魔獣は自由でもあり、それ故に縛られているのかもしれない
……結局の所、僕は都合の良い覚悟しかしてなかった。リドムと別れる覚悟はしていても、リドムが殺される事は覚悟出来なかった。
そういう事だ。熊も、相棒が殺されるのだけは御免だろう。
フリクトは熊と全く同時に、互いの相棒に向って歩き始めた。暫くの間、見つめ合ってから互いが出した結論は、同じかどうかは分からないが。
ただ、二頭に共通して言える事は、相棒を失う覚悟で敵を殺す必要はない、と考えた事だった。
フリクトにとっては選択肢は、殺して戦うか、そのまま帰るかの二つだった。しかし、熊にはもう一つだけ、選択肢がある。
それこそが、フリクトが一番不安な点であり、結論が一緒かどうか分からないと思う理由だった。
熊が持つ、もう一つの選択肢。それは、フリクトが熊の相棒である男から離れた今、フリクトを殺してから、リドム達も殺すという事だった。熊にはそれが出来る。
ただ。フリクトはそれを信じたくなかった。しかし、不安だった。
今、フリクトは熊よりもゆっくりと歩いている。もし、熊に殺気を少しでも感じたら、即座に男を人質に取る為に走って戻るつもりだった。
願望だけでは、何も得られない。失うだけだ。
木々を避けて、熊は普通に歩いて向かって来ていた。その、普通に歩いている様がまた、怖かった。
初めて、フリクトは純粋な強さに恐怖を覚えていた。それは、唐辛子をぶつけられる時のような恐怖でもなく、また、相棒を失うかもしれない恐怖とも違う、五感が鈍い人間でも通じる本能の根本から来る恐怖だった。
フリクトの足は、それでも震えはしなかった。その恐怖を感じて、怯えを見せてはいけないと思った。
目の前を向き、自身もいつも通りに歩く。そこに打算的な考えは無かった。
そして、フリクトと熊は、直近で止まった。
人間は、とても便利な意志疎通の手段を持っている。フリクトはいつも、それを羨ましいと思っていた。そして今も、それがあったらな、と思わずにはいられなかった。
喋れる口は、獣には無い。精々身振り素振りで感情を伝えられるだけだ。
目の前の、鼻や目以外全てを覆う白い皮鎧を着た熊からは、何も読み取れなかった。殺気のようなものは感じられなかったが、それ以外にも何も感じられなかった。熊も動こうとはしなかった。
ただ、遠くから見ていたように、長い時間二頭は何もせず、立っていた。雪が体に積もって来たので、フリクトは体を振るった。熊も、同じようにした。
鎧の隙間から、僅かに熊の色が見えた。真っ黒だった。鎧を着ているのは、防御の為ではなく、目立たなくする為だと分かった。
メルトライ人の為に、相棒の為に本当に尽くしている様が、見て取れた。
……僕は、結局どうしたかったんだろう。
――望むものを手に入れるには、それなりの代価を支払わなければいけないよ。
僕は、その代価を見間違っていたのだろう。結果としてだけれど、代価はリドムと別れる事ではなく、リドムが死ぬ事だった。
そしてもう、こうして戦ってしまった。僕は、メルトライの味方ではない。メルトライ人の寿命を延ばす為に戦う、初めて出会った同じ魔獣とは仲良くなれない。
フリクトは、少し頭を下げた。
……けれども、僕は孤独じゃない。何となく、こうしてみて分かった。
きっと、魔獣は他の場所にも居るのだろう。そして僕の様に、この熊のように、同じ人間という知能を持つ動物を拠り所にして生きているのだろう。
それが分かったから、孤独じゃない。
フリクトは、顔を上げ、同じようにただ立っている熊をもう一度見た。
別れよう。僕は、もう、この戦争には参加しない。
フリクトは、首を横に何度か振った。もう、戦争には参加しないと、伝えられるように。
熊は、そう身振りを示しても何も反応を示さなかったが、フリクトは何となく、自分は襲われないだろうと思った。
そして、横にずれてフリクトは歩き始める。それに合わせて、熊も歩き始めた。
二頭は擦れ違い、そして、同時に走り始めた。
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冬が終わる前。
メルトライは違う場所で、大量の人質を取る事に成功したらしいという情報が来た。
リドムは、その情報の中にフリクトに関する事が入っていない事を確認して、ほっとすると同時に落胆した。
目を通していると、魔獣の熊に関する情報が同時に載っていた。あの日から、頻繁に見られるようになっていた。
きっと、一人と一頭で誰も逃さないように始末するか、人質にするという形を取っていたのだろう。だから、今まで目撃情報も驚く程少なかったし、同じように生還者も驚く程少なかった。
そして、型にはまったようにと言うべきか、しっかり噛み合って動けていたからこそ、男が戦線に立てなくなった今、目撃情報が増え始めている。
全く分からなかった魔獣の対策が少しずつ取れるようになった点では、リドムはそれなりに活躍したと言えた。しかし、リドムはそんな事どうでも良かった。
フリクトは、リドム達を拠点まで送り届けてから、誰も知らない内にどこかへ去って行った。
何があったか、リドムは回復した後に問い質されて、最初に一言、言った。
「銀鹿、フリクト・シルリェトは多分もう、これから先も、メルトライの戦争では戦力にはなりません」
男の言う正しさに、感化されたのだろう、とリドムは思った。その時、どのような感情を持って自分がそれを言ったか、リドムは覚えていない。
また、リドムは何が起こったのかについても詳細を話したが、自分が為した成果と言うものも傍から見れば大した事ではなく、それに加え優秀な足であるフリクトを失った事も加えて、罵倒される日々がかなり続いた。
日々が過ぎていった。リドムは快復したものの、実質的に動けなくなったので、雑務をこなしながら後方支援として過ごしていた。ライルは既に、戦線に復帰している。
ただ、フェライだけは雪の中に長い時間放置され、矢傷も応急処置もされずに放っておかれた性で、戦線を離脱し、療養する事になったが。
リドム達が熊と男に遭った日から、熊の目撃情報が極端に増え始めたのが知られるに連れて、リドムの罵倒は少しずつ減って行った。それと同時に、評価する人も多くなってきた。
ただ、そうなっても、リドムは自分が為した事に対しても喋る事も無く、罵倒した人に対し何かを言う事も無かった。今あるのは、少しの虚無感だけだった。
リドムの中では、全てがもう、終わっていた。リドムにとって、戦争は終わっているのと同じだった。
フリクトは、今どこに居るのだろう。メルトライに居るのだろうか。それとも、どこか違う場所に行ったのだろうか。
目的も無く去って行ったフリクトの行方は、リドムを含め、誰にも予想する事も出来なかった。




