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Deer! and Bear?  作者: ムルモーマ
暑さと寒さに苛まれて
36/65

僕は世界を知らなかった

 脚の痛みは酷かったが、リドムは出来るだけ目の前の事に集中しようとしていた。

 目の前の空間を見れば見る程、リドムの中の違和感は増していった。

 そもそも、フリクトの身体能力を考えればこんな光景すらおかしい筈なのだ。嗅覚は犬より優れていると思える。視覚はともかく、聴覚も人間よりは良いだろう。そして、膂力は馬よりも優れ、体を覆っている毛皮は簡単な事では傷付いたりしない。

 自分を小屋の倒壊から身を張って助けてくれた時でさえも、フリクトは大した怪我を負っていなかったのだから。

 それに優れた五感があるのだから、不利になるような状況になる前にフリクトは手を打てる筈だし、罠にも掛かるとは思い辛い。

 フリクトが誰かに狙われたとして、その後に残る一番自然な光景としては、角で突き飛ばされたり、その重量で踏まれたりされて返り討ちに遭った人間がばらばらと倒れている光景だと、リドムには思えた。

 こんな小さな場所だけで暴れた様な光景は不自然だった。

 それに、ここで暴れたとしても、そこまでこの場所は荒れていない。至る所が抉られて、腐葉土と枯葉が滅茶苦茶に掻き混ぜられたような程にはなっていなかった。それに、血も全く無い。隠そうとしたって、臭いは残るし、そうすれば死肉を狙う獣が集まって来る筈だ。

 ここで、流血沙汰までは起こっていない。

 そこまで結論を出してから、リドムはここで起こった事が見えて来た。

 フリクトは確かに、何者かに襲われただろう。それが単なる盗賊の類だったのか、それともメルトライのスパイとかそういうのだったかは分からないが、多分、フリクトは脅迫をされた。

 全員が唐辛子の粉末のような物を持っていたか、それとも寝ている自分達に総攻撃を仕掛けようとしているとか言われて。

 ハッタリにせよ、特に後者はフリクトにとっては確かめようがない。優れた五感があっても、ここから野営している場所までは結構距離がある。感知しようがない。

 ……ああ、唐辛子の粉末を全員が持っていたとしても、この場所なら機動力も失われない。フリクトなら何とか出来る気がする。とすると、騎士達、要するに俺を人質に取ったとハッタリをかまして連れ去ったのか? 可能性は高い。

 連れ去られた事はほぼ間違いない。俺の推測だけではなく、現にフリクトが現れないのがその証拠だ。

 リドムは少しその場で悩んだ。このまま1人で追うべきか、仲間を呼んで来るべきか。

 フリクトが連れ去られてからは余り時間が経っていないように思えた。腐葉土に触れてみると、まだ、空気に触れて長時間経っていない暖かさと湿り気があった。

 多分、仲間を呼んで来るより前に、追いつけるのではないか?

 リドムには、大勢を相手にしても使えるような武器を持っていた。それに、痛みが思考を単純化させた。だからこそ、そんな無茶な事をしようと思ったのかもしれない。

 リドムは杖を片手に持ち、細剣を抜いて、痕跡を辿って歩き始めた。目印として、木に傷を付けておいた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 重い足枷と首輪を嵌められ、フリクトはメルトライのスパイと思われる人間に囲まれて歩いていた。全員が抜き身で剣を持っていて、唐辛子の粉末らしきものも持っている。今の自分では抵抗しようとしても、今は無駄だろう。

 リドムが思った通りの嘘かもしれない言葉に嵌められ、こうなってしまっている訳だが、フリクトはそんなに焦ってはいなかった。

 今はただ、耐えていた。こいつらが自分を殺さずに利用しようとしているのは、酷いミスだと思っていた。自分が枷を嵌められて、ゆっくりとしか歩けないという演技にも、彼らは気付いていなかった。


 フリクトは自分の感情が自分の身体能力に直接影響している事に、はっきりとは分かっていなかったが、本能的に知っていたのかもしれない。

 自分の中で怒りが溜まっているのが分かっていた。ハリクルと別れてしまった原因を作った人達であり、リドムを殺そうともしている人達であり、魔獣と会う機会を台無しにした人達でもあり、そして今、自分を意のままに操ろうとしている。

 怒りが静かに溜まっていくのと同時に、枷が軽く感じられていくのはフリクトにとっては当然だった。

 ……殺しても良いだろう。

 焦りの無さは、自分に対する絶対的な自信だった。

 リドムが思った通りにフリクトは嵌められた。ただ、その嘘が本当である可能性が拭いきれない。だが、本当だとしても、人質というのは生きていてこそ効果を発揮するものだ。すぐに自分が暴れたという情報を伝えられないならば、人質は居ないと同じだ。

 リドム達が野営している場所から十二分に離れた時点で、彼らに隙が無くともフリクトは暴れるつもりだった。静かにだが、怒りはもう溜まり切っていた。

 

 時間が経った。もう、良いだろうとフリクトは思った。単調にスパイ達は歩くだけで、喋りもしない。

 いきなり暴れれば、この輪からは簡単に抜けられる自信はあった。

 静かに体に力を込め始めた、その時だった。

 聞きなれた、矢を放つ音が遠くから聞こえた。スパイ達が一斉にその音に向って反応し、準備をしていたフリクトは思わず前のスパイに向って突進した。

「逃げろ!」

 ……何故だ? 角がスパイの服と鎖帷子を突き破り、腹に突き刺さった状態で、フリクトはリドムが言った事に疑問を抱いた。

 矢が空気を切り裂く音が聞こえ、一瞬で迫って来る。

 それは、スパイ達の目の前で小さな爆発を起こし、フリクトはその瞬間、リドムの言動の理由を知った。

 そして、自分のやって来た事は無意味だったのだと悟った。

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