折り返し地点
ちょこっと出て来た人が主人公です。
心臓の音は聞こえない。
極度の緊張を強いられる場所に長い間居たからだろうか。今、失敗してはいけない任務の佳境に居ると言うのに、俺は全くと言っていい程、緊張していない。
平常心、か。
平常と、いつもと変わらない気持ちである事。俺は、こういう事も平常な毎日に入っているのだろう。
そう考えながら男は、何度も入念に計算をし直し、風も考慮した上で、宿の個室に設置したものを眺めた。
それは、一際大きい弩だった。窓は開かれ、そこから斜め上に射出されるように設置されている。そして、飛ばす物は矢では無かった。
外からは暗くなり始めているというのに、人々の活気あふれる声が聞こえる。今日は祭りの日。ここに住んでいる人達は皆、羽目を外す日だ。
これからそれを壊す事になるが、男は罪悪感は感じていなかった。
唐突に鋭い笛の音が聞こえた直後、花火の音が響いた。それは、この国の王が大通りを籠に揺られて歩き出した合図だった。
色鮮やかな花火が、闇に染まり始めた空を明るく、儚く、幾度に渡って照らしている。王を殺したからと言って、劇的に何かが変わる訳でも無いだろう。しかし、変化が起きてくれればそれで良い。
弩に設置されている、飛ばされる対象は丸い爆弾だった。
ある合図によって、数か所に居る仲間が同時に王の入っている籠目掛けて爆弾を射出する。
男に課せられている任務は、この国の王を殺す事。そして、無事に帰る事。
屋根の上に、警備兵が沢山配置されている。
まさか、このような方法で暗殺が行われるとは思わないだろう。自分は敵国からやってきたとはいえ、弩は見ただけでは分からない程に分解し、爆弾も巧妙に隠した上で普通の祭りに参加する平民を装って来たのだから。
今は夏。雪国から来た身としてはうんざりする程嫌な暑さだが、体調は悪くないのが幸いだ。
男は弩の前に座った。後、やる事は合図が来たら弩から爆弾を飛ばすだけ。そして、逃げるだけ。
生ぬるい水を飲み、昼に買った果物の残りを口に入れた。
贅沢な甘酸っぱさは、何度も食べたのにも関わらず、男を感動させていた。そしてまた、恨みも湧かしていた。
何も長所が無い、貧しい雪国ではそんな物は全く食べられないものだ。この国では何を食べても大体美味しかったが、それは、助けられる事でしか到底豊かになれない自国を犠牲にしたものだった。
ただ、技術力だけは他の国よりは少しだけ進んでいる、と男は思う。
分解出来、尚且つ強力で精度の高い弩、また、片手で操作出来る小さな弩。火薬を使った武器のように天候に左右されず、大した技量も必要とせずに正確に狙える飛び道具など、他の国ではまだ作られていない。どちらも、男の出身国、メルトライだけの武器だ。
現に窓から見える警備兵が持っている弓も、少し何か施してあるとは言え、単なる長弓に過ぎないものだった。
ただ、もっと技術力を上げ、兵器に限らず様々な物を開発出来るようになったとしても、もう遅過ぎる。
メルトライに面している3国は全て敵に回してしまったし、その3国はメルトライを下にしか見ていない。貿易を持ちかけたとしても、よほど上手くやらない限り不利な条件でしか相手にしてくれないだろう。
その3国が、自分達の国、メルトライとの小競り合いを除けば至極平和だという事もそれに加担している。今、唯一勝っているこの弩でさえ、自分達が友好な関係となった時、彼らには大して要らないものになる。
花火が何度も鳴っている。ひゅるるる、と音を響かせながら空に飛んで行き、綺麗な火花を散らせて燃え尽きていく。
もう、そろそろだ。後、少しで合図が来る。
男は弩の引き金に手を掛けた。
花火が幾度も鳴る。緑色や紫色の火花が空を照らし続けている。球形に混じり、偶に楕円形の花火が飛んで行く。
やはり、心音は聞こえない。自分は集中している。これからやらなければいけない事も全てきちんと頭に入っている。
耳は外の雑踏の音も、部屋の中の時計の針の音も漏らす事なく捉えている。汗がたらりと背中を落ちて行く。痒みを感じたが、掻く事も無く、男は集中を続けた。
僅かな時間が経ち、無意識に脇腹を男は擦った。茶色く変色したまま、未だに痕は残っているその皮膚の部分は、2年前に負った怪我によるものだった。
魔獣である銀色の鹿による突進を受けて、複雑に枝分かれした角を突き刺され、空高く投げ飛ばされた事による怪我だ。
無意識に、男はその時の事を思い出していた。
そして、その時だった。
ひゅるるる、と共通して花火が爆発する前に鳴る音に混じり、一際甲高い音が聞こえた。その音は、王が籠の中に居る事と、また、その死に場所となる地点に籠がある事の両方を示していた。
反射的に、男は引き金を引いていた。




