコンだ。ドローンとアンドロイドが戦っているのだ。センサーはすでに400体以上のアンドロイドを確認して、さらに増加し続けていた。いっぽうドローンは全部で30体。長くは保たない。
住民がじりじりと画面の上のほう……北に移動している。南から接近する健太たちの真反対だ。
『お兄ちゃん』みーにゃんの声が聞こえた。『第一攻撃目標みっけた!いま送ったよ!攻撃しちゃダメなところは赤い×を付けたから』
「待ちわびた!」健太は叫んだ。
みーにゃんの予想通り、アメリカ人はバイパストリプロトロンコアをこの惑星に持ち込んでいなかった……地球上に分散配置して日本に対応するのが精一杯で、工場ひとつに割く余裕がなかったのだ。その代わりに火力発電施設を造っていた。原子力発電だったら万事休すだったが、幸運だった。
戦術モニターにふたつの目標が現れた。どちらも工場施設の端に位置していた。発電所は白い真四角な窓ひとつない建物と煙突で見分けやすい。サーバーは小さなピラミッド型で、おそらくAIそのものは地下深くに埋没している。
赤い×が建物のひとつだけに付いている。これは病院らしい。発電所とは一㎞以上離れていた。
「よし、マリア!一発かましたれ!」
『女の子に言うことか!』
文句を言いつつもバニシングヴァイパーがミサイル発射のために減速した。高度一万、音速以下に速度を落とす。
『巡航ミサイル発射!』
「先生たちはアンドロイドの数を減らしてくれ!」
健太は巡航ミサイルの一群を追うようにストライクヴァイパーの速度を増した。
すぐに絶賛攻撃開始中の先生の上を通過した。
わずか数秒後、巡航ミサイルが目標につぎつぎ着弾した。
健太はストライクヴァイパーを急上昇させ、ループに入った。後方モニターに注目すると派手な爆発が起こっていた。
(発電所はお終いだな)
巨大なループを描いてふたたび降下しつつ、取り残しを捜した。
ピラミッドも黒煙を上げていたが、健太は念を入れて100㎜機関砲弾を叩き込んだ。
『健太くん!』礼子先生が言った。『アンドロイドたちの動きが……止まってるみたい!』
『こちらも確認しました!』まこちゃんが追認した。
「よぉし」
健太は機体をふたたび上昇させた。工場上空を旋回して様子を見た。
「みーにゃん!どうだ?」
『ンー、待ってね。いま忙しいの』
(みーにゃんはなにをやってるんだ?)ちらっと思ったが、時速千㎞ですっ飛びながら攻撃中なので、ほかに気を回す余裕はなかった。
機体のルックダウンシステムが地上の動きを探って、逃走中のイディナと仲間たちを割り出していた。数万人が移動しているから動きは緩慢だ。せいぜい小走りという程度で、安全には程遠い……。
「健太!下!」マリアが叫んだ。
ほとんど同時に脅威目標シグナルがじゃんじゃんがなり立てた。
敵だ!
機体を傾けて眼下を見ると、工場のひとつが内側から膨れてゆくように見えた……やがて屋根が吹き飛び、粉塵を巻き上げながら倒壊してゆく建物の中から、異形の巨体が半身を起こした。
イディナが言っていた巨大ロボット……完成していたのか!?
『けっ健太くん……!』礼子先生が喘ぐように言った。それも無理はない。
デカ過ぎる。
肩幅がエルフガインの2倍はありそうだ。
そして巨大な半身がはどんどん高く持ち上がってゆく……上半身は人間型だが、下半身は太い蛇じみた構造なのだ。とぐろを巻いて周囲の構造物を蹴散らしていた。
『健太!』こんどはマリアが言った。
「が……合体だ!フォーメーションモード!」
『待って!』思いがけずみーにゃんが怒鳴った。『まだ合体できないの!大事なことしてんだから待ってよ!』
「つったって……いや、分かったよみーにゃん!みんな!ちょっと時間稼ぐ!あのばかデカいヤツを避難してる人たちの反対側におびき寄せるぞ!」
『了解したよ健太!』
『実奈ちゃんのミラージュヴァイパーはわたしが同期コントロールします』
「よろしくな、まこ!」勢い余って呼び捨てしてしまった!健太は慌てて言いつくろった。「じゃなくてまっまこちゃん!まこちゃんて言おうとしたんだよ!」
『いっいえ、べつにいいんです……』
『健太!ラブコメしてる場合か!』マリアがなかば笑いながら怒鳴りつけた。
『健太くん、邪魔して悪いんだけど――』
「なにも悪くないですから、先生!」
『――後退しながら攻撃してもいいの?』
良い質問だ。
「ええと……慎重に判断してください。あいつがどれほど強いか未知数です。ヘタに反撃食らうとどうなるか……」
『了解したわ』
