第1話 『エルフガイン出撃』 ★
この物語はフィクションです。実在の国、企業団体等とは一切関係ありません。特定の固有名詞はすべて空想の産物であり、たまたま実在する国名、地名その他に似ているとしたらそれは偶然であり、遺憾と言うよりありません。
1
――俺は浅倉健太。どこにでもいそうなごく普通の高校生だ。
あるメディアではわりと普遍的なこのフレーズは、浅倉健太にとって過酷なまでに現状を言い表している。
午後三時、放課後の教室。
4階隅の教室には他に生徒の姿はなく、廊下も静まりかえっている。
階下のグラウンドで体育会系の部活の気配がするが、帰宅部の健太にとってはなんの接点もない世界だ。
偏差値57の普通科高校、生徒の半数は帰宅部か、帰宅部同然の文系同好会に属して穴蔵のような部室でだべっている。
健太自身一年生の時、漫研に半年間属していたが、夏休みが終わる頃には活動から遠ざかり、秋の文化祭の頃には居場所を完全に無くしていた。まじめに漫画家だかラノベ作家だか目指している連中と、同人活動に熱を上げている連中の大所帯……大半はその中間でコスプレイヤーだか声優だかを目指しているが、することといえば携帯ゲームかカードゲームだ。
なににせよ大志を抱いているやつはうらやましいな、と思ったものだがそれもつかの間、健太はそれらのどこにも入り込めなかった。
他人をバカにして孤高を気取っていたわけじゃない。
ただ、なんとなく、おなじ色に染まらなかった。
それだけ――。
そして現在、浅倉健太は高校二年の春を迎えていた。
中間テストで赤点を取り、ただひとり補習の最中だ。わら半紙に英単語を百回ずつ。授業でタブレットを使っているのにじつにばかばかしい作業だが、罰とはそういうものだ。
健太が漫研に所属しているあいだに読むよう薦められた本の主人公たちは、ごく普通の高校生だが、多くは県内屈指の進学校に属しているようであり、くだらない英単語の書き取りなんぞしていなかった。
テストで0点を取るような華々しいバカという設定の主人公もいたが、やはり赤点補習などしておらず、じつは天才的だったり変な能力者だったりする。
だがしかし、本当に赤点を取るやつには特別な能力はないらしい。
もちろん、隣に住んでる世話焼き女房的幼なじみも、女の子の同居人もいない。
数少ない共通点といえば両親がいないこと。
だが健太の両親はまだ健太が幼かった頃離婚して、その後は母方の実家で十三歳になるまで健太を育てた。
片親の家庭は珍しくない。パパやママがころころ変わる家もだ。今どき同情されるようなことではない。
その母親は三年前に飛行機事故で他界し、健太はさして取り残された感覚もないまま母の実家にお世話になっていた。
祖父も祖母もまだ若く元気で、健太を可愛がってくれた。生きているあいだも母親は不在がちで、喪失感は薄い。遺体のない葬式のあいだでさえ現実身は薄く、将来について漠然とした不安を覚えたに過ぎず、涙はなかった。
廊下のほうで慌ただしい気配を感じて振り返ると、健太の担任が乾いた靴音を響かせながら教室の入り口に現れた。彼女は入り口で立ち止まると教室を見渡した。
「浅倉くん」
「なんすか?」
予期せぬ担任の出現に姿勢を正しながら、健太は応えた。
「あなたひとり?」
健太は見ての通りという具合に両腕を広げた。
「ほかに赤点が?」
「もうひとりね」若槻礼子先生は優美な眉をしかめた。「高荷さんよ。来てなかった?」
あいつか。健太のクラスのもうひとりの美女、髙荷マリア。
やっぱり頭悪かったのか?
「帰っちゃったみたいだけど」
「まったくもう……」 彼女は黒板の脇の時計を見上げ、ついで腕時計を見た。「あと三十分したら帰っていいわよ。バスが混むでしょ?」
「おれチャリなんで……」
「とにかくあと三十分がんばってね。続きは明日」
そう言って若槻先生は去り、健太はため息をついた。
若槻礼子先生は26歳。おそらくこの埼玉県でいちばんの美女だ(断言!)。
その現実離れした容姿を眺めているときだけが、健太の楽しみだった。
健太は年上が好みなのだ。
萠キャラに対する理解度の欠如が、漫研に馴染めなかったもうひとつの理由であった。
幕間劇が終わり、健太はまたつまらない日常に戻った。
つまらない日常。
健太が夕食の時間になんとなく眺めているニュース番組では、少し前から石油についてなにか伝えていた。
一年前に飛行機が空を飛ばなくなり、ついで個人のガソリン車使用が制限された。なぜ石油燃料が制限されているのか、ニュースをちゃんと見ていなかった健太はよく知らなかった。世界の石油がついに底をついたという話ではなかったが、健太の生活にはほとんど影響しなかったため気にしていなかった。
バスの運行本数が減り、電車の利用が進められたが、それも昔より本数が減った。それでも埼玉県の住民にとって影響は微々たるものだった。
二年間で住民の半数は他県に移住した。なんとか言う新しい政策によって、過疎県に移ると補助金が貰えるからだ。
しかしもともと一千万人いた県民が半分になっても日常の景色はそれほど変化はなく、ただ漠然と、レンタル屋やコンビニといった店の営業時間が短くなり、前よりちょっぴり不便になったかな?という程度だ。
GWの海外渡航がニュースでまったく報じられていないこと。海外の話題がとにかく減ったこと……そう言ったことは関心が向かなければ、気づきさえしない。
半年前在日外国人が大挙して日本から去り、在外邦人が帰郷したことが大々的に報じられた。それさえなんとなく覚えている程度で、なにを意味するのか深く考えたりはしなかった。
太平洋の地域紛争については健太が小学生の頃から断続的に伝えられており、それも日常の一部と化していた。
少なくとも日本は戦争していないし、他国の紛争に深く巻き込まれていない……祖父の話ではそういうことだった。
これまた漠然とだが、健太は祖父がそういう事柄に詳しいことを昔から知っていた。祖母がこぼした話では、61歳の祖父はオタク第一世代なのだという。
祖父が大学生だった1970年代にオタ向け作品などあったのか健太は知らなかったが、健太はその祖父から薫陶を受け、ややひねた考え方と偏った軍事知識、そのほかおよそ役に立たない雑学を伝授され、精神形成上少なからぬ影響を及ぼした。
その祖父がいちど漏らした言葉が、健太の脳裏に焼き付いていた。
「澄佳がいればなあ……」
澄佳とは浅倉澄佳、祖父浅倉宗次郎の娘で健太の母親のことだ。
なぜか、祖父は世界情勢について母が彼より詳しいと考えていたようだ。
健太にはその理由が分からなかった。母はどこかの研究者で、白衣姿の記憶ばかり残っている。
母がいた頃は、毎日が今より特別だった気がした。山の中にある変な建物によく連れて行かれ、おそらく最新式の、なんの目的で建造されたのか分からない巨大な機械を見学した。
所内に置かれていたシミュレーターはとくに毎度の楽しみで、夢中でプレイしたものだ。
今となってはまことに非現実的であり、夢だったのかなと首を傾げることもある。それに残念ながら、母の頭脳は受け継がなかったらしい。
赤点を取ったなどと告げたら母はなんと言うか。それを知り得ないことは少し寂しかった。
時間になり、健太はわら半紙の束をぞんざいに机に突っ込むと、少ない持ち物をまとめて鞄を抱え、廊下に出た。
長い廊下を歩きながら、窓の外をぼんやり眺めた。曲がりくねった坂道をだらだらと登った丘陵地帯の中間にある健太の高校は見晴らしだけは良く、関東平野をかなり遠くまで一望できた。もっとも見晴らしが良いだけで殺風景だ。田んぼと、桑畑と、ニュータウンの四角い造成地、その向こうの遙か遠くに市街地。天気のいい日には東に超高層ビルやスカイツリーが見える。
ごろごろと低い轟きが頭上から響いた。
(なんだ?)
健太は空を見た。一面くすんだ乳白色。高い雲が関東一面を覆っていた。しかし雷が鳴るような天気には見えなかった。轟きは二度三度と鳴り響いた。健太は廊下に立ち止まり外の景色に目を凝らした。別段変わったことは起きていない……。
遙か彼方、群馬県の方向でなにかがパッとはじけた。
(爆発だ……)
ライブリークの動画やベトナム戦争の記録映像で見て、知っていた。
映画と違ってほんものの爆発はとにかく衝撃波が発生する。強烈なエネルギーで圧縮された空気がつかの間キノコ状に見える。その衝撃波と、やはり高速で飛んでくる破片に切り裂かれて人間が殺される。
オレンジ色の火球がボカンと腫れあがり、そばにいた人間が無事に済む映画のような爆発シーンはまずあり得ない。
健太が眺めているあいだにそれは続けて生じた。
等間隔で並ぶように、次々と爆発していた。健太はまだ半信半疑だった。パッと白い固まりが生じて、それが消えたあとに黒煙の固まりが、高速度カメラで撮影した菌類のようにむくりと頭をもたげてゆく。
やっぱり間違いない。なにか爆発しているのだ。
ドン、という重い音が聞こえると同時に窓ガラスが震えた。校舎の建物自体かすかに揺れたような気がした。
爆発から三十秒……十㎞くらい離れている。頭の隅でぼんやり考えながら、健太は廊下を走っていた。
2
ようやくサイレンが鳴り始めた時には、健太は玄関で下駄箱から靴を取り出し、上履きを突っ込んでいた。生徒の姿はまばらで、皆なにが起きたのか知らず、その場で棒立ちになっていた。
「火事ぃ?」だれかが楽しげに言った。
生徒の大半はどこかの間抜けが警報をうっかり鳴らしたと思っている。そうでなければそのうち校内放送でなにか言うはずだ……。
まわりのお気楽な様子を耳で確かめながら、健太はごつい編み上げ靴を履くためスチールの傘立てに腰掛けていた。
(火災報知器じゃなくてサイレンだぞ)そう思った。(四月にこれが鳴ったらどうするか教わったろうに……)
やっと靴が履けた。離婚した健太の父親が、母親が亡くなってからというもの毎年一度、たいていは健太の誕生日の一週間後くらいに会いに来る。いちばん新しいバースディプレゼントがこのブーツだ。履きにくくて煩わしい代物だが、軽くて頑丈なことは渋々認めていた。サイズもぴったりなことに理不尽ないらだたしさも覚える。
(糞親父め)
健太は一年に一度のそれが苦痛だった。
父親は素っ気なく、一時間ほど他愛のない会話を交わすと、そそくさと帰って行く。がっかりするほど若々しくどこか軽薄で、健太はあれが本当に父親なのか、会うたびに首を傾げている。
立ち上がった健太は玄関を出て校門脇の自転車置き場に向かった。
向かい側の駐車場をちらっと見たが、礼子先生の小さなハイブリッドは無かった。もう帰ったのか?
