第17話 『暴かれた真実』
予想以上に間が開いてしまいました。ごめんなさい。いままででもっとも産みの苦しみを味わったエピソードでした。書き上がってよかった。
「なん……だって……?」
久遠はたったいま無線で知らされた言葉に呆然として、レシーバーを見下ろした。
C―3輸送機二機を調達して中国大陸に進出した久遠たちは、うち捨てられた地方空港にひっそり着陸すると、OH―6に乗り変えて内陸に進んだ。首尾よく自衛隊特機小隊とコンタクトに成功したのもつかの間、衝撃的な事実を知らされた。
ロシア人はバイパストリプロトロンコアと反応炉を遮断する新技術を開発した。
久遠は無線機を押しのけてラップトップを開くと、ディスプレイ上に表示された戦術ネットワーク画面に「エルフガインーランディングーアンノウンと接触」と表示されていた。久遠は舌打ちした。
(遅かったか)
「石島空曹!」久遠は前席のヘリパイロットに呼びかけた。「コソコソ接近するのはやめだ!すまないが目標地点に急行してくれ!」
「了解!」
万一エルフガインが行動不能に陥ったら、残る対抗措置は久遠が引き連れてきたヘリ三機のミサイルだけだった。
ついで久遠はラップトップのスマホアプリを起動させて健太に発信した。
「健太!応答しろ!」
戦闘宙域に到達した健太は、地面に腕を付いて擱坐しているキガンテソルダート――ヰ式24型の姿を確認した。片腕が無くなっているのがまず眼について健太の頭に血が上った。地面に伏せたその姿は痛々しいかぎりだったが、ほかに目立った破損は見られない。ともかく撃破されてはいないようだ。
「着陸する!自衛隊ロボを援護するぞ!」
「了解!」マリアたちが口々に応えた。
エルフガインを降下させ、敵と寮機のあいだに着陸した。
敵……ひどく巨大なゴリラじみたロボとの相対距離、およそ70㎞。もう一機いたが身動きする様子はなく、エルフガインの存在には気付いているはずだがレーダー波も照射されなかった。なんらかの理由で動けないのか……。
久遠一尉は、必ずしも交戦する必要はないと健太に念を押していた。第1に自衛隊特機小隊の救援――しかし、刃を交えずにすむ方法は見当が付かなかった。いかにエルフガインといえども手負いの、ほぼ同サイズのロボットを担いで待避する術はなかった。最低でもパイロットを救出……しかしエルフガインに悠長に搭乗させている余裕があるのか?あるいはエルフガインの手のひらに載せて?アニメではそんな場面もあるけど、実際には危険すぎる。エルフガインのこぶしには武器を握る程度の役目しかなく、デリケートな作業向きとはとうてい思えない。
久遠一尉からの無線はそのとき届いた。
『健太!応答しろ!』
「こちらエルフガイン」
『よく聞け!おまえたちが対峙している相手はバイパストリプロトロン反応炉を強制停止させる手段を持っているらしい!待避だ!いますぐ隠れろ!』
「えっ?隠れろったって……」
「お兄ちゃん!ビームローダー投げてっ!」
健太は返事をする間もなく、とっさにコンソールを操作して実奈の指示に従った。
「ビイームローダ――ッ!」
エルフガインの両袖に高速回転するプラズマのリングが生じた。そして下手投げの要領でふたつのリングを次々と敵に向かって放った。
ロシア――の所属と思われるゴリラロボは、エルフガインに向かって前進していた。
そのロシアロボ、〈マシーニイ・レヴォリューツィア〉を操縦するパヴァエロヴィッチ・コリョロフ空軍少佐は、新たに出現したヤポンのマシーンを確実に仕留めるべく距離を詰めようとしていた。
メインモニターに映ったその姿はまぎれもなく〈エルフガイン〉。この数ヶ月、驚異的な戦闘力を世界にアピールした高性能マシーンだった。
まともに渡り合ったらこのレヴォリューツィアといえど勝利はおぼつかない……それは承知していた。プロフェッサー・アサクラ、シマモトの設計はロシアの30年先を行っていると祖国の技術者も認めていた。
だが、コリョロフたちには戦闘が始まる前に終わらせてしまう究極の切り札があった。〈シルクカット〉さえ使えば、致命的な近接戦に持ち込まれる前に決着がつくはずだった。
ヤポンとの勝負は大きな勝利となる……将軍に言われるまでもなくコリョロフは理解していた。そのため必要以上に慎重になってしまった。〈シルクカット〉を照射するためにわずかでも接近しようとしたのが裏目に出た。〈エルフガイン〉が先制攻撃を仕掛けてきたのだ。
しかも想定外の兵器――まばゆく明滅する金色のリングをフリスビーのように投げつけてきたのだ!隙を突かれたコリョロフは思わずレボリューツィアに回避旋回を取らせた。あの自衛隊が先制攻撃を仕掛けてくるとは!やつらの独特な交戦規則のおかげで相手が発砲しないかぎり応戦できない、という話ではないのか!?
その光輪はレヴォリューツィアに届く前に霧散した。プラズマが収束し続けられなかったのだ。
「チッ!」コリョロフは舌打ちした。とんだ見かけ倒しだ!
「勿体ぶらずとっとと片をつけてしまわなければ……」レヴォリューツィアの進路を元に戻すべく旋回した。同時にレーダースイープをかけて敵の現在位置を確かめた。相手は早くも数㎞移動していた。戦車より速い。これでは爆撃機でさえ攻撃は至難の業だ――
突如猛烈な衝撃がコリョロフを襲った。
「ぐわッ!」コリョロフの身体はシートに叩きつけられた。(砲撃!?)メインモニターの表示が立て続けの振動に乱れていた。ノイズが走る画面上は激しい明滅に覆われてなにも見えない。遅まきながら、敵が240㎜砲を4門も備えていることに思い至った。しかも電磁軌条――レールガン、火薬式砲弾の数倍の初速で放たれる砲弾……
敵は直接照準の水平射でレヴォリーツィアに砲弾を命中させている!立て続けの振動に混乱した意識でそう思った。
幸運にも、砲撃は間もなく止んだ。
(なんだ?どうした?)
