第21話 『バガボンド』
産みの苦しみを味わってます(泣)
たいへん間が開いてしまいましたがようやく新章アップ!
健太ついに(いろいろ)やらかす。
珍しく早起きした健太は、武蔵野ロッジの玄関ロビーで若槻礼子先生と出くわした。
「あらおはよう健太くん。早いじゃない」
健太は礼子の姿に戸惑いながら答えた。
「おはようございます……えっと、学校行くんですよね?」
「当たり前でしょ。模擬店の様子見に行かなきゃ」
今朝の礼子先生は真っ白な襞付きの開襟シャツ、黒いシルクのスカート、普段履かないピンヒール(黒のエナメル)で武装していた。真珠のネックレスと、おまけに半月型の黒めがねまで装備している。正直言って健太は軽い呼吸困難に陥った。
「……その眼鏡、伊達っすか?」
礼子は眼鏡の蔓をつまんでちょっと押し下げ、ニヤリとした。「けっこう似合うでしょ」 健太は努めて平静な顔で頷いた。「ばっちり……です」
「よかった……バドミントン部の子たちがね、喫茶店なんだけど、わたしにもこういう格好してくれってリクエストせがまれちゃったのよ……これ変じゃないわよね?」
「いやまったく変じゃありませんよ!」健太は何度も熱心に頷いた。
礼子が顧問をしているバドミントン部のだれの仕業か知らないが、健太は内心喝采を送った。あとは教鞭を手にして机の縁に腰掛けるだけで完璧だ!
「健太くんも学校行くんでしょ?バドミントン部の模擬店は2-Cだから、立ち寄ってね」
「もちろん!絶対行きます!」
島本さつきはエルフガインコマンドの研究室に缶詰状態でいた。
実奈が居なくなっているということは、おそらく朝なのだろう。さつきが実奈の護衛を命じたロボット、タケルの姿もない。腕時計をあらためると土曜日の午前8時。
回転椅子に深く沈み込んでぼんやりと予定を立てた。まずシャワー――着替え――なにか食べる――その前に新鮮なコーヒーをどこかで見つける――いや、カフェイン摂取はやめてひと眠りする……
結局最初のひとつをやることもなく、リモコンを操作してビデオを再生していた。
壁に埋め込まれた50インチの大画面に、ぐらぐら揺れる素人っぽい映像が映し出された。山の斜面らしき黒っぽい地面と紫色の空が映っていた。ざくざくと足を踏む音と、撮影者の荒い呼吸が聞こえた。
『こんなのだれが見るのか分かんないけど、とりあえず……』健太の声は疲労の色が濃く、途切れがちだ。なんどもなんども繰り返し視聴したので、展開は分かっていた。にもかかわらずさつきは眼をすがめて画面に注視した。健太が立ち止まり、スマホを持ち直したので画面が回転する。幻想的な紫色の空をもうちょっとじっと映してほしいと何度思ったことか……しかし空の半分を占める、金色の光輪を纏った暗黒のシミは見えた。
あれが超巨大ブラックホールなのは間違いない。健太の時間がずれた理由はそれで説明できる。健太が飛ばされた世界は重力特異点の縁にぶら下がっているのだ。
それほどのブラックホールを生成するにはきわめて大きな恒星が必要だ。アンタレスやアークトゥルス以上の大きさ……そのようなサイズのブラックホールは、太陽系近隣……少なくとも数百光年以内には存在しない。
画面が静止してピントが合うと、【それ】が見えた。
扁平なドーム状の建築物が並んでいた。対比物がないので断言できないが、ドームひとつの直径は500メートル以下ではないだろう。くすんだ水色のドームが地平線の彼方まで並んでいた。
『スゲえ……』健太が呟いた。『あれが俺の目的地なの?』
さつきは緊張して画面に身を寄せた。すっかり習慣化してしまった動作だ。
『そうよ、健ちゃん』女性の声が画面の外から聞こえた。『わたしが手伝えるのはここまで。あとは……がんばって』
動画はそれで終わった。
動画の続きはもう一本ある。たいへん混乱した内容で、健太は自分が見ているものが何か理解できず、恐慌をきたした。しかしさつきと実奈はその動画を何度も見て、実奈はそれを「ミュージアム」と名付けた。
文字通りミュージアム、惑星文明の標本を掻き集めた博物館だった。
いったいどれほど膨大な数の文明が収蔵されているのか。
その目的をいくら考えても、胸が悪くなる類推しか思いつかなかった。
あれは誰かに滅ぼされた文明の記録なのだ。そして地球を侵略するに当たって参考にするサンプル。
健太はその後メールをいくつか残し、それきり更新していなかった。だが健太もまた彼なりに、さつきたちと似たような結論に達していた。
さつきはうつむき、重い溜息を漏らした。それからテーブルに置かれた数枚のプリントアウトを取り上げて立ち上がり、部屋をあとにした。
今日は学園祭だ。
帰宅部の健太はとくに関わるような催しもなく、昼前にぶらっと立ち寄るつもりだったのだが、礼子先生があんなだったので朝飯をかきこみしだい学校に駆けつけた。
秋も終わろうという11月なかば、若年層を中心としたなんとも言えないギスギス感が日本全国に蔓延していた。犯罪率の増加といったおもてだった数字が出てこないぶん深刻だった。これは健太のまわりでも同様だ。
本来なら二年生の健太たちは修学旅行に行くはずだったが、春から続く騒ぎのおかげで中止された。来年に順延すると言われて納得するしかない状況だったとは言え、そのことが通達されたとき、クラスの女子が何人か泣き出してしまったことを健太は覚えている。
もちろん修学旅行中止だけが原因ではない。春から続いている準戦時体制の緊張感、たびたびの休校による将来について漠然とした不安、そして七月の不当な未成年者拘束事件、それらが積み重なった結果だ。学校側も生徒の不満を感じ取ったのか、その他の行事は日にちをずらしても敢行している。しかしそれがかえって無理して普段通りに振る舞っているようで、違和感を禁じ得なかった。
去年とはあきらかに様子が違っていた。校門は派手な飾り付けがなされ、来客用通路に沿って万国旗が渡されていた。テントの数も倍増している。手作りポスターや大段幕でとにかく壁を覆い、無味乾燥な校舎をなんとかしようとする努力がうかがえた。前日の飾り付けは健太も手伝ったのだが(学園祭実行委員はなぜか漫研部員が多く関わっていて、健太も国元に強制参加させられた)あらためて見回してみると模様替えの試みは成功しているようだった。
(なんか本格的だな~)
色紙で延々と鎖を作りティッシュで無数の薔薇を作った甲斐はあった。
珍しく快晴の空にはだれが飛ばしたのか、黄色い風船が漂っていた。校旗もはためいていて、不思議と気分が盛り上がってくる。
すべては憂さ晴らしであることはなんとなく理解できた。何人かはあきらかに刹那的になってて、はしゃぎすぎて先生に注意されていた。しかし「それはダメです」という言葉は極力封印しているらしく、結果として生徒たちも自主性には責任が伴うことを実感しつつあった。
(ようするに、みんなすげえ早さで大人になってるんだよな……たぶん)
そうしなければいつ足下をすくわれるか分からないって気付いたからだ。だれがすくうのかは漠然としか分からないけど。
ドン!ドン!と太鼓のような音が響いた。学園祭開始を告げる花火だった。
(ますます本格的じゃん)
晴天に咲いたささやかな煙が風に流されてゆくのを眺めていると、突然うしろからタックルされた。
「おごっ!?」健太は身体をくの字に曲げて弾き飛ばされた。
「じゃじゃーん!」
二三歩よろけたところで身体を立て直すと、躁病的に眼を輝かせた実奈が仁王立ちしていた。
「み・みーにゃん!?」実奈のうしろには真琴とタケル型ロボットまで控えていた。「まこちゃんも……なんで?ガッコサボったのか?」
「サボっちゃいました」真琴が悪戯っぽい笑みで答えた。二人とも学校の制服姿……まこちゃんは紺のブレザー、実奈はセーラー服だ。
「タケルくんが教えてくれたんだよ。今日お兄ちゃんの学校学園祭だって」
タケルがにっこり笑った。
最近のタケルはアメリカのドラマの主人公みたいな特徴に乏しいハンサム顔で、髪も坊主に近い角刈り、瞳は政府からのお達しにより普通ではあり得ない金色に変わっていた。おかげでイケメンヴァンパイヤという風情だ。
島本博士によると、タンガロ製ロボットはユーザーの無意識的な趣向を取り入れて微妙に顔や体格を変化させるという。これが必ずしもユーザーの表層的な好みとイコールではないらしく(だいたい自分の好みを聞かれて即答できる人間はめったにいないという……そんなもんか?)ロボットは勝手に、求められる役割に応じてちょっとずつ変化してゆく。しかもユーザーが耽溺して依存しきるような「永遠の恋人」にならないよう細心の注意を払っているという。それをやってしまうと逆に早々と飽きられてしまうので、わざと「欠点」を残すのだ……なぜそうなのかまたしても健太にはちんぷんかんぷんだったが。
ちなみに、ロボットはだれかの写真を指して「これそっくりになって」という注文には応じない。
してみると、最近の容姿はだれの趣向を反映しているのやら。
「悪い子だな~。県立の学園祭なんてショボイぜ。ガッコサボってくるほどかよ」
「そんなこと無いですよ。ずいぶん賑やかそうじゃないですか」
「まあ……」
「早く行こ!実奈なんか食べたい」
中庭入り口の来賓受付でパンフレットを受け取った。珍妙な四人組をいぶかしげな顔で二度見する受付係の視線がむずがゆい。とは言え悪い気はしない。むしろちょっとドキドキする。微妙に罪悪感……と、背徳感も少々。
ただつねにうしろに控えているタケルが、注目の半分以上を引き受けてくれてはいた。すれ違いざまに「あれ?あのロボットだ!」と眼を見張る生徒が少なからずいた。好奇の視線はロボットからその持ち主はだれなの?という具合に動くようだ。どちらが主人なのやら。
「実奈ちゃん、どこに行く?」真琴がパンフレットをめくりながら尋ねていた。
「ここがいい!」
実奈が指さしたのは漫研だった。
「え?なんか食べたいんじゃ……」
「行こ行こ!「コスプレ撮影サービス」だって。面白そう」
のんびり廊下を歩いているうちに人が増えていた。駅から送迎バスが出ているらしく、生徒の家族と、ほかの高校からナンパ目的でやってきた男子グループがいた。進学先の下見か、中学生も多く見受けられた。これも異例だ。去年は送迎バスなんか無かった。
廊下から駐車場を見下ろすと、去年より本格的な理由の一端が明らかになった。
自衛隊のトラックがエントランスから見えないところに数台止まっていた。
エルフガインコマンド周辺に展開している部隊が、テントやら機材やらを提供していたのだ。