地上の礼子先生たちが後退し始めた。
そして、敵の巨大ロボも前進しはじめた。下半身を蛇そのものの動きでのたうちながら先生たちを追っている。
地面に長々と伸びたその全長は、300メートルはあるだろう。
「とんでもねえ奴……」
『健太、AIはぶっ壊したんでしょ?あいつどうやって動いてるのよ!?』
「だれか乗ってるのかな……?」
『違うよ!』
みーにゃんだった。
『あいつはだれも操縦してない!独立したAIで動いてるの』
「みーにゃん、もう作業終わったのか?」
『お待たせっ!実奈いろいろハッキングしてたんだよ』
「ハッキングってなにを……?」
『手始めにあの宇宙船』
「ヴァンガード1か!?」
『うん、それでヴァンガード1のシステム乗っ取っちゃった。それからデータベースを閲覧したらびっくりすることが分かった!』
「それは島本博士が聞いたら喜ぶような話かな?」
『お兄ちゃんも喜ぶ話だってば!あの宇宙船には地球に帰還できるシステムが組み込まれてた……』
「そりゃすごい!」
「あとね、あの宇宙船は異星人の仕様書に従って造られてるの!完成したら異星人が使えるようにね。そのシステムのなかにはあのドームのコントロールコマンドもあったんだよ」
「それってばつまり……?」
『うん、さっきあのドームに閉じ込められてた異星人を全員解放しちゃった!』
「……それ、すごいな!」
『でしょでしょ?……けどひとつ問題があるかも』
「え、なに?」
『つまりね~それって、ドームの封印を解くってより、この惑星そのものの封印を解いちゃった感じなんだよね……』
イディナ・メンデスは避難者の最後尾に付き、すり鉢状の採掘クレーターに逃げ込んでゆく人々を見守っていた。
背後で轟音が鳴り響き地面が揺れると、避難者たちが悲鳴を上げた。イディナは1㎞ほど離れた工場のほうに振りかえった。
「最終兵器が起きてる!」誰かが叫んだ。
だれが呼び始めたのか、第9棟で建造中だった巨大マシンはそう呼ばれていた。組み立てていたのはおもにアンドロイドどもで、だれもその実態を知らなかった。だが世界で巻き起こっていたロボットバトルにいずれ参加するマシンだとは見当を付けていた。
だが、その大きさは実感していなかった。
まるで、生きている高層ビルが立ち上がったようだ……。
「たいへんだ……!」
あのエルフガインの少年たちに危険だからなるべく遠くに逃げろ、と言われてはいた。だがたった1㎞距離を取っただけではまったく足りない……ショックと共にそう悟った。
「みんな!もっと遠くに逃げてっ!」
イディナは声の限り叫んだ。だが言うまでもないようだ。巨大なメデューサの怪物を一瞥したとたん、群衆は蜘蛛の子を散らすように「安全圏」を捜して逃げ惑いはじめた。
固まっていた群衆がばらけはじめたので、イディナはショック状態で立ち竦んでいた人間に駆け寄って逃走を促した。何人かは突き飛ばされて地面に倒れている。どんなときでもそういう人を助ける人間もまた存在した。
間もなく、怪物がイディナたちに背を向け、どんどん遠ざかっているのに気付いた。イディナはホッとした。怪我人が何人もいて、見捨てて逃げられないとなかば覚悟していたのだ。
しかしひと息ついたのもつかの間、背後で誰かが叫んだ。
「見ろ!空を見るんだ!たいへんだ!」
イディナはギクリとして空を仰いだ。
あの嫌な漆黒の空が、変化していた。
べつの誰かが叫んだ。
「ブラックホールが縮小している!」
いっぽう、健太たちはフォーメーションモードを再開していた。
怪物の動きは思いのほか速く、礼子先生たちが追いつかれる前に合体を果たす必要があった。
エルフガインが合体を終えたとき、怪物はわずか500メートルまで接近していた。
「で、でかいな……」
怪物は高みから健太たちを見下ろしている。
「攻撃してこない……」
健太はエルフガインをじりじり後退させた。それとともに怪物の正面から側面に回り込む。怪物は上半身をひねってエルフガインの動きを追っている。
怪物の頭部はスパイクのようにとんがっていて、真っ赤な一つ眼だ。その眼が健太を見据えていた。
「健太、無線機がなにか拾ってる……」マリアが言った。
「スピーカーに出せるか?」
間もなく、ざらついた音が耳元に響いた。
それから突然クリアになり、子供の声が聞こえた。
『ねーえ……』
健太は鳥肌が立った。
「あ、あいつが、喋ってる……?」
「お兄ちゃん」みーにゃんが声を潜めて言った。「アレは異星人よ。というより、異星人が造り出したAIというか……」
