その5
五
酒井縁の九藤の家への訪問とほぼ同時刻。
幻想郷の永遠亭では霊夢が診察室で最後の診察を受けていた。
診察を終えた永琳は、服を着るように霊夢に指示して言った。
「後遺症はないし、身体は順調に回復しているから、心配はいらないわ。予定通り、今日で退院ということでいいでしょう」
「……ありがとうございました」
「そんなに丁寧にお礼を言われると気味が悪いから。それと、今回の件で、ハクタクさんを通して里の人達から費用はすべて支払いたいとの申し入れがありました。でも、断ったけどね。こちらとしては費用を上回るわたし個人の利益があったので」
「利益って?」
「境界の妖怪さんが例の機械を寄付してくれたの。いったん持ち込んだものは外には戻せないそうよ。ちなみにあの機械を解析して、医療用の測定器を開発中。すでにある技術は利用するに越したことはないからね。おおいに参考になったわ」
「…………」
「そういうわけだから、お迎えもあの通り来てることだし、お引き取りくださって結構よ」
霊夢が振り返ると、診察室の入り口に魔理沙とアリスが立っていた。
「よ」
魔理沙が伏し目がちになりつつ手を上げた。
「飛べないこともないだろうが、いちおう運び屋がいたほうがいいかと思ってな」
☆★
魔理沙とアリス、それに鈴仙に付き添われて霊夢は永遠亭の診療所の建物から出た。
鬱蒼と重なり合った竹の葉の群れに囲まれた空は、灰色の雲が覆っていた。
「また雪が降ったのね……」
霊夢は、雪が積もった前庭を見回す。雪かきされてつけられた道が門に向かっているのが見えるが、その他はうねりのような凹凸が見えるばかりだった。
「竹に遮られてはいるんですが、けっこうたくさん降りましたから……」
鈴仙の吐く息が白い。
魔理沙とアリスは後ろで荷物持ちの座を争っていたが、魔理沙が箒をもっていたため、結局アリスに落ち着いた。
門の近くまで四人が進むと、門柱の蔭に妹紅が寄りかかって立っていた。
「あなたまで?」
霊夢はすこし驚いた顔をする。
「別に不思議じゃないだろう。竹林の案内役だからな」
妹紅はすこし拗ねたような言い方をする。
すると鈴仙が小声で霊夢にささやく。
「見舞い客が多すぎると身体に障るかもしれないと遠慮していたらしくて……わたしの方から案内役を頼んだんです」
「……ありがとう」
「いえいえ」
鈴仙は小さく手を振って笑みを浮かべる。
霊夢は妹紅に顔を戻して言った。
「話はだいたい聞いたの?」
「ああ、まあな」
妹紅はうなずく。
「いろいろと、大変だったな」
「ええ。でも、とりあえずは落ち着いたから」
「そうか……」
すると霊夢は快活に言う。
「せっかくわざわざ来てもらったんだから、ひとつ頼みたいことがあるわ。竹林の出口って里の方角だけじゃないんでしょう? 別の出口に連れてって欲しいんだけど」
「別の? まあ……確かに出口はいくつかあるが。どのあたりだ?」
「紅魔館に近い方」
「霊夢」
魔理沙は眼を見開く。
「いきなりリターンマッチか?」
「まさか、そんなこと」
霊夢は苦笑する。
「ただ、レミリアにも挨拶は必要だと思って。こういうのは早めにしておくほうがいいのよ」
「挨拶って……普通の挨拶?」
アリスが心配そうな顔をする。
「お互いの今の様子を確かめ合っておくってぐらいの意味よ。向こうも気になっていないわけじゃないと思うから」
「……分かった」
妹紅がうなずいて門柱から離れる。
「無縁塚の方に出る道もあるから、そっちからなら近い。案内しよう」
「それじゃあ、お世話になりました」
霊夢が鈴仙に会釈すると、三人もそれに習うように挨拶をして、門を離れ竹林の中へと向かっていった。
その後姿を見送ってから、鈴仙が診療所に戻ると永琳が声をかけてきた。
「行った?」
「ええ。なんかあれですね……あのひとたち、前にくらべるとちょっと印象が変わったような気がします」
「何かを失うというのは成長の機会なのよ」
