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その9



     九



 数日後。


 私は藍さんに案内され、幻想郷の事実上の中心地へと赴いた。


 いまは一人で歩いている。


 幻想郷の人里。それはもっとも人間が多く集まっている場所であり、集落というには大きいが、街というには、やや小規模。


 そして、とてつもなく遠い場所に来てしまったような違和感。


 ただ、新年を迎えたばかりだから当然だが、道も建物も白い雪で覆われている。建物の周りには出入り口付近を除いて雪かきで積み上げられた雪が壁のようになっている。それはなんとなく、自分がこれまでの生活のなかで触れてきたごくありふれた光景のようにも視えてしまう。


「ふう……」


 息を吐いて空を仰ぎ見ると、薄青の地に薄く刷毛で掃いたような雲が漂っている。陽射しも柔らかい。小春日和というのだろう。


 コートのポケットには、里の入口近くの橋のたもとで別れるときに、藍さんが手渡してくれた御札が入っている。


 迎えが必要になったときには、なるべく人のいないところで、これを手にして三回輪を描くように動かしてください、と言われている。いわばこれは私にとってはパスポートみたいなものだ。これがないと居候している八雲さんの隠れ家に戻れないのだ。


 案内なしで外国の街を歩くという気分にちょっと似ているかもしれない。けれど、すくなくとも日本語は通じるのだから、その点での不安はない。


 そして「旅行」に不可欠なものであるお金も用意してもらってある。ただ、お金を入れた財布はやたら重かった。理由は、中に二銭銅貨が詰まっているからだ。なんでも、だいぶ前に二銭銅貨が大量に発見されてから、それが主要貨幣として流通するようになったのだという。紙幣もあるにはあるが、古くなり過ぎていてどうかするとゴミと間違えてしまいそうになるので、二銭銅貨は重宝されているらしい。現代のお金の感覚だと百円玉ぐらいに相当するようだ。ちなみに四文銭も二銭と同じ価値という形で流通しているとのことだった。


 しかし、とりあえず私は買い物よりも先にやらなければならないことがあった。この通りを抜けて反対側の端から続く川沿いの道のさらに向こうにあるという上白沢という女性に会いにいくのだ。


 彼女は寺子屋を運営する妖怪なのだという。妖怪が人間の子供に学問を教えるという状況じたいよく分からなかったが、基本的には人間の味方なのだそうだ。


 ただ、それは私にとっては非常に耳寄りな情報でもあった。いちおう元教師の経歴があるのだから、そこの手伝いをさせてもらえれば、職にありつける可能性がある。自分の土地や財産などもたない身である以上、職探しは急務だった。


 目抜き通りにあたるであろうこの道は車道でいえば四車線分ぐらいはあるが、中央に雪が寄せられ、左右の建物に沿ってそれぞれ浅い溝のようなものができあがっていて、それが実質的な通り道になっている。その幅は人がなんとかすれ違える程度のものでしかない。


 松の内も明けたということもあるのだろう、飲食店のたぐいはどうやら営業しているようだが、他の店はよく分からない感じだ。少なくとも店内にはあまり人の気配は感じられない。ただ、歩く人々の姿はよく見かけた。


 和服姿の人もいれば、洋服姿の人もいるが、比率としては和服の人が多い。おそらく、ここではいまだに服は家で作るものが主流なのだろう。直線で構成されている和服のほうが作りやすいのか、そもそも洋裁ができる人が少ないということかもしれない。ただ

、和服にしても私の知識の範囲内とは違った感じのものも多かった。何より、色使いが大胆だ。アロハシャツのような柄の和服の上に綿入れを羽織っている老人とかがいたし、鮮やかな青と緑の柄模様の袖なしの綿入れを着ている男性とかもいた。まあ、子供なんかだとそれなりに違和感がないのだが……。


 地味な感じの色合いの服装のひともいないではなかったが、そちらは逆に貫禄のあるいかにも裕福な感じの年配の男性だったりする。たぶん商売をやっている人なのだろう。そこらへんの落差はかなり大きい。


