第14話 『健太、異世界に飛ばされる』
健太が警視庁から来た刑事に逮捕されて5日が過ぎた。
なにが何だか分からないままどこか(たぶん千代田区の警視庁)に連行された。パトカーの後席に押し込まれてだ。ロッカーにあったわずかな身の回り品を持つことだけ許されたが、警視庁ビルに着きしだい携帯、財布その他を取り上げられてしまった。
健太にとっては未知の状況が続いた。
こんな経験に対する知識と言ったらドラマだけだ。思いついたことは警官に電話をかけていいか尋ねることだけだった。
しかし健太が暗記していた電話番号はごくわずかだ。祖父の自宅は留守番だった。礼子先生のスマホ……この電話は現在お繋ぎできません……。
それでも逮捕後二日ぐらいは、誰かが駆けつけてくれるものと確信していた。
だが祖父も、礼子先生も、エルフガイン関係者の誰も、いくら待てども現れなかった。
いったいなにがどうなってるのか?
不思議の国にでも迷い込んでしまったようだ。
健太を連行した刑事とは別の人物が散発的に尋問した。最初の尋問時間はごく短く、身元確認と健太がなぜ逮捕されたかという説明に終始した。その説明を聞いてもちんぷんかんぷんだ。政府の機材を許可なく動かしていろいろ破壊して、死傷者も出ている。政府の命令に背いて機材を動かし続け、その結果国益を大幅に損ねた。要約するとなにかそんなことだった。きみは未成年だが、ことがことなだけにみな深刻に受け止めている。厳罰は避けられない。
いったいなにを言ってるんだ?
そうして五日間が過ぎ、空調の効いた勾留施設に閉じ込められた健太は、時間の感覚をなかば失いかけていた。尋問は一日一度、1時間程度だ。どれも事実関係を確認するような作業だけで、強面の刑事が高圧的に迫るような場面はなかった。それでも少々ばつの悪いことに健太はびびりまくっていたのだ。
食事はパンと牛乳とか、そんなものだ。一度だけ風呂に入らされた。
もう少し世慣れていれば国選弁護人くらい要求していたかもしれないが、不当な扱い(と健太は思っていた)に少々ふて腐れてもいたために、自分のためになにか行動を起こすのは出遅れた。どのみち気の利いたことはなにも思い浮かばなかった。それに「弁護士を要求する!」なんてどんな顔で言えばいい?フフンて笑われたら嫌だし。
6日目の朝を迎えるころには、救援などないのだと認めざるをえなかった。
それとともに健太はやや冷静にものを考えられるようになった。しかし最初に浮かんだのは島本博士たちのことだ。
健太は深い喪失感に苛まれた。博士が亡くなったのだと思うと哀しかったが、逮捕されたあとは外の世界と隔絶され、博士に関する情報ももたらされていない。それだけにまだ確信しきれないところがあった。
健太はようやく周囲に注意を向け始めた。
自分のまわりで警察署の日常が回っている。奇妙な感覚だ。誰も健太に注意を払わない。彼らにとっては健太も「おれはやってない」と騒ぐ被疑者のひとりに過ぎない。刑が確定するまでは、すでに身柄を拘束してある連中のことなど興味ないのだ。だれも可哀相な健太くんに注目してあげようという気はさらさら無い。
しかしときおり「ああ、あの子ね」という顔で健太を見る人間ががちらほら。食べ物を持ってきたり一度服を洗濯してくれた婦警さんは、健太と同様なぜ拘束されているのか分からないという目つきだった。
己の置かれた状況がどこかおかしいということに気付いた。
健太は「放置」されていた。
尋問は名ばかりで、ときどきやってくる刑事は世間話するような調子で一方的に話し、決まって健太をやや軽蔑するかのように見下した感じだ。あるいは丁寧だが馬鹿を相手にしているような調子で話しかけてきた。少なくとも机を叩いたり健太をぶん殴りそうに激昂したおまわりはまだ現れていない。
健太はおおむね黙っていた。
逮捕されて三日も経つと喋りたいという強烈な欲求に苛まれたが、ひたすら我慢した。人恋しさでべらべら喋りはじめるなんて格好悪い。自分のキャラを寡黙系に決めてしまったのでこれからはそれで通すしかない。
誰も健太に会いに来ないことに腹を立てるのをやめて考え直した。誰も来ない、ということは、なにか非常にまずいことが起こっているのだ。じいちゃんや久遠一尉、あるいは健太の父親……みんなどうしちまった?
そこから連想して、こんどはエルフガインのことを思った。健太がこうして拘束されているあいだにエネミーが上陸したら、いったいどうなるのか?健太は焦燥感に苛まれたが、自分が任務を解かれたらしい、というのは刑事たちの話から嫌でも気付いた。ここの刑事たち、あるいは健太を逮捕せよと命令した誰かが、健太をエルフガインから引きずり下ろし、難癖つけて追い払おうとしている。
この着想は説得力があるように思えた。とすると、やはり久遠一尉の身になにか起きたのか。髙荷も、礼子先生も……まさか真琴も実奈ちゃんも逮捕された?
あるいは、刑事が言ったように健太は本当に犯罪者なのか。
ますます妙なことだったが、自分が犯罪者だと認めることに健太は誘惑を感じていた。
罪を認めてしまえばすっきりするんじゃないか?
たぶん……気力が挫きかけているんだ。放置され、孤独で、かまってちゃんになりかけている。
我慢だ。
救援はひとまず忘れろ。エルフガインに復帰できると期待するな。もとの気楽な生活に戻れるとも期待しないこと。そしてなにか健太の考えを裏付ける証拠を聞き出すまでは、なにもしない。
あと一時間我慢しろ。
我慢できたらもう一時間……。
天城塔子三佐は健太ほど不自由はしていなかったものの、自宅待機を命じられていた。事実上の謹慎処分だった。
エルフガインコマンドに近すぎたから現場からはずされたのだ。
自宅と言っても、塔子は滅多に帰らないので、世田谷にワンルームマンションを借りていただけだ。30代独身の部屋としては殺風景で、生活感もない。この一週間ほどはコンビニで買った食べ物で済まし、失われた生活感を取り戻しはじめていた。しかし誰であれ知人が見たら幻滅しそうな生活感である。
窓を開け放していたが風はなく、塔子はタンクトップとパンツ姿でクッションにあぐらを掻き、うっすら汗をかきつつクーラーを我慢していた。テレビはつけっぱなしだが音は消し、ノートパソコンをいじっていた。ろくに趣味も持たず仕事一筋……その仕事場から追い出されたため、塔子は暇をもてあましていた。
こんなに時間が有り余っていると、自分の人生と向き合わざるをえない。
惨めだわ。
島本さつきが消息を絶った、という話は自衛隊内にも駆け巡っていた。きみは知り合いだよな?と何人かに聞かれた。その都度神妙な面持ちで受け答えたものの、塔子もまた島本さつきが死んだなんて実感できなかった。だから喪失感も沸かない。しかし監視の目を欺くためにも、かりそめの葬儀には出席せねばならない。
(制服で行ったらまずいのかな……喪服は実家だっけ……)
さつきは親類とは長らく疎遠だ。葬儀はエルフガインコマンド主催で、いちおう政府の賓客扱いだったマリーア・ストラディバリ嬢との合同となる。
ニュースが始まったのでリモコンでミュートを解除した。
相変わらず、鳥ノ島沖に座礁した戦艦ミズーリの映像がトップを飾っている。
健太くんはミズーリの乗組員を離艦するままに任せたが、それでも乗組員の9割は艦に残り、捕虜になった。だれも台風の海にボートで漂流したくなかったのだ。同様に機関を破壊され漂流した〈シャイロー〉も拿捕され、総勢1600名あまりが降伏した。政府にとっては新たな頭痛の種だった。
アメリカ政府は全権特使を日本に派遣すると打診してきた。捕虜……と、遺体、を返還してもらうためだ。日本政府は早くもその件を了承したという。
首相はやや判断が性急すぎだ、と批判が続出した。捕虜交換と引き替えに何かしらの譲歩を引き出すべきだというのだ。
自衛隊員の塔子でさえ、そういうことをしない地球でただひとつの先進国が日本なのだと思っていたのだが、世間の変わりようと言ったら――。
