正義は正しくない
フリクトが角を雪の中から引き抜くと、中から男が現れた。角に胴体を持ち上げられた形で、両手にはその小型の弩、言うならば機械仕掛けの弓をそれぞれ持っていた。そして、両手は自由だった。
視線が合い、フリクトが男を投げ飛ばす前に、男の左腕が素早く動く。リドムの細剣を握っている右腕も呼応するかのように動いた。
男は投げ飛ばされる直前に狙いが定まり、引き金を引いた。留めてあった弦が金属と木を使って作られた弓の弾性力によって、目に見えない速さで元々の形へと戻って行く。
弓は矢を道連れにして元の形に戻り、最後に矢を対象へと送り出した。
何も無ければ、刹那の時間で対象の心臓は貫かれただろう。だが、対象への軌道に細剣が割り込まれて入って来る。矢はその柄に入ったままの細剣で弾かれ、くるくると回って、貫通力を失い雪の上へと落ちて行った。
そして、男は上空へと投げ飛ばされた。
しかし、フリクトの力が強かったのと、そして、何よりも男が両手に大きい武器を持っていても身軽な動きが普通に出来た事が、男を助けた。
男は空中で姿勢を立て直す時間が出来、自らの角で落ちて来る男を串刺しにしようとしたフリクトを蹴り、後ろへ跳び、距離を置いて着地した。
ただ、リドムはそれを見ていなかった。
熊はすぐ後ろまで来ていた。リドムはフリクトから降りて、爆弾の導火線に今にも着火しようとした姿勢のまま、正面切って熊を牽制していた。
男は用済みになった機械仕掛けの弓の1つを捨て、フリクトが突進する前にその後ろのリドムへ狙いを付けた。
フリクトは動けなかった。
魔獣の鹿と熊に挟まれてリドムが居る。そのリドムは魔獣の熊と、ライルとフェライを戦闘不能にした男に狙われ、その男はフリクトに狙われていた。
誰かが動けば、リドムか男、どちらかが死ぬのは確かだった。
風の音だけがしている。二頭と二人、誰も動かなかった。
そんな時、男が口を開いた。男に背を向けて熊と対峙しているリドムは、振り向く事が出来なかった。
「……人質に出来る可能性は少ないと思っていたが、やるもんだな」
きっと、俺はあの機械仕掛けの弓で狙われているんだろうなと思いながら、リドムは返した。
「俺の事か」
「この銀鹿は前の相棒を失ってから、長い時間は経ってないからな。短い時間でそんな関係が作れるとは余り思えなかった」
それは、フリクトがハリクル・トルレを失った時にこの男はその場所に居たと言っているようなものだったが、それよりもリドムにとっては驚く事があった。
この男と目の前の革鎧を着た熊は、俺とフリクトと同じような関係なのだろうか。そうとしか考えられない。
リドムが言葉に詰まっていると、男はまた、口を開いて喋り始めた。
「魔獣ってのは、孤独な生き物だ。獣でもなく、人間でもない。だが、知能を持っている分、体は獣でも習性は人間に近いものになって来る」
「……何が言いたい?」
「絆、信頼、親友。そういうものに強欲だって事だ」
それを言われ、リドムははっとした。体が微妙に動いたのは、後ろにいる男も分かっただろう。
漸く、リドムはフリクトが望んでいるものがはっきりと分かった。そして、それを男が代弁した。
「お前は熊の魔獣に会う為に、こいつを利用して戦争に来ているんだろう?」
フリクトがどう反応したかは分からなかった。リドムには、想像もつかなかった。
「……この熊は、何故、戦争に参加してるんだ」
「やはり、こいつも、こいつ自身の為さ」
「それは分かってる」
「……メルトライの人間の平均寿命を知ってるか?」
何を言いたいのか分からないが、リドムは返す。
「知らないな」
「お前等の三分の二にも満たない」
それを聞いても、余り驚かなかった事に、リドムは驚いた。その位は当然だろうと思っていた自分が居たという事だ。
「それは、この鹿の二分の三倍以上の早さで、相棒となる人間が死んでいく事を意味している」
そこまで聞けば、リドムもこの熊の目的を理解した。
「相棒となる人間の寿命を延ばす為に、メルトライという国を豊かにしようとしているのか」
リドムが何を言っても、熊はただ獲物を見る目でリドムを見ているだけだった。きっと、話の途中でも隙が出来たならば、殺しに来る。圧倒的強者によって命を狙われているというのに、恐怖心は余り無かった。この爆弾に恐れをなしているというのが分かっているからだろうか。
それに……こいつには、フリクトも眼中にないのだろうか。
「こいつは、銀鹿には興味は無いのか?」
そう言っても熊は反応せずに、男が答えた。
「聞いた時は、分からないと返したな」
分からない、か。確かに、相性として一番大切なのは性格が合うかどうかだろう。会ってみなければそれは分からないというのも頷けるが。
「同じ魔獣として興味があるかと、聞いているんだ。お前に」
フリクトが望んでいるのは、魔獣同士の関係だ。この熊は、同じように考えているのか。
けれど、熊は頷きもしなかった。
「無駄だ。こいつは、信頼してる人間の事しか聞かない。特にお前等、メルトライ人でない奴の事なんて絶対に聞かない」
その理由は、聞かれなくても何となく分かった。
ただ、敵だからという理由ではない。勝手な想像が多く入るが、それは当たっているだろうとリドムは思った。
「俺達、メルトライに小競り合いをされている国々の兵士は、正義として戦争に参加しているが、それに正しさは無いからか」
正義と正しさは全くの別物だ。
誰も動けないまま、話は続いた。リドムは、動ける誰かが来ない限り、この硬直は続くだろうと思っていた。