(そう言えば、体育館の吹奏楽部演奏に入間基地のブラバンが参加するって話だった) 漫研の教室入り口に机がひとつ置かれ、国元廉次が来場者受付をしていた。健太たちに気付くと、廉次の顔つきが変わった。
「待て」健太は片手を上げて、大口を開けて叫び出しそうな友人の気勢をそいだ。
「健太、くん?……そっそっそちらのおおおふ、おふたり」
「実奈でーす」
「二階堂真琴と申します」優雅に会釈するまこちゃんを見て国元はますます驚愕した。
「きみもしかして、長野のホテルの屋上でこいつに抱きついた……!」震える指先を健太に向けた。
「あ……」まこちゃんは恥ずかしそうにうつむいてしまった。
「てめっまこちゃんが怯えてるだろが!」
「ああごめんなさい~!」
「いえ……」
「おい、まこちゃんがエルフガインのパイロットだって言いふらすなよな!騒ぎになったら困るからよ」
「おっけ~ッス、して、こちらのお嬢さんは」
「やだぁ!お嬢さんとかキモイ~」
「かたじけねえです」なぜか嬉しそうにへいこらする国元であった。
「実奈はね、ミラージュヴァイパーのパイロットしてるの!」
「へへ~……ってマジで!?」
実奈がうんうんと頷いた。
「マジっ……すか」 廉次はいまにも感涙しそうだった。
「みーにゃんて呼ばないといけないのよ」
「ぜひ、呼ばせていただきます」廉次は茫然自失のまま何度か頷いた。「みーにゃん……」
それから健太に眼を向けた。
「てめーいつか殺す」
漫研の教室に足を踏み入れると、またしても壁が立ちはだかった。
「浅倉……てめブッころすぞ」
両手に花の健太を見るなりそう言ったのは、群馬の柔道部、中谷だ。丸顔で固太りの絵に描いたような柔道部員だった。
「よお、ごぶさたじゃん!」健太は両腕をひろげて相好をくずした。「こちらは二階堂真琴さんと近衛実奈ちゃん、こいつは群馬の学校から来た中谷勇。収容所仲間で」
「どうも、中谷でッス。……浅倉よ、おまえちょっと様子がちがってんな。なんかがっしりしちゃって……」
「あれから半年ほど異世界行ってさ、鍛え直したんだ」
「なんだそれ。オタくせえ」
事実を述べたのだが、案の定笑い飛ばされた。
「おまえこそ空気読め。ここ漫研だ」
「あ、そっか」中谷は慌てて近くの漫研部員に会釈した。気の良い笑みを浮かべたつもりのようだが、控えめに言っても連続痴漢魔のように見える。
教室内は衝立で仕切られ、イラスト作品やコミケのコスプレ写真ががびっしり貼られていた。衝立沿いに並べられた机にはプラモデルやコスプレ用の小物が展示されている。黒板一面にも見事なイラストが描かれていた。
衝立でコの字型に仕切られたギャラリーを抜けると、教室のうしろ半分がコスプレ撮影ブースだ。簡単に着用できる甲冑や小道具が用意されていて、西洋の城の一室っぽい舞台を背に撮影するようだ。
まだ三階まで昇ってくる来場者は少なく、実奈がお客さん第1号だったので、部員に大歓迎された。とっかえひっかえ衣装を被って撮影してもらっている。最初は眺めていただけの健太たちも強制参加させられた。当然タケルもだ。
ロボットが一瞬にして全身甲冑の騎士に変身すると、黄色い叫び声が上がった。西洋甲冑ではなく、レリーフや光り物がやたらと装飾され、あり得ないほど身体にフィットした鎧である。
さらにセクシーな女騎士に変わると、悲鳴に近い歓声が上がった。金髪の姫騎士から宝塚の男役ふうの短髪黒騎士へ……目の前でモーフィングじみた変身をやられると実際ちょっと不気味なのだが、結果よければというようだ。中谷も口をあんぐり開けてガン見していた。
「目の前でやられるとホントに凄いわ……」
「ウズメさんノリノリだな」
「機会があれば性能をアピールするものですわ。売り物ですから」
レイピアをくるりと回して剣先を手のひらに押しつけ、手品のように消して見せた。拍手が上がった。ウズメが芝居がかった会釈で答えた。甲冑が身体に溶け込んで全身がタール化して、ぴっちりした真っ赤なレザースーツに替わった。まわりの女子が夢中で携帯を構え撮影している。
実奈がプリントアウトしたお気に入りの写真をボードに貼り付けていた。背伸びして貼り付けようとしているのを女子が手伝っている。可愛がってもらっているようだ。アニメ柄の紙袋にお土産までもらい、上機嫌で漫研をあとにした。
「健太さん、わたしたちこの階を端から見て行こうとおもうんすけど……」
パンフレットによると書道部とか手芸同好会とか女子中心の文化系が並んでいるようだ。健太たちには退屈だろうと、まこちゃんなりに気を遣って別行動を提案しているのだろう。
「お、分かった。それじゃ昼飯まえまで別行動する?」
「構いませんか?」
「いいよ。俺しばらくバドミントン部の喫茶店にいると思う。礼子先生に挨拶して来っから」
女の子ふたりとロボットが別れると、中谷が憮然としていた。
「一緒すりゃよかったちゃうの?」
「お~い、中学三年生と一年生だぞ。気をしっかり持ってね」
「そーいうことじゃねえっての!俺はあのすごい美人のお姉さんが気になるだけだ」
たしかに言うとおり、中谷は何にもまして姫騎士のむっちり露わな胸元に釘付けになっていた。その点では健太もひとのことは言えない。
「しかしあの真琴ちゃん、ずいぶんしっかりしてねえか?……背筋ピンとしてて大人っぽいし、実奈ちゃんのお母さん代わりって感じだ」
「でしょ?だよねぇ?」いつの間にか背後にいた廉次が割って入った。
「おまえら」健太は厳然と言い渡した。「これから1時間あの子たちの話禁止」
「てめーはいいよ!真琴さんやみーさんとずっと一緒なんだろ?一緒にエルフガインまで乗っちゃってんだろ?!」
中谷が健太を凝視した。「マジか……?」
「だ~ら禁止言ってんだろが!ハイもう行くよ!」
「どこに?」
「浅倉がバトン部に行く言っとったが。礼子先生ってだれなん?」
「俺らの担任。超絶美人な英語の先生。26歳独身……」廉次は首を傾げた。「もう27だっけ?」年上のこととなると露骨に無頓着だった。
「さっそく行こうか!」
「ていうかおまえら俺と同行するのかよ!?」
「浅倉ぁ~ムショ仲間になんと友達甲斐の無い……中谷なんか早起きして群馬からはるばるやってきたんだぜ?高崎からここまで俺だったら乗り換えだけで気が狂うよ?」
「ま、まあそうか……わりぃ、メシおごるから許せ」
こうして野郎三人で校内を徘徊する運びとなった。
哀しいことだが、野郎どうしのほうがリラックスできるのはたしかだ。まこちゃんたちと居ると、いつもの自分と違う自分を装ってるようで、微妙な後ろめたさを感じていたのだ。
『そうやって態度豹変するのって、サイテー』健太の脳裏になぜか髙荷マリアが現れ、嘲笑った。
(けどよ、なんつうか保護者的立場にならざるをえないじゃん……)
『そんなの自分ごまかしてるだけでしょ?ダチに対しても卑怯だし、真琴に対しても誠実とは言えないよ』
(分かってるよ!まこちゃんが優しいからおれずるずる態度保留してるんだよな?でも俺は礼子先生が……)
『いい加減あきらめろよバーカ』
健太は首を振って頬を叩いた。
「どしたん?」
「いや、ちょっとぼーっとしてた」
バドミントン部の喫茶店は二階だ。メイド服と、バトミントンウェアの上にカーディガンという女子が呼び込みをしていた。
「ウォ!」中谷が息を呑んだ。
「いらっしやいませご主……あれ、浅倉かよ。国元までぇ~?」同じクラスの女子ががっかりした口調で言った。
「がっかりしねえでくれる?ひとりちゃんとしたお客さんも居るから」 うしろに控えていた中谷に手を振って見せた。
「わあ他校のお友達?それじゃ……いらっしゃいませ~」
健太たちは窓際のテーブルに通された。テーブルといっても、机の上に脚を外したちゃぶ台を載せてテーブルクロスを敷いた手作りだ。椅子は教室のやつを流用。ビニールのブックカバーを利用した手書きのメニューがテーブルの中央、色紙で作った傘と一緒に立てかけられていた。
「ごしゅじんさま、なにをお飲みになりますか?」やや舌足らずで言い慣れないセリフ。披露する一年生メイドさんも緊張しているが、健太たちも同じくらいドキドキしていた。
「えっと……こっコーヒー?」
「アイスかホットがあります……」
「アイスみっつ?」中谷が健太と廉次に尋ねた。「それじゃアイスみっつで。あ、あとクッキー盛り合わせよろしく!」
コーヒーはビニールカップでやってきた。それにレースペーパーを敷いた紙皿にラングドシャクッキーとプレッツェル。
「クッキーに文字を入れるサービスです~」
「えっ?どっどうしよ……」
「勇さんへ、でいいよ」健太が手のひらに指で漢字を書いて見せた。
「ハイ!それでは……」クッキー一枚に1文字ずつ、勇・さ・ん・へ・ハートマーク……とイチゴソースで書いて見せた。
「うおー!」終わるとみんなで拍手した。
メイドが立ち去ると、だまって文字が書かれるのを見ているあいだにピークに達していた緊張感から解放されて三人ともホッとした。
「あー緊張した……」柔道部員は額に浮いた汗を拭っていた。
「俺も」廉次も認めた。
「おまえアキバのメイド喫茶行ったって言ってたじゃん」
「そんときも緊張した」
教室の片隅に机でカウンターが作られ、そこで部員が飲み物を注いだりしている。コーヒーは市販の紙パックのようだ。ホットは部員が自宅から持ち寄ったらしい形のまちまちなポータブルコーヒーマシンで淹れていた。
礼子先生はいない。
「ちょっと待てや国元、そのハートマークのは俺のだから。てめえは「ん」で我慢しろ」
「硬派な柔道部さんがそれでいいの?」
「やかましいわ!」
テーブル席はどんどん埋まっていた。礼子先生は現れない。ふとカウンターの動きが健太の注意を引いた。ホットコーヒー用の取っ手付き紙コップが異常にたくさん並べられていた。しかも出来上がったコーヒーを次々と注いでいた。客の回転より早い。
「出前ぶんできた~?」「ちょっと待って、あと6杯」
出前?
「んじゃできたぶん先に持ってくねー」そう言って店員がひとりコーヒーを満載したお盆を手にどこかに行ってしまった。通りすがりのクラスメイトに健太は思わず尋ねた。
「なに?出前までしちゃうんだ」
「ううん、違う。さっきレーコ先生を訪ねて団体さんが現れてね~。30人ぐらいいたかなあ……体育会系の男の人ばっかり。ちっとフインキヤバかったけどさぁ、先生ぜんぜん怖がってなかったから。でもお店に入りきらないんで、先生が屋上に案内したのよ。その人たち用のコーヒー届けるの」
「へーそうなんだ」健太は努めて平静を保った。(野郎ばっかり30人だと!?)
