第13話 『エルフガインVS戦艦』
鳥ノ島に米軍ドローンが大挙来襲して3日が過ぎたが、
健太たちはまだ鳥ノ島にいた。
「ひょっとしてさあ……」実奈が胡散臭げな口調でしゃべり出した。「実奈たち軟禁されてない?」
その場に居合わせた三人の女性は感心もなさそうな様子で少女を見ている。二階堂真琴と島本さつき、それに若槻礼子の三人だ。
島本博士はワン・シャオミーといっしょに二日遅れで「バカンス」に合流したばかりだが、博士は早くもリゾートに飽きていた。
「ねー、博士~、まだおうち帰っちゃダメなのぉ?」実奈がビーチチェアの上でサンダルの足先をバタバタさせながら言った。
「まだ、ダメ」さつきは断言したが、溜息混じりの返事が端的に示していた。
当初の予定だった三泊四日の期限は明日だが、帰る予定になっていない。そもそもドローン騒ぎのおかげで旅行は中断するものとばかり思っていたのに、そうせよというお達しもなかった。
彼女たちは海岸を見渡すバルコニーにいた。「エルフガインコマンド出張所」の庭先である。湾曲した前面ガラス張りの二階建て宿舎はロサンゼルスの高級住宅地に並ぶハリウッドセレブの自宅のような作りで、高い壁に囲まれ、芝生の庭には屋根付きの四阿とジャグージが設けられていた。サボテンや椰子の木まで植えられていた。明るい南国の日差しに照らされた芝生とクロムメッキの柵がどこか非現実的だった。約2㎞離れた、木更津あたりの民宿といった趣の自衛隊宿舎とはえらい違いだ。
たったひとりその民宿の利用を強制されていた健太も、いまはこの施設に出入りを許されていた。ただしつかいっぱとして。
カクテルを載せた盆を片手にバルコニーとホームバーを往復する姿もすっかり堂に入っていた。アロハと半ズボン、リボン付きの麦わら帽子に腕にタオルまで引っかけ、南国リゾートホテルのボーイという出で立ちだ。ちょっと自虐的だった。
しかし健太はボーイ役を楽しんでいた。
哀しい事実ではあるが、湘南あたりのあんちゃんたちのようにリア充生活を満喫するのは、健太には無理なようだった。ライトオタの平均的娯楽……マンガ、テレビ、ネットを離れるとなにをしたらいいのか分からなくなる。
それでも午後には体操をかねて海水浴するつもりだが、浜辺で遊んでいる一団に合流したらそれはそれで先日の件……米軍のザリガニロボを倒す際、思わずフィニッシュのセリフを叫んでしまったことでイジられそうだ。事実昨日スイカ割りした際、実奈ちゃんが「えるふがいん!くらーっしゅ!」と叫び、みんな腹を抱えて笑い転げた……健太はなんとか威厳を保ったものの、本当は草葉の陰で泣きたい気分だった。
歳の近い髙荷マリアとマリーア・ストラディバリ、そしてワン・シャオミーは今日も早くから浜辺に遊びに行った。たいした波も打ち寄せてこないのに、マリアはサーフィンを試みようとしている。
健太にとっては少々意外なことだったが、マリアは颯爽と波乗りしたりはしなかった。あのツッパリ女もやっぱり埼玉県民であり(その前は5年ほど海外在住だったのはともかく……)、サーフィンなんてはじめてだったのだ。昨日もおとといもサーフボードに横たわって海に乗り出し、せいぜい1メートル程度の波に一生懸命乗ろうとしていた。
健太が知っている気取った冷笑女とは明らかに違う一面だ。
そしてますます意外なことに、健太はそんなマリアの姿を好ましく感じていたのだ。
(ああくそ)健太はからの盆をバーカウンターに置いて回転スツールに座った。(またあいつのこと考えちまった)
健太はカウンターに置いてあったタブレットをなんとなく拾い上げた。ここ数日間の写真が収められていた。
礼子先生やみんなが楽しそうに遊んでいる。髙荷も年齢相応の陽気な笑顔を浮かべていた。
(ちぇっ!こんな笑いかたできるんじゃんか)健太は舌打ちしてタブレットを放った。(また考えちゃったじゃねえか忌々しい)
真琴ちゃんがラウンジに上がってきた。ちょっと小走りで冷蔵庫に向かっている。
「まこちゃん、飲みもんならおれが持ってってやんのに」
真琴が笑った。「健太さんにそんなことさせられません」
「遠慮すんなって、おれ暇なんだもん」
「実奈ちゃんが浜辺でお昼にするって言い始めましたよ。健太さんも一緒に行きません?」
「ああ……それって、実奈ちゃんが髙荷たちに食べ物届けるってことか……」
「実奈ちゃんに任せきりにしたら、髙荷さんたちカップ麺食べることになっちゃいそうですから……」
「海の家で食べるとおいしい理論だな」
島の住人にちゃんとしたものを食べさせる、という努力はおもに真琴と礼子先生によって賄われている。島本博士は料理に興味がなく、シャオミーと髙荷も役立たず。マリーアは二度ほど食事当番を引き受けたが、その結果昨日の朝食はロールパンとチーズとリンゴ、それにヨーグルトだけだった。
(しかもそれに不満だったのはおれだけだし)
実奈ちゃんももうちょっと不満を表明するものと期待したが、厳密に言うと食いしん坊ではないらしい。その都度食べたいと思ったものを思いつくだけで、雑食な点では健太といい勝負なのだ。決まった時間に飼い葉袋が満たされていれさえすれば、なんであれ文句も言わず食べてしまう。
(味噌汁とご飯、のり、たまご、納豆が食べたい……炒めたソーセージがあれば文句なし)
「えっ?」
「あ、いや……」ヤバイ、声に出して言っちゃってたのか?「ニッポンの民宿みたいな朝ご飯もいいなって」
「昨日のパンのことですね?」真琴がクスクス笑った。「健太さん憮然とした表情でしたね」
健太は咳払いした。「おれは庶民派なんだ。夜の御馳走もそろそろアレだから、普通の夕飯でいいかも」
「今夜五十鈴さんが戻ってくるはずですから、それとなく頼んでおきましょうか?」
「なんかワガママ言ったみたいで悪いけど……」
自衛隊、〈ひゅうが〉から出向いて健太たちの世話を何かと引き受けてくれていた五十鈴さんは、先日の騒ぎに関して奇跡的にお咎めなしとなったが、破壊された米軍機材を回収しに来た本土の調査隊の事情聴取その他で忙しくなってしまった。残念なことだが、約束していた〈ひゅうが〉のカレーライスもまだ御馳走になっていない。
さつきはパラソルの影から一歩も出ず、ひざのノートパソコンを眺めていた。昼前のニュースの時間だ。衛星放送のチャンネルをいくつか試し、トップニュースを確認するとネットに戻った。
本土の状況が悪化し続けていた。
与党内の一部が首相に反発、対イタリア戦の不手際を批判され防衛大臣が辞職、変わってその座に抜擢されたのは、あの小湊総一郎だった。「異例の抜擢」とマスコミは報じた。しかし、当選二回、大臣経験もない30代議員の起用を懸念する声は不気味なほど少ない。 人気の若手起用は関係各方面からの批判をかわすため苦肉の策と言えたが、現政権に対する不満はこんなことくらいでは止まないと思われる……。
与党と連立を組む改革維新党のある議員は、核武装の必要性について蕩々とまくし立てた。首相は非核三原則の繰り返しに留まった。彼は一部の支持者に英雄扱いされた。
マスコミの反応はいつになく弱々しかった。核抑止の切り札なくしては、これからの戦いに参加する資格さえないではないか!?そう主張する御用学者さえ現れた。そうしたコメンテイターの何人かは、かつて集団的自衛権の合憲性でもめた安全保障法案を批判していた人物だった。
浅倉澄佳博士の談話が何度も引用された。しかしその論調はといえば、彼女の先見の明はたいしたものだったが、現状を顧みるとまだ甘い見通しだったと言わざるをえない、といった調子だ。
国民は、勝利を望み始めたのだ。
そして、どこかで誰かが、この気を逃すな!と号令をかけた。
ワイドショーではタレントが、オリンピックやテニスの試合でも語るように「ゲーム」の勝敗の行方を論じていた。プロの戦争屋ではない民衆がやるように「勝利」を前提とした話なので、中身はなにも喋っていないも同然だったが、誰もが聞きたがっているのはそういうことだ。いわく「進展次第ではわが国の勝利もじゅうぶんあり得ます」「勝機を逸しないために我々はできることはすべてやらねばならないでしょう」
こうした世間の風潮は今後も盛んになってゆくだろう。
この「ゲーム」には準優勝もベストフォーもないと気付くまでは。
真琴がやってくるのを目の隅に捉えたさつきはノーパソコンを閉じた。
「博士、わたしたち浜辺に行きますけど」
さつきは笑みを浮かべ頷いた。「行ってらっしゃい。わたしは遠慮するわ。日焼けなんか似合わないから」
「はあ」真琴は思わず自分の身体を見回した。「あら……わたしけっこう日焼けしてますか?」
「水着の跡がくっきりする程度には。ステキよ、可愛い」
「ど、どうも」真琴はぺこりと会釈すると小走りに立ち去った。さつきはその後ろ姿を見て溜息をついた。なんと初々しくて軽やかな、重力など関係ないような足取り。30代となったらあんな歩きかたなど望むべくもない。
さつきは大人になって心底ホッとしているし、世の女性のような回春願望とは無縁だ。しかし妙な縁で子供たちと接するようになり、なにかと比較してしまうようになった。
(たぶん、母親の心境よね……)
さつきは扱いづらい子供だった。両親は天才児との接し方が分からず、精神カウンセラーに相談したりほとんど病人扱いだった。学校ではつねに変人扱いで、どこか情緒的に欠落していたためいじめの対象にさえならず、孤独だった。
だが健太の母親、浅倉澄佳が現れ、若かったさつきを協力者に選んだ。その長い付き合いのあいだに、あのわずか二歳年上の女性はさつきに一種のカウンセリングを施した。さつきは他者との共感を学んだ。ブレーキの壊れたレーシングカーのようだったさつきの頭のギアを落とし、周囲の普通の人ともまともに喋れるようにした。苦手な子供相手にもなんとかなるようになった。
精神的に安定した天才がたくさん必要なの。そしてわたしを助けて欲しい。
浅倉博士はそう告げ、さつきを大変興味深い頭脳ゲームに誘ったのだ。この世界を変えるというゲームだ。
浅倉澄佳は超天才だ。その能力の半分は、さつきなどとは比べものにならない深い共感と洞察によって他者を思うままに操ること。ということはつまり、良心とかモラルといったものをいちじるしく欠如していた。外見上の穏やかな人柄はレクター博士のそれなのだ。つまりサイコパス。崇高な目的を抱いていなければ、大犯罪者になっていたかもしれない……。
彼女が国内外のパワーエリートを踊らせ、さつきでさえどうやったのか見当も付かない方法で莫大な資産を作り上げ、さつきはそのあいだにエルフガインを作り上げた。
途方もない――陰謀――を始めてしまったのだが、浅倉博士が取り込んだ数少ない人々は誰ひとり「そんなこと無理だよ」とは言わなかった。博士が描いた青写真が完璧だったから、というのもあるが、安定した天才が一致団結したらどれほどのことを成し遂げられるかという見本でもあった。さつきを含めかれらは操られてはいなかった。半世紀で人類が滅ぶと納得させ、あとは自分で考えて、と告げるだけでよかった。じつに充実した10年間であり、悪魔に頼まれたって別の人生と取り替えたいなんて思わない。
ただひとつだけ、意外だったというか浅倉博士が合理性を欠いていたと思うことがある。
それはひとり息子をエルフガインのパイロットに選んだことだった。
5年前の浅倉健太はさつきの見たかぎりでは、平凡そうな子だった。一般レベルなら聡明なほうだろうが、持ち前の小賢しさで小中学校の成績はよくても、高校に上がったとたんダメになるタイプだと思った。忙しい母親だったから息子を研究所によく連れてきて、シミュレーターで遊ばせた……浅倉健太はそうやってエルフガインのメインパイロットになった。大脳に負担のかかる操縦システムは個人向けに調律するほか無かったからだ。開発が進んで半年も経つともはや別のパイロットを選定する余裕も予算もなくなっていたから、健太を中心に据えた開発はなし崩し的に続けられた。
浅倉博士はそれを「たまたまそうなってしまった」と装っていたが、考えてみれば綿密に練り上げた計画をたったひとつの要素で台無しにするなんてあり得ない。
さつきは初めのうち、浅倉澄佳もひとの親なのだ、どれほど聡明でも母親というのは愚かになるものなのだと思っていた。ある意味微笑ましいことではある。
だが、本当は確信犯だったのではないか、実情はもっと別のなにかがあるのではないか。
最近になってそう考え直したのは、健太がのらりくらりとした態度とは裏腹に優秀なパイロットだったからだ。本当に予想以上の活躍だった。さつきがかつて健太自身に告げたように特別な能力は持っていないし、天才的頭脳も受け継いでいないようだが、母親から……それに父親からある種の資質を受け継いでいた。
戦士の遺伝子、あるいは英雄の条件とでも言うべき資質だ。
それはいわば想像力の欠如……戦場の帰還兵をPTSDに陥らせる倫理的葛藤とは無縁の精神。目的達成のために必要だと思ったことをしてしまう決断力、そのためなら殺人さえ厭わず、後日メンタルケアも必要としない図太さ。朝食を食べて出撃して死線をくぐり抜け、「ただいま、腹減った~」と帰ってくる。軍隊はそういう人間に支えられており、くじけそうな仲間を鼓舞して地獄の底まで突進してゆく。久遠馬助はそれに気付いて心配するのをやめた。
健太の祖父、松坂老人もそれを認めていた。「あいつぁ立派な極道になるね」しみじみとした口調で言っていた。「じゃが、小僧に言っちゃダメだよ」残念がっているのか、ヤクザになりそうもないので安心しているのかは分からなかった。
健太はファイターとしてまだ無自覚な部分が多かったから、やり手のビジネスマンじみた貪欲さや積極性はない。だがいつか覚醒する日が来るだろう。おそらくチームの女の子たちに対する責任感が芽生えたとき。
浅倉博士がそこまで見抜いていたとしたら?
