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終末ロボ エルフガイン  作者: さからいようし
ゲーム 第3ラウンド
18/37

第18話 『胎動』

 第三部開幕!

 健太たちエルフガインチームの日常回ですが、いままででいちばんSFに振った話になります。

 とてつもなく長かった夏休みが終わった。

 だが終わってしまうときは素っ気なく終わってしまうものだ。健太がちゃんとした夏休みらしく一日じゅう無為に過ごせたのは最後の4日間だけ。その4日間は無慈悲にも体感時間1.5日くらいの早さで経過した。

 そのうち一日はマリーア・ストラディバリ嬢のお別れ会に費やされた。彼女はイタリアに帰るのだ。

 ほんのわずかな期間イタリアはフランスに併合され、現在は日本の同盟国となった……というか、なる予定だ。しかしいま現在は、とにかくなにもかもが混乱していて、彼女は母国の混乱を看過できないのだ。ヨーロッパじゅうが大なり小なりそんな状態で、そしてどの国も日本に従うことに露骨な難色を示していた。ロシアを含めた欧州会議は揉めるだろう。

 「少なくともイタリアは味方よ。わたしもパドレを説得するつもり。他の国は知らないけれど、フランスとドイツ人たちには対岸のイギリスの相手をさせとけばいいと思うわ」

 「なるほど」

 マリーアの言葉に天城三佐が頷いた。イギリスはいまだにアメリカの同盟国で、仏独伊露共通の敵となった。

 日本政府は相変わらず及び腰だが、そんな態度だからこそ欧州は従うことを拒否する。しかし仮に強硬路線に舵を取っても市民レベルの反発を買うだけだろう。ヨーロッパが反日レジスタンスで溢れることは日本の誰も望んでいない。地勢的にいって欧州を「支配」するうまみは日本にはなく、だからといって無視されるのは我慢ならないという国ばかりなので、今後の大きな外交課題となるだろう。



 そうして二学期が始まり、少なくとも健太の周囲では九月最初の週が何ごともなく過ぎた。

 しかし実際には、世界は緩やかに身をよじり、さらなる変化の兆しを示し始めていた。

 日本に限って言えば、きっかけはあの未成年者一斉検挙だ。

 他愛ない理由で勾留され、キャンプ送りになった全国数万人の若者は、自由になったいまでも腹を立て続けていた。程度の差はあれ、それで人生を台無しにされたものは少なくなかった。その怒りは親族や友人を通じてじんわりと社会に浸透していった。


 ひと昔まえ、十年代の日本ではピラミッドの上部に位置する階層の不始末がたて続いて、弛緩した社会に蔓延する無自覚、無責任に辟易した市民レベルからついに「上級市民」という侮蔑語が飛び出すにいたった。

 それはおそらく、深刻な社会主義革命運動に繋がる産声であったはずだ。他国であれば暴動や大規模デモに発展してもおかしくないほどの地殻エネルギーが溜まっていたのだが、その主役である日本の怒れる底辺層はどうしたことか、保守傾向に傾いていた。

 それは理不尽な要求を突きつけてきた周辺国、底抜けに愚かな野党のせいでもあったが、なによりもその頃の主として若い男性のあいだで「なにか大きな事を成すまでは何色にも染まりたくない」という、一種独特な思考が蔓延っていたせいだった。理想のカノジョができるまで女の子と仲良くなりたくない。かっこよくギターが弾きたいけど本気出してるみたいに見られたら恥ずかしいから練習はしない。

 失敗が怖いからなにもしたくない。

 一時期おおぜいの自宅警備員を産んだ思考の神髄がそれだ。

 結果として彼らの世界はキーボードに手が届く範囲に限定されたが、不幸なことにそれで事足りていた。彼らはネット掲示板に集団自我を作り出し、メディアで報じられるありとあらゆる出来事をあげつらった。もっともらしい小利口な意見を書き込んだり嘲笑することによって社会参画している気になれたし、自尊心を維持して尊大な方向に強化することもできた。そうやって安全地帯に閉じこもっていれば精神力は痩せ衰えてゆく。心が弱くなれば安定した大きな力を求めるから、保守傾向にならざるをえない。当の保守政党が新税を次々打ち出して格差社会を強化して彼らを苛めているにもかかわらず、そのありさまだった。

 その後新エネルギー革命によって経済が奇跡的に立ち直ったため適度のガス抜きがなされた。しかし活発化した社会は自堕落な人間を精神的に追い詰めていた。外に眼を向ければアジアの厄介な国は崩壊して経済負担も軽減され、軌道エレベーターが実現しようとしている。「おれもなにかしなくちゃヤバイ」という前向きな危機感が芽生えはじめていた。一斉検挙事件はその意識を加速させた。


 登校した健太もまたその微妙な空気を感じ取っていた。校内ただひとりの逮捕者であったなら、うしろゆびを指され、いずれ不登校に追いやられていたかもしれない。しかし校内の逮捕者は5人いて、それだけの人数がいれば「逮捕者」の烙印も一種のステータスとなる。クラスの同情を集めるのも容易で、怒りや侮蔑の矛先は自然と手近な大人……教師に向く。

 健太自身はもともとエルフガインのパイロットという特殊なステータスホルダーだったし、多少浮いても気にならないおおざっぱな性格も手伝って、ふたたびクラスに戻るのはたやすいことだ(しかもクラスメイトにとって浅倉健太とは、巨大ロボ操縦者でも逮捕者でもなく、金髪美女にチューされたやつ、だった……県立普通科中堅校のスクールカーストとはその程度のものだった)。


 漫研部員の国元廉次はもう少し苦労したものの、健太と、髙荷マリアが(脅迫込みで)フォローしたため、陰湿なイジメの餌食となることは回避できた。

 その廉次はキャンプから解放された数日後、ちゃっかり同人誌即売会に参加していた。放課後の漫研の席で廉次はそう健太に告げたが、話を聞けば「無事参加できた」というものではないらしかった。同人友達は当初よそよそしく、廉次自身も大好物を無邪気に楽しめなくなっている自分に気付いた。しかも真夏の有明や秋葉原にも怒れる若者が大勢いたというのだ。

 「政治ネタの同人誌売ってるんだぜ?見ろよ」

 呆れてるわりにしっかり購入してきたらしいその本を健太はパラ読みした。

 政治ネタと言っても、鎖国政策で在日外国人が国外退去させられる前までは元気だったサヨク系とは様子が違っているようだ。ネット情報に耽溺した連中が胡散臭がるおなじみの露骨な誘導や野暮なアジはなく、むしろいつもの調子で自虐と日常系とエロネタのアニパロ本だが、与野党分け隔てなく実名の政治家がそこかしこでネタにされていた。ギャグマンガだが、根底にはふつふつとした怒りがあった。

 「へー、ムショ仲間でアニソンオフ会したよ!だって」

 「おれらとおんなじ目にあわされたやつ、結構いたみたいだよ」

 「おまえまで逮捕されたくらいだからなあ」

 漠然とだが、なにかが変わってしまったのが健太にも感じられた。

 高校二年生には言い表すことはできなかったが、それは政治家がマンガを読んでいるとアピールしただけで浮動層を取り込めた、チョロい時代の終焉なのだった。

 「じつはおれさあ、あの群馬の柔道部とも連絡とってんだよね……このまえ電話かかってきてよ」

 「へえ?そうなんだ。あいつなんてったっけ……なか……」

 「中谷。柔道部に戻れたらしいよ。おまえんこと心配してた」

 「そっか……」心配してくれるダチの名前を失念していたことに密かに恥じいりつつ言った。「無事だって伝えてくれた?」

 「そりゃ知ってんだろ。ニュースでいっぱいやってたんだから」

 ムショ仲間とは大げさだが、妙な絆を感じるのはたしかだ。しかしそれをファッション化して偉そうに胸を張るのも恥ずかしい。というのは学食で実際にそうしている3年生を見たからだが……。とくに健太にはその筋の身内がいるので、あのキャンプ程度でムショ帰りなんて称したらどれほど面白がられることか。

 それはともかく、あの体育会系が漫研部員の廉次と交友を温めていたとは、ちょっと意外だ。いずれ抗議デモかなにかに誘われやしないか……なぜかそんな気がした。

 「エルフガイン本は売れたん?」話題を変えたくて健太は尋ねた。

 廉次はその質問にニヤリとした。「めでたく完売だぜイェーイ!」こぶしを突き上げて叫ぶと、教室にいた漫研部員が「イェーイ!」と応じた。「オー!」健太も拍手した。それほど目立たなかった廉次がいつのまにか漫研の中心人物になったようだ。

 「それスゲーじゃん。おれになんかおごってくれてもいいよ?」

 「なにを仰るウサギさん!なけなしの部費で刷った本の売り上げを私的流用するのはダメッしょ……あ、そうそう。エルフガインと言えば浅倉、あの山ン中のホテルでおまえに抱きついたおにゃのこ……」

 「え?それは深く追求すんなよ……また髙荷に壁ドンされっぞ?」

 「やだね!髙荷や礼子先生の件は箝口令に従ったんだからそれくらい教えろや!」

 健太は溜息をついて言った。「名前は真琴ちゃん……中三だ」

 「やっぱJCかよてめェそれ犯罪だろ!それでそれで?」

 「ダメ、それしか言えない」

 「ケチー!」

 「まじでやめとけって!あの子のお兄ちゃんは、とても恐ろしいんだぞ……」

 そのとき教室の戸が開き、健太たちはそちらにちらりと顔を向けた。入口の枠に両手を引っかけて教室を覗き込む背の高い男性が見えた。いちばん近くの机に座っていた女子が思わず立ち上がってその来訪者に話しかけた。

 「あの~なにかご用ですか?」

 年の頃は20代前半に見えるその男性は、ものすごいハンサムだった。ぴっちりしたブラックのTシャツとサマージャケットにスリムジーンズ姿で、県立高の漫研に用があるようには見えなかったが、即座に教室にいた女の子全員の注目を集めた。

 「浅倉健太さんを捜しています」声優ばりのよく通る声でそう言った。

 「ファ?」

 全員の眼が健太とその男性を往復した。健太がのろのろと立ち上がって「エー、おれですけど……」と答えると、男性は大きな笑みを浮かべて叫んだ。

 「あなたがお父さん!」

 漫研部員全員が健太を凝視した。廉次が呟いた。「お父さんだと……?」

 健太はおもいきり顔をしかめて後じさった。

 (どうしてそうなる!?)