コリョロフには知り得ないことだったが、エルフガインの砲弾が底を突いたのだった。先のVSフランスロボ戦で消費したぶんを補給できなかったのである。
コリョロフの身体はシートごと横倒しになっていた。あまりの振動に軽い空間識失調に陥り、レヴォリューツィアが転倒していたことにも気付かなかったらしい。
メインモニター上に機体のステータスシグナルがいくつも浮かび、耳障りな警報ブザーが鳴り響いている。そうとうダメージを食らったようだ……しかしさすがに頑丈なフォースフィールドに保護されているだけあって、巡洋艦の主砲サイズの超高速砲弾を2ダースも食らったに関わらず、行動不能にはまだほど遠いようだ。
(油断しすぎだ)口腔の不快な金属味のつばを吐き捨て、両腕を操縦桿に伸ばした。手が震えていた。(戦艦が轟沈するほどの砲撃を食らったのだ……無理もない)
ロシア空軍に所属して12年……戦闘爆撃機を駆って実戦の空を飛んだ経験もあったが、散発的な対空砲火を経験してはいても命の危機に関わる攻撃を受けた経験ははじめてであった。それでもコリョロフは軍人の家系であり、誇り高き職業軍人だったから、恥じ入り取り乱すことはなく、冷静沈着に震える手を受け入れた。
(大丈夫!)緊急復元レバーを引くと、100メートルの巨体はロケットモーターを轟々と噴かして立ち上がった。
健太はエルフガインを起伏の多い地形の山間に急がせていた。
「くそっ弾切れか」
「健太くん、ゴメン!」
「先生が謝ることないけど……ミサイルは残ってる?」
「ミサイルはまだたくさんあるわ」
「三秒間隔で敵に撃ち続けてくれ。とにかく敵にパラボラを向ける暇を与えないようにしなきゃ」
「了解よ、健太くん!」
「みーにゃん!」
「はいよお兄ちゃん、いま久遠隊長と話してたとこ。自衛隊さんの話だと、なんか電磁波を浴びせかけられたとたん反応炉がダウンしちゃったって話だけど、コアと「欠片」の相互作用はふつうあらゆる電磁場と無関係だからまったく未知の技術だよ。量子エンタングルがカットされちゃうなんてあり得ないの……」
「日本語で言ってくれ!」
「遮蔽物に隠れても無駄かもってことよ!とにかく相手の正面は避けて!とりあえずそんなとこだから悪いけど5分考えさせて超難問なの!」最後は句読点を省いた早口で言い切っていた。思考スピードがオーバードライブに没入しているのかもしれない。
「5分だな」長い5分になりそうだ。北朝鮮の核ミサイル阻止法を5秒で考え出した天才少女が超難問と認めているのでは仕方ない。「了解!」
(朝だわ)
天城塔子三佐は窓の外が白みはじめているのを見て思った。ごつい防水仕様の腕時計をあらため、途方に暮れたように溜息をついた。気を抜いたとたん30分ほど眠ってしまったようだ。
ソファーに身を沈めたい欲求に抗って立ち上がり、背筋を伸ばした。
塔子がいるのは国会議事堂裏の議員会館、その一階ロビーだ。いまは人の気配もなく閑散としていた。玄関のガラスの向こう、白んだ大通りに、自衛隊の車両が無造作に駐車されていた。
昨晩、塔子は一種のカウンタークーデターに加わり、親米派の政治家、次官、それに警察自衛隊幹部を一斉に身柄拘束した。すべては隠密に進められ、なにが起こったのか国民はほとんど気付いていない。
(一生ぶん働いた気分だ……)
この二日間ほとんど寝ていない。だが仕事はほとんど片が着いている。小湊総一郎の一派は国会議事堂に軟禁されている。
むろん、都内にいる人間ならなにかたいへんなことが進行していると気付いたはずだ。だがあくどさでは政府に匹敵する私立防衛大学出身工作員のミスリードによって、マスコミは肝心なときにそっぽを向かされていた。下準備は数ヶ月間に渡っていたが、実際の〈外科手術〉はわずか一時間あまり、迅速に施された。中央行政機能が一時停止したのはほんのわずかな時間だったが、夕食時間の都内に一種異様なざわめきが走りすぎたことを誰もが感じ取ったはずだ。そのためだろうか、都内の人影はいつになく少なめだ。
塔子は洗面所で顔を洗い、鏡に映った顔を見て溜息をついた。
(またしても、浅倉澄佳博士の読みどおりだ)
三年以上まえの〈預言〉が次々的中している。事前準備の精確さはそら恐ろしくなってくるほどだが、浅倉博士によればこれでようやく、第1段階が終わったにすぎないのだ。
(いや、ちがった)
厳密にはもうひとつだけ……健太くんがいま戦っている相手に勝たなければ、すべて水泡に帰してしまう。
エレベーターで地階に降り、国会議事堂に通ずる地下通路を歩いた。冷戦時代初期に作られた地下通路網のひとつで、昔のまま、裸電球に天井の低いコンクリート打ちっ放しという寒々しさだ。普段なら政治家先生たちはこんなもの利用しないのが、たまに後ろ暗い立場に立たされた代議士がマスコミの追求から逃げるために利用するので、ふさがれることなく維持され続けているのだという。
議事堂の二階は機動隊が警備しており、部屋ごとに歩哨が立っていた。彼らも警察の協力者ーー塔子たちと同じく、浅倉澄佳博士の計画の賛同者によって派遣された義勇の者たちだった。そうでなければ自衛隊と協力してなにかしようなどと考えられないだろう……とくに親方日の丸に弓を引くような行為である。
とはいえ、先に〈逸脱〉したのは政府のほうだ。
わたしたちは政府のごく一部の人間による、国民に対する裏切りを阻止しただけ。そう自分自身に言い聞かせても、やはり後ろめたさは心の隅に引っかかっていた。
親米派、つまりアンチバイパストリプロトロン組織に繋がっていた議員とその取り巻き、官僚などおよそ50名が国会議事堂の小講堂に監禁されていた。かれらは憔悴しきっている様子で椅子にぐったり腰掛けていたが、塔子の制服姿を認めると、その顔になんとも言えない表情を表していた。
侮蔑だろうか。
制服組が国家の最高府相手に強行手段を取るなど、どこぞの発展途上国レベルの話だから、野蛮人みたいに思われても仕方ない。塔子自身がやや気恥ずかしい気分なのだ。
(まあいずれ……近い将来、わたしも落とし前つけないと)なかば捨て鉢な気分でそう思った。
正義のためとはいえ、政府機関に鉄槌を下した塔子たちは組織から「穢れ」と見なされるだろう。戦艦武蔵の沈没から生還した乗組員が労われる間もなく僻地に追いやられたごとく、忌まわしい存在として忌み嫌われる。まこと日本的である。
閑職に回されてまで自衛隊に残りたいとも思わなかった。どうせこの先、スリル満点の人生も望めそうにない。後世に塔子たちの行為が正当だと評価され名誉回復となったとしても、死んだのちのことなどどうでもいいことだ。
だが責任を取らねばならぬなら取る。それが大人というものだ。それだけがここに監禁されているおじさんおばさんたちと塔子を隔てる、唯一の壁であった。
(それで満足よ)
意気消沈した一団を無視して控え室のドアの前に立つと、溜息を漏らした。
この役目は出来れば避けたいのだが、やるしかない。意を決してノックした。返事を待たずドアをくぐって奥の控え室に足を踏み入れると、狭い室内にただひとりの男が立ち尽くしていた。背を向けて窓を眺めていたその男が塔子に振り返った。
「小湊先生」
小湊総一郎は平静な表情で頷いた。
「きみが処刑人なのか?」
「いいえ」
「きみも浅倉澄佳のシンパなのか」それは質問ではなかった。塔子は頷き、名を名乗った。
「自分は自衛隊即応部CTCの天城塔子三佐であります」
「知っている。対戦略作戦課か、なるほど。島本さつきとつるんでいたな」
「はい」
「それで、わたしを始末しに来たのでないならなんの用だ?嘲笑いに来たのか?」
「メッセージを伝えに参りました」
「ほう?」若き大臣はハンサムな顔にわずかだけ興味を表した。「誰から?」
「浅倉博士から……です」
「死者からの伝言とは……」小湊総一郎は失笑混じりに言い捨てた。「いいぞ、聞こう」
「ありがとうございます」塔子はわずかに両足を開いて両腕を背中に回し、軍人らしく背筋を伸ばして告げた。
「ご存じでしょうが、アメリカ艦隊はすでに東京湾から撤収しました。国務次官アレックス・ゴールドマン博士も空母に帰還したようです。これにより日本国内のアンチバイパストリプロトロン組織の活動はまったく無意味になります。ご理解いただけますね?」
「ああ」
「よって、あなたがたになんらかの処罰を下すこともまた、無意味になりました。浅倉ー島本両博士の意見では、あなたがたには今後も表の顔を演じ続けていただければいい、ということで……」
相手の顔つきがみるみる変貌した。眼を見開き、険しい表情になった。
「なんと、お咎めなしときたか!」小湊総一郎が吐き捨てた。「魔女どもが!徹底的にコケにしてくれるとは……」
塔子は黙っていた。彼女にとっては彼が自分で言ったとおり、処刑するなり投獄するなりしたほうがずっと安心だった。無罪放免など甘すぎる。それを我慢して留任させるのは、そうしないと国政が大混乱に陥って「ゲーム」どころではなくなる、と〈預言〉されていたからにすぎない。だからこそ「粛正」は出来るだけ秘やかに執り行われたのであり、このまま国民に知らせないで済ますためには、この男の協力が不可欠なのだ。
だが塔子を通じて死せる天才の放った一撃は、この男に大ダメージを負わせたように見えた。なぜだろう?