校内放送のスイッチが入り、アナウンスがスピーカーから響いた。
『校内に残っている生徒のみなさん
ただいま全校に避難勧告が下されました。
生徒のみなさんは先生の指示に従い校庭に集合してください』
避難誘導に巻き込まれている暇はない。祖父の家は爆発があった方向なのだ。
健太はママチャリの買い物かごに鞄を放り込むと、ハンドルを押してそそくさと校門に急いだ。
「待ちなさいきみィ」だれかが健太の背中に腹立たしげな声を浴びせた。
(それは無理!)ママチャリに飛び乗り、学校前の坂道に躍り出た。
住宅街の坂道を軽快に駆け下りた。
車の往来はほとんど無い。だがサイレンは住宅地にも響き渡っていて、住民が何ごとかと通りに出ていた。
通りの向こうに礼子先生の軽が停まっていた。帰宅中の女生徒となにか話しているようだ。健太はママチャリのブレーキをかけて先生の車に近づけた。
先生は健太の姿に気付いた。
「それじゃあ急いで、学校に戻って」
先生は女子にそう告げると、健太に向き直った。
「浅倉くん!」
健太は近寄り、自転車にまたがったまま狭い軽の車内にかがみ込んだ。助手席にコンビニの袋が載っていた。買い物に行っていたらしい。
「先生、学校に戻るの?」
「あなたも戻って!避難指示は覚えてるわよね?」
「おれ帰宅したいんです。十五分くらいの距離だし、じいちゃんが心配なんだ」
「ダメよ!なにか爆発音みたいなのが聞こえたでしょ?」
ここは強気で押し切るところだ。
「その爆発音がおれの家のほうなの!」
「あ……そうなの……でも」先生は困り顔だ。
そのとき真っ赤なスクーターが健太の背後を通り過ぎ、五メートルほど先で停まった。スクーターに乗っていたのは健太の高校の制服の女子だった。フルフェイスヘルメットの頭が健太たちを向いた。
健太は相手がヘルメットを脱ぐ前から誰だか分かった。
髙荷マリアだ。
髙荷はヘルメットを脱ぎ、頭を振って長い髪を片手で梳いた。
「あっ髙荷さん……!」礼子先生が叫んだ。開けたドアガラスから頭を乗り出していた。
「先生、早く避難したほうがいいよ」髙荷が言った。
「なに言ってるのよ!あなたも学校に戻るのよ!」
「あいにくと忙しくてさ……あたしは笛吹峠に行かなくちゃならないんだ……」
言いながら髙荷はごくわずかに首を傾げ、自転車にまたがって肩越しに自分を見ている健太に顔を向けた。
彼女もまた我が校屈指の美人だという評判だ。だが若槻先生派の健太はあまり注意を払っていなかった。
化粧気皆無の顔は同年代の女子に比べてぽっちゃりした感じはなく、滅多に表情を変えないこともあって精悍だ。見た目同様性格も可愛げがない。いまもなんの関心もなさそうな冷めた目つきで健太を凝視している。
……いや、ちょっと睨まれたような気も。
気のせいか。髙荷はすぐに背を向けた。
「なにを言ってるの!あっ待ちなさい……!」
髙荷はヘルメットを被り直すとスクーターを発進させた。
「行っちゃった……」
担任としての面子を潰された礼子先生は機嫌悪そうだ。どことなくママの言いつけに腹を立てる子供のような表情だった。
26歳でクラス担任となった礼子先生の目下の悩みは、ひょっとしたら自分は生徒に舐められているのではないか、ということだ。健太にはよく分かっていた。
新学期が始まって二ヶ月。先生の評判はクラス内で揺らめいていた。美人でひとあたりがよいので基本的には人気がある。だが心根が優しい先生は、とかく舐められたりさしたる理由もなく憎まれる。優柔不断な態度を示したり理不尽な言動ひとつで立場を失墜しかねない。
そしてたったいま担当クラスの赤点組ふたりを従わせることに失敗した。
その問題児のひとりとして、健太も先生の忸怩たる胸中は察してあまりある。
「浅倉くん……」
「え?はい」
「あなたのご自宅、近いの?」
「うん?まあ……バイパス沿いの、川を越える手前のスーパー銭湯の近く、分かります?あのへんです」
「そのあたりなら分かるわ。それじゃ先生の車で行きましょう。ご家族の安全を確かめられたら、学校なり避難壕なりに行くのよ」
「え?はあ……」
健太がコンビニの買い物袋と鞄を後席に移して軽自動車の狭い助手席に潜り込むと、礼子先生はさっそく発進させた。愛車のママチャリは電柱の脇に放置した。
「自転車は鍵かけた?」
「かけてない。鍵無くしたから」
「ちょっと……それまずいでしょう?」
「いいんですよ。だれか避難したい人が使うかもしんないでしょ?」
「気前がいいのね」
その通りだ。おそらくママチャリが即座に盗難されることはないと思うが、いざとなればチャリはもう一台ある。父親にプレゼントされたBMXだ。
もちろん、ママチャリのほうが大事だ。九千八百円の安物だったが、お年玉をはたいて買ったのでそれなりに思い入れがある。しかし先生の隣でドライブできる権利の引き替えとしては安いと思えた。
だがその考えも短い間だった。
礼子先生の運転は乱暴だった。スピードは出しすぎるしノーブレーキで豪快に角を曲がるしブレーキを踏むたびに車体がガクガクする。
二~三カ所のカーブで対向車と正面衝突して死ぬ、と覚悟したが、結局無事に到着した。
健太の指示に従ってバイパスから狭い横道に逸れると、健太の家はすぐそこだった。
「浅倉くんのおじいさまにはいちどお会いしたわよね?」
なぜか先生も車を降り、健太のあとに続いて玄関の前に立った。
玄関の鍵がかかっていた。
「戸締まりしてある……」
「もう避難したのかしら?」
「いや……」健太はズボンのポケットから合い鍵を取り出してドアを開けた。
「じいちゃん!」健太はまっすぐな廊下に向かって叫んだ。「じいちゃん!いるんでしょ?出てきてよ」
すると奥から茶色いカーディガン姿の初老の男性がのっそり現れた。
「騒ぐな」
「なんだよ、やっぱり避難してないの。なんで鍵かけてる?」
「おまわりさんや民生委員さんが避難指示にやってくるだろうが……」
健太は胡散臭そうに顔をしかめた。「それで、鍵閉まってりゃお節介なひとも黙って立ち去ると?」
「そんなところだ……おや、担任の先生も一緒に?」
「どうも」先生が健太の背後でお辞儀するのを感じた。
「わざわざこいつの引率していただけるとは、いやはや、お世話になります」
健太の祖父もお辞儀した。なんとも緊迫感がない。
「どうするつもりなの?まさかここに居座るんじゃないよね?」
「心配するない。避難所のほうは遅かれ早かれ渋滞になる。頃合いを見てセンターのほうに行くつもりだ」
「センター?なんでそんなところに……」
「笛吹峠のほうは安全だろう。山ん中だし、避難が長引いたらゴルフ場でキャンプでも張るよ」
「本当に、ちゃんと避難する気あるの?」
「するよ。おまえこそさっさと避難せい」
「避難場所のほうは渋滞するんだろ?」
「そうだな、おまえもセンターに行きなさい。あのあたりはもう自衛隊が出張ってるだろうから、どこかしら安全なところに誘導してくれるはずだ。えー、若槻先生でしたかな?先生も一緒に行ったほうがいいですよ」
「ああ……わたしは学校に戻らないと」
「やめたほうがいいでしょう。疎開バスに詰め込まれてあちこちたらい回しになる」
「そ、そうなんですか?」
「前に計画草案を見ましたが、避難計画はずさんです。いちにち二日で帰るわけにはいかなくなるかもしれません。いろいろと不便ですよ」
「たしかに着の身着のままでそれはちょっと……」
頭上で甲高いジェットエンジンの爆音が響き渡った。
「横田のF―2かな?」
「ずいぶん遅いお出ましだな」
「熊谷のほうで爆発がいっぱい起こったみたいだ……」
「うむ、そうか」
「アレと関係あるの?」
「さてな……とにかく健太、早う行け。わしもばあさんと行くから」
「うん……ええと、若槻先生、おれは学校戻らないよ。先生は?」
「ど、どうしましょう……」先生は義務感と便宜の狭間で揺れ動いていた。「とにかく、学校のほうに戻りましょう。どうせゴルフ場は山を越えた向こう側でしょう?」
「そうだね。それじゃじいちゃん、おれ行くよ。じいちゃんもすぐ避難してよ」
「わかっとるよ」
健太はふたたび礼子先生の軽の助手席に収まり、もと来た道を引き返していた。
バイパスの交通量が増えていた。側道にも住民が大勢いて、健太たちと同じ方向に歩いていた。避難が始まったのだ。
先生がGPSにテレビを映した。道路に車の数が増えたおかげで先生の運転もいくらか静かになり、健太は落ち着いて画面に注目した。
地震速報のようなL字画面に避難指示情報が映っている。画面下には文字情報が流れていたが、熊谷や高崎のほうで爆発事故が起きた、という話が繰り返されるばかりだった。
死傷者が出ている模様。
具体的になにが起こっているという話はない。ニュースキャスターに切り替わる様子もない。
なにか変だ。
「ホントに浅倉くんのおじいさまが言った通りね。道が混み始めてる。この調子だと言われたとおり山にまっすぐ向かうべきかしら……」
「うん……」
健太は笛吹峠の施設のことが頭に引っかかっていた。
小学校のとき何度も連れて行ってもらったところ。なにやら先端技術の開発施設だったところ……今にして思えば、それは宇宙開発の機材か、兵器かなにかだったのだろうか。
あのあたりはゴルフ場とのどかな田舎道ばかりなのだが、林の中にひっそりと白い病院ふうの建物や大きなパラボラが立っていたりして、けっこう物々しい。
髙荷はなぜ同じ方向に行ったんだ?
