その8
八
「おい、だいじょうぶか!」
霊夢の身体を両腕で抱きかかえたまま地面に着地した妹紅が叫ぶ。
「あー……うん、だいじょうぶ。ごめんね。身体がどうこうとかじゃないから。なにか妙な感じというか……霊的なものの影響だと思う」
霊夢はぼんやりとした口調で返事をする。
「……よく分からんが、まあ身体に問題がないなら安心した。立てるか?」
「ええ」
妹紅は霊夢の足を地面に下ろして、肩を支えながら立たせる。
「ありがとう。悪かったわね、手間かけさせて」
「どうということはないが、それより……あれはどういうことかな」
「そうね。わたしも疑問だわ」
母屋の障子が開いていて、縁側に塊のようなたくさんの尾を背中に従えた狐の式神と、その後ろにもうひとり分の人影が見えた。
その人影が動いて、部屋の明かりが横顔を照らし出したとき、霊夢は息を呑んだ。
「……あなたは」
**********
うっすらと照らされた庭先には、ふたりの人物が立っていた。ひとりは見事なまでの長い銀髪をもつ女の子、そしてもうひとりは……。
あの彼女だった。
あのときとは違って、髪をうしろにまとめていて、袖と胴が分かれた紅白の服を着ている。一般的な巫女の服とは違うが、たぶんこれが巫女としての彼女の本来の姿なのだろう。
「…………」
彼女は呆然とした顔つきで私を見ていた。
「やあ、その……お久しぶりというか。こんばんは」
ひどく間抜けなことを言っているような気がした。勝手に人の家に上がり込んでいて、こんな言い方もない。
と、突然彼女が顔を両手で覆い、身体をよろめかせた。
「霊夢?」
脇に立っていた銀髪の女の子が、慌てたように彼女の肩を支える。
「違うの……ちょっと、声が……」
「声?」
「チビと……同じだったから」
銀髪の女の子が顔をこわばらせ、それから私のほうを見た。なんというか、古風な感じの美人さんだが、着ているものとのギャップ感がはなはだしい。この寒いのに上は白の長袖シャツ、下はサスペンダーで吊った赤いズボンを穿いているだけだ。形からするとズボンと言うよりは袴に近いのだろうか?
「あんた、もしかして……九藤さんか?」
「……どうして私の名前を?」
見知らぬ女の子に名前を知られているというのは不思議な感じだった。
「前に霊夢からすこし話を聞いていたからな。だが、今日のところはお引取り願いたい」
銀髪の子は藍さんに向かって言う。
「八雲藍、お前の主が何を考えているのか知らんが、霊夢がいまどういう状況か分かっているだろう? どうしてこんなときに、そんな人を連れてくるんだ」
藍さんは憮然とした表情で二人を見ている。
すると、彼女が銀髪の子を制するように手を上げて言った。
「たぶん『こんなとき』だからこそ、連れてこられたんじゃないかと思うわ……でも、それを知らされていないのかもね」
「……何か、深刻なことがあったのか?」
私のその問いには、背後からの声が答えた。
「あの人形がね、壊されてしまったのよ」
振り返ると、そこにはいつの間に現れたのか、長裾のドレスに身を包み、奇妙な帽子をかぶった金髪の少女が立っていた。妙に時代がかっているような……言い方は悪いが、古臭いロリータ・ファッションという印象のいでたちだ。しかも片手には日傘を手にしている。
身長は酒井よりも頭一つ分ほど低い。目鼻立ちが多少幼くなっているが、顔つきはほぼ同じだった。
「去年の年末にある妖怪に破壊されてしまったの。その結果、その人形に憑いていた魂は行方知れずになってしまった……」
「…………」
「でも、わたしにはひとつ疑問が残っていたの。本当に『彼』は消えてしまったのかって。ただの死者の霊魂であれば、そのまま冥界に旅立ってしまうということもあり得るでしょう。でも、そうではないかもしれない……だから、わたしは確かめておく必要があった」
金髪少女はそう言いながら縁側に降り立って、巫女の彼女と向かい合う。
「つまり、あなたの中に『彼』がいるんじゃないかと思ったの」
「……なるほどね。いちばんはじめはわたしの中にいたんだものね」
「でも、すくなくともあなたの中で『彼』が意識を保っているってことはないようね。この人が……九藤雅樹がここにこうしている状態では、『彼』は存在できないはずなの。それは、前にあなたが外に行った時にはっきりした。逆にもしあなたの中に『彼』がいたら、九藤くん自身の意識にも影響があるはずよ。どう、九藤くん? 何か、強い違和感とか、不安な感じとかある?」
「いや……彼女が近づいてくるときに、ちょっと妙な感じはしたが、もう何もない」
「そう」
金髪少女は小さくうなずく。
「言ってみれば、これは霊夢、あなたに対する抜き打ち検査のようなものだったの。でも、結果はシロ。まあ、無神経なやり口に対する非難は甘んじて受けるけど」
「べつに非難なんかしていないがな……」
彼女を側で守るように立っている銀髪の子が、にらみつけるような顔で言う。
「妹紅、いいのよ。それよりも」
彼女はわたしたち二人を見比べる。
「ユカリと九藤さん……あなたたちは、どういう関係なの?」