塔子は気付いた。
「おまえはずっとわたしの掌で踊り続けていただけ。おイタが済んだら大人しく従いなさい」と告げられたに等しいのだ。
先祖代々日本の中枢に関わる名門の男にとって、わず10年あまりに台頭してきただけの女にそんなことを言われたら、自尊心はどれほどダメージを食らうのだろう。
政治家、あるいは芸能人、漫画家でもいい。ちょっとでも名の売れた人間がどれほど尊大になれるか、塔子はたびたび痛感していた。そしてそういう人間ほど敗北したときの精神的ダメージは大きい。
この男は案外本気で、死んだほうがましと考えているかもしれなかった。
しかも、三年もまえに亡くなった人間にすべて読まれていたとしたら……
(うわー……)
塔子は強力なメンタリストが持つパワーをはじめて実感した。
大きな男をねじ伏せてしまうほどのちから。恐ろしくも誘惑的なちからだった。卓上演習で相手を出し抜き勝ちを収めたときの高揚感など、これに比べれば草野球レベルである。塔子はいま、グランドマスターのチェスに立ち会っているのだ。
小湊総一郎は部屋の片隅に置かれた椅子にどさっと腰を下ろした。「くそっ……」そう呟いて頭を抱えた。
容易に声をかけがたい雰囲気になってしまった。塔子も内心穏やかではなかった。
決断を促す声も遠慮がちになった。
「承諾……なさいますか?」
「きみ……天城くんだったな?」彼はうなだれたまま喋りはじめた。「きみは知っているかどうか、わたしはあの女と同期だったんだ。ハーバードに留学中、ごく短期間だったがね」
「経歴はあらためさせていただきましたから、ひょっとしてとは思っていました」あの女とはもちろん浅倉博士を指している。
「20年近くまえの話だ」小湊総一郎は顔を上げて椅子の背にもたれた。険しい顔つきで前を見ていた。「……例によって日本ではぜんぜん無名だったが、北米ではすでに浅倉澄佳の名は知られていた。とてつもない天才現ると、な。だからわたしもお近づきと洒落こんだものだ。いまにして思えばあれがすべての間違いだった」
塔子は気安く相づちを打つわけにもいかず無言でいた。
「天才だから変わり者だとは思っていたが、実物はそんな生やさしいものではなかった。そしてあの美貌だ。知り合ってみると予期していたより世慣れて、堂々としたものだった。まだ18かそこらのはずだが、三年も年上のわたしは圧倒されたんだ。アカデミックな話を早口でまくし立てることもなくジョークを披露して周囲を笑わせ、ウィットに富んだ会話を交わしていた。ところがその言葉の端々が、こちらを妙に落ち着かない気分にさせる辛辣さを含んでいるのだ。たんに意地が悪いとかではない。ハッとするような洞察と考え込むような示唆に富み……われわれはいつの間にか彼女の気を引くために独創的な話題を漁り回っている始末だ。しかも彼女は試験でもするようにちょっとずつハードルを上げてゆくんだ。おかげでだんだん不安になってくる。果たして俺は彼女に気安く語りかける資格があるのだろうか、とね。日本にあんな女がいたとは驚きだった」
塔子は早くも話に引き込まれていた。彼女自身は島本さつきを通して計画に関わったのであり、浅倉澄佳とは二度ほど、しかもごく短い時間会っただけだ。エルフガイン計画の裏側は典型的な細胞組織であり、蜂起の直前まで誰が細胞メンバーなのか必要以上に明かされなかったのだ。だから、残念ながら浅倉博士のカリスマ的人となりを実感する機会はついに得られなかった。それがいま語られていた。
「たぶんあの女は、その頃から仲間を選別していたのだろう。秀才揃いのハーバードで、午後のカフェに集うメンバーは増えて、教授さえ顔を出した。気の早いフェミニストの女学生はあの女をキリストの再来と唱えた。そこまでゆくと白眼視されはじめてもよさそうなものだが、あの女の危機回避能力はまさに天才そのものなんだ。ディベートの勝ちはほどほどに抑え、一歩譲るタイミングを心得ていた。話題選びに貴賤も設けず、ネイチャーの論文からタレントのゴシップまでどんなことでも尋ねれば意見を開陳した。キリスト教文化を理解し、5国語を操って溶け込んでいたので、誰も彼女が日本人だと意識しなくなっていた。欧米が好む洗練されたコスモポリタンだ!あざとさや計算高さは微塵も感じられず、みな彼女を尊敬して、険悪な敵対者はついに現れずじまいだった」
(それでは、あなたも彼女から如才なさを学んだのですね)塔子内心で本人から語られない部分に思い至った。
「……一年もすると、彼女はすでにPh.Dとなり、NSAからも一目置かれるようになっていた。キリストはともかくアインシュタイン級とは見なされていた。米国は浅倉澄佳をさりげなく国内に留め置こうと画策しはじめていた。あの頃からすでに、彼女の研究は米国に多大な貢献をもたらす、と考えられていたのだ……そして日本なりどこなりに出国させたら安全保障上の脅威となりうると判断した……」
彼は言葉を切り、塔子に顔を向けた。
「それでわたしはな、彼女が日本に脱出する手助けをしたんだ。そのときは無邪気な冒険のつもりだったが、皮肉な話だろう?」
「……存じ上げませんでした」
「誰も知らない話だ。その頃わたしはあの女にすっかり熱を上げていたんだよ」自嘲気味にそう告白して、話し続けた。「しかし同時に畏れてもいた。浅倉澄佳は、わたしにとって将来脅威となる、と思わせるただひとりの人間だった。その考えは数年後に現実となった。わたしが学業を終えて親父の使い走りに就いた頃、あの女はすでにこの国の中枢に食い込んでいた。どこか立派な会社に就職したか大学で研究でもしているものと思ったが、ちがった。わたしの想像の斜め上を行っていた。どこに行っても浅倉の名前が出てきたが、あの女が何をしようとしているのか誰も知らない。
噂はあった……どうやってか国家予算なみのカネを作り出しているらしいとか、強面の連中を自在に操って、得体の知れない武装集団を組織している、世界中の天才とコンタクトを取り始めた、誰も彼もが彼女の言いなりだ、とな。しかも、そのあいだに結婚してガキまでこさえていた!」
塔子は猛毒を含んだその言葉に身を竦ませた。
浅倉澄佳とこの男の確執の発端が語られたのだ。それは昔から変わらぬ愛憎の物語であり、言ってしまえば陳腐でさえあったが、普遍的なだけに根深い。その後小湊総一郎が親米に傾いた経緯さえ語らずとも推測できてしまいそうだ。
小湊議員は突然話題を変えた。
「島本さつきは、本当に死んだのか?」
「え?……いや、そういう話ですが……」不意を打たれた塔子は断言できなかった。相変わらず、死んでしまったという実感は沸かない。
「すると、浅倉の意志を継いでいるのは誰なんだ?きみか?」
「まあ、わたしが実働部隊を動かしましたが、われわれにはボスはいないんです。みんな浅倉博士の遺言に従って、それぞれ必要と思われることをやっているだけで……」あらためて指摘されると当惑する話だ。多くの人間が三年も前になくなった人の意志を継いで戦っている。かくも大勢が信念に基づいて、共通目的のため有機的に連携している。考えてみると奇跡のようだ。
「なるほど、あの女らしい。するときみたちは、あくまで〈ゲーム〉に勝つためにこれからもやってゆくのか?」
「そうするよりありません」
「あの女はサイコだ!」吐き捨てるように言った。「そんな女に操られて世界の半分と戦うつもりなのか?本気か?アメリカに勝てると思ってるのかね?」
「勝たねば人類はおしまい……という話ですから」
「ああ、きみは〈ドゥームズデイリポート〉を読んでいないのか。わたしは読んでいるが、それは本当だ。現状が維持されればあと半世紀で人類は確実に滅亡する」
彼の指摘は当たっていた。〈ドゥームズデイレポート〉の内容は数量的なデータの羅列が大半を占めていて、生半可な知識ではちんぷんかんぷんだった。しかしいったん理解してしまうと無視することは出来ないという。地球環境が熱暴走する兆候は世界全土に現れていたのだ。
「それで、あなたがたは米国の〈箱舟〉に望みをかけたのですね?」
「まあそうだ」悪びれもしない口調で言った。「少なくともわたしはな。ほかの金魚のフンみたいな連中については……おそらく漠然と既得権益を主張したいだけだったのだろう。ひとりふたりは大学の先生にレクチャーされて事態を呑み込んでいたことと思うが、大半は人類滅亡なんて夢物語としか捉えていない。やつらはその手の想像力とは無縁だからな。
それはともかく、人類滅亡を回避するには、宇宙に行くしかない。座席数は限られているんだ。宇宙人の言いなりに〈ゲーム〉を続けて世界を統一したとして、それでどうなる?不思議な宇宙パワーで地球を救ってくれるとでも?日本人がボスの座に就いたら欧米人が素直に従うと本気で考えているのか?」
小湊議員は椅子にふんぞり返った。「わたしがより現実的な選択を選んだとしても、責められようか?」
塔子は頷いただけだ。議論するつもりはなかった。
手前勝手な言い分には情緒的嫌悪を催していたとはいえ、結局この男は自分なりに最善を選んだだけなのだ。全人類を救うのは叶わないがひと欠片でも存続させて未来に繋げよう……それはそれでたしかに現実的で、〈箱舟〉計画の根本に邪悪な意思はないのかもしれない。生存のためになりふり構わずだったとしても、それは欧米的なバイタリティらしかった。和を尊ぶ日本人らしいみんなで仲良く地球と運命をともにしよう、という考えと比べて優劣をつけられるだろうか?