【忙しい。笛吹峠に行かなくちゃ】と言ったのだ。避難しようとしていたんじゃないようだった。用事があるのだ。
「山に向かえばいいんじゃないかな……ケータイで連絡は取り合えるでしょ?」
「そうね……」
先生はハンドルにもたれて心細げに前方を睨んでいた。頭の中で「職場放棄」という文字が点滅しているのが見えるようだ。
「すぐ合流できるよ、きっと」
「うん、分かった。山に行こう」
(ラッキー)健太は密かに喜んだ。すでに新学期から昨日までを会わせたよりたくさん若槻先生と喋っている。もうしばらく邪魔者もいない。
礼子先生は途中で住宅街のほうに逸れ、裏道に向かった。すでに学校を出て三〇分経過していた。いまごろ一次避難が終わっているはずだ。学校に残っていたのは多くても百人くらいだろう。学校の奥にある市民グラウンドに集められ、バスに乗せられるのか、遠足みたいに山のほうにぞろぞろ歩かされるのか……。
背後でなにかが光るのを感じた。何ごとかと振り返ると、、突風がリアウインドウに当たる、ドン、という音が車内に轟いた。健太と礼子はすくみ上がった。
爆発が近い。
脇の歩道で悲鳴が上がり、人々がわらわらと走り出していた。
「先生!」
「いやあん!」
礼子は若い女性らしい声を上げたが、言葉とは裏腹に軽自動車はものすごい勢いで走り始めた。軽自動車は車列の脇に踊り出して歩道とのわずかな隙間を疾走してほとんど減速なしで脇道に急カーブした。
「先生!落ち着いて!」
健太は叫びながらふたたび背後を振り返った。住宅の狭間のむこうで黒煙が上がり、破片とオレンジ色の炎が宙に躍り上がっていた。百メートルほどしか離れていない。
「いったい何なの!」礼子が叫んだ。
「攻撃されてるんだよ!」
「そんなことされる覚えないわ!」
「俺たちじゃなくて、街が攻撃されてるんだってば!」
「どこのだれが!」
良い質問だ。ついに北朝鮮が攻めてきたのか。それとも何年も前からネットに書き込まれていたように、中国なのか。まさか韓国?
どれも実際にはあり得ないはず……健太の限られた知識ではそのはずだった。
中国は南沙諸島の小競り合いのあいだに経済破綻している。
クーデター以降その属国と化している北朝鮮はそもそも日本海を越えて侵攻する能力も体力もない。
韓国についてはまともに検討する価値もない……いや、そうか?
あの国はもう訳が分からない状態だ。
ネットを漁って仕入れた健太の、やや偏った知識によれば、「仮想敵」のリストはそんなものだ。祖父は健太がそうした意見を開陳するたびに軽蔑したように鼻を鳴らす。よく知りもしないことを得意げに喋り回ると、じきに恥をかくというのが祖父の意見だった。そしてなぜそう考えるのか健太に検証させるのだ。
結果はおおむね健太がなにも知らないと証明させられておしまいだった。
おかげで健太は、思い込みの前にもうちょっと考えてみようというのが習慣化した。
祖父は言う。「朱に染まらず自身の考えを持つというのはしんどい生き方だが、そのほうがええのだ。楽できなくともな」
(それで、敵が別にいるとしたら、ほかの……なんだ?)
「敵」というのはじつにリアリティに欠ける言葉だった。だいたい(日本を逆恨みするのを国是としている特定三ヵ国は別として)どこかの国が日本を敵視して、よりによって埼玉を爆撃するなんて、馬鹿げていた。
しかしそれが現実に起こったのだ。
そして自衛隊が出動している。おそらく創設以来はじめて、主な創設意図に即した任務を全うするために。
軽自動車は山に向かう曲がりくねった道を軽快に飛ばし、やがて山頂を越えて峠におり始めた。こちら側はひどく静かだ。畑のあいだを一台の軽トラがのんびり走っていた。
だがその静けさはたちまち打ち破られた。
バタバタとうるさいヘリコプターの音が聞こえ、低い山頂をかすめるようにダブルローターのヘリが何機も姿を現した。陸自のバートルだ。
それに加えてアパッチをさらに凶悪にしたような攻撃型ヘリコプターが随伴しているではないか!トビウオのような長細い図体の機首にシーカーと巨大な砲身を構え、ボディの側面に生えたスタブウイングに大量のミサイルだかロケットだかをぶら下げている……青いイナート弾ではなく、実弾のように見えた。あんな機体いままで見たことがなかった。よりによって自衛隊が、国民の知らない秘密兵器を保有していたなんてことがあるのだろうか。
やっぱり戦争が始まったのか。
健太は頭に血が昇るのを感じた。願い通り、退屈な日常が崩れたのだ。
まことに不謹慎ではあるが、健太にはそれがなにを意味するのか、そのときは全然分かっていなかった。大事件や災害のニュースを眺めているときの心境に似ている。
常識として遺憾を示さねばならないのは承知の上だが、それでも浮き足だった気分は押さえようがない。
たかが高校生なのだ。戦争の悲惨さなど知るわけもなく、ましてや戦争中の国がひどく煩わしい社会体制に移行し、なおかつ負けるようなことがあれば、もっと酷いことになるなど、分かるわけがない……。
自分の国が戦争に負けることがあるなどと、考えることもない。
「先生、この先に白い研究施設みたいな建物があるんだ。しばらく行くと右に逸れる坂道がある。その道を登った先」
「そこに行けばいいの?」
「じいちゃんが言ってたセンターって言うのはそこなんだ。じつを言うとおれの」お母さんと言いそうになり慌てて言葉を探した。「――えー母親、が働いていたとこなんだ」
「お母様?浅倉博士のことね?」
「し、知ってるの?」
「もちろんよ。有名でしょ?」
「そうだったっけ……?」
「わたしが大学にいた頃テレビに登場していたじゃない。たぶん日本でいちばん頭が良いって言われていたかただもの……」過去形を使ったことに気付いて先生は口ごもった。
健太は窓の外を眺めた。
五年くらい前だった。たしかに母親は何度かテレビに登場していた。
未来のエネルギー問題について討論番組かなにかに出演していたのだ。漠然とした記憶が徐々に鮮明になってきた。
健太の母親はたいへん頭脳明晰だった。
健太は鼻高々だったが、そのうち学校で冷やかされるようになって、すぐに母についてなにか言うのを控えるようになった。二年後に母が亡くなるとそうした冷やかしも自然消滅したものの、テレビに出演していたこと共々記憶を封印していたらしい。
健太はその不実を密かに恥じ、頭の中で仏壇の遺影に手を合わせた。
考えてみると母の顔さえ忘れかけていた……若く、美人だった母親の顔を久々に思い起こした。というより、若く、美人というのはいま初めて認識したようなものだ。毎日遺影を眺めていたのに頭にはなにも届いていなかったようだ。
健太を生んだときわずか20歳だったのだ。生きていればまだ36歳か。
やがて目当ての脇道が見つかり、礼子は軽をそちらに向けた。昔は未舗装の林に囲まれた狭い道だったが、現在は舗装されていた。谷底のカーブを曲がると目的地はすぐそこだ……。
(変だな)
健太は違和感を覚えて首をひねった。三階建ての建物がすぐ目に入るはずだ。芝生の丘陵に囲まれた緩やかなカーブを上がって建物の門まで来ると、いよいよその建物自体が無くなっていることがはっきりした。
「どういうことだ……」
「高エネルギー開発センター……」礼子が門の脇にはめ込まれた銘板を読んだ。「おかしな感じね……建物だけ取り壊して敷地と壁は残すなんて」
礼子は車をターンさせるために開いたままの門から敷地に乗り入れ、玄関に面していたところで止めた。
敷地のアスファルトは荒れた様子もなく、昨日まで建物があったかのようだ。建物の基礎の部分は平らなコンクリートが敷き詰められていた。
健太は狐につままれた気分で車から降り立った。反対側から礼子も出てきた。
敷地の周囲は小高い斜面に囲まれ、一方には竹林が緩やかな斜面に密生していた。周囲は爆発騒ぎも一段落したのだろうか、静まりかえっていた。
ここに来ればどうにかなると思っていたのに、とんだ期待はずれだった。
「先生、ごめん。別のところに行ったほうが良さそうだ……」
「そうかもしれないわね……大丈夫、ちょっと行けば、避難場所のどれかに行き当たるでしょう……」
礼子が健太のほうを向いてはっと息を呑んだ。
健太が「なに?」と言いながら振り返えると、厳ついボディアーマー姿の兵隊が立っていた。
