その6
六
空の雲がすこし厚くなり、また雪がちらつきはじめてきていた。
雪で覆われた紅魔館の前庭に人影の集まりが二つに分かれて対峙していた。
「あの腕につけていたサファイア? 壊れていなかったの?」
霊夢が驚いたようにパチュリーの顔を見る。
「ええ。あの夜、紅魔館に引き上げるときに偶然見つけた」
パチュリーは淡々とした口調で言う。
「サファイアは、もともとは八意永琳から人形を預けられた時に身体の中に入っていたもの。だから、こちらに所有権があるわけではない」
「霊夢が勝ったらそれを返すというわけか?」
霊夢の隣に立つ魔理沙はやや怒りのこもった顔つきでパチュリーに視線を飛ばす。
「そうではない。サファイアを渡す交換条件として、勝負をしたい。つまり、どちらが勝っても石は渡す」
「いいわよ」
霊夢はあっさり言う。
「どっちみち、わたしに渡すつもりなんでしょう? だから、その交換条件というのはやめにしましょう。つまりただ勝負をするだけ。それでいいんじゃない?」
「承知してくれるなら、そのほうがいい。ただ、勝負の方法は通常とは違う形式にしたい」
「ん? どうするの」
パチュリーは腰をかがめて両手で足元の雪を集め、丸く固めた。
「魔術や仙術のたぐいは一切使わない。攻撃手段としてはこれを使う」
「……雪合戦かよ」
魔理沙は肩をすくめる。
「そんなお遊びをする意味自体、よく分からないんだが……」
「遊びには『本質的な意味』はない。意味はあとから付けられる。肝腎なのはわたしたちがこの場と時間を共有すること」
パチュリーは動じずに答える。
「わたしたちが積み重ねた時間は、けして軽いものではない……その時間を過ぎ去ったものとして受け容れるためには、わたしたちが共有できる何らかのしるしが必要。こういう考え方は間違っているだろうか?」
「……そんなことはないわよ」
霊夢はそう答えると、後ろのふたりを振り返る。
「わたし、雪合戦なんて自分でやった覚えがないわ。ということは、これが初めてかもしれない。せっかくの機会だし、付き合ってもらえない?」
「まあ、ここまで来たんだから最後まで付き合うわ」
アリスは苦笑する。
「右に同じだ」
と妹紅。
「……わたしには訊かないのか?」
魔理沙が憮然とした顔で言う。
「訊いて欲しいの?」
「べつに」
魔理沙はふんと鼻から息を吐く。
「攻撃手段は雪で作った弾を投げるだけ」
パチュリーは説明を再開する。
「勝負は主将に弾が命中した時点で終わり。味方の主将への攻撃を防御することは自由。攻撃を妨害するために、主将以外の者を攻撃することもできる。弾を投げるときには自分の肉体的な力以外のものを使ってはだめ。飛翔能力も使ってはだめ」
「そちらの主将は誰?」
霊夢の問いに、パチュリーは当然といった口調で答える。
「わたし」
「ちょっと、パチェ……」
レミリアが後ろから抗議をしかけると、パチュリーは抑えるように手を上げる。
「この行事を思いついたのはわたしだから」
それから、かすかに口元に笑みを浮かべて付け加えた。
「それぐらいの権利は主張したい」
「分かったわよ」
レミリアは渋々という顔つきでうなずいた。
☆★
「方針だけ決めておこう」
妹紅は霊夢たち三人を集めて言った。
「向こうの攻撃の主力はメイドだろう。彼女はわたしが引き受ける。魔理沙はレミリアを、アリスはなんだっけ……美鈴か、彼女をたのむ」
「あの門番さん、雪玉くらいじゃ足止めできない……接近されたら攻撃を防ぎきれないかも」
自信無さそうにアリスが言う。
「力押ししてくるかもな。だが、視界を奪えばまともな攻撃はできない。できるだけ顔を狙うんだ。体術の達人とは言っても、雪玉を投げるしか攻撃手段がないんだから、やりようはあるだろう。あと、わたしたちは下手に霊夢の視界をふさがないようにしたほうがいい。だから、敵を霊夢から引き離す方向で動いて欲しい」
「向こうは逆に、三人を盾にする形で霊夢に近づいてこようとするだろうな」
と魔理沙。
「そういうことだな……ただ、主将以外の六人の戦いが拮抗していれば、一対一では霊夢の方が上回るだろう」