いまとなっては確かめる術もないけれど……。
ふと顔を上げると、3メートル離れた別のパラソルの下にいる礼子がこちらを見ていた。
「なに?」
「いえ、なにか考え込んでるなー……って」礼子は手をひらひらさせながらあいまいに答えた。本当はリゾートウェアの上に白衣を羽織っている理由を尋ねようか迷っていたのだが。
「あなたも海に行ったら?」
「残念ながら」礼子は笑った。「わたしも日焼け控えないと」
「なんでよ。せっかくの美貌なんだから小麦色の素肌で男子を悩殺してあげなさいよ」
「べつに悩殺したくないので……」少なくとも、夏休みになったとたんそれではほかの先生が眉をひそめるのはたしかだ。
「あなたアピールが足りないって言われたこと無い?」
「な、なんの話ですか」
「べつに。ただあんまり色恋に縁がなさそうだから。彼氏いないんでしょ?」
「ま、前はいましたけど?いちおう」
「いちおう、ね……。余計なお世話かもしれないけれど、若槻さんちょっと天然気味だから……。健太くんがイカくさい視線でチラチラ見てるのにも気付いてなさそうだし」
「そりゃああの年頃の男の子はっ……!」礼子はムキになりかけていることに気付いて言葉を途切れさせた。「……あの、失礼します」
「ちょっと行かないでよ。健太くんとふたりきりになっちゃうじゃない」
「どうぞ、オイルマッサージでもなんでもやってもらってくださいな」礼子はハンドバッグを取り上げて立ち上がった。さつきが立ち去る背中に言った。
「保護監督責任者の言葉とは思えないわねぇ」
礼子はふくれ面のまま屋内に引っ込んでしまった。
厚木の防空司令部にたったいま届いた電文に、室内は騒然となった。
太平洋全域をモニターしていたタクティカルオービットリンクの偵察衛星が、ハワイの動きを捉えていた。48時間前、1隻の船がホノルルから出航した。その針路を監視していた自動警戒システムが注意警報を鳴らした。
「大型艦船……」
当直官たちは即座にその正体に気付いた。カメラをズームするまでもない。航空母艦を除けば、米海軍が保有する全長260メートル以上の巨艦はただ1隻しかない。厳密には退役艦であり記念碑として浮かんでいたのだが、きわめて頑丈にできているため整備すればちゃんと動かせる。事実80年代に近代改修され、進水から47年経過した1991年の湾岸戦争に出撃している。2012年の映画では異星人と砲火を交えた。
アメリカ合衆国24番目の州の名前を冠したその戦艦は三たび、因縁浅からぬ国、日本を目指していた。
自衛隊宿舎に立ち寄った礼子はそこで真琴を見つけた。
真琴は台所でなにやら調理している。鍋が火にかけられ、まな板でニンジンを刻んでいた。
「あら、ビーチに行かないの?」
「その前に夕ご飯仕込んじゃおうと思いまして」
ごぼうや大根も用意してある。
「豚汁?」
「ええ。五十鈴さんがカレーを持ってくると連絡ありまして、ご飯を炊いて、ついでにその付け合わせをちょっと」
「そう、おいしそう」手伝いましょうと申し出そうになり、やめた。これは邪魔すべきではない。
「それじゃ先生、行くから」
「はい、実奈ちゃんがお昼を持ってさっき出かけたばかりですから……」
久遠馬助は水色の軽トラックを運転していた。ボンタンとランニング、頭には手ぬぐいを巻き、煙草を持った手を空けたウインドウに乗せ、住宅街を縫ってクネクネと続く狭い国道をのんびり流していた。自家用車の数はまばらだが、土木関係や自衛隊車両は多く見かけた。道路脇に目印のお寺を確認した久遠は、さらに100メートルほど走ってコンビニの駐車場に乗り入れた。
車を降りたとたん、強烈な日差しでたちまち汗が滲んでくる。「あちいな――」エアコンの効いた店内をぶらついて雑誌ををパラ読みし、さらにぼんやりとドリンクコーナーを眺め、コンビニブランドの缶コーヒーを選んでレジに向かった。
「それとピース、二個な」夏休みバイトの若い店員がまごついて煙草の棚を探し始めたので、「74」と番号を教えてやった。ブランドもののでかい財布を取り出して料金を払い、レジ脇のガラス窓に面したカウンター席にどっかり腰を下ろした。
スツールふたつを隔てた席に、赤いニットの上着にツイードのズボンの男性が座っていた。競馬新聞を拡げている。散歩中の近所のおっさんという出で立ちだが髪を伸ばしすぎていた。
「ライター貸してもらえますかあ?」
久遠が話しかけると、男性は顔を背けて新聞を振った。「わたしは吸わないんでね」
久遠は背後に目をやり、店員が奥の控え室に引っ込んだのを確認すると、椅子をひとつずらして男に近寄った。
「三佐」
「よう、久しぶり」男性――健太の父親、松坂耕介三佐は新聞に顔を向けたまま応えた。
「売れない作家みたいな恰好ですな……」
「おまえ売れない作家なんか見たことないだろ」
「さにあらず」久遠は缶コーヒーのプルを押し開けた。「こんなスパイじみたことがもう必要なんですか?」
「穴蔵に引っ込んでるから世の中のことよく分からないんじゃないか?ここ数日でずいぶん物騒になったよ」
久遠はコーヒーをひとくち飲み、顔をしかめた。加糖ミルクコーヒーだった。
「それではいよいよ……次のステージっすね。島本さんが帰り次第」
「いよいよ試練のときだな。おまえたち用意はできてるか?」
「四日後には。台風でうまく足止めされれば……」
「四日あればいろいろ都合がいいな」
「それはともかく、わざわざ変装までしてきたほどの用件はなんです?」
「ああ、天城くんがなるべく早く伝えてくれってな……ホノルルから敵がやってくるんだ」
「まじですか……」天城塔子女史はずっと名古屋の防衛省ビルでデスクに縛り付けられ、事実上軟禁状態だという。だがおかげでアーリーバード(政府機関内に配布される、極秘項目を含んだ国内外最新情報をまとめたペーパー)を入手できる。
「やっぱり伝わってないのか……」耕介は溜息をついた。「おまえたち、すっかり指揮系統から弾かれたな」
久遠は苦笑いで頷いた。「向こうさんはやる気満々なんで。……だとしてもですよ、エルフガインは鳥ノ島にいるんです。まさか健太たちにも黙ってるつもりだったんですか……上は」
「ぎりぎりまで知らせないようにしてたんだろう」
「いったい、なに狙ってんだか……」久遠はさらに険しい表情を浮かべた。上層部の不実がまたしても露呈されたのだ。すべてが終わったら何人か個人的に始末をつけてやる、と決意した。「……それでこんどはなにがやって来たんですか?」
「問題はそれだ。見ろ」耕介はスマホを久遠に見せた。
画面に映っているものを見た久遠は目を丸くした。衛星や偵察機の画像ではない。おそらくネットから拾った写真だろう。
「そいつが……向かってくるんですって?」
耕介は頷いた。「どうも海の向こうもおかしな動きしてるようだ。どう思う?」
「どう思うと言われても、自分は分析官じゃないんで……情報もシャットダウンしてるし」
「天城くんは、米軍も一枚岩じゃないのだろうと言っていた」
「つまり?」
「ヴァイパーマシンの対決を用意するいっぽうで、軍の一派が昔ながらのやりかたを押し通そうとしているってことだ。おそらく護民党に圧された共和党議員と軍産複合体とか呼ばれてた連中だ」
「「ゲーム」に適応できない連中ですね……なるほど、あちらさんも似たり寄ったりの状況らしい」
「しかし16インチ砲と巡航ミサイルなら通用すると考えたのは、理系の国らしいじゃないか」耕作はいったん言葉を途切れさせ、ぽつりと問うた。「……エルフガインは、対抗できるのか?」
久遠その質問に背筋を伸ばし、大きく息を吸い込んだ。「どうですかね。戦力ならエルフガインが圧倒的ですが、もし万一、主砲弾を受けたらさすがに……」久遠は首を振った。
精一杯平静を装っていたが、松坂三佐はひとり息子の心配をしているのだ。かれ自身は自衛隊に絶対服従の身だが、こうしてこっそり久遠に協力しようとしている。巻き込みたくはないが、たいへんありがたい戦力なのはたしかだ。
たったひと言「大丈夫、ぜんぜん問題ないす」と言ってやれないのが無念だった。
「それじゃ」久遠は立ち上がった。「鳥ノ島になんとか連絡する方法考えないと」
「携帯も無線も無理か?」
「傍受されるでしょうね……。暗号も。暗号を使ってるって感づかれただけでリークがばれちまいますから」
耕介は渋顔で首を振った。「友軍相手になあ……なんで警戒せにゃならんのか」
「むかつきますよね」
礼子は滑走路脇の歩道にカートを走らせた。滑走路上にはヴァイパーマシンが間隔を置いて並んでいた。自分が操縦しているマシンをこうして日差しのもとで眺める機会は、驚くほど少ない。超重戦車ヤークトヴァイパーの傍らで、礼子はカートを止めた。いささか愛着らしきものも生まれている。細かい傷だらけで塗装は剥げ落ち、一個0.5トンもあるキャタピラは埃や泥で白っぽくなっていた。巨体が作り出す大きな影は涼しかった。
見上げればレーダーが持ち上がっていた。バイパストリプロトロンから供給される電力は無尽蔵なので、索敵システムは動き続けているのだ。何かあれば礼子たちが携帯する政府支給のスマホに警告が届く。本当に、なにか秘密戦隊じみている。
(ちょっとコクピットに昇ってみよっかな)
礼子は二階建ての建物ほどもあるはしごを登って機体上面に立ち、カプセル状のコクピットまで歩いた。アクセスパネルを跳ね上げ、暗証番号を入力してコクピットハッチを開けると、手すりを掴んで狭い入口に足先から入り込んだ。
ヤークトヴァイパーの操縦室は五人乗りで六畳ワンルームアパート程度の広さがある。しかしその半分は礼子の操縦席と半球系のマルチモニターが占め、シートの背後、階段五つぶん下がったところに列車の個室なみに狭いオペレーター席が設けられている。ふたりずつ背中合わせに腰掛けるベンチシートに四人が座ったら身動きも取れなくなりそうだ。いちおう、長期作戦用にトイレと非常食料庫も備えていた。電子機器を冷やすためエアコンが効いていて、室内はひんやりしていた。
そしてオペレーター席のひとつに健太が座っていた。
コンソールに突っ伏して寝ている。
(おや、まあ)
礼子は途方に暮れた。まさか先客がいたとは。
礼子はとなりにそーっと腰を下ろした。こんな所で寝込んだら風邪を引いてしまう。肩に手をかけてゆすると健太が浅い眠りから目覚めた。
「うん……あっ!先生……」
「ゴメン、だけど風邪引いちゃうよ」
「そ、そッスね」健太は慌てて姿勢を正した。「すんません……先生の機体に勝手に……」
「べつにわたしの持ち物じゃないから……」
健太はブルッと震えた。「ホント、ちょっと冷えちゃった」
「実奈ちゃんと一緒だったんじゃないの?」
「先に行かせましたよ。まだ腹減ってないから……」
健太は言いながら礼子の恰好を盗み見た。つばの広い帽子、チューブトップにホットパンツ、その上に透ける素材の上着のみ。素足にスニーカー。
「先生も。朝からのんびりしてたから」礼子は喋りながらコンソールを操作していた。壁一面を占めるモニターが生き返り、パソコンのOSに似た画面が表示された。礼子が「一般情報」というアイコンを選ぶと、テレビ放送画面がポップアップした。小さなウインドウには天気図が表示されていた。
「台風が接近してるのよね……あと二日でここを直撃しちゃう」
「その前に帰れますかねえ……」