人類存続のため、という目的じたいは浅倉博士と同じなのだ……。
ちょっと哀しい話だった。
「だがその選択肢はきみたちが台無しにしてくれたから、もはやあの女の拍子に合わせて踊るしかないわけだ……」
塔子はまた頷いた。
「どのくらいだ?あと一年くらいか?それで決着は付くな?」
「おそらく」
「了解した」小湊総一郎は膝を叩いて立ち上がった。もう打ちひしがれた様子もなく、堂々とした態度で、ネクタイまで直している。「一年、あるいは〈ゲーム〉終了まで、きみたちに付き合うとしよう」
塔子はフッと息を漏らした。
「ありがとうございます」
裏切り者に礼を述べるのは妙だが、この男は、これからあえて屈辱の一年を送ることを了承したのだ。この男にとっては法的に裁かれるより厳しい罰となるのだと塔子は悟っていた。
塔子はここから早く立ち去りたかった。極悪人とはいえ、やはりカリスマであり、表向きの顔と違わず即断即決、修羅場を覚悟していたのに、ぶざまな自己弁護はいっさいせず、塔子はちょっと感心していた。道を間違えなければ立派な日本の司令塔となったはず。
あと5分ここにいたら膝に頭を抱いて慰めてしまいそうだ。
「それでは、失礼いたします」
「わたしは自由なんだな?」
「これ以上拘束する理由はありません。送迎車を回しましょうか?」
小湊議員は首を横に振った。「あの小僧はどうなっている?」
「健太くんたちは、中国大陸で戦っています」
動き続ける二体の巨大ロボのあいだを縫って飛んでいるうちに、ヘリの燃料が帰還可能レベルを割っていたので、久遠はヘリを三機とも着陸させた。なけなしのミサイルはとうの昔に撃ち尽くしていたから、どのみち飛び続けるのは無意味だった。
三機のヘリは行動不能に陥ったヰ式24型を囲んで着陸した。
「久遠一尉!後続はあと15分で到着するそうです!」石島空曹が告げた。
「そうか。特機小隊全員乗せられそうか?」
「UH―60三機、一機は空中給油機です」
「よし、それならAH―6も持って帰れるな」
「こいつよりロボットを回収したいですよ……」
「おい、そう言うな。おれたちもこのヘリもいくらでも役に立つんだ。あの怪物ロボットたちをこれからの軍事的な基準と考えるのは間違いだ」
「そうっすかね……」
「そうでなけりゃみんなが困り果てる」久遠は座席の下からサブマシンガンと装備パックを取り出した。
「ここで待機してくれ、おれは特機小隊の連中の様子を見てくる」
「了解です」
山の稜線の向こうから絶え間なく轟音が響いていた。巨神がタタキで特大の布団を叩いているようなバタン、バタン、バタンという割れた音。それが絶え間ない地鳴りとともに大地を振動させていた。総重量一万トン近いロボットが歩行する音であった。
久遠が着陸するまえ、エルフガインは謎の電磁波攻撃から身を躱しながら敵ヴァイパーマシンに接近を試みていた……ロシアのゴリラロボは鈍重でエルフガインの運動性能には叶わないが、強力な切り札を持っている。対してエルフガインは、敵を撃破するためにはある程度接近しなければならない。敵は腰を据えて待ってさえいれば、いずれ射線上に捉えることが可能となる。戦況は膠着していた。
(実際にはだいぶ分が悪いがな)
空が明け始めていた。
緑色の作業服姿の人物がカンテラを片手に手を振っていた。鉄兜を被った姿は小柄で女性のようで、おそらく江川一尉だろう。久遠は五〇メートルあまりを走って合流した。
「久遠一尉!」江川は驚いた声で言った。「直々においでとは……」
「みんな無事ですか?」
「ひとりふたりへばっていますが、全員揃っています」
「よかった。もうすぐ迎えが来ます。支度は出来ていますか?」
「ええ……」江川一尉は轟音が響いてくる方角の空に顔を向けた。「浅倉くんたちは、まだ戦っているんですよね?」
久遠は励ますような笑みを浮かべて頷いた。「しぶとく食い下がってますよ……」どこからかバタバタという、別の騒々しい音が聞こえてきた。「あれ、もう迎えのヘリが来たのか――」
江川一尉が口に手を当てて呟いた。「あれはホークやバートルの音ではないんじゃ……」
「そうだ!まずいな。カンテラを消して!」
久遠は江川の肩を軽く叩き、ふたりは特機小隊の残りが待機している場所に走り出した。走りながら空を仰いでいた江川一尉が、それを見つけた。
「ハインドD型が三機!ロシア軍ですよ!」
「畜生め。RPGの持ち合わせはないぞ」
「わたしたちのほうに二門あります!」
「それだけじゃ徹底抗戦とはいかないな……逃げ回るとしよう」久遠は無線機に話しかけた。「チョッパー各機に次ぐ。ロシアのヘリが接近中。各機とも状況を見て離陸を判断せよ。無理な交戦は控えるように」
『了解』冷静な声が応じた。『後続部隊のためにも囮が必要でしょう。われわれが引きつけます』
「分かった……気をつけて」久遠も平静に応じたがその顔は険しかった。ヘルファイアミサイル無し、12.7㎜機関砲のみ。相手は古いハインドとはいえ、ロケット弾とミニガンを備えていた。
おまけに一機あたり1分隊ほどの歩兵を乗せられる。
いまにもその一機のエンジン音が近づきつつあった。地面に降下しようとしている。手早く歩兵部隊を展開させようとしているのだ。捕虜にしようとしているか、ヴァイパーパイロットをひとりでも確実に減らそうとしているのか……おそらく後者だ。
あたりは慌ただしい本物の戦場となりつつある。相手は度重なる実戦で経験を積んでいる。上空を旋回している一機がロケット弾を発射した。着陸している自衛隊機をおそらく赤外線で補足したのだ。甲高い笛の音のような轟音を響かせ、オレンジ色の火線が着弾したその先の地面が爆発した。
「くそッ!やりやがったな!」
続いて起こった爆発に、振り返った江川一尉の顔が照らされる。その顔は怯え驚愕していた。
そのとき、前方でなにか機械的な乾いた音が響き渡った。
「こんどはなんだ!?」
前方で真っ黒なシルエットとしてうずくまっていたヰ式24型が、ナビゲーションライトを灯していた。久遠たちは思わず立ち止まった。
「まさか……再起動したのか?」
「いいえちがいます!予備電源で火器管制システムだけ再起動したんだわ!」
「なんてこった……」久遠は事態を察した。誰かが、ヰ式24型の近接防御兵器だけで戦おうとしているのだ。
「無茶だって言ったのに!バッテリーだけで稼働できるのはせいぜい2分が限度なのに……」
もとより主電源であるバイパストリプロトロンを失った際に、乗組員脱出用として最低限のシステムを生かすためだけに設けられているのだ。レーダーを動かすのには無理がある。
「誰が動かしてるのよ!やめさせなくちゃ……」
(もう手遅れだ)久遠は思ったが、江川一尉の肩に手を置いていった。「ほかの連中とまず合流すべきだ。まさか残り全員で乗り込んだわけではないだろ?」
「ええ……そうですね」江川一尉は無線を取り出した。
久遠たちは木陰に座り込んで身を潜めた。あたり一帯ではローターブレードの脈打つ爆音が地面を叩き続けていた。自衛隊の後続が到着したら状況がさらに混沌とするだろう。合流地点を変更したいところだが地の利は不明のうえに徒歩ではいかんともし難い。
(悲観はよせ)久遠は自らに言い聞かせた。(あのベトナムだって戦死者数は19%だ。おれたちが低いほうの統計に含まれてしまう確率は、きわめて低い……はず)
微風に乗って、ロシア語が聞こえてきた。
ロシアのヴァイパーマシンが一瞬、動きを止めたように見えた。
展開しているロシア陸軍歩兵部隊が、ヰ式24型がまだ健在のようだ、と誤った報告をコリョロフに告げた。それが一瞬だけコリョロフの注意を逸らしたのだ。
(チャンス!)
