世界は都合良く回らない
血生臭さが鼻を突いて、フリクトは目を覚ました。しかし、それは山の中に居る身としては普通の事だったので、フリクトはまた寝る事にした。
風上で、狼か何かが肉を食っているのだろう。
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腹の痛みと右腕の痛みはもう、大丈夫だ。動かせば痛みは生じるが、走れるし、動かせる。だが、問題は左腕だ。
骨折していてはもう、満足には動かせない。添え木をして固定はしてあるが、痛みは続いていた。
普通の動物でも、飼い主が危険に陥った時に助ける事があるのは分かっていた。ただ、それは主に犬の話であり、馬がそこまで飼い主を助けようとするとは思わなかった。
腹の中は走る度に鈍く痛む。我慢出来る痛みだが、地味に自分の体力を削っているのが分かる。
それに加え、これから先、行路は更に厳しくなる。奴は気絶から目を覚まし、すぐにでも兵にこの事を説明するだろう。そして俺が通る場所を推測し、重点的に捜索され、また、馬で早回りして待ち伏せされる。
馬を新しく手に入れられればそれが一番良いが、万全でない体で、それが失敗したら死は確実だ。
残っている道具も少ない。そんな危険な行為、どこも警戒中の今は出来ない。
ここまでも大体そうだったが、これからも自分の足だけで、まだ遠い、メルトライという終着点まで辿り着かなくてはいけない。
しかし、だ。五体満足でそれでも危機的な状況には陥ってない。まだ、絶望する程でもない。
広大な国土の中を、全て見張る事など不可能だし、また、どこかを通らなくてはいけないような険し過ぎる自然もここから先は待ち受けてはいない。
帰れない可能性は、俺にとっては皆無に等しい。無数にある帰路への選択肢が、有限になっただけの話だ。
ただ、本当に鹿の魔獣は俺を追って来ないのか? それだけが不安だ。
唐辛子の粉末等今は持ってきてないし、2年前の事を考えると、持っていたとしても大して効かない。耐性でも付けたように思える程だった。
もし、鼻に直撃させたとしても、少しの間だけ暴れるだけだ。しかも理性が残っている。持っていても持っていなくても大して変わらない。
この大きな方の弩を使えば殺せる可能性は僅かながらあるが、きっと、片腕が折れている状況で射れるのは1発だけ。急所に当てても即死するかどうかも分からない。
来たら、俺は物凄い幸運が無い限り、死ぬだろう。
とにかく出来るだけ早く、逃げなくては。
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目が覚めて、濃厚な血の臭いが鼻を突いた。暗闇の中、状況を少しずつ整理していき、すぐに疑問が浮かんだ。
この臭いは誰の血だ?
手探りで辺りを探ると、既に冷えた馬の脚に触れた。即座にスタックが殺されてしまった事を理解した。
……ああ、今まで生きていた中で最悪な目覚めだ。既にもう、あいつは逃げているだろう。用済みになった場所に居るような馬鹿ではない。
リドムは僅かな時間だけ放心した後、立ちあがり、松明を小屋の中から持ち出して火を点けた。
スタックは首を切られて死んでいて、近くには胃液に塗れ、咀嚼された干し肉と、血に塗れたリドムの刀が落ちていた。
俺を、助けようとしてくれたのか。そして、少しはあいつに攻撃を出来たものの、死んでしまった。
体が重くなるような、矛盾した鮮明な喪失感がリドムを襲った。
「お前も、人間の言葉を理解出来れば良かったのに」
そうであれば、自分は死なないという事も分かった筈だ。その位の知能があれば、その行動が殺されに行くだけの行動だと分かっていた筈だ。
都合良く世界は回っていないと分かっていながらも、仮定の話を考えずにはいられなかった。
そしてまた、リドムは僅かな間だけ目を閉じ、放心した。そして、溜まった物を吐き出すようにして息を吐いてから言った。
「…………すまんな」
すぐにでも、リドムはスタックを弔ってやりたかったが、その前にやるべき事がある。
あいつがここを通ったという事を、騎士達に伝えなくてはいけない。戦争に関わらないと決めたフリクトが追ってくれる事はほぼない。俺は至って無傷だ。あいつを追うのは、騎士達だけだ。
スタックの体から杖と足の器具を取り、もう一度「すまんな」と声を掛けてから、リドムはこっそりと走り始めた。
心身共に、嫌な疲れが溜まっていた。