3
健太は文字通り飛び上がった。
いつの間にか背後三メートルまで近づかれていた。
十秒前には誰もいなかったはずなのに、まるではじめて焦点が合ったかのようにひとり、またひとりと兵隊が姿を現し、健太たちはたちまちまわりを囲まれてしまった。
「あ……えーと」
兵隊のひとりが肩の無線機に頭を傾け、短く言った。
「侵入者は女性ひとりと学生ひとり。武装無し、問題ありません」
『了解、博士が学生の顔をもっとよく見せて欲しいとおっしゃっている』
「顔っすか……」
フルフェイスヘルメットの脇に小さなCCDカメラを装備していた。それを健太たちに向けた。
『よし、ふたりを連行してくれ』
「連行って……」
「坊主、そちらの人も、我々に付いてきてください。いいですね?」
健太たちに意向を伺っているようでいて有無を言わさない声だ。
健太は軽く反発を覚えたが、相手はどうやら本物の銃で武装しているし、百八十センチ以上ありそうなガタイは素手でも簡単に健太を組み伏せそうだった。先生の前で腕をねじ上げられみっともない悲鳴を上げるのはごめんだ。
「どこに連れて行かれるんすか?」
「すぐ近くだよ……」
兵隊は黒い帯をベルトポーチから取り出した。
「悪いけど、目隠しな。そちらの方も」
「あ、あの、わたしの車は……」
「心配要りませんよ」
「目隠しされたまま歩くのは……」
「歩かせませんから大丈夫」
背後から突然なにか被せかけられ、健太は訳の分からない混乱状態のまま担ぎ上げられた。
「ちょっまてよ!自分で歩けるから……!」
「きゃっやめて!降ろしてください!」
米俵みたいに野郎の肩に担がれ、運ばれるというのはなかなか屈辱的な経験だ。
いったいなにが起こっているのだろう。この先の展開を知りたくなければ腹を立てるところだ。
(ちきしょうめ……)
目隠しされたうえ担がれ上下の見当もおぼつかないが、たぶん門を出て坂道を下っていると思われた。
黒塗りのバンに押し込められるものと半ば確信していたが、健太たちを運ぶ一行は駆け足で進み続けていた。身長171センチで65㎏の体格はけっして小柄ではなかろうに、軽々と担がれてしかも駆け足とは情けない。
健太は正直言って武装した兵隊にびびっていた。自分でも意外なほど怯え、手足の筋肉が縮こまっていた。だが屈辱から来る怒りのほうが勝り、思考は鈍っていなかった。
軍歌の足音がくぐもり、湿った地べたを踏んでいる。
地下道……?やがて健太たちは床に降ろされた。
「お願い、この袋取ってください……」礼子先生の弱り切った声が聞こえた。
「先生、落ち着け!深呼吸して」
「こんなので息できない……!」
(ん?)
健太は床に横たわったまま慎重に両足を動かし、周囲の床を探った。
(兵隊の気配がない……)
「おーい、だれか……」
耳を澄ませたが、近くに立っているだれかが足を踏み換えているような気配はなかった。
健太は上半身を起こし、ついで身体半分をすっぽり覆っていた忌々しい袋を取り払った。やはりだれもなにも言わない。目隠しをずらしてみたが……あたりは真っ暗闇だった。健太はつばを飲み込んだ。
「先生?」
少し間を置いて、「なに……?」と呟く先生の声が聞こえた。
「先生、落ち着いて、もうおっかない兵隊はいない」健太は床をはい、手探りで先生を捜した。すぐに麻袋に突き当たった。
「先生、身体を起こしてよ。いま袋を取ってやるから」
「い、いいの?」
「かまうもんか!ひとを土嚢みたいに扱って」
先生がごそごそ身じろぎするのを感じた。
「びっくりしないでね……ここ真っ暗なんだ。先生、おれの声するほうに手伸ばしてみて」
「うん」
健太はおそるおそる前方に手をかざした。すぐに麻袋に触れた。
「よ、よし……」
先生の腕をたどり、肩の辺りをぽんぽんと叩いた。試しに麻袋の端を掴んで軽く引っ張ってみたが、どうやら先生の身体が麻袋に乗っかっているらしい。健太は慎重に立ち上がって周囲に両腕を伸ばしてみたが、壁には当たらなかった。
「先生、立ち上がったほうがいいな」
「え、ええ……」
先生に肩を貸して立ち上がらせた。それから頭のほうの麻袋を掴んでゆっくり引き抜いた。麻袋が完全に取り除かれると同時に、先生のかぐわしい香水と体温が感じられた。
「本当、真っ暗……」
「先生、まだ目隠ししてるんじゃないか?」
「あ、そうか」先生が目隠しを取り除くシュルッという音が聞こえた。
「ふう……」
がくん、と大きな音がして、床が揺れた。
「ひっ……!」
礼子がもたれかかってきた。
(うおっ)
「なに……?なんなの?」
「えっエレベーターじゃないかな……」
「そ、そう?」
礼子がしきりに首を巡らせている。毛先がカールした礼子の髪が健太の頬をくすぐった。そして健太の二の腕に押しつけられているのは……この柔らかい、温かい感触は……
健太は緊張した喉をほぐすため咳払いすると、声がうわずらないよう慎重に喋った。
「先生、携帯持ってないか?」
「携帯?こんなときに……あ、そうか」
礼子は胸元を探って首からぶら下げていたスマホを掴んだ。バックライト画面が灯ると、うつむき加減の礼子の顔が青白く照らし出された。
「浅倉くんて落ち着いてるのね」
「びびりまくってますよ」
わずか一メートルほど離れたところに壁が見えたので、ふたりは慎重に位置をずらして壁に背中をもたせかけた。礼子がLEDライトを灯した。とたんに自動車のフロントが闇に浮かび上がり、驚いた礼子は飛び上がって携帯を取り落とした。携帯がストラップで胸元にぶら下がると、一瞬だけボタンを外したブラウスの深い胸元が健太の視界に焼き付いた。
ブラジャーは、白。
「びっくりした……」礼子はさらに身を寄せ、豊かな乳房を健太の腕に押しつけていた。それどころか腰も健太にぴったり寄せられていた。
やや頭をもたげ始めていた健太の分身は、礼子の身体から十五センチしか離れていない。アラスカのロシアとアメリカの国境みたいに近い。だからなんだってんだ?なにが何だか分からなくなってきた。
(やべえ……)
礼子は携帯の電源をオフにした。バッテリーが尽きかけているのだろうか。
ふたりはふたたび闇に包まれた。
礼子先生の吐息。礼子先生の体温。礼子先生身体が、空気と、わずか布何枚かを隔てたところに存在している。
なまじ暗闇だけに邪なイメージがとめどもなく迸りでてくる。
礼子が身じろぎするのを感じた。緊張しているようだ。それとも健太の性的緊張を悟られたか。
(いやそれはない)健太のクラスでは先生はひとが良くてやや鈍感ということになっている。
「下がっているみたいね」
「うん、地下に降りてる」
家のガレージより広いのにほとんど音を立てていない。やや斜めに降下しているらしい、となんとなく感じられるだけだ。
ふたたびがくんと音が響いて健太たちの身体が揺れた。停まったようだ。
健太たちとは反対側の壁がせり上がり、光が差し込んだ。それほど明るくはなかったものの、見通しがきく程度にはなった。健太は車の脇を通って外に出た。
「わー……」
地下倉庫。そんな印象だ。健太の学校の体育館よりだいぶ広い。天井に等間隔に並んだライトまでの高さが五〇メートルはありそうだった。床面積も一〇〇メートル四方はありそうだ。無駄に高く広々している……そう思えた。床はコンテナが積まれ、その手前にはジャンビーとホロ付きトラックがあわせて五台ほど駐車されていた。
「地下にこんなところが作られていたなんて……」
「浅倉くん……ここはいったいどこなの?」
「笛吹峠の地下でしょ。ここは……」
秘密基地だ!
マジでか!?
「なんでこんなところ作ったのかしらね?」
「そりゃあ……」
金属がこすれ合う音が聞こえ、いちばん遠い、健太たちがいる倉庫の端の対角に位置するシャッターがせり上がった。幅二〇メートル、高さ一〇メートルもありそうなシャッターだ。
そのむこうに人が立っているのが見えた。
健太たちはその人物目指して広大な倉庫を横切った。
その人物は白衣の女性だった。
「浅倉……健太くんね!」よく通る声で三〇メートルほど近づいた健太に話しかけてきた。
腕組みして颯爽と立ち、微笑を浮かべているように見えた。
4
「はあ……」健太は警戒心を強めた。(このひとなんでおれの名前知ってるんだ?)