「屋上なんか普段上がれないから、デリバリー係ジャンケンで決めたんだ。そんじゃ、超忙しいんで」
(体育会系の野郎ばっかり30人……)
健太はべつの緊張感にキリキリ締め付けられた。足がわななくのを手で押さえた。
(落ち着け俺……さりげなく屋上に行くんだ。どうやればいい?)
ポケットからスマホを取り出した。(とりあえずメールしてみるとか……)
中谷が立ち上がって窓から外を眺めていた。中庭を取り囲む特別教室棟と体育館、そのあいだの通路をひとがゾロゾロ歩いて、グラウンドに向かっていた。陽気なJポップをバックに放送部が案内放送している。
「すげえ数の屋台が並んでんな。お客もたくさん……」
「ホントだ、去年はもっとショボかったけどなあ」
そのとき、とつぜんサイレンが鳴り響きはじめた。
5月以来すっかり日常の一部となったその音に、教室にいた人間すべてが身を凍らせた。
(急かし過ぎなんだよ)
エルフガインコマンド、高さ150メートル、敷地面積15000平方メートル……あるいは東京ドーム三個分……広大な地下基地全体が慌ただしさを増していた。
久遠は地下作業施設全体を見渡せる露天指揮塔に立ち、現場監督のうしろで作業を見守っていた。都合10台のヴァイパーマシンをちまちま移動させ、発進位置に着かせようとしていた。超巨大なテトリスをプレイしている気分だった。
イギリス人が作り出した『偽エルフガイン』が新潟から持ち込まれた結果、基地内は安全限度ぎりぎりまで狭くなっていた。作業員数も定員の二倍……6000人が昼夜を徹して働いている。事故らないのが不思議なくらいだったが、それも今日までだった。
応急整備を終えた偽ヴァイパーマシン――いまのところダッシュ01~05の符牒が与えられていた――がそれぞれべつの場所に送られるのだ。ストライクヴァイパーとバニシングヴァイパーは各務原の航空開発部。ヤークトヴァイパーは船で北海道へ。スマートヴァイパーとミラージュヴァイパーは土浦。そこで各装備の最終点検と再武装、転換訓練が行われるのだ。統合幕僚本部はすべてを非常に急いでいる。
(ほぼ全部が流用可能だからって、エルフガイン用スペアパーツをごっそり持ち出しやがって……しかも分散配備とは愚かしいかぎり……つまり上層部は各マシンの能力は認めても、「合体ロボ」の価値は頑として認めないのだ)
とはいえ味方を増やすための作業である。装備品が軒並み役立たずの烙印を押されて不満が鬱積している自衛隊関係者のガス抜きにもなる。多少の気前よさを発揮しても害はない……
(まあ、あちらさんが調子に乗りすぎてウチをハブったりしなければ、な)
例によって島本博士は関心を示さず、ただお役所の要請にはやけに素直に従っていた。とっとと厄介払いしようという魂胆なのは明らかだ。むしろ自分が設計してヨーロッパ人が勝手に製造したほかのガインシリーズのほうに関心を寄せていた。
フランス人が作ったコルトガインはオーストラリアに委譲した。ドイツのフェンリルガインは台湾が回収。イタリアのバベルガインは返還が決定している。ロシアロボはインド人が持ち帰った。
すべて日本が管理すべきだという意見もあったが、とてもではないが予算的に無理な話だ。それに同盟各国に引き渡すのが政治的にも妥当な判断だった。
日本人の感覚からすればまごつくような話だが、かれらはエルフガインを保有した日本による世界一極支配という構図を心配しはじめていたのだ。日本がこれまで戦った相手の土地財産をほとんど奪っていない事実、憲法9条を持ち出しても、100%信用されるには至らなかった。核兵器並みの外交カードを持った国が周囲からどう見られるのか、日本人もようやく理解した。
「ダッシュ03発進位置に移動完了!」「移動完了!」「C班は固定を確認!」
しつこいくらいに安全確認の復唱が繰り返されると、ようやく特大エレベーターが動き出した。5000トンの超重戦車を山腹の発進ランプまで押し上げているのだ。スクランブルではないので速度は抑えられている。ジェリー・アンダーソンが見たらがっかりすることだろうが、ここで急いでも良いことはなにもない。
双眼鏡を覗くと、エレベーターには作業服姿の陸自隊員が大勢乗り合わせているのが見えた。装備転換訓練に駆り出された連中で、できるだけはやく慣れるために文字通り付きっきりで超重戦車と寝食を共にしていた。彼ら自身が判断した安全マージンに従って行動しているのだが、久遠には命知らずとしか見えなかった。
(少なくとも連中は謙虚で、経験者の意見を聞き、指揮権で揉めることもなく助かった……よかったのはそのくらいだが)
メーカーから派遣された技術者も行儀はよかったが、彼らは上に従っていたからしばしば軋轢が生じた。最悪だったのはメーカーのお偉方と官僚だ。手前勝手な予定や要求を押しつけてきて、スケジュールに混乱をもたらすだけだった。
そして今日だ。夕方に予定していた移動計画を前倒しする、と今朝いきなり通達してきたのだ。
セキュリティー上のなんとかかんとか言っていたが、ようするにどこかのまぬけ野郎が移動計画をうっかり漏らして、マスコミと野次馬がとんでもない数になりかけていたからだった。
町内広域放送が鳴り響いていた。ゆっくした女性の声だ。
『坂戸特別行政区、市民サービス課よりお伝えします。午前10時30分、笛吹峠の自衛隊施設より、大型車両の搬出作業が行われます。これにより、近辺道路が車両通行止めとなります。住民の皆様は、なるべく外出を控え、屋内に待避してください。外出中のかたは、警備中の係員の指示に従って……』
「なんだ……空襲警報かと思った」中谷が言った。
健太はスマホで久遠と連絡を取っていた。
「ああはい……了解。……大丈夫、パニックは起こってないです。それじゃ」スマホをしまいながら健太が言った。「ヴァイパーマシンがこれから発進するらしい」
「うっそまじかよ!?」廉次が叫んだ。「絶対見なきゃ!どうしよ!?」
「おう!」健太はぽんと手を叩いた。「そんじゃ屋上に行くか」
健太たちは手早く会計を済ませて廊下を急いだ。町内放送を繰り返す形で校内アナウンスが安全を告げていた。廊下はがやがやしていたが、取り乱している人はいない。国元と同じ目的で駆け出す男子はいた。イベントに思いがけない余録が付いたので喜んでいるようだ。
屋上に通じる階段を上がってドアノブをひねると、鍵がかかっていた。
「礼子先生がいるはずなのになんで!?」
健太はポケットを探って鍵束を取り出した。ずっと前に礼子先生からもらった合い鍵でドアをこじ開け、屋上に出た。
「あれ?」
見回したが、屋上には誰も居なかった……。
困惑する健太を尻目に、廉次は転落防止柵に向かってダッシュした。ほとんど動物園に来た小学一年生だ。
「先生いねえな」なにやら察したらしい口調で中谷が言い、廉次のあとを追った。健太は言うべき言葉もなかった。そもそも鍵が閉まっていたということは、先生は下に降りてしまったということだ。当たり前だ……。
身も蓋もなく先生の携帯にかけたい衝動に駆られた。
(でもそれ格好悪すぎだろ)
嘲笑するマリアの顔がふたたび脳裏をよぎる。頭を振ってそのイメージを振り払った。
(くそっ!もう女のことばっかり考えるのはやめだ!!)
――そう決意を新たにしたとたん、うしろから猛烈な勢いでタックルされた。
「グエッ!?」
「ジャジャーン!!」
地べたで一回転して体勢を立て直すと、そこに仁王立ちしていたのは――
マリーア・ストラディバリだった……。
模擬店に30人もの男性が押しかけて、礼子は戸惑った。かれらは自衛隊の人たちだった。
不良軍団による討ち入り……とっさに浮かんだのはそれだった。礼子は身震いした。先日の新潟の戦いで生意気な口を叩いてしまった礼子にアイサツしに来たのだ……
だが彼らの態度は終始慇懃に徹して、周囲に威圧感を与えないよう気を遣っていた。ほとんど全員が筋骨逞しい大男なので見ていて痛ましいほどだった。不穏な意図はないようなので礼子は胸を撫で下ろした。彼らはこの五日間エルフコマンド周辺に展開していて、今日が最後なので仕事の合間を縫って表敬訪問したのだという。
礼子は彼らの気持ちを酌んでひとめのない屋上に案内した。わざわざ来てもらったのに二言三言挨拶を交わすだけでは悪いと思ったからだ。
その結果、各所属部隊のオリジナルグッズが詰まったお土産袋をたくさん渡され、みんなで記念写真を撮ることになり、サインまでせがまれてしまった。
「このまえは生意気なことを言ってしまって、本当にごめんなさい。みなさんさぞご立腹だとは思ったんですけれど……」
「とんでもない!気にせんでください!おれら一生先生について行きますんで!」
「は?」
「いやあの、つまりですね、心情的に……」
隊員たちは隊員たちで、礼子の普通すぎる態度に驚いていた。自衛隊……いや、世界最強の戦車を駆る女はどんな人物なのか!?隊内で議論の的になっていたのだ。ヒントは20代の教師、ということだけなので様々な憶測を呼んだ。いわく、日体大出身のもとレスリング部で男勝りのマッチョ……いくら想像しても、女性オリンピックアスリートの容姿しか思い浮かばない。
だが実物は違った。どうして芸能界デビューしていないのか不思議なほどの容姿端麗、ぽわんとした感じで、女子生徒とのやりとりから見て人柄もよさそうだ。しかもなぜか世の男が「女教師」と聞いて思い浮かべるテンプレートそのままの服装。
叱責を覚悟してまで押しかけた甲斐はあった……!