「博士は分からないと言ってるわ」
「おれたちじゃぜったい火星なんか行けないな」
「なんの話?」
「いえ、たしか火星有人飛行って片道半年とか、限られたスペースで過ごすんでしょ?おれたちなんか宇宙船よりずっと広い場所で一週間も保たないんだから……」健太は手をひらひらさせてあとの言葉を濁した。
「そうかもしれないわねえ……でも宇宙飛行士なんてわたしたちよりずっと訓練してるはずだし。それこそ何年も」
「訓練ですか……最近、もっと必要なんじゃないかって思うんですよね。ただ専門的すぎてなにしたらいいのか分かんないすけど」
「そうねえ……先生もそう思うな。とくにわたしはね」
「先生は巻き込まれただけなんだから災難ですよね」
「いまは災難だったなんて思ってないの」
「そっすか」健太はそわそわしていた。礼子は改まった様子の健太の横顔を見つめている。健太は横を向いたまま言った。「あの、おれ……」
「ン?なに?」
「おれっ……!せせせ先生のこと、ちゃんと守るから……」気力を使い切ってしまったかのように語尾が消え入った。
「健太くん……」
健太は慌てて付け足した。「ええと!先生もまこちゃんもみーにゃんもってこと!髙荷だって」
「健太くん」礼子はやや声を強めて繰り返した。「こっち向いて!」
「はい」健太はかしこまった態度で両手をヒザに置き、つま先で礼子に向き合った。
「大事なことはちゃんと先生の眼をみて言って」
「えっ!」健太はたじろいだ。
礼子は両手を健太の肩先に添え、まっすぐ覗き込んでいる……。
健太はありったけの気力を掻き集めて繰り返した。
「おれは、礼子先生を、守ります」どもらないよう慎重に言葉を絞り出した。小学校で叱られ、もう二度としませんと誓わされているのそのまんまのようで、健太は真っ赤になっていた。
だが結果は劇的だった。
礼子が素早く健太に抱きついてきたのである!
起き抜けに女性とあれこれした経験は豊富だから、健太ももう取り乱しはしなかった……。というのは半分嘘で、血圧は急上昇して恥ずかしいくらい体温が上がってゆく。
相手は礼子先生なのだ。
いい匂いだった。前にも似たようなことがあった。ずいぶん前のことのようだったが香りとともにあざやかな記憶が蘇ってきた。
「先生……」
健太はおずおずと礼子の肩に手を置いた。礼子は「ン……」とかすかに呟いたが、健太の肩に顔を埋めたまま身動きしない。
ほとんど一分間あまりもそうして、礼子はゆっくり身を引いた。しかし健太と額が触れあわんばかりに俯いていた。
「健太くん、しっかりしてる……」礼子の手が健太の肩を滑り落ちて、両手を取った。先生は泣いてるのだろうか。健太の動機はさらに高鳴った。ひどい飢餓感を覚えた……。
「センセ――」
「健太くん!」
「はい!」
「すごおく、心に響いたわ……」礼子は顔を上げた。晴れ晴れとした笑顔、それはなにかを達成した教師の顔だった。
(アレ?)
「ちょっと感激しちゃった。ごめんなさいね」
(いやいやいや!)
「先生、これからも健太くんを支えるから」
(なんか違う!)
「一緒にがんばりましょう!」
(そうじゃなくて……!)
「ね!?」
健太はなんとか返事を絞り出した。
「はい……」
「それじゃ浜辺に生きましょ!ここ寒いわ」
「ふーい」
「あら……」メインモニターをシャットダウンしようとしていた礼子は、妙な点滅を繰り返すアイコンに気付いた。「何かしら……画面の一部が変だわ……」
「故障かな?液晶が壊れたようじゃないけど」健太もキーボードをいくつか試したが、反応が鈍い。「IFF信号か。なんかテストパターンでも流してるのかも」
「あとで博士に見てもらいましょう」
夕方になると、五十鈴りりか二等海士が〈ひゅうが〉で調理されたカレーを持って帰ってきた。
「ようやく約束果たせましたねー!〈ひゅうが〉のカレーをどうぞご堪能あそばせ!」
「うおオオオオオオオオ!」健太はカレーライスに襲いかかった。ベースはまこちゃんカレーと同様、市販のカレールーだそうだが、かなり魔改造しているようだ。まろやかなコクにぴりっとした辛さが加わっている。
「健太さん、たくさんあるから慌てずよく噛んで……」真琴が鍋からよそった豚汁をかたわらに差し出しながら言った。
「豚汁?おれ大好き!」箸でごぼうとニンジンとバラ肉をすくってハフハフしながら食べた。「うまい!」
真琴がほんのりはにかんだ笑みを浮かべ後ずさり、自分の席に戻った。
ものの数分で皿をからにした健太は立ち上がり、カウンターの上の炊飯ジャーからライスをよそった。
「おかわりよろしくッス!」
「おし!いい食いっぷりだね高校生!」
「健太あ……ブタみたいだぞ。もうちょっとお行儀よく食えよ」マリアが白人が見てるぞと言うようにマリーアにあごをしゃくった。
「あら!イタリア女は普通、がつがつ食べてくれる男性って好きよ」
健太がホレ見ろよ、というふうにスプーンをマリアに向け、食事を再開した。
「へえそうですか」
「ま、お上品なのはたいていゲイだから」
ワン・シャオミーが笑って、マリーアとハイタッチした。
「マリーアさんたちのお口には合うかしらね……」五十鈴さんはイタリアと台湾の女の子たちに尋ねた。
「辛いけどおいしいです!」
「アタシもカレー大スキよ」
「よっしゃ」五十鈴さんは嬉しそうにガッツポーズを取った。
「横須賀海軍カレーって言うの?自衛隊カレーってみんな味が変わってるんですってね。なにかテレビで見たわ」
一般人なみにちぐはぐな礼子のコメントにまごつきつつ五十鈴さんは答えた。「まあ正確に言うと、フネごとに自慢の味がありましてね……隠し味が、いろいろと」
「粉末コーヒーにウスターソース、鶏ガラスープ、ワイン……それから、タバスコ?」実奈が言うと五十鈴さんが目を丸くした。「正解!」
「さすがみーにゃん」
「ああ、そういえば島本博士は?」
「あら」礼子が言った。「ちょっと前にヤークトヴァイパーの不具合を見てもらうよう頼んだんだけど……まだ戻ってないのかな?」
「ヴァイパーマシンが故障するなんて珍しいね」実奈が言った。
「そうなの?」
「だって自己診断プログラムがつねに走ってて、メンテナンスドロイドがすぐに直しちゃうもん」
「すごいなあ……機材なんて故障するのが普通なのに」五十鈴さんがちょっとうらやましげに言った。
噂をすれば何とやら、玄関口ががらりと音を立てて島本博士が帰ってきた。Tシャツとぴっちりしたパンツの上に白衣という奇抜な姿にもみな馴れはじめていた。
「ただいま。あらおいしそうな匂い」
「博士のぶんもよそりますから」
「ご飯少なめにしてくれる?」
「了解です」
さつきが席に座ると、礼子がさっそく尋ねた。
「博士、不具合はどうでした?」
「不具合?」真琴が置いたアイスティーにレモン汁を注ぎながら答えた。「ああ、不具合。とくに問題は無し。もう直ったから」
「そうですか、よかった」
「五十鈴さん」
「はい、なんですか博士?」
「台風はいつここをかすめる?」
「暴風圏に入るのは明日の夜です……みなさん、〈ひゅうが〉に待避したほうがいいでしょう。明日の昼頃には鳥ノ島を離れて台風から距離を取る予定なので」言いながらカレーの皿をさつきの前に置いた。
「ありがたい申し出だけれど、わたしたちはここで足止めよ」
「まじっすか?」つまりあと最低二日はこの島で過ごすということだった。
「やった~」実奈が嬉しそうに言った。いちど本格的な暴風を体験したいのだ。
「しかし……」
「心配ないでしょ?ここもコマンド出張所も何度も台風に遭ってるけど吹き飛ばされたなんて話は聞かないわ。今回も特別ひどい低気圧じゃないし、地下待避壕もあるんだし」
「まあ、そうですが……」
「それにエルフガインを置きっぱなしで離れられないし」
「ですよねえ」
マリーアがフンと溜息をついた。「ヨーロッパじゃハリケーンと洪水がすごいのにここに来てもまた……」
「台湾も台風ガンガン来るネ」
「異常気象は世界規模なんだからあきらめなさい」
「台風の接近と時を同じくして、ホノルルの米艦艇も中距離巡航ミサイルの射程圏内に到達します」
厚木の太平洋防空司令部発令所に集まった面々は、みな一様に正面のステータスボードを注目していた。
当直官が説明を続けた。「日本海域に接近するにつれて別の艦艇が合流しています」レーザーポインターをステータスボードに表示された航跡に当てた。「タイコンデロガ級〈シャイロー〉、アーレイバーグ級〈ジョン・S・マッケイン〉〈フィッツジェラルド〉〈ラッセン〉そして〈ブルーリッジ〉が後方に控えています。いまのところ、沈黙の艦隊の動向は探知されていません」
揚陸指揮艦である〈ブルーリッジ〉を除けばすべてイージス艦艇だ。
「かつて横須賀を母港にしていた艦艇ばかり……今回の殴り込み艦隊が潜水艦隊をリクルートできなかったのは、我々にとって幸運だった。空母も」その場の最先任者である中条海将補が言った。
「齢80歳の老婦人をエスコートするために集結した有志、というわけか」
「まあそういうところかな……とはいえ総合火力は侮れないが」
「どのみち対抗するのはエルフガインだろう?」辻井陸将補は皮肉に聞こえないよう気をつけて尋ねた。
「まあそうだ」中条はあっさり認めた。
「〈ブルーリッジ〉はなんのために随伴している?鳥ノ島を占拠するつもりなのか?」
「後方支援、他の艦艇がダメージを受けた場合退去した乗組員を拾う役だろう……喫水線からして陸上兵力は積載されていないようだ」
「そうか?核攻撃のための司令センターとは考えられんか?」
「核はないよ」
(なんで分かるんだ?)辻井は頭の中で疑問を呈した。
艦隊は戦艦を中心として防御陣形を敷いていた。戦艦を守備するのが目的だ。そしてエルフガインと戦艦が戦うまで、自衛隊艦隊を阻止するつもりなのだ。
しかし、自衛隊は護衛艦を派遣するつもりはない。
〈ひゅうが〉が安全圏に待避したあとは高みの見物を決めるのだ。「ヴァイパーマシンの戦いに通常兵器は役にたたんのだから、ムダなことをするべきではない」高官はそういうのだろう。しかし当然ながら、釈然としないものも少なからず存在する。多くは裏でなにか起こっているのを察知していて、風見鶏のように様子見している。辻井のとなりに立つこの男、中条もそのひとりか、あるいは「あちらさん」の陣営なのか……。
しかしそれはあくまで上層部の話であり、現場では疑念が膨らんでいる。「なんでエルフガインを支援する艦艇を派遣しないのだ?」
(上層部がどう釈明するのか見物だな)辻井は意地の悪い興を覚えた。(もっとも防衛大臣はあの小湊の若造だ。何かしらもっともらしい正論を言ってのけるだろう)
食事のあとは11時まで衛星放送を見た。
五十鈴さんによれば、今夜放送される洋画はだれもが一度は観なければいけないという。宇宙船内で凶悪な異星人に追いかけられる船員の話だ。
「公開当時のキャッチフレーズがね、「宇宙では、あなたの叫び声はだれにも聞こえない……」」
島本博士がコメントした。「確かに怖い映画だけど、若い子に啓蒙するのはほどほどにしないと嫌がられるわよ」
五十鈴さんはなにげにアニメマンガオタクだが、歳(27歳)のわりにけっこうな映画マニアでもあるらしい。おそらく映画ネタスレッドを漁るうちに雑学知識を溜め込んだのだろう。映画なら健太も祖父仕込みの知識があるから、博士の刺した釘にも構わずお喋りに花を咲かせた。