 


 西日本では日中30℃越えという残暑が続くなか、島本さつきはは山陰、出雲の山間を訪れていた。

 宍道湖(しんじこ)畔の空港エントランスには健太の父、松坂耕介が待っていた。

 「久しぶり」

 耕介はデスメタルバンドの派手なTシャツに膝丈のジーンズ、素足にサンダルというラフな恰好で、寄りかかっていたレンタカーからサッと立つと、さつきの手荷物を受け取った。

 「ご無沙汰、さつきさん。暑くないか?」レンタカーのトランクに荷物を置きながら、さつきの白衣をしげしげと眺めて耕介は言った。

 「べつに。さっそく出発しましょう」

 「了解」

 曲がりくねった山裾の二車線道を東南に向かって1時間ほど。うねうねと連なる山々と川岸のわずかな平地にまばらな民家、という日本のどこにでもある風景を眺めつつ車を走らせた。

 「悪いわね。久遠くんはエルフガインコマンドに詰めてなきゃならなかったから」

 「この仕事って塔子ちゃんの役割なんでは?」

 「天城三佐は超多忙だから。それにこの視察はわたしの専門分野なので。護衛役引き受けていただいて感謝するわ」

 「いや、おれ暇だから」

 さつきは運転する耕介の横顔をちらっと見た。

 「暇なら健太くんに会ってあげれば?」

 「え?あいつ思春期の危機でも迎えてるのかな?」

 「いいえ、素直な良い子よ」

 「パパが必要なら行くけど、いまさら親父面するのアレだし……」

 さつきは失笑して顔を窓に背けた。「お父さんもお母さんも変人なのに、よくあれだけまともに育ったわよねえ」

 やがて行き交う車もなくなり、人の住む気配もなくなった。

 「ど田舎だ。なんでこんな所に用がある?」

 「もうすぐ分かるわよ」

 やがて、山裾ぞいのカーブを回りきると、突然小綺麗な市街地が出現した。

 突如としてひらけた風景に耕介は目を見張った。ひとめ見て、高崎あたりの地方都市よりも発展しているのが見て取れる。

 耕介は往来のない道路上に車を止め、窓からじっくり眺めた。

 街の中央には巨大ショッピングモールに似た高さ5階建ての建物が4棟並んでいた。白い壁にはいくつかの企業ロゴが大書きされている。見かけは立派でもどこか閑散とした新都心とはちがって、街全体から遊園地の喧噪に似た賑やかさがが「ゴー」という唸りとなって伝わってきた。

 「すごいな……ここ本当に日本か?」

 「浅倉さんが作った未来都市よ」

 耕介はさつきの横顔を見た。

 道路は商店街に続いていた。3年前まで人口1800人の過疎村だったとは思えない。あまりにも急速に発展したため住所ははいまだに「末宮村」だった。

 「こんな場所がいままで知られていなかったとは驚きだ」

 「たいがいの日本人は上野のほかにもパンダがいることさえ知らないわ」

 真新しい三階建ての末宮村役場の表に車を止めた。村というだけあってこぢんまりした建物だが、この都市の規模からすると小さすぎる。

 そこにたどり着くわずか10分のあいだに、耕介は奇妙なものをいくつも目にしていた。バスの代わりに白線の上を走るトラムが運行していた。自家用車の数は少なかったが、専用道路を行き交う人力車がたくさん走っていた。といっても車を引く車夫の姿は見あたらず、自転車のタイヤ2本で走る二人乗りのカゴだけが客を乗せて走っている。人口はおよそ13万人。多くは都市部から移住してきた人間で、都会の風俗も持ち込まれたようだ。平日の昼間だというのに街をぶらぶらしている人間が大勢いた。

 駐車場に車を置いて役場の玄関ロビーに踏み込むと、黒い肌の小柄な女性がカウンターを回って出迎えた。

 「おはようございます」

 「おはよう。あなたがナーガ・ンガラットさん?」

 「ああ!ひょっとしてご連絡いただいた島本博士でいらっしゃいますか?」

 「はい」

 「お会いできて光栄です!末宮村にようこそ!どうぞ、奥へ」


 ナーガ・ンガラット嬢は自分のオフィスを持っていた。耕介は彼女が日本でよくある薄給でこき使われている外国人留学生かなにかと思い込んでいたので、ちょっと隙を突かれた。彼女はタンガロ共和国から派遣されたれっきとした大使館職員であり、もちろんお茶汲みもしない。それは彼女と同じ肌色だが若い頃のデンゼル・ワシントンばりのハンサムが対応した。

 さつきはお茶の礼を言いつつその男性を見上げた。「彼、ロボットね?」

 「はい」ンガラットはにこやかに答えた。

 「なに?」耕介はデンゼル・ワシントンを凝視した。相手も上品に微笑んで見返している。

 「マークⅣアポロン。最新バージョンのヒューマンドロイドで、先月わたしの祖国で製造されました……といっても基幹部品は日本製ですけれど」

 「あなたの名前は知っています。わたしたちのコアシステムを設計した、いわばお母さんですよね?お会いできて嬉しいです」

 「まあそういえるわね。わたしも先日タンガロ共和国に行ってきた。たいへんなもてなしを受けたわ」

 ンガラットは謙虚に頷いた。「たったの五年で復興しました。すべて浅倉博士のおかげですわ」

 さつきは首を振った。「血を流したのはあなたたち自身でしょう」

 「それは……浅倉博士のエリート養成プログラムは過酷でしたけど……」

 「どういうことなんだ?」耕介が尋ねると、ンガラットが説明した。


 赤十字が「恵まれないアフリカのこどもたち」に施しを授けたのはたしかだが、それはなにも問題を解決しなかった……無事育ったこどもたちはストリートギャングとなり、やがて兵隊となって国を破壊するようになるからだ。

 浅倉澄佳は知能テストで選別された上位千名だけに集中教育を施した。その大半が同じ道を選ぶかもしれないという可能性は承知のうえだった。しかしたとえその中の100名だけでも国を救うために立ち上がれば、じゅうぶんと考えていた。

 「厳しい考え方ですけど、博士は正しかったのです。それに博士はプログラムが失敗しないように万全の用意を調えていました。アフリカでは堕落するのは簡単です。堕落しようとしない人間にはさらにしつこく堕落を迫ります。麻薬、犯罪、暴力。タンガロで「忌々しい改革」が進行していると察知した近隣諸国が武装集団を差し向け、わたしたちを焼き払おうとした……しかしかれらは壊滅させられました。日本の軍隊が防衛していたのです」

 「私立防衛大学?」耕介がさつきに尋ねると、頷いた。

 「日本の強くて優しい軍人さんたち……しばらくすると、軍人さんたちの代わりにニホン・ロボがタンガロを守るようになった」

 「ニホン・ロボ」とはタンガロ人がロボットにつけた愛称だった。

 「わたしも子供の頃はボロを着て、赤十字キャンプと土埃の路上をさまよっていました……プログラムに拾われたわたしは幸運でしたが、博士は、それは幸運ではなく、果てしない苦難の道だと仰いました。たしかにそうでした。わたしたちは蝿にたかられ飢え続ける親兄弟を横目に見ながら教育とじゅうぶんな衣食住を与えられたのです。わたしたちみんな、歯を食いしばって耐えなければなりませんでした。わたしたちがなにかを成し遂げないと同胞を助けられないからです」

 ンガラットの眼に涙が浮かんでいたが、声はしっかりしていた。

 「プログラムを終えた人が知識を別のこどもたちに伝え……そうやってわたしたちは賢くなっていった。タンガロ人が作った最初の工場からマークⅡニホン・ロボが出てきた日は忘れられません。そのときはわたしたちはまだ戦っていました。変化を嫌うまわりの国はタンガロを打ち壊そうと躍起になっていましたが、浅倉博士に教育された最初の世代が踏ん張っていました。ロボたちが道路や学校を作った。ものすごい早さで、毎日生活がよくなっていきました。いまではタンガロ人たちは硬い屋根のある家に住んでいて、仕事があって、ニホン・ロボが国境を守ってくれています。最後には爆撃機と戦車がやってきましたが、それもやっつけました。ほとんど同時に赤十字の人たちが、援助が終わったと告げて引き上げました。でもわたしたちが感謝したのは浅倉博士」