(いや)塔子は首を振った。(わたしはうそぶいてるな)
通常の国家間紛争であれば、捕虜を外交カードに使うという考え方には賛成したはず。そうする政府が頼もしいとさえ思ったことだろう。
だけど反バイパストロン組織の暗躍が存在する現状では、まったく別の見方になる。
アルドリッチ・タイボルト大統領率いる護民党とキリスト教原理主義団体は、この戦いをアルマゲドンと捉えている。その戦いに最終的に勝利を収めるのは正しき信仰を持つものだけだ。
つまりそれ以外の邪教徒はすべて滅ぶことになっている。
その邪教徒のリストには異星人さえ含まれている。アメリカ人は〈主審〉の存在を公式に否定している数少ない国家だ。もし実在するとしたらそれは倒すべき敵だ、とかれらは考えている。彼らにとってみれば信仰の土台を揺るがす至高の存在など認めるわけにはいかないのだろう。スペイン人に滅ぼされたアステカの例をかれらは日本人よりずっと真剣に受け止めている。
だがこの考え方は自国民を結束させるためのパフォーマンスであり、実情はもっと醜い。
つまるところ「仮に」異星人が存在するとしたら、その交渉のいっぽうに立つのはアメリカ合衆国でなくてはならず、許可無く無限エネルギーをばらまいて宇宙的共産主義を実戦するなど許されるべきではない。
彼らが〈主審〉とコンタクトを取ろうとしているのは世界中の情報関係者に知れ渡っていた。アメリカ人は宇宙人が彼らの著作物かなにかと本気で信じ切っている節があり、当然交渉権から利益まで受け取る権利は自分たちにあると考えている。よく言えばアメリカ人らしい独善であり、至高者だろうがなんだろうが対等の立場に立とうという意欲は文明人としては健全とも言える。
でもそのためにほかのすべての人類を踏み台にするべきではない。
アメリカ人が日本を踏み台にするため選んだのが反バイパストロン組織――通称ABCであり、その日本側の窓口が小湊総一郎だ。その目的は〈ゲーム〉の阻止。具体的にはエルフガインと浅倉澄佳の息がかかった組織すべての活動を潰すこと。それによって小湊総一郎とその一派はアメリカ式ノアの箱船の乗船切符を手に入れる。彼は日本が負けてアメリカの傘の下にふたたび戻ることを望んでいるのだ。
この事実を知るものはごく一部の人間だけであり、塔子も知っていると悟られたらたぶん命を狙われる。
ニュースでは破壊し尽くされたミズーリの姿が何度も繰り返し流れていた。テレビ局はやや混乱しているようだ。日本の勝利を讃えるべきなのか、酷たらしい破壊を強調すべきなのか、馴れない作業に〈演出〉が尻込みしている感じだ。視聴者は勝利を欲しているが、政府のある一派は浅倉健太を極悪人と印象づけたい。マスコミはエルフガインを英雄扱いできなくて、相反する印象操作に四苦八苦している。
滑稽だが、しかし塔子は笑ってはいられない。
久遠一尉とさつきがなにか企んでいたのは承知していたが、塔子の立場をおもんぱかってなにも知らせてくれなかった。知らないほうが安全なのだ。
そしてさつきが亡くなったという知らせが届くと同時に、久遠一尉はエルフガインコマンドから忽然と姿を消した。
エルフガインのパイロットも全員いなくなったという。
無事だといいのだが……。なにかしなければという焦燥感ばかりが先に立つ。しかし今後塔子が彼らの役に立つには自衛隊内の地位を維持しなければならず、いまは距離を置いたほうが得策だということも承知している。
「くそっ」
こんなおもしろそうな状況なのに、自分はなにもできないのだ。まったく不満だった。
自衛隊合同特機小隊は、無政府状態が続く朝鮮半島、インチョンに上陸を果たした。八月になったばかりの晴れた夜のことであった。
自衛隊は創設以来はじめて、戦闘任務のため他国の土を踏んだのである。
合同特機隊は少数先鋭で、陸海空自衛隊から9名が抜擢された。三交代制のチームでヰ式24型特機を操縦する。
「ヰ式24型特機」とはむろん改装されたギガンテソルダート、バベルガインのことだ。現在イタリアントリコロールは剥がされ、機体全体をマットブルーと紺の低視度迷彩に模様替えしていた。日の丸も――ウイングに小さく――描き込まれた。当初は国籍マークを描き込まずに済まそうという案もあったのだが、士気を維持するため必要と判断された。
特殊義足機動形態――パイロットたちは手っ取り早くグリフォンモードと称した――に変型した24型は境界の無くなった38度線を横切り、三時間後には国境を越えて中国大陸に「進出」した。軍隊はソウルに集中してその支配権を巡って争っている。難民たちは機械仕掛けの巨大な獣が疾走するのを、為すすべもなく傍観するしかなかった。
「ヰ式、というのは分かるが、24型というのはどこから出たんだろ?」
「2は島本さつき先生の原案から来てるんだ。二番目の設計案という意味。4はその原案に加えられた改装の数だ。イタリアで一度、日本で二度、Eコマンドと川崎造船で。それから台湾製の武器を搭載して都合四回ってこと」
「なるほど……その数え方だとエルフガインは……52型か?」
「そうなるな」
「かっこいいじゃん、零戦みたいで」
「なんだそのガキみたいなのは、だいたい零戦といったら21型が本――」
「おまえたち、エルフガインの話はやめろ!」
メインパイロットシートに収まった穗坂一等陸佐が厳しい声で雑談を遮った。
「はい、隊長殿」
吉田一尉と須郷一尉は密かに皮肉めいた微笑を交わし、別の話題に移った。
ふたりはヴァイパーマシンの数少ない登場経験者であり、当然のなりゆきで今回の特別編成部隊に抜擢された。もうひとりの経験者である園田一尉は穗坂隊長の隣の席に収まっていて、人工昏睡状態で機体をコントロールしていた。「ヰ式24型特機」を動かすには3名のパイロットが必要で、そのうちふたりはシステムドライヴァーと呼ばれるマン=マシーンインターフェース役を担っていた。かれらはインチョンに上陸後、休み無く移動し続けていた。目的地に到着するまでは交替で24型を動かし続ける。
パイロット9名のうち陸自が4名、空自が3名を派遣し、海自は2名という内訳だった。当初は陸上兵器だから陸上自衛隊が管理してパイロットも選抜するのが当然と主張して、すったもんだのすえこのような数となった(海上自衛隊にはまったく関係ない機材だと大勢が主張したが、大陸に渡る手段を提供できるのは我々だけだから当然パイロットも提供させてもらう、と押し切られた)。
メインパイロット3名は陸海空からひとりずつ選抜された。そのひとりは浦沢一等空尉で、ストライクヴァイパーの予備航空士を務め、あのイタリアとの件でマリーア・ストラディバリ嬢の隣にいたということでちょっと有名な人物だった。ようするにヴァイパーマシンの予備パイロット経験者は全員抜擢されている。彼はCチームなのでいまは恐ろしく狭い三段ベッド眠っていた。吉田と須郷、それに海自の姉川一等海尉の三人がBチームで、いまは操縦席の背後にしつらえられた狭いシートにおさまり、Aチームとの交替まえの待機中だった。
9名があり得ないほど狭い空間に押し込められていた。マイクロバス程度の球形のコクピットモジュールは、24型の激しい動きから乗員を保護するためアクティブサスペンションに支えられて液体を満たした空間に浮いており、おかげで時速450㎞という恐るべきスピードで走り続けてもほとんど揺れない……ときおり妙な慣性が身体にかかる程度だ。
中国大陸に渡った段階で次の命令を記したファイルが開封された。
それによると合同特機小隊は24時間以内に北京に到達して、そこで待機している台湾軍支援部隊と合流しなければならない。
この作戦自体が台湾ーシンガポール両政府の要請に応えたものであり、中国大陸の主要都市を手中に収めたいと願う同盟国のために、日本政府がはじめて一線を越えたのである。こうなると「自衛隊」の看板もいよいよ返上しなければならないが、日本にとっても今回の展開作戦には自衛隊の存在意義に関係した切実な理由があった。
