僕の名前は
夜、飯が終わってから、リドムはライルと共に、外に居た。
ランプを持って、草が生えていない場所で銀鹿と向き合っている。リドムは、足元にこの辺り一帯で共通されて使われている文字を、細剣で刻んでいた。
「銀鹿、って呼んでいたら直接的過ぎるしな。ちゃんと名前を知らないと」
「名前って言っても、誰が付けたんだろうな。いや、銀鹿が自分で付けたって言うのもあるだろうけど。
お前、どっちなんだ? 自分で自分の名前を付けたのか?」
銀鹿は横に首を振った。
「誰かに付けて貰ったのか。お前、その名前には満足しているのか?」
そうライルが続けて言うと、銀鹿はライルを投げ飛ばそうと角を向けて来た。
ライルは思わず後退りをしながら謝る。そうでもしないと、今にでも突進して来そうだった。
「かなり、思い入れがあるみたいだな」
リドムはそう言って、書き終えた文字に銀鹿の目を向けさせた。
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気が付いたら、森の中に居た。
それが銀鹿の最初の記憶だった。
父も、母も、銀鹿には居なかった。自分がどうやって生まれたか、何も分からなかった。
ただ、本能に従うままに食べ、寝て、寒さを堪え、暑さに苛立ちながらも何年か生きた。歯が抜け、毛が疎らになっていった狼が飢えて死んだのを見た。足取りが覚束ない兎が、あっという間に鷲に攫われていくのを見た。生まれたばかりの鹿が、すぐに立ち上がったのを見た。様々な動物が交尾しているのを見た。
しかし、銀鹿は他の動物みたいに、大きくなる事も無ければ老いる事も無かった。銀鹿の体は最初から完成されていた。
自分は一体、何なのか。
銀鹿の中の疑問は、年を経るに連れて大きくなっていった。
同じ種らしき動物も、森の中には居た。だが、見た目が似ているだけで、何もかもが違った。自分だけは狼や熊に襲われる事は無かった。自分の筋力は、彼らとは一線を画していた。
そして、それを不思議に思っているのも銀鹿だけだった。他の動物達は、銀鹿が他と違う事を分かっていて、銀鹿に対しては群れようとも、襲おうとも思わなかった。
銀鹿はその動物達が分かっている事を知りたかった。だが、それを可能にする方法は全くなく、銀鹿は、孤独だった。
ある日、銀鹿は今まで全く見た事が無い動物に出会った。
それに毛皮は無く、その代わりにおかしな物を自分の身に被せていた。
遠くから、銀鹿はそれの動向を眺めていた。それがする何もかもが、銀鹿にとって今までにない刺激を与えた。
猿の様に発達している前足を使い、木の反発力を利用して細長い物を高速で飛ばし、兎を殺した。石でも植物でもない、牙や爪よりも鋭どそうな物で、兎を切り刻んだ。
そんな、自分と同じ、他の動物と一線を画している動物に、銀鹿は見とれていた。何もかも、その動物の動向に意識が行っていた。体を動かす事さえ、忘れていた。
遠ざかり、姿が見えなくなった時に、やっと正気に戻った程に。
あの動物なら、何か知っているかもしれない。銀鹿はそう思った。そしてすぐに、この森を離れる事を決意した。
それは、秋が過ぎる頃だった。
雪が降り積もって来た頃、銀鹿は森を出た。
そこは今までに見た事が無い程に、何も無かった。ただの銀世界。後に銀鹿はそこが広い畑である事を知るが、その時は、その平面の世界に銀鹿は暫しの間、ただただ感動していた。
そして、銀鹿は歩き続けた。二足歩行のその動物と出会う事を目指して。自分を知る為に。