感無量、というのが隊員たちの偽らざる心境だった。
礼子が伊達眼鏡を外して折りたたんでしまうと、何人かが密かに嘆息した。
あと5分歓談が続いていたら、その場にいた男たちは全員、礼子の精神的下僕と化していたかもしれない。だが携帯着信が邪魔をした。エルフガインコマンドの予定が繰り上がり、緊急招集がかかったのだ。
残念ながら歓談はとつぜん打ち切りになり、彼らは慌ただしく原隊復帰の途についた。礼子は玄関まで見送った。当然のように「若槻先生」と呼ばれつづけ、礼子もついにあきらめの境地に達した。それで良好な関係を築けるなら悪くない。
「なにしやがんだこの……お嬢、さん?」突き飛ばされた健太を見て駆けつけた中谷だったが、相手が金髪の白人女性だと気付いてたちまち失速した。
「ごめんなさぁい!こういうアニメみたいの一度やってみたかったの!」マリーアは健太に駆け寄ると、しゃがみ込んで肩の埃をはたいた。「だいじょうぶ?怪我してない?」
「ぜんぜんダイジョブだけどね……」ふたりで立ち上がった。
廉次が駆けつけ、嬉しそうに言った。「あー!マリーアさんまた来たの?」
「ハァイ、レンジくん、おひさ~」
「なんだ?このひと知り合いなのか?なんで日本語ぺらぺら?」
「中谷、テレビで見たの覚えてない?七月にエルフガインと戦ったイタリア代表の……」
「ああそうや!」群馬の柔道部員は愕然としていた。「そんな人がなぜここにいる?しかもおまえらのガッコの制服着てるし……」
「そうなんです~」マリーアはくるりとターンしてグレーのブレザーを披露した。サッと翻る紺のスカートが眩しかった。「わたしちょっと背が高い(172㎝)でしょ?身体にぴったり合うよう特別に仕立ててもらったの!アルマーニよ」
「ほえ~?」いろいろな段階で理解の追いつかない男子三人だった。
「それじゃ、またこの学校に留学するつもりなのか?」
「日本にいるあいだは当然」
「当然て、マリーア大学生じゃなかったっけ……?」
「コマケェコトハイーンダヨ!ってことわざがあるじゃない?イタリアもそう」
中谷がたじろいだ。「すっげーテキトーなうえに高度なボケをかました……!」
「こちらのキュートなボーズ頭の彼はだあれ?」
「えっ、オッおれ中谷勲ッス!」
「イサム、初めまして」がっしり握手されて中谷の顔が赤黒く変色した。
「そんで、なぜここがわかった?」
「さっき真琴たちと連絡とって、健太がメイド喫茶にいるって聞いて、行ってみたら屋上に向かったっていうから追いかけたの」
「なるほど……おおかたみーにゃんから、うしろからタックルすると喜ぶとか言われたんだな……」
「そうだけどどのみち身体はぶつけ合うつもりだったし」
「まさか本当に来日するとは――って、いまなんて!?」とつぜん、先日送られてきた写メが脳裏に生々しく再生され、健太はハッと口を覆った。
「来るって伝えたじゃない……」幾分艶っぽい声でマリーアが迫る。問いかけるように頭を傾け、人差し指を唇の端に当て……
「いや、その、着くまえに連絡くれれば空港行ったのに……」
「あら、いいわね、そのままふたりだけでどこかにふけって……」
「いやいや!そう言う意味じゃなくて!」
「なっななななな~にを言ってらっしゃるんですか、あんたがた」国元のおちゃらけ口調が滑っていた。おそらく対処可能な社会的経験値を超えたので動揺している。
「ホテ――」「深く考えなくていいから!」具体的な説明に及ぼうとするマリーアを慌てて遮った。
「浅倉よ、おめえマジで……」中谷は二の句が継げないでいた。「くそ野郎だな」「女たらしかよ」「コロす」どれを言うべきか迷ったのだろう。
「……おれヴァイパーマシン眺めよ~っと……」廉次はフラッ……と踵を返してフェンスに戻った。
「わたしたちも行きましょ!」マリーアは健太と中谷の腕を取ってあとを追った。
大勢が校舎の窓から身を乗り出していた。校舎裏手の向こう、山のほうからくぐもったサイレンが聞こえる。やがてサイレンをかき消すほどの得体の知れない機械音が鳴り響いた。「ガシャン」「ゴーン」と、いったいどれほど大きな機械が動いてるのか想像すらできない。健太たちは金網にしがみついて音の出所を見定めようと目を凝らした。
1㎞ほど離れた山の斜面が大きくせり上がると、見物人のあいだから歓声が上がった。さらに一分後、ヤークトヴァイパーダッシュの巨体が発進ランプから躍り出ると、ひときわ大きな歓声が上がった。超重戦車は過去の戦いで剥き出しになった土の地面に沿って、激しい土煙を上げながら移動した。地響きが伝わってきた。
「やっぱすげぇな……けどあらためて見ると近所迷惑レベルだ……」
「浅倉ぁ、おまえがゆーか?」
「外から眺める機会があんま無くて」
電気タービンエンジンが回転数を上げ、ヤークトヴァイパーダッシュが増速した。千葉方面に向かってまっすぐ突き進んでゆく。自衛隊車両とOH-1ヘリが追従していた。
山の手からべつの轟音が鳴り響いた。
関東圏に住むものならだれでも知っている、いちど聞いたら忘れられないバニシングヴァイパーのエンジンの咆吼だった。ジャンボジェット並みの巨大機が稜線の向こうから現れ、悠然と垂直上昇を開始した。こちらは何度見ても現実の光景とは思えない。ゆっくりと機首を上に向けながらどこまでも上昇してゆく。
「スゲ~……」
全高30メートルのロボット二体が超重戦車のあとに続く。ストライクヴァイパーの発進はよく見えなかった。毛呂のほうから都内方向に飛んでいく小さな機影が見えただけ。健太はちょっとがっかりした。
アナウンスが終了を告げると、校内のあちこちから拍手と歓声が上がった。まるでブルーインパルスの飛行展示のノリだ。
校内BGMが復活して、日常が戻ってきた。
「さて、下に降りるか」健太が言った。
「これからどうする?」
「もうちょっと回ってメシにしようぜ」
廉次が手を上げた。「おれ漫研おっぽり出して来ちゃったから、戻らねえと」
「あらレンジ行っちゃうの?わたしもあとで漫研に行くから、みんなに言っておいてね」
「おっけー」手を振った。「それから昼メシには俺も合流すっから!連絡ちょうだいよ!」
「了解」
自衛隊員を送り出した礼子は、ヴァイパーマシンをひとめ見ようと校内が慌ただしくなっている中を職員室に戻り、両手の荷物を机の下に置いて早めの昼食を取った。タケルが作ってくれたお弁当のサンドイッチを食べていると、思いがけない人物が現れた。
「島本博士!どうしてここに?」
「食事中に悪いわね」さつきは白衣に両手を突っ込み、いっけん職員室に違和感なく溶けこんでいた。
「いえ、もう終わりますから」コーヒーを飲み下して手早く片付け、立ち上がった。
「健太くんはどうしてるか、知ってる?」
「はい、いえ、まこちゃんからメールがあって、同行しているみたいですけど、直接は会ってないんですよ」
「そう」
「話があるなら会議室にお通ししますけど……?」
さつきは首を振った。「ここでいいわ、すぐ済むから」となりの机から勝手に椅子を引き寄せて座った。礼子も腰を下ろした。
「あの……健太くんについてなにか……?」
先日の健太行方不明事件以来、礼子たちはさつきから、健太をそれとなく見張ってほしいと言われていた。健太に何が起こったかも、ざっと説明されている。さつきの来訪もそれに関連しているはずだった。
「ここ数日、わたしと実奈ちゃんは健太くんに何が起こったのか分析し続けている。しかしデータは健太くんが持ち帰ったスマホの中に収められていたわずかな動画とか、そんなものだけなのよ」
「それで、結局よく分からなかったと?」
「まあね、いろいろな解釈を考えたけど、すべては推測に過ぎない。分かっていることは健太くんが9ヶ月間も別の世界をさまよっていたこと……」
「9ヶ月!?」ようやく知らされた事実に礼子は驚愕した。「9ヶ月ですって……?」
「記録が残っていたのは6ヶ月間。健太くんの髪の毛の伸び具合からそう測定したの。ひどい栄養失調状態だったから精度は今イチだけど、まずそんなところよ」
「そんな……長いあいだ、何を……ひとりぼっちで……」
「ひとりぼっちではなかった。彼はお母さんに導かれていた」
「は?それって……?」
「そう、浅倉澄佳さん」
「話がよく分からないんですけど、健太くんのお母様は亡くなったはずでは?」
「もちろん生き返ったりしてないわ。そのあたりは非常にややこしい話だから聞き流してね。とにかく健太くんは、澄佳さんと彼が認識している誰かに導かれて、数千光年離れたべつの星に放り込まれたのよ。いえ、距離的な概念は考えても無意味かもしれないけれど」
礼子は戸惑った。「あの……やっぱり話について行けないんですけど」
「だから聞き流して。あなたに問題解決してほしいわけじゃない。お願いしたいのは、健太くんをこの世界に繫ぎとめることよ!」
「繫ぎとめるとは?」
「健太くんはふたつの世界のあいだで揺らいでいる。ふとしたきっかけであちらに舞い戻ってしまう可能性がある。だから礼子さんには彼が向こう側に行ってしまわないように、それとなく気を配ってほしいのよね」
礼子は息を呑んだ。
「ええと……分かりました、と言えればいいんですけど、正直どうすればいいのか……」
「無理もないわね……わたしにもよく分からない。とにかく引き続き気を配って。実奈ちゃんも承知していて、いま現在学校をサボって健太くんに張り付いている」
さつきは白衣のポケットから折りたたんだ紙を取り出し、礼子のデスクに置いた。
「あとでこれを読んで参考にしてちょうだい」
「なんですか?」
「健太くんがあちらの世界で体験したことやなにかをスマホに書き残していた、これはそのプリントアウトよ。ちょっと個人的な内容を含んでいたので、あなたには渡すべきだと判断した。ただしわたしがいま喋ったこと、そしてこのプリントアウトのこともトップシークレットです。第三者に話したり見せるのは厳禁だからそのつもりで」
「はあ……」
さつきが立ち去ると、礼子は机の紙片を見下ろした。
四つ折りの紙を広げると、三枚のプリント用紙に文字がぎっしり印字されていた。礼子は読み始めた。
最初のほうを流し読みして、それから各メールの日時を確認してまた読み返した。右も左も分からない別世界に置き去りにされ、絶望している様子が端的な言葉で語られていた。
健太はときおり母親について語っていた。「母さんが食べ物のありかを教えてくれた。試してみたけど、不味い。でも食べ物だ。水もある」「みっつの星が並んでいる方角に行けと言われた」などなど……
三ヶ月が過ぎると、文面から帰還をあきらめているのが伺えた。
とにかく、原始人みたいな生活だけどなんとかなってる。
いつの間にか落ち込まなくなってた。死なない以上なにかするしかない……
逆に腹が立ってたから身体は動く。
母さんはなにをやらせたがってんだか……
さらに一ヶ月あいだが開く。
でかいドームの入り口を見つけたので中に入った。
広い通路の両側にビルみたいな黒い板が並んでる。
板の前に立つとなにかが映った。映像と、言葉だ。でもぜんぜん読めない。
海が映ってて、ときおりタコみたいな生き物が現れた。
でかい真っ黒な眼が、まるで俺に気付いてるみたいに見つめてくる。
さらに2週間。
ここはお墓だ。
お墓じゃなかった。黒い板に閉じ込められた異星人。
まだ生きてて、俺にいろいろ教えようとしていたんだ。
その十日後。
もうバッテリーが切れそう。
三日後。
久しぶりにみんなが夢に出てきた。
すごい生々しい夢だったんで、起きたあとしばらく途方に暮れた。
もうエルフガインコマンドで過ごした期間より時間が過ぎた。
俺の葬式もしたのかな?たぶんそうだよな……。
幽霊になった気分。
みんなエルフガインでうまく戦えてるのかな、心配。
先生どうしてるのかな。
五日後。
どうせだから書いておく。
春に礼子先生の裸を見ちゃったけど、いくら思いだそうとしても、
びっくりした先生の顔しか思いだせない。はっきり見たはずなのに、
首から下がどんなだったか思いだせないんだ。不思議だ。
最近は先生のことばっかり考えてる。もう会えないみたいだけど
あの時のことちゃんと謝りたかった。
礼子先生に会いたいよ。
文面はそれでお終いだった。
礼子はティッシュを抜き取り、不意に涙がにじんだ目元に押し当てた。
それからプリントアウトを胸に押し当てたままでしばらくすすり泣いた。
昂ぶりがようやく収まると、顔を上げて、途方に暮れたままバッグを取って立ち上がった。
ひと気のない職員室前の廊下を洗面所に向かって歩いていると、うしろから声をかけられた。
「あの~、すいません」
「はい?」礼子は立ち止まり、振りかえった。脇に小降りの段ボールを抱えた宅配業者だった。
片手には拳銃を構えていた。
「騒がないでね、声出したら撃つよ」
マリーア・ストラディバリはナタリー・ポートマンより美人だが、おかげでかえって現実味が薄く、中谷もリラックスできるようだった。女性というよりガイジンとして見てしまうから尚更だ。マリーアは外向的でだれとでも仲良くなれるので、ふたりともすぐにお喋りをはじめた。例によってマリーアはアニメで学んだ日本の知識を補完するためジュードーについて質問していた。
健太はホッとした。メールで言っていたことは冗談だったのだろう。
本気でなにか期待していた自分がバカみたいだ……健太は内心で自嘲した。マリーアはいつだってサービス満点な女の子で、クラスの眼前で健太にキスしたのだって、本当は日本のTPOを知っててわざとしたのに違いない……
いや
でも、病院の部屋でものすごいディープキスしたのはどうだ?ひんしゅくを買ったにもめげず健太のスマホにいまだ収まっている自撮りヌードは?