武装義賊と化した人民解放軍の生き残りから、核兵器を奪取しなければならない。彼らがそれを切り札として温存するつもりなのか、どこかに売り払うつもりなのか分からないが、4器のICBMに搭載された16発の核弾頭が所在不明だという。
しかもアジアの同盟国と同様、中国大陸の土地を求めてヨーロッパが動き始めているのだ。ロシアも同様だと考えられているが、そちらからはなんの情報も入ってこない。
これがまた妙な話だった。歴史的な負債を清算したがっている台湾政府を除くと、今どき領土拡大を狙っている国など皆無だ。白人やインドがそうするはずだという世間一般の常識に反して、莫大な予算が必要になる拡大路線を簡単に決断する国はなかった。
だがヨーロッパやロシアは「ゲーム」に勝つため、中国に足場を必要としている。標的はもちろん日本とその同盟国だ。
いっぽうでチベットやタイ、ミャンマーなどが欧州人の侵略を人民解放軍と同じくらい恐れていた。かれらはアジアーオセアニア同盟に救援を打診してきた。中国人でさえ、どうせ地図が書き換えられるなら台湾やシンガポールに属したほうがましだと考えているらしく、上陸した台湾軍に対して上海や香港市民はおおむね好意的だという(むろん、都市部に属さない8割の中国人にとってはどうでもいいことだった。共産党支配であろうがほかの誰であろうが、彼らにとってはなにひとつ変わらない……)。
こうして誰も望まない椅子取りゲームは序盤からカオスと化していた。
「ヨーロッパかロシアのヴァイパーマシンと鉢合わせする可能性は、あるかな?」
「可能性は高い。通常兵力による侵攻はやばすぎるって話だからな……」
イスラエルが大変なことになっている、という噂はオーストラリアからもたらされていた。「ゲーム」を無視してアラブに侵攻した結果、イスラエル全土で電子機器が使用不能になったという。電力を失い、電話も自動車も航空機も、パソコンや電気カミソリさえ動かなくなった。突如として18世紀に戻ってしまったのだ。半月が過ぎても復旧せず、そうなると現代人の生活を支えるのはぜったいに無理だ……上下水道をはじめとしたインフラも壊滅して、人口を支えるだけの食物供給は不可能になった。ユダヤ人たちは国外退去しようとしているが、まわりは敵性国家ばかりで避難もままならない。すでに餓死者が大量に出始めている。
米軍の支援部隊は生活物資を運ぶために自転車とラクダを使っているという。
「主審」によるペナルティがそのような過酷なものだと思い知らされた各国は、今後の行動を大幅に修正する必要に迫られている。
勾留されて10日目の朝に動きがあった。
健太に会いに来た男は真夏なのにぴしっとした背広姿で、髪をなでつけ、黒縁眼鏡をかけ、黒いブリーフケースを掲げていた。細面の顔で眼鏡の奥から冷たい眼光が健太を見据えていた。まだ30歳にもなってなさそうだがきびきびしている。それにひとを見下した態度が板についていた。
健太が尋問室の椅子に座るとその男はさっそく切り出した。
「浅倉健太……17歳。浅倉澄佳、松坂耕作もと夫妻の第一子、これはきみだな?間違いないな?」
「はあ……」ここに連行されて以来何度となく聞かれたことだった。
男はなにやら薄い書類をめくりながら続けた。「きみは告発されている。38の罪状。了解しているな?」
「はあ、そのようです」
「答えは「はい」か「いいえ」で」
「……はい」
男は無言で健太を何秒か見据えて、話を続けた。「われわれは現在、青少年犯罪者を一斉検挙しているが、きみのようなケースは稀だ。正直いって処分の落としどころをどうするべきか、大変憂慮している……」
男はわざとらしい溜息をついて書類を閉じた。
自己紹介も無しで済ませようとしているこいつは誰なんだろう。
「きみの処遇については現在三つの選択肢がある……」もったいぶって言葉を切り、健太のほうを見た。「ひとつはきみの身柄をアメリカに送るというものだ」
「え!?なんで?」
「ふたつ……きみは自衛隊関連の準備施設……学校のようなものに送られる。そこでひと月かふた月訓練を受けてから、やはりアメリカに送られる。言っておくが、第1の選択よりこちらのほうがずっと良い。犯罪者として渡米するか自衛隊所属として行くかではずいぶんと待遇が違うからな。そして三つ目は……、日本で裁判を受け刑が確定し、収監される。少年院送りだ。どれがいいかね?」
「えっ……そんなこと言われても……」
「われわれとしては二つ目をおすすめするよ。まあどうでもいいがね。じっくり考えて欲しい……と言いたいところだがあいにくと時間がないのでね、いま返答するように」男は三枚綴りの書類を取り出し、健太にボールペンを刺しだした。「いま言った順に並べてある。どれでも好きな用紙にサインしろ」
三時間後、健太は灰色のマイクロバスに放り込まれた。
健太と似たような歳の少年10名ほどが一緒だった。その半分は酷薄そうな顔つきで、警察に捕まっているという事実にもかかわらず、イライラ足を踏みならしたり舌打ちしたり、あたりにガンを飛ばして存在感をアピールしようとしていた。残り半分は真っ青な顔で呆然とまえを向いて身動きひとつせず、己の将来に大いなる不安を抱いているおたくふうの大人しそうな連中だった。普段であれば恐喝する側とされる側という奇妙な取り合わせであった。
健太と接見した背広の男はマイクロバスの出発を見送りながら携帯に向かって報告していた。
「はい、浅倉健太は第三の選択肢を選びました……はい、たったいま出発しました。行き先は長野の第六収容施設です……あの小僧の親類が見つかればもっと簡単だったんですが……はい?……ええ、もちろん心配なく、善処いたします。施設で少々締め上げれば数日で片がつくでしょう」
健太が車窓から外を眺めているうちにバスは都内を抜け、高速道路に乗った。
(ひさびさの娑婆だ)どこからか借りてきた言葉が頭に浮かんだが、とくに感動もなかった。
実際のところ健太の心はこの十日間ですっかり痩せ細っていた。感性は乾涸らびて荒涼としていた。10日間誰にも相手にされないでいると、自分は本当に無意味な存在なのではないかと考えはじめてしまう。
ぼんやりした頭で選択を迫られた結果、日本で裁判を受けると選択した。
どうしてそうしたのか?なぜならほかのふたつは超法規的措置のようで胡散臭すぎたためだ。「特別扱いしてやろうなんて甘言はたいていろくでもないことじゃ、気イつけろ健太」じいちゃんの声が聞こえるようだ。アメリカに送るって?なぜそんなことされなければならないのか、健太には想像もつかなかった。
第三の選択もたいしてマシではなかったが、少なくとも手続きはまともそうだった。裁判にかけられれば、えん罪を晴らす可能性がある……この件全体が茶番なのかもしれないという予感はずいぶん前からあったから、正当な裁判なんてあり得ない……そんな気もしていたが、これから行く先々で遭遇する人間すべてが陰謀に荷担しているとも思えなかった。それは十日間の拘束生活で得た実感だった。それだけが健太にとって救いともなっている。でなければ疑心暗鬼で押しつぶされていたことだろう。
本当に陰謀なんてもんに巻き込まれているなら、とっくの昔にどうにかなっていたはずじゃないか?毒殺とか?
なぜそうしない?どうしてろくな取り調べもせず拘束し続ける?
おそらく不当拘束だろう。しかるべき筋に訴えれば、自由を取り戻せるのでは?そんな方法は見当も付かなかったが。
自由にしたくない理由……なんであれ、エルフガインと関係しているはずだ。誰だか知らないが、やつらにとって健太の役割はそれだけのはず。
心はすさんでもかえってニュートラルに物を考えられるようになっていた。
よし、やつらの意図はなんだ?おれを精神的に痛めつけてるとしたら?その目的は……大人しく言いなりになるように?そしてそのための時間稼ぎとして不当拘束におよんでいるのか……。
健太は突然ひらめいた。奴らはじいちゃんや久遠一尉を探しているのだ!おれを脅迫する材料として必要だから。でもうまくいってないんだ!
