第12話 『旅行だ!花火だ浴衣にBBQだ!そして……アレが飛んできた』
ちょっと前に話題だったドローンがたくさん飛んできます。
武蔵野ロッジのプールで日光浴を堪能した翌日。
健太は学校にいた。
翌日は小笠原に出かける、という話のはずだったが、いつの間にかそれは夜、暗くなってからという話に変わり、結局明るいあいだは暇になった。よく分からないがエルフガインコマンドはだいぶ慌ただしいようで、予定はころころ変わっていくようだった。肝心の出発時間もまだ決定していない有様だ。
ちょうど良いとばかり、女の子組は朝っぱらからビーチ用品を買い出しにショッピングモールに出かけた。
健太は実家に海パンを取りに行くだけで事足りたので、いまはこうして暇をもてあまして高校にいる。漫研部員が来たるべき夏コミ用の作業をしていることは分かっていた。「巨大ロボットのパイロット」という看板を背負っててもさほど浮かない場所があるとすれば、それは漫研のはずだ。
「俺ら超忙しいんだから、そんなとこでふんぞりかえってンなよな~」
廉次は文句を垂れつつ机のノーパソに向かってなにやらカタカタと打ち込んでいる。
「おまえまでが忙しいというか」
「あたりめーだろ、原稿ぜんぜんできてねえんだからよ!」
「なんで?ずいぶん前からシコシコ描いてたくせに……」
「てめーのせいじゃんか!」
「おれ?」
「そだよ!新刊が急遽「エルフガイン」本に計画変更したんだよ」
「へ?」健太は椅子の背から身を起こした。「マジでなん?」
「超マジで。だってうちが出さないでどうするよ。基地に一番近い学校でパイロットまでいるんだから……」
「おいおい……まさかおれのことネタにしないよな?」
「え?いいじゃん。ダメなの?」
「ちょっと……写真とかは困るような……」
「えー?だってもうツイで拡散してんじゃんか。見たろ?」
「見てねえよ。なんか……寂しいもん」実際あれこれ書き込みされているのを覗くのはちょっと不安だった。
「まあ画像はちょっとだけにしてやる。あくまでコミックだからな。いわば二次創作と言うことだ!」廉次は少し離れたところでノーパソでマンガを描いている女子にあごをしゃくった。
「ふーん……」マンガを担当している女子の面子を見て健太は内心不安になった。(まさかBLじゃなかろうな……?)
「そいでさ、浅倉」
「あん?」
「エルフガインの画像入手できるだろ?ちょっと提供してくれよ。ネットから拾った画像だけじゃショボくてさ」
「あー……」
「な?おまえ基地の中も知ってるんだよな?整備中のやつとか撮れない?」
「ま、まあ……前向きに善処しよう。少し時間かかる……」旅行に行くから、と言いそうになって、健太は口ごもった。
教室の戸口に一年生の女子がふたり現れた。首を伸ばして教室の中を眺めまわしていた。
「何かご用?」廉次が声をかけた。
「は、ハイ」女子のひとりが言った。「あのう……ここに浅倉先輩います~?」
健太は椅子の上で身をねじった。「おれ?」
「あ!」女子ふたりは嬉しそうに向き合った。次いで「あの、浅倉先輩――」
「入ってくれば?」
「失礼しまーす……」女の子ふたりは小さな足取りで健太のそばに走り寄った。
「あのう、えーと……浅倉先輩って、あの、おっきなロボット、のそ、操縦、してるんですよね?」
「ああ、そうだよ」
「あのこれ……」薄緑色のリボンがついたイチゴ柄の包みを差し出した。
「おれに?」健太はのろのろ立ち上がり、当惑げに頭を搔きながら尋ねた。
「ハイ、ど・どうぞ。手作りクッキーですけど」
「え?おれにわざわざ?」
「お口に合うかどうか……」
「いや、スゴイ嬉しいよ!ありがとな」
「がんばってください!」ふたりと握手を交わした。
立ち去る女子に手を振って見送ると、周囲で漫研部員が「ウォ~ウ」と冷やかし声を上げた。健太は改まった態度で椅子に座り直した。
「やっぱスパロボのパイロットともなるとモテるんだな。浅倉でも……」廉次がしんみりと呟いた。「おまえよ~、なんか最近女慣れしてねえか?」
「な、なにいってるかね。女子に両手で握手されて「がんばってください!」なんて言われたの初めてだよ。おまえだって知ってんだろが」さらりと罪のない嘘でごまかした。実際は女性四人とキスして礼子先生に抱きつかれたりしたが、自慢するつもりはない。
「そうだけどよ~」廉次は健太の二の腕をつついた。「なんか最近ずいぶん身体が締まってんし、顔も痩せてるし、体育の授業成績アップしてるじゃん。おれら万年成績3クラスの文系同志だったはずだろ~?」哀しそうに訴えている。「……しかもおまえたまに髙荷ともお喋りしてるだろ?なんなんだよ」
「なんなんだよって言われても、おれ成長期だし……」こんな会話を続けているといずれエルフガインのパイロットはほかにだれがいる?という話になりかねない。健太は注意を逸らすために一年生から贈られたプレゼントの包装を開けた。赤いリボンで結ばれた透明な袋にチョコチップクッキーが詰まっていた。
「おー、かわいーじゃん」健太がリボンを解くと遠慮なく手を突っ込み、一枚取りだして食べ始めた。「けっこうイケる」
健太も味見した。けっこうどころかこんな旨いモノ滅多にない。いままでバレンタインデーに一個60円(税込み)の義理チョコをもらったことがあるだけで、手作りクッキーなど生まれて初めてだ。
「同人誌用のネタだけどさ……」廉次がクッキーを食べながら言った。「ひとつスゲ~ネタがあるんだ。昨日あんな騒ぎで言いそびれたけど。おれさあ、あのイタリア戦のとき学校の屋上で観戦しててよ。おまえらを助けたあの謎ロボット……種子島にも現れたやつ、あのロボットのパイロットとずっと一緒だったんだぜ……」
「えっ!?マジか」
「マジで。それがすげえ美人のお姉さんだったんだ。25歳くらいかな~。ストレートのロン毛でよお……名前はみどうさくらって言ってたな――」
「えっ……?」
「国元!」突然大声で名を呼ばれて廉次は飛び上がった。
「え?あ、髙荷……」
いつの間にか背後に現れた髙荷マリアが大股でずかずかと教室を横切り、廉次の胸ぐらを掴んだ。
「ちょっ!いきなりなにすん……」
「いまの話詳しく聞かせな!」
「なんで……ちょっと落ち着けよ!浅倉ぁ……」廉次は訳も分からず、泣きそうな顔で健太に助けを請うた。
「早く話したほうがいいよ……」
髙荷はたまたま校門のまえで会議を終えた礼子先生とばったり出くわし、健太を呼んでくるよう頼まれたのだという。先生は学校の駐車場にテレビ局がバンを乗り入れていたのを見て、健太に警告しようと思ったのだ。
御堂さくらの話を廉次から絞り出してから、マリアはすっかり黙りこくってしまった。
健太の前をぼんやり歩き続けている。
「なあ髙荷、あの話、久遠さんに告げないのか?」
「え?ああ……」髙荷はちらと健太に顔を向けたが、すぐに向き直ってしまった。廉次に「その話は秘密にしな!誰かに言いふらしたらぶっ飛ばすから。いいね!」と脅したばかりだ。
廉次が前日健太を嘘つき呼ばわりしたときあまり本調子で非難していなかったのは、廉次なりに自慢話を抱えていたためなのだと気付いた。だがそのとっておきのネタを他言無用と言い渡され、ちょっと可哀相なような……とは言え学校一の美人であるマリアに絡まれた廉次はちょっと嬉しそうにも見えた。
マゾなのかもしれない。
校内放送で健太が呼び出されていたが、無視した。礼子先生の軽の後席に身を縮めて学校から無事抜けだした。マリアは自分のスクーターを運転して帰った。
武蔵野ロッジは大騒ぎになっていた。玄関の大広間に旅行用の荷物が積み上げられている。健太が想定していた人数ぶんより大量に見えたが、いったい海外に長期バカンスにでも行くつもりなのだろうか。3泊4日、東京都の小笠原村に行くだけなのに。
やがて荷物を積み上げているのが主にマリーアと実奈ちゃんだと分かった。それに一緒に出かけるとは思っていなかった人物……ワン・シャオミーと島本博士の荷物がある。まこちゃんはごくシンプルに旅行鞄ひとつに収めているようだ。
髙荷がサーフボードを抱え手荷物の山に加えると、健太は思わず言った。
「おいおいそれ必要なんか……」