健太にはそう映った。一気に距離を縮める機会、そう思えた。ゴリラロボとの距離は約15㎞。フットペダルを踏み込んでエルフガインを跳躍させた。同時にウエポンセレクターを素早くスライドさせ、【必殺武器】エルフガインサンダーを選択した。
実奈がずっと沈黙していたため健太の気が急いて、判断を早まった……一気にケリをつけてしまおうとしたのだ。エルフガインにとって15㎞の距離は30秒で詰められる。
だが、現代戦にとって30秒間は長い時間だった。
「エルフガイン――!」健太にとっても嫌になるくらい引き延ばされた30秒間だった。ゴリラロボがゆっくりこちらに腕を向けるのが見えた。相対距離11㎞。声の限り技名を叫びながら両手はコンソールを忙しく動いていた。「サァンダァァァ――ッ!」
エルフガインが空中で背面ジェットを噴かして、弾かれるように横スライドした。敵に対するフェイントだった。
あと8㎞。
おそらく健太にとって最大能力を発揮した操縦であった。エルフガインはその巨体からは誰も想像できない立体運動を展開していた。着陸と同時に地面を蹴り、向きを変えてふたたび跳躍。
お互いの距離を縮めてゆく二体の巨大ロボの周囲、日の出に照らされた紫色の雲が、天頂から降臨する幾筋もの鋭光に引き裂かれてゆく。エルフガインサンダー――静止衛星から放たれる大電力レーザー――その先駆けとなるターゲット捕捉用ガイダンスビームの光だ。その光線がゴリラロボを捉えた瞬間、勝負は決着する。
あと5㎞。
すべてがスローで進行していた。
敵の腕――袖に展開したパラボラがゆっくりこちらに向いてゆく。
あと少し、あと少しだ!
「くッ!」健太が食いしばった歯の隙間から唸りともなんとも言えない音を漏らした。
どこか遠くで警報が鳴っていた。「なにか浴びせられてる」ぼんやりとそう思った。エルフガインは最後の跳躍でロシアのヴァイパーマシンに肉薄している。
その敵ロボの右肩で、突如まばゆい光が明滅しはじめた。続いてその肩が爆発して、右腕が吹き飛んでゴリラロボが大きく傾いた。エルフガインはその巨体に向かって巨大な放物線を描いて落下してゆく。大きく振り上げた両腕の袖からツインソードが生えだしていた。
次の瞬間、健太のコクピットがダウンした。
健太は息を呑んだ。動力を失ったエルフガインが自動的にニュートラル姿勢に移行した。棒立ちになって、同じく自動的なセンサーシステムが働いて着地ロケットが点火、エルフガインはロシアロボのすぐ側にフワリと着地した。
そして、そのまま動かなくなった。
曲がりなりにも復活したヰ式24型が、機体全身に装備した近接防御火器でハインドを追い回していた。猛烈な対空機関砲勢射に慌てたハインドの一機が急降下しすぎて地面に叩きつけられた。
だがハインドの数はむしろ増えていた。どこから沸いたのか、いまや一個小隊ほどのロシア陸軍機械化部隊がヰ式24型を包囲していた。携帯型のRPGロケットランチャーが火を噴き、ヰ式24型に命中していた。いくら巨体とは言え、バイパストリプロトロンのフォースフィールドを失った装甲板は確実にダメージを食らっている。
ロシア語の怒号とAKの軽いスタッカートがひっきりなしに飛び交っていた。ロシア語はぞっとするほど近くで聞こえた。「やつらがいたぞ!」と叫んでいるのか、陽気とも言える調子だ。米国製プレイステーションFPSを遊んで育った新世代のロシア兵だ。
「久遠一尉――!」周囲の混乱した喧噪の中で、久遠の背後に続く江川一尉のくぐもった声が聞こえた。悲壮な声音だ。撃たれたのかと思って振りかえると、江川一尉はよろけながらもなんとか走り続けていた。
「大丈夫か!?」
「はいッ」泣きべそ寸前にしかめた顔で応えた。「はいッ!平気です――」
「がんばれ、もう少しだ」と励ましてやりたいのは山々だが、あいにく、もう少ししてもなにも好転しそうにない。特機小隊の残りは移動したらしく、不案内な土地でお互いに迷子状態だ。隊長ひとりがヰ式24型に乗り込んでいるらしい。
ヰ式24型はわずか50メートル先にそびえ立っている。反撃は早くも散発的になっていた。ミサイルを発射させるだけの電力がないのだろう。残りの味方連中も遠くない位置にいるはずだが、もはや合流しても意味がなさそうだ、と久遠は思った。周囲の馬鹿騒ぎと混沌はまさしく【プライベートライアン】のオハマビーチ上陸シーンそのものだ。あのユダヤ人の監督は軍隊経験もないくせになんで分かってやがったんだ?
しかしそもそもわずか数人相手、しかもろくに応戦して来ない久遠たちに、やつらはどうして発砲し続けている?
