こういう雨は嫌だな
流石に無茶をしたか……。気付いた時には満足に体を動かすこともままならなくなっていたのにも関わらず、冷静にリドムは考えていた。
小屋まで戻ってから、びしょ濡れの服を脱いで、何かしらの物を食べて温まってから寝る。そうするのが最善だろう。
これからの段取りを考えつつ、今日の鍛錬を終わりにする。今は暗くなりつつあったが、真っ暗闇ではない。自分に課した事は出来ないで終わるが、これ以上続けていたら最悪生死に関わってしまうかもしれない。
心惜しい気もしたが、常識に従ってリドムはフリクトに戻るよう言った。
猟師達がいつも使っている小屋まで中々の距離があるが、急いで貰おう。
フリクトが山を駆け下っている最中に、どうして今まで気付かなかったのか不思議な程に、リドムは自分自身が弱っている事に気付いた。ただ体がだるく、冷え切っているだけではなかった。弓をずっと握っていた手も、握力が弱まっていた。息も少し荒くなっていて、終いには眩暈も覚え始めていた。
フリクトはリドムの弱々しい口調からか、体調の悪化に気付いたみたいで、乗っているリドムに揺れが極力伝わらないように素早く山を駆け下りていった。
小屋の前に着くと、危なっかしい動きでフリクトから降り、ふらふらと歩いて粗末なドアを開けて中に入った。小屋の中は雨漏りなんてしておらず、外に比べるとじめじめしていないのが嬉しかった。
フリクトも中に入り、生え変わって伸びつつある角でドアを閉めた。
リドムはすぐに火を灯して裸になる。脱ぎ散らかした服からは、水が大量に染み出していた。
裸になってから、そこらにあった布で体を拭いて、震える体で中にあった毛皮を掻き集めて体に巻く。
干している途中のもあっただろうが、勘弁してもらおう。質が下がってしまったとしても、最悪俺が全部買い取れば良いだけの話だ。それに、そもそも殆ど俺が狩ったものだし。
フリクトの鞍の脇の道具袋を外し、その中の携帯食を食べた。味気なく、土粘土のような色のものだが、腹は十分に膨れる。水筒から生ぬるい水を飲んでから、横になった。
夏なのに、暖かさに安堵するとは笑えるものだ。
そう思ってから目を閉じて、眠った。
フリクトは、リドムが寝息を立て始めたのを見届けてからまた外に出た。そして、すぐに戻って来て、同じように火を囲んで寝た。
真夜中、短い睡眠を取ってからフリクトは起きた。火は殆ど消えていて、リドムの汗の臭いがした。
臭いはきつく、大量に汗をかいているのが窺えて、また、浅い呼吸も聞こえる。どうやら、かなり辛いようだ。自分に出来る事は殆ど無いが、ただ、騎士という人間が弱くない事も知っている。時間が経てば勝手に治るだろう。
冬が来るまで、もう半年程しか無い。待ち望んでいたとは言え、情報が入って来るに連れて不安にもなっていた。
熊の魔獣はラインスプルとの戦争でも出たらしい。ただ、目撃者は少なく、どの位の人数がその熊の魔族にやられたかも分かっていなかった。何故なら、メルトライがかなりの数の人質を取る事に成功し、戦地であったラインスプルの領地を奪ってしまったからだ。
死んだ騎士達の大半は雪に埋もれたまま帰って来る事は無く、死因を調べる事さえも出来なかった。
別に、知らない人間がどうこうなろうがフリクトには興味も無い事だが、浮かんでしまった、嫌な懸念が当たってくれなければ良いと思っていた。
その熊の魔獣が単なる戦闘狂である、という。
ラインスプルが数人のメルトライの騎士を拷問して手に入れた、僅かな熊の魔獣に関する情報。それは、唐辛子の粉末がその熊の魔獣、オプシディを制御する為に数人に配られているという事だった。
……たったそれだけしか情報としては手に入らなかった。その、オプシディに関する情報はメルトライの中でも極秘事項に入る事なのだろう。
それを聞いて、フリクトはその懸念を浮かべてしまった。
元から、出会ったとしても最初から何かを親しく出来るとは思ってないが、全く何もかも通じないような相手では無いと思っていた。けれど、自分にも投げつけられた唐辛子の粉末が、味方であるオプシディにも投げつけられるものだとはっきりと聞いてからは、そう確信出来なくなってしまった。
制御する為。メルトライは殺す事を楽しんでいる、オプシディと名付けた魔獣を利用しているだけなのでは? それも、さながら物を操るように。
もし、その懸念が当たってしまったら、僕はどうするのだろうか。普通の鹿は普通の熊の餌食になるように、魔獣の鹿は魔獣の熊には敵わないだろう。
…………フリクトは、考えない事にした。これ以上、悪い方向に思考を巡らせたくなかった。
雨は弱まってきていたが、未だに降っている。けれど、外に出ようと思った。
睡眠は十二分に取ってしまったし、気分を変えるとしたら何かするしかなかった。それに、こんな小屋の中でじっとしては、考えずにはいられなかった。
立ち上がると、木がきしむ音がした。その音でリドムを起こさないようにゆっくりと外に出た。
湿った臭いが自分の気分を表しているようで、嫌になった。




