第20話 『敵はエルフガイン! 後編』
電話を切った健太の父方の祖父、松坂老人は檜の廊下を進んでふすまを開けた。
畳の8畳間には布団が敷かれ、健太が横になっていた。傍らには達美がいた。
「健太の様子はどうなんじゃ?」
「あちこちの擦り傷、栄養失調、飢餓、軽い脱水症状。それ以外はなんともないわ、おじいさま」
「長いあいだなんも食うとらんということなんか?」
「とりあえず点滴はしてるけれど、見たかんじ命に別状はないと思う。でもお医者さまに見せないと」
健太の従姉である達美は看護資格を取得中だ。そしてこの家には、やむを得ない理由で医療器具がひととおり揃っている。
「わしの主治医を呼んだよ」
「健太くんいったいどうしたの?お庭にひょっこり現れたのよね?服もぼろぼろで……」
老人は確信を欠いて、首を傾げていた。「わしもよう分からんのよ。本当にパッと現れおった、ような気がするんじゃがの……」
「ねえ……おじいさま、健太くんずいぶん大人っぽくなってない?」
「アン?そりゃおめえ、育ち盛りだし……」
「でも、わたしは夏に会ったばかりだけど、二ヶ月ちょっとでずいぶん変わってるみたい。顔は痩せたし肩が逞しいし、何ヶ月も散髪してない……」
「たしかに前髪がうっとうしそうやな、あとで切っておやり」
達美はふと健太を見下ろし、改まった口調でたずねた。「……おじいさま、健太くんが虐待されたんじゃないかとか思ってる?」
「そりゃおめえ、どうしたってそう見えらあな」
「かもしれないけど、とくに殴られたりした跡はないのよ……変でしょ?強いて言うなら埼玉からコンビニにも立ち寄らずに徒歩でやって来たようだわ。……おじいさま、逆上して話をこじらせる前に、あちらのお話を聞いてよね」
「わあっとるがな!いま返答待ちじゃい!」
「う……」
「あっ、健太くん!」健太が微かに呻いて身じろぎした。達美は枕元に顔を寄せた。「なに?気がついた?」
健太がかすれた声で呟き、達美は何度か頷くと、顔を上げた。
「……おなか減った、なにか食べたいって……」
「健太くん、もっとしっかりした物作ってあげようか?おにぎりも作ってあげるよ?」
「いや、これでいいッス」
達美がカップラーメンにお湯を注ぐと、健太は割り箸を割って蓋の上に置き、両手をすり合わせた。3分調理だが2分ちょっとで食べ始めてしまった。
「スゲ~久しぶりな気がする」健太があまりにも旨そうにがつがつ食べているので達美は失笑した。
松坂老人も健太の布団の傍らにあぐらを掻いて腰を下ろしていた。懐を探って煙草を取り出すと、達美にぴしゃりと膝を叩かれた。
「あ、おれ構わないから、吸って」
「わりいな」老人は悪鬼のようににんまり笑うと、さっそく一本咥えて火をつけた。フーと煙を吐きながら言った。「けっこう元気そうじゃネエか」
「え?そりゃ……てか、ここどこ?じいちゃんたちなんで居るの?」
「エー?そりゃおめえ……ここはわしん家やし」
「マジで?」健太は半信半疑の笑みで言った。「じゃおれ九州にいるの?なんで……?」
「おいおい、わしらもそれが聞きたいんじゃが」
「おれ……」健太はスープを飲み干してカップを盆に置いた。溜息をついた。「なんか、ずいぶんと長いあいだ、べつの場所にいた気がする……」
「べつの場所って……?」
「変だな、よく覚えてない……」健太は首を傾げた。「必死で歩き回ってさ……なんとか生きて返ろうと、そればっか考えてたような……」
老人と達美はちらりと顔を見合わせた。
「まあなんだ、ちっとゆっくりしとれ。埼玉にはわしが連絡するから」老人は煙草を灰皿に押しつけると立ち上がり、廊下に出て行った。
健太は自分が浴衣姿なのにようやく気付いた。
「アレ?俺の服って……」
「ああ……ぼろぼろだったからね」達美はひらひらと手を振った。「あたしが着替えさせた」
「うえっ!?マジっすか!?だっておれ……!」健太は袖をめくって腕を眺め、クンクンにおいを嗅いだ。「……風呂に入ったみたいだ……」
「あたしが洗ってあげたの」達美は口元に手を当てて微笑している。
「うっそ」
「うふふ……いいじゃん従姉なんだし」
「うふふって!?それってどっどっどういう」
達美は心得顔でうんうんと頷いた。「ボク立派に成長したねえ。お姉さんも誇り高いわ」
「ちょっ勘弁してくださいよ!」健太は真っ赤になって叫んだが、意地の悪いニヤニヤ笑いを浮かべる従姉相手にまじめに腹を立てるのは難しかった。
松坂老人がふたたび電話をかけると、島本さつきが応じた。
「健太は思ったより元気なようじゃが……なにが起こってるんかね?」
『われわれにもよく理解できてないのが正直なところです……行方不明になって四時間、それで九州に現れるなんて……』
「四時間?あいつは何ヶ月もインドかどこかを放浪してたような姿だったよ。どういうことなのか説明できんのか?」
『何ヶ月も……?』さつきは珍しく困惑していた。『……ええと、仮説はいくつか考えられますけど……ひどく学術的な話だし、あなたには戯言に聞こえるでしょう……』
「するってえとアレかい、浅倉さんがやってたような科学実験のナニか、そんなことに健太が巻き込まれたってことかね?」
『ええ、恐らく』
老人はチッと舌打ちした。「それでどうするよ?健太は」
『ああ……それが、もうすぐ健太くんの迎えがそちらに到着するようなので……』
「おい!ずいぶんと手回しいいようじゃが、あいつぁくたびれきってんじゃ!無茶はよせやい!」
『いえ、そうじゃなくて、ストライクヴァイパー……健太くんの愛機が、勝手に進路を変えてそちらに向かいはじめたんです。こちらのコントロールを受けつけなくなったタイミングは、そちらに健太くんが現れた時間と一致しているようなんです。それはともかく、その機体は間もなくそちらに到着する。気をつけてください』
「気いつけろって……でかい飛行機かなにかが飛んでくんのか?ここへか?」
『ええ……』
ほぼ同時に「ドォーン」という鈍い音が響いて屋敷全体が軋んだ。組員の慌ただしげな叫びが聞こえた。
段九朗は軽くよろめきつつ玄関に向かい、組員の背中を押しのけて門の外に踏み出した。激しく叩きつける熱風に顔をしかめながら見上げると、異形のジェット機が垂直降下してくるのが見えた。どうやら、屋敷の駐車スペースに着陸するつもりのようだ。20台分のスペースに五台ほどの車が駐車していたが、いずれも風に揺すられて盗難防止装置が作動していた。
だがけたたましいブザーもジェットエンジンの轟音にかき消された。耐えがたい熱風と騒音に思わず袖で顔を覆った。やがて轟音がフッと消え去ると、ダンプトラックより大きな図体が駐車場の真ん中に居座っていた。
「滅茶苦茶しやがって……」
段九朗のまわりに途方に暮れた組員が集まりだした。
「オウ、だれか警報消せや!」
「へい!おやっさん」
達美がとなりで嘆いた。「あーあ、あたしの車こげてる……」
電話の子機を掴んだままだったことに気付いて段九朗が耳に当てると、まだ埼玉と繋がっていた。
『お騒がせして申し訳ないわ』
「こいつに健太を乗せろちゅうんか?」
『乗れる様子でしたら……』
「じいちゃん」
老人が振り向くと、浴衣姿の健太が帯を直しながらしっかりした足取りで歩いてきた。
「健太よ……」
「じいちゃん、ちらっとテレビ見たら大変なことになってるようだ。おれ行かないと」
「行くンか」
「心配しないでよ。チャッと行って帰ってくるから」
「そうか」すべての車の警報がようやくおさまり、とつぜんの静寂が降りた。「それじゃあ仕方あんめえ」老人は持っていた子機を健太に渡した。「島本の先生が話したいとよ」
子機を受け取り「もしもし」というと、さつきの声が聞こえた。
