その46(シリーズ最終回)
四十六
目が覚めて、周りを見る。
思わず手を見る。息を吐く。これは私の身体だ。
私は起き上がり、枕もとに畳んで置かれていた服を着けた。
襖越しに声が聞こえた。誰かと誰かが話をしている声。朝起きて、こんな声が近くから聞こえるなんて……何年振りだろう。
と、襖が小さく開いた。それから、慌てたように勢い良く開けられる。
「あっ……!」
霊夢は私を見て、小さく声を上げる。
「おはよう」
挨拶すると、彼女はほっとしたような顔で私を見る。
「おはよう……」
「九藤さん、起きてたのか? それじゃ、そっちに持ってくぞ?」
「ちょっと待って。布団を……」
「ああ、いま上げるよ。向こうの部屋の押入れでいいんだろう?」
「はい……」
私は布団をたたみ、隣の部屋に運んで押入れに上げた。
戻ると、部屋の雨戸が開けられ、明るくなった茶の間に食事が運び込まれていた。
「起き抜けで悪いけどな……まあ、体調は大丈夫だろ? 昨夜そんなに飲んでたわけでもないもんな」
と魔理沙。
「うん、だいじょうぶだ。泊まったのは結局きみだけか?」
「ああ……アリスがちょっと心配してたんだけど、二対一なら大丈夫だって言ったんだ。ま、わたしは信用してたけどな」
そういえば、前に私の家に来たときは、慧音さんの家に泊まったんだったか。まあ、この二人を相手にどうこうというのは幻想郷の常識からしてもあり得ないだろう。
すると、霊夢が配膳をしながらくすりと笑う。
「ん、なんだい」
「そんなの、あり得ないって顔してたから」
「……人の心を読むのはやめてくれ」
「その分かりやすさが、九藤さんのいいところさ。将来を考えると、とてもいいことだと思うぜ」
魔理沙は笑う。
「なんでそこで将来という話になるんだ?」
私の疑問は霊夢によって中断される。
「さあ、それじゃいただきましょう。ご飯が冷めるから」
「おう、いただきます」
「……いただきます」
巫女と魔法使いと囲む朝食。ちょっと不思議といえば不思議な情景。でも、これがごくありふれた日常と感じられる日が来るのかもしれない。
**********
風は吹いていない。空気は澄んでいて、色づいた木の葉の紅さが眼に染みる。
「冥界って……なんで季節があるのかしらね」
縁側に腰を降ろして庭をぼんやりと眺めていた紫が、つぶやくように言う。
「そりゃあ、たぶん必要とされているからじゃない?」
障子が開いている座敷で黒檀の卓に向かって行儀よく座っている幽々子が応じる。
「実際、変化があるほうが楽しいし。雨も降るし、花も咲くし……」
「幽霊たちがそれを願っているってこと?」
「かもしれないわねー」
幽々子は立ち上がり、座敷から廊下に出て庭に眼を向ける。。
「まあ、幽霊には欲はないけれどね。ただまあ、そうだといいかなーってぐらいの気分はあるのかもねー」
「そういうものなの?」
紫は背中を軽くひねるようにして幽々子を見る。
「わたしみたいな亡霊はまだ人間だったっていう憶えがあるけど、ごく普通の幽霊は自分がヒトだったかどうかも分からなくなってるものよ。楽になっちゃってるからねー」
幽々子は紫と並ぶかたちで縁側のへりに腰を下ろす。
「それじゃ、天界とかに行ったら困るんじゃないの?」
「……そういう連中はそのまま、冥界に居座るのよ。そのうちに、自と他の区別もつかなくなって、冥界そのものに溶けていくの……」
「そうなの? それは初耳だわ」
「いや、これはそうじゃないかなあっていう想像。でもまあ、そういうのも悪くはないかって気がする。それに、転生と大して差はないと思うわ。世界の一部になるんだもの」
「世界の一部か……」
紫はふたたび庭に向けた眼をすこし細める。
「わたしもいつかは世界の一部になるのかしら?」
「あなたの場合、自分がまるごとひとつの世界になっちゃうんじゃない? それぐらいのことはできそうだもの」
「それじゃ、大伽藍のような美と調和の世界になっちゃうわよ。わたしはそういうのは性に合わないの。世界は常に、ごたごたとしているのがいいのよ……」