「ほっといて」素っ気なく言い捨てたが、思い直したように健太に向き直った。「あの話、あんたも言いふらすなよ……博士と久遠隊長にはとくに。あたしが言うまで秘密だから、いいね?」
健太は頷いた。「分かったよ」
鳥ノ島。
太平洋、小笠原諸島の端っこに位置する火山島である。東西5㎞、南北に1㎞。滑走路が一本。西側の先端は標高200メートル、幅800メートルのカルデラだ。一万年ほど昔に休眠した火山跡である。
在日米軍が撤退した現在、小笠原諸島は硫黄島を中心とした新しい防衛システムが構築されている。10あまりの島に高速ミサイル艇用の小さな岸壁が作られ、敵の侵攻に対処するファーストアタックタスクフォースを形成する。
とはいえ、どこの国の軍隊であれ機動部隊が殴り込みをかけてくる、といった可能性も現在は皆無であった。現在各島にはタクティカルオービットリンクの一部としてエネミーの接近を監視するレーダーシステムが設置され、島自体はエルフガインコマンドと同様の自動対空防御兵器で守られている。
戦略構想の変化により硫黄島の重要度はむしろ低下したため(航空機の航続距離が飛躍的に伸びた現代、グアムを拠点にできるアメリカ艦隊がわざわざ硫黄島を奪取しに来るとは考えられなかった。ロシアも太平洋に迂回してくるとは考えがたい)、自衛隊の駐屯部隊も引き上げ、小笠原村全体の人口は減った……そんな言い方をすればそれらしいが、実際には予算削減の一環とも言われている。
政府は自衛隊の予算を増大させる一方だった。そしてその予算をひたすら本土防衛に振り向けている。戦争が始まったとたん日本という国は一九四二年を思いだし、おなじことをやろうとしているようだった。志願者が増加しているという事実もあって、防衛省はチャンスとばかりに規模を拡充させている。
結局エルフガイン計画を発動した当初の「予算に優しい戦争計画」とは真逆の結果になってしまっている。バイパストリプロトロン装備のエネミーに自衛隊の装備は役に立たない。しかし予算の無駄遣いに対する批判は巧妙に封殺されている。エルフガイン関係者をマスコミと接触させないようせっせと工作していたりもする。
「どうしようもない愚か者め」
島本博士はそう言い捨てたが、その考えを外に持ち出すことはなかった。エルフガインコマンドと自衛隊のあいだに確執がある、などと噂されるわけにはいかない。コマンドの職員五千名の大半は自衛隊か、自衛隊をお得意様とするメーカーからの出向組であり、溝が生じれば著しい士気の低下を招きかねない。だから政府や防衛省の要望には表向き素直に従っている。
鳥ノ島への「修学旅行」もその結果だ。
健太たちヴァイパーチームは五月以来初めての休暇を与えられたかたちだ。その結果がこの離島への島流しであった。
ストライクヴァイパーを飛ばせば島まで一時間足らずだ。深夜に到着した健太はそのまま宿舎に直行して、すぐに寝てしまった。しかし夜明けごろ物凄い騒音に叩き起こされた。髙荷のバニシングヴァイパーが遅れて到着したのだ。巨大な機体をまっ暗な狭い滑走路に垂直着陸させるのは危険だからという理由だった。おそらくまこちゃんと実奈ちゃん、それに礼子先生とマリーアも同乗しているはずだ。
静かになると健太はまた眠り込んでしまった。
朝七時半にふたたび叩き起こされた。夜中に出迎えた自衛隊の作業服に身を包んだ快活なお姉さんだった。
「浅倉くん!ご飯できたから食べて!食べたらまた寝ていいから!」
「う、はい……」
健太の部屋は家具ひとつない畳敷きで、寝具がぽつんと敷かれているだけだ。ふすまに隔てられた短い廊下には似たような部屋がほかに3室。廊下の奥が食堂件ラウンジで、それだけ近代的な50インチテレビが置かれていた。風呂は玄関を出た庭先の離れで、古くさいタイル張りだが壁の一面がガラス戸になっていて、そこから海を見渡せる。
礼子先生たちは既に食堂にいた。健太はジャージのズボンとTシャツ姿でテーブルに加わった。
「おはよ~ございまッス……」
「兄ちゃん寝てたの~?実奈たち徹夜だったのに」
「悪りい」
「はーい、みなさん注目!」自衛隊のお姉さんが言った。「エー、自分は「ひゅうが」に勤務しております、五十鈴りりか二等海士です。ここに滞在中みなさんのお世話を担当させていただきます!よろしく!」健全さを体現したような明るい笑顔でびしっと敬礼を決めた。
「よろしくお願いしまーす!」
「みなさんは士官待遇ですから、わたしは部下だと思ってなんでも遠慮なく言ってくださいね!朝食はこの時間、夕食は一九〇〇時、お昼はお弁当を用意しておきますね。おやつとカップラーメンはいつでもどうぞ。希望があれば遠慮なく 言ってください。なにかご質問は?」
「はーい!」実奈が挙手した。「りりかお姉ちゃんも一緒に遊ぶ?」
「はあ……お許しいただけるなら雑用が終わったあと合流しますが……」
「してして!実奈の計算だと海で遊ぶのなんて一日で飽きちゃうから、いろいろ案内してよ。お洗濯や掃除なんかみんなでやったほうが早く終わるし!」
「そうね……わたしも一日中ぼんやりしてるのいやだわ」礼子先生も賛同した。
まこちゃんも「そのほうがキャンプみたいで楽しいですね」と嬉しそうな顔で賛成した。
「シ!みんなでやりましょ!」マリーアも上機嫌に応じたが本当に分かっているのか。
一日中ぼーっとしているつもりだった健太は話の成り行きにまごついた。マリアもそうだったらしく、やや憮然とした表情を浮かべている。とは言え……実奈ちゃんの提案にも一理あると思えた。狭い島だ。三日間自堕落に過ごしたら埼玉が懐かしく思えてくることだろう。
朝食を終えた健太たちは五十鈴さんを手伝い、倉庫から食糧を持ってきたり雑用をこなした。ほとんど女性ものの洗濯物を干す作業は立ち入り禁止だ。「見ちゃダメだから!」とは実奈ちゃんのお達しである。なんと言うお約束。
その後先生たちは荷ほどきのため、健太とは別の宿舎――島の南東にある「エルフガインコマンド出張所」に向かった。女性は全員そちらに泊まる。つまり健太は自衛隊宿舎にひとりだけで泊まり込むことになる。
(まあ無理もない……)
実奈が預言したとおり雑用も一時間で終わってしまったので、健太はひとり散歩に出かけた。島を一周するつもりだった。
景観と言えば果てしなく続く太平洋と、水平線の彼方に見える西ノ島の噴煙のみ。
東西になが細い島は硫黄島ほど殺風景ではなく、松林がところどころにあって、鳥や野生化した家畜(ウサギと鶏と山羊)も住んでいる。水源も一応あるようだ。ちっぽけな岸壁から急斜面を上る途中に朽ちかけた民家があった。民家の横にある古くさいソフトドリンクの自販機からして昭和の後半までは人が住んでいたらしい。斜面を越えると島で唯一の平坦な土地が広がっていた。自衛隊の滑走路に占領されている。滑走路脇には小さなバンカーずらりと並び、その中には無人機が収納されているという。いまはその滑走路端にストライクヴァイパーとバニシングヴァイパーが駐機していた。
島は切り立った崖に囲まれていて、雑草に囲まれた山道が一本、島を囲むように続いていた。都会から遠く離れた場所らしく安全対策など施されておらず、ガードレールもない。うっかり足を滑らせたら崖を転がって海にドボンだろう。しかし健太はどこもかしこも過剰な安全策だらけな場所よりこういう田舎のおおざっぱなところのほうが好きだ。
山道は高低差があり、ときには海岸近くまで降りている。松林に囲まれた小さな砂浜もあった。健太は無人の砂浜で足を止め、強烈な日差しを遮る木陰の平たい石に腰を下ろすと、海をぼんやり眺めた。だぶだぶの短パンと半袖シャツ一枚、素足にサンダル姿だったが汗を搔いていた。小さな発泡スチロール製のクーラーバックを脇に降ろして中からペットボトルの水を取りだし、飲んだ。
ここまで人の姿なし。
打ち寄せる波の音だけが聞こえている。
暑いが空気は湿気を帯びておらず、汗をかいてもさほど不快感はない。
島には何人かメンテナンス要員がいるが、常勤ではなく、仕事を終えたら父島の基地に帰ってしまうという。つまり、いま現在この島にいる人間は健太と、女性六人のみ。
(たいへんだ……)健太は遅まきながら事態のエクストリームぶりを悟った。(島本博士、なんという美味し……いやけしからんシチュにおれを放り込んだんだ!)