この考えには筋が通っているような気がした。満足した健太はシートに保たれ、目を瞑り、寝た。
天城塔子は衣類がいっぱい詰まった手提げ袋を両手に提げてマンションをあとにした。
夜中にひっそり洗濯に出かけるのはさすがに情けないと思った。洗濯機を買うべきか……。
二車線道路は車の往来もなくひっそり静まりかえっていた。ひとの姿も皆無だ。新たな治安維持政策が執行された影響かもしれない。警察はおもに若者を標的にして一斉検挙に踏み出した。ストリートのチンピラだけではなく、ネットの不穏なフォーラムに書き込みをしただけで検挙される……多分に見せしめ的だが、たいして罪もないネット弁慶が大勢しょっ引かれた。世論は真っ二つに割れていた。不当逮捕だと批判する声も多かったが、それ以上に戦時体制なら仕方ないという意見が勝っていた。意見の大半は老人のもので、若者に対する同情心は薄かった。
半キロメートルほど離れた終夜営業のコインランドリーで洗濯機に衣類を放り込み、コインを入れた。中途半端に遠い場所なのでいったん家に帰るのも面倒だった。椅子に座って電話台に積み重ねられたマンガ雑誌を取り、ぼんやりページをめくりはじめた。店の中は生暖かい柔軟剤の臭いが満ちている。それは教育期間中やルーキー時代のことを思いださせた。
国道の向かい側にあるパチンコ店の駐車場にアメ車のピックアップトラックが乗り入れた。ローライダーのハーレーが二台続いた。やかましいエンジンが止まってもピックアップから重低音のラップが鳴り響いていた。騒がしい連中だった。ピックアップから降り立った男女が紙袋を下げてまっすぐこちらにやってくる。塔子は内心舌打ちした。
男がテーブルに中身が詰まった紙袋をどさっと放り出し、「失礼」と言った。塔子は微かに男に目を向け頭を下げた。バンダナを巻いた頭、グラサンにひげもじゃ、デニムの上着の下は腹が剥き出しだ。革のパンツにごついブーツ。
一緒にいた女が「久遠ちゃん、洗濯物ちゃんと分けて入れてよね。あたしコーヒー買ってくる」と言って出て行った。
(久遠?)塔子は男にサッと顔を向けた。
「や、どうも天城さん」久遠馬助は洗濯物を機会に放り込みながら言った。「マンガ読み続けてください」
「ああ……はい」塔子はマンガに顔を落として読む振りを続けた。「久遠くん。無事なのは分かってたけど、なんなのその恰好」
「昔のダチ関係を頼ってましてねえ」
「ふーん……あの女の子……」
「彼女は臨海大学の学生でいま周囲を偵察中。外にいるマルボロマンふたりは松坂三佐にお借りした兵隊で、護衛してもらってます」
「あんたと松坂さん……つるんでるの?」
「最初は遠慮したんですけど、健太が逮捕されちまったんで、多少ご立腹でして……自分がちゃんとやり遂げるまで死体になっても引っ張ってくって、そんな勢いで」
「健太くんが逮捕されたですって!?」
「ええ、知りませんでした?あいつ鳥ノ島から帰った直後に捕まっちまいまして、刑事が待ち受けてたんです。おれは髙荷マリアを助けて逃げ出すのに精一杯で」
「それじゃ、なに?健太くんもう10日近く勾留されてるっていうの?大丈夫なんでしょうね!?」
「少なくとも無事……今朝まで警視庁に監禁されてました。しかし、護送バスで連れてかれちまいましてね。長野方面。さすがに自分もお尋ね者なんで尾行は無理でした」
久遠はスロットに百円玉をいくつか放り込み、洗濯機をスタートさせた。
「それじゃ健太くん行方不明なの!?」
「面目ない」
「ドジ!……まあ、何日も勾留してたらい回しにしているなら、ただちに身の危険に及ぶことはないでしょうけれど……。逮捕なんて誰の仕業にしろずいぶんと強引ね……ほかのみんなは大丈夫なんでしょうね?」
久遠は壁際に移動して床に腰を下ろした。
「若槻先生と実奈ちゃん、髙荷はいま九州にいます。真琴ちゃんの実家に匿われているから、まず心配ありません。健太のお祖父さん夫婦ほか親類もやっぱり北九州の松坂家にいるからこちらも大丈夫」
その報告に塔子は頷いた。戦国時代から続く防人の家系である二階堂家、そして西日本最大の暴力団黒雅組の組長。昭和初期から犬猿の仲というふたつの武闘グループが共闘しているのだ。政府の誰もが九州入りを躊躇することだろう。
「残りは健太くんだけってことか。なんでむざむざ逮捕されたままにしとくのよ?」
「ええまあ……相手の意図を量りたかったんで。そのへんは想定内でした」
「可哀相に……それで、さつきは?」
「あー……」
「ちょっと?知らないってんじゃないわよね?」
「いや……あの」
「まさか!……あの人本当に……」
「そんなわけ無いッス!」久遠は低い声で断言した。「あの人がなに考えてるのか分かりませんけど、それはないはず……」
塔子はまだマンガ雑誌を見下ろしていたが、なにも見ていなかった。
「それで……」塔子はややあって言った。「いつ健太くんを取り返すの?そのためにわたしに接触してきたんでしょう?なんなら一緒に行くわよ?」
「そうですがさすがに強硬手段はまずいでしょ。脱獄させたってそのあとずっとお尋ね者じゃ。あくまで相手を屈服させて健太の身柄を自由にしないと」
「つまり健太くんにこれからもエルフガインで戦ってもらうためにはってことね……」塔子は溜息とともに言った。「ちょっとひどい話よね?」
「たしかに」
「ま、わたしも責任は背負ってあげる。健太くんには借りがあるから。いざとなったら職を失っても協力させていただくわ」
「そう言っていただけるとたいへんありがたいですが、慎重に考えてください。われわれがやろうとしていることはクーデターの一歩手前です。エルフガインコマンドを元通りにするためには、邪魔なやつらを社会的に失墜させなきゃなりません。その最大の目標は小湊総一郎です」
「外科手術的な手法が必要ってことね。でもさいわい情報戦はわたしの得意分野だし」
「近いうちにちょっと助けていただくかもしれないです。ま、健太のことだけに関しては、われわれは全員サポートかもしれませんけどね」
「それってどういう意味……?」
「黒雅の爺さんが、これは家庭の問題だと息巻いてまして」
「ちょっとそれ……」
「怒り狂った昔気質の極道を抑えるのは自分にも無理でしたねえ……」
突然の来客だった。応接間に向かう河田内務副局長は急に重たくなった胃袋のあたりをさすった。
松坂老人は20畳の洋間にひとり、ソファーに腰掛けお茶を啜っていた。
「これはこれは松坂さん!わざわざご足労いただいて恐縮です。お声をかけていただければこちらから出向きましたのに……」
「いや、あんたも出世したんだから、それにこちらは個人的な用件でね」
「個人的……ですか」ますます胃が収縮してゆく。げっぷをこらえた。
「火、いいかね?」松坂老人は和服の袖をまさぐりつつ尋ねた。
「どうぞどうぞ!」河田は慌ててアルコーヴからガラスの灰皿を取り、その中からライターを拾い出して火をつけ、松坂老人に差しだした。老人は屈み込んで煙草に火をつけ、「すまんね」とひとこと言い添えた。
「なにかお注ぎいたしましょう……」
「いやけっこう」松坂老人はひとくち煙草を吸い、紫煙を吐いた。「用件はすぐ済むんだ……じつはお恥ずかしながら、先日わしの孫がひとり、おまわりさんの厄介になりまして……まあわしも極道だから、その点には文句は言わんけどよ」
「はあ、それはたいへんなことで……」
「それで、塀の中で孫がちょっくら心細い思いしとるはずだから、うちの達美に差し入れでもささせようおもっちょるんじゃがね……」
老人はもう一服して煙草をもみ消し、長々と煙を吐き出した。
「それがなんとも奇妙な案配でな、収監先がよう分からんのよ。それで、河田くん、たいへん申し訳ないが、ちょっと調べてもらえんもんかね?」
「ええと……なるほど分かりました。さいわい、わたしがなんとかできる事柄です。是非ご協力させていただきます。それでそのお孫さんのお名前ですが……」
「健太という。三男の耕作のひとり息子でねえ。最近ニュースに出ておったからきみも知っとるかもしれん」
河田は吐き気を催した。心拍が急上昇して手先が震えていた。「それは、あの……」咳払いした。「浅倉澄佳博士のご子息の……?」