「そうそう、この映画とほとんどおなじ年に公開された映画で、空母〈ニミッツ〉が1941年の真珠湾にタイムスリップしちゃうって映画があって」
「知ってますよ」
「それいまHBOがテレビシリーズとしてリメイクしてるんだって」
「あんなのを?つうかなんでそんなこと知ってるんです?」
「そりゃあね……グアムのケーブルテレビを傍受してるから。それはともかく、リメイク版はテレビだから話数が必要……だからその空母……今回は〈ジョージ・ワシントン〉なんだけどね、真珠湾攻撃をまんまと阻止しちゃうんだから!しかもずっと太平洋戦争中居座り続けてやんの」
「なんすかそれ!?仮想戦記じゃないすか……ていうか日本の有名マンガのぱくりじゃん!」
「けどけっこう笑えるんよ。シーズン1で連合艦隊をやっつけちゃったあと大西洋に移動してナチスと戦うんだけどさ。ビスマルク追撃中にやっぱりタイムスリップしてきた空母〈ジョージ・W・ブッシュ〉にばったり出くわすの!」
「ひでえー!」
「そんで若きジョージ・ブッシュ中尉が「なんでおれの名前が付いてるんだ!?」て叫ぶとこが傑作でさあ」
「ひでえプロパガンダ番組だな~。でも見たいなあ……HBOならちょっとエッチだし」
「もちろん!……ま、ホモネタも多いけどね。いまナチに原子炉の設計データ盗まれて原爆製造に利用されそうってところだから、面白いよ。貸してあげよっか、お手製字幕付きだけど」
それからいまハリウッドはどうなっているのかという話になり……全世界的国交断絶状態によって多くの企業が壊滅的打撃を受けたが、アメリカの映画産業はとくに大ダメージを被ったという。制作費一億ドルを超える大作はなりを潜め、文芸路線にシフトしてなんとか命脈を保っているらしいが、娯楽大手のDで始まる会社は壊滅寸前だということだ。健太たちがいま視聴している洋画は契約期間がまだ残っているから日本でも放送しているが、版権切れによってDVDも売れず放送にも流せなくなった作品は、年々増え続けている。
しかし作品が減るならどうにかしようということで、逆に国内映画、ドラマ、アニメの内容はかつて無いほど充実しているから、なにがどう転ぶか世の中分からないものだ。
ヒロインが凶悪宇宙怪物を救命艇のロケット噴射で吹き飛ばして、映画が終わった。礼子先生と中学生ふたりは風呂に入ると言ってとっくに席を立っている。台湾人とイタリア人も健太たちのマニアックトークに恐れをなしていつの間にかいなくなっていた。
島本博士は立ち上がり、ひとつ大きくのびをして「お風呂入って寝る……」と言い残して風呂場に向かった。「博士?こちらでお泊まりに?」五十鈴さんがあとを追いかけて行ってしまった。
おかげでラウンジには健太とマリアだけが残された。
マリアは無言でテレビに顔を向け続けている。
「あちゃー、博士が先に風呂に行っちゃった……」健太はわざとらしく言いつつ、ヒザを叩いて立ち上がり、玄関のほうにぶらりと足を向けた。
「ちょっ!どこ行く気?」マリアが(珍しく)健太の背中に声をかけてきた。
「風呂が空くまで散歩~」健太は振り返らず答えた。「それに、髙荷とふたりきりじゃ気詰まりだから」と心の中で付け加えた。
馬鹿話のおかげで頭が冴え渡っていて、まだ眠れそうになかった。建物の外に出ると生暖かい風が硫黄の匂いを運んでくる。健太は自然にエルフガインコマンド出張所のほうに足を向けていた。さすがになにか期待していたわけではないが、ほかになにも思いつかなかった。
明るく照らされた滑走路を横切り、並んでいるヴァイパーマシンを見上げた。損傷はないという博士の判断を健太もまったく疑っていなかった。地震でも壊れるような機体ではない。
背後に気配を感じて振り返ると、髙荷マリアがびっくりしたように立ち止まった。慌てて左右を見ていた。
なにやってんだ?と思いつつ「ああ……宿舎に帰るん?」と、無難な言葉をかけた。
「ま、まあ……」マリアは決まり悪げに答えると、健太を避けるように距離を取って通り過ぎようとした。なにか様子が変だ。怒ったような横顔はいつも通りだが、動きがぎくしゃくしている。
「こっち見んな」
「お、……悪りい」健太はそっぽを向いた。
健太はエプロンの向こうの闇に向かって歩き去るマリアを目の隅で追った。だがマリアはふたたび辺りをきょろきょろ見回し始めた。心なしか歩みが遅い。
(マジでなにやってんだ?)
健太は突如気付いた。
あの映画でびびったのか!
あの勝ち気な髙荷がホラー映画に弱いのか!?
(信じらんねえことだけど……)健太はさりげない足取りでエルフガインコマンド出張所のほうに向かった。すぐにマリアのところまで追いつき、慎重に距離を開けて歩き続けた。マリアがちらっと健太に顔を向けた。健太は気付かないふりで歩き続けた。
「ねえ、浅倉どこ行く気?」マリアが背後で言った。
「ンー?……先生が起きてるかと思ってさ……お休みの挨拶しに」
「礼子先生がひとりでいるところに?やらしい奴!」
「人聞きの悪い……まだまこちゃんか実奈とだべってるだろ」
「あたしが見てるからね!」そう宣言してマリアは健太のあとに付いてきた。やっぱりひとりで宿に戻るのが怖かったのだろうか。
健太たちはしばらく無言で歩き続けた。空には星が満ちているが、レーダーサイトを照らすスポットライトが周囲の闇をむしろ強調していた。もちろん街灯もなく、健太は足元を見ながらとぼとぼ歩き続けた。
10分も歩けば前方に二階建ての建物が見えた。明かりは灯っている。
建物の前にたどり着くと、マリアが前に躍り出た。
「あんたはここで待ってなよ!先生お風呂かもしんないだろ?」
「あー、ハイハイ」
マリアは玄関を開けて建物の中に消えた。健太は岩に腰掛け、眼前の海の気配に耳を澄ませた。ここでたばこでも吸えば様になりそうだが。
わずか二分ほどでマリアが戻ってきた。玄関が勢いよく開き、血相を変えたマリアが現れた。
「先生は?」
「いない」マリアは呟いた。「それより――」
「それより……なに?」
「コ、コップが」
「コップ?」
「コップの水……」
健太は思いだした。硫黄島の英霊を慰めるために、自衛隊宿舎にはつねに水をたたえたコップが置かれている。米軍との小競り合いはこの島でも起こり、支援も物資も水もなく捨て置かれた中隊が全滅した。宿舎には祭壇が祀られ、水が置かれている。
置かれた水はときどき減っている、という。
「水……減っていたのか……?」
マリアは何度も頷いた。
「おーい、よせよそんなの……」さすがに健太もたじろいだ。
「嘘じゃない!」
「そっそれよか、若槻先生を捜そうぜ」
「うん……」
「風呂にもトイレにもいないの?それじゃビーチか、海岸沿いの露天風呂じゃね?」
「さあ、どうかな……」不安げに二の腕をさすりながら、心ここにあらずという様子で辺りを見回している。
おれがビーチに行くから露天風呂見てこいよ。意地悪を発揮してそういいそうになったが、どちらもわずか100メートル離れた場所だ。
「ビーチから探すか……」健太は独り言のように言って歩き出した。マリアはなにも言わず健太の五メートルほどうしろにくっついて来る。わざとらしく周囲をきょろきょろ見回していた。それでも健太と言葉を交わす気はないようで、ますますもってぎこちない雰囲気だった。
健太は立ち止まり、溜息ひとつついてマリアに振り返った。マリアは健太のかたわらを歩き続けながら胡散臭そうに見返している。おそらくお父さん譲りと思われる、肉付きの薄い細面の美貌。きつめの双眸にまっすぐな鼻筋で宝塚の男役にぴったりだろう。態度の素っ気なさがかえって学校の一部女子の人気を呼んでいるという。
「髙荷、あのさ……」
「な、なに?」警戒するような、怒ったような声だ。
「髙荷ってひょっとしてオバケとか苦手か?」
マリアは立ち止まって健太に向き直った。「なっなによ!そんなことなななな無い……」
「だってよ、このまえエルフガインコマンドの地下に潜ったときだって、いちばん及び腰だったから、ほら……」
「うっさいな!ほっといてよ!」
(否定しなくなったな……)
「そっだな……おれには関係ないことだ」
「せいぜい笑えばいいよ!」
「べつに笑わねーし」
「国元とかに言いふらすんだろ?」
「言いふらさねえったら。まじで」
髙荷はまだこわい顔で健太を睨んでいたが、やがてぽつんと尋ねた。
「なんで?」
「え?えーと、それは」健太は困惑して頭を掻いた。「……髙荷だってべつにいじめとかしねえし……」
「あたしのことご存じってわけ?……ろくに話してないのに」
健太はおもいきり渋面を浮かべて両腕を拡げると、きびすを返して歩き始めた。
「なんだよ?むかつくからお喋りよすって?」
(いちいち突っかかりやがって)健太は怒鳴りたいのをこらえて歩き続けた。以前……中学のとき、ふとしたことからクラスメイトの女子と言い争いになったが、言い負かしたにもかかわらず後味が悪すぎて三日くらいはくよくよし続けた。べらべらわめき立てる自分がめちゃくちゃ格好悪過ぎていまでも思いだすと気分が落ち込む。それ以来女の子とは喧嘩しない、腹も立てないと誓っている。
(怒らない、怒らない)
マリアがそれでも健太を追いかけてくるのが気配で分かった。
「浅倉」
「ン?なに?」努めて苛立ちを抑えた声で答えた。
「超巨大ムカデロボットの時、覚えてる?」
「髙荷が……エー、拉致られたときの?」
「そう」マリアも平静な声だ。「あんときさ、あたしに上着貸してくれたじゃん……」
「ああ……そんなこともあったっけ。それで、なに?」
「ま、うまく言えないんだけどさ、つまり……」
健太がはたと立ち止まったのでマリアは口をつぐんだ。前方、波打ち際のごつごつした岩場に礼子先生がもたれているのにマリアもすぐ気付いた。健太たちに背を向け、なにか岩陰の向こう側を眺めているようだった。
「先生いるじゃん。でもなにやってんかな?」
「知らない。聞いてみたら?」
いい考えのように思えたので健太は礼子の背後に近寄っていった。足音を忍ばせたりはしなかったので間もなく礼子が健太に気付いて振り向いた。
「あ!健太くん!ダメよこっちに来ちゃ……」
礼子先生は慌てていた。声をひそませ両手を押し留めるように向けて振っている。
「なに?なんで?」
健太もマリアも逆に好奇心いっぱいで最後の数メートルを走り、戸惑う礼子を尻目に岩の向こうを覗き込んだ。
弓形に湾曲した狭いプライベートビーチの向こう、衝立のように大きな一枚岩が立つそのかたわらに、マリーアとワン・シャオミーがいた。シャオミーが岩にもたれ、背の高いマリーアがシャオミーに覆い被さるように立っていた。何語か分からないが、風に乗って談笑する声が途切れがちに聞こえる。
二人が口づけした。
(ウオッ!)健太は息を呑んだ。不意打ちでビンタされたような衝撃を受けていた。
はじめて生で見た他人の……ラブシーン。
しかも女の子同士。
実物のインパクトたるやドラマのそれとは比べものにならない。マリアもまた息を呑んでいるようだ。
自分でも意外なくらい情緒を掻き乱され、健太は困惑した。「なんてもったいない」「いいなちきしょう」たんにエッチなシチュエーションを楽しむどころではなく胸中を掻き乱されていた。(なんだおれ、嫉妬してんのか?どして?)
