第2話 『世界中がぜんぶ敵!』 ★
登場人物
●浅倉健太
どこにでもいる高校生。主人公。
●若槻礼子
健太の担任。英語教師。ヴァイパー3、ヤークトヴァイパーパイロット。
●髙荷マリア
健太のクラスメイト。ヴァイパー2、バニシングヴァイパーパイロット。
●島本さつき
エルフガインコマンド所長。
●久遠馬助
エルフガイン作戦運用責任者。陸上自衛官。
●浅倉澄佳
健太の母親。
●二階堂真琴
ヴァイパー4、スマートヴァイパーパイロット。15歳。
近衛実奈
ヴァイパー5、ミラージュヴァイパーパイロット。13歳。
●天城塔子
陸上自衛隊三佐、中央即応部CTC所属。
1
健太もまた恐怖に満ちた落下ののち、マシンのコクピットに収まっていた。
動悸をおさえ唾をなんども嚥下してあたりを見回してみると、島本博士が言ったとおり、このコクピットには見覚えがあった。
五年のあいだに細かいアップデートは施されていたが、本質は変わっていなかった。動かしかたは分かる。このまま発進させられそうな気がした。
コクピット内部が明るくなり、まわりを囲んだ壁が突然透明になり、巨大な地下空間を映しだした。
左手で巨大な戦車らしきものが、エレベーターごとゆっくりせり上がってゆく。戦車の手前には超大型の前進翼機が駐機している。それぞれ機体に「3」「2」と書かれていた。
『浅倉くん、用意はいいわね』
用意なんてぜんぜん出来ていなかったが、「はい」と応じるしかなかった。
『ヴァイパー2の発進が終わったら、いよいよあなたの出番よ。およそ二分後にあなたのマシン……ストライクヴァイパーを発進させます』
発進。出撃。
健太はゴクリと息を呑んだ。時間の感覚が麻痺していた。二分間が永遠に続くような、一瞬で過ぎ去ったような気がして、島本博士の声がふたたび耳元で聞こえたとき、ほんの一〇分居眠りして何時間も過ぎ去ったときのような理不尽な気分を味わった。
『浅倉くん、時間よ』
同時にストライクヴァイパーがゆっくり前進し始めた。秘密基地の壁際に開けられたトンネルに向かっている。
『これよりあなたは、地下のカタパルトから射出される。川崎方面に向かって射出されるから、空に上がったらまず高度と進路を確認して。ストライクヴァイパーは自動操縦で5000メートルまで上昇するわ。その後は同じく空に上がったヴァイパー2,バニシングヴァイパーと合流して』
了解しましたとかなんとか言うべきか。軍人になったという自覚もなく、そんな応答には違和感を覚えた。
さつき博士は構わずあとを続けた。
『あなたたちは二機編隊を保ったまま旋回して。その間にヴァイパー4,スマートヴァイパーとヴァイパー5,ミラージュヴァイパーが揃う。そのあとは……分かってるわね。シミュレーターで何度も経験したでしょう。あなたはそれが上手だった』
「本当にやるんですか?その、シムじゃなくて、本物のマシンで、合体を?」
『シミュレーターとはそのためのものでしょう?さあ、発進よ』
「え?あ」
『ああそれから』
「はい?」
『口を閉じて。カタパルトはほんの一瞬10Gになる。舌を噛むわよ』
「10Gって……?」
ストライクヴァイパーがリニアレールに沿って弾き出された。
同じ頃、武蔵丘陵の国立公園から、二体の巨人が密かに発進した。
密かにと言っても全高30メートルの巨体である。近隣住民のすべてがその姿に気付いたろう。ただし近隣住民がいれば、の話である。
その一帯は埼玉でももっとも注意深く住民が別所に移住させられ、ほぼ無人地帯となっていた。二体の巨大ロボットのうち一体は、バイパス道路に沿って移動した。もう一体は背中のジェットエンジンを噴かして上空にホバリングして、なにかを探すように旋回し始めた。
「お姉ちゃん、見つけたよ」
「はい、実奈ちゃん」
ヴァイパー5、ミラージュヴァイパーからヴァイパー4,スマートヴァイパーにデータが送信され、目標の位置を兵装システムに流した。
スマートヴァイパーが左手に抱えていた巨大なライフルを構えた。目標は新都心の高層ビル、その頂上のヘリポートだ。
「距離50、風速東南5メートル……」ステレオレンジファインダーからの映像を正面モニターに映し出し、二階堂真琴は左手の操縦桿のトリガーを引いた。
特大のスナイパーライフルから放たれた75㎏の砲弾が直進して、十二秒後、ヘリポートに駐機していたベル206を直撃した。民生用ヘリは粉微塵に粉砕された。
民間ヘリに偽装されたそれは、無人の情報収集機だった。エネミー01と、それに相対するヴァイパーマシンの動向を伺っていたのだ。
「命中!」
「ほかに反応は?」
「ないよ。これで敵に情報漏洩する心配はなくなったかな?」
「衛星はなんともできないけれど、ひとまずエルフガインを分析されるまでもう少し時間を稼げるわ」
「それじゃ、あとはあのボールをやっつけるだけかぁ」
「ええ。ヤークトヴァイパーに無理矢理乗せられてしまった人が心配だわ。急いで合流しましょ、実奈ちゃん」
「うん、お姉ちゃん」
健太は気絶していたらしい。
目を覚ますと、半球形モニターは真っ白になっていた。だが過去の経験をなんとなく思い起こしていた健太は、それが雲の中だと気付いていた。
「おれ、本当に飛んでる……」
原付さえ運転したことがないというのに着陸の仕方も分からない航空機に乗せられてしまった!健太の中でパニックの兆候が身をもたげかけた。
『落ち着いて、浅倉くん』
健太の動転を察したかのような島本博士の声がコクピット内に響いた。
「博士」
『斜め下方を見て』
健太は言われるままに下を見ると、巨大な全翼機が翼を並べていた。
あれがバニシングヴァイパーか。
『これからすぐにフォーメーションフェイズに突入よ。現在エネミー01は若槻先生のヴァイパー3と対峙している。エネミーを牽制して、合体するための時間を稼がなくてはならない。あなたはマリアの言うことをよく聞いて、従いなさい。いいわね?』
「エー……はい」
あいつの指示に従うなんて癪に障るが、仕方がない。正直言って心細すぎる状況に追い込まれ、だれの助言でも……あるいは安心させてくれる言葉だけでも大歓迎という心境だった。
すぐさま回線が切り替わった。モニターの一角に「02」と記されたウインドウが開いた『浅倉、聞いてる?』髙荷マリアの大人びた声が聞こえた。
「お、おう、聞こえる」
『あんたの乗ってるヴァイパー1の自動操縦を解除する。シミュレーターは経験してるって聞いた。操縦システムは分かってる?』
「なんとなく……」
回線のむこうで盛大なため息が聞こえた。
『なんとなくぅ?ホントに大丈夫なのかよ?』
「言葉のあやだよ!ひととおり運転できるってば」健太は慌てて改訂した。なんだって突っかかってくるんだ!?
『チッ』マリアが舌打ちした。
同時に自動操縦が解除されるメッセージが瞬いた。健太は左右のコントロールスティックを握り直した。フライバイワイヤーを通じて翼面のかすかな動きが伝わってきた。
搭乗時に少しだけ見えたストライクヴァイパーの形状は、とても航空機とは言えない。ずんぐりした涙滴型の胴体に妙なデルタ翼が生えているが、飛行機の主翼としては小さすぎる。エンジンノズルだけは異様に大きく、ストライクヴァイパーがステルス機F―117同様、エンジン推力とデジタルフライバイワイヤ―の高速演算処理によって無理矢理飛行するたぐいの航空機だと知れる。
健太は記憶にある操縦感覚を掘り起こし、左のコントロールスティックを軽く振った。すると、ストライクヴァイパーが左右に翼を振った。モニターの片隅で刻一刻と変化する数字を見た。高度5200メートル、対気速度850㎞。兵装……
意味が分かる。
いける……!
『ついてきな』
「おう!」
バニシングヴァイパーが機首を下げ、ぐんと高度を落とした。巨大なのに軽快な運動性だ。
尻が浮く感覚に健太は思わず息を呑んだ。やはりシミュレーターとは違う。石よりも固い塊に乗ってものすごい勢いで落ちてゆく、生理的危機感を覚える感覚だ。シミュレーションと違うといえば、健太がむかし経験したシミュレーションではあんなかたちの機体ではなかった。それにコンピューターではなく生身の人間が操縦しているのだ。
母さんがあれを作ったっていうのか……?