久遠ははたと立ち止まった。余所見しながら姿勢を低くして走っていた江川一尉がその背中に頭から追突した。「イタッ!」
久遠は慌てて江川一尉の身体を抱き留め、襟を掴んで地面のわずかなへこみに身を伏せさせた。乱暴な扱いに彼女は悲鳴を上げた。
「悪いな」
「どっ……どうしたんです?」体格のわりに大きすぎる自動拳銃をお守りのように胸に抱いていた。
「様子がおかしいと思わないか?やつらなにと交戦しているんだ?」
「え?」江川一尉は虚空を振り仰いだ。周りじゅうで響き続ける機関銃の音に気付いたようだ。ときおり手榴弾も炸裂していた。
「なんか……別の部隊と交戦している感じですね」
「そうだ」久遠も首を伸ばしてあたりの様子をうかがった。「誰か気を利かせて支援部隊を寄越したのか……」
江川一尉が久遠の袖を掴んで叫んだ。「見てください!あれ――」
久遠が指し示されたほうに眼を向けると、異様な光景が見えた。
わずか20メートル足らずの場所で、ロシア兵がしきりに罵声を吐きながら、腰だめに構えたAKを連射していた。相手は背の高い男性……だが歩兵らしい恰好はしておらず、黒いタンクトップとぴっちりしたズボンという、ひどく場違いな服装だ。長い黒髪の白人で、イケメンのバレエダンサーのように見えた。
銃弾を受けているにもかかわらず、傷ついた様子もなく、落ち着いた足取りでロシア兵に迫っていた。
「な……なんだ?」
小銃を撃ち尽くしたロシア兵は呆然とバレエダンサーを凝視した。もうふたりは1メートルほどしか離れていない。ロシア兵は明らかに怯えていた。持っていた小銃を足元に投げ捨てると、きびすを返して逃げ出した。
バレエダンサーはにこやかな顔で、逃げるロシア兵を見送った。ついで久遠たちに振りかえった。
「無事ですか!?」日本語で問いかけてきた。
久遠は無言で頷いた。
『久遠くんなの?』バレエダンサーがまた尋ねた……しかもこんどは女の声で。
久遠はその声に聞き覚えがあった。
「し・島本博士?」
『そうよ。ロシア兵は撤退しはじめている。集結地に誘導するから「彼」に付いて移動してちょうだい』
「彼ってのは……その、おれたちの前にいる男のことですか?」
『そう、彼よ。早くして』
「それでは付いてきてください。歩けますか?」バレエダンサーが男の声に戻って言った。
「ああ……歩けるよ」久遠のとなりで江川一尉が激しい勢いで頷いていた。
久遠たちはバレエダンサーのうしろに従って歩き始めた。よく見るとタンクトップは穴だらけだ。しかし男はまったく出血していない。
江川一尉が囁いた。「あの……久遠さん、あのひと……」
久遠は頷いた。「ロボットのようだ」
「そんな、どう見ても人間じゃないですか」
男が振り向いた。ハンサムな顔に親切そうな微笑を貼り付け、嬉しそうに言った。「わたしは、よくできてるでしょう?」
「え、ええ、そうね……」ひどく神妙な声で応えた。
「わたしたちは現在、48体がこの地域に投入されています。ロシア軍はほぼ制圧しました」
「きみたちは……われわれの味方なのか?」
「わたしは南アフリカのタンガロという小さな国からやってきました。製造されたのもその国ですが、部品の5割は日本製です。現在は島本さつき博士の指揮下で動いていますから、そう、味方です」
「なるほど、聞いたことのない国だ」
江川一尉はその国名に覚えがあった。バイパストリプロトロン制御技術に関してアフリカで唯一、日本のODAを受けた国だ。日本国民のほとんどはそんなことは知らない。何年も前にちょっとニュースで流れただけなのだ。
だがその頃、政府関係者や自衛隊内ではある噂が囁かれた。浅倉澄佳博士の莫大な資産がアフリカに流れている。タンガロ共和国を支援すると決定したのも浅倉博士が政治的圧力をかけた結果だ……しかし、日本政府が、どこに存在しているのか国民がろくに知らない国をいつの間にか援助したり円借款しているのは毎度ことだから、誰も注意を払わなかった。
ところが……浅倉博士はその国でとんでもないものを製造していたらしい。
とんでもない、といっても、江川一尉は単純にものすごい技術革新を目の当たりにして感心していただけだった。
そのロボットが人類社会にどれほど甚大な影響を及ぼすことになるのか、そこまでは想像が及ばなかった。
まっ暗だったコクピットに赤い非常灯が灯った。同時にモニターが復活したがアイコンの数は激減して戦術ボードも表示されていなかった。
「おい、くそっ動け!動けよエルフガイン!」
エルフガインにはガシガシ引っ張るような操縦レバーはない……指先の最小限の動きだけで操縦する。だから腹立ちまぎれに乱暴な操作をすることも叶わない。不満を発散させるはけ口がないので、健太はやがて黙り込んだ。
いつになく静まりかえったコクピット内の空気がよどんで温度が上がったような気がした。健太は自分が汗だくなのに気付いた。
機械音声が健太に無慈悲な勧告をつげた。
『全システム機能停止しました。乗組員は速やかに脱出してください』
健太はコントロールパネルに両手を突いたまま、息を殺して、その言葉を聞いた。
負けた。
耳元で実奈の声が聞こえた。
「ごめんなさい……お兄ちゃん……ごめんなさい……」
なにを謝っているのか。
負けたのはおれのまずい判断のせいで、実奈ちゃんが悪いんじゃない……そう言いたかったが、喉が強張って喋りづらい。
何度か咳払いした。しっかりした声が出せそうだ、と思ったので言った。
「みんな、待避準備だ……」
そう、負け戦の将でもまだやることは残っている。最後まで整然と、みんなを待避させる。やることがあってよかった。でなければ心が折れてしまう。
「健太、待避って言っても――」
マリアが言いかけたところで猛烈な震動が健太を襲った。
「うわ」
エルフガインが傾いている。モニターは正面を映したまま固定されている。ロシアロボの巨体の一部が見えた。残った左腕がモニターいっぱいになった瞬間、ふたたび震動が襲った。
「倒れるぞ――!」
全高80メートルの機体が地面に叩きつけられ、健太のからだがエアバッグに包まれた。真っ白なビニールにぎゅう詰めにされながら、エアバッグが装備されていたなんてはじめて知った、と健太は思った。電力を失ってショックアブゾバーも働かなくなったため、緊急システムが働いているのだ。
しぼみはじめたエアバッグに埋もれながら叫んだ。「みんな!無事か!」
「健太さんは!?」まこちゃんが言った。
「大丈夫、それより次の攻撃に」備えろ、と言おうとしたところでエルフガインが頭部を捕まれ、強引に持ち上げられた。
ロシアロボが発砲しはじめた。
棒立ちのエルフガインの胸部に戦車砲を撃ち込んでいた。絶え間ない振動と轟音がコクピットを揺すぶった。
「ぐおおおッ」健太は食いしばった歯の隙間から唸った。きわめて腹立たしいし、無念に胸が張り裂けそうだ。奴は殺しにかかっている。
やめてくれ!せめて先生たちは助けてくれよ!
「健太」
健太はサッと顔を上げた。
「……母さん?」
何年も聞いていなかったが、すぐに分かった。間違いなく母親の声が聞こえた。
「母さん、なのか……?」
「健太……これを聞いているなら、あなたたいへん切羽詰まった状況に陥ってるはずね」
母親が何年も前、亡くなる前に録音した声が、続いた。
「あなた……戦い続けたい?選択肢はふたつだけ。戦うか、敗北を認めるか……負けたとしても全力を尽くしたのなら恥じることはない……。でも……よく聞いて。バイパストリプロトロン反応炉が停止してもエルフガインはまだ戦える。だけど、あなたにとってそれが良いことなのか、わたしには分からない……」
まだ戦える?
だが母親の話はリスクを懸念しているように聞こえた。
アグスタウエストランドリンクス軍用ヘリが山間を縫って飛来した。南アフリカ空軍の国籍マーク付きだった。久遠たちの頭上で機首をグイと上げてホバリングすると、乱暴な勢いで着陸した。側面の昇降ドアがスライドして、島本さつきが現れた。
なにやら厳ついボディーアーマーを纏っていた。久遠たちがその姿をぽかんと見とれていると、さつきはややイライラした調子で言った。
「なによ、わたしよ?生きてたんですかとかなにかひと言ないの?」
「エー……と」久遠は鉄兜を脱いで頭を掻いた。ほんとうに亡くなったとは思っていなかったため、ちょっと困惑気味だ。「……ご無事でなによりでした、博士」
「つまんないリアクションね!」
江川一尉は「マジで言ってるのこの人」という顔でさつきを凝視している。
「まあいいわ!久遠くんはさっさと乗り込んで。江川さんはここで待機してちょうだい。ロボットたちがほかの特機小隊のみなさんを連れてくるから」
「り、了解」
江川一尉がうしろに下がると、アグスタヘリが離陸した。無造作と言える運転で、陸自のヘリに慣れている身としては少々恐ろしかった。カーゴベイの天井に張られた網に掴まって身体を支えながら操縦室に眼をやると、ふたつのシートにヘルメット未装備の男女が収まっていた。
(パイロットもロボットか……?)