さすが天才だけあって一般的なモラル感覚が希薄なのか、野獣(健太)をたったひとり羊の群れに放り込むことに疑念を感じなかったのか。
なんとなく夢現の気分で散歩を再開した。
ぼんやり歩き続けていると、やがてごつごつした岩場のあいだに橋みたいな通路が見えた。粗末な木板を渡したジグザグの通路が、切り立った大きな岩のあいだを縫っていた。歩くとバタバタ音がする。
前方の崖の上に近代的な湾曲ガラスの建物が見えてきて、健太はようやく、木板の通路がその建物に続いているのだと気付いた。金持ちの別荘のようなその建物は、「エルフガインコマンド出張所」に違いない。崖に張り出した白いテラスから螺旋階段が伸びて、木板の通路に繋がっていた。通路は砂浜やボート用の桟橋に向かうために設けられたようだ。
(なんだかおれの宿舎とはずいぶん格差があるなあ……)
テラス脇に椰子がそびえている。おそらく芝生の庭もあろう。
テラスの柵に実奈が現れた。ドタドタ通路を歩いている健太に気付いて手を振ってきた。
「お兄ちゃんだ!」
「やあみーにゃん!」
「なにしてるの?お散歩?」
「島をぐるっと一周してる最中だよ。みーにゃんは居心地良さそうな宿舎で良かったね」
「うん!外国の別荘みたいなの!実奈、広いお部屋で真琴お姉ちゃんと一緒よ。あとね、花火セットを見つけたの!夜になったら花火やろ!花火!」
「いいな!花火なんて小学校以来だ。打ち上げ花火もある?」
「おっきいのがあるよ!ロケット花火もたくさん」
「よっしゃ!夜にな!それで午後は海水浴するの?」
実奈は笑って首を振った。「みんな眠ってなかったからお昼寝モードに突入しかけてるみたいよ。ざーんねん!夕方近くになったらバーベキュー、そんで花火とかいろいろ」
「分かった。そんじゃ夕方」
実奈と別れてさらに歩き続けると、やがて前方にカルデラの裾が見えた。急勾配でまっすぐ海に落ち込む斜面は頻繁に崩落しているらしく、岩肌が剥き出しになっていて雑草はまばらだ。途切れかけた山道も斜めに傾いでいる。足を滑らせないよう気をつけて進んだ。道はカルデラの稜線に向かって登りになっており、間もなく山頂近くにたどり着いた。
健太は汗を拭った。コンクリート製の四角い土台が斜面にいくつも据えられ、その上にレーダーや衛星通信システムの白い球体が乗っていた。施設はバリケードの金網に囲われ、なけなしの景観を台無しにしていた。
一転して海に目を向ければ、途方に暮れるような広大な海原が果てしなく広がっている。大量の海水以外本当になにもない。埼玉の暮らしから隔絶されていることをはじめて実感して、健太は心細さを覚えた。
「いかんなあ」健太は首を振った。つまらないこと考えてないでもっと楽しまなくちゃ。
景色を眺めながら五十鈴さんに作ってもらった弁当を食べた。手作りのサンドイッチは美味だがひとりで食べてもぜんぜん楽しくない。
「ばかやろぉぁーーーーー!」大声で叫んでみた。
どこかでカモメが鳴いていた。
「だってこの世界は残酷だから~ッ!」
なんとなく思いだしたくさいセリフを試してみたが、声に出してみると、この離島にぼっちで野良犬のようにほっつき歩く自分の境遇に当てはまりすぎて哀しい。
(くそっおれは超巨大ロボのパイロット様なんだぞ!)
だというのになんだこのほったらかし具合。
わが境遇のリアリティの無さに腹を立てているのか、はたまた孤島に来のにラッキーエッチのひとつにも出くわさないことに理不尽な怒りをかき立てているのか、自分でも分からない。
気を取り直してカルデラの頂上に登り、景色を眺めまわした。
大昔の噴火口あとはそれなりに雄大な眺めだ。お椀状の底の部分に小さな池ができている。その周囲だけ草木が茂っていて、まるで砂漠のオアシスの様相だ。離れ小島は大なり小なりガラパゴス的な生態系を発展させるという。島全体がなんとなく日本離れした雰囲気だった。
ブーンという音がどこからか聞こえで上空を振り仰ぐと、黒っぽい十字型の飛行物体が太陽をかすめた。
「あれは……ドローンてやつだな」無人偵察機を飛ばしているのだ。この島の機体だろうか。ドローンのコントロール基地は本土にあると五十鈴さんが言っていた。
ドローンが大きな弧を描いて健太の頭上200メートルくらいの高さを飛び越えていった。ラジコンのようなものだと漠然と考えていたから、その大きさと速度に健太は驚いた。後退角のない細い翼は差し渡し10メートル以上あり、普通のプロペラ機なみのスピードだ。
その翼にスターズ&ストライプスが描かれていた。
大急ぎで自衛隊宿舎に戻って米軍のドローンのことを報告すると、五十鈴さんは落ち着いたものだった。
「ああそれ、定期便なんですよ。三日に一度くらいはグアムから飛んでくるのよね」
「え……それじゃ心配なし?」
「心配するような状況だったらもう少し早く警戒警報が届くはずですけどねぇ……たぶん」
「そうか……そうだよね」
「アメさんもエルフガインが上陸したのは知ってるはずだから観に来たんでしょう」
「見られちゃっても構わないのかな……」
「いくらでも眺めさせてやれって、あの女博士が言ってましたよ。あの人スゴイ自信家ですよね、そう思いません?」
「たしかに」
「あちらも暇なんでしょうねえ。ちょっと前には自衛隊のドローンと模擬戦したこともあるんですって。記録には残ってないですけどね」
戦争のプロが問題ないというのなら高校生がとやかく言うべきことはない。持ち前の呑気さのおかげで健太はすぐに心配をやめた。
宿舎は適度に空調が効いていて居心地が良かったので、健太はふたたび外に出るのはやめにした。割り当てられた部屋に戻ると海に面したテラスの障子を開け、座布団を枕代わりにして寝転んだ。
「鳥ノ島のほうはどうなってるの?」
「すべて予定通り、不穏な動きも無し、残りのヴァイパーマシンを積んだ〈ひゅうが〉輸送隊は一六〇〇時に上陸移送作業を開始しました」
「そう……」島本さつきは椅子に頭をもたげ天井を見た。自衛隊関係者がエルフガインコマンド敷地内に大挙押し寄せあたり構わず歩き回っていたため、さつきと久遠は発令所に引きこもっていた。ここだけは敵の来襲でもないかぎり、当直以外人はやってこない。
「いっそ博士も鳥ノ島に行ったほうがいいんじゃないすか?」
「そうもいかないでしょ……九州のほうの雲行きもアレだし、フランスの問題もあるし……」
「そうですねえ」
先日出現したフランスのヴァイパーマシンと大型輸送機の行方が目下、日本の防衛関係者にとって大きな疑念となっていた。新式のステルス技術のためなのか、静止衛星軌道から日本周辺全域を監視しているオービットリンクシステムを持ってしても追尾できないのだ。それがエルフガインの次の相手となる可能性は大いにある。次世代ステルステクノロジー搭載で探知不能となれば、その脅威は計り知れなかった。自衛隊は血眼で対処法を探っていて、大勢が胃袋を痛めている。
フランスのヴァイパーマシンはイタリアのロボを撃破したのち、忽然と姿を消した。高度3万6千㎞からライブカメラで追尾していながらロストしたのだ。おかげでまだ日本から出て行っていないのではないかという憶測さえある。さつきはそのいっけん極論じみた意見に一理ある、と考えていたが、オービットリンクシステムの開発者の負け惜しみと取られかねないため表だった賛同は控えていた。
あるいはフランスに帰らずアジアのどこかと同盟関係を結び、拠点としているかもしれない。日本に敗北したあとの中国はいまだ分裂し、内戦状態が続いている。疲弊したアジア大陸の1勢力に経済援助を施し日本にけしかけよう、と欧米人が考えたとしても不思議はない。こと敵対国に対する嫌がらせには定評のある国ばかりだ。それに対して戦後日本の外交と来たら素直な小学生レベルで、この数年間手痛い授業料を払い続けている。
(心配しても仕方がない)
さつきは頭を振ってコンソール台に散らばった書類の一枚を拾い上げた。報告書の一部がシャットダウンされていて、さつきの元まで上がってこないと思われた。回ってくるのは些末的な内容ばかりだ。自衛隊高官と政府関係者がこの基地内に勝手に連絡所(新機材開発対策室とかれらは称していた)を開いて、情報をそちらに回すようコソコソと手配しているのだ。
(せこい連中だ……)
しかも派遣されたのは全員男性だ。
それ自体深い意味はないものと考えたいが、エルフガインコマンドを横取りするために集まってきた連中の人となり……というより人間のちっささをよく表しているようにさつきには思えた。
が、これもまた男女同権主義者の抗議と受け取られたら煩わしいので、表だって指摘することははばかられた。
(澄佳先輩だったらそんなこと気にもしないだろうに……)