およそ一年間、浅倉澄佳は土日になると息子を研究所に連れて行き、シミュレーターで遊ばせた。小学校高学年だった健太は研究用の機材だろうとうすうす気付いており、初めのうちは自分が遊びに使って良いものなのかと心配したが、だれもやめろとは言わなかった。
シミュレーションは日ごとに複雑化して難易度が上がったが、どんなゲームよりもリアルで面白かった。健太は子供らしい柔軟さで次々と「ゲーム」をクリアした。
いま、本物のストライクヴァイパーが健太の操縦に従って、先行するバニシングヴァイパーの斜め後方にぴったりと追走していた。急降下しながら速度を増している。雲を割り、武蔵野の盆地が眼前に迫った。高度1500メートルを割るとモニター画面の下半分がデジタル地形マップに切り替わった。
画面の中心にあの巨大ボール……エネミー01が居た。
健太は髙荷マリアの意図を察した。合体のための時間を稼ぐ、と言っていた。
当然だ。
健太の指がコンソールを探り、ステータスボードを表示させた。各ヴァイパーマシンの配置状況が分かった。ヴァイパー3がエネミー01と相対していた。その両翼、500メートルずつ離れてヴァイパー4と5が援護に就いていた。
小さな丘を盾にして攻撃を加え、エネミー01の注意を散らそうとしているようだ。そして健太たちはそのエネミーの四時方向から接近している。髙荷が空からエネミー01に攻撃を加えようとしているのは確かだ。だけど相手はおそらくプロ。空からの攻撃はある程度予期しているはず。
あのボールには対空防御兵器が装備されていると考えるのが妥当だろう……。
この場合健太の役目は――
バニシングヴァイパーの援護だ。
エネミー01が転がりながらこちらに向きを変えた。
「対空レーダー感知」コンピューターナビゲーションの女性音声が告げた。
その球面の一部からまばゆい光が生じた。ミサイルが発射されたようだ。二発、四発……。その瞬間、健太はスロットルを叩きつけてバニシングヴァイパーの陰から躍り出た。
「ロックオンされました」
「それでいいんだよ!」健太は突然のGに食いしばった歯のあいだから声を絞り出した。急激に高度を下げ、回避旋回に移った。
敵機が突然二機になったことでエネミー01は一瞬躊躇して、いわゆる棒立ち状態になった。
バニシングヴァイパーはその隙を最大に利用した。主翼上面に背負った二連装砲が火を噴き、エネミー01の足元に着弾、地面を大きくえぐった。
健太はチャフをばらまいてミサイルをやり過ごしながら高度を上げ、その攻撃を目の隅で見た。
「上手い!」健太と島本博士が同時に叫んだ。エネミー01が地面の穴にすっぽりと落ちていた。
狂ったように回転して藻掻いているが、穴とボールの直径がぴったりだったためなかなか這い出せないでいる。
『チャンスよ!ヴァイパー全機フォーメーションに移行!』
いよいよか。
健太はふたたび高度を上げ編隊を組み直したバニシングヴァイパーと共に上空を旋回していた。つねにエネミー01を視界に収める位置を保っていた。礼子先生のヤークトヴァイパーはエネミーが落ち込んだ穴から二㎞、秘密基地寄りにいた。
ヤークトヴァイパーの両隣にスマートな人間型ロボットが二体立っていた……ロボットだ!
(すげえな)健太は目を見張った。(巨大ロボットが本当に実用化してる)あれが島本博士が言っていたヴァイパー4と5だろう。
とはいえこれからもっとすごいのが出現するわけだが。
礼子は「敵」と目されている巨大ボールの一時的な行動不能に、ほっと胸をなで下ろした。
だがあくまで一時的に過ぎなかった。
モニターいっぱいに「フォーメーションフェイズ」と表示され、同時に二体の巨大ロボットが――礼子はぽかんと見とれた。――礼子の乗るマシンの前に進み出て仲良く並んだ。
高さ30メートル、九階建てビルほどもある巨体が、礼子の前で形を変え始めた。足が縮まり、両腕が折り畳まり、本当にビルのような形に変わってゆく。いや、ビルと言うよりは長靴か……。
礼子を突然激しい震動が襲った。
「きゃあ!」
視界がものすごい勢いで前転した。マシンが前につんのめり、ついでに上昇している。絶叫マシンに無理矢理乗せられたときに感じたのとおなじ胃が下がる感覚。
自分がスペースシャトルみたいにもうもうと煙を吐いて上昇するマシンの、その操縦席に座っているのだと悟った。
(嫌!やめて!ちょっと待って!だれか止めて!)礼子は絶叫したかったが、恐ろしくて声が出ない。
礼子のマシンはゆっくり、しかし着実に上昇し続け、何百メートルという高さでようやく停まった。
そして落下し始めた。
「いやーッ!」
ズシン!猛烈な振動が下から突き上げ、礼子はシートから放り出されそうなほど揺すぶられた。シートベルトがなければそうなっていただろう。
突然静かになったコクピットの中で、礼子は額に汗して震えながら、微動だにせずにいた。
揺れている。
礼子の三半規管が、マシン全体が不安定な土台の上に乗っかり、ゆっくり揺れていると告げていた。
倒れる……礼子はシートの中で身をすくめた。下手に動けば本当に倒壊する、と思った。不気味なきしみが伝わってくる。
(お願いだからこれ以上なにも起こらないで……!)
そう願う礼子の、今度は頭上に、とてつもなく大きな物体が落ちてきた。
バニシングヴァイパーが変型していた。音速手前の速度である。
翼下のエンジンポッドが外側にスライドしながら後方に伸びてゆき、同時に二門の砲身が互いの間隔を狭めている。空力的に限界寸前まで安定性を失い、巨大な主翼のエルロンが狂ったように上下してなんとか失速を免れていた。
ここがいちばん難しいところだが、もうほとんど航空機とは言えないあんな機体のパイロットを任されているからには、髙荷マリアは相当に腕利きなのだろう。
バニシングヴァイパーが変型を終えると、健太はストライクヴァイパーを増速させて前に出た。慎重に機体をスライドさせ、バニシングヴァイパーの進路を塞ぐ位置に着いた。
髙荷は気流の乱れでさらに機体コントロールが難しくなる。
時速千㎞。ちょっと間違えば大惨事を招くが、それ以下の速度ではまともに飛ぶこともできなくなる。
「位置に着いた!」
『それじゃ、じっとしててよ!』
健太はコントロールスティックを握る手を緊張させ、バニシングヴァイパーの接近を待った。
旋回し続けている健太たちは、ふたたび残りのヴァイパーマシンが待機している地点上空に差しかかる。
健太たちがドッキングをし損じれば、もう一周しなければならない……約二分間のロスとなる。致命的なロスだ。
モニター上のサブウインドウに、接近するバニシングヴァイパーが映し出されていた。
「よし……そのまま……」健太は呟いた。航空機とはとても思えない角張った姿がウインドウいっぱいに迫った。
「そのまま、そのまま……いまだ!」
健太はスロットルを倒し、エンジンカットした。
推力を失ったストライクヴァイパーのエンジンノズルにバニシングヴァイパーの接合部が食い込んだ。
二機の航空機がひとつになり、重心が狂ったせいで今度こそ本格的に空力安定性を失った。しかし次の段階では速度は必要ない。バニシングヴァイパーがスピードブレーキを開き、減速と同時に機体全体を急激に引き起こした。
「ぐおッ!」
健太は急制動につんのめり、膝から膨らんだエアバッグに衝突した。合体した二機のヴァイパーマシンは垂直に立ったまま空中に制止した。
その姿勢のまま落下し始めた。
健太の機体――機体だったものが、バニシングヴァイパー同様変型を果たしている。翼が折れ畳まれ持ち上がった機体後部が一八〇度回転して機体前部の腹面と重なった。バニシングヴァイパーとの接合部が引き寄せられ、健太のコクピットが水平位置に回転していた。
「シンクロジャイロ安定」
冷静な機械の声が告げた。
バニシングヴァイパーの補助ロケットが点火して、猛烈な煙を吐きながらさらに落下した。
真下には予備合体を終えたヤークトヴアイパーが待ち構えていた。
「合体位置すべてグリーン。合体します。衝撃に備えてください」
ふたつの巨大なマシンがひとつになり、総重量9600トンの物体が衝突する音が関東平野に響き渡った。
2
「合体したっ……!」さつきが押し殺した声で呟いた。
発令所の大型モニターの中で、人のかたちになった五機のヴァイパーマシンが煙の中から姿を現していた。
突然の静寂に包まれ、健太は身動きひとつせずにいた。
静寂と言ってもあちこちから金属のきしみや、怪物の咆吼じみた油圧ダンパーの伸縮音が伝わってくる。
パイロットシートが立ち上がり、健太を直立させた。
ストライクヴァイパーの胴体が左右に開き、人間の顔をカリカチュアしたようなステレオセンサー集合体がせり出した。
メインカメラが起動すると同時にコクピット全体が伸縮して、モニターがひどく鮮明な百八十度の視界を得た。
(エルフガインだ)健太の鼓動が早鐘を打つ。(本物のエルフガイン)
ELV―GYNN―XB2000。シミュレーターの外郭に記された記号から勝手にそう呼んでいた。それがいつの間にか正式名称になっていたらしい。
合体したエルフガインは予備動作テストに移っていた。
両足を広げて足場を確かめるように踏みならし、膝を曲げて腰を落とした。両腕を大きく左右に持ち上げ、片腕をまっすぐ前に、もうかたほうの腕を腰だめに構えた。二階建て家屋一軒ぶんもありそうな拳を開き、閉じる。
巨大な関節はそれだけで轟音を発した。
全高80メートルの高所から臨んだエネミー01はすぐそばと言ってもいい距離だ。
エネミー01は穴から這い出していた――文字通り、這い出している。
球体がふたつに割れ、割れた面を下にして穴から持ち上がっていた。球体の中から触手みたいなものがウジャウジャ沸きだしていた。その触手がふたつの半球を持ち上げているのだ。
「敵もなかなかやるわね……」島本さつきが賞賛と口惜しさの入り交じった口調で言った。
マッドエンジニアとしての感想だろう、と傍らに立った久遠は思った。ひょっとしたら変型合体は島本博士……と、故浅倉博士の専売特許だと密かに胸を張っていたのかも知れない。
「博士、呑気に言ってる場合じゃないッす」
さつきは久遠にちらりと顔を向けた。「合体が終わった。わたしは成すべきことをしたわ。ここからは戦い。あなたが音頭を取る番でしょう」
「そりゃそうなんですがね」
久遠は認めた。
彼の役割は統合幕僚本部との連絡係ともうひとつ、エルフガインコマンドの戦闘作戦が始まったらその陣頭指揮を執るという役目を申し遣っている。
だがしかし、いくら陸上自衛隊きってのプロフェッショナルといえども、スーパー兵器同士の戦いなんて見当も付かない。
さすがに浅倉博士のプロジェクトだけあって予算は潤沢だったから、久遠はなかば趣味として私的シンクタンクを設立し、知り合いのおたくやアニメ脚本家やらを招いて来たるべき未来戦争を考えさせた。
だが正直言って……久遠はこんな戦いが起こるとは本気で信じていなかったのだ。
エルフガインコマンドに出向して三年あまり経ち、自衛隊とコマンドのあいだで過ごすうちに数々の特権情報に接し、トップの政治的しがらみや優柔不断を知って幻滅しもした。それでも古巣に対する信頼は保ち続けていた。