「そう」松坂老人はまっすぐ河田を見据え、にんまりした。しかし目が笑っていない。「五月に会ったばかりなんじゃが、親に似て生意気な小僧でね。なんであれお勤めが終わったら小遣いでもあげて、遊ばせてあげようおもうちょる」
「はあ、そ、そうですか……」空調が効いているのに河田は下を向き、額に浮いた汗をハンカチで拭っていた。
松坂老人はやや身を乗り出して付け加えた。
「……もちろん、逮捕が間違いだったということもあるでな。そんときゃ話は別だよ」
第六キャンプと呼ばれる山の中の施設に着いた次の日、健太たち何百人かの非行少年は朝6時半に叩き起こされた。張り切っている大人……おそらく自衛隊員に追い立てられ、グラウンドに並ばされて『君が代』を歌わされた。
そのあと施設の監督官から簡単な挨拶があった。
「きみたちの大部分は昨日今日ここに来た。ここは少年鑑別所ではないが、きみたちの自由はある程度制限される。正式の司法手続きを希望するものは係員に申告できるが、ここで何ヶ月か過ごすほうが君たちのためになるのだ……それもあとで説明がある。君らはこの施設で性根を叩き直され、自衛隊陸士に準じた基礎訓練を受ける。だがまずは身体検査と所持品の配布、それから宿舎の整備だ……」
それから朝の運動。
食事はそれからだった。
ランニングしながら施設のまわりを眺めたが、周囲は深い山間で、バスの中で眠り込んだため場所の見当がつかなかった。たぶん関東圏の超ど田舎だろう。
ひどい話だ。健太はこの数ヶ月間で大勢の自衛隊関係者とお喋りしたから、さっきのおっさんの話でここが何なのかうすうす見当がついた。にわか歩兵……予備自衛官候補を大量に作り出す施設なのだ。ようするに「ムショか海兵隊か、どっちにする?」の日本版であった。
昨今の軍隊は専門職であり、ろくに教育も受けていない高校生がすぐになれるわけではない。だが予備自衛官……最低限の訓練を受けただけの歩兵でも大勢いるに越したことはない。不器用でもいざという時敵に弾を一発撃てれば、それでいい。そんな打算が働いているのだろう。
朝食時は静かなものだった。みんな体ができておらず、チーマー系も含めて朝の運動だけでへばっていた。半分を占める文系おたく集団はいうまでもない。どうしてこいつらまでここにいる?二週間ほどニュースから遠ざかっていた健太は事情を知らなかった。
静かな食堂にカチャカチャ食器を鳴らす音だけが響いた。
このキャンプはできたてほやほやで、しかも見るからに急造の施設だった。健太たちの宿舎は本当にただのテントで、中には剥き出しの土の上に、カンバスとパイプの二段ベッドが並べられている。風呂は野戦風呂。それに救護所やなにかを詰め込んだプレハブが三棟。宿舎のあるグラウンドは高い金網に囲われていた。
急増なのは建物だけではなかった。健太たちはそれを次の時間に思い知らされた。配膳も食べ終わった食器の後片付けも健太たちの仕事だが、明確な当番規則は決められていなかった。それで、とろい奴が何でもかんでも押しつけられることになる。
手に負えないときだけ監督官がその場で係を指名した。「おい!そこのおまえとおまえもやれ!急げ!」それで、係を押しつけられた不良くんが舌打ちし、ふて腐れた様子におたくが戦々恐々としながら気まずい雰囲気の中で仕事をすることになる。
とは言え監督官たちは心得たものであり、効率的に次々と仕事の係を任命したので、まもなく暇そうな奴は一人もいなくなった。
健太は朝食の後片付けに加わっていた。ほかの連中はみな心細そうで、食器を押しつけられて悔しげに顔をしかめているもの、中学のイジメの悪夢ふたたびと予感して顔面蒼白なものもいた。
がたいの良い体育会系が、さも当然のように食器を健太の前に置いて立ち去ろうとした。
「おい」自分でも戸惑うくらいはっきりと威嚇のこもった声が出た。
「え?なに?」
「てめえで片付けろ」
二階堂亮三をふたまわり縮めたようなそいつは柔道部かなにかだろう。がっしりした体に坊主頭でたぶん鼻を一度折っている。ここに収容された人間で体育会系は珍しかった。そいつは想定外の展開にやや戸惑っていたが、健太が黙って見据えていると、やがて「ああ……分かった……」といって食器を取り上げた。
周囲にいた文系諸氏はその静かな対決をチラチラ盗み見ていたが、そのうち背後から思いがけなく声をかけられた。
「健……太、か?」
「えっ?」驚いて振り向くと、国元廉次が食器を抱えて突っ立っていた。
「国元?なんでおまえこんなとこにいんだ?」
「浅倉こそなんでだよ!」
「そりゃ、逮捕されちゃったから……」
「おれもだよ!でも……なんかおれいまスゲーホッとしてるんだけどぉ……」
クラスメイトがいまにも涙ぐみそうな様子だったので、健太は慌てて炊事場まで引っ張っていった。
「国元、ホントになんで逮捕されたん?」
「おれ、なにもしてないんだってば。ちょっとサイトを流してていくつか書き込みしただけなのに、次の日に警官がやってきて……」
「それだけで?」
「ホント、ひでえ話だろ?」
「ひょっとしてここ、そんなのばっかりなのか?」
「しらねえけど」廉次もようやく精神的余裕ができたのか、しきりにあたりを見渡した。「たぶんそうかも……なあ浅倉、壇上で話してたろ?司法手続きに申し込んだほうが良いと思う?」
「そうだな……このままだとおれら、歩兵にされちまうらしい」
「だよな」廉次はふと言葉を止めて、考え込んだ。「……それも悪くない、のかな?」
「おいおい待て!そんなの高校卒業して正式入隊したほうが良いに決まってんだろ……」
「そっか……」だが廉次は納得していないようだ。おおかた銃を撃てるかも、とか思ったのだろう。
なるほど、それがやつらの思うつぼなんだ。ちょっと嫌な思いを我慢すれば自衛隊員になれる。そう思わせるのが狙いなのだ。穏便な人生を土台から崩されどん底に叩き落とし、それよりはマシと思うような余地を残しておく。ぎりぎりだが徴兵と批判されないやり口……なのだろう。
中国、内モンゴル自治区、オルドス市。
北京から西に千㎞あまり、砂漠の中に突然出現したその都市は、奇妙な場所だった。
誰かが目隠しされてここに置き去りにされたとしよう……目隠しをはずした彼は、自分がヨーロッパの先進都市にいると思い込んだことだろう。広い公園道路と並び立つ高層ビル群。それが果てしなく続いている。やがてその途方もなく大きな都市が無人だと知る。100万人規模のゴーストタウンだ。
オルドス市は中国バブル華やかなりし頃作り出された幻の経済オアシスだった。この都市に人が住んだことはなく、開発なかばでうち捨てられていた。中国の各所にこんなバブルの象徴があった。
いま、人造湖の対岸からそのビル群を望むと、まっ暗な建物の合間にわずかな人間の動きが見えた。盗んだ軍用車両のまえでドラム缶の焚き火を囲み、歩兵銃で武装していた。人民解放軍の名残……一万人規模の野党集団がこの都市に籠城していた。
「それでやつら、マッドマックス的生活を満喫しているのかな?」
「彼らの大半は貧乏だから、ボロの制服のままだ。モヒカンに棘付きの皮スーツは着てないですよ。でも周辺の農村を襲撃して食糧を略奪している」
須郷一尉と案内役の台湾陸軍の中尉はふたりとも顔に迷彩顔料を塗りたくり、岩に伏せていた。それぞれごつくて真っ黒な特殊スーツに身を固めていた。自衛隊員が保有しているとは誰も知らない特殊部隊用の「強化服」だ。対赤外線防御処理されたケブラーアーマーに4CI対応通信システム付きのヘルメット。スカウト仕様なので大きな音を立てる火器も携帯していないが、それでもスペツナズナイフをはじめとして殺傷力のあるエアガンにクロスボウやスタンガンなどで武装していた。現代のニンジャだ。
北京で合流した台湾ーシンガポール合同部隊はエリートだった。どちらの国も最高の人材を中国大陸に派遣していた。例のイスラエルの件で各国とも慎重になっていた。下手に戦火を交えて「主審」のペナルティーを食らいたくない。だから高度な判断を下せる優秀な人材を送り出した。