『健太くん、ストライクヴァイパーに乗れそう?』
「えー、久しぶりだけど、大丈夫だと思う」
『久しぶり?』
「うん、博士も」
『……その話はあとで、まず上がってちょうだい』
「了解」
健太が通話を終えて子機を手渡すと、段九朗は無言で頷いた。
「それじゃ、みんな下がってね。危ないから」
「健太くん」達美が進み出て健太の手を取った。「無事に帰って来てよね。そのイケてない長髪カットしたげるから」
「分かりました」
松坂邸は街から離れた高台にある。通報があったのか、遠くからパトカーのサイレンが聞こえはじめていた。
やがてストライクヴァイパーのエンジンが息を吹き返し、回転数上昇につれてたちまち耳を聾する轟音になった。段九朗と達美は、垂直上昇するストライクヴァイパーを屋敷の中庭から見上げていた。
「さて、おまわりになんて言うか」
「ありのまま話せばいいじゃない」
「へっ、それで済むならケーサツなんざいらねえわな」
低い雨雲がたちこめた日本海は一面暗黒の世界だった。だがわずかな熾火が点々と灯って、空と海面の境界をわずかながら照らし出していた。
燃えているのは海上自衛隊艦艇だ。
敵――エネミー013の砲撃を艦首に食らった護衛艦〈あきづき〉である。新潟に上陸しようとしている敵を阻止すべくピケを張り、ミサイル飽和攻撃に備えた矢先、240㎜レールキャノンの直撃を受けたのだった。巡洋艦の主砲並みの威力を持つ砲弾は、護衛艦の艦首を127㎜砲塔直前までほぼ完全に粉砕した。〈あきづき〉はたちまち大幅に艦速を落とし、浸水によって急速に前傾した。
数分後、前部垂直ミサイル発射管が誘爆して、〈あきづき〉は乗組員もろとも轟沈した。
それでも戦闘グループは怯むことなく飽和ミサイル攻撃を断行した。敵の上陸を阻止するためには一歩も引くことが出来ないのだ。相手はあのヤークトヴァイパー……圧倒的な火力によって自衛隊関係者ほぼ全員を戦慄せしめた陸上戦艦の、完全コピー品だという。新潟なりどこへなり上陸を許せば大惨事は免れない。
「ちゃーくだーん!」ストップウォッチを手にした航海士が叫んだ。〈こんごう〉の艦長はCICではなく艦橋に就き、双眼鏡を闇の彼方に向けていた。80㎞の距離を隔てた敵に五隻の護衛艦が放ったスタンダードミサイルが殺到している。遠い雷光に似た瞬きが水平線をストロボのように照らした。
むろん、ヴァイパーマシンに対して通常兵力は役に立たない。しかし敵の超重戦車を載せた高速船だけでも叩ければ、上陸は阻止できるかもしれない……無敵だが、日本海に沈めてしまえば簡単には復帰できないはず……。
「両舷全速、ようそろ」
反撃に備え、つねに速度と進路を変化させる。戦闘グループのだれも、敵があの一撃で息の根を止めたと思ってはいなかった。
「プローブ・ワンより映像確認!」敵上空に展開するドローンのオペレーターが報告した。「エネミー013は健在!ミサイルはすべて迎撃された模様。進路変わらず、新潟に直進中」
「バケモノめ……」
まさか怪獣映画で絶望的な阻止行動する役をまんまやらされるとは……
「砲撃!来ます!」
〈こんごう〉の航跡に巨大な水柱が生じた。水柱そのものは艦橋から見えなかったものの、その音と衝撃波は艦全体を揺すった。
せめてもの慰めは、敵国(恐らくイギリス)のレールキャノンがオリジナルほど高性能ではなかったことだった。かの国の一次産業はほぼ壊滅している。コピーはできても、そのコピー兵器に搭載する火器を自力開発する余力もノウハウも失って久しく、連射速度が著しく低いようだ。
(それでもわずか3秒で、超高速の次弾を放ってくるのだが……)
〈こんごう〉行く手に2本の水柱が立て続けに生じた。完全に峡叉されていた。敵は〈こんごう〉を次の標的と定めている。これでは敵に迫り、船体をぶつけることさえ叶いそうにない。
万事休すか――艦長が覚悟したそのとき、闇夜を切る一条の光が視界の隅に映った。(流星か?)
数秒後、まったくおなじ光がまた艦の頭上を飛び去った。光は背後……新潟沿岸のほうからエネミー013に向かっている。
「なんだ……ミサイルか?」
「艦長!陸側から、し・支援砲撃です!」
「支援……砲撃?」
艦長はハッとして、水平線に向かって双眼鏡を構え直した。
エネミー013がいるとおぼしき海域におびただしい数の白い柱が生じている。不気味な緑色の燐光を纏った水柱だった。正確に0.5秒間隔で着弾している。
たしかにミサイルではない。まぎれもなく、大威力砲弾が殺到している。だが一番近い陸地は〈こんごう〉の、少なくとも30㎞後方なのだ。
国内で有効射程距離100キロメートルを超える怪物砲など、ただ一基しかない。
「ヤークトヴァイパーか!」艦長は叫んだ。「あん畜生、まさか埼玉から駆けつけやがったのか!」
あの超重戦車の恐るべき機動力は噂としては聞き及んでいたが、まさか甲信越の山間を横断して、わずか2時間あまりで新潟まで移動してしまったとは……!
「新幹線かよ」 文字通り起死回生の余裕から、艦長は口元に苦笑を浮かべていた。
着弾地点からひときわ大きなオレンジ色の火球が空に躍り上がった。艦橋に「オッ!」と息を呑む気配が走った。
「やったか!」
「エネミー013の轟沈を確認!」
「よし!これでフィフティフィフティだ。しかし敵はまだ健在の可能性がある!各員に伝達、よりいっそう気を引き締めよ!われわれは死なない努力をする!」
タクティカルオービットリンクを通じて、味方潜水艦からの報告が礼子のコクピットモニターに映し出されていた。
エネミー013轟沈確認から5分、海底に沈んだ偽ヤークトヴァイパーを捜索中だった。
(まあ、これでお終いなはずないわ……)
ヤークトヴァイパーの頑丈さは身をもって経験している。自衛隊も分かっているので、健在という前提で捜索している。
礼子のヤークトヴァイパーは、北陸自動車道パーキングエリアを見下ろす小高い山の頂上に陣取り、砲撃を試みた。
能登半島を回り込んで上越か柏崎に上陸しようとしている敵を阻止せよ――そのためには高速自動車道と線路を多少破壊しても構わない。なんとしても都市部上陸を阻め。命令ははっきりしている。埼玉から移動するあいだに破壊した信越道、そして無数の森林や道路のためにも、作戦は成功させなければならない。
恐らく偽ヤークトヴァイパーは、最寄りの陸地を目指して海底を這いずっている。そしてその上陸予想地点が、ここだ。
敵はヤークトヴァイパーを目指してくる。それがエルフガインコマンドの分析だった。ヴァイパーマシンを破壊すれば合体が出来なくなり、戦わずして相手の勝利となる。そして、火力は高いが移動速度が遅いヤークトヴァイパーを狙うのが、いちばん堅実なのだ。
(つまりわたし、餌なのよね……)
やや心細いが、尻込みしてはいられなかった。100メートル眼下の広々としたパーキングエリアにはスマートヴァイパーが布陣している。全高30メートルのロボットは礼子に背を向けて片膝をつき、夜の水平線に注意を向けていた。搭乗しているのは中学三年生の女の子なのだ。
スマートヴァイパーの寮機であるミラージュヴァイパーは、実奈ちゃんの代替パイロットによって現在、この現場に急行中だ。
戦術マップを関越から下側の本州と九州が表示されるまでズームダウンさせた。
マリアのバニシングヴァイパーはエネミー012――偽バニシングヴァイパーの追跡を再開していた。二機とも日本列島を囲むもつれたパスタのような航跡を描きながら、やはり新潟に接近中だ。
さらに一点、北九州に緑色の三角形が点滅していた。ゆっくり動き出して、やがて点滅が終わった。
(健太くんなの?)