しかし博士の言うとおり、正体不明の敵に対してこの国の防衛体制はザルだった。エネミー01の上陸をみすみす許したのは自衛隊上層部と一部政治家に違いない。結託してエルフガインコマンドを失敗させようと画策した結果だ。
鉄壁の守りもくだらない一部連中の小細工で台無しになる。まじめに祖国防衛の任に就くものすべてに対する、許し難い裏切りだった。
「久遠くん、わたしだってちゃんと協力するわ。偉い人たちの思惑やらなにやらは忌々しいけれどわたしはべつに気にしていない……正直言って気にする価値もないくらいに思ってたの。浅倉博士の方針通りにね。あなたもあの子たちをサポートに専念して」
確かに、あの坊主……浅倉健太の母親はすごいひとだった。
どうやってか日本のトップと話を付け、とんでもない影響力を発揮して埼玉県全域を広大なコロシアムに変えてしまった。
あくまで噂だが、政治家や財界人の弱みをたくさん握っていたという……。実際に会えなかったのが残念だったが、久遠が配属されたとき、ここは失ったものの大きさから立ち直ろうと右往左往している最中だった。
島本博士もなかなか大人物だが、浅倉澄佳ではない。しがらみなど気にしないと言っても、しがらみのほうはいずれ彼女ににじり寄ってくるはずだった。
「分かりました」
よし、今回ばかりはあの子供たちに賭けよう。五人中四人が未成年で、二人は素人。そんな寄り合い所帯にこの国の将来を託さねばならないとは情けない限りだが、マリアや真琴ちゃんたちにはそれなりに思い入れもあった。本当は戦わせたくないが、せめて勝たせ、生還させるために全力を尽くす。
もとより悪目立ちが過ぎて古巣でのキャリアはあきらめたも同然だ。ならせめてここでこの国を救ってやるさ。
久遠はいつの間にか口元に笑みを浮かべていた。
関東平野はバトルフィールドだった。
これは来るべき新しい戦いに備え用意されたものだ。戦略上敵はこのあたりに来ると想定されたのだ。そのために三年かけ、移住優遇政策という名のもと大規模な疎開が行われた。
しかしそれは機密保持観点によるものではなかったので、いまや近隣住民が二体の巨大ロボット兵器の出現を目の当たりにしていた。マスコミのカメラの砲列はともかく、無数のスマホのカメラが、対峙する二体の巨人を見守っていた。
全長80メートルの巨体は30㎞離れた高所から眺めることができた。
「なにが起こっているんだ?」
だれもがそう思っていた。
「戦争が始まったらしいぞ」という噂はネットと携帯電話によって瞬く間に広がり、多くは半信半疑でニュースを注視した。何らかの信憑性のある情報はメディアによってもたらされる……その点は長年のマスコミ不振にもかかわらず変わらない。詰まるところいざとなると情報源はそれだけなのだ。
だが、いまや数十万人が直接、なにが起こっているのか目の当たりにしていた。
陽光が山のあいだに落ち、あかね色に染まった関東平野に得体の知れないマシンが出現した。しかし政府はいまだ沈黙していて、国民に向かって状況を説明しようとしない。
だれも実在しているとは思っていなかったもの……人間の形を模した巨大なロボットが、群馬方面から来襲した敵と戦おうとしている。大量のツイートと添付画像がネットワークを駆け巡り、そんなストーリーが組み立てられていた。
巨大なボールが「敵」であり、街をいくつも破壊したことは知れ渡っている。ならば、何機かの兵器と見られる乗り物が合体したあの巨人は「味方」なのではないか。
だれかが「マシンは越生あたりから発進した」と証言した。べつのだれかが「マシンの胴体にはたしかに日の丸が描かれてる(だせえww)」と証言した。それらは確証が無く、あの巨大ロボットが味方であるという説は願望以上のものではなかった。
人々は固唾を呑んで成り行きを見守っていた。
3
移住優遇政策と同時に、政府は政府機能の一部移転も実行していた。それで現在防衛省は愛知県に居を移していた。
県庁と名古屋市庁舎が隣接する通りの向かいに新造された十二階建ての庁舎、その地下八階の会議室、モダンな艶のある黒い壁で統一されたその部屋に十二人の政府関係者が詰めていた。半分は制服組、残りは関係省庁から派遣された次官級だった。
楕円形の大テーブルを囲んだ面々は、壁の一角を占める巨大モニターのマルチ画面を食い入るように見つめていた。
「たまげたな。本当にその……合体……というのか、したようだ」
「しかしあんなの動けるのかねえ」
喋っているのは背広組だ。スマホやミニノートも眺めつつ落ち着きがない。
制服組は腕を組み、黙って中央の画面だけを見つめていた。エルフガインコマンドから送られてきたライブカメラの映像だ。
マルチモニターはほかにNHKのニュースと民放の臨時放送を映している。情報作戦室から送られてくるインターネットの抽出情報も画面隅にスクロールしていた。
政府がいまのところ声明を発表していないため、報道番組は事実関係だけを繰り返している。しかしネットワークによれば、大衆はだいたい正確に現状を認識しているようだ。
「総理が二の足を踏んでるというなら、せめて官房長官か防衛大臣あたりが声明を出すべきじゃないか?」
「それがねえ……ちょっと愚図愚図していてね。テレビ局が「専門家」を呼んでつまらないコメントさせる前にしたほうがいいんだけどねえ」
「バイパストリプロトロンと浅倉博士について、マスコミやネットはまだなにも?」
「キーワード検索にも引っかかってない」
「案外鈍いな」
「なあに、国民は生活が上手く回っていりゃ、石油で回っているのか得体の知れないエネルギーで回っているのか気にしやしないよ。福島のあとでさえそうだ。要は「放射能」とか「環境汚染」ってマジックワードがなきゃ注意を引かない」
制服組の一人が鼻を鳴らした。しかし背広組は気にしていないようだ。
制服組は四人が陸自、一人が空自、もう一人が海自の連絡将校だ。エネミー01の攻撃対象がおもに土の上だったため、今回は陸上自衛隊が大人数を割いている。
「天城さん」背広の一人が陸自のひとりに声をかけた。
「なんでしょう?」
「コマンドからの報告だがね、敵はカナダではないかという分析、ありゃあ本気なのかい?」
「現在、あの戦闘車両……ヤークトヴァイパーが撃墜した無人機を回収しています。分析を急がせますが――」
「うん、それ急がなきゃならんでしょう。だけどね、たとえカナダという結論になったとして、それは受け入れがたいんじゃないかなあ……」
(だからなんだというの?)
陸上自衛隊中央即応部CTCの天城塔子三佐は内心言い捨てた。気に入らないなら敵を別の国に変えられるというのか。政府が公式声明を出し渋っているのは、敵はカナダでしたと国民に伝えるのが嫌だからなのか?
塔子自身はエネミー01がカナダ製ではないかという島本博士の意見が妥当だと思っていた。このおぞましき未来戦争の、目を背けたくなるような面が早くも露出したに過ぎない。
「はやく慣れるべきでしょうね……このゲームでは敵は思いもよらないところからひょっこり現れると。我々は台湾を味方に付けているだけ恵まれているのです。敵の如何によらずできるだけ早く、国民を安心させるコメントを出すべきでしょう」
分かりきったことをわざわざ告げる精神的疲労を感じながら、とにかく言った。とはいえ政府が今回も後手に回り、結果的に批判を浴びるだろうとは、塔子も、この背広組でさえも承知している。
八年前、バイパストリプロトロンが世界にもたらされたとき、それが異星人からもたらされたという事実をいまだに伏せているのだ。
そのことに幻滅したのは彼女だけではない。
その重大な事実は、世界中の国家政府が示し合わせて機密とされた。このときばかりは驚くべき協調性を発揮したわけだが、それは面倒ごとを後回しにしたいというきわめて官僚的思考の結果だ。
超エネルギーバイパストリプロトロンはそうして、出所を伏せたまま世界に普及した。厳密に言えば普及したのではない……ある日突然、ブルーに輝くエネルギーコアが40あまりの国に出現したのだ。G8、それにくわえてある程度発展した、一定の人口を有した国にだ。
そしてその使い方をいち早く見抜いたのが若き天才浅倉澄佳博士だ。
多くの人々がバイパストリプロトロンを開発したのは浅倉博士だと勘違いしているが、その誤解は放置されたまま現在に至っている。とにかく浅倉博士はコアからエネルギーを取り出す方法を見つけた。
そしてその技術を独占しようとする政府の意向を無視して世界中に発信した。
ひとつの国にたった一個のバイパストリプロトロンコア。それだけで一国の消費電力すべてがまかなえる。
もう電気を生み出すために石油や石炭、ウラニウムを燃やしたりダムを造る必要はなくなった……。恐るべきエネルギー革命。世界経済に与えた打撃はだれも想像できないところまで及んだ。とくに「大損を扱いた」のはアメリカ合衆国、それに日本など、先進国だ。
従来型のエネルギー産業がすべて用なしになり、大量の失業者が路頭に溢れた。
反面、電力はほぼ無料となった。
日本はその経済的混乱からようやく立ち直ったところだ。
浅倉澄佳はその混乱の大罪人扱いされるどころか、その後およそ五年間にわたり日本を引っ張る事実上のリーダーとして君臨した。たしかに大勢に恨まれていたが、改革者とはそういうものだろう。
いっぽうで世界の大半を占める経済後進国や貧困国にとって彼女は英雄だった。
日本国内では、バイパストリプロトロンからもたらされる無限の電力の管理を旧電力会社に任せ、ちゃっかり「電力消費税」を徴収させることで企業の反発を最小限に抑えていた。それでも電気料金は一/三以下に下がっていたが、本当は無料なのだ。
大量に電力を消費する他企業……たとえば製造業や鉄道会社などにはただ同然で供給されたため、国内経済は奇跡のように回復した。
世界中が恩恵を受け、この惑星は平和になると思われた……。
ところが、浅倉澄佳暗殺事件によってすべてが暗転した。
「反バイパストリプロトロン」を掲げるテロ組織の存在、そしてなかば公然の秘密と化した異星人説――もとより関わっていた人数が多すぎて機密扱いなど無理もいいところだったのだが――浅倉澄佳の乗った飛行機が太平洋上で撃墜された日からまもなく、妙なスパムメールが世界中のコンピューターに送信された。
そのメールにはある〈ゲーム〉のやり方と、ルールが記されていた。
差出人は「主審」と名乗っていた。
〈ゲーム〉の内容は恐るべきものだった。すなわち――
世界中に存在する四十個のバイパストリプロトロンコアをひとつにまとめよ。
さすれば地球人類に新たな道が開かれる。
戦って奪い取り、次のステージに備えよ。
馬鹿馬鹿しいと一笑に付されてもおかしくはなかったが、パラノイア的思考を常とする各国首脳部はそう簡単には片付けられなかった。
だいたい現存するアカウントすべてにメールが一斉送信されただけでもじゅうぶん心配の種であり、夜も眠れなくなるほどだった。
いったい「次のステージ」とはなんだ?