「もうひとりのかたは?」
「若槻、礼子といいます。浅倉くんの担任です」
「あら、そうなんですか」
健太たちがようやく普通に言葉を交わせる距離にたどり着くと、その女性が自己紹介した。
「わたしはここの責任者、島本と申します。突然こんなところに連れ込まれてご迷惑だったでしょう。でも心配要りませんからね」
「ここっていったい何なんです?」
島本と名乗った女性はわざとらしく辺りを見回した。
「正式名称は無いの」こちらに来てというふうに首を倒した。
島本さんが白衣を翻して歩き始めたので、健太たちも渋々あとに続いた。シャッターの奥は十メートルほどの通路が続き、それを過ぎると健太たちは巨人の国にいた。
「うわっ」
先ほどの倉庫とは比べものにならない広大な地下空間が広がっていた!
天井はあまりにも高く、等間隔に並んだスポットライト以外は闇に呑み込まれていた。主な明かりは高さ二〇メートルほどのやぐらに設置されたライトだ。
あたりは賑やかだった。大勢の作業員がせわしない足取りで行き交い、ゴルフカートで移動しているものもいる。列を作って駆け足で移動している集団もいた。ブルーの作業着姿で、たぶん自衛隊員だ。
小型のディーゼル機関車が貨物車を牽いて走っていた。貨物は……四角い仕切に収まった白い紡錘形の物体がいっぱい。
(ミサイルだ……)
壁や高いところに渡されたモノレールの上を、コンテナや機械の固まりが上下左右に移動していた。健太たちは高い場所からそれらを一望していた。
健太たちは幅二メートルほどの金属製のキャットウォークを歩いていた。床の金網の向こうも見渡せた。つまり高さ50メートルほどの空中に渡された、工事現場の足場みたいなところを歩いているのだ。床の厚みも通路両端の手すりもじゅうぶん安全には見えなかった。
「浅倉くん!ちょっと待って!」
背後で礼子が叫んだ。見ると屈んで靴を脱ごうとしているようだった。ヒールの踵が床に引っかかったのだろう。
健太が歩み寄るとようやく靴が脱げたようで、片手に揃えたヒールを持って上体を起こした。健太が歩き出そうとするとふたたび「待って」と呼び止められた。
「ごめん、手、繋いでほしいの」
「え?あ、ハイ……」
健太がおずおず差しだした手を、礼子は躊躇する様子もなく握った。
(マジかよおれ!?)健太は思った。埼玉でいちばん美人な女性教師が健太の手を握って申し訳なさそうに微笑んでいるのだ。
まぶしすぎる笑顔にうろたえた健太がきびすを返して歩き出すと、礼子は手を引かれるまま素直に従った。手が汗ばんでなければいいが、先生の手のひらは冷たく、しっとりして柔らかかった。
(今日は何だか知らないが記念日だ!)いささかのぼせ上がった内心を悟られないよう会話をひねり出した。
「お、おっかない場所っすよね」
「うん」
先生はやや怯えた顔つきで、眼下の光景を心配げに眺め渡している。「なんなのここは……まるで、まるで……」
適切な言葉が思いつかず、礼子は言葉を途切れさせた。
(秘密基地でしょ?)先ほどの認識を繰り返したものの口には乗せるのは憚られた。言葉にしてしまったらあまりにも馬鹿馬鹿しすぎる。
だが現在起こっていることと考え合わせると、健太には馬鹿馬鹿しいこととは思えなかった。むしろもどかしいことばかりな日本政府がこんな代物を用意していたことが意外だった。
とはいえ、この施設が健太が思っているものと決まったわけではない。壮大な見当違いが判明する前にもう少し胸に仕舞っておくべきだろう。
歩く速度を落とし、礼子の手を引きながら白衣姿を追いかけた。
さいわい目的の場所は遠くないようだ。
島本……博士、とでも呼ぶべきか。島本博士は巨大な壁に半分埋まったようなガラス張りのビルの玄関を、片手で押し開けようとしていた。厳つい灰色の外壁はパイプやら張り出しがゴテゴテしていて審美的要素は皆無で、ビルというより軍艦の艦橋構造物のようだ。キャットウォークのレベルごとに入り口が設けられている。
(つまりこの地下施設の司令塔だな)
島本博士は健太たちが遅れていることにようやく気付き、玄関のドアを押し開けたままこちらを眺めていた。
あの白衣姿は健太の母親を思いださずにはいられなかった。
先ほどから忙しく回っている頭の中でなにかがカチリとはまり、あの女性を知っていることに気付いた。昔いちどか二度、会ったことがあるのだ。
(母の研究仲間かな?)
まあ、もうすぐすべて明らかになるはずだ。
健太たちはビルの最上階に通された。角のこぢんまりとした部屋で、コンクリート剥き出しで窓を背にしたデスクがひとつ、その手前にソファーセットがひとそろい。ドアの脇に観葉植物が一本という殺風景な部屋だった。
「座って」
健太と礼子はソファーに腰を下ろした。
「いまみんな忙しくて飲み物も出せないけど、ごめんなさい」
部屋は二間続きになっているようで、島本博士は奥の部屋から缶コーヒーをふたつ持ってきて、健太たちの手前に置いた。
「いただきます」健太は冷えた缶を手に取りプルを押し込め、一口飲んだ。(無糖だ)少しがっかりしつつもう一口飲んだ。
礼子はコーヒーを手に取らず尋ねた。
「ええと……島本さん。ここはどういう場所なんですか?なぜわたしたちは連れてこられたんです?」
島本博士はデスクの縁に尻をもたせかけ、腕組みしていた。
「ひとつめの質問はあとでお答えしましょう。ふたつめの質問……」島本博士は健太を見た。
「浅倉健太くん。あなた浅倉……澄佳博士、あなたのお母様に連れられて、何度も高エネルギー開発センターに来てたのよ。覚えてる?」
「ええっ、と、あの、ぼんやりですけど覚えてます」
「そう。浅倉博士の研究についてなにか知ってたかしら?」
「子供だったから……」
「そうよね。あなたのお母様は、センターの名前の通り、次世代のエネルギー開発に携わっていたのだけど、それだけではないの」
健太はつばを飲み込んだ。なにか大事な話が始まったと直感したのだ。
「浅倉博士はそのエネルギー……【バイパストリプロトロン】を巡って世界が変貌することをいち早く見抜いた。そのための準備をすべきだと政府を見事説き伏せ、そうして生まれたのがここだった。わたしは亡くなられたあなたのお母様の意志を引き継いだ。あなたのお母様があなたに残した遺産も」
「遺産……?」
健太は身を乗り出した。いよいよだ……
というところで邪魔が入った。
背後でドアが勢いよく開き、同時に女の子の声が響いた。
「博士!忙しいんだからさ、早く降りてきて!隊長も困ってるんだから……」
「ああ、マリア、ちょうど良かった――」
「髙荷さん!」礼子が叫んだ。
「髙荷!?」健太も思わず言った。
「あら……」髙荷マリアは憮然とした口調になって言った。「若槻先生……それに」少女は健太をまっすぐ見据えた。
もともとキツイ感じの美貌だが、いまは完全に敵対モードだ。あんな顔で睨まれる覚えはなかった。新学期が始まって二ヶ月、ほとんどまともに会話を交わした試しもない。髙荷マリアはクラスでも孤立している。
「あんた……」マリアは島本博士に顔を移した。「博士、やっぱりこいつを当てにしてたのかよ!」
島本博士は肩をすくめた。
「こいつ呼ばわりだ?」健太は立ち上がった。声に苛立ちが滲むのを押さえられなかった。「てか、なんの話なんだ?」
「博士に聞けば?」マリアは素っ気なく言い捨ててくるりときびすを返した。肩胛骨のあいだまで伸びた黒髪(校則違反)をさらりと翻しながら。
「ドア締めて」島本博士が言うのと同時に乱暴にドアが閉まった。島本博士……やっぱり博士と呼ばれていた。博士はため息をついた。
「せっかくグッドタイミングだったのに行っちゃったわね……」
まるで健太に責任の一端があると言わんばかりにこちらを見た。
健太は無視してふたたび腰を下ろし、まずい無糖コーヒーを飲んだ。(糖分無しじゃ昂ぶりが収まりゃしない)
髙荷マリア。ドアを開けた開口一番の言葉は、学校ではついぞ見たことのない生き生きとした口調だった。身長170センチ。健太と変わらない長身。だれともろくに喋らず、いつも退屈そうに頬杖をついて窓の外を眺めていたのに。
それにあの格好。
学校とは対照的な態度に気を取られていたが、それでも彼女が身につけていた派手なスーツは印象に残った。ハリウッド映画にでも登場しそうな、レザーとプラスチックと金属で造られたぴっちりした深紅のスーツ。コスプレスレスレのデザインセンスだが、宇宙服やパイロットスーツのようにある種の機能を宿しているように見えた。
あんなもん着ちゃって、いったい髙荷はここでなにをしているんだ?
「髙荷さんはいったいここでなにしてるんです?」礼子がおなじ疑問を島本博士にぶつけた。「彼女は高校生なんですよ!それにうちはバイト禁止です!」
「彼女は三年前からわたしの元で働いているわ。児童虐待じゃないですからね念のため。日本国政府によって容認され、きわめて合法的によ」
「いったい何の話なんです――」
「分からない?あなた外で見たでしょう?攻撃が始まってるのよ。だれかが関東平野を爆撃した。わたしたちはそれに対処しようとしている」
「対処って……」
「つまりここは、戦闘……」健太はやや躊躇したのち、言った。「基地なんでしょ?」
島本博士はその通り、というふうに健太を指さした。
「そりゃすごいですけど、まだぼくたちがここに連れ込まれた理由がわかんないすよ。それに髙荷はどう関わってるんですか?まさかスーパー兵器のテストパイロットとかじゃないでしょ?」最後のひと言は努めて軽口ふうに付け足した。
島本博士は勝ち誇ったような笑みを目元に浮かべて言った。
「スーパー兵器のパイロットねえ……。まあ、そう言えば分かりやすいかしら」
健太の胸中を見透かしている。本当に知りたいのはもちろんそれよね?
