緊張の有無
「2年前の、あの白熊の相棒と一昨日俺は遭った。あいつは、このウォルストレンの国王を殺し、メルトライに逃げ帰る途中だった。
俺の家に、色々な物を補給しに侵入していた所に鉢合わせた。
まあ、結論から言えば、俺はお前が居るから殺されなかった。俺を殺したら、お前によって殺されるという確固たる事実があったから、俺は殺されなかった。気絶させられはしたが。
……スタックは殺された。
それの処理で昨日は色々と時間を費やす事になった。お前も多分、あの見晴らしの良い崖から見ていただろう? 俺の家に色んな人が来ていたのを。
それが、昨日お前に会いに行けなかった理由だ」
曇り空の日、疲れた顔をしたリドムはフリクトにそう言った。
血の臭いがリドムがいつも乗っている老馬だと言う事は、昨日見て知った。
今日、山まで歩いて来て、座って自分に話している最中、精神的に参っているのは鈍感な人間でも分かるだろうという位だった。
それが、気絶させられた後遺症なのか、馬を失ったからなのか、それ以外の要因なのか、フリクトには分からなかった。
獣以上に鋭敏な感覚と、その人間と同等の知能を最大限発揮出来ればそれを知る事も出来るだろうが、フリクトはまだ、そんなに長い時間を生きてはいなかったし、人間のように数多くの人間とふれあって来た訳でもなかった。
フリクトは、まだ、リドムより少し長い程度しか生きていない。殺されさえしなければ無限に生きられるという魔獣の中では、若過ぎる方だ。
リドムから血の臭いは少ししたが、それはリドム自身の血では無かった。リドムは全く持って無傷だった。
それに安堵したのもあるが、自分が居るからという理由で殺されなかったという事に怒りも抱いていた。そして、殺さなければ追って来ないだろうと軽視されている事に対しても怒りは湧きつつあった。
フリクトは角でリドムの腰のポケットを軽く突いた。いつもそこには、細かな意志疎通をする為の紙の文字盤があった。
取り出され、広げられた文字盤に足で文字を踏んでいき、文章を作る。
"その、リドムを気絶させた男を、リドムはどうしたいと思っているんだ?"
途中まで文章を作れば、リドムは察してくれる。リドムはその問いに対して、打ち終わる前に目を閉じて少しの間考えてから、言った。
「……俺は、殺しておいた方が良いと思うし、殺したいとも思ってる。メルトライという国に対して、お前ほど同情も抱いてないしな。しかし、あいつは多分、お前が追わない限り、騎士達には捕える事は出来ない。
だが、お前が俺が望む事をしてくれるとして、だ。
お前が殺しに行くとするならば、それは戦争の一端に参加する事にもなる。戦争には参加しないと決めたんだろう?
それに、1つ。奴を殺すという事は、魔獣、白熊アスピディの相棒を殺すという事だ。お前がアスピディの事をどう思っているかは知らないが、奴を殺すという事に対して、色々と考えた方が良いぞ」
そんな事は分かっている。
そうは思ったが、文字盤にそんな事を打つのは面倒だった。
その代わりに、フリクトは打った。
"僕も殺したいと思ってるが、それは単なる私怨だ。"
フリクトにとっては単に、リドムを危険に晒したから殺したいだけと結論付けていた。そこにおいて、戦争は関係ない。アスピディとも、もう仲良くもなれないのだから、関係ない。
この暖かい場所に居れば、アスピディはこっちまで来る事も出来ない。復讐される事も無い。
「……あくまで、俺は魔獣が自由である事を尊重する。決定するのはお前だ」
リドムは、そう言って、木に寄り掛かって、目を閉じた。
息を吐く姿はやはり、疲労している姿だった。
「それとだ。俺の足が動く事と、お前がこの山に居る事は薄々気が付かれているらしい。
……まあ、どちらも俺の性だ。すまない。
そして、1つ分かった事がある。確定的ではないが、お前の唾液には非常に強い治癒効果がある。
足が動く事に関しては、俺がお前の魔獣としての何かを身に付けたからだとも、勘付かれているみたいだ。この先、このまま生活をしていたら、完璧にばれる可能性はかなり高い」
こういう時、喋れる口を持っていない事が嫌になる。
目を瞑ったまま、リドムは言った。
「数年後には、お前が自由を求め続けるなら、戦争に参加しない事を貫き続けるなら、ここから去らなければいけないかもしれない。
俺と居たいとしても」
自分の唾液が画期的な治療薬になる。それを求めに来る人達がいつかやって来る。
容易に想像出来る事だった。そして、そう言う事になるのは嫌だった。
リドムには聞きたい事が沢山あったが、当のリドムは寝ようとしていた。邪魔しないでくれと、体が言っていた。
相当、疲れてしまったのだろう。気絶させられた事も、スタックという、フリクトにとってはその立場が羨ましかったリドムの愛馬が殺されてしまった事も、平穏が崩される事も、全てが騎士を辞めてゆっくりと過ごしていたリドムに、唐突に襲い掛かって来た。
騎士を辞めたと同時に、そう言う職業の人間が持つ独特な緊張感も失ったのだろう。だから、こんなに疲弊してしまったのだろう。
……仕方ないか。
フリクトはリドムの隣に座り、長い間考えた。
リドムが目を覚ました時、フリクトはもう、居なかった。
目の前の地面に、短く書かれていた。
"殺しに行く"
それを見ても、リドムは何とも思わなかった。