 耕介はその話に呆然としていた。さつきはすでに承知の話だ。

 アフリカでそんな改革を成し遂げるのは不可能に近い。欧米諸国――いや、世界中の先進国が、アフリカを生かさず殺さず程度に留めようと画策していたのだ。とくにアメリカは、どこであろうと発展途上国が文字通り発展することを望まない。新生先進国が限りあるエネルギーを使うようになることを恐れていたからだ。

 そうした先進国の手前勝手な事情を押しのけようとしたら、その軋轢はどれほどか。だが浅倉澄佳はそれに応じるだけの資金と、軍事力を用意していた。

 「澄佳がアフリカでそんな社会実験をしていたとは知らなかった。しかし、なぜ?」

 ンガラットがいぶかしげにさつきを見た。

 「ああ、このひと、松坂耕介さんは、浅倉博士のもとハズバンドなの」

 「まあ!」ンガラットは両手を口元に当てて喘いだ。ちょっと感銘を受けた様子だ。「浅倉博士の身内のかたにお会いできるなんて感激です!すると、松坂さんは浅倉健太さんのお父様……」

 「ええ、まあ」

 「感動しました!わたしたち、博士の記念碑を建てたんですよ。いつか、タンガロを訪れるようなことがあれば是非……」

 「いずれかならず、うかがいます」

 「それで、浅倉博士がなぜタンガロを援助したかという話でしたね。博士は仰っていました。人間より優れたロボットを産むので手伝ってほしい……その地はアフリカであるべきだ。現実的なことを言えば、先進国で同じことをしようとしても世間が許さない。だからわたしたちがロボットを産むと同時に国を立て直してその有用性を証明する……」

 「なるほど……分かる気がする。日本ではそんな認可はとうてい下りない。欧米も同様だ」

 さつきが頷いた。

 「浅倉さんはいわゆる「技術的特異点」をあっさり踏み越えたの」

 「なんだ?」

 「20年前から真剣な議論がなされていたことだわ。その前はSFで預言されていた。いつか人間より優れた人工知能が生み出されると。そのAIはじゅうぶんな知性を備えていれば独自に進化しはじめるはず。人類の究極の存在理由はその新人類と言えるロボットを産み出すこと」

 「スカイネットみたいなもんか?」

 「適切な例えだわね。同時に超不適切だけど。浅倉さんもわたしも、ロボットを作るなら、人間にできることはすべてできて、かつあらゆる面で人間以上の能力でなければ作る意味がない、ということで意見が一致していた。アポロン、あなたは自分自身を改良できる?」

 「はい」人間そっくりのロボはあっさり答えた。「現にわたしたち自身で製造ラインを動かし、機能を改善し続けています。浅倉博士のマークⅠから改良され、おそらく人間の技術発展速度で120年分はアップデートしているでしょう」

 耕介はフーと息を吐き出した。自らを勝手に改良してわずか数年で100年分進化しただと?

 とんでもない話だ!欧米人はそんなもの絶対に許さないだろう。耕介自身がたったいま凄まじい危機感を覚えたように、反発は必至だ。

 「澄佳はパンドラの箱を開けてしまったのか……」

 「大げさな言い方は感心しないわね。浅倉さんが手を下さなくてもいずれ避けられないことなのよ。テクノロジーの進歩が怖いといって規制でがんじがらめして機能を限定したロボットなんて作る意味がない。そんなのは後退だわ。超高性能ロボットを作り出してそれと折り合いをつけるしか人類に途はない。ちょっと考えれば分かることでしょう」

 「そう考えていただければ幸いです」アポロンが言った。

 


 エルフガインチームの合宿所である武蔵野ロッジ。

 健太と健太を「お父さん」と呼んだ男性は二階ラウンジのソファーに腰掛けていた。男性は髙荷マリアと向き合い、健太と帰宅しているあいだに語った話を繰り返した。その結果……

「どうしてそうなるのよ!」髙荷マリアの叫び声に健太は身を縮めた。

 「分かんないのかよ」

 「分かるけど分かんない!」堂々言い放った。「なんで健太とあたしが「お父さん」になるわけ?」

 「言っただろ。この……ひとのOSは、おれたちの精神データをなんかよく分かんないけどミックスしたものなんだってば」

 マリアのとなりでニコニコしていた近衛実奈が助け船を出した。

 「つまりねえ、タケルくんの行動分析システムのデータベースは、実奈たちエルフガインチーム五人の脳情報を足して5で割ったものなんだって」

 「より正確に言うと5乗して立方根で割ったんですけど」

 まったく助け船にはならなかった。

 「実奈たちの三次元脳シナプスマップがエルフガインのバイパストリプロトロンチャンネルを通じてタケルくんたちの電子頭脳に転送されたのね?それとっても面白い話だよ。でもたった五人ぶんのデータを元にして人間と付き合う方法を学んだの?統計分析としては少なすぎるんじゃない?」

 「まさか!五人ぶんでも多すぎです。わたしたちの電子頭脳600万台の並列処理をもってしてもしてもオーバーロード寸前でしたよ」

 「なるほど~隅々までずいぶん詳しく分析したんだ……人間の脳味噌なんて大半は意味不明なガベッジデータだったでしょうに」ますます嬉しそうな顔になった。

 「その通りです。しかしその意味不明なノイズの中にあなたがたが直感と呼ぶ一種のショートカットが存在しているはずですが……われわれはまだそれをモデリングできていません」

 「それじゃ免許皆伝にはまだほど遠いか……」

 健太は途方に暮れた。「ふたりともなに言ってんのかさっぱり分からん……」

 「実奈!なんか知らないけどほかのみんなに言いふらすなよな!」

 「分かった!真琴お姉ちゃん呼んでくる!」竜巻のように走り去る実奈の背中にマリアが叫んだ。「てめっ実奈まちやがれ!」しかし無駄だった。マリアは忌々しげにドスンと腰を下ろした。

 「まったく……ていうかタケル、さん?せめてあたしはお母さんにしてよ……」健太が眼をまるくしたのを見て改訂した。「いややっぱりお父さんもお母さんもダメ」

 「しかしそうするとお母さんは誰なの?」健太が尋ねた。

 「島本博士です」

 「へー」

 「なんか……まだばかされてる気がする」マリアがぶすっと言った。「タケルさんがロボットだって言われたってさ、信じらんないんだけど?」

 「これでは?」タケルはそう言うなり変身した。

 立ち上がったタケルの全身が服ごと真っ黒なタール状に溶解した。のっぺりした黒い面にふたたび細かなディティールが浮かぶと、女性の姿に変わっていた。

 「うわあ!」マリアがソファーから文字通り飛び上がった。テーブルを回って健太の背中に身を隠した。「いいっいまのみみみみ見た!?」

 「それやめろって。みんなびびるから」

 「ごめんなさいね」タケルからウズメモードになったまま座り直した。

 「その茶目っ気はだれ譲りなんだか……」

 「実奈だね、きっと」マリアは健太の背後からそそくさと立ち上がってふたたびソファーに座り直した。

 「いいえ、若槻礼子さんです」

 「……それはともかくだ、タケル――ウズメさんの目的はなんなんだ?」

 「挨拶とか、明海大学の人たちに変わってあなたがたに仕えるとかいろいろ」

 「おれたちの新しい護衛ってこと?」

 「まあそうです。わたしたちなら人間に不可能なサポートもできますし」

 「そうなんだ……」健太はぎょっとした。「つまりこれからおれらと同居するってのか?」

 「差し支えなければ」

 健太は溜息をついた。これはおそらく、またしても、島本博士あたりの差し金だろう。「ないんじゃない?どうせ別の選択肢ないんだろ?」

 「そうですけど便利ですよ?食事洗濯その他諸々……お背中も流して差し上げます」

 「まっマジで!?」

 「やーよ!男や女に変身できる相手と一緒にお風呂なんかお断り!」

 「健太さんの時は男に変身しないし髙荷さんの時は女に変身しないと約束します」

 「そうしてくれれば……アレ?いやそれじゃまずいだろ?あれれ?」

 「ああもう!」マリアは頭を掻きむしった。「ややこしい話すんな!」


  

 さつきと耕介は一日かけて街を案内された。

 浅倉澄佳のやり口は徹底していた。日本政府は事態を理解することなく国内に10万体のロボット輸入を認可していた。そのすべてが末宮村にいて、近未来都市を造り出していた。

 午後には村長と面会して話を伺った。76歳の村長はロボットが介護問題をすべて解決したと満足げな様子で語り続けた。もちろん、単純に考えても不眠不休無賃で働く労働力が10万人ぶんもいれば、社会問題の大半は片付いてしまうはずだ。行政機能は完全オンラインなので役場も小さくてすむ。住民が転んで怪我したら近くにいるロボットが助けに飛んでくる。村いちばんの偏屈者だったお年寄りさえ忍耐強いロボットに懐柔され、いまは「ロボちゃん」と呼んでいる。ロボットが故障したことはなく、クレームやトラブルが発生したケースはいちどもない。