健太は頭がぐらつくのを感じた。
話が無茶苦茶だ。冗談のつもり……というより冗談と受け流して欲しかった言葉をあっさり肯定された。
足元が急にふわふわしてソファごと沈み込みそうだ。退屈な日常からの脱却を願いはしたが、事態の展開は健太の許容量を軽く超えていた。
「それでね、健太くん。あなたも興味あるでしょう。わたしたちがこの――」
甲高い警報が鳴り響いた。健太の傍らで若槻先生がぎくりと身をすくめるのを感じた。
「たいへんだ!このサイレンが鳴ったらただちにコマンドに行かなくてはならないの」博士は机から身体を離してドアに向かった。「あなたたちも来て」
博士は通路を大股で急ぎ、突き当たりの螺旋階段を駆け上がった。
健太は白衣姿のあとを追いながら礼子と顔を見合わせた。
「浅倉くん。あの人ちょっとおかしいわ」
健太は頷いた。その意見には賛成だ。
しかし明らかに反発を覚えている先生と違って、もう少し詳しく話を聞きたい気がした。とはいえ……これ以上深入りすることには本能的な警戒が働いてもいた。
行く手には真っ暗な穴がぽっかり口を開け、好奇心に負けて覗き込もうとする健太を待ち構えている……そんな感じだ。
絶対やばいのに、覗き込まずにはいられないんだ。そして覗いたら最後、奈落に落ちて二度と這い上がれなくなる。
なぜか島本博士の鮮やかな口紅を思い起こした。
5
博士は三階分の階段を一気に駆け上がり、狭い通路の突き当たりの金属扉を開けた。
ただの扉ではない。軍艦の扉のような鉄製の代物で、開けるにはパスコードと手のひら認証が必要だった。
扉が重々しく開くと博士は「さ、入って」と手で入るよう促したが、隔壁扉の一段高くなった境目を踏み越えるのはなかなか緊張した。一歩進むごとに「やばいやばいやばい!」と頭の中で悲鳴を上げた。(今度こそ抜けられないぞ!)
内部は扉の物々しさに見合う場所だった。低い天井の室内は薄暗く、コンソールに座って忙しそうにしている人たちは、ずらりと並んだモニタースクリーンの燐光に照らされて、青白い顔だけが浮かび上がっている。
オペレーターの傍らに立ってモニターに屈み込んでいた男性が、博士の姿を認めて顔を上げた。
「博士」
「久遠くん、状況は」
「本体が現れました。高崎に降下、町を破壊しつつ利根川を越えようとしています」
「移動速度は?」
「時速およそ150㎞。進路は……まっすぐこちらを目指しています」
「あと20分もしたらご到着か……映像出る?」
「出ます」
久遠と呼ばれた男性がなにか指示すると、まもなく「映像出ます」という声と共に、部屋の突き当たりの大型スクリーンに外の映像が映った。
「無人偵察機からの映像です」
健太にはそれがなんの映像なのか分からなかった。
モノクロの荒いデジタル画像で、ブロックノイズが走り、画面自体も手持ちカメラのように揺れて焦点が合わない。サッカーボールがごろごろ転がっているようだ。カメラはそのサッカーボールを併走しながら追っている。ボールは巨大だった。カメラが近寄るにつれて見上げるほどの大きさになった。
ボールの手前を二階建ての焼き肉チェーン店が通り過ぎ、健太はようやくボールの大きさに見当が付いた。
(ものすげえデカイ……)
「エネミー01です」
「たまげた……本当にエネミー?」
「間違いないっす。コア放射反応を検知しています。やつの動力源は通常の反応炉ではありません」
さつきは頷いた。「あのボールの直径は分かる?」
「およそ30から40メートル……質量はまだ計測中ですが、たぶん軽いでしょう。二千トンてところかな」
「あれだけ軽快にゴロゴロできるんじゃね……あれなら川も簡単に渡ってしまうわ。橋が架かってるかどうかにかかわらず」
「はい、残念ながら」
「あんなでかぶつの侵入を許してしまうとは。防空監視はどうなってたのかしらね」
「博士が悪いんですよ。統幕のお偉方を怒らせるから……」
島本博士はうつむいて盛大に嘆息した。
「この期に及んで綱引きゲームとは……」顔を上げた。「あっちがその態度ならこっちだってやってみせるわよ……エルフガインコマンド起動準備!」
「了解!エルフガインコマンド起動、発令します!」
いつの間にか止んでいたサイレンに変わって別の警報が鳴り響いた。同時に頭上のスピーカーから女性のアナウンスが始まった。
『全部署に通達、全部署に通達。第一級戦闘態勢が発令されました。これより本施設は完全防衛体制に移行します。各部署は事前計画に従い総員配置。ヴァイパー機付チームは発進体制を急いでください。繰り返します――』
「マリアと二階堂さんと実奈ちゃんは?」
「すでに待機中です」
「それじゃ急ぎましょう。健太くん、若槻さん、こちらに付いてきて」
久遠が初めて気付いたかのように健太を見据えた。
「博士。本気なんですか?」
「本気よ」島本博士は素っ気なく言い残して久遠の前を過ぎ去った。
健太たちはなんとなく歓迎されていない雰囲気を感じながらあとに続いた。短い通路を進んだその先には横長の小さな部屋があった。奥行きは3メートル程度で横幅は10メートル。ロッカールームのようだ。それらしくベンチとロッカーが並んでいる。ロッカーの数は五つで、そのとなりにそれぞれ人ひとりが入れる大きさの円筒があった。
「健太くん、ここへ」
島本博士は左端のロッカーの前から健太を呼んだ。
ロッカーには大きく「1」とステンシルされていた。島本博士はロッカーの扉にはめ込まれた小さなモニターパネルに指を走らせた。タッチパネルでアイコンを押すたびに画面が切り替わる。
「登録認証」
『パイロット登録します。手のひらを画面にタッチしてください』
「ちょっと待てよ!」健太は思わず右手首をもう一方で押さえた。「パイロットってなんなんだよ!?」
「もう気取った言い方してる暇無いから言うわ。あなたはこれから、防空戦闘機ストライクヴァイパーのパイロットになる……あなたは徴兵されたの」
「なんだって……」
礼子が声を張り上げた。「ち、徴兵ですって!そんなの憲法違反でしょうに!」
「知ったふうな口きかないで先生。あなた左巻き?」
「そんなんじゃ……!わたしは浅倉くんの担任として責任があるんです!」
「健太くん」博士は礼子をなかば無視して健太の名を呼んだ。「わたしたちが三年間せっせと守り続けたマシンは、あなたのお母様が設計した。あなたはそのマシンを動かせるの。何度もシミュレーターに乗せてもらったでしょ?覚えてるわね?」
健太はだんだん顔を寄せてくる相手に小さく頷いた。
「大丈夫。あなたがいちばん適任なの。わたしたちはほかの人間を何人か試したけど、あなたほど上手くは操れなかった……」
さつきは健太の目を直視したままその両手を取り、硬く握った。「だからあなたにお願いしたい。外にいるあの怪物ボール、見たわね?あなたならあいつをやっつけられる。お願い。やっつけて!」
健太はためらった。
「ン?」博士は穏やかと言って良い笑みを浮かべて返答を待っている。その顔は十センチしか離れていない。
「わ……」健太はまっすぐ見据えられて身動きもとれず言った。「分かったよ……やりゃあいいんでしょ!」
「ありがとう……」島本博士の唇はいまにも健太の唇に絡みつきそうだ。かぐわしい吐息、甘い女の匂い、体温……。
負けた。なぜかそう思った。
博士は健太を見据えたままその手首を引っ張り上げると、タッチパネルにしっかりと押しつけた。
『生体認証入力中。パイロットは名前を言ってください』
「浅倉……健太」
『浅倉健太。一六歳。血液型B型。日本国、埼玉在住。登録完了』
ここのコンピューターには全住民の基本台帳でも記録されているんだろうか。知らない会社から届くダイレクトメール同様、いい気分はしない。
「これで良し」島本博士は掴んでいた健太の手首を放して一歩後ずさった。
勝ち誇った表情でも浮かべるものと思ったが、島本博士はほっとしたような心配しているような、思い詰めた表情を浮かべていた。
「浅倉くん……」若槻先生が言った。島本博士は礼子を振り返った。
「さっ、今度はあなたの番」
「は?」
「あなたも徴兵した。ちょうどいいでしょう?教え子ふたりと一緒に出撃できるんだから」
それを聞いて叫んだのは健太だった。
「ちょっと待ってくれ!シミュレーターとか動かせるのはおれだけとか、いままでの話はなんだったんだ!?」
「難しいのはあなたの担当部分だけ。残りは車の運転ができる若くて健康な人ならなんとかなる」
「だからってなんでわたしなんです……」礼子はじりじりと後ずさった。入口にたどり着いて、逃げようとしたのか身を翻すと、入口を塞ぐように待ち構えていた久遠にぶつかりそうになった。
「それはですね、先生」久遠は身を守るようにおもわず振り上げた先生の両手首を捕まえて、「3」と書かれたロッカーのタッチパネルに押しつけた。「適正ってものがありまして……。あなたはそれにぴったりなのです」
『生体認証入力中。パイロットは名前を言ってください』
「嫌です!」
『若槻礼子。二六歳。血液型O型。日本国、神奈川県出身、埼玉在住。登録完了』
電子音声が無慈悲に告げた。残念ながら声紋登録システムだったようだ。
「放して!」
久遠はパッと両手を広げた。礼子は顔を背け、手首を摩っていた。
「無理強いして申し訳ない」久遠は謝った。