さつきは忌々しげに首を振り、読みかけた書類を放り出した。
久遠は慎重に気配を消してさつきの視界から後退した。機嫌が悪い。こういうときは安全距離まで戦略的後進に限る。
だからといって場所を変え、施設内をたいした意味もなく「視察」中の連中どもと鉢合わせするのも鬱陶しい。まったくもってコマンドに派遣されたメンバーは揃いも揃って馬鹿ばかりだ。威張り散らして組織を掻き回せば現場に畏れられ、タフな指揮官と見なされると思い込んでいる無能な連中だ。2週間もしたらエルフガインコマンドの空気は腐りきってしまうことだろう。
そうならないよう最悪の場合の手は打ってあるとはいえ、事態は数年前浅倉博士が想定していたケースより急速に悪化しているように思えた。
この国は何年か前、極端な右傾化に舵を取りかけた。
歴史の教科書に記載されるようなものではないが、兆候は明らかだった。
与党政治家は脳内の理想化された過去の日本に回帰を望み、野党はそれに輪をかけて現実を顧みず脳内お花畑状態、無能経営者が会社をいくつも傾かせ……だらしない大人を見て育った次の世代がそれより良くなることはあり得ない。
適切な下準備を欠いたままパソコンや携帯によって新世代情報化社会に呑み込まれた結果、テレビやネットで情報を得ながらマスコミ不信というねじれ現象を生んだ。本来なら権威に対する疑念というのは健全な状態だが、論理的思考力をいちじるしく欠いた当時のネット民たちは果てしない猜疑心を隣国、新聞、テレビ識者、女子アナ、果てはアイドルと……ありとあらゆる対象に向けながら自分自身の小さな城に引きこもっていた。将来像を描けず、日々の自堕落にうんざりしていて、とくに底辺とかニートと自覚している連中はドラスティックな打開の道を渇望していた……かれらは自分自身をあまりにも卑下していたその反動から、誰かがスパルタ式に律してくれるのを心の奥底で渇望していた。かれらは冷笑的で猜疑心の塊でありながら同時にひどく純朴で、筋の通った力強い発言にはころりと籠絡された。他者との関係を避けるためデモ等にも参加せず、覇気もなく物静かで唯一の暴力は頭の中で世界なんか燃えてしまえと願うこと、そしてネットの書き込みだけ……ある意味この半世紀のあいだに現れたもっとも御しやすい市民だった。お利口さんすぎて自発的に行動は起こせないが、有無をいわさぬ権威筋に尻を叩かれればどんなスパルタ式でも簡単に従っただろう。
抜け目のないパワーエリートがそれに気付いていたら……権力を体現する頼もしい指導者がひとり現れていたら、そしてそいつがファシストであったなら、この国はどうなっていたか分からない。愛国精神を騙る青少年愚連隊が街をのし歩き、かつては同志だったオタクを「非国民」と罵り血祭りに上げ、大人たちがそれを絶賛するような世の中になっていたかもしれない。
浅倉博士はそれを阻止した……というより彼女の存在自体、マスコミを通じてアピールした彼女のひととなり、そして語られた具体的な未来像によって国民のガス抜きがなされたため、ファシズムは回避されたと言って良い。彼女は甘い見通しなどまったく語らなかった。その代わりに今後10年がどれほど厳しくなるか、そしてその打開策はなにかをきわめて具体的に語った。そして人々が求めていたのは胡散臭いバラ色の甘言や意味不明な答弁ではなく、それだったのだ。具体性。
それにプラスして彼女の容姿、その美貌から語られる分かりやすい説明、混ぜっ返そうとするテレビ識者を黙らせる冷ややかな視線。当時の政府関係者が「こりゃとんでもないぞ」と慌てたカリスマ。彼女は大勢の偉い人の面子を潰し、ときには社会的に葬り去ったが、誰ひとり表だって抗議できなかった。その頃には浅倉澄佳は完璧に地位を確立していて、つまらないゴシップで失脚させることは不可能だった。彼女の改革計画によって埼玉県民の半数が強制移住させられ、いくつかの公共料金が値下げされたことをのぞけば税の負担額はむしろ増した。にもかかわらず誰も文句はいわなかった。改革の結果が劇的なかたちで社会に反映されたからだ。浅倉澄佳が何をしようとしているのかは小学6年生でも説明できたのだ。
歴史は繰り返す。
前政権が日本を昭和16年に戻そうとしたときもそうだったが、今回もそうだ。
敵が誰かは分かっている。エルフガインコマンドを官僚天国にしたい連中……しんどい改革に着いていけず彼女を目の敵にして、三年前米軍が彼女の乗るエアコミューターを軌道上から撃墜して暗殺したとき大喜びした連中だ。やつらもまた時間を巻き戻したいのだ。そして世界を元通りにするためなら日本が戦いに敗れても構わないと考えている……。
(癌細胞どもめ)
日暮れごろ、島にいる人間全員が滑走路端の浜に集合した。
五十鈴さんと健太を除いた女性陣が浴衣姿だった。
「おやまあ!」五十鈴さんは色とりどりの浴衣に身を包んだ礼子たちをうらやましげに眺め渡した。「いやーん!ステキ。いいなあ!あたしもずいぶんそんなの着てないです~」
「えへへ!実奈たちお兄ちゃんのためだけにめかし込んだんだから」
実奈は白地に鮮やかなピンクコスモスの浴衣だ。
五十鈴さんが肘で健太を小突いた。「うらやましいな高校生くん!」
「いやそんな……」見れば礼子先生は苦笑しているしマリアはそっぽを向いている。
微妙な空気を破るべく健太は手ぬぐいを頭に巻いて宣言した。
「おっし!さっそく火、起こそう」
「やり方知ってる?」
「河原で一度」炭の袋をバーベキューピットに傾けて均等に蒔いた。五十鈴さんが気を遣って健太に整髪ジェルのチューブみたいなものを放ってよこした。見ると「着火剤」と書かれていた。健太は密かに感謝してそれを炭に振りかけた。
健太が着火作業で苦闘しているあいだに礼子先生たちが飲み物をテーブルに並べた。努力の甲斐はあり、10分後にはなんとか肉が焼けるほどに炭が燃え始めていた。健太は汗だくになっていたが、なんとか面目は保った気がする。
太陽は水平線に沈み、明るい月の夜空になっていた。五十鈴さんが持ち込んだラジカセ代わりのノートPCからポップスが流れている……というかアニソンのようだ。その音楽が無ければほかには穏やかな潮騒しかない。
「よっしゃ!鉄板熱々!で、なにから焼けばいいんだ?」
みなバーベキューピットの周りに集まった。「てきとーでいいんじゃない?」マリアが途方に暮れた感じで言った。ほかのみんなはなんとなく真琴を見た。
「あ、ええとわたしも屋外のこういうの初めてで……火の通りが遅いものから並べればいいんじゃ……?」
実奈がトングを掴んで、食材が置かれた台からフランクフルトソーセージを勝手に並べだした。楽しそうだ。
「お肉も並べちゃっていいよね。実奈おなか減った」
分厚いカルビを並べるとすぐにジュージューと好ましい音を立て始めた。実奈に任せたら野菜が減らないと気付いた真琴と礼子先生がまな板で串焼きを作り始めた。その傍らで五十鈴さんとマリーアが網を用意して、シーフードを並べ始めていた。
(なんとなくそれらしい絵になるもんだ)健太は折りたたみ式テーブルベンチに腰を下ろして、冷えたペットボトルのコーラをビニールカップに注いだ。海からは適度な風が炭火の煙を吹き流している。火を囲んで、焼くだけ、というバーベキュースタイルの原初的なところが奇妙に感じた。たったそれだけで食事にありつけるのか……ハイテク要素を一切廃した生活様式に馴れてないからだろうか、なにか足りないような……。しかし数分後、賑やかな笑いに満ちた女性陣の輪からマリーアが皿を二枚持参してやってきた。
「たんと召し上がれ(ボナペティ)」
「お、サンキュー。イタリア語?」
マリーアは笑った。「フランス語」
皿に焼き上がった肉と伊勢エビ、タマネギ、ピーマン、ソーセージ、椎茸の串が載っている。
「実奈!そのタレじかに振りかけんなよ!」
「いーじゃん、実奈ちょっと焦げてるタレが好きなんだもん!」
「焼きそば作るからあんまりたくさんかけないでね……」
マリーアが賑やかな様子を見ながら言った。「あっちは食べるのそっちのけで夢中ね」
「あう?うむ」健太の食べるのに夢中だ。
「おにーちゃんこれ全部食べて!」実奈が小走りにやってきてでんと皿を置き、つむじ風みたいに舞い戻っていった。焦げかけたソーセージが二本、焼き肉のタレで味付けされていた。どうやら失敗作を押しつけてくれたようだ。
「それにしてもこの日本のユカタ、見た目より軽くていいわねえ」
「え?ああ」健太はようやく、となりの浴衣姿のイタリア娘を視界に入れた。青紫の大輪の花をあしらった柄で金髪に似合っている。組んだ長い両足が裾からチラ見している。サンダルのつま先はネイルを施していた。こうしてみると健太より何歳も年上に見えた。