 住人は街の生活に満足していた。

 かれらは助成金でロボットを購入して、自分の代わりに働かせて給料を得ている。ンガラット女史の言いぶんによれば、「車と携帯とパソコンを買うような感覚」でロボットを買い、そのロボットは仕事(おもに工場のライン)に買い物、子守り洗濯介護、なんでもこなしていた。学校の先生にもなれるが、いまのところ認可されていない。

 警察消防、おそらく軍隊の役割もこなせる。

 ロボットが有能で、危険はなく、人間の役に立つと証明して、日本全土に広める準備を着々と進めてる。末宮村はその見本で窓口だ。いずれ日本じゅうから役人が押し寄せて騒ぎ出すはずことも承知のうえだ。

 浅倉博士は、おそらくあらゆる反対意見を押し切ってロボットを普及させるだろう。

 いまは旅館の部屋に帰っていた。街全体を見渡せる山の中腹に作られた日本旅亭だった。

さつきと耕介は続き部屋をあてがわれていた。末宮村は国内情勢混乱のどさくさにまぎれて発展した都市であり、社会基盤の多くが国の認定を受けていないから、既成事実化してしまうまでなりを潜めていた。しかしそのためにはアピールも必要で、末宮村はウェブサイトと口コミだけに頼っていた。旅館の宿泊客は多くない。

 耕介とさつきは貸し切り状態の中庭で藤椅子に座り、今日見たことについて話し合った。

 「どうも胡散臭さを拭いきれないなあ……なにもかも良いことずくめなんて」

 「日本的な遠慮が働いているだけかもしれない。22世紀の生活は想像以上に安楽なのかも」

 「それはあるが……こんなのが普及するかどうか疑問だ。第一人間の仕事が減る。ロボットに仕事を奪われたらどうすりゃいいんだ?」

 「それが問題ね。なにか新しいことを考え出す必要に迫られるでしょう。暇になってなんでも自由なことしてていいよ?といわれたら、ほとんどのひとは困り果てるはず。哀しいけど事実だわ」

 「一億総アーティスト時代になったら眼も当てられないぞ。堕落に真っ逆さまだ」

 「ところであなた街を見た?カップルが多くなかった?」

 「ああ、そう言えばどこでもカップルがいたが……まさかさつきさん……あれの片割れまでロボットなんて言うつもりじゃ……」

 「明らかにそうよ。ロボットは性的欲求にも応えるように作られている。多くの女の子にとっては、安全で、ちょっとしたアバンチュールの相手として理想的じゃない?」

 その発想に耕介はたじろいだ。「それはちょっと……どうかな」

 「いわゆる「腐女子」の行動力を舐めてはいけないわ。夢の王子様みたいな彼氏が手に入って、なんでも言うことを聞いてくれるのよ。浅倉さんがそういう影響力を織り込んでいたのはたしかよ。30年前、ハードディスクもなくメモリ領域が640キロバイトしかないパソコンが馬鹿売れした時代にエロゲームが果たした役割を知らない?」

 耕介は頷いた。「知らないが、まあ想像はつくよ」たかがカードや携帯ゲームのアイテムゲットにひとがどれほどカネをつぎ込むか、身近な例をいやというほど知っている。

 ロボット所有を「ホビー」と捉えるなら、たしかに受け入れるのは容易かろう。便利で実用的な趣味で、買う価値があると思わせる。

 普及活動を日本からはじめたのも正解だ。欧米諸国のキリスト教的な禁固がなく、合理的な選択をしやすい……。

 耕介はハッとした。(おれももう懐柔されかかってる……)

 「あのひとには何度も驚かされたが、こんどのは決定的だな……」

 「そう。だけどわたしが知りたいのは、なぜいま?ということよ」

 「つまり?」

 「浅倉さんがロボットの開発を急いだ理由よ。わたしは「ゲーム」が終わって日本が勝利したあと、ゆっくり時間をかけてロボットを浸透させるつもりだった。でも浅倉さんはすべてを前倒しして、人類に超高性能ロボットを背負わせようとしている。なぜなのか……」

 「なにか考えはあるのか?」

 「あるいわね……でもわたしが考えたシナリオでは、ロボットは人類にとって致命的な存在となる」

 「説明してもらえるのかな?」

 「たとえば、あなたが宇宙征服を狙う銀河皇帝だと考えて」

 「なんだぁ?」

 「それで、ある惑星に人間みたいな知的種族が生まれたとするわ。その知的種族は文明を発展させて、いつか必然的に人工知能を生み出す……そうしたらあなたはどうする?」

 「銀河皇帝として?そりゃあ、あとあと脅威になるなら軍隊を送り込むかもな……」

 「そうよね。いちばん簡単な方法は、彼ら自身が生み出したAIを乗っ取ってその知的種族に敵対させること。ウイルスプログラムを送信するだけですむ。合理的だわ」

 「おいマジか!」耕介は理解した。「やっぱりスカイネットじゃないか!しかも澄佳は人類の裏切り者になっちまう!」

 「だから、あくまで仮説。銀河皇帝が本当にいるかどうかから検証しなくては」

 「でも……異星人はいるだろ?おれたちに「ゲーム」を無理強いしているやつらが……」

 「そうね。でも先走りは禁物よ。そろそろオーストラリアのS・E・T・Iと連絡を取るべきかも。異星人の意図をいちばん熱心に検証しているのはそのグループだから」



 日本は曲がりなりにも、世界の2/3と国交を回復していた。おかげで世界中のニュースも伝わってくる。一年あまり続いた閉塞状態が終わって情報が雪崩れ込んでくると、様変わりしてしまった世界の様相に国民のみならず、マスコミ関係者までが驚愕した。


 アメリカ西海岸の州が独立して、別の国を立ち上げた。カリフォルニア新帝国の誕生だ。表向きは去年の大地震によって壊滅した西海岸一帯の住民が、復興を進めないアメリカ政府に業を煮やして、メキシコの支援で独立したことになっている……だが実情は、日本に対する盾と矛の役割を与えられた国なのだ。

 ようするに、アメリカは直接対決を先延ばしにするために新しい国を作り出したのだ。カリフォルニア帝国は近い将来日本に侵攻するはずだ。そのためのヴァイパーマシン(種子島に現れたケンタウルス型ロボだ)とバイパストリプロトロンコアをアメリカ政府から供与されていた。

 NSAの工作かCIAの陰謀なのか定かではないが、同じことはアメリカの支配が及ぶアフガニスタンやマダガスカルでも行われていた。


 アフリカとロシアでは記録的な豪雨が続いている。これは「ドゥームズデイリポート」が示す最初の兆候と思われ、世界中の気象専門家を心配させていた。いつか、数年以内に、世界のどこかで数ヶ月間も雨が降り続ける異常気象が起こる……それが最初の兆候である。その雨量は地域の植物相を壊滅させ、海の塩分濃度を変化させる。それは世界中の気象をさらに狂わせる。極地の氷を溶かして地球の平均気温を2~3度上昇させる。そうしてドミノが倒れ始めて、やがてシベリアの永久凍土が溶けてメタンハイドレートが気化する。大気組成が変わり人間が住めない土地が増加してゆく……破滅のシナリオは残念なくらい具体的である。


 異常気象を阻止する唯一の手段は軌道エレベーターを10年以内に作り出すこと……それも少なくとも三基。宇宙にアース線を通すような理屈で、大気中の余分な熱エントロピーを軌道エレベーターを伝って宇宙に放出するしかない、というのだ。

 アジアーオセアニア同盟諸国はその線に沿って一致団結していた。軌道要塞ライデン1型に続く超大型静止軌道衛星は、七月以来毎月一基のペース打ち上げられていた。都合20万トンに及ぶそれら宇宙資材は順調に展開して、ラグランジュポイント5に立派な宇宙都市を構築しはじめていた。

 三年以内に最初のエレベーターを作るためには、のべ10万人を宇宙に送らなければならない。そんな数の宇宙飛行士を養成するなど金額的に不可能だと専門家なら言うだろう。だがL5の宇宙都市は、専門的な訓練を施されたコスモノーツでなくても居住できるとされていた。そのための環境整備は、先んじて打ち上げられた人間そっくりのロボットが引き受けていたのである。すでに宇宙農園には作物が植えられ、野菜と酸素を作り出していた。水タンクの中ではオキアミや魚が生まれはじめていた。


 とかく日本人は科学が絡むニュースには無関心だ。ノーベル科学賞を報じるニュースでさえ「日本人が受賞した!」と騒ぐばかりで、どんな功績なのか詳しく説明できる解説者は少ないし、視聴者も聞いていない。5月以来ロボット戦争のことばかりが報じられていたが、それさえも実際に戦渦に巻き込まれた、被害にあったという話は少なく実感は薄い。

 敵国に対する情報統制の影響でマスコミにもじゅうぶんなソースが行き渡らず、宇宙開発がとんでもない早さで進んでいたことを大多数の国民は知らなかった。だから年末に最初の宇宙移住者1120人が打ち上げられるなんてニュースは寝耳に水と言って良かった。しかもその計画で日本が(いつの間にやら)主導的立場に立っている。1120人のうち日本人は14%を占めていた。

