恐怖には種類があると知った
何故、リドムは落ち着いて話していられるのだろうか。この中で、一番死ぬ可能性が高いと言うのに。いや、確実に死ぬとしか思えないのに。
目の前の男が、リドムが言った言葉に怒気を含めて返した。
「お前等は単に領地を守る為に、既に裕福で豊か過ぎる土地を守る為に戦ってんだろ? 知ってるんだよ。酷暑でも大して誰も死ななかったってな。
こっちは少しでも何かが変わってしまうだけで、その度に大勢が死んでいるんだ。
大したものも作れない土地ばかり、家畜も多くはいない。魚も大量に獲れる事はない。それに比べ、お前等は全てに恵まれているだろうが。
これと言ったモノが無いから、こうなる前に貿易の話を持ちかけても全く相手にされなかった。今、こうやって小競り合いを何度も仕掛けても、お前等は侵略しようともせずに、国として併合もされず、俺達はただ飢える日々を過ごすだけ。
……熊の事を死神とか言っていた奴も居たが、俺達にとってはお前等の方が死神に相応しい」
フリクトには、戦意も余り無くなっていた。もう、直感的に分かっていた。熊とは仲良くなれないと。熊もそう思っているだろうと、フリクトは確信していた。
単に自分の孤独を晴らしたいだけで戦争に参加した自分と、相棒となる人間の寿命を延ばしたいが為に戦争に参加している魔獣の熊。
熊は自分を見た瞬間から分かっていたのだろうか。温い、人間で言う、他人の為には何もしない腐った貴族のような自分を。
裕福な土地を守る為に戦っているフォルトルース、ウォルストレン、ラインスプル。飢餓から少しでも抜け出そうと必死になっているメルトライ。
フリクトの思考は人間社会に適応しようとした性からか、人間に限りなく近くなっていた。しかし、不幸な事に目を瞑る事にはまだ、そこまで慣れていなかった。
男の言った事に呑まれそうになっていた。
戦争に正しさは無いとハリクルが言ったのを覚えていたが、フリクトにとってはメルトライの方が正しいようにしか思えなかった。
「確かに、正論だと、俺も思う」
リドムはぼそりと言った。
「俺は、銀鹿フリクト・シルリェトの望む事を知りたいが為に、戦争に参加した。単に好奇心だけで、お前等によって左足が動かなくなっても無理をしてここに来た。フリクトも、自分だけの望みを叶える為にここに来た」
そんな身勝手な発言に今にも目の前の男は指を引き、機械仕掛けの弓から矢を射出しようとしていた。しかし、耐えていた。
殺したら、その瞬間に人質は人質として意味を為さなくなる。男はリドムを殺したら、自分に殺されると分かっている。そして、フリクトが思った事を、リドムは言った。
「しかし、死にたくないのは誰だって一緒だろう?」
そうして、掠る音が聞こえた。
戦意が失われつつあったのもあり、フリクトはどうすべきか一瞬迷った。そして、それがリドムを助けた。
もし、フリクトがその音を聞いたと同時に男に攻撃を仕掛けていたら、男はリドムを即座に殺しただろう。人質は、自分が安全になる為に使う物だ。安全でなくなったら、生かしている意味が無くなる。
男はリドムに弓を向けたまま、リドム同様に身に付けていた小物入れから袋を出した。フリクトはそれが唐辛子の粉末だという事を直感する。
後ろでは火が弾ける音がする。目の前では唐辛子の粉末が自分に投げつけられようとしている。背筋が凍るのは、今日で二度目だった。しかも、最初とは比にならない。
その時、熊が叫ぶ声が聞こえた。
それは、怯える自分を奮い立たせるような、また、確固とした殺意を持った叫び声だった。その叫び声はフリクトに思わせた。
ああ、リドムが死んでしまう。
恐怖の質が違った。自分に唐辛子の粉末が投げつけられる事なんて、忘れた。
出来る事は一つだけ。声の聞こえた位置からして、熊は立ち上がったみたいだった。爆弾が爆発するまでのほんの少しの間だけ、時間を稼げればいい。
フリクトは後ろ脚を、真後ろに滑らせて、リドムの足を蹴った。実質的に片足で不安定に体重を支えていたリドムの体は容易に安定を失い、転んだ。
転んだリドムの背が、踵に乗ったのが分かった。そして最後に、フリクトはリドムの背の端を蹴り上げた。
リドムが呻き声を上げて、横に滑って行く。その時既に、リドムの手に爆弾は無かった。
フリクトが蹴ったと同時に男の手からも、唐辛子の粉末が入っているであろう袋がフリクトに向って投げられた。
二頭の魔獣は、同時に弱点を突かれた。