勝手に飛行コースを変えて九州、おそらく健太の父方の祖父のお屋敷に飛んで行ってしまったストライクヴァイパーが、復帰している。たちまち音速の三倍に達して高度一万二千メートルで新潟に向かいはじめていた。
『れっ礼子先生ッ!』真琴が切迫した調子で呼びかけてきた。
「なに?どうしたのまこちゃん、敵?」
『いいえ、自衛隊さんたちが……』
礼子はカメラを切り替えた。動体センサーが複数の移動物体を捉えている。IFFーー敵味方識別装置に応答があるため警報が鳴らなかったようだ。自衛隊車両がパーキングエリア周辺の高速道路上に続々集結しているのだ。
『ヴアイパー3、こちら第六混成機械化師団の平山です』軍用ネットワーク回線を通じて、礼子の周囲に集結しつつある部隊のコマンダーが呼びかけてきた。
「あ、どうも、こちら、えー、若槻です」
『お世話になっとります!微力ながら我が隊も上陸阻止に当たらせていただきます』
「はあ、ですが……」
『こちら第一ヘリコプター団伊藤です。コブラチョッパーおよびAH-2、12機上空支援に当たらせていただきます、よろしく!』
「ちょっと待ってください――」
『こちら野戦砲支援中隊!配置に着きました!』
「え、はいあの、待って!これから上陸しようとしてくるのは、わたしの戦車とおなじモノなんですよ?申しにくいことですけれど、安全圏まで後退していただかないと……」
『若槻さん、平山です!お言葉を返すようですが、われわれは本土上陸を阻止するためにあくまで努力せにゃあなりません。それに護衛艦を沈められたのです!』
礼子のコクピットモニターに注意喚起アイコンが点滅した。水平線上に向けられていたカメラが水柱を捉えていた。
戦術ボードを見ると、潜水艦とヘリコプターがエネミー013に魚雷攻撃を試みているらしい。
言い換えると、敵は着実に接近中だ。
軍用ネットワーク上でも慌ただしい指揮連絡が飛び交っていた。『○○○○、送レ』という独特な言い回しの無線伝令もつぎつぎ舞い込んでくる。だれも礼子の言葉に耳を貸さず、敵に一矢を報いることに頭がいっぱいになっているようだ。
(大変だ……!)
「ちょっ……みなさん聞いてください!――」
『エネミー013は依然接近……』
「お黙りなさぁぁいッ!!」
すべての通信がはた、と止まった。
「ちゃんとお話を聞いてください!エネミー013がヴァイパー3と同等のスペックだという事実をもっと真剣に考えてください!……こんなことしたくなかったけれど、あなたたちはみんなわたしの戦術指揮下に入ってもらいますからそのつもりで!勝手に動いたら先生許しませんよッ!」
礼子が一気にまくし立て終えると、さらに数秒沈黙が続いた。
ややあって誰かが、応えた。
『は、はい先生』
担任の思いもよらない剣幕に当惑する高校生の口調だった。
「よろしい……」押し殺した声で言いつつ、礼子は真っ赤になっていた。(なんで先生なんて言っちゃったのよわたし!)
だが礼子自身驚いたことに、戦術ネットワーク上では礼子の意図に即した命令改定が始まっていた。集結したすべての車両群に対して移動指示が達せられていた。礼子とエネミー013のあいだに割り込んでいた車両は後退し、誰だか知らないが矢継ぎ早の移動命令にてんてこ舞いの様子だ。
どうやら新しい戦術分析に基づいた移動指示のようだった。
埼玉県、エルフガインコマンドの発令室でやりとりを傾聴していた久遠馬助は、吹き出しそうになって思わず口元を手で覆った。
「り・陸自車両各隊にさっそく展開指示が行われてるようですが、だれが指示を出してるんです?」
島本さつきが答えた。地下から戻ったばかりで、なにが起こったのか全身ずぶ濡れだった。降ろした髪をタオルで拭いている。長年の付き合いだが、久遠はさつきが髪を解いた姿をはじめて見た。頭を傾けてほつれ髪を拭う様子が、じつに艶めかしい。
「タケルがヤークトヴァイパーの戦術コンピューターを通じて指揮しているのだわ……」
「えっ!?マジっすか?」
「わたしたちは、ヴァイパーマシンを遠隔操作せよ、という命令をまだ解いていない。だからいまだに日本国内……ひょっとしたら全世界じゅうのタンガロ製ロボットが、電子頭脳を並列化させて戦術分析しているのだと思うわ。しかもわたしたちが予想した以上に自衛隊のシステムにアクセスしているのだと思う」
トンでも話だった。
だれも気付かないまま、得体の知れないコンピューターの指示命令に自衛隊部隊が動かされているというのだ。
「かれらはあらゆるビッグデータを比較検討してわれわれが見逃した点にも気付く。おそらく新しい動きを予知したのでしょう。タケルは勝つために必要なことをすべてやろうとしているのよ」
「新しい動きですって?」
久遠は傍らの濡れた美魔女を盗み見るのをやめて戦術モニターを注視した。若槻礼子に怒鳴られた部隊が大きくふたつに分かれ、そのいっぽうが新潟市方面に北上しはじめていた。真琴のスマートヴァイパーも移動していた。
久遠は顔をしかめた。
「べつの敵……?」
一部の対潜哨戒機が柏崎に近い海域に進路を変え、ソノブイを投下している。べつのアンノウンを探知したのだ。
「おそらく、ヴァイパー4,5に相当するエネミーでしょう。エネミー013を載せていた高速船の船内に潜んでいたんだわ」
「なるほど、くそっ!やつら新潟で合体するつもりか!」
さつきは短く笑った。「自衛隊のひとは面目ないけど、若槻先生の判断は正しいわ。上陸を阻止する術はない。上陸させて叩くしかないのよ」そう言ってタオルを手近の椅子の背に放った。「健太くんのヴァイタルはどう?」
「万全ではありませんが、いまのところ許容範囲内です」
「そう、くれぐれも様子に注意して。わたしは健太くんが新潟に到着する前に着替えて、実奈ちゃんと話してくる」
北九州をあとにして10分、健太はストライクヴアイパーを最大速度で北上させ、早くも山陰沖に達していた。
『健太、調子はどうだ?』
「久遠さん?俺はまあまあだよ」
『そっか』久遠はやや改まった口調で続けた。『おまえまだ状況よく分かってないと思うが、たぶん新潟に到着しだい戦闘になると思う……やれそうか?』
「なんだよ、博士も隊長も腫れ物に触るような調子だぞ。そりゃブランクはあると思うけど、ちゃんとやるよ」
『ブランクね』また少しあいだが開いた。『……まあ、そのブランクが心配でよ、でも思ったよか元気そうだ。悪いが、がんばってくれ。合体も久しぶりだし――』
そのとき早期警戒システムが注意喚起のブザーを鳴らした。
健太はとっさにストライクヴァイパーを右旋回させた。
六時方向、アンノウン。マッハ3で飛ぶ健太とほとんどおなじ速度。それだけの情報を戦術モニターから一瞬で読み取った。ミサイルではない。
急旋回したおかげで速度が落ち、アンノウンが距離を詰めてくる。健太は舌打ちして機体を上昇させた。
ストライクヴァイパーと同等の速度で飛行可能な機体。
そんな現用機はずいぶん前に退役したSR-71ブラックバードを除いて存在しない。
アメリカの極秘Xシリーズか?
『健太!』
「なんすかっ!」健太はGに抗いながら答えた。
『伝え忘れた。こんどのエネミーはエルフガインのコピー品だ!』
「ぬぁにぃ?」
ということは、健太の背後に出現した飛行物体は……
(俺の愛機のコピー!?)