西欧諸国の伝統的な疑心暗鬼が頭をもたげた。突如もたらされた都合の良すぎるエネルギー源、その正体はいったい何なのか?ひょっとしたら我々はとんでもないブツを掴まされたのではないか?
日本人に陣頭指揮を執られて面白くない米国やロシアが、反バイパストリプロトロンのネガティブキャンペーンに油を注いだ……。
たった三年間で世界は新しい冷戦構造に突入した。
日本は昨年から事実上の鎖国体制を取り、シーレーンを守るために最小限の国と友好関係を保っていた。
鎖国状態は米国も中国も、ロシアやドイツ、フランスやインドも同様だ。
EUは解体され、国連もなかば機能しなくなり、バイパストリプロトロンの電力供給以上の使い途を自力開発できなかった国はコアを大国に捧げ、その従属国として庇護される道を選んだ。大使館は閉鎖され、ワールドウェブも遮断され、国外滞在者は自国に帰還せざるを得ない状況だった。
バイパストリプロトロンコアの独占が世界を制す、という恐るべき考え方が世界的共通認識となっていた。
新冷戦は新たな帝国主義のはじまりであった。ゼロサムゲームが大好きな強国の意向が蔓延り、とくに浅倉博士によって従来の基幹産業を叩きつぶされた米国は張り切っていた。かの国ではニューパールハーバーをかけ声としているという。
バイパストリプロトロンはその特性として送電ケーブルが無くても供給可能だった。専用反応炉さえ据え付ければ、その中にバイパストリプロトロン粒子が出現する。理論的には距離に関係なく反応炉は稼働する。つまり、船や航空機、あるいは宇宙船、反応炉の小型化に成功すれば自動車さえ動かせる。事実、あの巨大ロボットはそうして稼働させているのだ。
日本的におおらかな言語感覚で、バイパストリプロトロンエネルギーで動くマシンをヴァイパーマシンと呼称した。
バイパストリプロトロン反応炉はたんに電力だけではなく、爆発的な推進エネルギー、さらに高度なフィールドエネルギーを供給する。装甲板や可動部品に一種のエネルギーコーティングが施され、きわめて頑丈になる。自衛隊が装備している従来型兵器では対処困難なほどに。
あの巨大ロボットに浅倉澄佳のひとり息子が乗っているという。
およそ二年にわたってパイロット選定が行われ、自衛隊からも多くの候補者を提供したが、結局島本さつきは第一候補に立ち返った。元からそのつもりだったとしたらあの女らしい。残りの四人も自衛隊カラーを払拭して、島本さつきはすべての責任をひっかぶるという意思表示を示した。
(いいでしょう)塔子は独りごちた。密かに知らされていたもうひとつの〈ゲーム〉がついに始まってしまったのだ。
浅倉博士同様権威筋に背をそむけ、やって見せて。
メインモニターでは二体の巨大ロボットが接近しようとしていた。
4
健太は左のコントロールスティックを慎重に押した。たちまち全高80メートルの巨体が前進し始めた。
基礎がない二十階建てのビルが動いているようなものだ。動き出したときは健太の乗る頭部が果てしなく前傾して行くように思え、地震で揺れるビルの頂上にいるときの数倍の恐怖を感じた。
揺り戻しはさらに不快だ。
歩行速度もまったく未知の感覚だった。一歩で50メートルも進んでしまう。それも大きいから重厚にもったいぶった動きというのではなく、生身の人間とおなじくらい軽快に動く。秒速50メートル……時速にして新幹線ほどの速度だ。
その振動と騒音は凄まじかった。たちまちあたりは粉塵が立ち昇った。
変型したエネミー01もまた三本の細長い足で立ち上がり、数十本の触手を威嚇するようにエルフガインに向けている。
「動いた……!」
対決を見守る遠巻きの群衆のそこかしこで、喘ぐような声が漏れた。
一歩大地を踏みしめるごとに、遅れてドーン、ドーン、ドーンという爆音めいた重低音が響き渡った。それは人類がはじめて聞いた音、巨大ロボットの歩行音だ。
エルフガインの足裏が地面に及ぼすエネルギーは五〇〇ポンド爆弾の爆撃と変わらない。普通の機械であれば過負荷でたちまち壊れてしまうだろう荷重だ。
だがエルフガインは普通の機械ではなかった。関節機構は流体金属電磁回転体……リニアモーターによる非接触型構造で、基本的に音は発生しない。しかし関節機構に莫大なトルクを与える補助油圧シリンダーはそうではなく、ひと組の関節にたいして540本の並列シリンダーが奏でる作動音もまた凄まじい騒音だ。
優れた先進機械は可動部品の少なさがその指標と言えるが、エルフガインはその真逆だ。
「歩いてる……!」
エルフガインコマンドのあらゆる部署でも、外の様子を見ていたものはそう呟いた。ヴァイパーマシンの整備担当者でさえそれが最初の感想だった。
ヴァイパーマシンの構造は複雑すぎ、それぞれの機体特性も極端に違うため、すべてを把握するものはほんの一握りだった。
関係者の大多数にとってちゃんと動くのが不思議と言えるメカだ。
「すげえ……!」
久遠でさえそう思うしかなかった。
滅多に外に出せなかったおかげでテストや飛行訓練はわずか数度しか実施されなかった。合体に至っては今回が初だ。このときばかりは浅倉澄佳と島本さつきが真の天才なのだと感心するほかなかった。
本物の巨大ロボットが歩いている。
テレビの中でさんざん見て、いまや日本男児の遺伝子に刻まれたイメージが具現化しているのだ。全高18メートルでも57メートルでもなく、80メートル。105メートルや150メートルには足りないが、途方もなく巨大であることはたしかだ。
かつて小学生だった60歳以下の男性すべてが共有するイメージ。
感慨深さは健太も同様だ。
だが自分で操縦するのは、外から見ただけとはだいぶ違うイメージだった。
ただ歩いているだけでも故障したエレベーターに乗っているようだ。最新型の戦車と同じく歩行前進によって生じる揺れの大半はショックアブゾバーに吸収され、頭部のあたりはほとんど揺れが伝わらず、その部分に集中している精密機械であるセンサー類や射撃管制装置の機能に影響を及ぼさない……が、乗っている人間に対する配慮は兵器らしく二の次だ。
健太は特大ビーカーの中の液体に浸かってゆるゆるシェイクされているような感覚に襲われていた。
(これは慣れるまでだいぶかかる……)
戦闘中、という緊張状態に置かれていなければたちまちエチケット袋が必要になりそうだ。
幸いさらに気を紛らわせてくれる無線通信が入った。
『よし坊主、ここまでは順調だ』
「坊主って言うな!」
『わあったよ。無駄口叩いてる暇はないぜ。相手は撃ってくるぞ!』
「どうしろっての!?」
エネミー01がカニ歩きで右に回り込んだ。素早い動きだった。エルフガインは戦車砲の要領で相手を自動追尾していた。つまりつねに相手を正面にとらえるように首を回していた。
(オッと……!攻撃モードが自動索敵モードのままだ。ええと……そうだ!あの敵を標的認定して、自動モードをすべてオフ……)
健太は馴染み深い操作を徐々に思い起こしていた。トラックボールに乗せた右手が忙しく動き、親指で次々とコマンドを選択した。
自動モードをすべて解除されたエルフガインはいまや健太だけの操作に従う。エネミー01を正式に『敵』として認識させたので頭部の回転は止まり、全身のカメラによる継続追尾に切り替わった。
高度な攻撃管制システムを起動させるのはこれより攻撃するその瞬間となる。それまではわざわざレーダーを照射し続けて敵に攻撃するぞと知らせる必要はないわけだ。
トラックボールをまた押し込むと、モニターの両脇に武器コマンドがずらりと並んだ。トラックボールを転がすと武器リストがスクロールした。
(一体どれだけ武器を装備させたんだか)
健太がシミュレーターを使っていた頃はミサイルと機関砲、それに剣とレーザーくらいだったのだが。
武器リストは有効射程によって色分けされている。グリーンなら有効、レッドは撃っても無駄な武器ということだ。グレーのやつはおそらく合体によって一時的に使用不可能になった兵器だろう。
『おいおい!自動迎撃モードまで切っちまったのかよ!?』
「ったりまえだ!エルフガインは歩く砲台じゃねーよ!」
『まあ待て、おまえさんがいない五年のあいだにいくらか装備が追加されたんだ。戦争技術の発展に即した奴がな。敵のリモート兵器に対する自動防衛システムはオンにしとけ!』
「り、了解」
『よし、それでうるさい雑魚を気にせず戦えるぞ』
その点も昔のシミュレーターとは違う。
前は航空機やヘリや戦車をひたすら破壊して、最後にボスキャラみたいな大型メカを相手にしたのだ。それなのに、いまの説明によると雑魚キャラは自動防御システムが勝手に迎撃してくれるみたいな話だった。
(なるほど、CIWSみたいなかんじかな?)