「二人ともよしなさい!」礼子が健太とマリアの肩を揺すりながら噛みしめるように囁いた。
「それよりあの不純……ええと、同性交友を止めるべきなんじゃ?」マリアがやや笑いを含んだ囁き声で答える。健太よりだいぶ余裕綽々のようだった。
「あのふたりは18歳以上でしょ?――って、そんなこといいから覗きはやめなさい!はしたない」
「先生も覗いてたくせに」
「のっ覗いてません!」
健太は助け船を出すことにした。「おい、戻ろう」
髙荷も肩をすくめて岩から身を起こした。「そっね」
礼子は健太とマリアの顔をしばし見比べると、「では……」と言ってきびすを返した。健太たちはそのあとに続いて宿泊所に戻った。
宿泊所の玄関につくとマリアはさっさと中に消え、礼子は立ち止まって言った。
「それじゃまた明日、健太くん。おやすみ」
「はい……お休みなさい」
マリーアたちのレズ行為が生々しすぎてまだちょっとモヤモヤしていた。健太は生暖かい夜の空気をかき分けながら自衛隊宿舎に急いだ。水のシャワーで頭を冷やして早く寝ちまおう、と思った。さすがに近し過ぎる人間なので夜のオカズネタにはしがたい。
自衛隊宿舎にたどり着くと、玄関の前で島本博士が待ち受けていた。
「どうも博士、風呂空いてます?」
「五十鈴さんが入浴中よ。それより健太くん、ちょっと話があります」
「ハア……」博士の改まった口調に健太は何ごとかと片眉を上げた。
博士が建物の反対側、海の見えるささやかな庭のほうに向かったので、健太は付き従った。庭に出ると、海に顔を向けたまま博士が言った。
「健太くん、明日の真夜中から朝にかけて、敵がやってくる」
「え……」
「またしてもアメリカよ。こんどは戦艦を派遣してきたようだわ。久遠くんがIFF信号に紛れ込ませたモールスで知らせてくれたの」
「戦艦て……」軍オタらしく、女だからどんなフネでも戦艦て言っちゃうんだよな、と高をくくった。「どんなフネなんですか?」
「ミズーリ」
「ミズ!……ミズーリ!?」
さつきは驚愕する健太に頷いた。「わたしは詳しく知らないんだけど、たしか第二次大戦の遺物のはずよね?」
健太は頷いた。「そうですけど……けどマジもんの戦艦じゃないすか!40センチ砲9門のバケモンですよ!?」
「久遠くんもそんなことを伝えてきたわ。全長270メートル、排水量53,000トン。巡航ミサイルも積んでるそうね。それにイージス艦4隻を護衛につけている」
「なるほど」健太はエルフガインとの戦力差がまだ理解できず、とりあえず尋ねた。「それで、どうすれば……?」
「明日の夜からエルフガインに乗り込んで待機しなさい。台風の暴風圏に入る前にね。長丁場になるけれど仕方ないわ」
「ここで待ち受けるんですか?」
「相手の出方によるけど、鳥ノ島で突っ立ってるわけにもいかないでしょう。砲撃でムダに被害が出るからよ。だから島から2㎞以内の浅瀬……ごく狭いけれど水深20メートル以下の沖で待機しなさい。いざとなればセラフィムウイングで攻撃を回避して。それからミズーリにどこまで接近可能か、状況次第で」
「……了解しました。博士たちは?」
「できれば〈ひゅうが〉に待避したいけれど、ちょっと状況が複雑なのよね。わたしたちは公式にはミズーリの接近に気付いていないの……まだね」
「はあ?」
「だから待避のタイミングが掴めない……」
「だって、〈ひゅうが〉はあした台風避けのためここを離れちゃうんでしょ?早くしなくちゃ……」
さつきは健太に振り返り、目元をふっと和ませた。「わたしのことは心配はいらない。見学とかなんとか理由をつけて五十鈴さんに連れて行ってもらうつもりよ」
それでも健太が黙って見詰めているので、さつきはその腕をぽんぽんと叩いて言った。
「さ、細かいことは明日考えましょう。今夜は早く寝て」
「……はい」
久遠は翌朝七時半に呼び出された。
エルフガインコマンド司令部の小会議室では、お偉いさんたちがお待ちかねのようだ。久遠は意地の悪い笑みを入室直前にかき消して一歩踏み入った。
「久遠一尉、ただいま参りました!」
「オウ、来たな」テーブルの角に尻をもたれていた大柄な男が立ち上がって言った。久遠の敬礼にゆったり答礼したその男は星ふたつの階級章をつけた陸将補だ。185センチぐらいの熊みたいなガタイにまん丸の童顔。土浦から来た小森平一陸将補だ。室内にいた自衛隊出向組はみな将補、一佐クラスだ。かれらは普段久遠くらいの階級を鼻先で使う。全部で8人。そして背広組も同数。かれらはエルフガインコマンド内に新たに立ち上げられた「新機材開発室」の面々だ。「第二次調達計画」と称してイタリアのギガンテソルダート――もとい、バベルガインのレストアに励んでいる。
「敵ですか?」
小森陸将補はかすれた笑いを漏らした。「単刀直入だな。だがまあ、そうだ。また敵が来た」小森陸将補は奥のテーブルに着いていた海将補に頷いてみせた。中条勝海将補は立ち上がりがり、背後に控えている一佐に頷いてみせた。
「望月くんが説明する」
婦人自衛官がお茶のトレーを押してやってきた。各人にお茶やコーヒーを配り終えるまで説明は始まらなかった。
(優雅なこった)
「それでは、状況を説明させていただきます」久遠とたいして歳が違わない一佐が手元のタブレットと大型モニターを見比べながら喋りはじめた。
「96時間前、ハワイの米海軍基地で動きを捕らえました……」
「そのへんはいいから、現在の状況を」
「はっ!ええ……BB―63、ミズーリは現在硫黄島の東約1,200㎞まで接近しており――」
「ミズーリ?」久遠は大げさに言った。「ああ、すみません、続けてください」
望月一佐は眼鏡の奥から久遠をひと睨みすると、続けた。防大主席。「わたしはエリートだ」というオーラが全身から滲みだしているようなハンサム男だ。埼玉の田舎にのこのこやってきたのは出世のためか……そんな打算でなければいいがと願わずにはいられない。そうであれば相当なとんまだ。
久遠は説明をぼんやり聞き流した。どれも周知の事柄ばかりだった。知りたいのはここにいるお偉方の意図するところだった。「覚悟はできてんすか?」そう問いかけたかったが、返答は聞きたくもあり、聞きたくないとも思う。返答次第では自分を抑えきれるかどうか怪しかった。
「それでだ、久遠一尉――」
久遠は顔を上げて望月一佐を見据えた。
「エルフガインの出番ということですか?」
「どうした、久遠」脇から小森陸将補が言った。
「はい。……相手は博物館行きのご老体です。小官は通常兵力で十分対応可能だと考えますが?対艦ミサイルと魚雷の飽和攻撃でケリが付きますよ」
「まともに相手する必要はない、という意見はすでに出ている。きわめてパフォーマンス的な示威行動だからな」
「では……?」
「あちらさんが名指しで言ってきている」中条海将補が望月一佐になにか指示した。間もなくモニターの大画面に映像が映し出された。FOXニュースの録画のようだった。勇ましげなマーチとともに、アメリカ国旗と日の丸が並んで映し出された。その二国旗のあいだにはVSの文字。そして画面が暗転して、「志願兵たち」という言葉が映し出された。
パレードのような場面が映し出され、さらに60代と思われるアメリカ人男性が映し出された。ヤンキースの野球帽に縦縞のワイシャツの太った老人だ。
『ビッグ・モーのボイラーを動かせるのはもうわしぐらいの年代だけだよ』老人が快活に言っていた。ボブ「ポパイ」ロジャース、退役軍人、湾岸戦争時ミズーリの機関室に勤務、とテロップが出ていた。
『ジャップのブリキのオモチャを倒すのに必要なのは1,500ポンドの主砲弾およそ6発だ。これは簡単な計算で割り出せる。要は大きなエネルギーを集中的に叩き込むことだ』
在郷軍人会の老人のインタビューが終わると、パレードを背にした女性アンカーが画面に向かっていった。『こうしてパールハーバーに大勢の退役軍人が集結しました!かれらは日本の妙な新兵器、巨大ロボットと戦うために集結したのです。わたしがいる港の桟橋には大勢の市民が集結して、戦艦ミズーリに乗り込む義勇兵たちを見送っているのです。その多くは彼らの息子や孫……家族なのです』
「これが三日前」望月一佐が言った。「以来、テレビ局はこぞってこの航海を追っています。衛星ネットワーク大手が配信しているため、昨晩より日本国内のCBSニュースなどを扱うチャンネルでも放映されている……」お偉方の前で格下の久遠に説明しなければならないので、敬語が妙な具合になっていた。久遠はべつに同情もしなかった。
「かれらはショウに仕立ててしまったわけですね。それで、いまでは日米両国民が固唾を呑んで見守っている……」
「そうだ。例によってネットから火がつき、自衛隊や外務省に電話してくるものもいるくらいだ。バカ騒ぎだ」
「ならば余計に彼らのペースに乗るべきではないと思えますが……」
「もう喧嘩は売られてしまった」
「それにだ」小森陸将補はちょっとおもしろそうに言った。「わがほうにはもうひとつ心理的な負い目がある……」
「まさか、ブラックボックスシンドロームのことを仰ってるんじゃありませんよね?」
「小森さん、よしてくれ」中条海将補が言った。
ブラックボックスシンドロームとは、つまり自衛隊艦艇が搭載しているアメリカ製兵器のことである。とくに複雑なSPY―1、つまりイージスシステムに仕込まれたブラックボックス、それが米軍を相手にするとき動作不良を引き起こすのではないかと心配しているのだ。都市伝説なみのデマだが、誰もがシステムをきちんと理解しているわけではなく、艦艇乗組員のあいだでさえ根強い迷信が広がっている。
(なんてこった……もう2ラウンド先取されてるぞ)
効果的抑止力の見本のようなものだった。お涙ちょうだいのパレードと心理戦で完全にイニシアチブを握られてしまった。
彼らが久遠にエルフガインを出動させようとしたのがなぜか、分かった。
あまり健全とは言えないエネルギーがへその奥に満ちて、久遠は大きく息を吸って背筋を伸ばした。
「了解しました。そういうことならさっそく、鳥ノ島と連絡を取ります」
「ああ、そのことだがね、作戦指揮官はきみだろう?島本くんと相談する必要は、あるのかね?」
「コトをはじめる前にガラクタ箱になにが入ってるのか、きちんと確かめないと気が済まない性分でして」
小森陸将補は腕を組み、威嚇を含んだ眼で久遠を見据えた。「どういう意味なんだ、それは」
「他愛のない比喩という奴です……さっそく取りかからねばなりません。ほかになにかなければ、退席させていただきます」
「いってよろしい」素っ気ない口調で言った。
久遠が立ち去ると、望月一佐が言った。
「閣下、奴に任せきってしまってよろしいのですか?」
