従順さを見誤った
リドムは自分からも質問をした。
「どうして、王を殺すという手段を取ったんだ? 最悪お前等の国民諸共滅ぼされるとは思わなかったのか?」
男は、それを聞きつつも、ゆっくりと歩き始めた。
その問いに答えるつもりはなかった。
メルトライという国は、自然に負けている国だった。何故、先祖がここに住み着いてしまったのか、それを恨みたくならない人は限りなく少ない。
戦争によって土地を奪えても、それはいつも僅かなものだった。その僅かな土地でも助かったのは助かったのだが、根本的に国民全員が裕福になる事は、幾ら戦争を繰り返そうとも長すぎる年月を掛けなければ、無理な事だった。
王を殺す事。それは一種の博打だった。掛けるものは大き過ぎて、得られるものの大きさは不明。そもそもプラスの結果になる可能性も低い。
それでも、そんな博打をしたい程に限界は近付いていたのだ。3国の裕福な暮らしを知ってしまった人が多いが為に。
男はリドムが喋り終えると、足を止めた。もう、喋る気も無かった。魔獣の鹿の相棒である男を気絶させ、馬を奪って逃げる。馬が従順にならなければ殺して逃げる。
やる事はそれだけだ。今、男はリドムが居る場所のすぐ側まで来ていた。物音一つ立てればリドムはすぐにその場から離れるだろう。
……どの位の傷を付けたら、魔獣の鹿は追って来るだろうか。
自分の相棒である魔獣の熊、オプシディを頭に浮かべて考えてみる。同じ魔獣だが、性格は違う。しかし、相棒を失いたくないという気持ちは同じだろう。
そうでなければ、あの2年前の冬、どちらも生き残るなんて結果は生まれていない。
さて。体を不自由にさせたら、絶対に追ってくるだろう。骨折はどうだろうか。微妙なところだ。
この弓を射ったらどうだ? 命に別状は無いとしても、同じく微妙だ。
この部屋を見ると、この男は今猟師をしているようだ。足が動かないままだからだろう。きっと。
あの冬の日以来、鹿の魔獣も戦争で見えなくなった事から、鹿の魔獣と共に戦争に関わるのを止めたのかもしれない。甘ったれめ。
武器を持っているとしたら、弓、爆弾、小刀、鉈。その辺りだろう。だが、すぐそこの壁に張り付いていて、ただ来るのを待っているとしたら、弓と爆弾は考えにくい。刃物を持っているのだろう。
……鹿の魔獣に追われない程度の傷しか与えずに、奴を気絶させる事。
今は騎士でなくて、且つ足が動かない人間だとしても、なかなか難しい事だな。基本的な技術は身に付いたままだろうし。
だが、やらなければいけない。俺を待っている奴も居る。
男はまた、ゆっくりと歩き始めた。絶対に音を立てないようにして。手には部屋にあった、魔獣の鹿の角が握られていた。部屋の中にあるもので、接近戦に一番使えそうなものだった。
また、機械仕掛けの弓、弩は握られていない。接近戦に使える物だが、使えば逆に自分の身が危うくなる可能性もあると踏んでいた。リスクは最小限に抑えたかった。
そして、日が沈んだ。黒ずんだ青色な空が辺りを覆い、粒の光が混じる闇が迫って来る時間帯になった。
男はもう、リドムのすぐ近くに居た。リドムからは死角ではあったが、そこから攻撃を仕掛けたとしても、ただではやられてくれないだろうと確信していた。
そして、この時間帯。殆ど暗闇になった直後の時間である、闇夜に人間の目が適応し始める頃。男は行動に移った。
肉食獣が狩りを行うような、無駄の無い動きで音も立てずに外へ飛び出し、リドムに角を突き出す。
しかし、当たった感触は無かった。長い時間待ち伏せをしていたのにも関わらず、集中は途切れていなかったみたいだ。
一段と暗い小屋の中に居た男は、リドムが持っている武器が、シルエットだけだが、鮮明に見えた。
小刀と長刀までとはいかない程の長さの刀。ただ、それよりも驚いた事があった。
両足で、しっかりと大地を踏みしめて立っていた事だ。足も不自由ではないみたいだ。
……知りたい。どうして、そんな治癒力を手に入れられたのか。
そう思いつつも、男は地面に仕掛けられている罠の位置を思い返しながらリドムに肉薄する。
長い方の刀で突きが繰り出され、最小限の動きで回避する。
そして、男は角を下から振り上げ、リドムは小刀を横に薙いだ。
小刀は真直ぐ男の首筋向っていた。角はリドムの体を滑らせながら顎に命中しようとしていた。
しかし、決定的な違いがあった。リドムは角を回避する為に腕を使えなかった。突きに出した右手は咄嗟には戻って来ない。男は、向ってくる腕を余っている手で弾き、小刀を首に届かせなかった。
そして角はリドムの顎に命中し、短く声を漏らしてリドムは後ろに倒れた。
すかさず男は両腕を踏みつけてリドムに馬乗りになり、言った。
「殺せないのは残念だが、気絶して貰おう」
そう言って、首を絞めた。当然リドムは暴れたが、そういう事を幾らでもやってきた男にとっては、気絶させるまでに時間は経たなかった。
ただ、敵はリドムだけではなかった。リドムの乗っていた馬、スタックが、主人の危機を見て駆けて来るのに気付いた時には既に時は遅かった。
スタックは運良く、小屋の周りに仕掛けられた罠に掛からずに男まで肉薄していた。小さい厩舎があったから、罠の場所を理解しているのかもしれなかったが、男にとってはどうでも良かった。ただ、運が悪いとその瞬間、それだけを思った。
人間では到底敵わないその脚力で蹴られ、左腕が折れたのを感じた。
「うがあああっ!」
鼻息荒く、馬は転がった男を更に蹴ろうとしてくる。
男がリドムの持っていた長い方の刀を右手で掴み、スタックはその腹を蹴った。途端に食べた干し肉が吐きだされ、後ろの壁にぶつかった。
刀を握り直す前に顔面に蹴りが飛んで来て、ぎりぎりで躱す。小屋に強い衝撃音が響く。
男は無我夢中で刀を馬の首に向って薙いだ。
切れた感触がした直後、生暖かい血が男の体に降りかかり、スタックが掠れた悲鳴を上げる。しかし、即死には至ってない。
もう一度、首を切ろうとした男に向い、スタックは最期に蹴りを入れようとする。それは刀を持っていた男の腕に当たった。折れはしなかったが、刀は手から落ち、同時にスタックも崩れた。
「ああ、はあ、はあ、くそっ」
倒れた馬に足を挟まれたが、折れていない事は不幸中の幸いだ。男は、折れてはないが強烈な痛みが左腕同様に走っている右腕で刀を握り直し、もう一度、馬に刃を突きたてた。
……ここから、すぐに逃げなくては。血の匂いは、強烈過ぎる。
血塗れになった服を脱ぎ捨て、新たな服を小屋から奪い、袋を持って男はふらふらと、出来るだけ歩き始めた。
死が身近に感じられた。