『ねーえ……聞こえるー?』
「どういう意味なんだ?」
「ひと言で言うのは難しいかな……実奈、とっても重大な事実を知らされちゃった。アメリカ人を操ってる「悪い宇宙人」はね、もう存在してないの。何億年も前に滅んじゃった。でもそいつらが作り出した「全自動生命体抹殺システム」だけがまだ動き続けてる……」
「どうしてそんなことが分かる?」
「だってさっき解放した異星人さんたちが口を揃えて教えてくれたんだもん」
「マジかよ……」
「ホントだよ。正確に言うとその異星人さんたちもずっと昔に自動抹殺システムに滅ぼされちゃってて、今後の参考用にアーカイブ保存されてただけなんだ……それでね、異星人さんたちの生き残りが、やっぱり大昔に、これから誕生する有機生命体がその自動抹殺システムに対抗できるようにって、バイパストリプロトロンを生み出したの」
「だんだん分かりづらくなってきた……」
「つまり異星人さんたちは、人類一丸で頑張れって言ってるんだよ!」
『ね――――ェ……』
「がんばれって、つまりあいつと戦えってことかやっぱり」
「手始めにね。あのでっかいロボットは悪い宇宙人の姿を模倣してる……最終ステージ直前のボスキャラみたいなもん」
「さ・最終ステージそのものじゃないんすか!?」
「その話はあとで!それよりも周りを見て!」
その言葉に健太はハッとした。180℃モニターに映し出された惑星の景色が妙な具合だ。まるでスポットライトが移動しているように陰影が変化していた。陽光が突然弱まり宵闇に変わり、ふたたび明るさを取り戻し……
「なにが起こってるんだ……」
「お兄ちゃん!ブラックホールが消えかけてる!……それに空がぐるぐる回転してる……!}
「いったいなにが起きてるんだ!?」
「この惑星が、巨大ブラックホールのちからで繫ぎとめられてた妙な時空から抜け出してるんじゃないかなぁ……すごい……!」みーにゃんは感嘆していた。
滅多に驚かない天才少女でさえ魅入るだけはあった。
太陽が現れては消え、色鮮やかな星雲が空を横切った。惑星全体が超高速で移動しているように思えた。みーにゃんが言ったように「封印」を解いた結果がこれだ。
敵怪物ロボも、とんがり頭をもたげて天空の変化を見渡しているように見えた。
だがその赤い一つ目がふたたび健太に据えられると、どこか凶悪な光を帯びているように見えた。
(怒ってる……)
健太はコントロールパネルに置いた手のひらを握りしめた。
(さあ来いよバケモン!)
空の変化が終わった。
どこであれ、この惑星は地球に似た太陽に照らされるまともな宇宙に落ち着いたようだ。
急激な環境変化に痛めつけられ、大気が擾乱していた。青空に幾筋もの白い雲が生じ、晴れているのに稲光が瞬いていた。
そして。
怪物ロボが背中から巨大な翼を生やした。
そしてその翼がまばたくと、怪物の巨体が上昇しはじめた。
息を殺して見守る健太の前で怪物は上昇し続けた。
その図体が完全に宙に浮いて、2000メートルまで上昇すると、その姿が不意に消失した……。
「消えた……」
「あいつ地球に行ったんだね……」
正直言って、その言葉に健太はホッとした。エルフガインは万全とは言えない。あんな奴と戦うなら態勢を整えないと……。
「おれたちも帰らなきゃ……」
そうは言っても簡単とは思えなかった。
でも、こんなときには大いに頼りになる天才少女が、今回も請け負った。「大丈夫、なんとかなるからもうちょっと待っててね。それより残った人たちもどうにかしてあげなきゃ」
「ああ、そうだった」
エルフガインを操作して工場に戻った。
避難していた人たちも工場敷地に戻りだしていた。時期尚早かもしれないが、彼らも空の変化を健太たち以上に心配していたのだ。
晴天だがあいかわらず稲光が走り、ゴロゴロと雷鳴が轟いていた。南には不気味な暗雲が立ち昇っている。太陽が突然自転軸の真横から照りつけはじめたため、天候の激変が予想された。凍りついていた南半球が一気に溶け出すのだ。惑星規模の嵐となるだろう。
いちど消えた怪物が舞い戻るかもしれない、と警戒しながら、健太は避難者が頑丈な建物の屋内に戻るのを見守り続けた。
やがてみーにゃんが約束した「なんとかなる」が到着した。
巨大な宇宙船……ヴァンガード1が降下してきたのだ。
さすがに全長1.5㎞というのは脳味噌が受け入れがたいサイズだ。いくら眺めても眼が錯覚を起こしているような感じで、大きさが実感できない。
「アレに乗って、みんなで帰ろう」実奈が言った。
