お腹が減りました
リドムにとって、素振りをしている最中だけは何も考えなくて済む時間である……筈だったのだが。
銀鹿はそれにお構いなくリドムの視界に入って来て、そのまま幾つにも枝分かれをしている角で剣を弾き飛ばしてしまった。
「不満に思っているようだな」
強引に、自分の手に握られていた剣を飛ばされてしまった事に驚きつつも、リドムは歩いて来たライルに目を合わせて言った。
「飯まで、何かするか?」
そして突き飛ばされた。
突き飛ばされた2人は、銀鹿が何かをまだ要求しているような気がして、色々な事を聞いてみた。
どうやら、何か食べたいらしい。
ライルが言う。
「どうする? 俺は鹿が何を食べるか知らないぞ。とりあえず、畑にでも行ってみるか?」
「どれも、百姓にとっては迷惑だろ。そうだ、朝飯までまだ時間はあるよな?」
「と言っても、二刻あるかないか、しか無いと思うぞ」
「二刻か……少し微妙だな」
リドムは銀鹿に向けて言った。
「市場まで、往復で馬だと三分の二刻は普通にかかる。お前の脚力はどの位だ? 馬より速いのか?」
銀鹿が頷く前に、ライルが言った。
「魔獣について、本当に何も知らないんだな。多分、脚力は馬の比じゃないぞ。ま、馬の魔獣が居たら、そっちの方が速いだろうが」
「……後の一言は余計だと思うぞ」
ライルはまた、芝生に背を付けていた。
「市場に行くのか?」
「食いたいものが分からないなら、行くしか無いだろ。行かないと、また突き飛ばされそうだし」
「……おい、鹿の方が主人のようだぞ」
「その分、役に立ってくれるんだろ?」
銀鹿は頷いた。
「着替えと、金を取って来る。ライル、お前はちょっとここで待っていてくれないか? 誰か来た時に、誰も居ないと困る」
「分かった」
普段着に着替え、クローゼットの中に隠してある財布を取る。中身を確認するが、今日で金を全て使ってしまうという事は無さそうだ。
今は月末、給料日の前。金庫から金を引き出す事は出来るだけ止しておきたいが、リドムは少し不安に思った。
何人かは起き始めていて、食堂や、娯楽室で雑談をしていた。適当に挨拶を交わしながら、リドムはすぐに外に出る。
幸い、外にはまだ2人を除いて誰も出ていないようだ。
「俺も行くぞ」
そう言い、ライルはリドムが出て来るのを見てから、厩舎に向った。
「さて……鹿に乗るのは初めてだな」
飛ばされた剣を拾ってから、銀鹿に向き合った。
馬より背丈はやや小さいし、鞍も手綱も鐙も無いが、長距離を移動する訳ではない。乗るには問題ない。
銀鹿はリドムが近付くと、しゃがんで乗りやすいようにしてくれた。
「どうも」
乗ってみると、この銀鹿が魔獣である事を体感出来た。
頑強な筋肉で体が覆われており、下手な攻撃は通じない気がする。
馬よりも速いというのも、実際に見てみる前に実感してしまう。
「手綱は要らないな」
角を持つと、しっくりとした。
走れる準備が出来た所で、丁度ライルが馬に乗ってやってきた。
「さて、行こうか」
2頭は一緒に走り出した。