「ごたごたといえばー」
幽々子はのんびりとした口調で話を転じる。
「あなたのボーイフレンドさんはその後、どうなさってるのかしら?」
紫はすこしむっとしたような顔で幽々子を見る。
「……どこでそういう言葉を憶えたのかしらないけど、その用法は間違ってるわ。彼は、ただの知り合いよりは多少親しいっていう程度の知り合いよ」
「フレンドですらない?」
「ボーイでもないわよ」
「それはさておき、神社の参道は完成したんでしょう? 妖夢が読んでた新聞に書いてあったわ」
「まあ霊夢が頑張ってたし……そうなると現金なもので、神社の巫女がひとりでけなげに頑張ってるっていうんで、里の連中も協力し始めたし。もちろん稗田阿求の後押しもあったんだけどね」
「あー、そういうこと」
「でもまあ、問題はそのあと……果たして、その道は博麗神社に何を運んでくるか?」
紫は青白い空の光を振り仰いで、眼を細める。
「禍か、福か。あるいはその両方か。まるで見通せないわ」
「未来は常に混沌としているものよ」
と幽々子。
「それがあなたにとって、望ましい姿なんでしょ?」
「そうね。その通りだわ……混沌こそが変化を生むのだから」
紫はくすりと笑う。
「それが、わたしの望む世界のありかたのはずね」
**********
「ほら、あそこに見えてきたのがこの山の神様の祠だ。神社までの行き帰りを守ってくれる神様だから、ちゃんとお参りするんだよ」
はーい、と子供たちは元気に返事をする。
「里の連中がこれを建ててくれたのは、結果としては良かったな。お前さんがひとりでそこまでやったら、かえって角が立ったかもしれない」
子供たちが祠の周りに集まって手を合わせる姿を見ながら、妹紅が言う。
「そうだな……考えてみると、道を作ること自体も、もうすこし筋道を通して呼びかけたほうがよかったのかもしれないが。あのときはすこしむきになり過ぎていたかな」
「なんとも言えないさ。言葉だけじゃ、人はなかなか動かないからな」
すると、子供のひとりが私の服の袖を引っ張る。
「ほら、先生も妹紅さんもおしゃべりしてないで、ちゃんとお参りしなよ」
「ああ、すまない。みんなが済ませてからと思ってたからな」
私も祠の前に立ち、きちんと拝礼をする。
顔を上げたとき、ふと眼の隅に動く影が見えた。祠の向こうの林の中。それはいつか見たあのイヅナ君の姿に似ているようにも思った。
果たして、こんな形になって良かったかどうか。いずれまた、彼と会ってみよう。さすがに、もう勝負はできないとは思うが。
「それじゃ行こうか。神社まであと半分だ。焦らないで、しっかりと歩いて行こう」
子供たちはふたたび元気よく返事をする。
「大きい子は小さい子と手をつないでな。足元に気をつけて」
小さい子の歩調に合わせて、離れないように声をかけながら移動する。大きな子たちはしっかりした子たちばかりだから、引率者としては比較的楽だ。
「……そういえば、このあいだの八雲紫とのスペルカード戦はきみが勝ったんだよな。そのあと和解はしたのか」
「和解という以前に、対立していたわけじゃないからな。あれはああしないとけじめがつかなかったんだ、いろいろな意味で」
「悪かったと思っているよ。それに、輝夜さんに任せてはいたが、結果として彼女と戦ってもらったのは……きみを利用したと言われても、仕方がない」
「それは言うな。輝夜が自分の記憶を取り戻したいっていうのに付き合っただけさ。結果、お前さんは人間に戻ってくれた。わたしとしては何も文句はない。ただ……」
「ただ?」
「もうあまり無茶はしないでくれ。そう願っているのは、わたしだけじゃないと思うぞ」
「ああ。分かってる……」
あの泣き顔はなるべく見たくないからな。
山裾からの風が、道を囲む木々の枝を揺らす。それはすで秋の深まりを感じさせる冷たさを帯びていた。
「この景色、慧音にも見せたかったな」
妹紅が色とりどりに染まった山並みを眺めながら言う。