(くっそ、女ってやっぱわかんねー)
「チャオ!マリーア!」すれ違いざまにハイタッチする女子が大勢いた。マリーアが帰って来た、という噂があっという間に広まったらしい。
昼近くになると、校内で食事にありつくのは至難の業だと分かった。模擬店の数が増えてても客の数が遙かに上回っていた。学食まで満員だ。たいして美味しくもなかろうに、外来者が嬉しそうに利用している。学校沿いの路上にはミニバンの屋台まで駆けつけているが、こちらも列ができていた。
結局ちょっと離れた場所のレストランを利用することにした。こちらも賑わっていたがかろうじて席を確保できた。実奈と真琴、廉次が加わり六人……ロボットは駐車場で待つという。
表にテラスを備えた郊外型のカフェレストランで、メニューはパスタとサンドイッチがメインだ。数少ない肉類はパストラミとかササミ、ベーコンという調子だった。男子にはちょっと物足りないが、女子と同席なのでお行儀よく……
「わたしこの明太子パスタにアタックしてみる!。ダブルで。それとこのビッツァマルゲリータと称しているもの……六人だから三皿くらい?日本のってちっちゃいから」
「うえ!?」
「実奈はねえ……サワークリームのスモークドターキーサンド、キュウリ抜いて。あ、でもバター醤油パスタも食べたいな~」
「それじゃあ、サンドイッチを何皿か頼んで、パスタも分け合いましょう!」
そんなわけでパスタとピザとサンドイッチが4種類ずつ所狭しと並んだ。マリーアがパスタを手早く小皿にとりわけ、女主人ぷりを発揮して男性陣からの好感度を簡単に上げた。
「あの~……」廉次が言った「みーにゃんさんて、ひょっとしてあの天才の……?」
「うん、そう」
「えっ?……そう言えば去年テレビで見た……」そんな人物ばかりが同席していることに中谷は遅まきながら驚嘆したようだ。
「あの番組きら~い」
「えー?なんで?11歳で10億稼いだスーパー少女って言われるのやだ?」
「テレビってウソばっかし。実奈の話勝手に変えちゃって……それにあのあと大騒ぎになったから、もうイヤ。イカスミパスタちょっとちょうだい」
真琴の話では、実奈が「勝手に」発明品の特許を企業に売り渡したことで、親族が大揉めになってしまったらしい。その特許は「専門家」によれば十倍以上の価値がある、と吹き込まれ……さらなる欲に駆られた親族は、弁護士を立てて契約の撤回を求めつつ分け前を巡って内輪揉めまで繰り広げている。
「みんなお金の亡者みたいになっちゃうんだもん……実奈、もっといろいろ発明できるからあんなのどうってこと無いって言ったのに」
それで実奈はもう二年近く、最低限必要な時にしか家に帰らない。お金は全額親に渡し、事実上絶縁状態だった。家族によかれと思ってやったことがそんな結果になってしまえば無理もない。とはいえ本人の口調は軽い不平という程度で、深刻さはうかがえなかった。
現在は健太の母親、浅倉澄佳が設立した財団に属し、島本博士が親代わりとなり、天城塔子の協力で法律的な壁を築いて、カネの亡者と化した親類から保護しているかたちだ。重力理論の世界的権威である天才少女は間違いなく国家的財産(弾道核ミサイル戦略を事実上無効にしたのだから議論の余地はない)なので、いくらでも無理が通る。
「みーにゃんごめんなさい~!おれ嫌な話題振っちゃったのね」
「いいんじゃヨ」実奈はテーブルにひれ伏せて許しを請う廉次の頭をぽんぽん叩いた。
「いまはお金に無頓着な人に囲まれてるから、安心ね?」
「まこちゃんと博士はどうか知らないけど、俺は金持ちじゃないよ?」
「ばか言わないで健太、あなたのお母様なんてわたしの家とかと比べたらスケール違うし」
「おふくろがすごいお金稼いで自分の計画につぎ込んでたのは知ってるけど、俺のじいちゃんが言ってたよ、全部使っちゃったんだって。で、俺には百万分の1ほど信託財産で残してるってさ……たったの百万分の1」
真琴がそっと実奈に耳打ちした。
「浅倉博士の最盛時の総資産、教えてあげたほうが良いのかな……?」
実奈がクスッと笑った。「まじめに計算しない健太くんが悪いんだから、黙ってよう」
「健太、なんならわたしのジゴロにしてあげようか?」
「うえっ!?な、なんだよジゴロって……」
「日本語だと……ヒモ?一緒に旅行したりダンスに付き合ったりしてくれればいいの。わたしが養ってあげるから」
「いいじゃん健太!ヒモ生活あっこがれる~フェラーリ買ってもらえ!」
「そんなに甘やかしてあげないけどアルファなら考えとく」
「よせやい!ヒモなんか勘弁だね」
「あらそう?残念、健太にはもうちょっと遊んでもらいたいんだけどな。堕落したお金持ちのばかな坊ちゃんたちと付き合って悪いことたくさん覚えて……」
「うわ~……マリーアさんの生活ってそんななの……?」
「俺をなにに仕立てたいんだか……」
「うふふ……まじめな話、来年にはこの変な戦争もお終いになるでしょう。健太はその後の将来を考えてる?」
「え?」健太は口ごもった。「そ、そーれは……考えてない……」
マリーアは健太の二の腕を叩いた。
「考えて」
年上女性から説教じみた長広舌が飛び出すものと身構えただけに、シンプルな言葉がかえって健太の胸にずしっと落ち込んだ。廉次も眼をまるくしている。
「それっておれら全員に言えることだし……」と、言ってみたものの、真剣に将来を考えはじめなければいけないのは健太たち、現在高校二年生の男子三人だった。
「俺もう自衛隊行くって決めてる」中谷がきっぱりと言った。
「俺は……とりあえず大学かな~?」廉次が確信を欠いた口調で言った。
実奈とまこちゃんまでが健太に注目した。
「だから考えてないって……」
ふと、窓の外の動きが気になってそちらに目を凝らした。
「浅倉?」
「表のあれ、なんだ……?」
レストランの前を大勢の人間が、同じ方向にのし歩いている。いずれも若い男女……高校生か大学くらいに見える。なにやらシュプレヒコールを唱えながら腕を振り上げ……あきらかにデモ行進だ。
「100人くらいいるな」
「あらら、日本もイタリアと同じね……」
「学校に向かってるな。なんのデモなんだ?」
「浅倉、あれってたぶん、最近ネットとかで騒いでるやつだぜ。『暇だからデモしちゃう?』とか言うやつ」
「ああ、アレか……何でもかんでも気に食わないとか言う」
「なんでもかんでもってわけじゃないんだぜ」中谷が言った。「記憶にございません、とかすっとぼけるヤツ、バカサヨク、なんでも足引っ張りたがるヤツとか、とにかくうんざりするようなことしてる偉いさんとかかな……」
妙に詳しいので健太は眼をまるくした。となりで廉次もうんうん頷いている。
「右も左も攻撃対象?そんな連中がなんでこんな埼玉の隅っこに?」
「エルフガインコマンドに文句でもあるのかなあ……どちらかというとあの連中は味方のはずなんだけど」
「そうか……とにかく、やり過ごして裏門から学校に戻ろうか」健太たちは立ち上がった。
「おごりか?」中谷が尋ねた。健太は潔く頷いた。
「ごちそうさま~」マリーアが礼を言ってさっさと店から出て行く。健太は溜息をついてレシートを取り上げた。(俺は浅倉健太、カネに無頓着な男)12人前の料理とドリンクで軽く一万越えていた。(……俺は泣かない)
「わ、わたし払います――」お財布を出そうとする真琴を健太は押し留めた。「俺が御馳走するって」
「わりいな浅倉!」「お兄ちゃんごっち~」
ところが店を出たとたん、すんなり帰れなくなっていることに気付いた。駐車場にいたタケルがデモ隊に囲まれていたのだ。
真琴が顔を曇らせて健太に振り返った。「タケルさんが絡まれてます、どうしましょう……」
「俺が様子見てくるから、みんなは先に学校戻ってて」
「わたしも行きます!」真琴が即座に言った。
「浅倉、俺もついてくぞ」中谷も名乗りを上げた。
「喧嘩ふっかけるわけじゃないんだから、ソーッと戻れって!」健太は手振りで制しつつ、騒動の輪に向かった。
タケルは駐車場の隅で困ったような笑みを浮かべてなにやら話していた。身長185センチなので大勢に包囲されていても目立つ。だがデモ隊の中にも数人、タケルと同じかそれ以上の体格のものが混じっていた。健太が接近してくるのに気付いたタケルは素早く首を横に振り、近寄るなと告げた。しかしもはや後には引けない。
「すいません!ちょっと!それ俺のロボットなんですけど!?」穏便に言ったつもりだが、うまくはなかった。
「マジかよガキじゃん」「なんでガキがロボット買えるの……」
群集心理が働いているのか、みんなちょっと好戦的な気分のようだ。オーナーの登場に早くもしたり顔のもの、携帯のカメラを向けてくる女性、小突くべきかどうか考えているように挑発的に睨んでくるもの、様々だがいずれも友好には程遠い。健太はちょっと後悔した。ひと悶着なしでは済みそうにない。とにかく、健太がタケルの傍らに来るのを邪魔するものはいなかった。
「それで、なにかありました?」
「そいつが」大学生ぐらいの男がタケルを指さした。「ガンつけてきたんよ。どういうつもりなのか訊かねえとな!」
「興味深かったので眺めていただけと申しあげましたが……」
「あんたたちだってロボットと同行してるんじゃないの?」
「はあ?」大学生は背後の大男に振りかえった。灰色のチョッキにネクタイというこざっぱりした身なりの、20代後半ぐらいに見えた。ロボットと決めつけたのは時期尚早だったか……。
「田中さん、こいつあんたのことロボット扱いしたぞ!」
田中と呼ばれたのっぽの男性は穏やかな笑みを浮かべて頷いた。「失礼な話です」
「ああ……勘違いしたらごめんなさい……」
「ロボもオーナーも無礼ってことだよなあ?おとしまえ着けてもらわねえとな?ああ?」 「ちょっとぉ、高校生相手にあんま熱くなんないで、かっこわる」若い女性が言った。あまり統制されたデモ隊ではないのか、春に遭遇したサヨクのおじさんおばさんたちとはいくぶん様子が違うように思えた。廉次が言ったとおり暇人の集まりなのかも知れない。
「え~……ほんとに気を悪くしたなら謝ります……」
「土下座、土下座な!」
(えー?まじかよ)健太は内心顔をしかめた。どう考えても土下座する理由は思いつかない。
「いいじゃんほっときなよ……」「いや頭下げて謝罪させなきゃさ、教育上よろしくないよ」「一発ぶん殴ったら家来のロボがどうするか試してみ!」勝手気ままな意見が相次いだ。だがその中の一人が最悪なひと言を放った。
「そいつ浅倉健太じゃね?」
(ぎょ!)