「に、似合ってるよ浴衣」脚をガン見しないよう気をつけながらいった。
「どういたしまして」マリーアはテーブルにもたれて健太を横目で見上げた。「キモノって下着つけないのが基本なんでしょ……?なんだかすうすうして変な感じ……」脚を組み替え、ゆっくりと裾を直して見せた。
「え?ほえ!?」食べるのも忘れて脚をガン見したため、思わず間抜けに受け答えしてしまった。
「なあに動揺してるの」
「しっしてねえよ!」
「そお?追い詰められた子犬みたいだけど」
「べべつに追い詰められてねーで」動揺しすぎて語尾まで変になっていた。
「そーお?」マリーアは鷹揚な笑みを浮かべて健太を眺め続けている。
しかし高校二年男子の脳内では鐘の音のようにフレーズがリフレインしていた。マリーア・ストラディバリは現在ノーパン、マリーアはノーパン……ノーパン……
マリーアが手際よく伊勢エビを剥いて、「味付けはどれ?」と訊きながらテーブルの真ん中に置かれた調味料を物色した。
「ポン酢でいいんじゃねっかな?」
マリーアはそれに従い、尾っぽを持ってひとくちかじった。「ふむ、さっぱり系ね」それから健太に指しだし「あーんして」と言った。
「あーんて……」健太は恐縮しつつエビをかじり取った。「美味しいス」もぐもぐしながら言った。
「美味しいけど、わたしは塩コショウのほうがいいかな」
そのとき礼子先生とマリアが向かいのベンチに腰を下ろした。礼子先生はさっぱりした白地に五枚花びらの模様の浴衣で髪を結い上げている。マリアは青地の撫子模様だ。
「うまく焼けてた?健太くん」
健太は手で口元を拭いながら答えた。「ダイジョブです」
「さぞ美味しいだろうねぇ、美人のお姉さんにあーんしてもらってさ……」
さすがに健太も煽り耐性がついていたので、無視して淡々と食事を続けた。
「タカニ、そんなツンツンすることないでしょう」
「マリーア、あんたよっぽど日本語勉強したんだね。ふつーガイジンはツンツンなんて言い回し知らないと思うんだけど」マリアはなかば呆れていた。
「アタシ天才ね、ニポンのアニメマンガいっぱいいっぱい観て勉強したデス」わざとガイジンふうのつたない言葉遣いで答えた。
「なるほど天才だ」
「ねえ健太、わたしたち同室なのよ。同じ名前の心のシスターですもの……今夜は一緒に寝るの。ベッドも広いし」
フランクフルトを頬張っていた健太は咳き込んだ。
「ななななに言ってんだ!」慌てたのはマリアのほうだ。
「なによ、昼にいいよって言ってたでしょう?」
「な、なんか、エロいことみたいに聞こえんだよ!」
健太は内心頷いた。金髪のイタリア人ティーンエイジャーが言うとなぜかエロっぽい。しかもノー……
ブォーという汽笛が遠くから聞こえた。健太は音の方向に目を凝らした。水平線近くに点滅する微かな光が見えた。
「〈ひゅうが〉かな?」
「そうね」礼子が言った。
夕方、残り三機のヴァイパーマシンを搬送してきた〈ひゅうが〉はひと休みの間もなくヤークトヴァイパー上陸作業を行った。
5000トンの戦車を上陸させる作業はその都度違っている。地形や水深によって条件が変わるためだが、作業自体がまだ試験中ということもある。自衛隊の伝統的な凝り性が発揮され新しく考案されたアイデアが随時試されているのだ。ブルーインパルスのカラースモークでさえ長年研究してきたという連中である。
作業チームは1時間以内の作業完了を唯一の条件としている。ただし怪我人や犠牲者は出さぬように。いままでの最短記録は対馬上陸時に礼子が叩きだしたわずか一分……しかしそのとき〈ひゅうが〉はシーソーのように揺れ、怪我人が続出してしまった。慎重を期しても気を抜けば簡単に事故が起こる危険な仕事である。作業内容を理解してもらうため健太たちパイロット全員の立ち会いを求められた。安全ヘルメットの着用もいまや習慣の一部となっていた。
一時は200名あまりの作業員が入れ替わり立ち替わり上陸して小さな島は騒然としていたが、かれらは本当に1時間以内で作業を終えると、塵ひとつ残さず整然と立ち去っていった。ヴァイパーマシンの警備担当者さえ置いていかなかった。行政上の区分けがはっきりしているためとは言え(鳥ノ島基地は本来航空自衛隊の管轄だ)、ノーガード過ぎやしないかと健太は内心思った。
「五十鈴さんはバーベキューパーティーが終わったら船に戻るそうよ」
「ふーん……それじゃ明日以降は自炊?」マリアがやや不安げに尋ねた。
「ううん、明日の昼にはまた来るって」
ブーンという音があたりに響いて健太たちは空を見上げた。明るい夜空を背にして頭上をなにか航空機らしきものが通過した。
「また米軍機か!?」
「いーえ、航空自衛隊のドローンよ!」バーベキューピットの傍らから五十鈴さんが叫んだ。
「こんどは自衛隊?」
「ごめんなさいねー。あれがこの島の警備システムなの」
「ああ、いや、うるさいって文句言ってるんじゃないんで……」
「自衛隊もドローンを持ってるの?」礼子が意外そうに尋ねた。いっときよくニュース種になり、誰でもドローンという言葉だけは知っていた。だが何度かの墜落騒ぎののち、誰もがこっそり使うという一種の社会的コンセンサスができあがった。なんせ自衛隊だけでなく警察も民間企業も、マスコミでさえ備品として揃えているのだ。いらぬ騒ぎで使用制限がかけられたら困るものは大勢いる。
「とくに航空自衛隊はねえ……島本博士が天才的な設計案を提出しまして、アメリカの1/20以下のコストで製造できるようにしてしまったから、増えるいっぽうなんですよ~」
五十鈴さんがテーブルに腰を下ろしながら、困ったような口調で説明した。
「それじゃ自衛隊はラジコンだらけなんだ……採用率が上がってるのもそのせいだったりして?」
五十鈴さんは何度も頷いた。「そうなんですよねえ。ゲームが得意ならなんとかなるっていうんで予備自衛官を含めて大勢雇われてますよ」溜息をついて続けた。「いざ戦争になったら引き金引けるのかって、現場のうえのほうは心配してるようです。鉄砲はともかくドローン搭載の火器のですよ」
健太は笑った。「おれだって似たようなもんすけど?無理矢理ロボ乗せられて、それもほかに操縦者がいないってだけで、まともな新兵教育だってしてないもん」
「あら、あなたたちは別ですよお。自衛隊員だってガチの実戦経験者なんて滅多にいないのに、あなたがたときたらもう何度も……ええと、打ち勝ってるんですもの」敵を打ち負かした、と言わないよう気を遣ってか、マリーアのほうにちょっと頭を下げた。マリーアは気にしないでというように手を上げた。
「認めてもらうのは嬉しいな」マリアが言った。「ゲームが始まる前はずいぶん嫌み言われたし」
「いや~!申し訳ないです!」
「べつに謝ってもらわなくてもいいんですけどね……いや、あの子たちには」マリアはバーベキューピットではしゃぎながら調理を続けている真琴と実奈のほうにあごをしゃくった。「偉い人から一度謝罪してもらいたいかな。あたしが参加する前から長いあいだ苦労してたんだから」
「そんなにですかあ……正直に言うと、〈ひゅうが〉の改装が始まったころはだいぶ雰囲気が悪化してたんですよね~。「なんで我々があのロボットのために便宜はからなきゃいけないんだ」って……。わたしもその雰囲気に呑み込まれてましたからやっぱり気が引けます。エルフガインが実力を示したあとは手のひら返したように変化しましたけど……それもひどい話ですよねえ」
礼子が言った。「わたしは昔の話は知らなかったから、対馬の件で大勢のかたから肩を叩かれたり握手を求められてすっかりいい気分になってしまったけれど、あの子たちは苦労したのね……。髙荷さんも」
「あたしは気にしてないからいいの。……まあ、真琴はもとより不平屋さんじゃないし、実奈は実奈でフツーの人は相手にしないから……そうね、不平じみたこと言うべきじゃなかったかも」
「遠慮なく腹を割って話し合うほうがいいわよ!なんと言っても人間、直接言葉を交わしあった相手のことを悪く思うことは難しいじゃない?」
五十鈴さんがしみじみとした口調で言った。「相互理解ってやつですかねえ。わたしもそれがいいです……二次大戦時にアンクルサムは日本人をサルと呼ばせて、兵隊が銃を撃ちやすいようにしました。そういう記号化って言うんですか?エルフガインとそれに関わっている人のこともそういう先入観だけが一人歩きして、実像は誰も理解しようとしないで悪し様に言ってました……それで今はいささか決まり悪くって……」
「なんだかいい話ッスね」健太が素朴な感想を述べた。
「てめーはもう少し緊迫感持てよな!ボスなんだから」すかさずマリアが釘を刺すと、健太はにこやかに続けた。
「お?おれがボスって認めてくれたの?ついに?」