小森は冷ややかな笑みを浮かべて望月を見据えた。
「奴が勝っても負けても我々は困らない。だが、どうせならバカ騒ぎじみた老兵義勇軍を葬る汚れ役も引き受けてもらう。あの戦艦の甲板に貼り付けてある降伏調印の記念碑もろとも太平洋に沈めてもらおうじゃないか。うん?」
夜11時には鳥ノ島は暴風圏内に突入していた。
エルフガインは風圧をものともせず立ち尽くしていた。海岸からできるだけ遠のいた水深20メートルの海に両足を浸している。
およそ80メートルの高さから望む太平洋は壮大な眺めだ。真夜中だが、エルフガインのモニターが昼のようにはっきりと周囲を映し出している。人間の視覚よりも鮮明で状況はすべて数値化され、デジタル処理されてモニター画面に強調された状態で示されるため、ある意味神の視点を手に入れたようなものだ。とくに前方に迫り来る台風のかたちがはっきりと見渡せる。台風は時速17キロでまっすぐ接近していた。
台風の背後には、戦艦ミズーリを旗艦とするアメリカ艦隊が控えていた。アメリカ艦隊は時速30ノット――およそ55㎞/hで台風を南回りに迂回しつつ接近していて、まもなく巡航ミサイルの射程圏内に入る。健太は前方視認画面とグラフィック化された戦術画面を交互に見やった。
さすがに米軍も博物館行きの船をなんの措置も取らず送り出したりはしなかった。新しい軍事衛星を打ち上げ、静止衛星軌道上に展開している日本のタクティカルオービットリンクをしきりに妨害しようとしていた。台風のおかげでレーザータイトビームによるデータパスは途切れがちだ。軍事ネットワークが利用できないとエルフガインの索敵能力は大幅に制限されてしまう。
それどころか、無線の状態も当てにならなかった。本土の久遠一尉との交信も途切れがちだ。
「ちくしょうめ」
戦艦ミズーリには1200人以上が乗り込んでいるという。
敵艦隊すべて合わせれば2500人あまり。そうした情報はいまやニュースで流れ、ネットで議論になっている。「彼らを殺すのか?」とは日本国内の声だ。それで健太が覚えたのは腹立たしさだった。
(いまさら議論することか!?)
「健太くん」礼子先生の声が耳元に聞こえた。
「なんですか?」
「高速飛行物体を探知したわ。スピードはだいたい……時速900㎞。物体は複数……ええと、第一派が20、着弾はおよそ5分後。そのあとにも続々」
「トマホークだな……」
ついに撃ってきたか。しかし音速以下のトマホークミサイルは比較的チョロい相手だ。とくにそいつがまっすぐ向かってくる場合は。
怖いのはミズーリがさらに接近した場合に撃ってくる主砲だ。衛星写真の解析によると第二砲塔から艦首方向にかけて得体の知れない改装が施されているという。改装部分はキャンバスに覆われ改装の内容までは推察できないが……久遠一尉は最悪のケースを想定した。レールガンを装備しているというのだ。
レールガンはエルフガインにも装備されている。砲弾のサイズは小さめだが射程距離と弾速はミズーリの主砲の三倍だ。それだけでも大変なアドバンテージのつもりだったが、いまや互角になった可能性があるのだ。
「先生、ミサイルの対処はお願いします」
「分かったわ」礼子先生の声は平静だ。エルフガインチームの中ではいちばん普通人に近いひとがそんな様子なら安心だ。健太にとっても大いに心の支えになる。
「健太、相手は300㎞の距離を保ってる。分離してあたしのバニシングヴァイパーで叩いたほうがよかったかもね」
「そうだな……」
バニシングヴァイパーと健太のストライクヴァイパーで相手を掻き回し、ミズーリをヤークトヴァイパーの射程に追い込む。船の天敵は航空機だ。そんなの常識じゃないか?すばらしい作戦だが後の祭り。すでに合体してしまっている。
後手に回ってしまったようなイヤな感触だが、健太はまだ楽観していた。第二次世界大戦の遺物にエルフガインが負けるはずはない。根拠もなくそう考えているわけではなかった。エルフガインの性能を知っているからこそ、そう思っている。
(それに、相手は合体したエルフガインをご所望なんだ)
メインモニターの画面が健太たちを中心とした広域俯瞰図に切り替わった。礼子先生が対空防御システムを作動させたのだ。接近中のトマホークが赤い点で表示されていた。すべて超低空侵入中。
「別のミサイル群、背後から接近中!」屋や切迫した礼子先生の声が響いた。
(なんだって?)戦術画面を見ると、たしかにそれが見えた……しかしそのミサイル群が目標としているのは鳥ノ島だ。
「すべて撃ち落とせますか!?」
「やってみる!」
「健太さん、敵は陽動に出ています。気をつけて!」真琴が助言した。
エルフガインが身じろぎした。なにかを振り払うかのように腰をひねりながら短距離ミサイルとレーザーを勢射した。エルフガイン上空でトマホークが次々と破壊され、爆発した。だが……
「ああ、なんてこと……!」礼子先生が喘ぐように言った。鳥ノ島のカルデラ山頂で次々爆発が起こっていた。電子的死角を何発かかいくぐったらしい。無人島とは言え、腹立たしいことだ。
「ものすごいスピードでなにか接近中!」メインモニターに警告が走ると同時に礼子が叫んだ。健太は落ち着いてモニターの数値を読み取った。「着弾まで6秒」フットペダルを踏み込んでエルフガインを前進させながらウエポンセレクターをスクロールさせた。
「敵弾道逆追尾――レールキャノン連射!」
4門の28㎝レールガンが砲弾を吐き始めた。6連射したところで敵砲弾が至近距離に着弾した。
高さ200メートルはあろうかという水柱が立った。衝撃波でエルフガインが激しくゆすられた。
「こっこれ……ミズーリのレールガンか!?」さすがの健太もたじろいだ。
「当たったらまずいんじゃない……?」実奈がいつになく真剣な口調で言った。
「ずいぶん正確な射撃だ」
「当たり前だよ。こっちはでっかいビルみたいな高さだもん。レーダーによく映ってるんだってば!」
「なるほどな……でもよっぽどぼんやりしてなけりゃ大丈夫だろ……」健太の口調も確信を欠いていた。「まこちゃん、敵の砲撃間隔に気を配ってくれ。あのレールガンが連射可能か知りたい」
「了解!」
「健太!こっちも撃ち続けな!相手を慌てさせろ!」
「そうだが……」相手の正確な位置は判明していない。間近に着弾させなければかえって舐められてしまうだろう。
『健太くん?』突然、聞き慣れた声が耳元に響いた。無線ではなく、スマホの回線だ。
「博士!?」健太は困惑した。〈ひゅうが〉はとうの昔に暴風圏から逃れているはずなのだが……。「どこにいるんですか?」
『じつはまだ鳥ノ島にいるの』
「マジっすか!?なんで……!」
『その話はあとでね。相手は思ったより強力だわ。久遠くんの話だとレールガンは試作品で、二年前テストベッドとしてミズーリが選ばれた……大きくて安定しているから。でも砲塔自体は旋回できない。仰角もほとんど取れないわ。だから射撃の際はつねに艦首を標的に向けなくてはならない』
「そんな波動砲みたいな代物なら、たいして心配いらないかな?」
『この天気ならね。問題は、あの船がバイパストリプロトロンの電力で動いていることだわ』
「ミズーリはヴァイパーマシンに改造されたのか!?」
『いいえ、コアの欠片は搭載されていないと思うけれど、通常の反応炉は積まれていると思う。だから耐久力はある程度増しているでしょう。反応炉のおかげでレールガン用の電力は無尽蔵に供給される。おそらく短い間隔で連射可能よ』
「くそっ……セラフィムウイングで急速接近してグーパンしてやりゃあやっつけられるかな、と思ってたけど、頑丈なのか……」
島本博士が非難していないことは心配だったが、反面相談に乗ってくれるのは精神的にホッとできる。とは言え……いつになく「~と思う」「おそらく」という言葉を多用しているのは引っかかる。つねに断言して何でもかんでも承知しているような調子が好きなのだが。
『そう、それでもできるだけ早く接近するという考えには賛成よ。ゼロ距離で主砲を壊してしまえばあちらは無力だから』
レシーバーに『博士』と呼びかける別の女性の声が届いた。
「ちょっと博士、シャオミーまでいるんですか!?」
『ううん、そうなの……マリーア・ストラディバリさんもね……困ったもんだわ』
「大丈夫なんですか?さっきそこ爆撃されたんですよ?」
『地下防空壕に待避しているから心配しなくてけっこう。それより健太くん、戦術ネットワークが使えない代わりに鳥ノ島の全レーダーシステムを索敵に振り向けるわ。データをエルフガインに送信するから、ミズーリの位置を特定するのよ』
「え?でも電波飛ばしたらそっちがさらに狙われちゃいますよ……」
『そんなになる前にやっつけてよ。こちらからのデータが届いてもおおざっぱな位置だけだから、ジャンプしてエルフガインのレーダーを目標に向けて照射、戦術コンピューターに正確な位置データをインプットさせなさい。それで攻撃開始。いいわね?』
「了解!」
鳥ノ島のレーダー波があたり一帯をサーチしはじめた。たちまち鮮明な戦術データがメインモニターに映し出された。船が6隻、高速飛翔体がたくさん……
「健太くん!敵弾飛来中!」
「分かったよ先生!」
健太はジャンプロケットに点火してエルフガインを上昇させた。同時にレーダーを作動させ前方をサーチした。
「礼子先生、着地と同時にキャノンを連続発射して、できるだけたくさん」
「了解よ、健太くん」
健太はルックダウンセンサーで着地点を捜した。飛び上がっているあいだに一㎞ほど前進してしまった。水深が浅い場所はごくわずかしかない。下降しているあいだに周囲の海面にいくつもの水柱が生じた。砲弾が飛来するまっただ中を、機体をコントロールして着地点に導いた。もういちどロケットを点火して、エルフガインを軟着陸させた。
「先生!撃って!」
4門の240㎜キャノンが一斉に火を噴いた。さっきのレーダースイープと砲撃のおかげでミズーリの位置はかなり正確に判明している。思ったよりずっと接近していた。ミズーリに随伴している4隻のイージス艦はレーダーでエルフガインの位置をミズーリに知らせ、同時に囮の役も引き受けていたようだ。
ミズーリは単艦で台風のまっただ中を突っ切ってくる。健太は火器セレクターでミサイルを選択した。エルフガインは計40発の砲弾を放ったところで射撃を終え、変わって巡航ミサイルを撃ち出した。
戦術モニターの俯瞰図はだいぶ賑やかなことになっていた。4隻のイージス艦がミサイルの第三波を放っていた。その半分がエルフガンに、残りが鳥ノ島に向かっている。エルフガインが発射した24器のミサイルもミズーリを目指し、間もなくそのミサイルを迎撃するためのミサイルがイージース艦隊とミズーリから放たれ……そのすべてが音もなく無機質な輝点と軌跡で示され、もつれたスパゲティーのようだ。