「くそっ!ふざけ・やがって!こんどは・偽エルフガイン・かよ!!」
『そうだ、心してかかれ!』
「りょう・かいッ!」
高度2万3000メートルに達しても相手は食い下がってきた。あきらかに空気がほとんど無くても飛べる。ということはやはり……
『健太!』
「た、髙荷か?」
『ああそうだよ!あんたどこでしけ込んでやがったのさ!』
「ゴメンな!だけどいまちょっと忙しい……」
『分かってるよ!あたしも偽バニシングヴァイパー追いかけ回してんだから。奴はあんたのお相手と合流しようとしてんのよ!』
健太は戦術ボードを見て位置関係をざっと確認した。健太と同じように、新潟を目指すふたつの高速物体が三角形のアイコンで示されていた。速度はマッハ2。日本海上、佐渡島上空でマリアに追いつきそうだ。
「おもしれえな。ドッグファイトになりそうだ!」
『あんたのケツにくっついてるのは、やっぱり偽ストライクヴァイパーなの?』
「そのようだ」
『どうやら新潟で合体することになりそうだね』
「だな。……髙荷、ずいぶんご無沙汰だけどうまく出来そうか?」
『はあ!?せいぜい二ヶ月ぶりでしょ?その後だってシミュレーター訓練は欠かしてないんだからさ……』
「え?半年以上間があいちゃってると思うんんだけど……あれ?」
『健太くん』べつの声が割り込んできた。
「はい?ええと、島本博士?」
『そうよ、悪いけれどいまは敵に集中して』
「了解」答えつつも健太はどこか腑に落ちないでいた。
話を中断させるタイミングが作為的だった。さっき電話で話し合ったときから違和感を覚えていた。なんとなく何かが食い違っている……。
ともかく、
健太のうしろに食らいつこうとしていた偽ストライクヴァイパーは、追撃を一時中断したようだった。わずかに進路を逸らせて奴の寮機を目指している。
健太たちの様子を確認したさつきはまた発令室をあとにして、三階層下の執務室に戻った。さつきのデスクにはバスタオルを羽織った近衛実奈が陣取っていた。さつきのノートパソコンを開いて猛烈な勢いでキーボードを叩いていた。
実奈の傍らにはタケルが立っていた。片手をパソコンの縁に押し当てている。フラッシュメモリーポートに接続しているのだ。
「実奈……」
「うん?」少女がちゃんと返事をしたのでホッとした。
「タケルの電子頭脳を利用しているの?」
「うん、健太お兄ちゃんがストライクヴァイパーに乗り込んで、お兄ちゃんのスマホが充電されたからタケルくんのネットワーク経由でデータをダウンロードしてみたの」
「なるほど。それで何か分かった?」
「スマホがいまの時間に同期する前のクロックデータを見たらね、お兄ちゃんは少なくとも155日間どこかに行っちゃってたみたい」
「五ヶ月以上、も?」
松坂の老人は、健太が何ヶ月もどこかを放浪していたみたいだったと言った。
「スマホのバッテリーが切れたのがそのくらい。電源を切って大事なときしか使わないようにしてたんだね。短い動画ファイルが3個。画像が168枚。テキストメールデータが10個くらいあったよ」
「それを見てみた?」
「ううウン」実奈は首を横に振った。「博士が見て。実奈は健太お兄ちゃんがどうなったのか考えなくちゃ」
「分かったわ。ファイルを転送して」さつきがタブレットを差し出すと、タケルがもういっぽうの手で受け取った。
「転送完了」
タブレットを受け取ったさつきは応接セットのソファに腰を下ろして、アイコンを選択した。動画ファイルは行方不明になった数時間後にひとつ、さらにその二日後にひとつ、バッテリー切れになったとされる155日後にひとつ。画像は最初の一週間くらいに集中している。最初の一通を除いていずれも未送信のメールは、10日にいちど程度の間隔だった。
わずかに迷ったすえ、メールデータを最初に開いた。
最初の文面はこうだった。
なんかダメな気がするけど送ってみたよ!
返信してくれ!
続いて二通め……
やっぱむり。ずっと圏外。
電池もったいないからこれからはメモ帳代わりに使う。
雨が降るし水もある。食い物もなんとかなる。
ずっと歩き続けて、食い物のことばかり考えてる。
でもなんとか生きられそうな気がしてきたから、がんばることにした。
三通め。
ホームシックかな。
ちょっと弱気になってる。昼も夜も長い。
夜はものすごい星の数。とても明るい。
ずっとゴロゴロしてたら落ち込んできた。
もう帰れないのかな
四通め。
やっぱここ地球じゃない
さつきは息を殺し、その短い言葉を凝視した。
「博士、なにか分かった?」
実奈の問いかけに、さつきはゆっくり顔を上げた。神妙な顔で頷いた。
「健太くんは……べつの世界に行っていたようだわ」
実奈はある程度その答えを予期していたように頷いた。「べつって?」
「少なくともべつの惑星だわ。昼と夜が長いと健太くんはメモしていた。地球より星空が明るくて、生存可能な環境……ということはつまり太陽系以外の天体……」タケルがさつきを凝視している。さつきは地下の貯蔵プールでの出来事を思いだし、わけもなく躊躇した。
あのとき、タケルはさつきの言葉に耳を貸さず、実奈とともに足元のバイパストリプロトロンコア覚醒に魅入っているように見えた。その様子がさつきの脳裏に妙に引っかかった。
「すごいよね!」実奈が押し殺した声で感嘆した。「それってテレポートだかワープしちゃったってことかもしれないでしょ?」
「でも、だれが、なんのために?」
「もちろんそれが問題だけど。浅倉博士はそれを解明すればすべての謎が解けると思ってたんじゃないかな」
「異星人がなぜわれわれに「ゲーム」を強要しているのか?そういうこと?」
「ウーン」実奈は頭の後ろで腕を組んで椅子の背にもたれた。「そろそろまたMUFONやジョルジュ・トカロフさんにコンタクトすべきかも。「主審」についていろいろ突飛な仮説を立ててるから、参考になるかもよ」
さつきは口をへの字に曲げた。
あの連中はたしかにUFOと異星人を飯の種にしているいわばプロだが、聖書とエジプト文明とフリーメイソンとナチスをどうやってかごたまぜにした壮大な陰謀説を唱える傾向がある。正直言って苦手な人種だ。
「まあ……データを送ってみるわ」
「島本博士」タケルが口を開いた。「浅倉健太くんの個人情報は慎重に取り扱うべきでしょう」
「ああ、それはたしかに……」
「いえ、わたしはプライベート侵害を非難しているのではないのです。健太くんはあきらかに記憶の混濁が見られます。時には母上が生きていると思い込んでいる。そして現在は異世界に瞬間移動していたときの記憶をほとんど失って、漠然と長いあいだ留守にしていたことのみ覚えているようです。スマートフォンにいろいろ記録していたことも覚えているかどうか……」
さつきは慎重に頷いた。タケルはどうやら多くの通信をモニターしていたらしい。
「なるほど、それでどう対処すべき?」
「われわれの分析では、健太くんはふたつの現実のあいだで混乱しているようです。そしてそれは二ヶ月前、エルフガインの中でバイパストリプロトロンコアの限定解除を行ったときから始まりました」
「ふたつの、現実……?」
「はい。われわれは先ほど、実奈ちゃんがバイパストリプロトロンコアを覚醒させる場に立ち会い、確信しました。コアにはひとつ明確な機能が備わっています。それは量子的な力の場に介入する能力です」
さつきはまた頷いた。それはある程度予期していたことだった。
「それで、あなたがたの電子頭脳はどう考えたの?」
「ちまたで言われるもっとも合理的な異星人の姿とは、おそらく純粋なエネルギー生命体だろうという説です。人間もいずれそうなるはずと多くの科学者が予言する姿でもあります。究極的に進歩した異星人がなぜ地球人類とコンタクトしないのか、その説明にもなります。かれらは高次元に移行しているから、三次元のわれわれは紙に書いた絵のような存在にすぎず、コンタクトする術がない、あるいはする価値がないからです――」
「でも「主審」はげんにコンタクトしてきたのだし……」
「はい。バイパストリプロトロンコアを通じてです。おそらく、コアは観測者である人間に応じて高次元存在である「主審」を認識可能な姿に変えているのです」