 それでも計画全体の5%達成にも至らない。

 人間の農夫と一緒に鶏やブタも宇宙に行く。当面の課題はじゅうぶんな量の水を(地球以外から)確保すること。月面にばらまかれたドローンはすでに最初の氷鉱を試掘しはじめている。

 むろん究極的には、専門知識皆無で超健康でもない人間が年齢制限もなく宇宙に出かけ、地面のうえと同じくらい快適に過ごせるようにならなければ、宇宙を開発したとは言えない。計画はその理屈に沿っている。ただしひどく急いではいた。

 

 壊滅状態のイスラエルでは奇妙な出来事が相次いでいた。米軍支援部隊が撤退した明くる日、べつの「支援者」たちがどこからともなく現れた。かれらは人間のように見えたが不眠不休で働き、都市部を立て直し続けた。黙示録的な災害に陥った中で人々は彼らにすがった。水も食糧も必要としないかれらはいつしか天使と呼ばれた。代表者のひどく美男子の男性はたしかに、自ら「ラファエル」と名乗っていた。



 ワシントンDC1600番地、ホワイトハウス。

 その正面中央の張り出しに沿った作りのため楕円(オーバル)オフィスと呼ばれる大統領執務室。その現在の主はやや太り肉の巨漢だ。肉付きのよい四角い顔に大きな鼻、濃い眉、短めの金髪に茶色の眼。政敵は彼を「じつに大統領らしい風采、ただし1930年代レベル」と評した。アイダホ出身の全米ライフル協会会員であるその男は、イスラエルから届いたレポートを乱暴に引き裂くと屑籠に投げ入れた。

 アルドリッチ・タイボルト大統領は内線に言った。「マーティンをここへ」

 一分もしないうちにドアが開いて、マーティン・コールCIA長官が現れた。「大統領」

 「マーティン、イスラエルに関する戯言は読んだ。いったいどうなっている?ラファエルとかいう男ひとりまだ捕まえられないのか?」

 ラファエルはテロリストとして国際指名手配されていた。善意のボランティアをテロリスト扱いするのは無理筋というものだが、合衆国大統領が承認すればどんな無理も押し通せる。

 CIAはラファエルの身柄を確保しようと何度か作戦を決行していたが、ラファエルどころか天使のだれひとり捕まえられずにいた。神出鬼没なので、最初は懐疑的だったアメリカ政府の人間もラファエルは怪しいと思い込むようになっていた。アメリカ人にとって正体不明の相手はすべてテロリスト同然だ。

 「はい、それが――」CIA長官はしばしためらった。「われわれは、その人物を現在グアンタナモに護送中です」

 「捕まえたんだな?」

 「はい、大統領」

 CIA長官は詳しい経緯を省こうと決意した。実情を言えば、身柄確保作戦が次々と失敗するなか、局内の気が利く男がエルサレムの廃墟に赴いてダメ元で呼びかけてみた。「ラファエルさん、合衆国大統領があなたに会いたがっています。出てきてもらえませんか?」するとラファエルはあっさり姿を現し、要望に従ったのだ。作戦全体にかかった費用600万ドルもどうにか正当化できそうだったため、関係者は胸をなで下ろしていた。

 アメリカ政府関係者は、ラファエルを異星人の尖兵と思い込んでいた。

 護送に先立って簡単な身体検査をした結果、彼はたしかに人間ではないと報告された。人間そっくりだが、アンドロイドのようだ。

 ラファエルが異星人であれば、タイボルト大統領が就任する前から政府関係者が念願していた異星人捕縛がついに叶ったことになる。

 「それで、どうするんだ?」

 「大統領、少なくとも危険がないと判明するまでは、グアンタナモ基地に留め置くようおすすめします」

 「NSAのハルあたりははただちに解剖しろと言うんじゃないか?」

 「人間ではないと判明した以上、それもひとつの考え方です」

 「だめだ!わたしが会うまでは殺してはならん」

 「しかし大統領……」

 「だめだ。ユダヤ人たちが救世主と崇めた男だぞ?じつに興味深かろう。それともなにか、きみたちはわたしをピラトにしたいのか?」

 「そうではありません、大統領」CIA長官は内心溜息をついた。

 大統領の無謀な面がまた発揮されていた。それでも事態は不思議と、アルドリッチ・タイボルトの有利に働く。ニューメキシコとカリフォルニア州を失った痛手さえこの男の失墜には至らなかった。合衆国は生活物資を自力生産できないカリフォルニア帝国に大量の物品を売りつけ、国内経済は活性化している。黒人とヒスパニックはカリフォルニアに追いやられ、それでお互いに清々していた。タイボルト大統領の支持基盤である白人低所得層は大統領の「英断」に喝采を浴びせた。

 アメリカ人はタイボルト大統領が打ち出す政策に従い続けていた。

 通常兵力が縮小されるなかで、海兵隊を母体とした「選ばれた先鋭」が新しい軍隊を組織している。それらは野党に降った共和党民主党から「タイボルトの武装SS」と揶揄されたが、むしろ古代ローマ軍に近い。兵士たちは特殊部隊の訓練を受け、20年の兵役を勤め上げた暁には世界市民の称号が与えられる。年金給付と税免除という恩恵を得てフロリダに建設中の未来都市、エプコットポリスに永住でき、死ぬまでプレイボーイマンションばりの生活を約束される……。

 そんな軍隊を作り出してなにをするのかと言えば、じつはなにもしない。当面は国境警備を任せ、カナダやカリフォルニア帝国との小競り合いを演じさせて護民党とタイボルト大統領の真の目的から国民の目を逸らす……それだけが役目だった。新軍隊の中身は親族全員がトレーラーハウスに住むホワイトトラッシュだ。坊主頭に入れ墨の若者たちは格好いい制服をあてがわれてご満悦で、金食い虫のハイテク兵器を受領していないことには気付いていなかった。

 格差問題は裕福階級に重税を課すことであっさり解決した。じつのところそれら高所得者たちは自分たちが「箱舟」のチケット代を支払っていると思い込んでいて、比較的容易に税を受け入れた。まあまるっきり嘘とはいえない。

 アメリカ国内のすべてがそんな調子だ。

 黒人とヒスパニックの9割を追い出したいっぽうで、アジア系を免除することによって有色人種が反目しあい、怒りの矛先が政府に向かないよう仕向けた。アジア系アメリカ人は来たるべき日本との戦いのためにも温存する必要があった。

 WASPによる支配というイメージを払拭するためにバチカン市国から枢機卿を招き、ニューヨークの「グランドゼロ」に建てられた荘厳なカトリック教会を運営させた。彼はいずれローマ教皇として「箱舟」に乗ることとなる。

 国民は結束していた。「ゲーム」に勝利して、アメリカ主導による未来を開拓しよう。スローガンは単純で馴染み深い。宇宙開発でアジアにリードされたこともかえって国民の勤労意欲を煽った。世界が交戦状態に陥って半年が経過したが、前評判どおり「ゲーム」は国庫に優しい戦争だったので、国民は疲弊しておらず、内政のための資金も、「箱舟」建造の資金も潤沢だった。

 そして、新大統領はイスラエルに現れた偽キリストと対決を望んでいる。その意図は不明だ。しかしアメリカ合衆国にとって目下最大の障害である異星人の存在と、アジアの宇宙要塞、そのいっぽうを解決するきっかけにはなるかもしれない。大統領とNSAはいまだに、交渉次第で異星人はなんとかなると楽観しているようだ。アルドリッチ・タイボルトはハーバードロースクール出身の元弁護士で、何ごとも交渉……口八丁手八丁と屁理屈で対処できると考えがちだ。

 (それはどうかな)マーティン・コールはかつてカール・セーガンの著書を読み、故スティーブン・ホーキング博士や、ニール・ドグラース・タイソン博士と異星人問題を話し合った。異星人と交渉できるという考えにはきわめて懐疑的だった。


 

 人間五人とロボット一体の奇妙な生活が始まって早一週間。タケルは優秀なハウスキーパーであると証明した。

 「おいしい」夕食の煮魚をひとくち食べた礼子先生が嬉しそうに言った。エプロン姿のタケルがにこりとして、帽子のつばを下げる仕草で応じた。

 ロボットと会話する違和感は簡単に忘れ去られていた。とくに女性陣がずいぶんと楽しそうなのは、やはりタケルがイケメンだからなのか。

 超イケメンで、穏やか。

 ユーモアトーク達者で、気配り上手。

 とても太刀打ちできない。武蔵野ロッジただひとりの男、という特権を浸食された健太は心穏やかではなかった。

 (おれってかわいそう)相手は人間でさえないのに。

 なにを尋ねてもタケル/ウズメが腹を立てないみたいなので、女性たちは遠慮なく質問するようになった。

 まこちゃんが言った。「でもまだ変な感じ。タケルさんがロビーの接客ロボみたいだったらちがってたのに……」

 「こんなふうですか」

 タケルはキュインキュインと機械音を鳴らしながら、ロボットらしいぎこちない動作で歩いて見せた。

 「あはは……やっぱりもとのままがいいかな」

 マリアが尋ねた。「でもさあ、お店ではどうするの?工場から出荷されるときって大きな段ボールだか木箱に収まってバービー人形みたいに運ばれるのよね?なんだかちょっと……」