「それじゃあ準備できたことだし、……久遠くん。ここカーテンあるの?」
「あります。マリアが付けました」
「それじゃあふたりとも、ロッカーの中の服に着替えてね。着かたはロッカーの扉の裏の画面に従って。着替え終わったらその場で言って。指示するから」
久遠が壁際のカーテンを引き、健太と礼子のあいだに仕切りを授けた。久遠がカーテンの裾から顔だけ覗かせ、健太に言った。「覗くんじゃねえぞ」
健太は憮然とした顔を向けたが、なにか気の利いた言葉を返す前に久遠はさっと顔を引っ込めた。
6
健太はロッカーを開けて中身を眺め、途方に暮れた。ダイバースーツらしきものがぶら下がっていた。足首まで一体の全身スーツのようだが複雑な構造物がゴテゴテとくっついているため、ちゃんと袖を通すにはどうすればいいのか見当も付かない。しぶしぶ扉のスクリーンに目をやり、着用方法を指示するビデオを再生させた。
まず、裸にならなければならないようだ。
ということは。
健太はカーテンのほうに目をやった。厚手のラバー製らしく、向こう側はまったく見えない。
健太はやや動悸を速めながら制服の上着を脱いでハンガーに吊した。いそいそと残りを脱いで棚に適当に押し込み、ついで吊されているスーツを両手に持った。見た目ほど重くないがかさばっていた。スーツの分け目をようやく見つけ出し、後ろ前を確認しながら足を突っ込んだ。裾を引き上げて両腕を袖に通し始めると、シューという音が聞こえた。スーツが勝手に動き始め、生き物のようにうごめきながら健太の胸と肩を這い上がった。
(うわわわ……なんだこれ気持ちわりい)
大事なところを吸われるような感覚に襲われ、おもわず腰が引けた。
(おうっ!?)声を漏らしそうになり慌てて口を押さえた。
ついで、後ろ側になにかがめり込もうとしているのに気付いて足を戦慄かせた。
(ぐおッ)
痛くはない……やがて異物の感覚そのものも消え、健太はほっとした。
「あふッ!」
礼子先生のとびきり艶っぽい声が聞こえ、健太は思わず耳をそばだてた。
「あっあっ、ちょっと待って!だれか助けて!健太くん!」
礼子の声がパニック状態レベルに跳ね上がった。健太はなにも考えず弾かれるように飛び出し、カーテンを押しのけた。礼子はベンチにうつ伏せ、片手でお尻のあたりを探っていた。
「先生!落ち着いて!」
健太は先生の肩を掴んで身を起こさせた。「痛くないから、落ち着いて!」
礼子がよろめき、健太は礼子の身体を抱いたままベンチにドスンと腰を落とした。礼子は半泣き状態で膝にまたがり、汗ばんだ上気した顔で悲しそうに健太を見た。あらぬ場所に異物が挿入されると、礼子は大きく背中を反らして喘いだ。
「嫌ッ……お尻に入ってくるっ」
礼子が健太の首にしがみつき、太ももが健太の腰をぎゅっと締め付けた。
「先生落ち着け……痛くないから。力を抜いて、深呼吸」礼子の耳元に囁いた。
「違うのっいまこんなところ刺激されると先生……あっ!」
シュル……ッ
かすかな水音が、聞こえると言うより礼子の肉体を通じて伝わった。健太は思わず礼子の顔を見た。礼子は途方に暮れ、しかしどこか上気した美貌でぼんやり健太を見返した。
「健太くん……」
「ハイ……先生……」
「だれにも……言わないで……先生ずっと我慢してたから……」
「ぼくはぜんぜん……」
礼子は震えながら熱い吐息を長々と吐きだした。
ぼんやり潤んだ瞳はなにか得体の知れない熾火を宿していた。
「ありがとう……」
「え、いえ」
「健太くんの手……優しい……」
「うえっ?」健太は背中に回していた両手をおずおずと引きはがした。
「立ちましょっ……か」
礼子が膝からゆっくりと降り立ち、つづいて健太が難儀そうに立ち上がった。ふと下を見て大事なモノがテントを形作っていることに気付いて、健太は狼狽した。
「出撃するの?わたしたち」
「そ・そうみたいです」
「もし無事生還できたら……」
健太は努めて下半身を無視して礼子に向き合った。
礼子先生はなにか言おうとしたものの、結局頭を振って断念した。
これからなにが待ち構え、なにをしなければならないのか分からない……しかし健太はなんの根拠もないまま言い切った。
「大丈夫。生還できます。きっとです」
先生は殊勝に笑みまで浮かべて頷いた。
とんでもないことをしろと強制されているのに、いまの健太にとって礼子先生を元気づけるほうがずっと重要なことに思えた。我ながらおかしな具合だ。男ってのは綺麗な人の前でこうも格好つけるもんなのか……。我ながら馬鹿だと思う。
『ちょっとお二人さん、支度はできたの?』扉の通話装置から島本博士の声が響いた。
「あー……」健太は礼子を見た。礼子はふたたび頷いた。「用意できました」
『それでは浅倉くんは1と書かれたシューターへ。若槻さんは3と書かれたシューターに入って』
「わ、分かりました」健太はロッカーの傍らの円筒を見た。エレベーターか?
まさか昔のアニメのあれか?
礼子先生も不安そうだ。
「とにかく、入るしかないのよね」
礼子は気が進まない様子で円筒の脇に据えられたボタンを探った。円筒の正面がせり上がり、中に人ひとりが立てる程度のスペースが現れた。健太も自分に割り当てられた円筒で同様の操作をして、中に一歩踏み込んだ。
あとあと考えてみると、島本博士がいっぺんになにもかも説明しなかったのは賢明なことだったのだろう。状況もあれこれ考えている暇もなく、健太たちは厄介ごとに巻き込まれ……妙な服に着替えさせられてこんなところに潜り込んでいる。このあとの展開まで具体的にブリーフィングされていたら、もっと二の足を踏んでいたに違いない。
円筒の扉が閉まり、健太は閉じ込められた。勢いでバンジージャンプを約束して、逃れようもない状態に追い込まれた気分だ。これがどっきりだったらお笑いだが、表のあの施設は冗談ではない。いったい何千億円かけて造ったのやら。
『用意できて?』
「はい、博士」
『それでは』円筒内の明かりが消えた。
ついで床が消失して、健太は奈落に転落した。
(ある意味予想通りの展開じゃん?)
落下する恐怖に引きつった心の片隅でそう思った。
6
島本さつきと久遠が詰めている発令所内は、一種異様な雰囲気が漂っていた。各部署から状況報告が届く。
「コマンド迎撃態勢整いました」
「エネミーは依然として接近中」
さつきがメインモニターを睨んだまま尋ねた。
「外で迎撃している部隊はどうなっているの?」
「あ~……」久遠はペンの頭で髪を搔きながら言った。「自衛隊はまだ一発も撃ってません」
「なに?」島本博士はおもいきり顔をしかめた。「ちょっとまさか……“自衛権行使決議"がまだ下されてないってンじゃないでしょうね……?」
「そのまさかみたいです……統幕はずっと作戦命令発動をせっついているらしいんですが、上からお達しが出ない状況で」
「ふざけてる!国土が攻撃されて死傷者が出ているのよ?なにを迷うことがある」
「え~……それはつまり……あくまで自分の予測ですが、上のお偉いさんたちは相手の正体が判明しないため腰が引けているのでしょう。だから我々に全部ふっかけようとしているのかと……」
「わたしたちになにを?」
「だから、我々が迎撃に成功したら追認というかたちで自衛権行使を正当化する。もし失敗したら……」
「わたしたちに責任を全部取らせるってことか……」
久遠は頷いた。「コマンドに責任者がいるんだから厄介ごとは全部引き受けさせようって魂胆……。そう思います」
「集団的自衛権とかなんとか、新しい交戦規則を定めてからもう何年経ったと……相手の正体が判明しないからと言うだけで……」さつきは頭を振った。「自衛隊を下がらせるよう要請して!」ぴしゃりと言った。「わたしたちの邪魔にならないところまで……災害救助に専念しててちょうだい」
「了解っす……」
久遠はため息を堪えて答えた。かれ自身自衛隊朝霞駐屯地からコマンドに出向している身だ。内心の複雑な心境を思い遣ってか、さつきはその二の腕をぽんぽんと叩いた。言い辛いことを統合幕僚司令部に通達するため直通回線を手に取った久遠の横を通り過ぎ、さつきはスタッフに告げた。
「ヴァイパー機全機発進プロセス、始め」
「発進プロセス開始します」
「ヴァイパー3をいちばんに。足の遅いヤークトヴァイパーを先行させます」
礼子は真っ暗なチューブを落下するあいだ死を覚悟した。
だがすぐに尻が滑らかなチューブを擦り、続いて斜めになったチューブの中を滑っていることに気付いた。礼子は明るい場所に躍り出た。恐ろしく広い地下世界……。先ほど見た基地か工場みたいな場所だ。だがその地下空間は、いまでは得体の知れない巨大機械が占めていた。礼子のチューブは角度を徐々に緩めながらその機械……というより乗り物、あるいはマシンと形容すべき物体に伸びていた。全部で五台並んだマシンの真ん中、ものすごく大きなV字型の航空機の隣に並んだ、四角い塊……・横倒しのビルみたいなマシン。礼子はそのマシンに向かって為す術もなく滑り降り、呑み込まれた。訳が分からないままいつの間にか滑空が終わり、礼子はひどく座り心地の良いシートに身体を沈めていた。
礼子は身を震わせ、シートの中で身体をかき抱いた。