と永琳。
「その機会を活かせるかどうかは本人次第だけど」
「……妖怪も同じでしょうか」
鈴仙は考えこむような眼つきになる。
「どうかしらね。まあ、大切なのは状況を受け容れるということよ」
永琳はそう言うと、かすかにため息をついた
「諦めが悪いとろくなことにならない……そういう点は、地上の人たちのほうが優っているかもね」
☆★
竹林を抜けて曇天の下、雪原を進んでゆくと、やがて屋根に雪をかぶった紅魔館の建物が正面に見えてきた。
そこで霊夢が三人に言った。
「向こうに着いたら、外で待っててくれる? 話はすぐ済むから」
「ひとりでか? それはちょっと……」
魔理沙は心配そうに眉根を寄せる。
「そのほうが警戒されずに済むわ」
霊夢は頓着のない口調だった。
「でも、病み上がりだし……」
アリスが霊夢と魔理沙の顔を見比べる。
「それじゃあ、わたしがついていこう」
妹紅が魔理沙の肩に手を置く。
「その場にいなかった者のほうが、向こうも気が楽だろう」
「……お前そもそも、どうしてここまでついてきたんだよ、妹紅」
「ついでだ。というか、こういう役回りはあるかもしれないと予想していた」
すると霊夢はあっさりうなずく。
「ま、それならそうしてもらおうかな。そのほうが相手も気を使わなくて済むかもね」
門に近づいてゆくと、コート姿の門番少女がやって来る。
「ええと、皆さんこんにちは」
美鈴はすこし戸惑ったように四人に視線を向ける。
「しばらくぶりね、美鈴」
と霊夢は気さくに声をかける。
「はあ、どうも……お体の方は?」
「三途の川に片足突っ込みそうになったけど、あなたのところの親愛なるメイド長さんのおかげで、戻ってこれたわ。それでね……」
霊夢はしっかりとした口調で告げる。
「わたし、咲夜とレミリアにちょっと話があるから、その旨取り次いでもらえるかしら。そんなにたいした時間をとらせないから」
「それと」
後を引き受けて妹紅が言う。
「まだ彼女は病み上がりなので、わたしが中まで付き添いたい。伝えてくれるか?」
「……分かりました。お待ちください」
美鈴はお辞儀をすると、通用口を開けて敷地内にいったん引っ込んだ。
やがて、彼女はふたたび姿を現すと言った。
「どうぞ」
美鈴が通用門を開けると、そこにはいつものメイド服を着けた十六夜咲夜が静かな表情で立っていた。
「わたしが案内致します。お入りください」
☆★
霊夢と妹紅は咲夜のあとをついて紅魔館内の薄暗い廊下を進んだ。
「……わたしにもお話があるとのことですが」
背を向けたまま咲夜が言う。
霊夢はすこし眉根を寄せたが、すぐに戻す。
「ああ、歩きながら話すのもどうかと思ったんだけど……一言お礼を言いたくて」
それを聞いて咲夜は歩みを止め、舞うように身体を回した。白いエプロンと藍色のスカートが優雅にひるがえる。
そしておもむろに口を開く。
「それについては……」
「ありがとう、咲夜。わたし、まだ死ぬわけにはいかなかったから、助かったわ」
「……!」
出鼻をくじかれた恰好になった咲夜は、少しうろたえたように妹紅を見た。
なんでわたしを見るんだよ、というように妹紅は眼をそらす。
「ま、それだけよ」
霊夢は笑顔を見せる。
「運が良かっただけだって言われりゃそれまでだけどね」
咲夜は咳払いをする。
「わたしはするべきことをしただけですので」
それだけ言うと踵を返し、ふたたび歩き出した。
霊夢は妹紅と顔を見合わせ、かすかに苦笑した。
やがて、廊下の突き当たり近くに位置する扉の前で咲夜は歩みを止め、姿勢を正して扉を叩いた。
「お嬢様。お連れしました」
すると、霊夢は妹紅にささやいた。
「悪いけど、外で待ってて」
「分かった」
妹紅はうなずいた。
咲夜は扉を開け、霊夢を部屋の中に入れるとそのまま自分は入らず、廊下側から閉めた。