「本当にあの街には人民解放軍以外いないのか?」
「それは間違いないです。わたしが直接出向いて確認しました。外見は立派ですけど電気も水も無しですからね。昼になればもっと荒れているのが分かります」
須郷も自衛隊員だから民間人が巻き込まれないよう細心の注意を払うつもりだが、台湾人は日本人よりこの国の人間に同情的だ。だからお客さん気分で暴れまくるといった態度は控えていた。それにここに来るまで四日間、ヰ式24型特機の乗組員たちはさまざまなかたちの荒廃を垣間見ていた。北京は難民で埋まり、顔を背けたくなるような惨状を呈していた。
エルフガインとの戦いに敗北して以来、中国全土ですでに一千万人の死者が出ているという。これはむろん、ごくおおざっぱな概算に過ぎない。文化大革命以来の混乱……事実上の内戦が二ヶ月続き、先頃ようやく下火となった……インフラが壊滅して、燃料も弾薬も食糧も底をついたためだ。
日本はただちにバイパストロンコアを解放して電力を戻したものの、戦後処理の相談を持ちかける受け皿が中国にはなかった。アジアーオセアニア同盟平和維持部隊が上海と香港に上陸して一部の秩序を取り戻したが、中国は広く、全土を掌握するだけの兵員と予算はどこにもない。
オルドス市に籠城している連中は、旧支配層の最後の生き残りだ。そして野党化した軍隊の最大派閥でもある。台湾当局は彼らを壊滅させなければならないと言明した。共産党が勢力を盛り返す最後の可能性を潰すためだ。
「あ、見て!」
中尉が指した方向に双眼鏡を向けると、それが見えた。ビルの合間から巨大な人型機械がのっそり姿を現していた。足元に並んだ戦闘車両との対比からして全高50メートルはありそうだ。真っ黒で、ずんぐりした胴体に短く太い手足。
「あれが試作歩行兵器か……コアの欠片もないのに、たいしたもんだな」
「内蔵している反応炉が、返還されたバイパストリプロトロンコアのおかげで動力を取り戻したのです。共産党はあれを12機製造して日本に上陸させるつもりでした」
「主要都市までトコトコ歩いて行って、核を爆発させるために……だな」
「ええ、完成にこぎ着けて野党に持ち出されたのは二機だけですが、いまも核を積もうとしてるようです。目的は分かりませんが、都市に進撃して居座られでもしたらたいへんです。われわれは阻止しなければ」
「うちの先生がたの説明では、コアの欠片を持ってないロボなんかヴァイパーマシンの敵ではないそうだ。ただちに襲撃計画を発動すべきだな」
「あなたはエルフガインの操縦経験があるそうですね?」
「え?いや、合体したエルフガインの経験はないよ。残念ながら、おれはヤークトヴァイパーっていう超重戦車で韓国海軍のフリゲートを1隻葬っただけ」
「陸軍なのに」中尉はやれやれと首を振った。「「あれはすごいですよね……台湾人の多くがあれを見て、日本の味方でよかったと胸をなで下ろしたはず」
「そうか……」須郷は溜息のような笑いを漏らして下を向いた。「知ってると思うが、おれたち自衛隊はそのエルフガインをお役御免にしようとしている」
中尉は頷いた。「なぜなのか、聞いてもかまいませんか?」
「良いけど、おれたち下っ端もよく知らないというのが本当だ。大人の事情っていうのかな?」
「浅倉博士と日本政府の確執……?」
「さすが、あんたたち優秀だなあ。その通りだろう……外から見たら見え見えなのかな」
「わたしは残念に思います。エルフガインは必要ですよ」そういってから中尉は慌てて付け加えた。「あ、24型を高く買っていないという意味ではありません……」
「いいよ、おれも同じ気持ちだ。隊長には秘密だけどな」須郷は身を起こした。「さてと、様子は分かった。拠点に戻ろう。攻撃準備だ」
テント生活は健太にとって試練の連続となった。第六キャンプには毎日新しい非行少年が護送され、人数は倍になっていた。その半数はひと癖あるガチの不良だ。
健太はできるだけ注意を引かないよう気をつけた。廉次にはエルフガインのことは言わないようとくに約束させた。
しかし状況がそれを許さないことはしばしば……。キャンプ生活が始まると不良組はたちまちいくつかの派閥に別れた。ガキ大将のヒエラルキーが形作られていった。かれらは暇さえあればおたく組の誰かを小突く。健太はおもに国元を守るため、何人かと睨みあった。二度ほど取っ組み合いになり……しかしマーシャルアーツを叩き込まれていた健太に合計四人の不良が一瞬でノックアウトされると、誰もが慎重になった。
そのいっぽうで健太は国元に友達を作るよう促した。
「ほら、隅で心細そうにしてるのがいるだろ、ちょっと声かけてやれよ」
「え、でもおれそーいうの苦手……」
「なんのアニメ見て逮捕されたか尋ねてみろ。誰かが話振ってくれるの待ってんだから」
「なるほど……じゃ、ちょっとトライしてみっか」
そうやって健太たちもまた仲間を増やしたのだ。
やがて健太はいつの間にかいじめられっ子グループの代表に祭り上げられた。
健太はまた孤立している非オタク、不良系にも注意を払った。手始めに先日の柔道部に声をかけると、群馬の高校2年生だという。夜中のコンビニで喧嘩騒動に巻き込まれ逮捕されたらしい。部活(やはり柔道部だった)をやめさせられ、停学処分になって腐していたのだが、根はまじめな奴だった。チンピラとつるむのを良しとしないものは少なからずいた。
監督官たちもまたこの猿山をよく観察していて、幾人かの班長を指名してテントごとに班を編制させた。選ばれた班長はみな比較的まともな年長者で、グループの面倒を(渋々とだが)引き受けた。健太は班長の補佐を引き受けさせられ、別のテントでひどいイジメにあった奴をトレードしたり、調整役になっていた。
騒々しい威張り屋だけが幅をきかせるこの小世界で押しつぶされないためには、戦わねばならなかった。
健太の班は新しいテントを立てる作業中だった。あとからやってくる連中のためにテントを作るのも健太たちの役目だった。このキャンプは人手も物資も不足している。全員を丸坊主にするだけのバリカンもなく、よって健太たちはいまのところ坊主を免れていた。しかし不良グループの中に早くも坊主頭になったものがいた。かれらはここに来て早々予備自衛官の道を選んだものだ。
群馬のもと柔道部――名前は中谷といった――と一緒に外枠を組み立てながら、健太は相変わらず周囲に気を配っていた。
「正直、浅倉に睨まれたとき、ちょっとやべえって思った」
「毎日鏡のまえで練習したんだ」
中谷は失笑した。「喧嘩も強いやんか。浅倉があの馬鹿たちイチコロにすんの見て、おまえに逆らわなくてよかったって思ったんだぞ。あれも練習したんか?」
「多少……」
「そっか……8班の緒方って奴に目をつけられてるみたいだよ。気いつけなきゃ」
「金髪で背の高い奴?しょっちゅうカラテキック見せびらかしてる……なんで?おれ心当たりないぜ」
「うちの班全員目をつけられてんだ。「3班のむかつくオタク殺そうぜ」とかなんとか」
「ああ、そういうのか……面倒だな」
健太が「面倒」のひと言だけで済ましてしまったので、中谷は苦笑した。
「おれも加勢してやるよ。格闘マニアの日野と班長も気をつけるって」
監督官たちは少年のあいだの諍いに滅多に介入してこなかった。喧嘩が起こっても遠回りに眺めるばかりで、エスカレートしそうなときだけ割って入る。正直、どうでもいいと思っている節があった。自衛隊員は健太たちが兵隊としてモノになるとは考えていない。余計な手出しをして怪我でもしたら損なだけだ。
それでこの動物園の猿山をを文明社会に近づけるべく努力するのも、健太たちの役目となる。
「ありがと。でもさ、誰かやっつけたって、つぎの挑戦者現るってだけじゃないの?」
「そんなんありとあらゆるバトルマンガに描いてあるだろが」
「そうだった……」健太はフェンスの外でバンが走り去るのを見た。あのバンは日に何度も現れ、どこからかいろいろな物資を運んでくる。なぜか洗濯物……それもシーツやテーブルクロスといったこの施設には関係なさそうな洗濯物を運んできた。
シーツなんていったいどこから運んでくる?