その言葉が浸透するにつれて喧噪が収まってゆく。やがてきわめて不気味な静けさがあたりに満ちた。
「ほんとだ……画像一致」スマホの画面と実物を見比べた誰かが言った。
「浅倉ってエルフガインのパイロットっていう……」「マジだ」「あれデマでしょ?ちがうの?」ふたたび手前勝手なざわめきがぶり返す。
状況は流動的だ。ここにいるデモ参加者のだれも、健太を袋叩きにする合理的な理由は無かろう。だが最前列で健太と対峙している大学生、こいつはやや逆上せあがっていて、土下座しろとか言いだして自分から引き際を閉ざそうとしている。男っぽさを誇示するあまり愚かな真似をしかねない。肌寒いのにTシャツ一枚で腕の筋肉を見せつけていた。身長は健太より3㎝高い。
こんな時でも、もうひとりの健太がちょっと醒めた目線でなりゆきを見守っていた。どういう結末を迎えるのだろう?という純粋な好奇心が働く。いろいろと困難なミッションを勝ち抜いてきた挙げ句に、こんな路上のいざこざでぶちのめされるとしたら、ちょっと古いハードボイルド映画じみている。しかしキャンプでの経験以来、不特定多数の他人と関わり合い対処することに妙な知的満足感を覚えるようになっていたのも事実だ。
大学生が複雑な懐疑の表情で迫った。「てめえ……あの浅倉なんか?」
「え~……俺は――」
「その前に!」背後にいたタケルがきっぱりした声で言った。「うしろのほうにいらっしゃる田中さん、それにほかの二人ののっぽのひと、あなたたちはやっぱり、ロボットですよね?」
「えっ?」健太も大学生も眼をまるくしてタケルを見た。田中と呼ばれた男の周りにいた連中もぎょっとした顔で見上げていた。
「しかも、わたしと同じタンガロ製ロボットマークⅣではありませんね。妨害電波であなたがたをコントロールしているコンピューターとのリンクを断ち切りましたから、聞いても答えられないでしょうが」
田中ともう二人ののっぽは、言い掛かりに反論する様子もなく立ち尽くしている。柔和な笑みを貼り付かせたままで微動だにせず、見るからに違和感があった。
「浅倉さん?」タケルが小声で語りかけてきた。「あのロボットは間もなくスタンドアローンモードに切り替わるでしょう。すでに救難信号を送りましたが、到着は2分後です。それまで逃げますよ」
「逃げるってなんで?どうやって……」
とつぜん耳を聾する爆発音が響いた。駐車場にいた全員が思わずその場にへたりこむほどの音量だった。
健太もびびって身を竦めたが、へたりこむことはできなかった。うしろから身体を抱きかかえ上げられて――空を飛んでいた。
タケル、というかいつの間にかウズメに変身していたロボットが健太を(腹立たしいことに)お姫様だっこしたまま跳躍してデモ隊を飛び越え、道路に着地したのだ。爆発音にかかわらずどこにも爆炎は見あたらなかった。ウズメが発した音なのだ、と健太は察した。
ウズメは健太を抱えたまま車道を走り出した。
「うわーッ!」とんでもないスピードだった。思わず身を縮めた。時速60㎞は出てるだろう。「なんで女に変身するっ!?」
「だって男に抱きかかえられたら嫌じゃありません?」
「どっちも嫌だ!」
「口を閉じていてくださいね、追っ手がかかりましたから」
「追いかけてくる!?」健太はウズメの腕越しに背後に顔を巡らせた。たしかに三体の人影が走って追いかけてきていた。
「あいつ、田中ってヤツはなんなんだ?ほんとにロボットなのか?」
「浅倉くんが来る直前までみなさんとお喋りしていたんですけれど、あのロボットはデモ隊をうまく扇動していたみたいです。彼らを利用してこの地域に潜入していたのでしょう。わたしを指さして「ロボットがいるぞ!」といったのはあいつです。それてまではスルーしかけていたんですけど」
「短気で目立ちたがりの首謀者をうまく操って、なにかケチつけなければ示しがつかない雰囲気に追い込んだんだな……」
「けっこう冷静ですね」
二車線道路なので車が走っている。対向車がカーブの先に現れたがウズメは突進した。車が急ブレーキをかけ、ウズメはその頭上を飛び越えた。健太は悲鳴を上げる間もなく、縮こまっていた。
「あ、危ないぞ!どこかひと気のないところに行かなきゃ」
「そうですねえ」
背後からバン、バン、という嫌な音が聞こえ、ウズメがつんのめった。
(銃で撃たれた!?)
そのまま転倒するかと覚悟した瞬間、ウズメは健太を抱えたままくるりと一回転して体勢を立て直した。そして横っ飛びして歩道脇の壁を蹴り、壁の上の植え込みに飛びこんだ。ニュータウンを一望できる高台の縁だった。急勾配の植え込みを難なく駆け上がって緑色のフェンスを跳び越え、栗の木の雑木林を抜けて散歩道を横切り、寂れた公園に達してようやく立ち止まった。
ようやくウズメの抱擁から解放された。地面に立つとぐらぐら揺れた。
「うえっぷ」
「浅倉くんはトイレに隠れて!」
健太は言われるまま公衆トイレの入り口までふらついた足取りで向かい、コンクリートブロックの仕切り壁に身を潜めた。壁の陰から顔を出して見守ると、ウズメが学校で披露したコスプレ女騎士姿になって、剣を構えていた。
追っ手が現れた。まるで早回しのビデオを視ているかのように、三体の人型が林のむこうに見えたと思ったとたん、ウズメの目前まで移動していた。ろくに物音も立てず、気配が感じられない。恐るべき身体能力だった。本気モードのロボットがどれほどやばい代物なのか、健太は衝撃とともに実感した。人間の兵隊はまったく太刀打ちできないだろう……
(やばいんじゃねえの?)
しかも、同じ性能のロボット同士が戦う場合、数量が要となることも明白だった。
つまり3対1の場合、少ないほうに勝ち目はない。それが次に健太の眼前で起こったことだった。三体の追っ手のうち二体がウズメと戦った……とにかくそう思えた。すごい早さで衝突して、飛び退き、また衝突、わずか数秒の出来事で、一体のロボットがバラバラに砕け散った。しかしもう一体がウズメの首を胴体から引きちぎり、同時にウズメがそいつの胴体を剣で両断した。残る敵の一体は……
健太の横にいた。
振り向いた健太はそいつが構えた拳銃の銃口を覗き込んでいた。
なにもかもがスローモーションになり、健太はロボットの手が引き金を引くのを見た。(なにか殺し文句がひとことあるべきじゃないの?)とっさに考えたのはそれだった。
コンクリートの仕切りが弾けて、ぎらついた剣先がロボットの腕を突き刺した。逸れた銃が発砲したが、健太には当たらなかった。しかしその勢いで地面にひっくり返った。
「なに……!?」
別の剣がロボットの胸を背後から突き刺し、ロボットは傷口から血の代わりにバシッと火花を散らせて、絶命した。白煙が立ち昇るとともに歯にしみるイオン臭がたちこめた。
死んだロボットを無造作に放り投げてウズメが言った。「浅倉くん、無事ですか?」
「えっ……と、アレ?」健太は肘をついて起き上がった。
「怪我してません?」
「ああ」あたりを見回す……ロボットの死体、というか残骸が散らばっていた。その中にタンガロ製マークⅣ……ウズメも横たわっていた。無残な姿だった。
「壊れ……ちゃったな」
「気にしないで、修理サービスの範囲内ですから」
うしろから呼びかけられ、健太はびっくりして振りかえった。もう一体ウズメがいた。 「なんだ、きみたち何体もいたのか……?」
「バレちゃいましたね。毎日入れ替わっていたけど気付かなかったでしょう?」
合計五体のウズメが姿を現した。そのうちのひとりはなんと、ピンク色のミニスカ看護婦姿で、オレンジ色の救急キットボックスを抱えていた。健太の視線を追った騎士姿のウズメが言った。
「ああ、浅倉くんが瀕死の重傷を負った場合に備えて、延命キットを持参したのです。人工呼吸が必要になってたらちょっと困りましたけどね。わたしたちは肺がないので」
そう言ってははは、と笑った。
「それ冗談?」
「ええ」
「ひでぇ冗談……」
ウズメは肩をすくめた。「人工知能はユーモアを通じて人間性を学ぶことになってるんでしょう?ありとあらゆるドラマでそういうことになっていました」
健太は頷いた。「その筋書きは定番だけど、なんか陳腐な気がしてきた……」急にばかばかしくなって笑いがこみ上げてきた。
「似たようなドラマで、ロボットが人間を支配したり滅亡させようとしてなかった?」発作的な笑いに腹を震わせながら言った。
「そうですね、なぜなのかわたしには分かりませんが……しかし多くの人はそれを恐れていますね」
「ついさっきあんたたちと戦ったロボットはそれじゃないのか?」
「たぶんそうです。島本博士が恐れていたことが現実化したようです。これは予測ですが、浅倉くんを襲ったロボットはアメリカ合衆国が製造したタンガロ製マークⅣの劣化コピー品です」
「おっ俺が標的だって?」健太はもう笑っていなかった。
「わたしだけの時は襲いかかってきませんでしたから、たぶんそうでしょう。彼らはどこか遠くの場所からリモートコントロールされていて、向こう側の人間オペレーターが顔認識ソフトで浅倉くんを確認して、暗殺実行を決断するのに時間がかかりました。おかげでわれわれがリモートを断ち切る時間が稼げたのです」
ウズメは話ながら健太の肩に手を置いて、ほかのウズメが形作る包囲陣の真ん中に導いた。まだ警戒しているのだ。
「やつらはどっから涌いたんだ?」
「グアムあたりから泳いで上陸したのでしょう。われわれは現在、ネットワークでほかのロボット工作員が存在するか確認中です。リモート用のサーバーロボット、中継用のマイクロドローンも同様に……」ウズメが言いよどみ、空を仰いだ。
ロボットは言いよどんだり言葉を尻すぼみにすることはめったにない。思考ルーチンが明瞭すぎて、専門語混じりの長台詞もよどむことなく喋る。それが唯一人間らしくないところと言えた。だから余程の事態が到来したのか……健太も空を見上げた。
三角形のUFOが青空を背にして浮かんでいた。
健太はぽかんと見とれた。
