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その7



     七



「訊かないのね」


 雪の残る山のけもの道を登りながら酒井が唐突に言う。彼女の後ろをついて登る私には、当然ながら顔が見えないので、どんな表情をしているのかも分からない。


 だが、その言葉に含まれる気分というものはだいたい察しがついた。


「まあ、昔から変わったやつだなとは思っていた。でも、きみのおかげで世の中の広さというか大きさのようなものを感じたような気もする。逆に、田舎の中学校教師になった私に関心をもつ理由がいまひとつ分からなかったが……まあ、今回の件でそれも多少は合点がいった、かな?」


 もうだいぶ酔いは覚めている。とはいえ、これからやろうとしていることを考えると、本当に冷静な思考を保っているかどうかははなはだ怪しい。


「一方的に利用可能な資源として扱われることに抵抗はないの?」


「利用することを明言して利用するのは、むしろ誠意のあらわれだと解釈する。いまの世の中、黙って利用する輩のほうが多数派だ」


「…………」


 道の傾斜がようやくなくなり、白い衣を着けた木々の向こうに古い神社が姿を現す。


 私たちは肩を並べ、拝殿に向かって歩みをすすめる。


「あなた自身がどうなるか分からない……かもしれない、という点についてはどう考えるの」


「そうだな……」


 私は歩みを停め、彼女と向きあった。


「もしかすると、きみは私に引き返して欲しいと思っているのかな」


「…………」


「だが、きみは私をここに連れて来ざるを得なかった。きみにはどうしても果たさなきゃならない役割があるからだろう。それは、きみでなければできないことで……きみときみの周りにいる人々の存在にかかわることなのかもしれない」


「あたらずとも遠からずだけれど……そこまで推測できたにもかかわらず、どうしてここまであなたは来たのかしら? わたしの勝手な事情につきあう理由はなにかしら?」


 酒井は私の顔を見上げた。その眼つきには感情がこもっているようには思えなかった。むしろ、そこに浮かんでいるのは純粋な疑問だった。


「そうしなけりゃ、気持ちが悪いというだけのことだ。こうなると、意思とは関係ない次元の話だよ。これまで生きてきてどんな経験をしてきたか、その経験の中で自分が何を思ったか、感じたか。その積み重ねの末に自動的に出力されてくる感情だ。演算結果だと言ったっていいくらいのものさ」


 私は自分の頭を指さして言う。


「記憶の履歴を遡るとかならず引っぱり出されてくるページがある。大学に入る直前の話だ。近所の親戚の家の女性が亡くなった。そのとき、私はたまたま家にいて、女の子の悲鳴が聞こえたんで、現場に飛んでいった。昼近くになっても起きてこないんで、小学生の孫娘が起こしに行ったら、亡くなっていたというわけだ。救急車を呼んで、その子と一緒に病院に行って、死亡の確認にも立ち会った」


 いまでもそのときのことははっきりと思い出せる。そのあとにあわただしく過ぎた日々の中で、結局私は父親に言い出すことが出来なかった。


「その家は死んだ女性と孫娘の二人暮らしだった。私の家とは祖父の従兄妹にあたるという遠い関係で、その子は法律上の親族にもあたらない。とりあえず状況が一段落するまでは家に泊めることにしたが、その子には他に見寄りもなかった……」


 酒井は沈黙したまま聞いている。


「父も迷っていたんじゃないかと思う。だが、私は春から東京に出ることになるし、父は商売をしながら一人で暮らさなければならない。そんな状況で遠戚の子の面倒が見るのは難しいのも確かだった。葬儀も終わり初七日を迎えて、そろそろこれからの身の振り方について彼女に話さなければならない、となったその日の夕方、彼女はいなくなった。まったく手掛かりが見当たらず、神隠しだと言われた。年寄りの中には山に帰ったんだ、なんていう人もいた」