(もう無茶苦茶だ)
射撃の結果が出るまでは行き詰まる時間が続く。だが命中するまでのんびりモニターに注視している余裕はない。二手三手先の展開を考え対処しなければならない。チェスゲームかなにかみたいだ。ミサイルの有効射程は限られているから効果的な発射タイミングも厳密に決まっている。それまでの待機時間が精神的に堪える。
リニアキャノンの砲弾がミズーリに届いている――命中なし。ミサイルもあらかた迎撃された。
(これが現代の戦いって奴か……)鳥ノ島に向かうミサイルに対処しながら思った。そんなことを考える余裕がまだある……良くも悪くも経験値が上がっているおかげか。(あんまり好きじゃないな、こういうのって)
「健太さん!」まこちゃんが切迫した声でいった。
「なに?」
「あの……ミズーリから無線が……」
「なんだって……?」
「あたしたちに?」
「はい……健太さんを名指しで、通信を求めています」
『健太くん、なにがあったの?』島本博士が問いかけてきた。
「博士、ミズーリに乗ってる奴がおれに話しかけてるみたいなんだ」
『それは相手が心理戦を仕掛けてきたのよ。相手してはいけない』
「そうなのかな……」しかし相手の素性に興味がわいていた。できれば動機も聞きたい。「まこちゃん、回線を合わせてくれ」
「えっ!?……は、はい」
健太の耳元にノイズが聞こえ、次いでメインモニターに通信アイコンの窓が開いた。
『……ちら米国海軍艦艇、ミズーリ。応答願う』ぎこちない日本語が聞こえてきた。
健太はスイッチを押して応えた。「こちら、エルフガイン」
やや沈黙があり、やがて声がいった。『――こちらは戦艦ミズーリ、わたしは司令官を代行して君たちに話しかけている、元海軍大佐ジェイムズ・カトーだ。きみはアサクラ・スミカの息子、アサクラ・ケンタくんだな?』
「そう」
『そうか。それでは手っ取り早く言おう。降伏したまえ。この馬鹿馬鹿しい戦いを終わらせよう。きみならそれができる』
「意味が分かりませんね。のこのこやってきて鉄砲撃ちまくっているのはそっちだ。おれはあんたたちを止めなくちゃ」
『意味が分からない?アサクラくん……きみ、よく考えてみたまえ……きみ自身を見てみろ。その馬鹿げたマシンに乗って戦っているきみはなんだ?まだ17歳だそうだな?わたしの孫と変わらない歳だ。自分がどれほど異常なのか、一歩冷静に考えてみなさい』
(たしかに、おれを揺すぶろうとしてるらしい)健太は唇を舐め、言った。
「馬鹿げた、異常だというあなたたちの言い分が理解できないんですが……」
『明白なことだろう?戦争は大人の仕事なのだ。きみのような子供が為すべきことではない。君たちの国だってたいして覚悟もせず、対処療法じみた戦いに終始するばかりではないか。専守防衛だと?聞いて呆れる……そんな覚悟でこの戦いに参戦すべきではないのだ。さっさと降伏して我々の同盟に加わるほうが、君たちのためなのだ。総力戦になれば君たちに勝ち目はない。分かっているはずだ』
「なるほど」黒船に脅されたご先祖の気持ちが分かる気がした。「……おれの母さんは、あんたたちのそういう態度がもうすぐ地球を滅ぼすと考えていたようだけど?」
『プロフェッサーアサクラは偉大な科学者であったと聞くが、科学者らしい純粋さというか、言ってしまえば妄想に捕らわれていたのだな。よくある話だ。アメリカ合衆国を目の敵にしている連中は大勢いる……それこそ半世紀以上まえからね。一面は真実で一面は間違い……世の中とはそうしたものだ。明確な悪など存在しない。だが、我々には信念があり、これまでその信念に従って世界の秩序を保ち続けてきたのだ』
「おれの母さんにも信念はあった……」
『きみは息子だからな……だがきみは、我々が間違っている、と断言できるのか?きみひとりの考えで、我々と対峙すると決定するのかな?』
健太は会話をなるべく引き延ばそうと考えていた。とくに考えがあってのことではないのだが、そうすべきと直感が告げていたのだ。そうしながら眼はメインモニターを注視し続けていた。戦闘は一時的に止んでいる。しかしいまや米軍覚艦艇ははっきりと所在を明かしていて、鳥ノ島を包囲するように水平線近くを慎重に移動し続けていた。
ミズーリは真っ正面……120㎞先だ。
「おれには……よく分からない。いままで戦えって言われたからそうしてきただけなんだ。だいたいおれ、徴兵されたんだし」
カトー大佐は笑ったようだった。仲間同士の親しげな笑い、というふうだ。きみとわたし、腹を割って話し合おう。
『それなら話は簡単じゃないか。嫌々戦う理由などきみにはないんだ。我々にもな。わたしたちの国はもともと同盟国じゃないか。きみの母上がすべてを引っかき回して世界中を混乱に陥れてなければ、我々はいまでも仲良しのはずなのだ。きみはその間違いを正す力があるんだぞ』
(間違いだ?)その言葉が引っかかった。
おれの母さんは本当に、そんな軽い言葉で片付けられるようなことをおっぱじめただけなんだろうか。
『な?「ゲーム」は異常だ。我々は異星人の言いなりになってお互い戦うべきではない……そんなのはおかしいだろ?きみがいまエルフガインを止めれば、少なくともそのひとつは是正されるんだ。きみが戦うのをやめれば日本も従う。そうせざるをえないからだ。武装解除したまえ……繰り返す。きみに戦う理由はないのだ』
「いや、ある」
『アサクラくん?なんだって?』
「戦う理由はある、と言った」
『意味が分からないよ。きみはたったいま徴兵され戦いを強要されたと言わなかったか?……ああ、分かるよ。何ごともいま決めたくないんだろう?まだ若いからな。理解できる。きみは迷ってるんだね』
「いいや、そんなことはない!」健太は断言した。「たったいま理解できた……あんたたちが何十年も続けてきたことが間違ってるとおれの母さんか誰かが考えた。あんたたちが言ったようにそれぞれ信念があったんだろうけどよ――」健太はつかの間言葉を切り、うつむいてエルフガインに乗り込んでいるほかの四人を思った。それから顔を上げて続けた。
「――だけどなあ!そんなのおれが知ったことか!あんたたちはひどく傲慢でとうてい我慢ならない。あんたの猫なで声もたいがいむかつくぜ!いますぐあんたたちを叩き潰して、あんたたちの国も全部やっつけてやる!おれにそれができないと思ったら大間違いだぞ!」健太は続けて叫んだ。「プロトコルSW!」
『プロトコル・セラフィムウイング起動』
エルフガインの足元の海水が透明な球体を押しつけたように凹んだ。第二段階バイパストリプロトロンの強力なフォースフィールドが一万トン近い重量を包み込み、重さがないかのようにフワリと浮かび上がらせた。モニター上に拡大されたミズーリはまだ黒いシミにしか過ぎないが、チカチカと光が瞬いている。健太が啖呵を切ったとたん発砲を再開したようだ。もうカトー大佐は話しかけてこない。
「突撃だ!」
「オーケイ健太!スロットル全開でいきな!」マリアが喧嘩上等という調子で応えた。
突然、奇跡のように暴風が止んだ。台風の目に入ったらしい。月光に照らされた青白い雲の合間に星空が垣間見える。
エルフガインは海面すれすれを加速した。音速に達したエルフガインの背後に水柱が生じたが、音速の五倍の砲弾を持ってしても、命中はかなわない。
「健太くん……」
「先生ゴメン!おれ自分勝手に突っ走っちゃった」
「ううん、健太くんのしたいようにすればいい……ちょっと怖いけど、先生も付き合うわ」
「かっこよかったから許したげる、お兄ちゃん!」
「わたしもご一緒します、健太さん!」
「ありがとうな……みんな!」
つかの間の静寂を取り戻した海面にそのシルエットが見えた。
人間のかたちを模した巨大な影。
「まっすぐ突進して来やがる」
ミズーリの艦橋に立つスティーブン・ドイル元海軍大佐は、双眼鏡に捉えたその姿に微かな畏怖を覚えた。40年にわたった軍隊生活のあいだにこれと同じ光景は見たことはない。
敬虔なキリスト教徒として、その姿をサタンと結びつけるのは容易だった。人間のすがたを模していることがなによりもって信仰に背いているように思えた……しかしその力強さを認めないわけにはいかなかった。なぜなら彼は気圧されていたからだ。さきほど巡洋艦なみの砲弾が立て続けに数十発艦の周囲に着弾したときは、軽く肝を冷やしていた。戦艦を持ってしても恐るべき敵だ。
「スティーブン、もういちど揺すぶりをかけてみようか?」
「いやミスター・カトー。アサクラの息子ははっきり「くそ食らえ」と言った。聞いただろ?生意気な小僧だが、覚悟はできてるらしい」
そして、奴がアメリカを叩き潰すと断言したことも、なかば信じていた。
退役後は歴史と社会学の教鞭を執ったものとして、いまの状況がなにを意味しているのか、彼には痛いほどよく分かっていた。
世代交代。新しい戦争のかたちが迫っている。そのマシンにはやはり新世代の人間が乗り込んでいる。
すると自分は倒すべき古い世代の象徴なのか……。そのような立場に突如自分が居座ってしまったことに、少なからぬ当惑を覚えた。アメリカ海軍に籍を置いたものなら排除運動など日常の光景のはずであった。巨大な空母で寄港する、その先々で例外なく激しいデモに遭遇していた。「ヤンキーゴゥホーム!」比較的穏やかな佐世保でさえそうだった。これまでそのようなデモに心乱されたこともない。
だが今回は……。
アルドリッチ・タイボルト大統領と護民党、ワシントンDCを帝政ローマに変えてしまったあの連中さえも、通常兵力はお役御免だと密かに見なしている。
先週、イスラエルでなにか恐ろしいことが起こって、タイボルト大統領は救援と称し大西洋艦隊をあらかた中東に差し向けてしまった。だがそれはスティーブンのような保守派を排斥するためなのだ。MITの頭の狂った学生の意見を取り入れてミズーリを出撃させたのも、同じことだ。保守派に同調して通常兵力を気前よく貸しだし、裏ではせせら笑っているのに違いない。
「JDー1,主砲射程圏内に侵入します!」
「取舵いっぱい!」
「取舵いっぱい、ようそろ(スタディ)!」
「全砲門が目標をとらえしだい対空散弾勢射!」床が傾き、スティーブンは海図台にしがみつきながら指示を飛ばした。
「アイアイ、キャプテン!」
よろしい……倒すべき古い世代になってしまったとしても簡単に踏み越えさせはしない。あの小僧にできるだけ辛い成長の儀式を施す。それが年長者の義務というものだ。
ミズーリが急激に回頭していた。城のような艦橋構造物が赤外線画面にくっきり映し出されていた。