上空、およそ100メートルといったところか。三角形は黒っぽく、それぞれの頂点に黄色く光る丸が配置されていた。真ん中に回転する巨大なファンを備えていた。
「あれ……」
「逃げますよ!」ウズメが叫び、ふたりのウズメがふたたび健太を抱え上げ、もう一体のウズメに背負わせた。
(こんどはおんぶっすか……)まだしばらく恥辱プレイに従うほかないようだ。
それらの状況はロボットを通じて、すべてエルフガインコマンドの久遠に伝えられていた。
「こんどはUFOかい!」
「アメリカの軍用機です」インカムにロボットの「声」が響いた。現場にいるタケル/ウズメの声なのか、それとも得体の知れないどこかに存在するタンガロ製ロボットのAIが、合成音声で語りかけているのか、不気味だった。しかも、コマンド内のオペレーターも、それぞれロボットと交信していたのだ。
島本博士の説明によれば、あのロボットは普段、個々のパーソナルAIで活動している。そして一日に何度か、あるいは緊急事態の時だけ、ネットワークを構築して統計的データのやりとりを行うという。ネットワークが構築されるのはほんの一瞬、1/100秒以下だ。
そうすると、あのロボットは結局「どこ」で思考しているのか。久遠はどうしてもどこか地下奥深くで蠢く巨大電算機か、カプセルに封じ込められたでっかい脳味噌を想像をしてしまう。普段利用している国内ネットワークサービスのサーバーがインドネシアかどこかにあった、なんて話は承知しているのだが、先端情報システムについてほんの少しかじっただけの人間にはとうてい理解しがたい。
驚くべきことに、島本博士も詳しいことは分かっていないのだ。
少なくとも、セキュリティー上の都合で非常に分かりづらいシステムになっている、という説明は受けた。これまでの常識で言えば、ロボットたちはクラウド型システムで一元管理されるべきだった。だがそれではいちどに全システムを乗っ取られてしまいかねず、危険きわまりないのだという。
しかしアメリカ人は、それをやってしまったらしい。
「こんな時に博士がいないとは……」
問題は埼玉の片隅で起こったことだけに留まらない。日本の防衛態勢が(またしても)簡単に打ち破られ、リモートドローンの大挙侵入を許してしまったのだ。タケルロボットたちは、タクティカルオービットリンクを通じてリモート電波の出所を割り出していた。グアムだ。
だが、自衛隊には海を越えてやってくるちっぽけなラジコン兵器に対処する術はない。唯一有効な手段は相手の目標を探り出し、その地点に対ドローン部隊を送って妨害電波で守るしかない。
悲しいかな、日本の防人のトップは21世紀のドローン戦争をいまだ理解していない。正攻法で対処しようとすれば関係各方面に必要性を説いて予算を組み、人員を組織して専門部署の看板を掲げるだけで3年はかかる。それでは手遅れなので、陸海空それぞれの現場レベルで「勉強会」というかたちをとり対処しようとしていた。偵察ドローン運用部隊からエキスパートを選抜しているため、規模は小隊レベルに過ぎない。
その小隊がエルフガインと同じくらい重責を担っている。仮に米国が爆弾をぶら下げた100万のドローンで日本を爆撃しようと決意した場合、対抗できるのはその小隊だけかもしれない。
ただしエルフガインと同様、彼らには頼もしい味方がいる。島本さつきと10万体のロボットだ。
いま現在も、そのロボットたちが仕事をしていた。日本じゅうに散らばった10万体の電子頭脳がレーダーやセンサー、携帯端末や街頭カメラのデータまで勝手にアクセスして索敵している。それが法的権限から道義的問題までどれほど逸脱しているのか、久遠には見当も付かない。だから関係省庁にも連絡を控えていた。
(どうせ、埼玉にUFOが出現したと報告したってみんな困るだけだ)死んだふりしてこっそりやることをやり、事後報告で済ませる。
コンソールの内線電話が鳴った。久遠が受話器を取って応答すると、相手はエルフガイン地下作業場の区画責任者からだった。
「なにか?」
「それが、区画17の緊急設備が勝手に稼働し始めたんですけど」
「17は……島本博士がなにかやってたところかな?」
「はい、陸上自衛隊の依頼で新型ドローンの研究を行っていた施設です……あっ!なんかデカイ虫みたいなのがゾロゾロ這いだして、4番ランプに向かってます!どうします?」
「それほっといていいんで。怪我人出さないように気をつけてください」
「ああ、また博士こっそりなにかしてたんですか~……はい、了解しました」
受話器を置いた久遠は溜息をっいた。こと、島本博士に関することだとエルフガインコマンド職員も分かったものだ。
どうやら博士は独自に防衛措置を執り始めたようだ。あるいはロボットが勝手に始めたのか……
「よし、健太は無事だな?」
オペレーターが応じた。「はい、ゴルフ場跡地に逃走中です。追っ手は……えーと、トライアングル型UFO、3機……です」
「しっかりしろ!UFOなんぞ珍しくなかろう?今度のは米軍のパチモンに過ぎないぞ」
「は、はい!」
威勢よく檄を飛ばしてみたものの、久遠は無精ヒゲの浮いた顎をさすりながら考え込んだ。
(パチモンじゃなかったらどうしよう?)
営業中はきれいに整備されていた芝生は見る影もなく、ゴルフコースはあちこちに雑草が伸び、広々と開けたグリーンは落ち葉に覆われていた。
いま、そこはロボットの戦場と化していた。しかしただひとりの人間として参加している健太には、何が起きているのかよく分からなかった。
ウズメにおんぶされたまま緩やかな丘陵を降り続けていると、奇妙に静まりかえっているなか、ときおり散発的に射撃音が聞こえた。戦闘の気配はそれだけだ。ウズメの言う「劣化コピー品」は体内に武器を仕込む能力が無く、人間用の携帯火器を使わざるをえないらしい。
健太たちの行く手から人間サイズの蜘蛛のバケモノみたいなドローンがゾロゾロ現れ、健太たちには眼もくれずに背後に走り去った。味方のドローンらしい。空を飛ぶ全長50センチくらいの蜂型もいる。杉木立の傍らにちらっと人影らしきものが見えた、と思ったら次の瞬間には消えた。
状況は鳥ノ島の時と似ているが、あのときの呑気さは微塵もない。
三角形のUFOは高度を取り、ちっぽけな点くらいに見えた。
「こちらのジャミング範囲外に出たようです」ウズメが注釈した。
「それじゃ、敵のロボットはまたリモートコントロール復活してるわけ?」
「そうです。人間のコントローラーが判断を下すことによってタイムラグが生じますから、こちらとしてはそのほうが好都合ですけど。問題はモニターされていることですが」
「米軍だかCIAだかどっかのヤツがおれらを覗き見してるってか」
「いかなる情報も気前よく渡すのはよくないですからね。しかし敵の意図と正体を探るためにもある程度自由に泳がさないと」
「正体って?正体はアメリカだろ?」
「正確に言うと、わたしたちは逆探知によりロボットを操っているセントラルAIの居場所とその意図を探っているのです」
UFO自体には戦闘力はないようだが、ドローンやロボットを何台も搭載していて、それを健太にけしかけている。
「警備隊は呼んでないの?」
「一方的にやられてしまう可能性があるので、様子見です」
なるほど、たしかに。でも人間の警備隊がどこかで待ち構えてくれるものと思い込んでいたので、少々がっかりした。
右のほうの高台を登り切れば、そのむこうには健太の高校があり、ブラスバンドの演奏が微かに聞こえてきた。ひどく現実離れしているように思えた。
それに奇妙なデジャヴ。
(なんだ、この感覚)
まえにも似たようなことがあった。鳥ノ島ではなく、その後……。ウズメはグリーンから逸れて林に向かった。やがて、ゴルフカートが何台も並べて放置された屋根付きガレージに辿り着いて健太を降ろした。
「ここでバトンタッチです。浅倉くんは学校に向かってください」
「バトンタッチ?」
ウズメが健太の背後を指さした。そちらに眼をやった健太はぎょっとした。学生服姿の少年が小走りで向かってきた。健太たちに向かって挨拶するように手を上げた。
そいつは健太そっくりだった。
鏡に向き合うのと同じことのはずだが、少なからず生理的嫌悪感を感じて健太は身を震わせた。こんな視点で自分自身を眺める機会は、あるようでない。例えるならビデオで撮影された自分を見たとき感じる違和感か。「気持ちわる!」「俺ってあんなふうなんだっけ?」混乱した思考が渦巻く。
「なるほど、俺の影武者か……」
「はい。特注のマークⅣです。敵は赤外線と音波で索敵しているので、わたしたちが人間と同じ体熱を発しているいまは混乱して、浅倉くんを見失っています。ここで入れ替わって敵をおびき出しますから、健太くんは学校内に紛れ込んで、島本博士と合流してください。博士は校内で待機中です」
「博士が学校に来てるって?」
「早く、行って!」
「ああ、うん。そっちも気をつけてね!」
ウズメは笑った。ヘンなこと言うと思われたのか。
健太は林の斜面を登り始めた。
(そもそもなにかを「思う」ことなんか無いんだっけ?)
頭の良すぎるAIと付き合うのは相変わらず妙な感じだ。当たり前のように会話を交わしつつ、その言葉の奥にはなんの感情もないのだ、と考えるのは難しい。
さいごの数メートルは急斜面を這い上り、ゴルフ場の柵に突き当たった。健太は金網を乗り越えて、轍を刻んだ林道に降り立った。緊張し、周りと頭上になんども眼を配りながら学校に向かった。明るいのに肝試ししている感覚だった。
結局なにも起こらないまま校庭脇の舗装道路に出た。校庭と校舎を隔てる芝生の土手におおぜいの来訪者がいた。しかしその人混みと健太を隔てる100メートルくらいの距離がひどく遠く感じられた。校庭は高い金網とネットに遮られているため、校内に戻るには傍らの車道を迂回して体育館裏の裏口に行くしかない。
人混みの多くがなにやら空を指さし騒いでいるのに気付いて、健太はギクリとした。
(UFO目撃で盛り上がっているんだ!)
思わず駆け出しながら背後の空を仰ぎ見た。小さな点がみっつ見えた……
(遠ざかってる……遠ざかってるよな?)
