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その4



     四



 呼び鈴の音に、はっとして眼を覚ます。


 身体を起こして窓の外を見る。灰色の曇天だが、空の色からするともう昼近く……いや、とっくに過ぎているのかもしれない。


 階段を降りてみると、玄関には薄ピンクのコートを着けた女性が立っていた。


「ご無沙汰してましたね、どうですか、元気してました?」


「酒井……」


 相変わらずどう見ても地毛としか思えない豊かな金髪が肩から背中へと波打ちながら流れ落ちている。これで純然たる日本人だというのだから、人間離れしている。


「ここらへんはまだ雪がたくさん残ってますね、今年はやっぱり寒いのね。大変よね、住民のみなさんは」


 そんなことを言っている割には、コートには雪の跡もないし、足元も濡れていない。おおかた駅からそのままタクシーで来たのだろう。


「はい。新年のプレゼントです」


 ずっしりとした重さの手提げ袋を手渡される。中身はいつもの通り、鍋の材料だ。


「上がりますよ?」


「ああ、はい。どうぞ」


 同級生のはずなのに、目上の人間を相手にしているように感じてしまう。だからこそ、一人暮らしの男の住む家に彼女が上がりこんでくることにあまり違和感がないとも言えるのだが……。


 台所に入った彼女は周りを見回すと、首をかしげる。


「なんとなくすっきりとした感じがしますね。前はちょっといかにも独り者の台所、っぽい空気があったんですけれども」


「これでも大掃除はしたんだよ、いちおう」


 突然の訪問者が来ないとも限らないという気分がそうさせたというところなのだが。


「なにか心境の変化でも?」


「いや……まあ、そんなこともないがね」


「とりあえず、鍋とかは適当にいつも通りの感じでお任せします。わたしはおこたを出してお待ちしております」


「……かしこまりました」


 彼女は鼻歌交じりにすたすたと茶の間へ入ってゆく。


 大学の頃に同じサークルにいたという縁だけでなんとなく交流が続いていたが、私が職場を離れて以来、彼女は何の予告もなくやってきて、家に上がりこんで私と話をして帰ってゆく。東京の何処の会社に勤めているのかよく分からないが、話を聞いている限りではゲームやその周辺のコンテンツを企画・制作する仕事に携わっているらしい。私にフィギュアの制作を勧めてきたのもそのあたりの話がきっかけだった。


 材料の準備が終わり、こたつの上においたカセットコンロに火をいれて、土鍋をかける。それとは別に、正月料理の残りを適当にならべて、温めに燗をつけた酒の銚子をふたつ、猪口をふたつ置く。


「お疲れ様ー。では、おひとつどうぞ」


 銚子の首をもつ指先は、白く細い。


「ああ……」


 彼女は私が差し出した猪口に酒を注ぐ。そして、いつものように自分の猪口には自分で注ぐ。


「あけましておめでとうございます、九藤くん」


「おめでとう、酒井」


 ふたりで猪口を干す。


「いやー、ようやく正月が来たって感じ」


 そう言うと、彼女は干したばかりの猪口に酒を注ぐ。


「年末からこっち、いろいろと面倒なことがあって……自分の家にもろくに帰ってないありさまです」


「それではるばるこんな田舎までやって来て、むくつけき中年男と酒を飲んでるってのも酔狂な話だな」


「中年って……それはいくらなんでも言い過ぎじゃないの。そりゃあピチピチの若者とは言い難いでしょうけどね、お互いに」


「……きみは年齢の概念を超えた存在だよ。大学の頃とどこが変わったのか、さっぱり分からない」


「比較するためのデータが手元にないからでしょう。もちろん、変化を気づかれないように工夫もしてるけどね」


 変わった性格としかいいようがない。数学科始まって以来の才媛という評判だったにもかかわらず、自分が受けたい講義しか受けず、結局は退学してしまった。本人の台詞を借りるなら大学に入ったのは「文献とかが豊富そうだったから、そこらへんにアクセスする資格をとっておこうと思っただけ」なのだそうだ。


 とりとめもない話をしながら鍋をつつき、盃を重ねているうちに、次第に酔いが回ってきた。そして、こちらの気の緩み加減をまるで見透かしたかのように、彼女が問いかけてくる。


「ところで、このあいだ言ってた人形、どうだった?」


「ああ……人形ね」


 そういえば、この件については彼女にはまだ何も話していないのだった。だが……あの日のこと、そしてそのあとにやってきたあの奇妙な二人の少女のことを話したものだろうか?


 常識的に考えれば、記憶に残っている出来事を自分の印象のままに話してしまったら、精神を病んでいると思われてもおかしくはない。


「それはないわよ」


 思わず眼を見開いてしまう。


「もしかして……いま、考えを声に出してたか?」


「いいえ。ただ、あなたの顔を見ていてなんとなく想像がついただけよ。あなたの体験が常識の境界を越えたものだということがね」


「常識の境界……」


 確かに人々が共有している認識というものはある種の境界線を形作っているのかもしれない。認識とはつまるところは世界、自分と内と外との境目に他ならないからだ。


 そこで、ふと目の前の友人の顔を見て思い当たる。


「酒井……縁」


「あら、どうしたの? いきなりわたしのフルネームをつぶやくなんて」


「いや。妙な暗合だと思ったからさ。酒井というのはここらへんでは別に珍しい姓というわけじゃないが、サカイという音は境界のサカイにも通じる。そして縁という字はえにしという意味でも使われるが、縁側という言葉のように側面の境界という意味でも使われる。つまりそれも境界を暗示する言葉だ」


「それを言うなら、あなたの下の名前のマサキだって、サキという音を含んでいるじゃない。サキは岬を意味する崎に通じるし、先端の先、さらには裂けるという意味の裂きに通じる。マという音を真のというマにあてはめれば、マサキは『真の裂け目』を意味する言葉になる」