「博士!一ヶ月もどこにいらしたんで?」ヘリの爆音に負けないよう叫んだ。
「もちろん、アフリカよ!」
なにがもちろんなのか久遠には見当が付かなかった。
「エルフガインは!?」
「大ピンチなのよ!わたしたちがいまから駆けつけてもどうにもならないかもしれないけれど、近くの山頂に飛んで様子を見ないとね!」
「ですね!」
大声で会話しつつ久遠はさつきの恰好をしげしげと眺めた。パワーアシスト外骨格型の強化防護服のようで、さつきの身体を強化材の軽装甲板でサンドイッチしているようだ。頭を囲むようにゴテゴテ機械をデコレートしたヘアバンドを装着しているが、それも背中のアクチェーターで支えられていた。背中のバックパックから2本の機械肢が突きだして天井の網を掴んでいて、足元もどうにかして床に張り付いているらしく、傾き続ける機体内でもさつきは余裕で立ち、両腕もフリーだ。
しかしなによりも久遠の眼を引いたのは、首から肩、脇下から太股かけての素肌のチラ見え具合からして、下にはなにも身につけていないらしい、ということであった。
「ちょっと、なにを見ているのよ!」
「いやその、そのスーツ、すごいなと思って……」
さつきは難しい顔で……やや上目遣いで久遠を睨んだ。
ひょっとしてふつうの人間並みに恥ずかしがっているのか。
「ロボットを指揮するためのスーツよ!」
久遠は精一杯まじめな顔で頷いた。「戦場で?しかしそれだとNBC防御がちょっと心許ないような」
「本当はこの上にさらに深海ダイブスーツみたいなのを着るんだけれど、お相撲さんみたいで暑苦しいのよ!」
なるほど
素晴らしい。
ただし、再会したらハグしてやろうと画策していたのに、スーツがゴツくて出来そうになかった。残念。
そんなことを考えているあいだにヘリが着陸態勢にうつった。いちどだけ旋回すると小高い山のわずかな平地に着陸した。ロボットは優秀なパイロットだった。ただし乗り心地にはあまり配慮していない。
久遠が先に昇降ハッチから飛び降りた。さつきを手助けするつもりで振りかえったが、彼女は楽々とひとりで降り立った。見た目よりずっと軽やかな動作だ。ヘリはすぐどこかに飛び去った。さつきは口元のレシーバーでなにやら指示を飛ばしている。データリンクしたタブレット操作ではなく口頭命令で操作できてしまうロボットとは恐れ入る。
久遠はさっそく望遠鏡を取り出して構えたが、レンズを覗くまでもなく、見えた。
ロシアのゴリラロボがエルフガインを痛めつけていた。
「ああ、くそッ」
「エルフガインは……動いていないようね」
「ロシア人はバイパストリプロトロンコアと反応炉の相互作用をシャットダウンする方法を考え出したんです」
「少し前から通信をモニターしていたから、状況は分かってる。浅倉くんもやられてしまったのね。それにしても勝敗は決してるのに、ロシア人はまだやる気なの……?」さつきはマイクに話しかけた。「シャープ4から18,ロシア語と英語で軍用無線に停戦要請を呼びかけなさい。自衛隊からの要請として」
久遠は長々と溜息をついた。
「われわれの敗北ですか……」
さつきは黙り込んだ。腕を組み、ひどく深刻な顔つきだ。久遠はその横顔を見てなにか言いかけ、やめた。
ロシアロボは棒立ちしたエルフガインを殴り続けている。奴もかなり破損していた。腕が1本だけしかなく、その残った腕でエルフガインの胸部を連打していた。
(ロシアのやつら、まだ続けるのか)ロシア人が日本側の停戦要請を素直に受け入れるとは考えられなかった。このままではパイロットたちの生命が危ない。望遠鏡を通して見ると、胸部装甲板がかなり破壊されていた。
ロシアロボが手を止め、エルフガインにミサイルを撃ち込んだ。
エルフガインの胸で大きな爆発が起こり、巨体がぐらりと傾く……しかし無動力状態でも働くジャイロのおかげで、転倒には至らない。
さつきが息を呑む気配を感じて久遠は振り返った。口元に手を当てて眼を見開いていた。何ごとかと思った久遠は、あらためて望遠鏡を構えた。
エルフガインの胸部がさらに破壊され、黒煙を吐き出していた。その煙の奥からエメラルドブルーの光が漏れていた。
「あれは――」
久遠はぞっとした。
「コアの欠片だ。エルフガインの反応炉が剥き出しになってる!」
「いいえ……」さつきが言った。「反応炉じゃない。あれは――」
さつきの意外な言葉に、久遠はもういちど望遠鏡を覗き込んだ。黒煙が晴れて破壊された胸部の様子がはっきり見える。
ねじくれた構造材に埋もれたブルーの球体が見えた。
最近よく眼にしていたそれを見た瞬間、久遠は毛髪が逆立つほどの戦慄とともに理解した。
誰も所在を知らなかった日本のバイパストリプロトロンコア。そして島本さつきも結局、知らなかったコアの在処がいま、明らかになったのだ。
まさかエルフガインに埋め込まれていたとは……!
「博士……」
「さすがのわたしも驚いたわ」さつきは暗い笑みを浮かべて久遠を見た。「設計段階でバニシングヴァイパーとヤークトヴァイパー双方に反応炉を搭載すると浅倉博士が決定したとき、わたしは重量と機体容積の面から反対した。でも反応炉をふたつ装備したほうがサバイバビリティが向上するし、バニシングヴァイパーの出力は格段に上がるからと説得されて納得した。
まさか、あとでこっそり反応炉をバイパストリプロトロンコアそのものにすり替えていたなんて!すっかりだまされてたわよ!」
さつきは泣き笑いしていた。
「つまりどういう――」
「分からないの?久遠くん。ロシア人が反応炉とコアの相互作用を断ち切っても意味がないのよ!コアそのものを装備しているんだから!」
さつきの答えに応じるかのようにエルフガインがその腕を持ち上げ、殴りかかろうとしていたロシアロボの腕を掴んだ。
健太は決断した。
母親の声に従ってパネルを操作する。モニターに次々とエルフガインのソースコードが表示されてゆく。録音された浅倉澄佳の声が「コアのリミッター」と呼んでいるものを解除する作業だった。
録音音声の母親の声、その声の調子からして、できればリミッター解除をあきらめてほしいと思っていた節がある。
しかし健太は再戦の機会を選択した。
ふたつのパスワードを入力して関門を通過、最後に音声入力で秘密の呪文めいたパスワードを入力した。
「正しいと信ずることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ」健太はその言葉の出自を知らなかったが、それは非暴力主義者マハトマ・ガンジーの言葉だ。地球最強の暴力装置を解放するパスワードとしてはひねくれすぎていた。
メインモニターに警告アイコンが点滅している。『あなたは第二段階バイパストリプロトロン量子相互作用限定装置を解除しようとしています』
(望むところだ)
どこか遠くで健太の名を呼ぶ声が聞こえる。
「健太くん!応答して!」ひずんだ声は礼子先生だ。
「健太さん!無事なんですか!」まこちゃんだ。
待ってろ、いまみんな助けるから。
モニターの表示が突然様変わりした。
『コード000:バイパストリプロトロンコア直結モードに移行中』
続いて
『エルフガイン:リブート』
そして、エルフガインは復活した。
エピローグ
ロシアロボの腕を掴んだエルフガインは、もういっぽうの腕を振り上げて殴りつけた。衝撃でロシアロボの残った腕は根元からちぎれ、本体は300メートルも弾き飛ばされて大地に突っ伏した。
エルフガインは掴んでいた腕を投げ捨てた。そしてロシアロボに歩み寄ると、その横腹を蹴飛ばした。ロシアロボはふたたび、部品をまき散らしながら宙を飛んだ。