「阿求さんと先約があったんだから仕方がない。また機会はあるさ。まあ、稗田家には私もまた挨拶はしておかないといけないとは思っているんだが」
「ま……ほどほどにな」
「なにが?」
「いや。紫が心配していたからな。あのままほうっておくと、いろいろ誤解を受けやすいと」
どういう意味だろう。
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「今回の件を調べて思ったのですが……」
阿求は紅茶をすすりながら言う。
「博麗神社というのは、もしかすると外界からの神を迎えるための座なのかもしれませんね」
「それは新しい解釈ですね」
慧音は興味深そうな顔をする。
「どちらかといえば、境界を守る神という印象のほうが強いと思いますが」
「けれど、博麗の巫女の仕事は、外から入ってきた者を排除することではない……どちらかといえば、むしろ受け入れるための段取りをつけているという気がするのです。あるいは敵としての性質をもつ者であっても、その心を鎮め、取り込んでゆくという傾向にあります」
「なるほど」
「大結界が設定され、幻想郷という領域が構築されるにあたって、なぜこの土地が選ばれたのか……妖怪のいわば溜まり場としての機能を果たせるような場所は、他にもたくさんあったと思います。それが、なぜここなのか。おそらく、それは古くからあるこの神社のもつ固有の性質だったのではないかと思うのです。単に守る、あるいは侵入を阻止するというのではなく、異質なものを受け容れて取り込む……それは、辺境における共同体の知恵の反映だったのではないでしょうか」
「博麗神社の神が曖昧なままであるということも、それと係わりがある?」
「ええ。そして、神職が男性ではなく、巫女であるという点も。彼女は、神を鎮め、受け容れるための生贄だったかもしれません」
「……だとしたら」
慧音は息を吐き、想いを馳せるような目つきになる。
「その役割は、今に至るまで受け継がれているということですか」
「そうですね……でも、生贄は必ずしも犠牲者であるとは限りません。神々と出会うことによって、新たな自己を見つけることもあったかもしれないのですから」
そこで、阿求は苦笑を洩らす。
「もちろん、それは周りの都合の良い解釈と言われるかもしれませんが」
「いいえ。阿礼乙女であるあなたの言葉は軽くは受けとめられませんよ」
慧音は敬意を含む眼差しを阿求に向けて言う。
「神に選ばれし者が背負う運命……それに正面から立ち向かう者にこそ、神は微笑むのでしょう」
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拝殿への参拝を終えて、眺めの良いところで弁当でも広げようか、となったところで、妹紅が私にこいこいと手招きした。
「先生……ちょっと、霊夢の様子を見てこいよ」
「え? いや、でも子供たちもいるし。そのうちこっちに来るだろう、この騒ぎなんだから」
境内には走り回る子供たちの歓声が響き、かなりの騒々しさだ。
「いや……あいつは案外、こういうのに慣れてない。たぶんおじけづいて、母屋に引っ込んでるんだ。でも、こういうときこそ、神社を代表するものとして表に出て、交流をするべきだと思わないか?」
「そう言われればそうだな」
そこまで考えてくれているとは思わなかった。
「しかし、ここをまかせて大丈夫か? 子供の扱いが苦手だって前言ってたじゃないか」
「いや、まあ……少しの間なら大丈夫だから」
「そうか、それじゃ」
そのとき、突然、悲鳴とも歓声ともつかない声が子供たちの間から上がった。
「どうした! 何かあったのか?」
すると、子供たちが口々に空を指さして言う。
「先生、あれ……あれって……」
「妖怪?」
「羽根が生えてる……!」
目の前に、青い空から溶け落ちるように姿を現して、ふわふわと降りてくる少女の姿があった。
「やあ、チルノ」
ごく自然にその名前が出た。
すると、彼女もごく自然な調子で私に言う。
「なんだ……あんた、帰ってきてたのかい。それならそうと言ってくれればよかったのに」