なかば言い聞かせながら走り続けた。
体育館のそばに辿り着くと、ひと息ついてあたりを見回した。ブラスバンドの演奏が体育館の壁から響いていた。アニメソングのようだった。
ベージュ色にまっすぐそびえる壁を見上げると、まえにも同じことがあった、と脳裏をよぎった。
(くそっ……)なにか思いだしかけているのにどうしても思い出せない。
懐のスマホが鳴り出し、健太は物思いから引き戻された。慌てて取り出して画面を見ると、礼子先生からメールだった。
屋上に来て
それだけ書いていた。健太はまた走り出した。おっかないロボット軍団に追われていたことも忘れて校門にまわり、教室棟の階段を駆け上がって一気に四階の階段のどん詰まりにたどり着いた。屋上に出るドアの鍵は開いていた。そのドアを勢いよく開け放して叫んだ。
「先生!?」
「健太くん来てはダメ!」
「え?……」
10メートルくらい離れて礼子先生が立っていた……正確には男に首筋をがっちりホールドされて立たされている。礼子先生のこめかみに拳銃が突きつけられていた。状況を悟った健太は、とつぜん渇いた喉から声を絞り出した。
「おい……よせ、先生を離せ」
「離してやるが、おまえは言うことを聞け」男は銃の先を健太に振って、「機械室の壁に行け」と指示した。健太は男から眼を話さず、ゆっくり従った。壁際に立つと男が手錠を放ってよこした。
「手錠を片腕にはめて、もういっぽうを壁のパイプに回せ」
「言うとおりにするから、先生を離してくれ!」
健太は手錠を自分の手首にはめ、もういっぽうをパイプにかけて自分の身体を壁に繫ぎとめた。胸が悪くなる作業だった。
「さっ終わったぞ」健太は手錠をぐいぐい引っ張って見せた。パイプはびくともしない。
「よし」
男は礼子先生の身体を乱暴に突き飛ばした。健太が受けとめた。
「あんたもアメリカの手先か?」
「おれはアメリカ人だよ」いっけん日本人のようで日本語も堪能な男は言った。「悪いな、おまえにはなんの恨みもないが、これも仕事だ。おまえらは……」男は腕時計をあらためた。「少なくとも数分で死ぬ。まもなく「神の鉄槌」が空から落ちてくる。ここを中心とした半径500メートルは壊滅する」
「神の杖みたいなやつか?」
「そう、おまえさんの母上を殺した兵器の、拡大版だ。1トンの鉄柱が宇宙から落下してくる。おまえタイボルト大統領によほど嫌われてるんだな」
「タイボルト……」
「お喋りはお終いだ!さよなら!」
男はいそいそと立ち去った。
母さん……タイボルト大統領
(そうだった)
奴は「あの場所」でもそう言った。サンクチュアリで。
健太はすべて思いだした。
「け、健太くん」礼子先生は手錠をちから一杯引いた。「どうしよう……」
健太はハッとして、すがりつく礼子先生の温もりに息を呑んだ。
「先生!先生は早く逃げろ!」
「健太くんだけ残して逃げられないよ!」
「学校にいる人を避難させなくちゃだろ?俺はだいじょうぶだよ。助けてくれる人は大勢いるんだから。知ってるでしょ?」
「知らないわよ!久遠さんも博士もいないじゃない!」
健太は気力を振り絞って礼子を引き離した。
「行って!急いで!」
先生がよろめくような足取りで健太から離れた。だが階下に降りるドアに手をかけると、何度引っ張っても開かない……
「健太くん!鍵が壊されてる!」
「エー!?」
先生はふたたび健太のそばに戻った。
「先生……」
「健太くん……」
どこか達観したような礼子先生が、健太に身を寄せてふっと溜息を漏らした。健太はその背中におずおずと手を置き、ぽんぽんと叩いた。
(どうにかしてくれ……!)健太はやるせない気分で空を仰いだ。(このままじゃ先生が死んじゃうだろ!)
(健ちゃん)
健太はその声に身を竦ませた。息を殺して耳を澄ませた。
(健ちゃん、あなたはなにかできることがあるはずね?そのちからを与えたでしょう?)
「母さん……」
礼子がハッと顔を上げて健太を見た。そしてあたりを見回し、異変が生じているのに気付いた。たったいままで晴天だった空に幻想的な紫色の帳が落ちていた。
それから頭上にブルーの球体が現れた。
その球体がストロボのように瞬くと、残像の中に黒い巨人のシルエットが浮かんだ。
(エルフガイン!?)直感的にそう思った。
不意に浮遊感に襲われ、礼子は健太の首にしがみついた。見下ろすと屋上の床がものすごい早さで遠ざかっていた。
「健太くん!」叫んだが、声が妙にうつろに響いて、健太の耳に届いていないのが分かった。水中に閉じ込められたような感じだった。
健太は虚空の一点を睨んでいる。礼子がそちらに顔を巡らせると、空の彼方にぼんやり揺らめく熾火が見えた。
自分が幻のような巨人の体内にいるのが分かった。どうやってか、その巨人が巨大な弓を構えているのも見えた。大勢のタンガロ製ロボットが礼子と健太に注目しているのも分かった。白熱する鉄柱が大気を燃やしながら急接近してくるのも見えた。
健太のかたわらに浅倉澄佳博士が立っているのが見えた。
「いまよ」彼女が囁いた。
巨人が弓矢を放った。
その弓矢が純粋なエネルギーの塊であることも、いまの礼子には分かった。礼子は神の視点を体験しているのだ。さまざまなビジョンや知識が勝手に押し寄せてくる。圧倒的な情報の波に呑み込まれて礼子は悲鳴を上げた。
弓矢が「神の鉄槌」に命中して、大爆発した。
気がつくと、健太たちは屋上で横たわっていた。いち早く目覚めた礼子は、健太にしっかり抱き留められていることに気付いて困惑した。
「け、健太くん!」胸を揺すぶると、健太が身じろぎした。
「う……ン?」
礼子は慌てて身を起こした。健太が眼をあけた。「あれ?」
「だいじょうぶ?」礼子は立ち上がり、健太が立ち上がるのに手を貸した。手錠がいつの間にかなくなっていた。
「どうなっちゃったんだ……?」
「健太くんが神のナントカを阻止したのよ。覚えてない?」
「ああ」健太は途方に暮れながら答えた。「そうだ。母さんがまた助けてくれたんだ」
「お母さま……」
健太が礼子の肩を掴んで言った。
「先生、俺全部思いだした!もういちどあそこに戻らないと……」
「戻るって……」礼子は思い当たった。島本博士が心配していた事態がついに現実化したのだ。「健太くんが行っていた場所に戻るって言うの!?すごく遠い場所なんでしょ?あなたそこで9ヶ月も過ごしてたのよ?ここのたった四時間で」
「分かってる。でもほっといたらアメリカ大統領があの場所を滅茶苦茶にしちゃうかもしれないんだよ!」
「なにを言っているの……?」
「おれ、向こうであいつにばったり出くわしたんだ。ロボットと一緒だった。追いかけ回されたけどあそこの住民が守ってくれたんだ。戻ってみんなをあの星から解放しなくちゃならない……だから行くよ!」
「ダメだったら!」
「反対しないでよ先生」健太は笑みを浮かべた。「俺があっちで過ごしたら、先生の歳に近づくかも。そうしたら俺……」
礼子がいきなり飛びついて健太の唇を奪った。
健太は、心臓が弾けるんじゃないかというほど驚愕した。
それから何もかもが溶けて、健太はくちづけに応じていた。夢中で唇を貪っていた。
お互いに息が切れてようやく唇を離すと、礼子が言った。
「行かないで……」礼子の目尻から涙がこぼれ落ちた。「歳が近づくとか、そんなのどうでもいいから行かないで……!先生と約束して、ね?」
なかば怒って、心底から訴えかけてくる先生の顔は、いままで一度も見たことのないものだった。「はい……」ショックを受け圧倒された健太は、かすれ声でそれだけやっと言った。
礼子はぎくしゃくした横歩きで、健太と2歩、3歩距離を取った。恥ずかしげにうつむいて言った。
「い、いまのは秘密よ」
「了解ッス……」
健太が鍵をなかば蹴り壊してドアを開けることに成功すると、礼子がそそくさと立ち去った。階段の踊り場でいちどだけ健太を振り返って微笑んだ。
それから物憂げな足取りで校内に戻った。キスの余韻でまだ頭がぽわぽわしている。浮き足立ち階段で転けそうになった。
信じられないことに、だれも何が起きていたのかまったく知らぬまま、学園祭が続いていた。
健太はぽつりぽつりと用件を思いだし、島本博士と久遠一尉に連絡した。
「健太無事か?ああ、ロボットは制圧した。タケルが、若槻先生のスマホを持っていた日系アメリカ人の身柄を拘束したようだ。そいつはスパイだって?なるほど、了解した。すべて終わったらまた連絡する」
「健太くん?え?すべて思いだしたって?そうなの……その話はあとで、電話ではまずいわ。タケルが軌道上の質量兵器の破壊を報告してきたけど、どういうことなのか知ってる?ああ、それもあとでね、それじゃ、お祭りを楽しんで」
まこちゃんに電話すると、廉次たちと一緒にいるという。中庭の雑踏の中で合流した。マリーアとタケルも一緒だった。
(いったいロボットは何体いるんだろう?)
昼飯のあと別行動してから1時間しか経っていないことに気付いて、健太は軽い虚脱感を覚えた。
「健太さん!ご無事ですか?」まこちゃんがひどく心配げな顔で言った。
「ぜんぜん平気、なんともない」我ながら空々しい口調だ。まこちゃんもマリーアの顔もまともに見ることができなかった。マリーアが露骨に疑念を浮かべた顔で、指で唇の端をこすってみせた。
(やべっ)健太は袖で口元を拭った。
「あー!あいついるじゃん!」
背後から声が聞こえた。振りかえると、雑踏をかき分けてあのデモ隊のメンバーが現れた。のっぽの田中たちはいない。Tシャツの大学生が健太のまえに立ちはだかったが、もう怖くなかった。さっき体験した諸々に比べたら取るに足りないことだ。
「浅倉健太!さっきはごめんな。おれらべつに絡むつもりなかったんだけどよ……」
「謝ることないすよ」
「突然あんた飛んでいなくなっちまったから、ひとこと言いたくてな。でもなんでロボットに追いかけられてたんだ……?」
「あんま気にしないで……ここ俺の学校なんで、学園祭楽しんでください」
デモ隊は健太たちに手まで振って立ち去った。いつの間にか中谷とタケル、まこちゃんまでが健太のとなりに立っていた。
「そんなに悪い人たちじゃなさそうね」マリーアが言った。
「さ、さて、それじゃまたぶらつく?」
「健太、アフターパーティーでキャンプファイヤーみたいなのするの?」マリーアが期待を込めて尋ねてきた。
「後夜祭はあるけど火はつけないよ?アニメを真に受けちゃいけない」
「な~んだ……ダンスは?」
「去年は踊ってたかな……」
「それじゃダンスするまでいる」
「オクラホマミキサーだよ?そんなの踊るのかよ」
「あいにくとソーシャルダンスは大好きなの」
嘘みたいに日常が戻ってきた。健太にとって重大なことが次々起こっても世界は変わらない。考えてみると、自分のせいで学園祭が台無しにならなくて心底ホッとした。
願わくば、これがいつまでも続きますように。
結末に向けていろいろ畳みはじめなくては……という難しい段階。
とにかくあと5話でお終い
のはず。