 彼らとすれ違うときにときどき視線を感じたが、あまり興味本位でじろじろながめるという人はおらず、むしろ慎み深さが感じられた。


 やがて建物が左右の視界から消えて農地と山林を中心とした農村の風景が開けてきた。道が川に向かって突き当たるような形で折れ曲がり、細い道になって川にそって続いている。こちらはあまり人が通っていないのか、道に雪が厚く残っている。轍のように足跡の重なりが帯状に残っているところを選んで慎重に進んでゆく。


 しばらく行くと道がふたつに分かれる。右側はさらに川に沿って続いていくが、左側は林の中に入り込むような形になっていた。その途中に、茅葺屋根の家が見えた。


「あそこか……」


 家に近づいてゆくと、声が聞こえた。子供の声だ。ということは、寺子屋の授業中ということだろうか?


 だが、違った。子供たちは庭にいて遊んでいた。家はこんな時間なのに雨戸が閉まっていて、どうも留守のようだった。


 いちおう、聞いてみよう。


「こんにちは」


 雪だるまを囲んでなにかやっていた子供たちは動きを止めていっせいに振り返り、それから子供らしい率直な警戒心をあらわにしつつ、けれども礼儀正しく「こんにちは」と挨拶を返した。よく見ると、みんな女の子ばかりで、身長からすると小学生ぐらいの子たちだ。私のような男を警戒するのも無理はない。


「私は上白沢慧音先生を訪ねてきた者なんだけど、先生はお留守かな」


 少女たちは顔を見合わせ、それからいちばん背の高い子が返事をした。


「先生は神社にお出かけしてるみたいです。あれに……」


 そう言いつつ彼女が指差す先には、家の玄関口の柱に掛けられている板のようなものがあった。


 近づいて見てみると、それは写真などを入れる額に似たようなもので、中に墨で「神社に行ってきます お昼までには戻ります 慧音」と柔らかな字体で書かれた半紙が入っていた。


 額の上の左右の隅にはひもがついていて、これが柱に打たれた釘に掛けられている。なかなかおもしろい工夫だった。たぶん、伝言板のような機能を果たすものなのだろう。


 昼までと言ってもまだけっこう時間がある。念の為に腕時計を見てみると10時半を少し回ったところだった。


「うーん……」


 時計をみながら考え込んでいるうちに、ふと周りの気配に気づいた。


 いつのまにか近寄ってきていた少女たちが興味津々という感じで私を見ていた。いや、正確には私の腕を見ていた。


「……腕時計が珍しい?」


「それ、時計なの」


 驚いたように言ったのは、さっきの年かさの子だ。


「時計って、もっと大きいでしょ。こんなぐらい」


 少女は手を広げて見せた。幅はそんなにないと思うが、昔の柱時計とかならたしかに大きいものはある。


「見てみるかい」


 私はしゃがんで、彼女たちに腕を差し出して見せた。みんなさらに寄ってきて、頭を寄せてのぞきこむ。


「ほんとだ、針がちゃんとあるね」「動いてるね」「これなに? どういうことなの?」「時間が分かるのよ」「どうやって?」


「まあまあ……それじゃあ、せっかくだから説明してあげるよ」


 私は秒針と分針、時針について説明し、目盛りの読み方についても話をした。


 さらに、訊かれるままに一日の時間の数え方などに話が転じてきて、ほとんど学校の授業をしているような気分になりかけていた頃、少女のひとりが私のコートの袖を引っ張った。


「帰ってきたよ」


「え?」


 背後を振り返ると、当惑したような顔をした冬服姿の銀髪の女性が立っていた。みごとな銀色の長髪を見て、一瞬、神社に来たあのときの女の子かと思ったが、明らかに顔つきが違う。それに髪の長さもこちらのほうがやや短いようだ。