氷の翼をもつ妖精は、そう言うとにこりと笑った。
「それにしても、ちょっと見ないうちになんだか立派になったね」
「そうか? そうでもないと思うがな」
なんだろう、この気持は。この、暖かな感じは。
そこへ、霊夢があわてたように走り出てきた。
「あっ……!」
霊夢は私と子供たち、そしてチルノの姿を見て、びっくりしたように顔をする。
「ああ、なんでもないんだよ。チルノが出てきたから、子供たちがちょっと驚いただけだ。みんな、この子は氷の妖精、チルノだ。べつに怖くはないよ。ふだんは霧の湖に住んでいるんだ」
子供たちは、なにか神々しいものを見ているかのように、チルノの姿を見上げている。ふだん、あまり里から出ていないから、妖精というものを見る機会も少ないのだろう。実際、氷の翼を輝かせながら空中に浮かんでいる彼女の姿は美しい。
するとチルノはすこし照れたように言う。
「……なんだか、あたい、こういうのは苦手だよ。ちょっと、にぎやかだったから様子を見に来ただけだ。また、そのうちに遊びに来るから」
そう言うと、チルノは手を振って、空の中へとふたたび戻っていた。
「先生、すごい! 今の妖精と知り合いなの?」
「ああ、まあね。あちこち出歩いていたから、そういうこともあったのさ」
「いいなあ。妖精とお友達なんて……」
「また神社に来たら、会えるかな」
「そうだな。ああ、それからみんな、神社に来れば必ず会える人も紹介しておくぞ」
私は霊夢のそばに立って言った。
「この人が、ここの神社の巫女さん、博麗霊夢さんだ」
「こ……こんにちは」
霊夢が言うと、子供たちは礼儀正しく「こんにちは」と挨拶する。
「な、なにもないところだけど……眺めだけはいいところだから、その、楽しんでいって下さい」
ぎこちなくはあったが、初めての挨拶としては上出来だろう。
子供たちが妹紅と一緒に、お弁当を拡げる場所を探しはじめると、霊夢が私に向かって言った。
「さっきのチルノのあの感じって……まるで、前からの知り合いとしゃべってるみたいだったわ」
「そうだな。実は、私もそんな気分だった……」
「!」
「いや、もちろん『思い出した』わけじゃないんだ。ただ、昔から知っているという『気分』だけがある。その『気分』は私の中の『私』がどこかで視たはずのことと、きっとつながっていると思うよ……他の人たちに対しても、もちろんきみに対してもね」
「なんか……それはそれでちょっと羨ましいかも。自分でも思っていなかったようなことを懐かしめるってことでしょ?」
「ああ。でも、これからもっと自分で懐かしめることを積み重ねて行きたいね。そうすれば、きっと本当の意味で、私は『私』と一つになっていくと思うよ」
すると、霊夢はすこし思わせぶりな口調で言う。
「じゃあ、まあ……がんばってください」
「できれば、ぜひ協力をお願いします」
「考えておきましょう」
霊夢は笑顔でうなずいた。
すると、妹紅の声が聞こえた。見ると、石段の近くの見晴らしのいい場所に、むしろを広げてくれていて、子供たちももう座っている。
「おふたりさん。お話の途中悪いけど、こっちは用意ができてるんでね。一緒に来てくれるかい」
「ああ、悪かった……じゃあ、行こうか」
そこでなんとなく私が差し出した手を、霊夢はごく自然に握り返してくれた。
それは、本当に懐かしさを感じる仕草で……きっと、この瞬間のことを未来の私は懐かしく思い出すことになるだろうな、と思ったのだった。
(了)
これにて東方傀儡異聞シリーズは完結となります。長い間お付き合いいただき、まことにありがとうございました。これだけの長い小説を書いたのは私自身初めてのことで、かなり厳しい状況もありましたが、とにかく完結までたどりつけたのは嬉しい限りです。また、新たな作品でお目にかかれる機会があるといいなと思います。そのときにはどうぞまたよろしくお願い致します。
ちなみに、このシリーズ四作目のサブタイトルは「しゅゆにきざみしとわのひとがた」でした。