五十鈴さんが興味深げに健太とマリアを見比べた。「健太くん隊長って認められてなかったの?」
「みっ認めてねえっ!……てわけじゃ、無いけどさ……」
「あら!よかったわね浅倉くん」礼子が言った。
健太は「いやあ、どうもどうも」というように両手を挙げて応えた。マリアは不本意そうに眉をしかめ、やがて「フン」と言って顔を背けた。
滑走路の奥のほう、小さなコンクリート製の管制所から「ビー、ビー」というなにか警告音らしき音が響いた。健太たちはハッと顔を上げ、腰を浮かした。五十鈴さんが片手を上げ、腕時計を見て言った。
「大丈夫、これはドローン小隊の出撃の合図です。この時間に演習するって連絡がありました」
「そうなんだ」
「ごめんなさい、言っとけばよかったわ」
1㎞ほど離れた滑走路脇のエプロンに並んだバンカーから、小さな機械が現れた。滑走路を占領しているヴァイパーマシンを蛇行しながら起用に避け、ドローンが列をなしてこちらに向かってくる。どんどん速度を増して、200メートルほど滑走しただけでフワリと離陸を果たし、健太たちの頭上を次々と飛び越えた。タグテッドファン推進、翼長4メートルほどの小型機だった。音も静かだ。
「オモチャみたい……」礼子が言った。「あれが島本博士の設計なの?」
「ええ、ちっこいけど性能はそれなりに……でもあれだけじゃないんです」五十鈴さんが滑走路脇のなにもない切り立った崖を指さした。崖の稜線あたりに、明るい夜空をバックになにやらクモみたいなものがゾロゾロ蠢いていた。
「やだ、なにあれ」マリアが気味悪げに言った。
「陸上型ドローン、人間よりちょっと大きいくらいのロボットですよ」
「この島ってあんなのがウジャウジャうろつき回るの……?」礼子も顔をしかめていた。
「まあ気持ち悪いけれど、コントロールしているのは人間ですから……でも陸式まで出動するとは聞いてなかったな……」
実奈がビニール袋いっぱいの花火セットを抱えてやってきた。
「ねえねえお兄ちゃん!」
「お兄ちゃん、ですかあ?」五十鈴さんがにやにや笑って繰り返した。健太はやや赤面したが「なんでえ、みーにゃん」と応じた。
「花火しようよ!食べながらでもいいでしょ?」
「いいけど……打ち上げはまずいんじゃね?なんかいっぱいブンブン飛んでるし」
「気にすることナイよ!不測の事態に即応するのだって訓練のウチだもん」
やけにもっともらしいことを言われて健太は納得してしまった。議論でかなう相手ではない。しかしいちおう現役自衛官の顔を伺った。
五十鈴さんも頭に片手を当てていたが、実奈の顔を見て折れた。「エー……まあ、ほどほどに」
「やたっ!それじゃ景気づけに……」ビニール袋から高さ30センチ、直径3センチほどの打ち上げ花火を取り出した。
「よーし」健太と実奈は10メートルほど離れた砂浜に花火を据え、着火器で導火線に点火した。砂を蹴って距離を置き、花火が炸裂するのを見守った。
パアン!まばゆい火の玉が筒から飛び出し、けっこうな勢いで空に上がってゆく。
だが
花火が弾けるかという瞬間、火の玉は突然頭上に現れた巨大なエイの口みたいなものに吸い込まれてしまった。
「あ……」健太と実奈が同時に言った。
ボカン!という音が弾けて、それ――ドローンのジェットノズルが火を噴いた。オレンジの火炎で青灰色の三角型の胴体がはっきり見えた。
「えー?……えーッ!?」背後で五十鈴さんが叫んだ。見なくても両手で頭を抱えていると想像できる。
ドローンがよろよろと墜落して、100メートルほど離れた海辺に水柱を立てて突き刺さった。
健太が呟いた。「さっそくやっちゃった……」
「ゴメンなさぁ~い!」
五十鈴さんが慌てて砂浜に駆け、振り向いて言った。「け、健太くん!」
「はいっ!すいません!」
「じゃなくて!あれ……」五十鈴さんが墜落機を指さして続けた。「米軍機です……!」
五十鈴さんは真っ青になっていた。
「ええと、これはちょっと、どうなんだか……」予想外の展開にどうしたらいいのか分からないでいる。始末書や厳罰どころではない。最悪、日米開戦の引き金を引いちゃったのかも、という恐ろしい疑念が心中を駆け巡っていた。
にわか軍オタの健太でさえ、自軍の機材を破壊されたら即報復措置、というのが米軍、その他あらゆる軍隊の基本的な対応と知っている。どこかの国みたいに遺憾の意表明だけでは済まない。
「や、やばいっ……スよね……?」
「と……」五十鈴さんは半泣きの体で応えた。「とりあえず宿舎に戻って、現状報告してきますね~……」死刑宣告でも受けに行くかのようだった。フラフラとカートに向かう後ろ姿を見送ると、取り残された健太たちは困惑した。
「おれらどうすりゃいい……?」
「実奈怒られちゃう……」
真琴が実奈の傍らに現れ、肩を叩いた。「心配しないで、米軍の領空侵犯だもん、撃墜されても文句言えないはず……」実際には正論など構わず当たり屋なみの難癖をつけてくると承知していたが、今それを言っても意味がない。
「でも実奈、博士に怒られちゃうよぉ。実奈が花火やりたがったの博士簡単に見破るもん……」
心配なのはそっちか。健太は溜息をつき、テーブルに戻るよう手振りで促した。
「まこちゃんの言うとおりかもな。おれたちが今心配しても仕方ないよ。焼きそば食べたら宿に戻ろう」
テーブルに戻ると待ちかねたように礼子先生が尋ねた。
「健太くん、どうすればいいの?」年上なのに、先生もすっかり健太をリーダー扱いしてるらしい。
「食事しちゃいましょう!腹が減っては何とやら……終わったら片付けしていったん引き上げましょ」
「わかった……」礼子は弱々しい笑みを浮かべてバーベキューピットに向かった。
「焼きそばおいしい」実奈が言った。
「そうね」礼子が答え、それで食事中の会話すべてだった。10分ほど淡々と食事を続け、終わるとふたたびこのあとどうしよう?という話になった。
「わたしとまこちゃんは後片付けするから……」礼子が言った。
「それじゃあ、髙荷とみーにゃんとマリーアは宿に戻ってくれ。おれはここで手伝ったあと先生とまこちゃんを送るから」
「健太」マリーアが言った。「もし報復行動が始まったらどうすれば?」
「そうだ!五十鈴さんに尋ねてみるけど、みんな、いざとなったらいちばん安全なところに行くんだ。分かってるよな?」
「ヴァイパーマシンだね?分かった」マリアが応えた。ほかのみんなも頷いた。「それじゃ」
マリアたちがカートに乗り込んで宿に向かった。
残った健太たちは手早く片付けを続けた。周囲は妙な静けさだった。ざっと20基は出撃していたドローンたちはどうしたのか。
「こんなもんかしら」礼子が誰にともなく言った。
「そうですね」真琴が応えた。
礼子はぼんやりと砂浜のほうに歩き、さきほど打ち上げた花火の筒を拾い上げた。波間には墜落したドローンの翼が突き刺さったままだ。
健太たちは気付いていなかったが、周囲50メートル以内の岩陰や浅い海に自衛隊の陸上型ドローンが多数潜んでいた。その高性能カメラシステムが主に礼子と真琴に向けられていることも知らなかった……。
マリアが運転するカートは滑走路脇の歩道をのんびり進み続けた。時速20㎞程度で歩くよりはましという程度だ。島の交通機関はこの電動カート数台と自転車、それに高級士官クラスのゲストを案内する際に使用するランドクルーザーが一台だけだ。
「髙荷!」助手席のマリーアが切迫した口調で囁いた。前方、滑走路を塞いででんと居座るヤークトヴァイパーを指さした。
「なに?」
「なにか……動いてない?」
「ちょっと、変なこと言うなよ」マリアはカートを停止させた。三人とも身を乗り出して、マリーアが指したヤークトヴァイパーの影となる暗闇のほうを注視した。カタッカタッカタッと乾いた音が聞こえた。
「なんだ……」
やがてそれが現れた。
一見馬か牛のようなそいつは全身が黄土色の布に包まれているようだった。4本脚なのに奇妙に人間じみた足取りだ。だが馬か牛ならあるはずの頭部が見あたらない……。
「うわあ!」マリアが恐慌をきたしてカートを急発進させた。頭無しの牛がのんびりと進路を変えてカートを追いかけてくる。
「お姉ちゃん落ち着いて!あれは米軍のロボットだと思うよ!動画サイトで見た!」
「アメリカ製のロボットが追いかけてくるのに落ち着いてられっか!」
進路を塞ぐように二基目のロボットが現れ、マリアはハンドルを切って芝生に乗り上げた。カートはゆさゆさ揺れながら走って滑走路のアスファルトに出た。ヤークトヴァイパーの巨体の脇を通り過ぎると、破壊された4本脚ロボットが何体か転がっていた。
「いったいなにがどうしてんのよ!」
「たぶんヴァイパーマシンの自動防御システムに焼かれたんだよ」