「…………」


「そして、あなたの作る人形もまたしかり……人を形作るということは人としての境界面を空間から掘り出すこと。そして、その境界の向こう側に私たちは人の心を幻視してしまう。心の向こう側に現れる心。その二つの心の境目となっているのが、人形」


「酒井……」


「いずれにせよ、あなたが何を言おうとも驚かないわよ。常識の境界なんて、わたしには何の意味も為さない。だから、話してくれるかしら」


 彼女にとっては人の心の境界さえも意味を為さないに違いない。そんな気がした。



     ☆★



 私は完成した人形を奉納しに行った神社で起きたこと、そしてその後訪ねてきた二人組の少女たちのことを話した。そして、そのときに感じた不可思議な精神状態のことも……。


「なるほどね……肝腎な点はそこよ。その奇妙な精神状態」


「そうなのか?」


 不可思議な現象とともに消えた人形を、ある日訪ねてきた謎の少女がもってきて「譲って欲しい」と言いに来たという事実のほうがよほど重大というか、不可解極まる出来事だと思うのだが。


「もちろんそれはそうなんでしょうけど……わたしはすこし勘違いをしてたかもしれないわね。そうか、そのときに『彼』の一部があなたの心に融けていたのかも」


「『彼』って……その人形に宿っていたという魂のことか?」


「ええ。まあ全部を説明しようとするとなかなか大変なんだけど……やっぱり、自分のことを話さないとダメみたいね」


「自分のこと? どういうことだ?」


「酒井縁というのは、わたしという存在の一部……この世界における写像のようなものなの。わたし自身が創りだしたものといってもいい。あなたにとっての人形のようにね……」


「それはまた極端な例えだな。ヒトは生命体、人形はモノだ。全然別物じゃないか」


「さっきも言ったでしょう。人の形を作るという行為は、その中に人の心を視るという行為でもあるのよ。つまり、このわたしは」


 酒井はその端正な顔を自分で指差す。


「オリジナルのわたしにとってのヒトガタなのよ」


「…………」


「どう? ここから先の話を聞きたい?」


「聞かざるを得ないな」


 お互いに酔っている……少なくともそうした空気を共有しているせいか、荒唐無稽な話をしているという気分ではなかった。


「簡単に言うと、あなたのところへ訪ねてきた二人は、わたしの知り合いなのよ。彼女たちは、わたしの本来の住処でもある場所の住人なの。そして……本来ならあなたは去年の秋分の日、そこを訪れることになるはずだった」


「それはつまり……」


 私は、あの日の夕日に包まれた光景を思い起こしながら言った。


「あの人形と一緒に、『向こう側』へ行くはずだった、ということか?」


「ええ。あなたなら、結界を通り抜けて来れるはずだと思ったから。そうすれば、少なくともわたしが呼び寄せたという形にはならないから、都合が良かったのよ」


「…………」


 なにか、彼女はとんでもないことを言ったような気がする。『わたしが呼び寄せた』?


 いや、その前に『わたしの本来の住処』だって?


「……呼び寄せて、どうするつもりだったんだ?」


「あなたが来ることで変化が起きるかもしれないと思ったの。正直、変化を望んでいるかどうか、自分でもよくは分からないけど。でも現状維持に見えて実は衰退なんてことも世の中にはよくあることだから。ものは試しって感じで」


「まるで実験動物みたいだな。ずいぶんひどい扱いじゃないか」


「でも、あなた自身も環境の変化を望んでいたでしょ。この先ずっとマニア向けの人形を作ってるわけにもいかない……もっと目に見える、近くにいる誰かのための自分でありたいと、そう願っていたんじゃないの?」


「…………」


「そして、あなたは変化をもたらすために必要な能力も持っている。すくなくとも向こう側でならそれは十分に発現し得る力なの。あなたのお父様やそのまたお父様が仏像や神具に関わる仕事をなさっていたのは単なる偶然というわけではないのよ」


「偶然じゃなければ何なんだ?」


「そうね……からみあった縁が生んだ結果というべきかしら? まあ、人形を操るのは西洋の魔法使いの専売特許というわけではないということよ。太古の昔から人形にはさまざまな役割があり、それによって大きな力を動かすこともできた。ただ、時代とともに人々が生きてゆく環境も変わる。それに合わせて生業を変えていかざるを得ない。だから、あなたの家の場合は神仏に関わるモノを作るという線に落ち着いたわけ」


 ここで「いったい、君は何者なんだ?」などというベタな問いを発したところで、答えは返ってこないような気がした。


 ならば、外堀を埋めてゆくしかない。


「きみは、あの黒髪の女の子の保護者のようなものなのか?」


「霊夢のこと? 保護者……そんな曖昧な存在じゃないわ。利用者、といったほうがいちばん正しいでしょう。あの子のもつ力を利用させてもらっているの。彼女は、楽園を統べる女王なの。本人はそういう意識はまったくないんだけど、人間離れした能力でもってあらゆる厄介事を解決することができる、優れ物なのよ。ただ、それだけに不安定なところもあってね……そろそろ安全装置が必要かな、とも思えてきたの」


「あの年頃の女の子が不安定なのは当然だろう。実際、自分が何者なのかという点で悩んでいる感じだった」


「……どうしてそう思うの?」


「彼女自身がそう言っていたからさ。空っぽだったわたしに生きる人としての形を与えてくれています、とね。私は正直、その『彼』とやらに嫉妬してしまうね。そこまで女の子に言わせるなんて、いったいどんな奴なんだろう。一度会ってみたいもんだよ」


「まさにそれよ」


「何が?」


「あなたにその『彼』と会って欲しいと思っているのよ、わたしは」



その5につづく

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