「分かったわ」
霊夢はうなずいた。
「それにしても、妙にはりきってるわね、妹紅」
「別にそんなことはないさ」
妹紅はすこし決まりが悪そうな顔になった。
「根が子供だからな、わたしは」
「いいのよ。そういうノリでいくのが正しいと思うわ」
それから霊夢はパチュリーに顔を向けて言う。
「じゃあ、始めましょうか。形式がどうあれ、戦いは戦いよ。真剣にやらせてもらうわ」
「こちらもそのつもり」
パチュリーはうなずいた。
「時報用の鐘を鳴らすように言ってある。その鐘が鳴り始めたときに始める」
霊夢とパチュリーは距離をとり、その周りにそれぞれの側の者たちが陣形を成す。霊夢の左側に魔理沙、右側にアリス。妹紅は霊夢の近くに立った。対するパチュリー側は正面に咲夜が立ち、その左右に翼を広げるようにレミリアと美鈴が立った。
つかのまの静寂の後、深い響きの鐘の音がそれを破った。
直後、動いたのは咲夜だった。低い姿勢で斜めに飛び出すようにしながら雪をつかむ。それに合わせるように妹紅が霊夢と咲夜の間に飛び出した。だが、それは誘導で、方向を変えて横から咲夜の頭を狙って弾を投げつける。咲夜はとっさに身体をかわし、その間、霊夢は回りこむようにして咲夜の背後に立つパチェリーに近づく。それを牽制するようにレミリアが弾を投げつけるが、霊夢は身体を横に揺らすようにしてかわした。
「お前の相手はわたしだぜ!」
魔理沙は雪を両手で集め、玉を作りながら直線的にレミリアに接近し、フェイントをかけつつ相手の顔面めがけて投げつけた。レミリアは腰を落としてそれを避けつつ雪を拾い上げる。その挙動の間に魔理沙はさらに距離を詰め、次の攻撃に移る。
妹紅は咲夜と霊夢の間に入って雪玉を叩き落としつつ、パチュリーに近づいて牽制を試みる。だが、パチュリーは妹紅には注意を払わず、霊夢との位置関係をとるべく移動していた。
(防御は他の三人に任せるということか)
実際、咲夜は妹紅の動きに反応し、パチュリーへの攻撃を妨害すべく、素速いサイドスローで妹紅に弾を放つ。
ボクシングのスウェーに似た動きでそれを避けながら、妹紅は自分のやるべきことについて思考をめぐらせる。
(結局、自分が抑えるべき相手を集中的に攻撃して、体力を削るしかないな)
小柄な身体を目一杯曲げ伸ばし、ほぼ垂直に近いオーバースローで放つレミリアの玉はかなり高速で、当たるとダメージが大きそうだった。ただ、玉を作るのに時間がかかるために攻撃の間隔が空いてしまう。
魔理沙は低い姿勢で左右に移動しつつ、レミリアを小刻みに攻撃した。雪の中の移動は慣れていないせいか、レミリアの動きは比較的遅い。だが、吸血鬼だけあって弾が命中しても受けるダメージはさほどではないようだった。
一方、アリスと美鈴の戦いは、美鈴の霊夢への攻撃をアリスが側面から妨害する形から始まり、お互いに距離をとりながらの攻防へと移っていった。
妹紅は咲夜の攻撃を妨害することに専念した。咲夜の投弾のモーションに合わせて、その動きを崩すように攻撃する。はじめのうちは妨害を無視していた咲夜だったが、パチュリーからの指示があったらしく、妹紅に反撃してくるようになった。
ナイフ投げで鍛えた咲夜の攻撃はきわめて正確で、妹紅の視界はたびたび遮られるはめになった。その回復が遅れると、咲夜の攻撃が霊夢に向かってしまうため、妹紅はできるだけ咲夜に接近しつつ、霊夢への射線を制限する方法をとった。その分、咲夜からの攻撃は増すことになったが、近距離なら妹紅も正確な反撃ができる。視界を奪うべく頭部を狙って弾を投げるが、反応が速く、クリーンヒットというわけにはいかなかった。
三組の戦いが交錯する中、霊夢とパチュリーはお互いに相手の死角をつくようにして攻撃を仕掛ける。
パチュリーが投げる弾はさして速さもなく、軌道も山なりだ。ただ、いつ、どこから投げているのか分かりにくい。
しかも、どちらかといえば攻撃の頻度はパチュリーのほうが高かった。最適な位置に最短のルートで移動し、敵味方関係なく、他者の挙動に隠れる形で攻撃を仕掛けてくる。
霊夢はその挙動を見ながら思う。