「米軍のドローンがいつの間にかたくさん上陸してたのかよ!」
「そうみたい。ねえお姉ちゃん、呑気にコマンド出張所に戻ってる場合じゃ……!」ふたたびマリアが急ブレーキを踏んでカートが停止した。
マリアたちの眼前で、無数のドローンが取っ組み合いを演じていた。4本脚と陸上自衛隊の迷彩に彩られたずんぐりしたロボット――こちらはクモみたいな脚を6本生やした樽という形状だ――がガチャガチャ前脚を突き立て組んずほぐれつもみ合っていた。
マリアたちに気付いたドローンたちは一斉に動きを止めた。
自衛隊ドローンの、おそらく頭部に当たるターレットがぐるりと旋回して、カメラレンズがマリアたちを凝視した。
「な……なに?なんなの?」
微かなサーボ音がいくつも聞こえていた。ドローンたちすべてがこちらに注目しているように思えた。
「ねえ、お姉ちゃん、こいつら武装してないみたい……」
「どういうこと?」
「つまりこのドローンくんたち、みんな偵察用なの。鉄砲とかミサイルとか付いてない。だから手足つかってドツキあってたんだと思う」
「素手で喧嘩中だったてこと?なんでそんなことしてる……それからなんであたしたちをじーっと見てるんだよ?」
「そんなこと実奈知らないよ」
「こいつらさあ……」マリーアが胡散臭そうに言った。「わたしたちをガン見してる」
マリアはイタリア娘の横顔を見た。「それってどういう……」
実奈がおもしろそうに言った。「なーに?実奈たちのこと盗撮してるの?この子たち覗き魔?」
実奈の音声も拾えるのか、自衛隊ドローン群が一斉に身じろぎした。
「ピーピングトム?」
マリーアの言葉にこんどは米軍ドローンがざわざわ身じろいだ。
「まじかよこいつら……」マリアはカートから飛び降りた。浴衣の裾を腕まくりしながらドローンの群れにどかどか歩み寄った。
ドローンたちが一斉に動き出し、クモの子を散らすように散開してゆく。
「まちやがれ!てめーら覗きかよ!?赤外線であたしたち盗撮してやがったんか!」
マリアは腹立ちまぎれに一番近い米軍ドローンに蹴りを入れた。ドローンはよろけたが転倒することなく、器用に体勢を持ち直して逃走し続けた。
しかしこんどは飛翔型ドローンが飛来した。ガンシップグレーの米空軍機、それにエイのような三角形の海軍ドローンが何機も低空をかすめ飛んだ。
そのうちの一機が突然爆発して滑走路脇の芝生に墜落した。
「こんどはなんだ!?」マリアはカートに乗り込みながら空を見渡した。米軍機に加えて自衛隊のブーメランドローンが飛び交っていた。お互いに相手を追いかけ回しているようだ。陸上ドローンと違ってどちらも武装している。
「危ないからバニシングヴァイパーの翼の下に潜って!」実奈の指示に従いマリアはカートを発進させた。頭上のラジコン機はますます激しいドッグファイトを演じていた。状況は明らかにエスカレートしていた。
「お姉ちゃん、あのロボットたち、グアムから泳いできたとは思えないの。どこかに母船かなにかいるはず」
「そうか……健太たちに知らせないと」
礼子は砂浜から後ずさった。
4本脚のロボットが波間から立ち上がり、カタカタ音を立てながら接近してくる。生理的に受けつけがたいシュールな動作……命無き機械が動物そっくりに動く不気味さに礼子は身震いした。
「け……健太く……」
「健太さん!」真琴が背後で叫んだ。礼子が振り返ってみると、健太が地面に横たわっていた。真琴が倒れた健太に屈んで身体を揺すっていた。
その真琴の周りに4本脚ロボットが何体もあらわれ、包囲していた。
「二階堂さん!」
真琴は顔を上げ、ロボットに囲まれていることに気付いて慌てて立ち上がった。
「先生!先生の後ろも……」
礼子が振り返ると、わずか2メートルうしろにロボットが迫っていた。
「きゃーっ!」礼子は砂を蹴って走り出した。
真琴は浴衣の袖からナイフを取り出して構えた。
「近づかないで!」
真琴の凛とした叫びにロボットたちは動作を停止した。内心拍子抜けしたのは真琴のほうだった。(攻撃するつもり無いのかしら……)ナイフを構えたままじりじりと周囲を威嚇した。次いで健太の頭の傍らに跪いて、ロボットから目を離さず肩を揺すった。
「健太さん!健太さん!」
「フイ……」健太がのっそり動き出し、手を付いて仰向けに転がった。「……おれ、どうしたんだろ……」
「スタンガンにやられたみたいですね。……あっ、まだ横になって!」真琴は起き上がろうとする健太の胸を押し留めた。健太は顔に両手を当てた。
「目が回った……」
「だるさが無くなるまでしばらくじっとしててください」
ロボットに追いかけられて浜辺を一周した礼子が戻ってきた。「健太くん!真琴さん!」礼子もまた健太の傍らにがくりと両手をついて跪いた。汗びっしょりで息が荒い。「あ、あいつら何もの、なの?」
「米軍の……アルファドッグと呼ばれていたロボットみたいです」
「アメリカが攻めてきたの……?」礼子は周りじゅうを囲んだロボットを見回した。「わたしたち捕まえられちゃったの?」
「かもしれません……」真琴もまたあたり一帯を見回した。突然ハッとして叫んだ。
「伏せて!」
真琴たちは健太に覆い被さった。「わぶ」健太のくぐもった声が礼子の胸のあたりから漏れた。
ブーメランドローンの5機編隊が真琴たちのわずか10メートル上空を航過した。カンカンカン、という乾いた打擲音が響いて、真琴たちを包囲していた4本脚ロボットが何体かバタリと倒れた。その胴体に金属棒が突き刺さっていて、火花が飛び散っている。
「セ……センセ……」
「あ、ゴメン……」礼子が身を起こし、浴衣の襟を片手で押さえた。
真琴も顔を上げた。海岸に目を向けると、50メートルほど離れた海からなにか大きな物体が浮上しようとしていた。
「海からなにか……」真琴は健太の肩の下に手を差し込んだ。「健太さん、起きて。ここから離れないと」
「分かった……」健太は慎重に身を起こした。まだ顔色は悪いが吐き気を催すほどではなかった。
「でも二階堂さん、ロボットたちはまだたくさんいる……」しかし礼子もまた海から浮上しようとしている物体を見て、言葉を失った。
カニの化け物だ。四角い胴体から巨大なハサミ付きの腕が伸びている。胴体の下のほうは一段細くなった長い腰が水中まで続き、細長い節足が両脇に生えている。カニと言うよりザリガニだ。
「ヴァイパーマシン……?」
『違うってよ!』夜空にマイクで拡声した実奈の声が響いた。同時に人型ロボットの巨体が滑走路端に現れた。
ヴァイパー5,ミラージュヴァイパーだ。
「実奈ちゃん!」
鳥ノ島全体を揺るがすほどの爆音が響いた。衝突防止灯を点滅させながらバニシングヴァイパーが離陸していた。垂直離陸しながら徐々に機首を上げ、速度を増してゆく。ようやく会話できるほどあたりが静まると、実奈が言った。
『お兄ちゃんたち、早くヴァイパーマシンに急いで!ドローンは実奈がコントロール妨害してるから』
「分かったよ!みーにゃん!」
ミラージュヴァイパーが健太たちの傍らを越えて巨大ザリガニとのあいだに立ちはだかった。実奈お気に入りの中二病武器、大鎌を構えていた。
健太たちは愛機に向け急いだ。といっても礼子がカートを運転し、真琴が周囲を警戒して、健太は助手席にぐったりもたれているだけだったが。それでもスマホをオンにして実奈と話を続けていた。
「あのカニ野郎ははヴァイパーじゃないんだって……?」
『島本博士が言ってたの。バイパストリプロトロン反応がないって』
「どういうことだろう?」
『こいつ、たぶんドローン母艦だよ。こいつ自体も遠隔コントロールなんじゃないかなあ』
「そんな程度のヤツなら、合体しなくても片付けられそうだが……」
『しないのお?』実奈が不満げに言った。
「もちろん合体するぞ!おれたちの休暇を台無しにした仕返しだっ!」
『そう来なくちゃ!』
久遠が小走りでさつきの基に近寄り、耳元に囁いた。
「なんですって……?」
「いま、フォーメーションシグナルを受信しました」
「関係各方面には……」
「現在エルフガインはコマンドラインから外れてます。戦略マップ上には表示されませんから、まだバレてません……それに今回の騒ぎをどう収拾すべきかお偉方は頭を抱えてる最中らしくて、それどころじゃありません」
「それじゃ、状況を把握してるのは……」
「たぶん鳥ノ島近海の〈ひゅうが〉と、厚木の遠隔機材管理課の大馬鹿者だけでしょう……ドローンを使って髙荷たちを盗撮しようとしてた連中は、現在コントロールルームに軟禁され、きついお説教されてます。上層部はもみ消そうとするんじゃないですかね……ありのまま事実を報告するの恥ずかしいですから」
「高価なドローンを私的に使って盗撮しているうちに米軍ドローンとなし崩しに交戦状態になったって?相手次第ではそうもいかないでしょうに」