ガクン。重い音が響き渡り、礼子はマシン全体が揺れるのを感じた。前方と頭上を覆っていた黒い壁が突然瞬き、まわりの光景を映しだした。基地が沈み込んでいる……いや、礼子の乗っているマシンがせり上がっているのだ。頭上に明かりが差し、礼子は上を振り仰いだ。白い空。外に出ようとしている。基地の天井がふたつに割れ、分厚い装甲シャッターを越えると、驚いたことに斜めの稜線……山の中腹に出た。
眼前には馴染みのある関東平野が広がっていた。
『若槻さん、シートにしっかり座って』どこからか島本博士の声が聞こえた。ヘルメットを被っていないのに耳元はっきり聞こえる。
「あ、ハイ……」
礼子がシートにふたたび座り直すと、肩からシートベルトのようなモノが垂れ下がり、腰のベルトと交差して礼子の身体をシートに固定した。
『ヴァイパー3、ヤークトヴァイパー。それがあなたが乗っている超重戦車の名前よ。いいわね?』
「えー……はい。せ、戦車?」
『落ち着いて。その機体はとてつもなく頑丈にできている。たぶんあなたはいま、埼玉でいちばん安全な場所にいるの。だから安心して前進させて。右手の操縦パネル……ちょうど手首のあたりにスロットルレバーがある。ごく小さなスティックよ。指先でそっと押してみて』
「ハイ……」礼子は消え入りそうな声で言うと、言われたとおり人差し指の先で小さなスティックを押した。ヤークトヴァイパーが身震いして、エレベーターから躍り出た。低く唸るようなエンジン音が後ろから伝わってくる。予期していたよりずっと早い。あっという間に数百メートルも進み、山を下りおりて平地にたどり着いてしまった。礼子の視界の下半分を占めるふたつのフェンダーが大きくせり上がり、礼子は驚いてスティックを放すと、ヤークトヴァイパーががくんとつんのめりながら制止した。フェンダーはおそらく鉄道車両ほどの大きさがあり、巨大なキャタピラを収めている。フェンダーは本体から独立していて、地面の起伏に追随するように出来ているらしかった。
礼子の行く手には道路や林が広がっていた。これ以上進みたくなかった。だが島本博士からそれ以上前進せよという言葉はなかった。
『良くできました。スティックを前に倒せば前進、逆なら後退、そして左右に倒せば向きを変える。簡単でしょう?機体の操作はゲームとおなじ。それでは左のボールみたいなのに手を乗せて』
言われるまでもなく礼子はその球面に手のひらを載せていた。それ以外に手の行き場がなかったからだ。
『そのまま親指に力を込めて。ボールを押し込むように』
礼子がそうすると、頭上のモニターに次々と十字マークが現れた。
「なんだかお空に記号がいっぱい……」
『そうね。ヤークトヴァイパーの兵装システムは全自衛隊の軍用ネットワークとリンクしている。それに加えてここ、エルフガインコマンドの集中防衛システムとデータリンクしている……けれど、そんなことはどうでも良かったわね。とりあえず人差し指で右から左にボールの上を撫でてみて』
礼子はモニターを見渡しながら言われたとおり指を動かした。すると十字マークが黄色から赤にずらりと変化して、数字と記号のアイコンに変わった。数字は高度と速度を表し、記号は敵機の種類と進行方向を表しているのだが、もちろん礼子にはちんぷんかんぷんだ。それで幸いだった……総勢百機あまりの攻撃型無人機とその親玉である巨大ボール、エネミー01が礼子めがけて殺到していたのだ。
『ヤークトヴァイパーは同時に1024の目標を追跡、人間サイズかそれより大きい256の敵に同時攻撃することが可能なの。現在は近接モード、半径10㎞以内の目標を捉えているところよ。それで……親指をもういちど押し込んで……』
礼子が親指に力を込めると、効果は劇的だった。礼子のまわりで無数のハッチが開き、ミサイルが発射されたのだ。同時に背後で大きな機械……戦車の大砲みたいなものが急速に向きを変え、礼子の頭上に二本の砲身を構えた。
「ひっ!」
圧縮ガスで収納庫から押し出されたミサイルが礼子のすぐそばで次々とロケットモーターを点火し、猛烈なバックブラストがヤークトヴァイパーの車体を揺すぶった。二本の砲身も射撃を開始した。240㎜口径の砲弾を0.5秒に一発……電磁軌条で加速するレールキャノンは火薬式ほどの派手な轟音は立てないものの、それでも戦車砲とは比べものにならない初速で大気と衝突した砲弾は爆発的な衝撃波を発生させた。
射撃は30秒間続いた。
120発の地対空ミサイルと同数の砲弾が空に放たれ、終わったときヤークトヴァイパーは100トンも重量を減らしていた。
島本博士たちが詰めている指揮所では、その場に居合わせた一〇名あまりが、固唾を呑んでヤークトヴァイパーの攻撃を見守っていた。
火器勢射が終了してヤークトヴァイパーがもうもうたる粉塵に包まれると、だれかが低く「ヒュー」と口笛を吹いた。たった三十秒で火力演習一回ぶんほどの弾薬を使いきったのだ。
エネミー01とその周囲に展開していた敵の無人攻撃機に次々とミサイルと砲弾が襲いかかり、無人攻撃機はたちどころに全滅した。多くの関係者にとって胸のすく光景であった。
しかし予想通り、肝心のエネミー01はあまりダメージを受けていなかった。
とはいえ音速の五倍で殺到した240㎜砲弾はさすがにエネミー01の足を止めた。敵もC3Iを形成していた無人機すべてを一撃で失うとは予想できなかったはずだ。
久遠が目を細めた。「相手はちょっと驚いているでしょうね……」
「そう願いたいわ。わたしたちが超巨大戦車を出してくるとは予想していなかったでしょう……あのボール野郎ほどのインパクトはないけれど」
ヤークトヴァイパーの全長は40メートル。礼子は漠然と「普通の戦車の10倍くらいの大きさ?」と思っているが、実際には全幅が25メートル、最大全高16メートルというヤークトヴァイパーは戦車と言うより陸上戦艦と呼ぶべき代物だ。全備重量は5000トンを超えていた。これは陸上自衛隊の一〇式改戦車120台ぶんに相当する。汎用護衛艦なみの重さだ。
だが、それでおしまいではない。
ヤークトヴァイパー上空を巨大なV字翼の機体が航過した。全翼機のように見えるが、B2と違って、翼下に巨大なコンテナ状のエンジンポッドをふたつぶら下げている。翼長50メートルという巨人機であるにかかわらずV―STOL機能を備えており、ゆっくりと高度を増しながら加速していた。
ヴァイパー2、バニシングヴァイパーだ。全備重量1500トンと、航空機としては異常な重さだった。これはボーイング787六機分に相当する。
礼子は、日も暮れようとしている雲天を遮るように羽ばたこうとする怪鳥のようなその姿を仰ぎ見た。ヤークトヴァイパーのコクピットは分厚い防御シールドに守られ外界の音は完全に遮断されているが、パイロットに外の様子を伝えるため、音量を絞ってスピーカーから流している。実際に車外に響き渡るバニシングヴァイパーの轟音は凄まじかった。1500トンの機体を空に持ち上げ、音速の二倍まで加速させるエンジン推力である。爆音は埼玉県のみならず隣接する県まで響き渡った。
エネミー01は進路を変えふたたび動き出していた。超重戦車――明らかにヴァイパーマシン――の出現に、相手の出方を伺いながら次の攻撃計画を練っている、というところだ。だがさらにもう一機、今度は超大型爆撃機が出現したのだ。無人機を全滅させられて制空権と情報ネットワークを奪われたエネミー01にとっては、爆撃機の出現はさらなる脅威であった。
「さあさあ」さつきは呟いた。「奥の手を出しなさい。それかとっとと逃げることね」
「逃がすのはまずいですよ。やつの母艦は日本海にも太平洋にも見あたらないようです」
「ロストしたってことなの?」
「おそらく……あんな怪物を運んできたんですから、母艦は大幅に改造されたタンカーか原潜でしょう。あのボールを発進させ、すぐに転進逃走したんでしょうね」
「じゃあ、エネミー01は特攻機なの?……生還は考えていない?」
「そう考えるべきかと」
「つまり……さんざん転がって暴れ回ったあとは、自爆するつもり……」
「可能性はあります。ものわかりよく投降して、バイパストリプロトロンコアを我々にプレゼントするとは思えませんね」
「するとあいつの目的は、なんだと思う?」
「第一に、わが国の戦略を見抜くこと。第二に……あわよくば我々のヴァイパーを破壊するか、戦略目標を破壊すること……この場合は首都圏か、奥多摩に貯蔵されたコアでしょう」
「それだとお互いにバイパストリプロトロンを失って共倒れだわ。意味がないように思えるわね」
「情報部の見解によれば、自前のバイパストリプロトロンを持ち、その開発に失敗した国は五つ。そのうち別の国から技術供与を受け、なかば属国化することで命脈を保っている国は三つです。そうした属国を従え、勝負のためにバイパストリプロトロン反応炉一個を犠牲にしてもいいと考えるのはおそらく……」
「アメリカね」
「ええ。探知されずに日本近海に近づけるのもあの国だけでしょう。同盟国と騙って隣国の弱みを握り、思い通りにこき使う。あの国らしいやりかたです」
「そしてその属国は……」
「カナダ」ふたりは同時に言った。
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