廊下よりも薄暗い部屋の中、正面奥の壁を背にして紅魔館の主人が椅子に座っていた。長い袖と裾をもつその服はくすんだ灰色で、部屋の雰囲気と相まって地味と言うより陰鬱な印象さえあった。
「久しぶりね。体調はいいの?」
「おかげさまで。永遠亭にいたのは足かけ6日というところだけど、そこまで長く居る必要はなかったんだと思うわ。身体よりも心のほうを気遣ってくれたみたいね」
「優しいところがあるのね、あの薬屋さんにも……何にしても、回復したのなら何よりだった」
霊夢はすこしためらったが、歩みを進めてレミリアの座る椅子の前へと立つ。
「あなたも、もう元に『戻って』るのよね?」
「たぶん。でもあのときのわたしが別人格だったというのは言いわけにもならない。あれもわたし自身ではあることには間違いないし」
「あのとき、けっこう本音っぽいこといろいろ言ってたもんね……」
レミリアは恥じらうようにうつむいた。
「……わたしはね、霊夢。恋愛というものを経験したことはないの。子供の身体のまま吸血鬼という人外になってしまったから……それ以来ヒトをそういう対象として見ることはできなくなった。ただ、チビはね……昔から知っているような気がした。懐かしい人に再会したように感じた。それがきっかけで勝手に想いが膨らんでしまったのかもね」
「前にチビに言われたのよ。わたしはあなたと似たところがあるって」
「わたしたちが?」
「ええ。あれは性格がどうのというより、何か似たような過去を持ってるってことだったのかもしれないわね。わたしも子供のまま、ヒトとは違うものになってしまっていたのかもしれない」
「…………」
「それでね、今日はひとつお願いがあってきたの」
霊夢はレミリアを静かな眼で見つめる。
レミリアも霊夢の眼を見返す。
「今後、お互いにチビの話はしないことにしたいの」
椅子の肘掛けを握っていたレミリアの手が、かすかに震える。
「……分かったわ。でも、フランのことは……」
「彼女は、しわ寄せを食らった方じゃない? そう考えるべきだと思う。たぶん、あの子も傷を負ってる。だから、わたしは何かを求めることはしない。というか、できない」
レミリアはしばし沈黙したあと、顔を伏せたまま苦しそうな声を出した。
「あなたに……何を、どう言ったらいいのか、分からない」
「わたしも同じよ。だからもう言葉にしない方がいい。お互いにね」
霊夢は優しく言った。
「すこし時間が要るわ、わたしたちには」
☆★
廊下の外で、妹紅と咲夜は憮然とした表情で向き合っていた。咲夜は扉の傍らに立ち、妹紅は扉の真向かいの壁に寄りかかっている。
「ま、当事者だけでしたい話っていうのはあるだろうからな」
と妹紅。
「そうですね」
と咲夜。
しばらくの沈黙。
それから、妹紅がふたたび口を開く。
「……あんた、なんで吸血鬼に仕えようと思ったんだ?」
すると、咲夜は初めて妹紅の顔に眼を向けた。
「ここよりましなところがなかっただけです」
「居場所としてはましだと? 『仕えて』いるつもりはないんだな」
「あなたこそ、竹藪を行ったり来たりして日々を過ごすのは退屈ではないのですか?」
「日々を過ごしている、なんて感覚はわたしにはない」
「というと?」
「光陰矢のごとし、って言うだろう。それを絶え間なく繰り返してる。ただ、たまには時間がゆっくりと過ぎることもあった……」
妹紅はほんの一瞬、眼を細くした。
「そんな感じさ」
そこへ、声が割り込んできた。
「ずいぶん素直に自分のことを話すのね。人見知りだと聞いていたのに」
帽子を深々とかぶった魔法使いは、明るい灰色の厚手のコートにマフラーをしていた。
「お嬢様に御用でしょうか」
咲夜が訊ねたちょうどそのとき、扉が開いて霊夢が出てきた。
「あら、パチュリーじゃないの」
「レミィとの話は済んだ?」
「ええ。あなたも何か話があるの?」
「行事を考えた」
「は?」
「さほど手間はかからない、と思う。外にいる二人にも参加してもらう。もちろんレミィにも」
その6につづく