「……外の世界の知り合いなのよ。わたしには外向けの顔と名前があるの。彼はわたしが境界を操る八雲ユカリだということは数時間前には知らなかった。ただ、彼もいまはまだちょっと立場が微妙だから、後日あらためてまたちゃんと説明するわ」
「もうひとつだけ」
彼女は緊張した面持ちでさらに問いかけてくる。
「あなた、九藤さんとチビの関係のこと、初めから知ってたの? 人形に憑いているあの人に初めて会ったときから」
「……わたしが知っていたのは、あの人形を作ったのが九藤くんだということだけよ。なにしろ、人形を作ってみたら、って薦めたのはこのわたし自身だし、設計図も見せてもらったから、どういう人形を作ってるかっていうのも知っていた。だから、まあ……ここで会ったとき、いったいどういうことなのかと思っていたわけよ。ただね、霊夢。九藤くんとあの人形の中に宿っていた『彼』との関係は、まだはっきりしていないの。少なくともこの九藤くんには、あなたのチビさんの持っていた記憶はないはずよ。そうよね?」
そう言いながら、金髪の少女は私を振り返る。
「……なるほどな、そういうことか」
私は思わず苦笑してしまう。
「そういうことって、なにが?」
「いや、きみがまだ言っていないもうひとつの目的が分かったからさ。つまり、その『彼』の魂が、私の中にいるんじゃないかという疑いもきみはもっていたんだろう。話から察するに、『彼』は私に近い……あるいは瓜二つの何か、ということなのかな?」
「…………」
「そこで、私に自分の正体を明かした上で、ここに来ることを承知するかどうか試してみたんじゃないか? まあ、このとおり、私はきみの言うことを信じてここまで来たわけだし、疑いは晴れたとは思うが」
「……怒ってるの?」
「怒っちゃいない。ただ、きみにとってこの件はかなり急ぐ必要のある問題だった、それはよく分かったよ。そういう意味でも、私の判断は間違っていなかった……が、まあ、とりあえず今日はもうこれで退散した方がいいようだね」
私は金髪の少女……八雲ユカリに言った。
「場所を変えて、もうすこし話を聞かせてもらおう」
**********
「風呂、沸いたぞ」
妹紅が茶の間に顔を出して、炬燵に入っている霊夢に声をかけてきた。
「ありがとう。大変だったでしょ」
「いや、まあ大変というほどじゃないが……しかし、意外に広いもんだな。もっと手狭なものかと思っていた」
「まあね。昔はけっこうお客が来てたのか、それとも人がたくさん住んでたのかもね」
「……もし良かったら、一緒に入るか?」
「えっ」
霊夢は一瞬眼を見開いたが、思い直したようにうなずいた。
「そういうのもいいかもね」
木の壁に囲まれた浴室でお互いに背中を流し、髪を洗ってから浴槽にふたりで入ると、お湯はあふれる寸前までになった。
「よく考えてみると、こういうのは初めてかな」
手ぬぐいを頭に載せた霊夢は眼を細める。
「ふたりで入るってことか? 魔理沙とかがここに泊まることもあるんだろう?」
「あるけど、あの子はこういうことを言ってきたことはなかったな」
妹紅は首筋を軽く指で揉みながら、息を吐いた。
「それにしても、今日はいろんなことがあった。あの境界の妖怪も何を考えているんだかな……」
「紫は紫で、いろいろと立場もあるし……。でも、外の世界に知り合いがいるとは思わなかったわ」
「普通の妖怪とは毛色が違うからな。外の世界でも活動ができるっていうのは、あり得ることだ」
「……あの人、これからどうするつもりなのかしら」
「あの九藤とかいう男か? まあ妖怪の都合で連れてこられただけなんだし、帰りたいと言ったっておかしくはないと思うが……でも、どうかな。八雲紫の口ぶりからすると、だいたいの経緯をあの男も知っているようだった。本人としてはかなり気になっているだろう。自分の分身みたいなものが、ここにいたというんだから」
「…………」
「なんにしても、そうすぐに関わりあうことになるとも思えないがな。外の世界にいた者が、ここで生きていくのは簡単じゃない。おまけにいまは冬だ」
「……声が同じだとは思わなかった。前に外で話をしたときは全然気がつかなかったんけど」
「声か……わたしには分からないが。チビの声は、音として聞こえてるというのとは違う感じだったからな」
「……ありがとう、妹紅」
「えっ?」
「あなたがいてくれなかったら、きつかったかも。永遠亭にいるときはふだんと違うところにいるから、感じなかったんだけど……ここに帰ってくると、ちょっとね。でも、もうだいじょうぶだと思う」
「霊夢……」
妹紅は沈痛な表情になる。
「そんな顔しないで。それにね、チビが残してくれたものはたくさんあるから」
霊夢はそう言うと、妹紅の顔をのぞきこんで笑みを浮かべた。
「いまこうしてあなたとお風呂に入っていられるのも、きっとそのおかげだものね」
「……そうだな」
霊夢は湯船から身体を起こして立ち上がった。ざっと音がして、霊夢の身体から湯がしたたり落ちる。
「髪洗うの手伝ってあげるよ。その長さじゃ、ひとりじゃ大変でしょ?」
「ああ……ありがとう」
「どういたしまして。お風呂まで沸かしてもらったんだから、せめてものお礼」
その声には、いくらか張りが戻ってきていた。
その9につづく