 「梱包はされませんでした。歩いて日本に来ましたし」

 「歩いてって……嘘でしょ?」

 「いいえ。本当です。タンガロ共和国の工場生産ラインから出て普通に道を歩き、ときには泳いで日本まで来たんですよ。だいたい50体くらいで隊列を組んで、平均時速30キロメートル程度で、20日ほどかかります」

 「どうしてそんな……」

 「梱包材や輸送費節約のためです。価格300万円以下に抑えるためには必要でした」

 「途中で逮捕されたりしない?」

 「最初の頃はされましたよ。でも書類は揃えているので、最後には納得していただけました。それにこの通り、わたしたちは人柄がよいから」タケルが両腕をひろげて言うとみんな笑った。

 「それでタケルくんは、レーコ先生とマリアお姉ちゃんどっちが好み?」

 タケルは首を傾げた。たっぷり2秒間考えたすえに答えた。

 「若槻先生です」

 「あらっ」礼子先生はまんざらでもない様子で頬に手を当てた。健太はその様子を呆然と眺めた。

 「ほほう、どうして?」

 「わたしの年齢なら先生がお似合いでしょう……すいません、ぶざまな回答でしたね」

 「意地悪してゴメンね。でもタケルくんのためなんだよ」

 「わかります。ありがとうみーにゃん」

 みーにゃんはたびたびAIの性能を試すような質問を投げかけた。「チューリングテストよ」楽しそうに言った。

 健太にはどこら辺がぶざまだったのかさえ分からない。

 「280万円かあ……わたしも一体買っちゃおうかしら」

 「えっ!?マジかよ先生!それ――」ラブドールみたいなもんでしょと言いそうになって口を押さえた。さすがにそれを言ったらこのロッジにおける健太の社会的地位はジ・エンドだ。

 タケルは自分になにを言っても構わない、自分には感情はないから。と保証した。しかし感情がないというのがどんなものか、想像するのは難しかった。いっぽうで人間は、いちどタガが外れると際限なく遠慮がなくなる。勢い余って下品な方向に会話が飛ばないよう気をつけなきゃ、と思った。

 (こういうのって、これからロボットと付き合うための課題、とかなんかな……)


 先日、なんの用事か関西方面の出張から帰ってきた島本博士は、出雲大社で買ったお土産を持参して武蔵野ロッジに現れた。

 超高性能ロボットがどこからともなく現れて居候していると健太が告げると、博士は「あら、早いわね」と言った。やはり承知しているようだ。

 「それで?同居してみた感想は?」

 「ええまあ、えらく自然な感じでみんなと仲良くしてますけど」

 「あなたはどうなの?ちょっと危機感感じてるんじゃないの?」

 「え?なんだ、そこまで予想済みなんすか?」

 「そりゃね……手の込んだハイテクロボじゃなくたってハンサムと同居してるんだもの。浅倉くんの胸中はお察しするわ」

 「べっべつに嫉妬とかないけど……ロボだし」

 「じつを言うとね。あなたと会いたいと言いだしたのはマークⅣ……タケル/ウズメモデルなのよ。AI自身がそんな要望を言い出すのは異例なことなので……メーカーの開発責任者は心配してたけど、いざという時のために自壊スイッチを取り付けて送り出したのよね」

 「ちょっそれって!おれシュワちゃんに狙われたサラ・コナー同然だったってか!?」

 「あんたたち親子揃って『ターミネーター』好きなの?」さつきは面倒くさそうな顔で言った。「……ま、なにも起こらなかったのなら良しとしましょう」

 健太はときどき、この博士の首を掴んでおもいきり揺すぶってやりたい衝動に駆られる。

 「で、ロボットさんといつまで同居すりゃいいんで?」

 「知らないわ。彼らが納得するまでじゃない?」

 「はあ?」

 「ちょっと協力してあげてよ。なんせマークⅣは浅倉くんの脳を元に人格モデルを作ったんだから、あなたお父さんでしょう?」

 「まあそういう話ですけど……」

 「ロボットたちは人間と付き合う方法をいまも模索しているの。だからもう少し、ね?」

 「……了解」どう考えてもタケルはじょうずに人間と付き合えてる気がするが、ロボット設計者の天才博士がそう言うのでは仕方ない。

 「そう言やあタケルさん、お母さんは博士だって言ってました」

 「うふふ」博士は内緒話するように身を寄せて健太を覗き込んだ。ほのかな香水の香りが鼻をくすぐる。「そう、あなたがパパでわたしがママなの、どう思う?」

 「どっどどどどう思うって……」

 さつきは人の悪い笑みを浮かべて「それじゃ」と言い立ち去った。歩くごとにスカートに包まれたおしりが左右を向いている。

 エロい。

 

 

 9月はなにごともなく過ぎた。

 エルフガインは夏以来いちども出撃せず、埼玉の地下ハンガーに収まっていた。

 

 日本国政府はかつてないほど勤勉に仕事をしていた。与党幹事長によれば「問題は山積み」だったが、ここに来て不認可のロボットが国内に10万体も輸入され、稼働しているという問題も持ち上がった。

 もちろん各省庁の回答は「とうてい許可できない」一点張りとなった。得体の知れないロボットが日本の市街をうろつくなど言語道断である。ちなみにそれら反対省庁の一覧は次の通り。法務省、厚生労働省、文部科学省、経済産業省、国土交通省、防衛省……。

 新聞をひろげていた天城塔子が言った。「国土交通省って……ナンバープレートでも付けろってのかしら」彼女は島本博士に依頼していたタンガロ製ロボットマークⅣの性能評価レポートを受け取りに来ていた。ついでに技術的な即席レクチャーも受け、いまは朝食後のわずかな空き時間を博士の執務室で過ごしていた。

 さつきは机の向かいでコーヒーカップを傾けた。「いつものことでしょ……自衛隊さんなら分かってるでしょうに」

 「とりあえず訳分からないことは反対しておけ……たしかにいつものことだけれど、脳たりんを相手にロボットの有用性を納得させるのは骨が折れそう……」ロボットの中身に至っては技研の連中さえほとんど理解できていなかった。だから塔子が、渋い顔で島本博士の助力を要請した陸将補のお使いによりコマンドを訪れている。

 「反対者が大挙してるのは良いことよ。少なくとも、ロボットはうまみがあるとハイエナが鼻を効かせている証拠だわ。経済産業省は比較的簡単に懐柔できる。国内にロボットの生産基盤を移転させると約束すれば大手メーカーにせっつかれて認可せざるをえなくなる。もとより基幹部品は日本が作っているんだからお取り潰ししようとしても手遅れだし。文科省はもうすぐちょっとしたスキャンダルに見舞われるから問題なしよ。だってライデン1型の作業ドローンとしてすでに導入済みだったと「発覚」するから。防衛省はこっそり次世代歩兵として着目しているし……」さつきがちらりと眼を向けると、塔子は大げさに肩をすくめた。「強敵は厚労省でしょう」

 「そうまで読んでいるなら、最終的にロボットを認可させる手段は講じてあるわけね?」

 塔子は「このあと」のシナリオを知らされていない。しかし浅倉博士は当然次を考えていたはずだ……

 「いえ」

 塔子はしばしさつきの顔を凝視した。

 「は……?」

 「知らないの。今後どうなるか、わたしは知らされていない」

 「嘘でしょ……」

 さつきは首を振った。「シナリオはもう無い……少なくともわたしたち向けのは、無い」

 「それって、どうするのよ……」

 「ちょっと、あなたシナリオに踊らされてるの嫌ってたでしょう?良かったじゃないの」

 「まあ……」塔子は咳払いした。「いきなりそんなこと言うから驚いただけよ」


 新聞の一面には「ドイツとフランス、宇宙計画に参加か」という見出しが書かれている。これは外務省の手柄と言えた。アジアーオセアニア同盟の宇宙計画は欧州にとっても無視できない規模になっている。そして目先の利くものなら、乗り遅れたら国にとって致命的な損失になると理解できた。宇宙計画に参加する方向で経済同盟を結ぼうという前向きな気運が生まれはじめていた。

 狙い澄ましたかのようにライデンⅠ型を中心とした宇宙建造物の映像が解禁されると、テレビもネットもしばらくそれ一色になった。一辺千メートルもある薄いパネルの中に広がる水耕農園の植物。リング状の(巨大な!)居住施設。軌道エレベーターの炭素モノフィラメントケーブルを生産する施設。放射線防御用の巨大パラソル。月面に向かう無人ロケット……。信じがたい映像の数々は人々を魅了した。

 JAXAのもと宇宙飛行士が2年後に予定されている小惑星捕獲計画を解説した。最大全長1㎞の隕石をひとつ、地球近辺の安定した軌道に乗せる。それは当面軌道エレベーターのアンカー衛星として使われるが、いずれ資源採掘もなされる。その途方もない経済効果が細かく説明された。

 そうした映像からはNASAがときおり流布していた国際宇宙ステーションの映像のような他人事めいた空虚感は感じられなかった。細かい理屈は抜きにしても、人間が近い将来宇宙に生活拠点を築くのだと実感できた。10万人という募集枠は応募する前から無理だと決めつけるには多すぎる。生きているあいだに宇宙に行けるかもしれない。多くの人間がその点を考えはじめた。