「つまり量子的な収束をコントロールする機能ね……」
「はい。ところで、浅倉博士がなぜタンガロ共和国に多額の出資をしてわれわれアンドロイドの量産を急いだのか、それも関連してきます」
「どういうこと?」
「浅倉博士は、人工知能がじゅうぶんに発達した段階で地球が乗っ取られると考えたのです。異星人が送ってくるプログラムにシステムが汚染され、人類の生殺与奪権を握ることになると。それでバイナリに頼らずハッキング困難なプログラム言語でシステムを構築したわれわれを生み出したのでしょう」
さつきは溜息をついた。
「あなたたちの存在理由は、やはりそれだったのね……しかし確かな話なの?」
「ええ。72時間前ですが、へびつかい座方向から正体不明な短いシグナルが送られてきました。いくつかの天文台で記録されています」
「あなたは――」さつきはうつむいて、頭痛を堪えるように眉間を揉んだ。「侵略がもう始まってると言ったの……?」
「可能性は大きいです」
「でもさあ」実奈が口を挟んだ。「結局宇宙人が地球を侵略するつもりなんだとしたら、どうして「ゲーム」なんて回りくどいことさせんのよ?」
「ですね。たとえばこう仮定したらどうですか?異星人は2種類いて、いっぽうは地球を侵略しようとして、もういっぽうが人類を助けようとしているとしたら?」
「ああ!」実奈がぽんと手を打った。
「それでは、バイパストリプロトロンをわれわれに送りつけてきたのはその……「良いほう」の異星人だと言うこと?」
「そう願いたいですが分かりませんね。単なる仮説です」
「それらを踏まえたうえでお兄ちゃんがテレポートしたのはなんでだと思う?」
「そもそもテレポーテーションだったのかわたしは断言できません。むしろべつの次元に世界を丸ごと作り出した可能性すらあります。バイパストリプロトロンコアを稼働させる鍵はあきらかに人間の意思です。重さもかたちも観測できないのにあきらかに存在しているあなたがたの魂、それがコアを通じて量子的作用を「現実」に及ぼすのです。理論的にはなんでも可能になります」
「そうか!だから実奈がコアの上で祈ったらお兄ちゃんを引っ張り出せたんだ!」
「えっ?」さつきは少女をまじまじと見た。「そうだったの?」
「うん。実奈がチャンネルを開いたら、お姉ちゃんたちや礼子先生も協力してくれたの。みんなで健太くんのこと考えてたら、どっかでとぼとぼ歩いてる健太くんが見えたの。「おーい!」って叫んだら気付いたから手を伸ばして……」それ以上は言葉にならないというように手をひらひらさせた。
実奈の話もだんだん筋が通らなくなっている気がした。とは言え「筋が通らない」とは最新量子論に付いていけなくなった物理学者の慣用句みたいなものだが。
「途方もない話過ぎて、ちょっと……」
「そうでしょうか?「主審」……究極的に進化した生命体は、都合よく自分たちにアジャストしたポータブル「世界」を作れるはずですよ。宇宙は広いですから、そうしない理由は思いつきません」
「だからといって健太くんがそれをやれたとは言えないわ」
「世界は言い過ぎかもしれませんね。ですが健太くんが浅倉博士を蘇らせた可能性はどうです?」
「なんですって……?」
「われわれはバイパストリプロトロンの電力で動いていますが、電力だけではなくシステム全体がコアと同期するのです。つまり、浅倉博士はバイパストリプロトロンが「良いほう」の異星人から送られたというほうに賭け、いざというとき人類の味方に付くようデザインしたものと思われます。
われわれは生まれたときから浅倉博士の情報を大量に共有しています。博士は多くの人たちに記憶されていますし、エルフガインパイロットのみなさんもさまざまなかたちで記憶に留めていました。それらが、コアが限定解除した瞬間に結実した可能性があります。
健太くんがそうして母上の存命している世界を作ってしまったとしたら?」
「それが、ふたつの現実……」
「はい。健太くんはおそらく、そのふたつの現実に挟まれて混乱しているのです。健太くんを数ヶ月間も別世界に連れ去ったのは、おそらくその浅倉博士でしょう」
「そんなバカな!」
「なんのためにかは分かりません。記憶混濁はふたつの現実のあいだで折り合いをつけた結果……発狂しないよう脳内防衛機構が働いた結果です。ですからスマートフォンの内容を突きつけて健太くんに迫るのは、くれぐれも慎重にお願いします」
「分かったわ……事態は想像以上に深刻なのね」さつきはやっとそれだけ言った。
浅倉澄佳が蘇った。
そのひと言だけで一杯一杯だった。
(浅倉博士……あなたは健太くんをどうするつもりなの?)
『エネミー013さらに接近』
礼子は上陸予想地点にまっすぐ主砲を向けた。すでに陸海自衛隊は距離を取り、ヤークトヴァイパーの射線上はクリアになっていた。
いよいよか、と思いコントロールスティックに手を置いたその刹那、注意喚起ブザーがふたたび鳴った。
(なに?べつの敵!?)
慌てて戦術モニターその他を切り替えた。近接カメラがそれを捉えていた。礼子はヒヤリとした。いつの間にか接近されてる!?しかしカメラに写っていたのは小さなカニみたいな機械だった。人間くらいの大きさで、素早い動きで海岸の岩場からゾロゾロ這い上がり、高速道路上をこちらに向かってくる。
何十体もいる!
『若槻先生!』礼子の耳元で久遠が叫んだ。『そいつらは爆弾だ!近寄らせちゃダメだ!』
「くっ!」
訓練のたまものか、礼子はただちに行動した。(後退―近接防御!)指先でコントロールスティックを引き、同時にまぶたと眼球の動きでモニター上のアイコンを操作して火器を選択する。
ヤークトヴァイパーは即座に従った。巨体を震わせて二百メートルほど急速後退しながらバルカン砲を勢射、同時に擲弾も放出した。
久遠一尉が言ったとおり、カニロボットがつぎつぎ爆発しはじめた。ナパーム――ジェル状ガソリンの詰まったカニの胴体が火薬で炸裂して、猛烈な火災を引き起こす。ヤークトヴァイパーの周囲がたちまち火の海と化した。
『先生!そいつは単なるけん制だ!上陸するエネミー013に注意してくれ!』
「了解ですけど先生はやめてください!」
慌てて海岸線に注意を向けたが、ちょうどパーキングエリアの向こうに巨大な黒い影が姿を現している。大量の海水を滴らせながら巨体がビルのように起立し、ついでフロントがどしんと落ち込んでパーキングエリアの売店を踏みつぶした。
ヤークトヴァイパーとエネミー013の砲塔が身じろぎして、お互いに真正面で睨みあった。
そして主砲が同時に火を噴いた。
カニロボットは礼子の位置から柏崎市街地にわたって広範囲に上陸していた。海岸沿いの高速道路上に展開していた車両がナパームに巻き込まれた。突如大量の敵に対処しなければならなくなり、指揮系統は混乱した。
そのただ中に2体のロボットが海中から現れ、柏崎市街直前の岸壁に上陸した。偽スマートヴァイパーと偽ミラージュヴァイパーだ。ほかのヴァイパーマシン同様全身ガンシップグレーに塗られている以外はまったく同じ形だった。二体ともすぐに真琴のスマートヴァイパーを認識した。まっすぐこちらに向かってきた。
真琴は射撃体勢のままスマートヴァイパーをじりじり後退させた。105口径127㎜スナイパーライフルを散発的に発砲して、相手が慎重にならざるをえない程度に威嚇した。いまはなるべく時間を稼ぎ、市街地から遠ざけ、山間部に誘い出さねばならない。
『二階堂さん!?わたしです、田村です!』
「はい!田村一尉!いまどこですか?」
『二階堂さんの後方4㎞です!』
「時計回りで回り込んでください!エネミー二体を挟み撃ちするように」
『了解ッ!』
ぎりぎりのところでミラージュヴァイパーが追いついてくれた。移動速度からして田村一尉はミラージュヴァイパーの操縦に完熟しているようだ。
合体をもくろんでいることは敵も同様のはずだ。であるなら、敵も偽ヤークトヴァイパー――エネミー013と距離を詰めようとするだろう。とすると、真琴たちの役目は礼子と合流しつつ敵を阻むこと……
『もう!敵の大砲すごい威力じゃないのよおっ!!』
キレキレな礼子の声がエルフガイン発令所に響き渡るのを、久遠は神妙な顔で受けとめた。