『聞け、相手もおそらくヴァイパーマシンだ。つまり、エルフガインとおなじくらい頑丈にできてる。二四〇㎜リニアキャノンの直撃弾を少なくとも五発食らってるのにほとんどダメージを受けてねえんだ……バケモンだ。エネルギーシールドみたいなもんを張り巡らせてる。ハジキは役に立たねえ。まずそのシールドに穴を開けなくちゃならん。』
「なにか方法あるの?」
『とにかくエネルギーだ。力技で攻めろ。相手に負荷を与えろ。ひとつだけこちらに有利な点がある。エネミー01はおそらくエルフガインの1/3程度の質量しかない』
「なんとなく分かったよ!」
参考になるのかならないのか分からない説明を受けかえって質問がいくつも浮かんだが、それ以上会話を続けられなかった。エルフガインのまわりを一定の距離を保って回り込んでいたエネミー01が、背後から突然突進してきたのだ。
「エネルギーか!」
自動攻撃モードであればエルフガインは即座に敵のほうに正面を向けたはずだ。だが健太によってコントロールされているいまは、敵に背を向けて立ったまま身動きしなかった。
健太は突進してくる敵を映し出すメインモニターだけに集中した。
エネミー01との相対距離が200メートルを割り込んだところで健太はいきなり方向転換した。しかもただくるりと方向転換したのではない。片足を振り上げ、軸足で駒のように9600トンの図体を回転させたのだ。
次の瞬間、大きく降り出されたエルフガインのつま先が、圧縮された大気の雲を曳きながらエネミー01に衝突した。
「蹴った」久遠が呆然と呟いた。「無茶苦茶な……」
傍目にはそれほど鋭い動きには見えなかったが、振り向きざまにエネミー01を蹴飛ばしたとき、エルフガインの脚部の末端速度はほぼ音速に達していた。
足一本だけで1500トン近い質量がある。
貨物列車百両が同時に衝突したような破裂音。
砕かれ捻りつぶされた金属の悲鳴が轟き、避難の足を止めて高みの見物を決め込んでいた連中は身をすくませた。何㎞も離れているにもかかわらず本能的に身の危険を感じさせるほどの音量だ。巨大ロボットの出現に大喜びしていた人間でさえ「これは思ったよりやばい」と危機感を新たにした。
エネミー01は弾き飛ばされた。砕けた部品をまき散らしながら3㎞ほど宙を飛び、小高い山の頂上に叩きつけられそのまま突っ伏した。
「なんてこと……」島本博士が慄然と呟いた。
さすがの博士も自ら開発したマシンがどう使われるかまでは想像できなかったようだ。あるいは電動マッサージ器が想定外の使い方をされていることに気付いた開発者の心境か。
「けど、いまのはちょっと凄かったんじゃない?エネルギーシールドに包まれた装甲どうしの衝突なら、たしかに打撃を受けたほうのダメージは大きいわ。シールドが相殺されるから」
「ええ……だけど致命傷まではどうか……それよりパイロットは……真琴ちゃんは大丈夫なんですか?」
島本博士は頷いた。「システムドライヴァーはみんな耐衝撃ジェルに包まれてるから、大概の衝撃は耐えられる。でも機体そのものが……」
メインモニター横のステータスボードを見上げた。エルフガインのシルエットを模した図の股間から右足にかけて黄色いアイコンがいくつも灯っていた。油圧ダンパーの破裂、細かいシステムエラー、装甲板のよじれなど故障レポートは多岐にわたっている。
さすがに徒手空拳の格闘戦は無理があるようだ。
「当然そうでしょうね……」久遠はやや残念そうに答えた。蹴る殴るの戦いが可能だというなら、それは面白かろうと思っていたのだが。
エルフガインに回線を開いた。
「坊主、いまの蹴りはなかなかいかしてたが、キックやパンチはなるべく控えろや。機体が壊れちまう」
『た、たしかに……』
おなじシステムステータスは健太のコクピットモニターにも当然表示されている。
それでも「絶対禁止」と言い切らなかったのは、いざとなれば機体など壊してでも勝てば良い、という戦闘のプロらしい考えによるものだ。イージス護衛艦三隻分くらいの値段の機材とは言え、兵器は目的を達成するための道具に過ぎない。後生大事に使いすぎて負けてしまったでは本末転倒だ。
「それじゃどうするか……」
健太は武器セレクターを操作した。各内蔵兵器のコマンドは日本語で表記されているのだが「八七㎜ナントカカントカ」とか「対空誘導なんたら」など、すぐに用途の見当が付かない名称ばかりだ。そんな中で「ロングソード」というのが目に付いた。
そんなもの本当に装備しているんだろうか?半信半疑で右手のトラックボールを押し込み「ロングソード」を選択した。
エルフガインの右手首の付け根、袖の部分から数珠つなぎの白銀がじゃらりと垂れ下がり地面に届いた。白銀を繋ぐ 十二本の単分子繊維が引き締まり、一本の剣となった。
健太は感心した。
「上手い選択だわ……あの剣もエネルギーコーティングされてるから」
久遠はモニターを注視したまま頷いた。
「でも技術的には試作段階も良いところですよ。まともに実験さえしてない」
小山に突っ伏していたエネミー01がふたつの半球を持ち上げ、立ち上がろうとしていた。
健太は剣を構えたまま突進した。
三㎞の距離をわずか十五秒で縮めた。勢いを保ったままエルフガインの右腕を大きく振り上げ、エネミー01の球体面に斬りかかった。だがエネミー01はその瞬間を見計らったように横に動き、なにかストロボのような鋭い光線を浴びせかけた。
モニターの遮光機能が追いつかず健太は目がくらんだ。エルフガインのソードがなにもない山の分水嶺を叩きつけ、5メートルあまり突き刺さった。
「くそったれが!」
健太は涙でにじんだ目を袖でぬぐいながら、エルフガインを敵に向けた。
エネミー01の触手がエルフガインの左腕に絡みついた。エルフガインが左手首をひねって触手の束を掴んだ。
健太は戦闘で逆上せあがった頭の隅で「おや?」と思った。
先ほどからやや違和感を覚え続けていたのだが、健太の操縦は歩く/走る/方向/旋回といったごく単純な入力を行っているに過ぎない。残りの複雑で微妙なニュアンスの動作は、コンピューターが補足しているのだろうか……。
それにしても、あまりにも健太のイメージ通りに動く。
スロットルを引くと、エルフガインは左手に掴んだ触手を引っ張り始めた。取っ組み合いになると機体コントロールシステムが歩行移動系のコマンドから上半身の動きに切り替わるらしい。敵との相対距離によってコマンド入力が変わるのは格闘ゲームのような感じか。
あれこれ考えながらも身体は勝手に動いていた。なんせタコみたいな化け物と取っ組み合いの真っ最中なので必死だ。
エルフガインがちょっと動いただけであたりはもうもうたる粉塵が立ち昇る。これは予想していなかった。
目視だけに頼っていると簡単に目前の敵を見失いそうだ。だからといって視界が晴れるまでじっとしてはいられない。
健太の両足と連動しているサーボ機構付きのフットアシストを踏み込むと、エルフガインがエネミー01の半球面に片足を踏ん張り、触手を何本も引きちぎりながらようやく身体を離した。そのまま後ろ向きにジャンプした……エルフガインの背中と足の裏に仕込まれたジャンプロケットが点火して、9600トンの機体が浮き上がった。
「うおッ!」
一気に高度300メートルまで放り上げられて健太はびびった。
しかし子供の頃に覚え込んでいた反射動作はこんなときも勝手に発揮され、左手はトラックボールを転がして武器をセレクトしていた。
背中の四連装キャノン……バニシングヴァイパーとヤークトヴァイパーに装備されていた大砲だ……が肩口にせり落ち、バイパストリプロトロン粒子を纏った砲弾をエネミー01に叩き込んだ。立ち上がろうとしていた敵がふたたび山の中腹にくずおれた。
ジャンプロケットがふたたび咆吼してエルフガインは地面に――比較的――ふわりと着地した。
『飛び退きざまに一発叩き込むとはやるな坊主!敵はグロッキーだ!だがこれからは距離を取れ。やつは自爆する可能性がある」
「じ、自爆ぅ?」
『よく聞け、チェーンネットをセレクトしろ。そいつを叩き込んでやつを地面に釘付けにしやれ』
健太はただちに言われたとおり武器をセレクトした。
エルフガインが左腕を持ち上げてまっすぐエネミー01に向け、袖の内側からミサイルを発射した。ミサイルは五本の鉄杭に分かれ、回転しながら極細のチェーンネットを展開した。鉄杭はエネミー01の周囲に打ち込まれ、半球ひとつをチェーンネットで覆って地面に釘付けにした。健太はさらに二発のチェーンネットを打ち込んでエネミー01の動きを完全に封じた。
「やったよ!」
『よっしゃ!』
「ンで、次はどうする?」
『メインモニターの視覚モードをニュートロン検出に切り替えろ』
健太がそうするとモニター上の景色が一段暗くなった。
もとより夕闇が迫ろうとしていたが、モニター画面はデジタル補正が施され昼間のようになっている。それが暗褐色のフィルターをかけられたようになり……画面の中心に捉えられたエネミー01は緑色のシルエットとして浮かび上がっていた。
その中心部が白熱したように光り輝いていた。
『見えるよな?やつの一部が光り輝いているだろう?そいつが反応炉……やつの動力源だ。その部分をロングソードで貫け!』
健太はエルフガインを慎重に前進させた。
「爆発したりしない?」
『大丈夫だ。派手な火花が散るだろうが、反応炉をぶっ壊しても誘爆はしない……急げ!』
「うおおおおおっ!」せかされて健太は思わず絶叫した。
エルフガインを走らせてふたたびエネミー01との距離を一気に詰めた。
「うらあッ!」
敵が繰り出してくる触手をソードで薙ぎ払った。
エネミー01は巨大なふたつの半球を高速で回転させはじめた。その半球の縁にはぎざぎざのチェーンソーが仕込まれていて、忌々しいことに健太が放ったネットを切り刻んで自由になろうとしていた。さすがに往生際が悪い。
力任せにソードを振りかざしているうちにだんだんヘタってきた……ソードを保持する単分子繊維の基部が壊れたのだ。ばらばらの白銀に戻ったソードをパージした。
高速回転するチェーンソーが迫ってくる。
「うざってェんだよっ!」
ハニカム構造の球体表面を何度も殴りつけた。だが球体の裏側に生えている触手がショックアブゾバーの役目を果たしているためたいして効かない。
球体の裏側に腕を差し込んで持ち上げた。恐ろしげなチェーンソーが健太の乗る頭部のすぐ側をかすめた。
「ひっくり返っちまえ!」
球体を一気に裏返した。とたんにミサイルの束がエルフガインに叩き込まれた。炸薬の少ない対空ミサイル、それにゼロ距離だったために爆発はそれほどでもなく、エルフガインの装甲はほぼノーダメージだ。
しかしモニターいっぱいに炸裂する爆発を見た健太は、物理的衝撃と共に少なからぬ精神的衝撃を受けていた。
相手に撃たれたのだ。健太を殺そうとする明確な意志で。
拳銃で撃たれた人間もこんなショックを受けるのだろうか……その瞬間健太が感じたのは、思いもよらない理由でだれかに文句を言われたときみたいな、はっとするような驚き……
そして猛烈な苛立ちだった。
血中に大量のアドレナリンが溢れた。
このくそ野郎吹き飛ばしてやる!