 私は立ち上がって言った。


「はじめまして。上白沢さんですか?」


「はい、わたしが上白沢慧音ですが」


「私は最近こちらにきた九藤雅樹といいます。すこし相談させていただきたいことがあって、お訪ねしました」



     ☆★



 私は囲炉裏のある座敷に通された。子供たちは講義に使っているという大部屋のほうに行って、そこでカルタ取りを始めたらしく、読み上げる声や笑い声が聞こえている。


 これまでの経緯を説明し、こちらの世界にとどまることになったため、生計を立てる手段を探しているのだと告げた。


「それは気の毒なことでした……しかし、それではいまはお住まいはどこに? 宿もないのでは」


「いや、いきなり放り出されたわけではないので、とりあえず八雲さんのところに世話になっている形です。ただ、なるべく早く自力で住まいを見つけなくてはとも思っています」


「……こちらとしてはあなたの申し出は実はありがたいのは確かです。ただ、報酬といってもわずかなものになると思のですが……それでもかまわないでしょうか」


「もちろん、かまいません」


 と、庭に面した障子の向こうから声がした。


「客か、慧音。もしなんなら、出直してくるが」


「ああ、いや、だいじょうぶです。むしろ、ちょうどよかった。入ってください」


 障子がすっと開くと、そこには先日の銀髪の子が立っていた。今度は間違いない。相変わらずのサスペンダーに独特の赤ズボンだ。


「っ……!」


 銀髪の子は私を見て、うっというような顔をする。


「おや、どうしました」


 慧音さんは首をかしげる。


「いや、どうもこうも……こい……この人は」


「九藤雅樹さんと言って、外の世界からいらした人なんです。いろいろと込み入った事情があるようで」


「知ってる。名前も、事情とやらもだいたい」


「おや、そうなのですか。まあ、こちらへお座りください。立ちっぱなしでは、礼を失します」


「…………」


 女の子は渋面のまま、囲炉裏の前で向かい合っていた私たちの間の席に座る。


「……藤原妹紅だ」


「九藤雅樹といいます。先日はお騒がせしました」


「まあ、それはいい。それより、なんであんたがここに?」


「ここの講師に加えてくれないかというお話なんですよ」


 慧音さんが私たちの双方を見比べるようにして多少戸惑った表情を浮かべながらも説明する。


「つまり、チビの後釜ということか……」


「まあ、そういうことになりますが。妹紅様、どうして怒っているのですか?」


「怒ってなどいない。そういう顔になってしまっているんだったら、それは偶然だ」


 女の子、妹紅はふたたび私を見る。


「あんた、外の世界では教師だったのか」


「学校では理科を教えていました。数学もある程度は教えることができると思います」


「なるほどな……慧音、彼とチビとの関係は分かっているか?」


「それはお話していただきました。あの人形を作ったかただと……」


「そこらへんも話してくれたか……ただ、何を考えてここに残ると決めたのか、そこが訊きたいところだな。外に戻るだけなら手段がないわけじゃない」


 慧音さんはすこし緊張したような面持ちにになっている。ちょっと喧嘩腰っぽいので、私のことを気遣っているのだろう。


 私はできるだけ穏やかに言った。


「……その人形に宿っていたという魂は、自分が何者かを探求していたという話ですね」


「ああ、そうだ」


「私も、『彼』が何者かを知りたいんですよ。あの巫女さん……霊夢さんと言いましたね。初めて会った時に、彼女はこう言ったんです。『この人形は空っぽだったわたしに形を与えてくれています』と。それは考えようによってはとても重大な意味を持っています。彼女にそれほどまでのことを言わせる『彼』とはいったい何者なのか? とても気になるじゃないですか。『彼』に器を与えた者としては」


「……しかし、知ってどうする。それを知ることであんたは何を得る?」


「分かりませんね。それはその後に考えればいいことです。今はただ知りたいという気持ちが強い。正直、何を得るかなんて、どうでもいいんです」



その10につづく

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