「元気そうだ……」そう呟くと、居並ぶオペレーターたち(おもに女性)までが久遠のほうを振りかえって凝視した。久遠は咳払いした。
イージス艦を一撃で屠った弾をまともに食らったのだから、礼子の取り乱しようは理解できる。それに敵の主砲はヤークトヴァイパーより性能が落ちる、と礼子に伝えたのは久遠だ。
(でも240㎜を至近距離で撃ち合ったらそりゃダメージ受けるって……)無益な反論は心の中に留め、努めて平静な声で言った。
「ヴァイパー3のダメージは?」
「砲塔前面装甲に亀裂、右主砲の仰角装置故障しました」オペレーターが報告した。
そして現在ヤークトヴァイパーは低い山が畝のように続く山間に後退している。エネミー013は海岸沿いを柏崎方面に移動中だ。
「エネミー013は?」
「左フロント履帯を破壊したようです。しかし移動力低下は軽微……」
(やっぱバケモンだな、ヴァイパーマシンは)
久遠は気を取り直してネットワーク回線を開いた。「よっし!この戦いは先に合体したもん勝ちだ!みんな落ち着いて対処してくれ!」
「落ち着いて対処と言われても……」
礼子はこめかみにじんわりにじんだ汗を拭いながら独りごちた。エネミー013が追撃してこないことに気付いてホッとしたのもつかの間、敵は真琴たちのいるほうに向かっていることに気付いて、愛機を慌てて前進に戻した。
「そっちに行っちゃダメよ!」
礼子は中距離ミサイルを一斉に放った。垂直上昇したミサイルが大きな弧を描いてエネミー013に襲いかかった。敵は迎撃システムを働かせつつ反撃してくる。12発のミサイルがエネミー013に着弾した。スタンダードミサイルではあまりダメージは与えられないが、相手の行き脚を鈍らせる役には立った。礼子は残った左主砲を連射した。ろくに照準していないが敵は大きく、わずか2㎞の距離では外すほうが難しかった。
ヴァイパーマシンの戦いを取り巻いた自衛隊車両のほうは、もはや介入する余地もなく、モンスター同士の戦いを傍観するしかなかった。
柏崎市街を背にして最終ラインの構えを取った戦車部隊、その隊長がハッチから身を乗り出し、夜の闇に浮かび上がるオレンジ色の炎と振動を伴った轟音の連続を為すすべもなく見守っていた。
重量五千トンの怪物戦車が二台、併走しながら撃ち合いを続けている……山むこうで視認することは出来ないが、その存在感はいやと言うほど伝わってきた。ゴン!ゴン!と深淵から轟いてくるかのような240㎜砲弾の炸裂が、黙示録的な視聴覚作用を及ぼしていた。
数㎞先では、燃えさかるナパームの火災を背景にして四体の巨大ロボットが格闘していた。これも負けず劣らず悪夢的な光景である。あまりも人間そっくりな動きなので遠近感が狂い、距離感が掴みづらい。
先んじてエルフガインの戦闘を間近で見た連中が、公式非公式に伝えてきた報告を、戦車部隊のだれもが腹痛を伴う緊張の中で実感していた。実戦というものはすべてそうかもしれないが、テキストやビデオではこの臨場感はとうてい伝わらない。
上層部が面子にこだわってヴァイパーマシンシステム導入を見送ってきたことが、いまとなっては呪うべき事実だった。あの戦車が三台か五台あれば、今後日本が敵に蹂躙されることは一切無いだろうに……
それにもう一点、一部の隊員がまことしやかに語っていた噂はデマではなかった。
あの超重戦車を操縦しているのは学校の先生だ。
二十代半ばの一般女性……しかも教師、が軍属扱いで戦闘に参加しているらしい……エルフガインのパイロットは有名な浅倉博士のひとり息子、という話以上に信じがたいが、先ほど恫喝されたときに確信に至った。
あの怒鳴りかたは間違いなく、女性教師だ。
十年前の酸っぱい記憶を一気に掘り起こすに足る声だった。一般人がなぜ超兵器を操っている?という疑問は脇に置いて(だれもクレームをつけていないらしいからたぶん法律はクリアしているのだろう、と割り切った)不思議な高揚感が沸いてくるのを感じた。頭ごなしに命令に従えと怒鳴られても腹が立たない。なぜなのか?
「くそっ、なんか知らねえが燃えるぜ」
「は?隊長、なにか言いましたか?」
「ヴァイパー1の坊主はまだかって言ったんだよ!」
「はあ、それならもう上空にいるはずですが……」
「なんだとぉ?」
隊長はヘルメットに手を当てて暗天を仰いだ。
超音速機の甲高い爆音が響き渡った。
『健太!このままドッグファイトし続けても埒があかない』
マリアの意見に健太は頷いた。かれこれ15分あまり超音速飛行でグニャグニャ飛び回ったせいで、ろくにターゲットを捉えることもできず、くたびれるばかりだ。マリアの声にも疲労が滲んでいる。
「そうたな……合体しよう!俺が援護するから離脱旋回してフォーメーションモードに備えてくれ!」
『了解!』
健太のコクピットを覆う180℃モニターに三つのアイコンが瞬いた。それぞれヴァイパー3,4,5と表記されたアイコンが小ウインドウになり、パイロットが映し出された。
『健太くんなの!?』礼子のすがるような声の響きに健太はぐっと来た。強張った腹筋をリラックスさせ答えた。
「ああ!れ……若槻先生!みんなも……」
『お帰りなさい、健太さん!』
「よお!悪いなまこちゃん、何ヶ月も留守にしたみたいで……」
『えっ?ほんの四時間ですけど……?』
「へ?」
『浅倉くん?田村です。ご無沙汰してます』
「ああ、田村一尉、実奈ちゃんの代わりッスね、話は聞いてます、よろしく!先生もまこちゃんもありがとうな!俺を引っ張り上げてくれて」
『な、なんの話なの健太くん』礼子が戸惑ったような声で言い、健太はあれ?と首を傾げた。
「だって実奈ちゃんと一緒に手を差し伸べてくれたじゃん……えっと、髙荷も」
『健太!なに寝ぼけたこと言ってんだ!それより早くしてよ!』
「そ、そうだな……みんな!フォーメーションモードに移行する!できそうか?」
『急いで先生のところに後退すれば合体の時間は稼げると思います!』
「俺の予想では、おれたちが合体する素振りを見せれば、敵も合体しようとするはずだ!余裕はあると思う!」
『なるほど!では時間との戦いですね?』
「そうだ!行くぞ!フォーメーションモード!」
号令と同時にマリアのバニシングヴァイパーが左に急旋回した。エアブレーキを全開して急激に速度を落としたため、不意を突かれた敵機は直進して追い越した。健太のストライクヴァイパーがマリアに追従して旋回すると、敵は意図を察したようだ。健太の予想通り、敵もフォーメーション旋回をはじめた。
健太はマリアを追い越してスピードを落とした。前方一㎞の定位置に付くと、バニシングヴァイパーが変形を開始した。敵も同様だ。敵味方が隣り合って旋回しながらフォーメーションマニューバを繰り広げる様子は、傍目から見れば少々間抜けだが、当事者は必死で秒単位を争っている。
地上でも同様の騒ぎが繰り広げられていた。居並び戦いを見守っていた自衛隊隊員の眼前で、四体のロボットがとつぜん棒立ちになり、綺麗に並んで変形しはじめた。それだけでも困惑する光景だが、山むこうで巨大な爆炎がふたつ立ち昇ると、困惑は驚愕に変わった。まばゆいオレンジ色に照らし出された白煙がアポロかスペースシャトルの打ち上げを連想させるが、さらに強力なロケット噴射が5000トンの戦車を空に持ち上げているのだ。
超重戦車の巨体が空中で前のめりになり、すでにブーツのような形状に変形を終えていたロボットの上にのしかかった。列車の連結器が繋がる音を一万倍に増幅したような轟音が響き渡って、自衛隊員たちはすくみ上がった。
予備合体シークエンスが終わった。とつぜんの静寂の中で二組のロボットと超重戦車が姿を消し、全高70メートルを超える巨大建造物がふたつ、仲良く並んで出現していた。
ふたたびべつの轟音が鳴り響いた。こんどは夜空全体を揺るがす雷鳴のようだ。予備合体を終えたヴァイパーマシン……エルフガインの上半身が空から垂直落下してくるのだ。
だが、雲を割って巨人の半身が現れたとき、見上げていた自衛隊員たちは言葉を失った。
エルフガインと偽エルフガインが、がっぷり乙に組んで取っ組み合っているではないか!