「オラオラ、ぼくちゃんたちもっと気ィ入れろや!」
健太たちはその声のほうに振り向いた。チンピラふうが三人、にやにや嫌な笑みを張り付かせていた。健太たちより年上、しかしこの施設に到着したばかりのやつらだ。
「あんたたちの寝場所を建ててやってんだけど」
「だぁーらもうちょいしっかり建てろって言ってンでしょ。手ぇ抜いたらブッ飛ばしちゃうよ?」そいつが言うと、三人でなにか気の利いた冗談でも言ったかのように笑った。
「あんたら新入りだろ?あんまり態度でかいとボコられるよ――?」
そいつは中谷が最後まで言い切るまえにキレた。「うっせえぞガキ!てめ目上に口のききかた知らねえンか?ああ!?」
中谷が返答するまえに健太が前に出た。「いま作業中なんで、話はあとにしてくれません?」
「おいおい、あとにしてくださいってよ!おまえ舐められちゃったじゃん!どうなの!?」
「すっげむかつく、このガキ!」
はしゃいだりキレたり賑やかだ。これで健太より年上なんだから……ひどく居たたまれない気持ちになった。三人とも背が高いが脳味噌は中学で成長が止まったようだ。三人とも顔や髪型に気を遣っている。それが弱点だ。鼻血だけで気力を殺がれるに違いない……。
だがこいつらは最下級のチンピラで、ろくに喧嘩もしたことがないのだろう、いじめられっ子を小突くのは得意でも、ちょっとでも歯向かってくる相手は煩わしいのか、急に立ち去ることにしたようだ。
「おい、あっち見てみようぜ。小森さんの組のやつも居るかもしんねえから、ひと言挨拶しねーと」
「あ、そうたな……おい浅倉。てめえ浅倉だろ?てめえ眼ェつけられてっから、せいぜい気ィつけて、な?」
赤の他人に名前を言われて健太は内心たじろいだが、表には出なかった。チンピラ三人組が立ち去ると、背後で中谷が言った。
「なんで浅倉あいつらに知られてんだ?」
健太が振り向くと、中谷はその理由に思い当たっていた。「あれ?浅倉、まえにテレビに出てたよな……あの浅倉健太って……おまえ?」
「ばれちゃったか……」
「ホントに……エルフガインのパイロットの?なんで?なんでそんなやつがこんな所にいる?」
「その質問されたくなくて黙ってたんだけど……」
「みずくせえなあ!」中谷は健太の二の腕をはたいた。「ミズーリを沈めたばっかりじゃん!おれあんときの交信聞いてたんだぜ!アメリカ実況中継翻訳したやつが動画サイトにアップされまくってたから……」
「え?マジかよ。あんときはのぼせ上がってあること無いことわめいてたから、恥ずかしいな……」
「そんなことねーって!アメ公相手にあんな啖呵切ってさ……おまえアメリカ中に恨まれてるんじゃね?」
かもしれない……。健太はハッとした。健太をアメリカに送るという話。あれはそのためなのか?でもなんでそれに手を貸す日本人がいる?おれがいなくなったらエルフガインは動かせない。わざわざ日本の不利になることをするってどういうやつらなんだ?
「ま、まあ……だけど言いふらさないでよ?」
中谷は頷いた。「でもよ……じきに知れ渡っちゃうぞ。時間の問題だ」
健太は溜息を漏らした。
「だよなあ……」
攻撃は夜明けに始まった。
人民解放軍が野営していた広場に近いビルが、突然爆発した。兵隊たちは慌てて起き上がり、敵襲の方向を見定めようとした。巨大な火の玉……特大の曳光弾を叩き込まれたビルが噴煙に呑み込まれてゆく。見たこともない砲撃だった。巨人サイズのバルカン砲を叩き込まれているかのようだ。数十発の砲弾を一度に叩き込まれてビルが崩壊しはじめた。警告を発する軍曹の怒声もその轟音に遮られた。
「敵はおよそ20㎞さき――」
ミサイルが飛来してこんどは装甲車両を直接叩きはじめた。兵隊の悲鳴と爆発音が続いた。
台湾軍のドローンがオルドス市上空1000メートルを旋回しながら、混乱のるつぼと化した人民解放軍の動きを見張っていた。
戦場から送られてくる情報は24型のメインモニター上にも映し出されていた。
慌てた人民解放軍がまず最初に核兵器を移動してくれることを期待していた。核を確保する役目は地上部隊に任されていた。台湾陸軍特殊部隊は逃走ルート上に網を張っていた。 攻撃開始後三分間が過ぎ、ようやく反撃が始まった。敵は大規模な砲兵部隊がいると思いこんだ方向に155㎜溜弾砲を向けていた。しかし、そこに待機していたのは24型だけだった。
グリフォンモードに変型中の24型にとって20㎞はわずか30秒の距離だ。戦車はおろか対戦車ヘリよりもずっと素早い敵に対応する術はないだろう。
台湾陸軍から短いシグナルが届いた。予測通りICBMを搭載したトレーラーが移動を開始したという合図だ。
「ゴーサインだ……前進する」
24型の背中にある二機のターボファンエンジンが咆吼した。その付け根から大きく張り出した二枚のウイングが羽ばたいた。24型は猛然と駆けだした。
人民解放軍の兵士たちは奇襲のショックからようやく立ち直りはじめ、組織的に動き出したところだった。
人工湖の向こう、緩やかな丘陵地帯の方向から得体の知れない振動が響いてきた。超低空侵入してきた戦闘爆撃機――彼らはそう思った、が、真相はもっと恐ろしいものだった。
獅子が突進してくる。
いま眼にしているものを頭が理解できず、遠近法が狂ったような光景に兵士たちは何度も目をこすった。最高速度で進撃してくる戦車より……高速鉄道より早く接近してくる。
テレビで見たサバンナの獣とまったく同じ動きだが、とてつもなく巨大だった。兵士たちは麻痺したかのように見入っていた。しかしその獣が湖水の手前で大きく跳躍して、着地点が彼らのいる場所だと気付いた瞬間、我先に逃げ出した。
24型は空中で変型した。巨体が起き上がって四肢が手足となり、全高80メートルの人型になった。着地と同時にビルに激突して、コンクリートの建造物があっさり砕けた。耳を聾する轟音と振動に打ちのめされ、兵士たちは地べたに転倒した。
通常の反応炉を搭載した人民解放軍のロボットはようやく暖気が終わったところだった。ハイブリッドセンサーを収めた丸い頭が24型に向いた。足底に備えたローラーで後退していた。
「第一目標、動いています!」
隣で眠っているように見える園田一尉の声が言った。メインパイロットシートに収まった浦沢一等空尉はその違和感にまだ馴れていない。彼はいちばん腕のいいパイロットということで今回の奇襲に選ばれていた。隊長は後方で指揮にまわり、現在24型に搭乗しているのは3名だけだ。
(皮肉だな)
あの二体のロボットと24型は同じ動力源で動いている。24型は中国から勝ち取ったバイパストリプロトロンコアの欠片を装備しているのだ。
これは「ゲーム」の新たな次元の幕開けだった。
理論的には保有するコアの数だけヴァイパーマシンを製造できる……あくまで理論の話であり、そんな莫大な予算があれば、という条件付きだが。
もと中国保有のコアの欠片を装備した24型が敗北したらどうなるのか?日本の敗北となるのか、または再チャレンジの余地が残されるのか、それは分からない。五月に日本を襲ったカナダはアメリカの傀儡だったが、コアをアメリカに譲渡していなかったためにカナダの降伏だけで済んだ。
現在複数個のコアを保有しているのはアメリカ、ロシア、ドイツ、そして日本だけ。相手はいずれも国力があり、二体目三体目のヴァイパーマシンを製造している可能性があった。
日本が二体目を入手できたのは単なる棚ぼたに過ぎないのに、政府首脳部はなぜか虎の子のエルフガインを封印しようとしていた。浅倉澄佳博士と一部政府役人のあいだに確執があるのは周知の事実だが、己の面子のために国益まで損なうことをやってのけるなど、あり得るだろうか。
浦沢は物思いを振り切って敵に集中した。
敵の移動速度はせいぜい時速50㎞。通常機関で構成された機械なら機動性はその程度だろう。あのずんぐりした胴体が見かけ通りの重装甲だとしたら重量は3000トン以上はあるはず。相当に無理がかかっているはずだ。