「健太さん!撃ってきますよ!」
「こっちも応戦だ!キャノンブラスト!」
エルフガインとミズーリが同時に発砲した。背中のリニアキャノンはほぼ水平に音速の五倍で砲弾を放った。240㎜砲弾は40㎞をわずか20秒あまりで直進して、ミズーリの艦首と第1砲塔を噴き飛ばした。
「やった!」
次の瞬間、ミズーリが放った対空散弾がエルフガインの200メートル手前で炸裂した。フォースフィールドは電磁エネルギーをシャットダウンするが金属の弾には効かない。エルフガインは激しく揺すぶられた。
「くそッ!上昇――」
エルフガインはバランスを大きく崩して海面に叩きつけられた。9600トンの機体が音速で墜落したのだ。鉄板同然の水面に弾き飛ばされ、回転しながらもういちど水面に叩きつけられ、巨大な水柱とともに海中に没した。
「奴を叩き落としたぞ!」
ミズーリの艦橋がつかの間の歓喜に沸き立った。着弾の衝撃でスティーブンたちは床にたたきつけられ、マグや書類が床に散らばり散々たる状況だった。
「ダメージコントロール急げ……CIC!ソナーばどうだ!?」
「海中はすごい音で……まだはっきりしません」
「次弾装填を急がせろ!総員周囲を警戒!」スティーブンはなんとか立ち上がり、カトーに手を貸して立ち上がらせた。二人とも帽子がどこかに飛んでいた。「爆雷もあったな?右舷爆雷投下用意」
スティーブンは窓際に歩み寄って艦首を見た。第1砲塔は斜めに傾いでいた。艦首もめちゃくちゃになっているようだが浸水の心配はなさそうだ。煙もごくわずかだ。
「艦長、航行に支障ありません!」
「よろしい、面舵、進路戻せ!」
ミズーリはふたたび転舵した。この戦いは全米に中継されている。あくまで、敵国に向かわねばならない。整然と。
「こちらCIC、艦長、ソナーに感あり!大型の物体が接近しています!2時方向、速度……50ノット!」
スティーブンはカトーと顔を見合わせた。
「奴は生きている……海面に現れたところを狙撃するぞ」
「CICより艦長へ、JD―1を捕捉中……距離10マイル」
「魚雷に警戒せよ」
奴が魚雷まで装備していると資料には書かれていなかったが、念のため指示した。だいたい国家安全保障省もCIAもパイロットのアサクラ・ケンタの資料をまったく揃えていなかったのだ。プロファイリングもへったくれもない基本情報がわずか二ページ。完全なダークホースだった。
「艦長……JD―1が急速接近中!速度……速度200ノット!」
「なんだと!」
「一時方向!浮上します!」
スティーブンは窓枠に振り返った。前方、わずか数マイル先の海が大きく盛り上がった。そして……
巨大なブーメラン状の物体が現れた。
大量の海水を蹴飛ばすようにそそり立たせてそれが浮上した。信じがたいことに悠然と空に羽ばたき、呆然と見上げるスティーブンたちの頭上を飛び越えていった。
「奴は……「分離」したのか……!」敵が五台のマシンが連結してロボット形態になるのは承知していた。だが分離後も戦闘力を維持するなどあり得ようか?
二機目の、やや小降りの機体が水面を割って垂直に飛び立った。そいつが機動力を見せつけるように大きなループを描いて海面すれすれまで高度を落とし、まっすぐ艦橋に向かってきた。二門の機銃らしき閃光が瞬いた。
「対空警戒――」
それは機銃と言うより戦車砲なみの威力だった。猛烈な音とともに艦橋構造物全体が振動した。舷側のプレクシガラスが砕け、スティーブンたちは爆風に打ちのめされた。
「大佐!しっかり!」
スティーブンは呻いた。肺から空気が全部出てしまったよう感じて大きく喘いだ。カトーが心配げに見下ろしていたが、彼の顔は半分血まみれだった。
艦がふたたび大きく揺れた。
「な……なんだ……?」
艦が前方にどんどん傾いてゆく。まるで巨人が艦首を押さえ込んでいるようだ。
「なっ……なにが起こってる?」
カトーが作戦台に手を付いてなんとか立ち上がり、前方を見て、そのまま愕然とした表情で固まった。
「どうしたミスター・カトー、なにが起こった!?」
スティーブンは痛みに軋んだ身体をなんとか起こして、傾いた床に立った。
最初に眼に言ったものがなんなのか、すぐには理解できなかった。二機の主砲塔が見えるはずのところに大きく立ちふさがる巨大な物体……そして真っ黒なまるい穴……
スティーブンたちは、わずか20フィート離れた、全長100フィートはあろうかという大砲の砲口を覗き込んでいたのだった。
「甲板に……戦車が乗っかってるのか……」馬鹿になったような気分で呟いた。
『ミズーリのひと、お願いだから降伏してください!』
若い女性の声があたりに響き、英語で宣言した。
とんでもなく巨大なその戦車は第1砲塔を踏みつけ、第二砲塔にキャタピラを押しつけて旋回不能にしていた。どのみち船体が傾きすぎているから旋回不能だろうが。
ミズーリがふたたび振動した。巨大なシーソーのように傾きが元に戻ってゆく。カトーが艦橋の外に出て後部を見た。
「艦尾に巨大ロボットが二体、這い上がろうとしています!」
各所から被害レポートが届きはじめた。操舵不能。艦首浸水。第二第三砲塔旋回不能。
VLS破壊。
エルフガインより小型……といっても全高100フィートに達するロボット二体が甲板上をのし歩き、兵装やレーダーを次々と破壊してゆく。
数千トンも重くなったミズーリは大きく沈み込んでいる。前方甲板に陣取った超重戦車は艦橋に二門の砲身を向けたまま微動だにしない。しかし、その戦車のパイロットとおぼしき女性がスティーブンたちに呼びかけ続けていた。軍人とは思えない、ずぶの民間人のような口調だ。
『ミズーリのみなさん、どうか戦いをやめてください……』
その言いようがなによりも堪えた。
「スティーブン……どうする?」看護兵に頭の怪我を見てもらいながらカトーが言った。二体のロボットが暴れ回る騒音が相変わらず響き渡っていた。
「こういうときの対処は決めているはずだ、ミスターカトー」
スティーブンは作戦台に寄りかかり、時計を見た。
「レーダーを失ったからよく分からんが、〈ブルーリッジ〉のオズワルド艦長がもう決断しているはずだ。ありったけのミサイルをミズーリに向ける」
「そうだな……」
その会話に看護兵がややたじろいでいた。
「心配そうな顔するな!すぐに退艦命令を出す。1500名の乗員を道連れにはせん」
「すみません、大佐殿」
「よし!艦内放送に繋げ!総員退去指令!」
耳障りな警報が鳴り響き、やがて甲板に乗組員が現れ始めた。
超重戦車の巨大な砲塔が急速旋回した。
「なんだ、なにが起こった?」
二門の砲塔が恐るべき速度で砲撃を開始した。ダン!ダン!ダン!対空機関砲なみの発射速度で砲弾が撃ち出され、騒音と言うより骨まで軋む圧力波が襲いかかってきた。
イージス艦がミズーリにミサイルを放った。健太はその事実に衝撃を受けた。エルフガインもろとも葬ろうとしているのだ。
「畜生!」健太はやりきれない憤懣を覚えた。「先生!髙荷!ミサイルが飛来するぞ!迎撃だ!」
「分かってる健太!あたしたちなら全部たたき落とせるよ!」
4隻のイージス艦はミズーリを包囲するように展開している。距離は100㎞以上離れている。
「先生、向かって右側を頼みます!おれたちは左のミサイルを片付けるから撃たないよう気をつけて……それからイージス艦にありったけのスタンダードミサイルを叩き込んでくれ」
「分かったわ健太くん!……気をつけてね」
「了解!」それに先生やまこちゃんたちの乗ってるミズーリを沈めたりはしない。
健太はストライクヴァイパーをミサイルの群れに向けた。照準システムにとらえた目標に高出力パルスレーザービームを照射した。ミサイルを殺すには一機あたりわずか0.1秒の照射でじゅうぶんだった。劇的ではないが機銃掃射より遙かに素早いし、発射とほぼ同時に着弾するから狙いも正確無比だ。健太とマリアのバニシングヴァイパーはミズーリの周囲を旋回し続けてミサイルをあらかた片付けてしまった。戦術モニター上では逆に、ヤークトヴァイパーの放ったミサイルがイージス艦に襲いかかろうとしている。
イージス艦は転進しかけているようだ。
やはりエルフガインはすごい。
通常兵力に対してエルフガインがどれほど対処可能なのか……そのわずかな疑念は払拭された。
「博士、戦いは終わりに近いですよ」スマホ回線に呼びかけた。
応答なし。
健太たちはふたたび暴風圏に突入している。衛星とリンクしている携帯でも圏外のようだ。ストライクヴァイパーの速度なら鳥ノ島まで5分程度だ。健太は敵の動きに警戒しつつ鳥ノ島に進路を取った。
間もなく、赤外線を通した鳥ノ島が見えた。
島のところどころが白熱していた。健太は心臓に冷たい刃が刺さったような衝撃を受けた。イージス艦隊はさらに島を爆撃していたのだ。
「島本博士!応答してくれ!」
返事はなかった。
「博士!マリーア!シャオミー!誰か応答してくれよ!」
いくら呼びかけても、誰の返事もなかった。
それから36時間が経過して、健太は台風一過の埼玉に帰還を果たした。
鳥ノ島にようやく駆けつけた自衛隊部隊にミズーリを引き渡し、大勢でごった返して慌ただしくなった島に健太も上陸して、滑走路脇の防空壕に駆けつけた。
防空壕だったコンクリートのバンカーは跡形もなく、大きなクレーターと化していた。その場にいた自衛隊関係者や〈ひゅうが〉の乗組員を捜し出して島本博士の所在を尋ねたが、誰も知らなかった。
健太は失意のままストライクヴァイパーを関東に向けた。礼子先生たちは船であとからやってくる。健太に随伴したマリアも飛行のあいだじゅう無言だった。
わずか5日間離れただけのエルフガインコマンドだったが、健太たちを誘導する管制官の耳慣れない言葉がどことなく妙な感じだった。久遠一尉はどうしたのか。
エレベーターにストライクヴァイパーを着陸させ、山の地下に下降したが、いつもの出迎えもない。みな島本博士の死を知らされたためだろうか、いつになく静まりかえったエルフガインコマンド施設内はひとの姿もまばらで、健太は一人愛機から降り立ち、妙に静かな地下空間を見渡した。基地始まって以来の休日にでもなったのだろうか。いつの間にかバベルガインも姿を消していた。
健太はエルフガイン発令所に向かった。とりあえず武蔵野ロッジに帰るまえに、久遠一尉にひと声かけるべきだと思ったのだ。だが久遠一尉は現れず、代わって白シャツにネクタイ姿の中年男性が何人か健太を待ち受けていた。その男のひとりが椅子から立ち上がると言った。
「やあ、きみは浅倉健太くんだよな?」
「ええ……そちらは?」
「わたしは警視庁の戸川という」それから言い添えた。
「浅倉健太、きみを逮捕する」