「おいおいおい!アレまずいんじゃねえか……?」
上半身だけの巨人二体が、殴り合いの喧嘩しているかのように両腕を組んずほぐれつしながらぐるぐる回転して、そのあいだにも容赦なく高度を落としていた。
『健太!こいつどうにかしてよ!』
「そう言われたってさ……!こいつら合体妨害しようとしてる!」
「やっべ……!」エルフガインコマンド発令所で生映像を見ていた久遠も口に手を当てて呟いた。
巨大ロボの上半身が逆噴射をかけて、下半身と合体した。
猛烈な振動がウソのように収まり、健太はシートにホッともたれかかった。だが……数秒後にはいつもと様子が違うことに気付いてあたりを見回した。モニタースクリーンに派手な合体完了サインが映らない……それに予備動作テストも始まらなかった。
「アレ……?」
『健太!マズいよ!』
マリアの叫びと同時に真っ赤なエラーメッセージが点灯した。
「え?なに?故障か?」
『違う!』マリアが言った。『あたしたち違うほうと合体しちゃったのよ!』
「えらいこった……!」久遠は頭を抱えた。
「久遠くん!」背後の声に久遠は慌てて向き直った。さつきが実奈とタケルを連れ添って現れたのだ。「いったい何ごと?」
「エー……」
「なにアレ変なの!エルフガインがツートンになってるよ!かっこわる!」実奈が正面大モニターを指さして叫んだ。
「はあ?」さつきがまじまじとモニターに注目した。「まさか……」
モニター上で二体のエルフガインが対峙していた。いっぽうは上半身がカラフルな原色で、胸から下が黒一色。もういっぽうはその逆だ。さつきはただちに事態を呑み込んだ。 「なんと言う……」二の句が継げなかった。
絶句した面々が見守るうちに、二体のエルフガインが同時にジャンプして距離を取った。背中と腰のレールキャノンもそれぞれ動き出していた。いっけん動いているように見えるが、合体完了シグナルが届いていないので、メインパイロット用の操縦システムは有効化していないはずだ。
(つまり、礼子さんとマリアがそれぞれ動かせるところだけ動かしているのだ……)
それではジャンプロケットと固定武装程度しか動かせない。
『博士?どうしよ……?』健太が途方に暮れた声で尋ねてきた。
「浅倉くん?タケルです、よく聞いてください」タケルがとつぜん言いだした。「敵が自爆装置をセットしました」
発令所にいた全員がタケルに注目した。
『マジかよ!どうすりゃいいんだ!?』
「いまわたしが偽エルフガインのシステムにハッキングしてます。爆発は30秒後です」
「大事なことさらっと言って……!」健太は文句の言いどころが分からず、ぐっと口を引き結んだ。「……爆発はどのくらいなんだ?」
『五キロトンの核分裂装置が偽ヤークトヴァイパーのボディに仕掛けられているようです』
『あたしの尻の下かよ!?』マリアが叫んだ。『しかも原爆!?』
「マリア……悪いけど背中のジャンプロケット全開してくれ!」
健太がそう言うと、わずかなためらいののちマリアが答えた。「分かったよ」
エルフガインがロケット噴射を開始した。重量一万トン近い巨体がじりじりと持ち上がってゆく。脚のブースターが使用不能なので上昇速度は緩慢だった。
100メートルほど上昇したところで海に向かった。
健太がどんな決断を下したかは明らかだった。核爆弾をできるだけ陸から遠ざけようとしているのだ。
『浅倉くん!よしなさい!』『待ってお兄ちゃん!』エルフガインコマンドから口々に聞こえてくる制止の声を無視して健太は言った。
「髙荷、ごめん……」
『フン!40億のオスがいるのに、あたしはあんたと心中か』
「言い残すことあったら……」
『そんなおセンチな気分じゃないよ!だいたいあと数秒で木っ端微塵なのになに言えっての!』
健太は失笑した。もうすぐ死ぬというのに、妙に実感が乏しい。マリアと同じく、健太も遺言じみた言葉を残したいとは思わなかった。それじゃあ駄弁って過ごそう、と思った。
「なんか、俺ら最後までこんな調子だったな」
少し間があいて、マリアもははは、と笑った。
『もうどうでもいいや……健太、あんた鳥ノ島でイタリア女とエッチなことしたの?』
「なっなんでいま、それ聞く!?」
『ちょっとね、病院ですごいチューしてたから、気になっちゃって』
「べべつに、なにもねーよ……」
『あららー』溜息『あたし童貞と心中すんのか~……』
「だからなんでそう――」
『もう30秒過ぎた』
「は?」
『浅倉くん、爆破装置リセット完了しました』タケルが言った。
「え?」
『だからよしなさいって言ったのに慌て者!』さつきが言い捨てた。
「ええ、もうなんだよ……!マリア!反転してくれ!」
『悪いけど燃料切れ……』
「うっそ!」エルフガインがガクンと高度を落とし、そのまま5㎞沖の海中にずぶずぶと沈み込んだ。胸のあたりまで水に浸かったところで沈降が止まった。
(なんかバカみたいじゃん俺)健太はむかっ腹を立てながらコンソールをいろいろ試した。(ちくしょう!脚を動かせなきゃどうにもならねえぞ!)