 まあ、あまり細かいことまで説明することでもない。


「要するに、そのとき感じたどうにもやりきれない気持ちを思い出すと……もう二度と御免だと思うのさ。あのとき、こうすれば良かった、という後悔はもうしたくない」


「そういう根底からの感情に忠実、というわけね」


「……さあ、行こう」


 酒井はうなずき、ふたたび歩き始めた。


 わたしたちは古色蒼然とした神社の拝殿の前へとたどりつく。


「それで……これからどうすればいいんだ」


「わたしたちの側からは何もやることはないわ。おそらく、もう分かっているはずだから。わたしがここに着いていることは」


 その言葉を待っていたかのように、目の前の空間に白い輝線が現れた。それは扉のすきまから洩れ出る陽の光のようにも視えた。


「……いいのね?」


「もちろんだ」


 私はうなずいた。


 もう一度、あの少女に会える。それだけで、十分だ。



     **********



 ゆっくりと暗さを増していく曇り空の下を、博麗神社を目指して妹紅と霊夢はゆるやかに飛んでいた。


「もう酔いは冷めたか?」


「だいじょうぶよ。わたしはたいして飲んでないもの。ワインは苦手だからね……酸っぱいから」


 霊夢は後にした紅魔館の方角を振り返る。霧の湖の向こうに、黒い影がうっすらと浮かび上がっているのが見える。


「なんだか、なしくずしだったかな……」


「宴会か? まあいいじゃないか。いつもと同じやりかたに習っただけだろう」


 あの雪の中での『行事』のあと、魔理沙がパチュリーに対して参加者に対する報酬を要求したため、結局全員に酒を供するということになって、その場で宴会が始まってしまったのだった。


「あの紅魔館の魔法使いの言ったことも一理ある。こういうことも必要だ。何もやらないよりはいい」


「そうね……」


 霊夢は小さく息を吐く。


「レミリアのほうが痛手は大きいと思うの。わたしに対する引け目もあるだろうし……」


 妹紅は口元に苦笑を薄く浮かべた。


「ひとの心配をしている場合か? と言いたいところだがな」


「正直に言うとね」


 霊夢は、闇が拡がり始めた東の空を見つめる。


「わたし、苦しかったんだ。楽しかったけど、苦しかった。チビと一緒にいることが」


「…………」


「いつかいなくなっちゃうって分かっていたから。それも、ずっと先のことじゃない。もしかしたら明日別れなくちゃならないのかもしれない……そう思うと、すごく苦しかった」


「そうか……」


「でも、チビが自分が何なのかっていうことを調べるのをやめて、ここにずっと居続けるっていうのもどうなんだろうって。わたしはそれでもかまわなかったけど、たぶんそのままではいられない何かが起きるんじゃないかっていう、そんな気はしてた」


「…………」


「レミリアに言ったの。フランはしわ寄せを食らったんだって。あの子の話はわたしにとっては厳しい話だったけど、でも冷静な眼でわたしたちを見てたんだとも思う」


「……どんな話だったんだ?」


 妹紅が訊くと、霊夢ははっとしたような顔つきになった。


「あなたはその場にはいなかったものね……フランはチビのことを『生きている死』だと言ったわ。人を生かすための死を……純粋に? そうじゃないな、そうだ、結晶にしたようなものだって。周りの連中はチビの中に自分を生かしてくれる者を視るんだって……チビは時間が停まったまま生きているような、そんな存在なんだろうって。だから都合のいいことを押しつけられる……押しつけられたままにしてくれる」