ロシアロボは両腕を失って、もう自力で復元することはできない。二度地面に叩きつけられ、機械的にもほとんど機能しなくなっていた。
それでもエルフガインは容赦なく叩き続けた。
「徹底的だ」
暗い室内でビデオを視ていたひとりが呟いた。
ようやく勝敗が決して三機のUFOが頭上に出現したときも、エルフガインは相手を破壊し続けていた。
やがてビデオが途切れ、室内に明かりが灯った。
「これで終わりです」天城塔子が告げると、部屋に詰めた15名あまりが一斉に息を吐き出した。
中国の戦いから二日が過ぎていた。
自衛隊は無事生還して、エルフガインとヰ式24型も日本に帰ってきた。おまけに島本さつきまでひょっこり生還していた。
ロシア政府は猛抗議している。長ったらしい外交文書を要約すれば、日本はインチキしてわが国に不当な損害を与えた!「ゲーム」の結果は認められない、ということだった。
外務省はその対応に追われている。そうでなくてもこの数日間で日本政府内部の大々的な再編成が行われ、自衛隊組織も人事を刷新しているため大混乱に陥っていた。
しかし名古屋の防衛省ビル、この馴染みの部屋に久方ぶりに集まった面々は、奇跡的にほとんど入れ替わっていなかった。幸か不幸かエルフガイン関係の連絡調整に携わっていたため、首が飛ばずにすんだのだ。地位は安泰でも悩みは尽きまじ。外務省から派遣された男はこめかみに白髪が交じっていた。
「ま、とりあえずロシアは言わせておけ」陸自の男が発言した。「わたしもルールブックを読んだが、コアをヴァイパーマシンに載せてはいけないという文言などどこにも書いてない。われわれ全員が浅倉博士に一杯食わされただけだろう?わたしならそのことは胸に仕舞っておくが」
「欧米を納得させるのは容易じゃありません……」
「やつらは納得なんかするもんか!われわれがどう説明したって手前勝手にわめき続けるよ!とくにアメリカ人は!」
その言葉にみなが呻いた。
次の相手はアメリカに決定したも同然だ。ロシアに勝利した結果、日本はドイツ、フランスのぶんも含めて新たに16個のコアを取得した。合計24個。世界最大のコア保有国となったのだ。それでモチベーションが上がる者、はた迷惑と感じる者、人によってさまざまだった。
頭痛の種はまだある。
アフリカに「出張」していた島本博士の報告書がテーブルに上がっていた。
タンガロ共和国とか言う聞いたこともない国で、人間そっくりの超高性能ロボットが大量生産されていたという。すべての労働を人間に変わってこなす優秀な働き手、看護師、運転手、教師、そして兵士だ。二百万体のロボットがアフリカの最貧国をたった三年で経済強国にのし上げた。
ロボットは現在も月産10万体というペースで生産されている。タンガロ共和国は経済成長の勢いを駆って南アフリカ共和国に「ゲーム」を挑んで勝利し、併合した。ちなみにタンガロ共和国はアジア・オセアニア連合に属しており、つまり経済軍事両面で結びついた日本の同盟国だ。
日本政府関係者のほとんどがそれを把握していなかった……というか、知っていても注意を払わないでいた。
ロボットは毎月一万台も日本に輸入されていた。
それも誰も知らなかった事実。
それどころかロボットは世界中に輸出されていた。部品の半分は日本製だ。経済が妙に活発化していたのも不思議はない。タンガロ共和国はすでに、一台280万円というロボットを四百万台も輸出していたのだ。
「それ全部が浅倉さんの仕業なのか……」経済産業省の男が打ちのめされたように呟いた。
「アフリカで国作りしていたってか?ローデシアを作ったセシル・ローズばりに」
「とんでもない話だ」
塔子は頷いた。今後そのことは調査しなければならない。浅倉博士は何をしようとしてるのか?
(もうまるっきり後手後手な気がするけどね)
健太は九州、福岡の湾を望む病院にいた。
入院していたがとくに外傷もなく、ちょっとした打ち身と肩の銃創を処置しただけだ。医者にはぜんぜん大丈夫と幾度となく言ったが、撤収時のことはよく覚えていない。
浅い微睡みのなかではまだ中国のどこかにいる気がした。あるいは山の中のキャンプにいて、大げさな夢を見ているような。現実離れしたことばかり立て続けに起こり、魂の置き所を見失っている気がした。
健太はすっかり退屈して、贅沢にもひとりで占領している個室の窓からぼんやり海を眺めて過ごした。個室を割り当てられているのは警備上の都合による。同じ理由でほかのパイロットも別の病院に分散移送されていた。
三日目には大勢が押しかけた。
島本博士と久遠一尉がやってきた。それから礼子先生と髙荷マリア、まこちゃんとみーにゃん、マリーアとシャオミー、じいちゃん夫妻、健太の父親とヤクザの祖父。
健太の父方の実家である松坂家は親戚一同が現れた。達美さんがひとりずつ紹介してくれたが結局何人いたのか覚えきれなかった。親父の兄弟は男ばかり五人いて、その全員が所帯を持ち、子供もふたりか三人いる。こどもたちは有名なエルフガインパイロットという親戚に会って大喜びしていて、何度もスマホで写真撮影された。父親の兄弟であるおじさんたちに肩をどやされ、そのたびに銃で撃たれた話をする羽目になった。
入れ替わるように長崎の二階堂家が面会に訪れたが、こちらも大勢だ。ただし半数は厳つい私服警備員。二階堂家の私兵集団だったが、さいわい個室には入ってこなかった。ひとあし先に退院して二階堂家の屋敷に移った礼子先生たちがいた。まこちゃんは父母兄弟の面前ということで一歩控えていて、こっそり健太に手を振った。
「健太!」まったく遠慮しないのはマリーアだった。健太の首筋に抱きついて、いきなりキスしてきた。
ものすごい出力のディープキスに為すすべもなく……10秒たってもやめないのでまわりの日本人は固まっていた。礼子先生とマリアは慄然とした表情だ。まこちゃんは真っ赤になって顔を背け、実奈ちゃんは「やーえっちー!」といいつつ顔を覆った指の隙間から覗いていた。
まこちゃんのお父さんらしき人物が咳払いすると、3秒後ようやくキスが終わった。ゆっくりと、健太の下唇を嚙んで引っ張りながら、マリーアは離れた。
「ぷ、無事だったんらね、マリーア……」骨抜きにされた健太は腰にまわされたマリーアの腕に支えられ、窓際に保たれた。ママの胸に抱かれてしくしく泣きたい気分だった。
「ごめんなさい健太、死んだふりして心配させちゃったわね!でも本当はアフリカに行ったり都内で買い物したりしてたの!」
「わたしもキスしよか」シャオミーの申し出を健太は慌てて断った。
「いいいいイヤもう結構!またこんど」
「またこんどだってよこのくそやろう」マリアが忌々しげに言うと、礼子先生は「知りません!」と言い放って顔を背けた。
ひと月ぶりにみんな揃っていて、無事だ。
苦笑している島本博士と久遠一尉の背後で、健太の母親が仕方ないわね、という笑みを浮かべている。
すべて元通りだった。
ゲーム第2ラウンド 完
というわけで、第二部完結となりました。
定番中の定番、大ピンチと「再起動」ネタ故、ちょいと手間がかかってしまいました。
政変ネタはもう少し書いて悪役を際立たせたかったですが、枚数が足りないし70年代ロボからいちじるしく脱線してしまうので泣く泣く割愛。悪役って書いてて楽しいから惜しかったです。それと欧州ロボもキャラ立ちが中途半端でしたねえ……こちらの反省は後々どうかしたいと思いますが。
次回からは第三部、最終章となります。いましばらくお付き合いいただけると幸いです。