それは実際には思考というよりは、言葉にならない白熱した光だった。我を忘れるとはこういうことか。だらだらした高校生活ではついぞ経験したことのない激しい怒りだ。
冷たい怒りに突き動かされるままエルフガインを操り、脆弱な球体の内側を殴り、メカニズムを引きちぎり、さらに殴り続けた。
ゲームと違ってどこが弱点なのか簡単に見当が付かない。それがさらに苛立ちを増幅させた。こいつはどうすれば死ぬんだ!
『坊主、もういいぞ』
静かな声をかけられ健太はぎょっとして我に返った。
ようやくチェーンソーの回転が止まっていることに気付いた。
久遠の声は腹が立つほど平静で、それがかえって良かったのだろう、健太は一気に熱が冷めるのを感じた。
エネミー01は機械のはらわたをさらけ出した残骸に変わっていた。
5
「やったか!」防衛省の地下室でだれかが呟いた。官僚たちが椅子から尻を浮かせ画面に身を乗り出した。
「やっつけたな?そうだろう?」
官僚たちはおお、とため息を漏らし、まばらな拍手が起こった。
天城塔子は黙って画面を見続けている。自衛隊関係者にとってはなにも終了してはいない。
果てしない事後処理、検討会という名の反省会、そして罪のなすりあいが控えている。とくに敵を上陸させてしまったことについてはだれかが重い責任を押しつけられるだろう。
とはいえ、この戦争にはひとつだけ良いことがある。勝敗がじつにはっきりと、迅速にジャッジされるということだ。
「始まった」だれかが呟いた。
モニター画面は停止したエネミー01とその側に立ちすくむエルフガインを捉えていた。破壊された敵機の頭上に光が差し込んだ。カメラが後退して二体のロボットとその周囲まで映した。エルフガインの頭上二〇〇メートルほどの高さに三個の多面体が出現していた。
「うわっ……あれは……UFOなのか?」
夜の帳が落ちようとする空の一遍が突然明るくなり、健太はエルフガインを思わず後退させた。
「なんだ?なにが起こってる?」
『落ち着け、心配ない』
光の中に三個の多面体が浮いていた。ふたつのピラミッドを底辺でくっつけたような形だ。それが三個、大きさはよく分からないが二階建て住宅ぐらいはあるだろう。
「落ち着けったって、なんなのアレ?」
『たぶん……「主審」だろ』
答える久遠の声はためらいと投げやり感が滲んでいた。
主審。メディアが唱えている新しい宇宙人地球飛来説にかならず登場する名前だ。コンビニ売りの本から夏のUFO特番まで、あらゆるところで議論されている異星人の呼び名。
グレイとかレプティリアンなんて宇宙人は、根底にじつは存在なんてしてないという共通認識があるからこそ無邪気にいる/いないの議論ができるものだ。つまり娯楽に過ぎない。「主審」も同系列に語られるべきものであって、実在しているなんて言われても困惑するしかない。
破壊されたエネミー01の残骸から、まばゆくエメラルドの光を放つガラス片のようなものが浮き上がった。
さつきが言った。
「バイパストリプロトロンコアの破片だ……」
その破片が三個の多面体のちょうど中心に掲げられると、ひときわ光が強まって、破片が完全な球体になった。
「カナダのコアが破片に呼応して現れたんだわ……」
島本博士の言葉に、その場にいた誰もが息を呑んだ。あれが本当にカナダから引き寄せられたのなら、瞬間移動ということになる。
球体の輝きが薄れてゆく。
光の減退とともに、表面に四角い模様が浮かび上がった。驚くべきことにそれは国旗だった。カナダ国旗。
バイパストリプロトロンコアの性質はいまだすべて解明されてはいないが、それが生物的性質を有していることは知られていた。コアのそれぞれにDNAと似たような固有波動があり、それがコアの所有者を規定する。ご丁寧にもコアの内部には国旗のビジュアルデータまでが収められているらしく、それでコアの所有先は一目瞭然になってしまう……どの国が勝ち、負けたのかもじつに分かりやすく明示されてしまうわけだ。
コアの表面からカナダ国旗が揺らめいて消え去り、変わって日の丸が現れた。
いまごろ、太平洋に隔てられたかの国では、バイパストリプロトロン反応炉がすべて停止しているはずだ。国内消費電力の九〇パーセントを瞬時に失ったのだ。大停電。
久遠は歯を食いしばり、カナダ全土がパニックに陥る様子を想像した。この戦争は、勝ち負けも明確なら負けた側のペナルティーもはっきりしている。
所有者を変えたコアが、ゆっくり地面に降下し始めた。
「浅倉くん、受け止めてちょうだい」
『りょ、了解』
エルフガインの両腕がコアに差し伸べられた。直径五メートルほどの球体を巨大な鉄(まあ八割は超硬質プラスチックとカーボンコンポジットの塊だが)の拳が受け止めた。
「終わった……」
健太は汗だくの額をぬぐった。全身汗まみれだが、へんてこなスーツのクールドライ機能が働いているおかげで不快ではない。その場にへたり込みたいところだったが、変型したパイロットシートにくくりつけられなかば宙づりとなっていてはそうも行かない。
『浅倉くん……無事ね?』
「え?博士……はい、なんとか……」
そこで健太はずっと忘れていたことを突如思いだした。
エルフガインに乗っているのは健太ひとりではない。
「そっそうだ!若槻先生は無事なんですか!?ほかの……髙荷は……?」
「あなたより元気だから安心しなさい」
そう言われても気が気ではない。オンライン回線をチェックしてぎょっとした。ずっと繋がっていたのだ。なんで戦っているあいだみんな黙っていたんだ?髙荷あたりは口汚く罵りそうだったのに……礼子先生だって悲鳴ひとつあげなかった。黙り込んだ健太の疑念を感じ取ったか、島本博士が続けた。
「あなた以外の四人は、合体後は耐圧ジェルが充填されたカプセルの中に封じ込められてた……だからたとえゼロ距離で原爆が爆発しても大丈夫だったの。じつのところ、エー……彼女たちは戦闘中、エルフガインを動作させる重要な役割を担っていたのよ。きわめて繊細な動作入力をシステムに伝えるという、大切な役割よ。なんでだれもひと言も喋らなかったのか不思議に思った?それはみんな眠ってたからよ……エルフガインを円滑に動かすために脳を使わなければならないから」
「それってつまり……先生たちは、部品みたいなものだっての……?」
なるべく穏便な説明を心がけたつもりだったが、健太は本質をずばり捉えていた。声に幾ばくか嫌悪感が滲んでいた。
「まあ……そうね」さつきはしぶしぶ認めた。
弁解口調で続けた。「近いうちにシステムドライヴァーも意識を保ち続けられるようにする予定だけど、いまのところあなた以外はみんな眠ってたの」
想像してたよりシビアなメカなんだ……。
健太は改めて疲労感を覚えた。本物の死闘に打ち勝ったという実感が沸いてきた。
アドレナリンを燃焼し尽くした身体が虚脱状態に陥りかけていた。
「それはともかく」健太はぼんやり水分補給用のストローでもないかと辺りを見回しながら言った。「このロボからどうやって降りるのか知ってる?」
エルフガインが山の中腹の巨大な穴に収容されてゆく。分割されたメインモニターがその様子をさまざまな視点から捉えていた。
土台がしっかりしていない建造物を特大のエレベーターで地下に降ろすのだ。普通の土木作業であれば数日かかりそうだが、建造物自体が勝手に歩いてバランスをとり続けるので、非常に手早いが、そのぶん危険な作業になる。マスコミがだんだん大胆になって距離を詰めてきたので急がなければならなかった。
「ぶざまな戦いだったけど、とりあえず勝てて良かった」
「結果オーライですよ。次の出撃ではもう少しましになりますよ」
「健太くんたちを鍛えてくれる?」
「やりますよ」そして付け加えた。「面倒くさいけど」
「よろしくね。さて……それでは戦士たちをちょっと出迎えてこようかしら」
広大な地下基地の中央では大勢の作業員が走り回っていた。特大のガントリーがエルフガインに取り付き、所定の位置に固定していた。
全高80メートルのロボットはたとえ静止していてもきわめて不安定な物体だ。わざとそういうふうに設計されているのだ。でないとろくに歩くこともできなくなる。
関節のモーターが止まって油圧が落ちていても、独立構造の各部はゆらゆら揺れ動いている。完全に固定されるまでは二百メートル以内は接近禁止だ。基地が異様に広いのはそうした理由のためだった。
固定作業が終わると、天井近くのやぐらがゆっくり移動しながら放水して、エルフガインの表面を洗い流した。
警戒態勢が解かれた次第、丸一日かけて合体を解く作業が始まる。果てしない点検作業だ。
エルフガインは戦闘兵器としては艦船に近い耐久性をもつ。つまり航空機のように数時間動かすたびに総点検せずとも稼働させられる。理論的には三百時間ぶっ続けで作戦行動可能だ……もちろんパイロットのほうはそんな長時間耐えられないのだが、作戦地域までの移動など単純動作なら無人のリモートコントロールでもなんとかなる。だから帰投のたびに念入りに点検する必要はかならずしもないのだが、どのみち規則でやることになっている。まこと日本人気質と言えた。
とはいえ現在はまだ警戒中であり、まずは修理と応急処置が優先される。
放水が終わると、マシンの各部から黄色い雨ガッパと安全ヘルメット姿が現れた。水が滴り落ちる機体から小走りで離れ、待機していた作業員に出迎えられた。拍手と歓声、そして肩をどやされながら、ガントリー脇のエレベーターに乗った。
変わって安全距離に待機していた修理要員が一斉に動き出した。何度もパンチを繰り出しマニピュレーターは拳を握ったまま動かなくなっているし、股関節も相当ダメージを受けていた。
「補給はどうすべきかしらね……」
「余裕はありそうですから応急処置を先に済ませましょう。同時にやると予期せぬアクシデントが起こりますから。なにもかも初めてづくしだから、無理は禁物です」
「そうね……」
健太たちパイロットが地上レベルに降り立った。すぐさつきたちの姿を認め、こちらに歩いてきた。そのうちの一人、若槻礼子が一人抜け出して小走りに近寄ってきた。
「ひと悶着ありそうだ」久遠が呟き、一歩後退した。
「島本博士!」
「はいはい、よくやってくれたわね……」
「とぼけたこと言わないで!いったいわたしになにをさせたのよ!冗談じゃないわ……!」
「とぼけていませんよ。あなたの適性は見抜いていたわ」
健太は途方に暮れていた。なにが何だか分からないうちに事態は終わっていた。だというのに若槻先生がいつもの温厚な態度をかなぐり捨てて腹を立てている。
(まあ無理もないけど……)
「ねえねえ」
二の腕をうしろからつつかれて健太は振り返った。まるっきり子供らしい女の子がいた。健太とおなじデザインのパイロットスーツを着ているからにはエルフガインのパイロットと思われた。
髙荷マリアは離れたところに退屈そうに突っ立っている。もう一人、やはり年下と思える女の子がいる。
エルフガインのパイロットは健太以外全員女性なのか。
(なんてこった!)