 例によって無謀な計画だと(ここにいたってようやく)反対する声が続出したが、大半は的外れな意見で、開陳したそばからネットに降臨した理系専門家に論破された……しかし、そもそも日本人どうしが宇宙計画の是非を論じること自体が新鮮だった。こういうとき人々の知識欲が旺盛になるもので、宇宙関連のウェブサイトがヒット数を伸ばし、本が売れはじめた。


 塔子はエルフガインコマンドをあとにした。関東は季節外れの残暑で、一日で天気がめまぐるしく変化していた。生暖かい空気が湿気を帯びていた。晴天だが千葉のほうに重たげな雲のかたまりが低くたちこめていた。ひと雨来そうだった。

 (やれやれ)車に乗り込み、エアコンをつけるか迷った。これから都内に立ち寄って小湊総一郎と面会。そして新幹線で名古屋へ。ゲリラ豪雨に遭遇する前に都内に戻れるだろうか。



 健太は中間テストの最中で、午後早くには帰宅していたが、ひと息つく間もなく、久遠一尉から渡された書類の束に必要事項を記入し続けていた。政府から発行される(特別免許証)の手続き書類であった。

 書類にざっと眼を通した健太は久遠一尉に尋ねた。

 「これどういう意味?」

 「エルフガインの運転免許だよ」

 「いまさら!?」

 「ウム……」

 「なんでいまさら」

 「お偉いさんたちがようやく、おまえらの行動は政府のお墨付きだと認めたんだろ」

 健太は驚いた。「いままで認めてなかったのか!?」

 「ま、日付的には5月まで遡及されてるようだ」そして期限は一年間。〈ゲーム〉が終わっていなければ免許更新する必要があるらしい。

 「なんかアホくさいというか」

 「まあそう言うな!珍しく全責任は政府が負うと言ってるんだ。ちょっとしたお役所手続きぐらい付き合う義理はある」

 それで健太はひたすら現住所や名前、生年月日を記入し続けている。よく見れば書類の右上に内閣総理大臣と防衛大臣、小湊総一郎の名が列記されていて、不本意ながら真剣に受け止めざるをえない。

 (実技で失敗したらどうなるんだろう)想像するとちょっと笑える。書類の一枚には被権利者に付帯する特別措置というのもあって、緊急時にはあらゆる公共交通手段の利用が無料になるとあった。しかも原付免許がおまけについていた。

 (お、これちょっとラッキーじゃね?)

 健太の脳裏に、なぜか髙荷とツーリングする自分のイメージが浮かんだ。

 (なに考えてる俺)慌ててそのイメージを振り払ってみたものの、原チャリを買おうという考えは抑えようもなく膨れあがり、30分もすると強迫観念じみてきた。エルフガインコマンドに勤めた月給はほぼ手つかずで残っている。散財するよい機会と思われた。

 健太はスマホで車種を検索しはじめた。



 神奈川の女子大生が話題のロボットを購入した。彼女はロボットとの生活を逐一SNSに投稿した。それはたちまち話題になり、コメント欄が炎上した。おもに男性と思われるひどい意見が列記されていたが、長くは続かなかった。ひとつには彼女が神奈川県警に書類送検されたためだが、いちばんの理由は彼女に続くものが次々に現れたためだ。

 ロボット購入者は全国に広がった。警察の対応は現行犯逮捕から放置までさまざまだった。社会的反響もまちまちで、執拗な嫌がらせを受けたりたんに哀れっぽい眼を向けられるだけだったり、地域差があった。

 警察が要介護のおばあさんと障害を持ち車いす生活だった男性を逮捕すると、社会の関心が一気に高まった。

 さらに、ひとりの女性を暴行しようとしたグループがロボットに撃退されると、ワイドショーを中心に議論が沸騰した。暴行犯たちはロボットに危害を加えられて深刻なダメージを負ったと弁護士が主張したが、犯行の様子はロボットのカメラに記録されていた。そこには鉄棒で殴りかかる彼らの姿が映っていた。ロボットは再三警告を発した上でスタンガンで反撃しただけで、相手は倒れる際に擦り傷を負っただけと判明した。

 身柄拘束されていたロボットが警察署から出てくる様子が生中継された。

 ワイドショーはアシモフ博士のロボット三原則を持ち出して、真剣だがやや滑稽な議論を展開した。同じ時間帯にウィル・スミス主演のある映画を放送したテレビ局に抗議の電話が殺到したが、ネットでは大受けした。べつの局は猫型ロボットのアニメ打ち切りを発表してやはり抗議された。

 こどもたちに危険を及ぼすロボットをただちに廃棄せよ!と抗議する団体が現れた。ある男はロボットをひき殺そうとして失敗し、車をコンビニに突っ込ませた。ロボットは警察に止められるまで淡々と救助活動を続けた。男はロボットに彼女を寝取られ犯行に及んだと自供したが、世間の感心や同情はほとんど寄せられなかった。

 いっぽうでは、ロボットの「アレンジメント」を楽しむ女性たちの画像がアップされるようになった。ロボットは容姿を自在に変化させることが可能だ。ほかにもロボットの利便性や身体能力の限界を試すような動画が公開された。相手がロボットだと気付かないままレジの対応をして、ネットの書き込みで知らされたコンビニやスーパーの店員が続出した。

 誤作動や故障のケースはいちども報告されなかった。

 あるテレビ局がついに末宮村を取材した。続いてNHKがタンガロ共和国に取材陣を送り、土曜の夜9時にその様子を放送した。

 しかし流れが変わることに決定的な役割を果たしたのは、とある女性アナウンサーが密かにロボットを購入していたことを週刊誌にすっぱ抜かれたことだった。

 ここにいたって人々はようやく核心的な疑念を持つに至った。

 どのニュースを見ても写っているのは人間そっくりな姿だ。その人間そっくりなロボットを280万円で所有できる。

 かれらは奴隷なのか?だが当然ながら虐待の被害届は出ていない。

 車やスマホを買うのと同じことだ。きわめて便利な道具に過ぎないのでは?

 でもあの「ひと」たちなにからなにまで人間そのものでしょ?なんだか後ろめたいわ……

 道徳と方便をすり合わせる奇妙な理屈がちまたで飛び交った。

 政府が重い腰を上げてメーカーに販売差し止めを要求したときには、すでに五千体が売れ、さらに予約注文が殺到していた。

 十月下旬、日本国内のそうした動きはCIAを通じてアメリカ大統領の知るところとなった。



 ラファエルとの対談がなかなか叶わないためタイボルト大統領は腹を立てた。しかしラファエルの素性は調べれば調べるほど怪しく、慎重に対処する必要があると勧告して大統領を思いとどまらせていたのだ。

 イスラエルからラファエルと名乗るべつのアンドロイドが活動している、という報告がなされると、CIAは事態を重く見た。

 そして日本からのニュースである。疑念はあっけなく氷解した。ラファエルがアフリカの小国で生産された超高性能ロボットの一体であることは明白だった。たたしその構造はマサチューセッツ工科大学その他の専門分析を持ってしても手に余る超先端技術の産物だった。

 ある日、レクチャーのためにそうした専門化がホワイトハウスに招かれた。かれらは一様に顔面蒼白だった。

 「大統領。ラファエルと名乗るあのロボットは、とんでもない代物です」

 「爆発でもするのか?」

 「いえ、しかしある意味ではより破壊力があると言えます。わたしたちはラファエルを分解して――いえ!お待ちください大統領!あれはきわめて高度な技術の結晶ですが、貴重品ではないのです。一体三万ドルでだれでも購入できます。事実、われわれは貿易会社を通じて10体注文しました。問題はその技術そのものです……あれらは、ネットワーク化されていないのです」

 「それがなんなのだ?」

 「つまり大統領、あのロボット……マークⅣはどこかの中央電算機で遠隔コントロールされている木偶人形ではありません。一体一体がスタンドアローンで活動しているのです!」

 タイボルト大統領は密かに胸を撫で下ろしていた。アメリカ大統領がブリキ玩具と対話しようとしていた……しかし幸運にもそれは回避できたのだ。

 しかし救世主気取りの男が異星人の一味ではなく、人間が作りだしたものに過ぎなかったとは、がっかりな話しだ。

 「なるほど。しかしそのどこが問題なのか、いまいちよく分からんのだがね」

 「マークⅣが見せる高度なパフォーマンスに対して、内蔵されたAIのサイズが小さすぎるのです。われわれは……あのロボットがどうやって動いているのか、いまのところまったく分かりません……」

 「きみたち天才一個中隊がかりでもか?」

 「残念ですが、大統領……引き続き分析はいたしますが」

 大統領は考え込んだ。それから言った。

 「もうひとつ聞きたい。あれが他愛もないどこぞの製品に過ぎなかったとして、アメリカでラファエルと同等のロボットを作ることは可能なのか?」

 相手はホッとしたようだった。

 「さいわいにも、駆動系その他の技術はじゅうぶん分析可能です。問題はそのロボットに魂を吹き込む方法だけなのです」

 「そうか。対処法はないのかな?」

 「はい、いえ、無くはありません大統領」

 「ほう?」

 「ようするにネットワークでコントロールすればよいのです。プログラムは膨大な行数になるでしょうが、システム面から考えるに、そのほうがずっと合理的でしょう」

 「それなら検討してもらおう。われわれの手で同等のものを作り出すのだ。そのための予算を計上しようじゃないか」

 「分かりました、大統領」



 島本さつきは富士の裾野にいた。ここは自衛隊東富士演習場。凹凸した広大な土地は見渡すかぎりまばらなすすきが茂る荒野だ。戦車に踏み荒らされた剥き出しの地面は先日の雨でぬかるんでいた。いまも低い雲がたちこめ、白煙を立ち上らせる富士の山頂を覆い隠していた。