「それがですね、グアムの通信電文をいくらか傍受したところ、アメリカさんも同じ目的でドローンを飛ばしてたようなんで……」
「覗き目的で?」さつきは失笑した。「それであいつら強行上陸してきたっていうの?」
「ええ、それがバレそうになったんで、慌ててエルフガインチームの誘拐なんて思いつきに及んだんでしょう」
「まったく」さつきは鼻筋をつまんで首を振った。「男ってバカばっかり」
ドローンコントロールオフィサーが全員男だと断言する根拠はない……が、たぶん全員男なんだろうな、と久遠は思った。「……言葉もありませんな」
「それで、口裏あわせて内々に済ませられそう?」
「ま、孤島ですから……」久遠は頭を掻きながら言った。「巨大ロボが立ち上がっても誰にも見えないんじゃないかな」
ハワイ、オアフ島のアメリカ太平洋軍戦略本部のドローンコマンドでは、100人あまりの陸海軍および海兵隊員たちがモニターに釘付けになっていた。ハワイは真夜中過ぎで、にもかかわらず大勢が宿舎から呼び出され、思いがけないショーに見入っていた。騒ぎの発端となったドローンオフィサー……にきび跡も消えていない新兵たちは壁際に立たされ、首から「わたしは罪を犯しました」と書かれた札をぶら下げていた。
「やるぞ……やるぞ……」
生き残ったドローンが鳥ノ島上空を旋回しつつ、壮大な工学ショーをカメラに収め続けていた。カメラ映像は戦略モニターに大写しされていた。
重量5000トンという噂の超重戦車が盛大な噴射炎を吐いて空に舞上がり、二台のロボットが変型した「脚」の上に載ると、集まったギャラリーから少なからぬ驚嘆が漏れた。
「オォゴッド」「シェット……」「ジャップどもやるな……」
「待て、これからクライマックスだぜ」
Bー2ステルスボマーの倍はあるかという巨大全翼機が機首を真下に向けたまま垂直降下してくる。
「無茶なやつらだな。あれ人間が乗ってるんだろ?さっきのあの……ワフクの女の子たちが」
「パ○ーレンジャーそのまんまじゃねえか……」
巨大全翼機が合体を果たすと、五台のマシーンが連結したばかりのそれが動き始めた……。
「ホーリーシェット!あんな無茶なことやって、ろくに点検もしないで動き出しやがった……」
「見ろよ、あん畜生カラテのカタを演じてやがる」
予備動作をひととおりやりきったエルフガインがさいごにボディビルダーのようにポーズを決めると、機体全身がストロボライトのように光った。そのショックウェーブでドローンが揺すぶられた。米軍兵士たちはその光景に息を呑んだ。
「噂には聞いていたが実際に見てみると想像以上にヤバイな……」
「バカでかい……身の丈300フィートだっけ?」
「あいつと戦うのか?対抗できる兵器はあるのかよ?」
「あるよ!マリンコ(海兵隊)に試験配備されたって噂の……」
「シーッ。それ言いふらすとNSAのおっかない黒服が来るぜ……黙っとけ」
「合体完了!」元気を取り戻した健太が叫んだ。メインモニターを見渡すと、ほかのメンバーのアイコンがすべてシャットダウンしていた。「・・ン?カメラが写ってないけど……みんな大丈夫なんか?」
『き、気にしないで健太くん……』
「先生?」
『しつけえぞ健太!あたしたち急いでたから、パイロットスーツ着てねえんだっての!』
「ああ……それじゃ浴衣で乗ってるんだ……」健太は言いながら首をひねった。専用パイロットスーツは操縦席から伸びるコネクターと接続するのに必要なのだ。いざとなれば……と島本博士はかつて健太に言った。「――すっぽんぽんでもなんとかなるけど、長時間操縦は無理だから、とにかく服は脱がないとダメよ」
ってことは、つまり……。
『健太?』マリーアが言った。
「え?ああマリーア、いまどこにいるんだ?」
『バニシングヴァイパー、髙荷のうしろの席に便乗中だけど……ねえ、彼女裸のまま眠り込んじゃったけど大丈夫?』
『うるさいな!黙ってろこのエロイタリア人!』
『キャッ!』眠っているマリアの声がスピーカーから響いたのでマリーアは驚いたらしい。神経質な笑い声の後、言い添えた。『そっか……あなたがたのシステムドライヴァーは昏睡状態で動かしてるのね。意識だけ覚醒してるなんて、スゴイ技術……』
(賑やかなこった……)健太は首を振った。「みーにゃん、あのザリガニ野郎はまだいるのか?」
『うん、まだ滑走路の先っぽに突っ立ってる』
「よーし!叩き潰してやる!」
『健太さん!周囲のドローンが妙な動きです。対空防御システムを自動追尾/迎撃モードにしてください』
「了解だまこちゃん」
モニターを広域俯瞰図に切り替え、エルフガインを中心とした半径5㎞を表示させた。20機あまりのドローンが旋回しながらエルフガインを包囲していた。渦巻き状に接近してくるようだ。
「先生、ドローンを全部片付けちゃってください。カミカゼ攻撃でもされたらうざったいから」
『了解よ健太くん。目標はロックオンしたわ。ガンズフリー』
エルフガインが手足を拡げ、大の字を形作った。その巨体のあらゆる箇所から機関砲とと改型ヘルファイヤーミサイルが放たれた。曳光弾と照準レーザーの光が乱舞した。
射撃は3秒間続いて一斉に止んだ。
空を舞っていたドローンは空中で爆発して次々と海に没した。陸上ドローンも半数ほど撃破された。
「ジーザス!いまの見たか!?大昔の巡洋艦なみの対空砲火だぜ」
「ドローンをあらかた片付けちまった……まだ生きてるカメラあるか?」
やがて映像が回復したが、JD―1――米軍がエルフガインに冠したコードネーム――はかなり離れている。またカメラが切り替わった。エルフガインの全身を真正面に捉えていた。
「オオまじかよ!ロブスターママにまっすぐ向かってくるぞ!」
「さっさと逃げろ!JD―1のパイロットを確保するのなんかもう無理だ!」
「さっきから逃げようとしてるんだよ!」コンソールに座っていたオペレーターが叫んだ。「さっきやつらのロボがものすごい干渉波を放って、GPSがリセットしちまったんだ!コントロールが効かない!」
「それじゃロブスターママは……スタンドアローンモードで防戦状態に移行したままなのか……?」
「くそったれ、システムエラーか……」
エルフガインの巨体が視界を覆った。ロブスターママはせいぜい全長120フィート……エルフガインの半分しかない。ロブスターママのちっぽけなAIでは対処不能な相手だ。
「なんかこいつ、棒立ちなんだけど……」
『お兄ちゃん!情けは無用よ!』
「抵抗ぐらいしてくんないとやり辛いんだよな~……」
『健太!』
『健太くん!』
「はいはい、分かりました」
健太は兵装アイコンを選び出した。「武士の情けだ。一撃で仕留める……ツインソード!」
エルフガインの両袖から刃渡り40メートルの刃が飛び出した。
月光を受けて鈍く光る刃を交叉させると、ザリガニの怪物がじりと後退した。
健太はふと思った。無言で叩き切るのはなんだか間が抜けている。なにか言わなければという焦燥感というか欲求が急速に膨らんでゆく。
「エルフガインッ……クラ――ッシュ!!」叫ぶと同時にフットペダルを押し込み、トラックボールとレバーを操作した。エルフガインは操縦者の意に従って二本の剣を構えたまま地面を蹴った。胴体を思い切り捻って渾身のトルクを込めて剣を振り払った。
「オー……」
オアフのドローンコマンドに詰めていた全員が深い溜息を漏らした。
傾いた画面上には、剣を翼のようにかざして片膝をついたエルフガインのうしろ姿が映っていた。画像が乱れ、やがてブラックアウトした。
「本当に剣で戦いやがった」
ジャップのロボ恐るべし……その場にいた誰もが少なからず認識を新たにした。マッドサイエンティスト、プロフェッサー浅倉は本物のマッドだった。
本土で妙な政治ごっこしている連中は、ちゃんと分かっているのだろうか……。
「高価な機材なのに壊されちゃいましたねえ……どう言い訳しましょう?」
「故障してロストしましたでいいだろ?嘘じゃない。犠牲者が出てないからお偉いさんもそんなに大騒ぎしねえさ」
「そんな軽く言ってくれちゃって……」
「ニホンの女の子を盗撮してましたって報告するよりましだ!」
ほぼ同時刻の厚木でも同じ結論が下されていた。
「司令の判断により今回の不始末は内々で処理される運びとなった。なので諸君の罰則は十日間の謹慎処分まで減刑された。しかしだ……この件はくれぐれも内密に。もしネットに噂が流れるようなことがあれば、わたしは容赦なく君たちを吊すからそのつもりで」
「分かりました!」
そんなわけで。
このささやかな日米交戦は、当事者双方の公式文書に記されることなく、きれいに忘れ去られたのであった。