「ねえ、自己紹介。わたしは近衛実奈。浅倉健太くんでしょ?」
「ああ、うん……」
「浅倉さん、初めまして」
近衛実奈より少し年上と思われるショートボブの女の子が丁寧にお辞儀した。
「二階堂真琴です。よろしく」
「実奈もよろしくね~」
「お、おう!」健太はまごついた。年下の女の子なんてどう接すればいいのかまったく分からない。
やり合っている女性ふたりを避けて久遠がやってきた。
「おまえさんたち、よく頑張ったな。実奈ちゃんも二階堂さんも、髙荷もな」
髙荷がようやく口を開いた。
「もう解散していい?ミーティングはひと息ついてからで構わないでしょう?」
「ああ」久遠はちらりと島本博士のほうを伺った。「……いいよ。お疲れ様」
「実奈ちゃん、真琴ちゃん、行こう」
「うん!クリームソーダ飲もう!」
解散と言われても健太はどうしたらいいのか見当も付かない。所在なくその場を去ろうとしたら、久遠に肩を掴まれた。
「おっと、おまえさんはもうちょい待ってくんな。あと……」ふたたび島本博士の様子を見ると、顔を真っ赤にした礼子が足早に立ち去るところだった。
「あーあ、行っちゃったか……」久遠は短く刈り込んだ頭を搔いた。
さつきは久遠に向かって悪びれた様子もなく肩をすくめた。
「怒ってるようッすね」
さつきは白衣のポケットに両手を突っ込んでのんびり健太の傍らに歩いてきた。
「まあ少し様子を見ましょう。……浅倉くん、お疲れ様。初陣なのになかなかだわ」
「そりゃどうも」だまし同然で健太を巻き込んだ相手の賞賛を素直に受けられず、健太は素っ気なく応じた。
「さっそくなんだけど、あなたが倒したエネミー01のパイロット、無事だったみたいよ。そろそろ連行されてくる頃だけど、見に行く?」
「えっ……」ついさっき、激昂してめちゃくちゃに破壊した敵ロボットをまざまざと思いだした。
あの破壊でパイロットが無事だったとは。いやそもそも人間が乗っていたなんて考えもしなかった……。
健太はなんとなくホッとしている自分に気付いた。さつきに向かって頷いた。
「見たいです」
さつきは口元を大きく笑み拡げた。「勇気あるじゃないの。それじゃ、久遠くん?」
「こっちです」
健太たちが案内された部屋には窓が無く薄暗かった。
壁の一面に一枚ガラスがはまり、その奥にあるもうひとつの部屋が見えた。刑事物ドラマでよくある、尋問部屋のようだった。
ガラスはおそらくマジックミラーで、明るい向こう側からは鏡に見えるのだろう。その向こう側の部屋にはテーブルとパイプ椅子が四つ。パイプ椅子のうち三脚に大柄な男性が座っていた。
男たちは白人ふたりと黒人ひとり、いずれも坊主頭で、座っていても肩幅が広く大柄に見えた。迷彩服の上着のすそをズボンにたくし込んでおらず、ボタンも外していた。
あとで知ったことだが彼らは金属製品やベルト、紐のたぐいをすべて取り上げられていたのだ。みな仏頂面でテーブルを指先でとんとん叩いたり、ペットボトルの水を飲んだりしている。いかにも軍人……しかも敗軍の兵らしい。
健太が尋ねた。「あのガイジンが、敵?」
「そうだ」
たしかにわざわざ日本までやってきて戦闘をふっかけたのだから、ああいう軍人が乗っていたと言われれば納得するしかない……だがなんとなく意外でもあった。
「どこの誰なの?なんで攻撃してきたんだ?」
「あいつらはカナダ陸軍の兵隊だ。少なくともそう名乗った。言ったのはそれだけのようだが」
「カナダ?おれカナダのロボットと戦ったの?」健太は我が耳を疑った。「なんでカナダ?」
久遠がちらりと健太を見た。「オレが知りたいくらいだよ」
島本博士が護衛もつけずひとりで尋問部屋に入ってきた。両手をポケットに突っ込み緊張した様子もない。兵隊たちになにか話しかけているが、英語なので健太にはなにを言っているのかさっぱりだ。
カナダ人たちは立ち上がりもせず、博士のほうに無感情な顔を向けているだけだ。誰も喋らない。
「博士はなんて言ってるの?」
「おまえあの程度の英語も分からんのか?」
健太は恥ずかしそうに言った。「日本のこーこーせいは普通分かんないんだよ」
「そういやそうだったけ……博士はな、あの兵隊たちに、おまえたちの国はもう降伏したんだから、兵隊としての義務は果たした。我々に協力しろと言ってるんだ」
「カナダが日本に降伏した?」
「まあじつはまだなんだが……数日後にはそうなる……」
久遠が言葉を途切れさせ、博士の言葉に注視した。「おいおい博士……」
「なに?博士なんて言ってるんだ?」
「おまえたちカナダ軍を倒したパイロットに会わせてあげようかって言ってるんだ!」
「え?ってそれオレのこと?」
「まあおまえもそのひとりだな……」
「おれもって……あのまさか女の子たちを対面させようってんじゃないよね?」
「そのまさかだと思うな」
「英語分かんないのに」
「それは心配ない」
五分ほど過ぎると、健太たちの部屋に二階堂真琴と近衛実奈がやってきた。寄りによって年下ふたりか!実奈ちゃんは手にクリームソーダを持ち、柄の長いスプーンでアイスクリームを食べていた。
「わーおっかなそうな兵隊さん」
「無茶だ!やめたほうがいいよ……」
「はやく挨拶しよーよ」
「実奈ちゃん!やばいって!二階堂さんもさ……」
真琴は首を振った。
「いいえ浅倉さん、相手をしっかり見据えることも必要です」
真琴の毅然とした答えに健太は困惑した。ふたりともなぜかあのでっかい兵隊を恐れていない。
となれば、健太もおろおろしてばかりいられない。内心「オレ馬鹿だな」と思った。(でも時には虚勢を張らなくちゃならないこともある)
「博士が呼んでますよ」真琴が言った。見ると、さつきがこちらにさりげなく視線をよこして頷いていた。
「あの……ちゃんと安全措置みたいなのは施されてるんだよね?」
久遠は複雑な笑みを浮かべて「まあな」と言った。
実奈が廊下に出て隣の部屋のドアをノックした。健太たちもあとに続いた。実奈は返事も待たずにドアを開け中に足を踏み入れた。
三人の兵隊が憮然とした恐ろしげな顔でこちらに注目していた。その圧力で健太は腰が引けてきた。しかし立場上実奈や真琴のうしろに控えるなんて出来ない。
島本博士が壁により掛かり、兵隊たちに何ごとか話しかけていた。やはりあとで聞いたのだが、だいたいこんな会話が交わされていたのだ。
「この子たちがあんたたちを倒したパイロットよ」
「……ジーザス」黒人が呻いた。「ガキじゃねえか」
「あんたたちと同じく適性者なの。わたしたちの複雑なロボット兵器……エルフガインを動かすのに必要な」
坊主頭の白人ふたりは兄弟――というか双子のようだった。目鼻立ちがそっくりおなじだ。無言のまま、酷薄そうな薄青い眼で健太たちを見据えていた。その双子のかたほうが言った。「呪われた悪魔ども……アサクラの発明品を使ってるんだな」
「悪魔はどっちなのかなおっさん。あんた罪のない一般人を何百人も殺したんだよ」
実奈が流ちょうな英語で応じ、健太はたじろいだ。
ひょっとして喋れないのおれだけ!?