「タケル、どうなの?」さつきが尋ねた。
「偽エルフガインのメインフレームに侵入していますが、オリジナルと同様容易ではありません」
「やはりシステムドライヴァーが常駐しているのね?」
タケルは頷いた。「エルフガインと同様、五人のパイロットによってコントロールされています。わたしがハッキングできるのは補助システムだけです。それで一時的に動作を妨害することは可能ですが、機体そのものを乗っ取ることは不可能です」
人間が操縦する、ということを極限まで突き詰めたのがエルフガインである。タケルほどの人工知能を持ってしても人間の脳をハッキングすることはできないのだ。
「敵のパイロットに直接呼びかけられない?」
タケル首を振った。「試みましたがダメでした。視覚催眠その他も受けつけません。筋金入りの軍人のようです。もとよりエルフガインと一緒に玉砕するのが目的のようでした。われわれはアメリカ合衆国の狗だ、と言っていました。破れかぶれという印象でした」
さつきは考え込む表情で頷いた。
やはり合衆国の手先だった。世界同時鎖国以来、大英帝国は経済的軍事的にアメリカに依存しきっていた。もはや相手は手段を選ばなくなってきている。
「博士!エルフガインが陸に向かって歩き始めました」
さつきは顔を上げた。
「動きに注意して。それと陸のもう一体……ヴァイパー3,4,5と合体したエネミーにも注意を。上陸してくる浅倉くんたちを狙い撃ちしてくるはずよ」
その通りだった。
海岸を目指して歩いてくる健太たちに向かって、もう一体が全砲門を向けていた。
礼子が叫んだ。「まこちゃん田村さん!わたしたちが動いて狙いを逸らさないと!」
『はい!』
「せーので飛ぶわよ……せーの!」礼子の合図で下半身のジャンプロケットが一斉に点火した。偽エルフガインが飛び上がった。300メートルほど横にずれたところで不器用につんのめりながら着地した。こうした場合すべてのパーツがバランス回復のために動くため、4門のレールキャノンも狙いを定めるどころではなくなった。
「先生たちがやってくれた!」
『でも健太……どうやってケリをつけるのよ?』
マリアの疑問はもっともだ。健太にもまるっきり見当が付かなかった。膠着状態だ。
(どっちかくたびれるまで動き続けるしかねえのか……)
健太たちはもう一体のエルフガインに向かってどんどん接近していた。このままではいずれゼロ距離でレールキャノンを食らうことになる。
「髙荷……そっちの照準で敵の上半身だけ撃ち抜けそうか?」
『いや、難しいなあ……』
エルフガインが海岸の手前で動きを止めた。
「くそっ撃ちやすいように止まりやがったのか……」
偽エルフガインも動きを止めていた。ジャンプロケットの燃料が切れたのだろう。肩に背負った二門のレールキャノンがまっすぐこちらを向いていた。
「マリア……撃てるかっ!?」
『いちかばちか――』
『砲撃中止!中止だ!』
久遠の声にマリアはトリガーにかけていた指の力を緩めた。
『なんで?どうしたの?』
久遠に変わってタケルが答えた。
『敵ヴァイパーマシンの環境調整システムに侵入して酸素供給を止めました。パイロットは全員昏睡状態です。戦いは終わりました』
それから長い後かたづけの時間となった。
結局、動作を止めた偽エルフガインの胸にマリアがレールキャノンを撃ち込み、コア反応炉を破壊したことで決着が付いた。八角形型UFOが出現して、バイパスとプロトロンコア譲渡の儀式が執り行われ、正式に日本の勝利が確定した。
夜9時15分、状況終了が宣言された。
二体の巨大ロボットを片付けるのがひと仕事だった。海岸一帯の火事をはじめ破壊されたインフラを整備しなければ、エルフガインリカバリー部隊が現地入りすることもできない。さいわい〈ひゅうが〉が駆けつけてロケット燃料を補給したため、合体は六時間後に解かれた。作業のために自衛隊のエルフガイン予備パイロットが全員招集された。おかげで健太たちは明くる日の朝には埼玉に帰還できた。
健太はまる一日爆睡した。
物音で眼を覚ました。自分がどこにいるのか思い出せず、途方に暮れて部屋を見回した。腹が減っていた。
また誰かがドアをノックした。
「あーはい」のっそり起き上がってドアを開けると、島本博士が立っていた。
「博士、おはようございます……こんばんわかな?」
「夜の10時よ。ちょっと良い?」
「どうぞ」脇によってさつきを部屋に通した。
さつきは健太のベッドの端に腰掛けると、カヴァーをぽんぽんと叩いて隣に座るよう促した。健太が慎重に距離を置いて座ると、さつきは健太とのあいだに小さなケースを置いてジッパーを開けた。ケースの中には医療器具らいしものが並んでいた。
「な、なんすか?」
「ちょっとね、検体を採らせてほしいの。血液採取と、髪の毛1本か2本」
「なんで?ひょっとして俺被爆したの!?」
「そんなことはないわ」
「それじゃ、俺が行方不明になってたことと関係あるんだ」
さつきは作業の手を止めて健太を見た。
「やっぱそう?博士……なんで俺の話とみんなの話が食い違ってるんだ?」
さつきは無言で健太の腕にゴムを巻き、手際よく血液を採取した。ガーゼの下から針を抜いてまるい止血パッドを貼ると「30分押さえてて」と言った。最初から最後まで看護師みたいだ。
「まだ分からない」さつきは健太の髪をかき分けて無造作に一本引き抜いた。
「痛てッ!」
「そのジムシィみたいな髪を切る前でよかったわ」健太の髪の毛をビニール袋に収めながら言った。
「ジムシィってだれ……?」
「それは気にしないでいい」
「みんな俺がたった四時間姿を消してただけって言うんだ。だけどそれじゃおかしいんだよ。おれ……俺、もっと長いあいだ……」健太は忌々しげに首を振った。「くそっ思い出せない!」
「焦らないで、無理に思いだそうとしなくていいから、ゆっくり行きましょ」さつきは健太の背中に手を当ててさすった。
その感触が健太の記憶をつついた。
「そうだ!おれ戻らないと……!」弾かれたように立ち上がってサイドテーブルのスマホをひったくった。
「戻るって……浅倉くん!」慌てたさつきも立ち上がり、部屋から立ち去ろうとする健太のあとを追った。
健太が廊下を進むと、突き当たりのラウンジにエルフガインチームが揃っていた。みんなでテレビを見ていたようだ。
「あら健太くん、やっとお目覚め?」ソファに座った礼子が健太に気付いて言った。
「健太さん、お腹すいてませんか?」
「お兄ちゃんその髪、なんとかしてよ~」二人がけソファーに仲良く並んでいた真琴と実奈も言った。もうひとつのソファーにずり落ちそうな姿勢でもたれていたマリアも健太に顔を向け、手を上げた。
「や、やあみんな。悪いけどおれちょっと用があってさ。これから出かける」
背後に追いついていたさつきが厳しい顔で首を振った。
「ちょっと待ってください、なにか食べていったほうが良いです。いま用意しますから」
「しかし……」
「そうだぞ健太。あとであたしが髪切ってやるから……それとも先生に切ってもらうほうがいい?」
「いや、あとでいいから……」
そのときメールの着信音が鳴り響いた。健太のスマホからだった。
「こんな時にだれが――」スマホを覗き込むと、思いがけない相手からだった。
マリーア・ストラディバリだ。
ハーイ!ご無沙汰ね健太!
近いうちに来日する予定なの。またお世話になるからよろしくね。
そのときまであなたのチェリーをとっておいてね!
マイディア・健太。
添付画像が添えられていた。
ベッドにうつ伏せたマリーアの自撮り画像で、背中越しに振りかえって不敵な笑みを浮かべていた。
背中とおしりの上のほう、そして太股しか見えないが、ほぼ全裸なのは分かった。
健太は何度も文面をあらため、ピンナップ画像を凝視した。
「健太くん?」礼子先生のいぶかしげな声に我に返った。
「え?いや、なんでもないよ?」さりげなくスマホをうしろに隠した。
「なにがなんでもないんだ?」
「あ、ちょっと忘れ物したから部屋に戻るわ……」
「あーっ!」いつの間にか背後に回り込んでいた実奈が叫び、健太は飛び上がった。マリーアお姉ちゃんのすっごいエッチな写真!」
「みーにゃんちがッそれっ」
「エッチな写真だあ!?」マリアが立ち上がった。
礼子先生とまこちゃんもやや眉をひそめている。
「つうかおれメール受け取っただけなんで!なんも悪いコトしてないッスよ!そんな睨まれたって」
「マリーアさんと自撮りヌード送ってくるような間柄になってただけよね……」
「先生まで!」
真琴が表情を殺したまますっと立ち上がった。「ごはん用意しますね」そう言うと階段を下りて行ってしまった。健太はその後ろ姿を呆然と見送るしかなかった。
さつきが咳払いした。
「みんな落ち着いて、頭冷やしたほうが良いわね。健太くんもとりあえずごはん食べなさい」
「え?そうだ、まこちゃんになんか言わないと」健太が逃げるように真琴のあとを追った。憮然とした調子のマリアと礼子が続き、最後に楽しそうな足取りの実奈が続いた。
残ったさつきはホッと溜息をついた。
タケルの考えでは、健太はまだふたつの現実、ふたつの時空のあいだで迷っている。いつもうひとつの世界に戻ってしまうか分からない状況なのだ。
スマホに収められていたデータは抜き取った。健太がその存在を思いだすのはいつのことか……あまりにも重大なので存在を知るのはさつきと実奈、そしてタケルだけだ。すべてに眼を通した結果、ほかの研究者との共有さえ躊躇していた。
(浅倉さん、わたしだけでは手に負えない。本当に蘇ったなら、どうかわたしを助けて……)