 一段高い盆地に建てられたテントには20名ほどが詰めている。細長い折り畳みテーブルには無線機やノートパソコンが置かれ、作業服姿の自衛官が座っていた。さつきたちはその後ろでやはりテーブルを囲んで折り畳み椅子に座っていた。となりには天城塔子と松坂耕介がいた。ほかにもひとかたまりになった背広姿の一団がいた。かれらは国産兵器に関わるメーカーの営業部長と、国立大学のロボット研究者だ。研究者たちはさつきに素っ気ない挨拶を寄越したあとはずっと距離を置いている。しかし指揮を執る辻井陸将補はつねにさつきに意見を求めていた。

 ときおり遠くで小銃のスタッカートが聞こえた。模擬演習が進行中だった。

 すでに条件を変えて二度、短い模擬戦闘が行われていた。勝率は陸上自衛隊の2戦2敗。陸上自衛隊普通科中隊とマークⅣスサノオタイプ48体の戦いは、いずれもロボットがわの圧勝に終わった。

 どちらの組も演習に使われる判定器を取り付けた。ロボットは小銃弾を受けても人間ほど機動力が落ちないのだが、さつきはその条件を了承した。

 どのみち、人間はロボットに一発も弾を当てられなかった。

 ロボットは武器さえ与えられていなかった。しかし人間側の武器を奪取するのは良しとされた。演習開始から30分ですべての火器が奪われ、戦車も奪われた。人間はロボットの移動速度に対応できず、通常のドクトリンが通用しなかった。近接戦闘になるとロボットの運動力について行けず、格闘を試みた何人かが負傷した。

 三度目の戦いも決着がつきそうな案配になると、辻井陸将補がさつきの傍らに立ち寄った。塔子と耕介が立ち上がった。

 「楽にしてくれ」辻井は言った。「マークⅣは人間を傷つけられるのか……」

 「ええ」

 「殺傷は?」

 「必要性をしっかり説明すれば、殺人も厭わないでしょう」

 辻井は衝撃を受けたように身じろぎした。「そのようなことをしないようサーキットブレーカーみたいなものが設けられているのかと思った……」

 「むろん高度な抑制判断力は備えていますが、ロボット三原則をプログラムすることはできませんよ。彼らは真の意味での常識を持ち合わせていません」

 「あくまで道具として考えろ」辻井は考え込む表情で言った。「そうきみは言ったな。使い方は人間次第だと」

 「危険な兵器などない、という言葉通りですわ」

 辻井は頷いた。「言うのは楽だが」

 陸将補が背広の一団のほうに歩き去ると、塔子と耕介は座り直した。

 「導入されそうだ」耕介が呟いた。

 「そう思う?」

 「ああ。澄佳が前に言ってたんだ。いずれ兵隊が必要なくなる世界が来る、と。おれは話半分に聞いていた。科学者らしい楽天的考えだと思っていたからな」首を振った。「まさか本気だったとは……」

 「わたしたち失業かしら?」

 「分からん。だが何年かしたら歩兵はお役御免だろう。な?さつきさん」

 さつきはあいまいな笑みを浮かべた。

 「人間の仕事は減らないわよ。今後十年間、自然災害は格段に増えるはずだから自衛隊式の組織は必要だわ」

 「そういえば末宮村でも言ってたよな。単純労働をロボットに奪われる心配より、べつの生き方を考えるべきと……あくまで人間側の変化を主張するんだな?」

 「そうするより無いと言ってるの……いやならロボットを全部破壊して現状維持するしかない。好きなほうを選んで」

 「それをいま政府が特別対策室を作って議論しているところ」塔子が言った。

 「検討中ということは、やっぱり導入ありきかね?」

 なんといっても老人介護問題がすべて解決する可能性は無視できない。世論はロボット解禁は当然という方向に傾き、早くしろとせっついていた。

 「経済効果を考えるといずれ解禁するしかないでしょう……」塔子は溜息混じりにいった。「反対派のイチャモンに付き合うのが骨だけど」

 耕介が人の悪い笑みを浮かべた。「新聞で読んだ。ロボットの電子頭脳に蓄えられてる服装データが服飾メーカーの権利を侵してるからなんとかしろとか、ロボットに一曲歌わせた場合の著作料とか、ロボットとひとめで見分けられるよう肌を緑色にしろとか」

 「新しい法案をいくつも作らないとね……」

 本当は新しい法案など必要ない。なにか新しいものが導入されるたびに飛び出る過保護的反対論をまたぞろ繰り返しているに過ぎない。

 本質を突いた意見は数少なかった。さつきは黙っていた。



 ある日曜日のこと、健太は意を決してマリアに話しかけた。

 「あのさ、お、おれ原付買おうと思ってんだけど、どこで買えばいいのかいまいち分かんなくて」

 「ははあ」マリアは言った。「エルフガイン免許だね。さっそく悪用するんだ」

 「いいじゃん許可降りてるんだし……で、どこで買えばいいか教えて欲しいんだけど」

 「いいよ。ちょっと用意するから表で待ってな」

 「え?分かった」


 健太が武蔵野ロッジの玄関前で突っ立っていると、真っ赤なバイク用パンツとTシャツ姿のマリアがグローブを口にくわえ、もういっぽうを手にはめながら現れた。そのまま健太の前を小走りに通り過ぎて礼子先生の車が収まっている車庫に向かった。まもなく車庫の奥からセミカウルの中型バイクを押して現れた。

 「えっ……?」健太はのろのろとバイクを指さした。「それ……」

 「うん、買っちゃった」

 「髙荷中免持ってたんだ……」

 「持ってるけどガッコで禁止だったから。でもあのエルフガインの特例でさ、お咎めなしになったから」

 「へー……」健太は茫然自失のまま、黒光りするタンクのあたりを撫でた。「かっこええ」

 「でしょー?久遠隊長が紹介してくれたショップで買ったんだ。そこ原チャも置いてるから連れてってやるよ。もうなに買うか決めてんの?」

 「あっと……いろいろ意見聞いてにしようとおもって」

 「それがいいよ。あたしなんか自己流だったから余計なもん買っちゃっていろいろ無駄にしたし」


 こうして健太はマリアの愛車の後席に座り、国道を走っていた。

 胸中は複雑だ。ツーリングの夢はあっけなく潰えた。

 しかしいま、マリアの腰にしがみついてこうしてドライブ中だ。女のバイクの後席とはちょっと気恥ずかしいが、マリアは珍しく親切だったし、ヘルメットとバイクの咆吼のおかげで会話に気を遣わなくてすむ。


 マリアもまた、胸中に複雑な思いを抱えていた。

 二日前の夜、マリアは二階堂真琴に声をかけられていた。思い詰めた様子だった。

 「あの、ちょっとお話したいことが」

 「珍しいじゃん。なあに?」

 「健太さんのことで……」

 「あいつがどうかした?」

 「少し様子が、その、へん、というか……」

 「様子が変?どんなふうに?」

 「このまえの夜、ベランダで健太さんを見かけたんですけど、なにか独り言をいってる感じで、わたしが声をかけても気付かないんですよ」

 「え?そりゃたしかに、あいつらしくない……」

 「それだけじゃなくて、健太さん楽しそうに誰かに話しかけてるんです……会話調で、お、女の人と会話してる感じで……」

 マリアは息を詰めた。どうも苦手な方向に話が進んでいる。不本意だったが続きを促した。「それで……?」

 「あの……わたしの見間違えかもしれないんですけど、ほんの一瞬だけ、見えたんです……健太さんの背中の向こうに健太さんのお母様、あ、浅倉博士が」

 マリアはゴクッと喉を鳴らした。背筋が震えそうなのをなんとかこらえた。

 心配げにうつむく真琴の肩に手を置いて、言った。

 「ま、まあ、もう少し様子見しよう。健太にはそれとなく探りを入れてみるよ」

 真琴はホッとした様子だ。「ごめんなさい、こんなこと相談して。でも島本博士に言う前に相談したくて……」

 「それでいいよ、チームだもん」

 真琴には請け合ったものの、どう切り出していいのかマリアには分からなかった。普段の態度に変わった様子はない。

 (真琴を心配させやがって……バカたれ)

 しかしエルフガインコマンドの地下深くでの一件以来、マリアは超常現象みたいな代物を信じるようになっていた。実奈のように理解できなくとも、バイパストリプロトロンが関わっているのではないか?ぐらいの察しはつく。

 (手に負えなくなったら博士に相談しよう……いや健太をどうするつもりなんだって文句を言うべきかな?案外あっさりゲロするかも)

 新車は快調だった。店に着くしばしのあいだ、マリアは悩むのをやめてドライブを楽しもうと思った。

 空は曇りがちで、雨が降りそうに見えた。

 

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