次の瞬間に起きた出来事は健太にはほとんど理解不能だった。
白人の双子が突然椅子を蹴って立ち上がり、健太に向かって襲いかかってきた。あまりにも恐ろしい光景で健太は声を出す暇さえなくその場に竦んでいた。
健太の両脇から実奈と真琴が素早く躍り出た。
真琴は大柄な白人の両腕を避けるように低く突進してその懐に飛び込み、男の股間に肘打ちを食らわせた。男が「ぎゃっ」と短く呻いた。それでも真琴に掴みかかろうと身体をひねった。真琴は床に転がりながら、いつの間にか手にした小刀を一閃した。男は踵の腱を断ち切られていた。突然からだが支えられなくなって無様によろめき、その場に尻餅をついた。
真琴は男の背中に膝を突いて両腕を揃えるとその上に片膝を置き、もうかたほうの膝を男のこめかみに当てて押さえ込み、その首筋に小刀を当てた。
「アキレス腱切りやがったな!くそったれ!」
「動いたら首も切ります」
「おまえなんなんだ?ニンジャか!?」
いっぽう、実奈は持っていたクリームソーダをもうひとりの男の顔に投げつけていた。ほんの一瞬ながら男の殺気を殺ぐには充分だった。
男は両腕を振りかざして威嚇する熊のような格好のまま、身動きできなくなっていた。
「ぐっ……」
男の顔に汗が噴き出していた。歯を食いしばり、渾身の力を振り絞って動こうとしている。
だが動けない。
実奈は両手を後ろに組んでのんびりした足取りで男に近づいた。
「どうする~?」言いながら男のまわりを歩いていた。
男は呼吸ができないように見えた。
久遠もいつの間にか拳銃を両手で構え、まっすぐ黒人に狙いをつけていた。
(シグ・ザウエルだ)健太はどうでもいいことを思った。(実弾……?)
誰かが他人に銃を向けるなど映画の中だけの話だ。実際に目の前でおなじ光景が繰り広げられると衝撃的だった。
黒人は座ったまま両腕をあげていた。
「よせ、おれは関係ない。なにもしない」努めて落ち着いた声で言った。
「どうかな。おまえもCIAじゃないか?」
「ヘイ!おれはマジでカナダ陸軍中尉だよ。それにおれにも小さなガキがふたりいるんだ。子供に手は出さない」
「信じてやる。だがしばらく手は上げたままで」
「実奈ちゃん」島本博士が異様に穏やかな声で呼びかけていた。「テイラー大尉が死んでしまう」
実奈はちらりと島本博士に不満げな顔を向けたが、そのうちに男が「ぐはッ!」と喘ぎながらよろめき、その場に這いつくばった。
「ごめんなさいね」博士がポケットから手錠を二丁取り出し、ひとつを真琴に放ってよこした。ふたりともじつに手際よく双子に手錠をかけた。
健太はようやく口を開いた。「あ・安全だって言ったろ!?」
「安全だったじゃねえか」まだ両手で銃を持ったまま久遠が答えた。「もう行っていいぞ……それから救護班を寄越すように言ってくれ」
カナダの兵隊たちの姿が見えないところまで来ると、健太はようやくホッとひと息ついた。大きな食堂かカフェラウンジみたいな場所で、大勢の職員が食事していた。
(そういえば夕飯の時間か)
驚いたことに、教室で補習していたときからまだ三時間半しか経過していない。ひどく遠い昔のことのように思えた。
「どうだった?浅倉くん」
「どうって……なんだか変な感じですよ」
「混乱しているようね。無理もないけれど」
「あいつらなんで襲いかかってきたんですか?もう決着は着いてるのに」
「あの双子はおそらくカナダの兵隊を装ったCIAの殺し屋でしょう……エルフガインのパイロットを殺せばあとあと有利になると判断したのよ」
殺す……。
おれ殺されるところだったのか!?遅まきながら健太は愕然とした。この世に生まれて十六年ちょっと、面と向かった誰かに殺されそうになった経験は初めてだ。
これが兵隊ってもんか。胸中に嫌な感覚が広がる。普通に暮らしていれば一生縁のない感覚だ。エルフガインに乗ってやるかやられるかの対決を繰り広げていたときとも違う、生々しい嫌悪感だ。あの白人が襲いかかってきたときのしたり顔を思いだし、健太は顔をしかめた。
隣のテーブルで真琴と実奈が新しく注いだジュースを飲みながら談笑していた。あんなことがあったばかりなのにケロリとしている。あの子たちは健太とは違う。殺されかかったのはむしろあの双子の白人だった。実奈に至っては明らかに超能力を使っていた……。
おれはいったい何に巻き込まれちゃったんだ?
「島本博士……おれぜんぜん分かんないんですけど、いったいなにが始まったのやら」
「そう?明白だと思うけどなあ……戦争が始まったのよ」
「戦争って……あれが?なんでカナダのロボと戦うんですか?」
「カナダだけじゃない」
「それじゃあなにと戦うんです?」
「全世界よ」
「え……」
「世界中が敵。あなたはこれから地球上の名だたる国を相手に戦うことになる」
「そんな……」健太は弱々しく引きつった笑みを浮かべた。「無茶な」
「無茶なのはたしかだけど戦ってわたしたちが勝利しないと地球は滅ぶ。あなたがおじいさんになるまでに確実に滅亡するの」
「マジで……?」
「確実に」
「それじゃおれ、戦い続けなきゃならないのか……?」
さつきは健太の肩をぽんと叩いた。
「ご飯食べて休みなさい。空きっ腹でくよくよ考えても良いことなんかない。一晩眠って、それから今後のことを考えましょ」さつきはテーブルに片手を着いて立ち上がった。だいぶくたびれているように見えた。それで、健太も自分がだいぶ疲れていることに気付いた。さつきが立ち去ると、健太は椅子にもたれて溜息をついた。
「浅倉さん」
名前を呼ばれて首を巡らせると、真琴が健太に穏やかな笑顔を向けていた。
「えーと……二階堂さん」
「なにか飲み物持ってきましょうか?」
「ああ、えー……」健太は辺りを見回した。セルフサービスの食堂だった。「いや、ちょっと休んだらメシ食べるから。ここで食べて良いんだよね?」
「ええ、券売機で食券を選んで……でもお金はいりません。……今日は大変でしたね。でも浅倉さんのおかげで勝てました」言葉を途切れさせないよう気を遣っているのを感じた。おなじチームに属しているもの同士なのだから、なるべく早く仲良しになりたいと思っているのか。健太は一度に大勢の知り合いを作るのは苦手だったが、年下の女の子の真摯な気持ちには応えなくてはと思った。
「いや、こっちこそ……さっき助けてくれたろ?すごい強いんだね。ありがとう」
「どういたしまして」真琴はにっこり笑ってこくりと頷いた。つまらない謙遜をすることなく自分の能力に対する賛辞を素直に受け止める。自分にある程度自身があるからこそ自然体で振る舞えるのだろう。
「実奈だって助けてあげたでしょ~?」横から実奈ちゃんが身を乗り出してきた。
「ああ、うん、ありがと……」
「実奈エスパーなんだよ。すごいでしょ?」じつにあっけらかんとした口調でものすごいことを言ってのけた。
「や、やっぱあれそうなの?」なんと言うべきやら見当も付かず途方に暮れた。実奈は健太の反応を伺っているように見えた。「エスパーの知り合いは初めてなんだ。なんか格好いいな」
「何それ格好いいって」実奈は笑った。「あの双子のお兄さんたちもそうだから。テレパシストっていうの?だから博士はわざと対決させたわけ」
「あいつらが襲いかかってくるって分かってて!?ひでえ話だな……」
「ひどいよね~?人使い荒いんだもん。クリームソーダ飲むあいだくらい待ってほしいよ」
「仕方ないんです。何もかも慌ただしい状況ですから、手段を選んでいる暇がないんでしょう」
なんと落ち着いた見解なのだろう。右も左も分からずまごついているのは健太だけのようだ。なんとなく話題を変えるつもりで尋ねた。
「ああそういえば、ふたりとも英語ぺらぺらなんだ。すげえなあ……」
「あたしも喋れるけど」
背後の声に健太は驚いて振り返った。
「髙荷さん」
「マリアお姉ちゃん」
そう、髙荷マリアだ。健太にたいして素っ気ない態度なのは真琴も実奈も気づいているから、ふたりとも口をつぐんでしまった。健太は内心舌打ちした。せっかく会話が弾んでたのに。
「よ、よう……」
「あんた……まだ居座るの?」
健太は頷いた。
「やれると思ってるの?」
「やってみるさ!」
「気楽に言ってくれる……」
そう言い捨てて髙荷はきびすを返し、向こうに行ってしまった。
健太は忌々しげに溜息をついた。「なんで突っかかってくるかな」
真琴が応えた。
「髙荷さんは……浅倉さんの前任の人と親しかったから……」
「前任?ストライクヴァイパーの?」
「そうだよ、御堂さくらお姉ちゃん。自衛隊から来たの」
「御堂隊長は長い間わたしたちを率いてくださったんです。自衛隊のほかの人たちがわたしたちを邪魔者扱いしても、隊長だけは違いました。でも三ヶ月前事故に遭われて……引退しました。わたしたちみんな隊長にお世話になりましたけど、髙荷さんは実のお姉さんみたいに慕っていましたから……」
「それでおれのことを邪険に思ってると?」
「そうかもしれません……それに、島本博士はもともと浅倉さんを第一候補として前々から念頭に置いていた節がありました。そのこともお気に召さなかったようですね……」
「そうなんだ……」
事情はなんとなく分かったものの、健太自身に落ち度があるとは言えない。
(逆恨みもいいところだ)
とはいえ健太はあくまで呑気な性格だ。
(ガッコでいちばん美人の女生徒に恨まれるってのも、それはそれで乙かもしれんな……言うなればツンデレのデレ抜きだな)
だがそれは健太にとって、果てしない女難の幕開けに過ぎなかった。