(他の六人の位置を一瞬で把握してるのね)
とはいえ、パチュリーにとってはこの戦法もそれなりに体力を消耗するやり方ではあろう。時間の経過を待てば、結局は攻撃も鈍くなると予想できる。
(でもそういうのは、わたしらしくはない……かもね)
霊夢はふと、戦っている時のいつもの気分を久しぶりに取り戻したように感じた。
(何かを見るのではなく、すべてを視る……)
焦点をゆるめ、もっと遠くに感覚を拡げる。
そのとき、飛び交う雪玉に乗った「気」の流れが視えてきたような気がした。
「なんだおい……!」
魔理沙は目の前をふわふわとした足取りで横切る霊夢を見て、思わず声を上げた。そのとき、レミリアが投げた雪玉が霊夢に向かって矢のような速さで飛んでいった。だが、ふわりとした体の動きで霊夢が小さく方向転換をすると、雪玉は霊夢の耳元すれすれを通りぬけていった。
あっけにとられたようにその姿を見送るレミリアの横顔に、魔理沙の雪玉が当たって身体がぐらつく。
「!」
それを見た咲夜の注意が逸れたところに、妹紅が近づいて攻撃をかける。近距離からの放った弾は見事に咲夜の左の頬にヒットする。思わず顔を抑える咲夜。
霊夢はその咲夜の背後に隠れるように立っていたパチュリーの側へと回りこむ。すると、彼女はそれを待っていたかのように腕を払うようにして雪玉を放つ。霊夢は膝の力を一気に抜いたように身体を落とし、命中軌道を避ける。
だが。
その目の前に、片足で舞い踊るように回転するパチュリーの、雪玉を握ったもう一方の手が、下からすくい上げるような動きで近づいてきた。
近づく手を見ながら、霊夢の身体は反発した磁石のように跳ね上がり、上昇してくる雪玉をあごの先すれすれでかわしながら、後方へ宙返りしていった。
そして、両足で着地したそのとき。
ぽすっという地味な音がして、両手をついて地面にはいつくばるようになっていたパチュリーの帽子に横から飛んできた雪玉が命中した。
その軌道の先を見ると、アリスが「あれ?」というような顔つきでこちらを見ていた。
「……当たったの?」
金色の前髪を雪だらけにしたアリスが訊ねると、パチュリーはうなずいた。
「……命中した」
霊夢はすこしぼんやりとした顔つきでパチュリーの前に歩み寄り、その手をとって身体を引き起こした。
「すごいものを見た……という気がする」
とパチュリー。
「そうねえ。正直、こういうことができるとは自分でも思わなかったわ。というか、もう一度やれって言われても無理かもね」
周りに他の者たちが集まり始める。
「最後にアリスにおいしいところをもってかれるとは思わなかったなぁ」
と言う魔理沙に、
「気分的にはそれほどおいしくはないわよ」
とアリス。
「それほど長い間やってたわけじゃないと思うが……みんなけっこうなありさまだな」
そう言う妹紅自身、首の周りに雪がこびりついている。
レミリアの服は前も後ろも雪玉の跡だらけ、美鈴は目の周りが紫に変色しかかっていた。
「アリスさんて意外と容赦が無いですねえ……コントロールもいいし」
「あなただって……弾が大きいんですもの、スイカを頭に叩きつけられてるような気がしたわ」
魔理沙は帽子から雪を払うと言った。
「さて……それじゃ、これでお開きってことでいいんだな?」
「待って」
パチュリーが手を挙げると、いつの間にか姿を現していた使い魔が歩み寄ってきて、暗赤色のビロードが貼られた小箱を一同に示した。
パチュリーは手袋をはずしてその小箱を受け取ると、蓋を開けて見せた。そこには金色の円環に嵌められた深い青紫色の宝石が神秘的な輝きを放っていた。チビ霊夢の左腕に通されていた金の環には銀色の鎖が通されていて、ネックレスとして身に付けられるようになっていた。
「つけてあげる」
パチュリーはそう言うと、慎重な手つきでその『首飾り』を小箱から取り出し、霊夢の首にかけて鎖を留めた。
「ありがとう……」
霊夢は自分の胸元に輝く青紫色の宝石を見つめ、それから一同の顔を見回して言った
「それじゃ、これからはいつもと同じ日々を、また一緒に始めることにしましょう」
その7につづく