二体のロボットは後退しつつ展開して、24型をクロスファイアの位置に誘いこもうとしている。周囲は規則正しく並べられた12階建てのマンションで、遮蔽物としてはたいした役に立たない。敵の頭は丸見えだったが、相手は気付いていないのかもしれない。
(戦車の感覚を引きずってるな)
24型はただ歩いているだけでも敵ロボットよりずっと早かった。足元の道路で右往左往している生身の兵隊たちは、24型が一歩踏み出すたびに500ポンド爆弾が破裂したような震動に襲われ、ろくに走ることもできないでいる。みな耳を塞いでいた。24型の騒音は凄まじい。
敵が両腕をまっすぐ24型に向けた。155㎜戦車砲を束ねた腕の先が指のように見えた。敵が撃ってきた。浦沢は微かに身をすくめたが、前評判通り、24型の装甲板は通常砲弾を難なく弾いていた。
「よし」愛機の頼もしい耐久性を確認した浦沢はうなずき、フットペダルを踏み込んで24型を急速前進させた。ウエポンリストのアイコンからソードを選ぶと、24型は歩きながら背中に手を回し、腰の剣を手に取り、大きく×を描くように振り払った。
(なるほど、基本動作オペレーティングプログラムはまるまる移植だと白状してたな……エルフガインに慣れてる君たちのためにとかどうとか)
つまりこの機体もエルフガインのように芝居がかった動きをするということだ。一流大学から集結した先生がたは島本博士の仕事跡を消してしまいたいのに、肝心なところはこの程度なのだ。時間がじゅうぶん無かったとはいえ……。
腰だめに剣を構えて突進してくる24型に敵は立ち往生していた。こんな戦闘は経験がないから、次の対応が思いつかないのだろう。肩からミサイルを放っていたがロックオンできずにあさっての方向に飛んでいる。
24型は肩から激突して敵ロボットを背後のビルごと串刺しにした。衝撃でビルが倒壊する。24型が深々と突き刺さったソードを離すと、機能停止した敵ロボットはビルとともに崩れ落ちた。
背中にもう一体のロボットが砲撃を浴びせてきた。浦沢は背面ジェットを最大噴射させて24型を飛び上がらせた。一気に500メートル上昇して空中で身を翻した。
浦沢は訓練された目で戦術モニターを一瞥した。
南東におよそ4㎞離れた高架橋に四台の大型トレーラーが立ち往生している。台湾軍が大陸間弾道弾を収めたトレーラーを襲撃しているのだ。予定通りだ。味方はみな沈黙したまま、粛々と作戦を遂行していた。通信機を使用するのはなにか不測の事態が持ち上がった場合だけだ。急増の混成部隊のわりには上々の出来だ。
敵の戦闘車両が何台か動き始めているが組織だった動きはない。24型が移動したブロックは道路が割れ、建物も崩れているから思うように動けないのだ。台湾軍に対する敵の増援はもうしばらくない。
浦沢は数秒でそれだけの状況を見て取り、24型を着地させた。
敵ロボットが155㎜砲弾をありったけ浴びせかけてきた。
「台湾から贈り物だ」浦沢はウエポンセレクターのアイコンからクワン級ターミネートガンを選択した。24型が腰にぶら下げた特大サイズのショットガンを標的に向けた。90口径360㎜というまさしく怪物砲だ。
浦沢はトリガーボタンを押し込んだ。立て続けに二発。
わずか400メートルの距離で直撃したフルメタルダーツ弾が敵ロボットの胸部装甲を蜂の巣にした。弾丸はロボットの体内で跳ね返り内部構造をずたずたに引き裂き――弾薬を誘爆させた。
大爆発が起こった。
凄まじい衝撃波が周囲のビルをなぎ倒した。オレンジ色の火球がキノコ状に立ち昇った。24型は自動的に足を踏ん張り、両腕で頭部を保護していた。
「浦沢さん、お見事でした」園田一尉が短く言った。彼女もまた戦いの惨状を認識しているはずだ。一万人いた人民解放軍は三体の巨人の戦いに巻き込まれ、ほとんど壊滅した。戦闘開始からわずか7分間。安全圏まで逃げおおせたものはわずかに違いない。
この戦いが東京で起こっていたとしたら……。
浅倉博士が埼玉に無人地帯を作り出そうとしていた理由もいまなら理解できた。
『こちらBチーム、核装置は押さえた。拠点まで後退する』
「了解Bチーム、こちらもほぼ状況終了、人民解放軍は壊滅、遁走している。掃討しつつ後退する」
「パッシブセンサーに感あり」
浦沢は息を呑んだ。
「園田一尉、どういうことだ?」
「24型を伏せさせてください。ドローンを飛ばして偵察させます」
浦沢は24型に片膝を折らせ、建物の高さまで頭を下げさせた。
三機のドローンが西に飛んだ。そのセンサーシステムが新たな標的を走査した。データが届きはじめ、園田一尉が読み上げた。
「距離50㎞、時速120キロで接近中。大型の機動兵器です。……ヴァイパーマシンのようです。画像来ました。
メインモニターの半分にモノクロの荒い画像が映し出された。ほとんど地平線上に「それ」がいた。園田一尉がヴァイパーマシンと断言した理由はすぐに分かった。――人間のかたちを模しているのだ。
「園田一尉、ほかに判明したことはあるか?」
「巨大です……全高100メートルあまり……国籍は断定不能。いまデータベースと照会中」
そのヴァイパーマシンは大きく張り出したショルダーアーマーを持っていた。頭部はとんがり帽子のように突きだしている。背中には24型同様巨大なスタビライザーウイングを備えていた。
「浦沢さん!データベースにヒットしました!」園田一尉の声が切迫した。「あれは島本博士の試案メカのひとつのようです!コードネーム、Fーガイン……!」
「ヨーロッパに流出した設計図から製造されたやつなのか……」
つまり、24型とエルフガインの兄弟機。
国籍はドイツかイギリスかスペインか……
「Fはさしずめ、ファイアとか?」
「いいえフェンリル、フェンリルガインだそうです……島本博士はそのへん凝り性だったようですから……」
「フェンリル?少なくとも、名前だけはあまり強そうではないな」
「北欧神話の巨大な怪物の名前です……」
浦沢はいっとき押し黙り……決断した。
「……一戦交えるのはまたの機会にすべきだな。よし、友軍からやつを引き離す。距離を取って誘いつつ、戦域離脱を図る。それからFーガインの基本データを教えてくれ」
「計画案では全高115メートル、重量15000トン。フレイとフレイアーという二体のロボットに分離し――強烈な電磁波を照射されてる!」
浦沢もほぼ同時に攻撃を関知した。メインモニターにブロックノイズが走る。とっさに機体を前進させ、次いでグリフォンモードに変型させた。
静電気で腕の毛が逆立つ。
(信じがたい)浦沢は悟った。(電子ビームで攻撃してきた!)
日本――エルフガインでさえ単体では高出力電磁兵器を備えていない。ただ一度だけ、種子島に飛来した敵を撃つため高出力レーザービームが使用されたが、撃ったのはエルフガインではなく軌道上に打ち上げられたライデン1型宇宙要塞だった。装置が非常にかさばり、また精密でデリケートなシステムなため、100メートル近い図体でも搭載できなかったのだ……
いままでは。
島本博士のヴァイパーマシンは核兵器の直撃にも耐えられるだけあって、電子ビームをたっぷり2秒間照射されても深刻なダメージは受けていなかった。しかし――
「右肩部装甲溶解、流体関節、広範に渡って機能低下しています。油圧シリンダー破裂……出力限界65%に低下。火器慣性システムに異常。頭部センサー機能低下……」
敵との相対距離は50㎞に縮まっていた。無駄だと分かっていたが、背中の120㎜バルカン砲を撃って敵を威嚇した。
敵は落ち着いたものだった。前進停止して狙いを定め、ふたたび電子ビームを放った。
24型の右前足が吹き飛んだ。巨体がななめにつんのめって地面に転がった。
「くそっ!」
浦沢は素早く機体を立て直し、人型に変型させて走り続けた。100メートルを全力疾走するランナーそのものの動きだ。関節機構がダメージを受けているとしても、全高80メートルとなるとその速度は時速400㎞に達する。
敵との距離が、じりじりと開きはじめた。
浦沢はそれ以上の攻撃を受けないよう祈りながら機体を操り続けた。
ぜったいに生き延びねばならない。