「ほとんど神様じゃないか」


「……でも、やっぱり神様とは違うんじゃないのかってわたしは思ってるけど」


 魔法の森を超え、東側の山の灰色の稜線が雪をかぶった木々の連なりとなって押し寄せ、眼下に迫ってきた。神社のある森まではもうさほど距離がない。


「あれ……まただわ」


 霊夢が眉を寄せる。


「どうした」


 妹紅は霊夢が見ている方向に眼を向けるが、何も見えない。


「勝手に入ってきた客がいるのよ。気配でわかる」


 霊夢はふっと小さく鼻を鳴らす。


「まあ見当はつくけど」



     **********



「ここは……」


「薄暗くて分かりにくいと思うけど、神社の境内よ」


「さっきのあの古ぼけた神社とは違う場所のようだな」


「違うと言ってもいいし、同じと言ってもいいんだけどね」


 言葉を交わしていると、明かりを手にした人影が近づいてきた。ただ、人にしては妙に影の全体が大きい。


「おかえりなさいませ」


 よく見ると、後ろに何か塊が見える……尻尾? しかも数が多い。


「霊夢はいるの?」


「いえ、留守のようです」


「ふうん……ま、いいか。中で待たせてもらいましょう」


「では、こちらへ」


 薄闇の中を歩き始める。


 案内役の人物は、声の響きからすると女性のようだ。手にしている提灯に照らしだされて、輪郭が薄く浮かび上がる。


 やはり、後ろについているのは尻尾だ……。そして、頭には耳のような突起のついた帽子をかぶっている。


「九藤くん」


「うん?」


「あなたって、こういう状況下でもいつもと何も変わらないのね」


「いや、そんなことはないが……まあこういうときは、余計なことを考えてもな。材料がないのに推論を重ねたところで砂上の楼閣だ」


「合理的な思考が崩れないのね」


「そんな恰好のいいものじゃない」


 神社の拝殿らしき建物の前を通り、林の中の小道を進む。


「しかし、中で待たせてもらうとか言ってたが、いいのか? 留守なんだろう」


「神社は公共物だからいいのよ。そういうことを気にする子でもないしね……ま、文句は言うだろうけど」


 やがて、神社の母屋にしてもずいぶんと古めかしい印象の建物が現れた。前庭は手入れもされていない印象だ。うちの庭といい勝負だろう。


 玄関に近づいて女性が戸を開けたところで、酒井が問いかける。


「部屋は温めておいてくれた?」


「火鉢に火を起こして、炬燵の用意もしてあります」


「勝手知ったるなんとやらね。炭は補充した?」


「はい。だいぶ残り少なくなっていましたので」


「そう……」


 酒井はすこし難しい顔をしてから、私に言った。


「九藤くん、わたし、ちょっと着替えに行ってくるから、中で待っててくれる?」


「着替えって……だいたい、どこにどうやって行くんだ。こんな夜に、しかも山の中で移動手段があるのか?」


「あるのよ。ただ、それを目の当たりにすると、さすがのあなたでも一気にパラダイムシフトが起きて収拾がつかなくなると思うの。まあ、すぐ戻るから。ここは一世紀ぐらい昔の文明レベルだけど、過去にタイムスリップしたとかそういうのじゃないから心配しないで。いざとなったらいくらでも手段はあるから」


 そう言うと、彼女はぱたぱたと駆け足で去ってしまった。


「…………」


 まあ、待っていろと言われた以上は仕方がない。


「推測するに、主も気持ちの整理というものが必要なのだろうと思います」


 と女性。


「どうぞ、上がって下さい」


「……お邪魔します」


 多少後ろめたさを感じつつ玄関から上がる。


「ここは、神社の神主の家なんでしょうか?」


「そうです。あと、わたしにはそのような丁寧なお言葉づかいは無用です。単なる式神ですので、主のご友人から対等の扱いを受けると、かえって恐縮します」


「式神?」


 陰陽師の安倍晴明が操っていたというあれか。


「はい。八雲ランと申します」


 ランというのは藍色の藍だという。


 案内され、茶の間とおぼしき部屋に入る。天井からは石油式のランプが吊り下げられていた。ほとんど山小屋のようなノリだ。


 ややあってお勝手に行っていた藍さんが戻ってきた。


「どうぞ、お茶です」


「……ありがとう」


 置かれたのは、骨董品のような印象を受ける褐色の湯のみだった。香りはごく普通のほうじ茶のそれだ。


「掘りごたつになっていますので、どうぞ足を入れて下さい」


 勧められるままにこたつに入る。温かい。


 彼女はそのまま私からすこし離れた位置に座って控えている。


「……気分を害するかもしれないが、あなた自身のことについて訊いてもいいだろうか」


「どうぞ、何でも」


「あなたはその……物の怪の一種ということだろうか?」


「はい。わたしの本体は俗に九尾の狐と呼ばれる妖怪です。ただ、式神をつけられていますので、本来の九尾の狐としての力は抑えられています」


 九尾の狐といえば妖怪の中でもトップクラスの能力をもつもののはずだ。


「驚いたな」


 すると藍さんはくすりと笑う。


「……正直に感想を言わせていただくと、わたしにはあなたが驚いているように見えませんが」


「いやいや、まだ頭の中が整理できていないんだ。なんというか、思考がうまくつながらない感じだ」


「普通は整理できない状況ではパニックに陥るものですが……」


「そういうものかな。私はむしろ言語的な思考が停止してぼうっとしてしまうほうだ。極限状況ではまっさきに生命を落とすタイプだな。それにしても、さすがに現代の妖怪だけあってパニックとかそういう言葉も自然に使うんだな」


「主の影響でしょうね」


 主か……九尾の狐に式神をつけて使役しているなんて、普通の人間の所業ではない。まあ、さきほどの「移動」も超常的な現象としか思えないが。


 しかし、そのあたりは本人に訊いたほうが早いだろう……。


「ん……」


 ふと、頭の中に違和感を覚えた。なんだろうこれは……前にもあった。


「どうかされましたか?」


「うーん、いや気のせいかもしれないが……」


 しかし、だんだん強くなってくる。そうだ、あの子たちが家に来た時の、あの奇妙な感じに似ている。


 周りを見回す。上……か?


「近づいてきている感じがする」


「……!」


 藍さんが驚いたような顔で私を見る。が、彼女も何かに気づいたようだ。


「たしかに気配がありますが……これは」


 そのつぶやきをかき消すように、庭の方から何かが落ちるような音と、誰かの叫び声が聞こえた。



その8につづく

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