「あのバカでかさなら全員乗れそうだな……でも操縦できるの?」
「当たり前でしょ!だからここまで誘導できたんだし。ものすごい単純なインターフェイスだから健太くんでもダイジョブ」
「それじゃ、早く帰ろうぜ」
「慌てないでいいよ。たぶん時間のずれはもう無いから、実奈たち地球と同じ時間の進みだと思う」
「健太くん……みんな帰れるの?」
「ええ先生。ようやくッス……待たせてごめん」
「健太、余裕あるならキャンプにいちど戻る?」
「あ~……」健太はしばし考えた。「いや、これで最後ってわけじゃないだろ?後片付けはまた今度でいいんじゃないの?」
「了解。ちなみに、旗竿の例のヤツもそのまんまになってるからね~」マリアはせせら笑った。
「がっ……」
「ちゃんと回収しました……礼子先生のエルメスのハンカチと一緒に」
(サンキューまこちゃん……と言って良いものなんだかなぁ……)悲喜こもごもな健太だった。
地球と同じ時間経過となった、というのが本当なら、むしろ急がねばならなかった。一日経ってしまえば向こうから救援隊がやってくるかもしれない。行き違いは避けたい。
エルフガインを停止させてみーにゃんと礼子先生が地上に降り立ち、イディナ・メンデスほかに状況を説明した。
捕虜のなかにはみーにゃんの専門的な説明に着いてこれる者もいた。じっさい高学歴は大勢いたから、大型船の操作は任せてもいいようだった。それに軍隊経験者も大勢いたので総勢26302人をヴァンガード1に乗船させるのにそう時間はかからなかった。
だが心情的に帰還を渋る者もいた……理由は本人にもよく分からないのだろう。カウンセリングが必要なのだ。
ヴァンガード1がどんな動力で動いているのか、それは誰にも分からなかった。おそらく理解しきるには何年も―――何十年もかかるはずだ。ともかく船の底に重量一万トン近いエルフガインがぶら下がっても、難なく浮かび上がり、ぐんぐん上昇してゆく。
宇宙に出る必要はなかった。高度一万メートルぐらいに達すると、みーにゃんの合図で船は〈ジャンプ〉した。
4度目の転移はなんの衝撃もなく、健太はまっ暗な世界に出現した。
一瞬地球ではないどこかに来てしまったのかと思って、健太はヒヤリとした。しかしモニターの隅に陽光の最後の名残を受けて浮かび上がる山の稜線を見て、すこしホッとした。
間もなくGPS信号が届いて、ここがアフリカ、タンガロ共和国上空だと判明した。
続いてタクティカルオービットリンクも繋がり、エルフガインの戦術コンピューターが軍用ネットと同期して日時がリセットされた……
地球では25時間が経過していた。
「こちらエルフガイン……」
無線機からやや混乱した英語の交信が続いた。やがて懐かしい声が聞こえた。
『健太くんなの!?』
「島本博士、ただいまー」
『みんな無事!?』
「無事です……博士、ほかにも大勢連れて帰ったんで、ちょっと指示が必要かも……」
『大勢!?』
『あー健太?』久遠一尉が割って入った。『たったいま、タンガロ共和国防衛軍から恐慌気味の連絡があった。空に超巨大なUFOが出現したってな。それってもしかして、おまえら?』
「全長1500メートルでまっ白な砲弾型ならそうじゃないかな……。その船には26000人が乗ってる。着陸したいんで、どこか適当な場所捜してもらえません?」
『なんかよく分からんが手配しよう。ちょっと待ってろ』
「お願いします」
『健太くん?アフリカにいるのね?』
「はい」
『そう……とにかく、やるべきことをやって……終わったら戻ってきて……いえ、アフリカに留まって待機してちょうだい』
博士の口調がどこか引っかかった。
「博士……なにか起こってるんですか?」
溜息が聞こえた。
『……多少バタバタしてる。でも気にしないで。あなたたちには直接関係ないことだわ』 「本当に?」
すでに戦術ネットワークと繋がっていたから、自衛隊のヴァイパーダッシュと護衛艦が日本に帰還しかけていることが分かった。ヴァイパーマシンはともかく護衛艦まで?
『そう、正直言ってわたしのせいなんだけど……。政府がまた大騒ぎしている。だけどこの話はまた今度……いまはとにかく、着陸して、休んでちょうだい』
「了解」
『健太くん』
「はい?」
『よく帰って来てくれたわ……みんなも』
博士の口調が疲れ切っているのに気付いて、健太は口をつぐんだ。実奈でさえそれに気付いて、押し黙っていた。
いったい、たった一日でどうしちまったんだ?
たいへんお待たせして申し訳ありません!まだ生きてます。あと二話で完結予定。




