その30
三十
一本桜の原のほぼまん中、二塁ベースのやや後ろというあたりに移動して向かい合った私とイヅナ君は、ひそひそと言葉を交わす。
「お前、初めてなのか……?」
「もちろんだ。きみは?」
「俺なんか、口をきくのも怖ろしいぜ……鬼だからな。石を置いてったって噂は聞いていたが、まさかここに来るとはな」
イヅナくんの声は緊張している。
「こういうことになるとは思ってもいなかった。妙な話だが……ちょっと段取りを変えなきゃならねぇ。正直、こっちの思う通りに進めるわけにはいかない感じだ」
「大丈夫だよ。私のほうは問題ない。結果として、一方的な勝負になっても、それは仕方がない。もともとこちらも危険は覚悟しているからな」
「すまねぇな。ちょっと相手が悪すぎる」
イヅナくんは桜の下に腰を据えている鬼の少女のほうをちらりと盗み見る。
「ま、それでも、まだやりようはある。お前だけが損な役回りっていう風にはしない。そっちは思い切ってかかってきてくれ」
「そうか。まあ、変な言い方だが、よろしく頼むよ」
「おう。さあ、こっちはいつでもいいぜ」
私たちはお互いにすこし離れ、間合いをとる。
人形の腹のサファイアに左手の人差し指を触れた。意識が人形の側へと移動し、同時に浮遊する感覚が生まれる。
思った通り、この人形を通した視界だと、相手の姿が『視え』る。
イヅナくんとの間は七、八メートルといったところか。
合図の代わりに、いったん垂直に浮き上がる。
『いくぞ』
自分自身につぶやき、それから一気に突入した。
*****
「おっ、あれがそのあれね? 速いじゃない? おお、おお、動く動く。やっぱりチビとおんなじ感じじゃない。っていうか、もっと速いかも。どう、咲夜?」
「そうですね。動きは、機械的な感じですけれども……速さはかなりのものです」
「なんていうのかしら、槍術? いや、違うな。ヌンチャクとかあっちの系統の動きかな。美鈴とやらせたらいい感じかもね」
「しかし、相手のイタチですか? 彼の攻撃も射程が長いはずなのに、九藤さんに届きませんね。あの人形の動きが速くて、ガードされてしまうという面もあるんでしょうが……おっかなびっくり、という感じです」
「たぶん、あの男の身体を直撃しないようにしているのよ。ああいうなりではあるけど、そこそこに実力はある妖怪だと思うわ。ただ、どうなのかな……手加減にしてはちょっと下手くそね。もうすこしうまくやれるものだと思うけど」
「……あの人形に触れることを恐れてるんじゃないでしょうか?」
*****
二つに分かれ、重なりあった視界の一方がめまぐるしく動く。
イヅナくんの攻撃は俊敏だった。弾丸のような速さ。
眉間に尖ったものを突きつけられた感覚。恐怖の動線。
避けていては、間に合わない。
人形に乗せた意識を駆動して、相手の攻撃を『前に出て』妨害する。
腕の付け根を狙って突っ込む。当然、相手は避ける。すると、腕の動きが鈍る。
こちらの本体は、ほとんど棒立ちだ。この攻撃が停まってしまうと、瞬時に勝負は決着する。
生きた鞭のような二本の腕が、風切り音とともに迫る。それを横殴りに弾き返すようにして、動きをけん制する。
左右二本を相手にするのはしんどい。一方の腕が引っ込んでも、すぐにもう一方の腕が突き出てくる。
左右に振り回すように、動く。とにかく、本体が向こうの射程に入らないよう、押し込んでいく。
私としては攻撃を続けるしかない。問題は、いつまで続けられるかだった。
体力というよりも、集中力か。
*****
「なんだか不満そうね?」
「紫か。まあなんていうか……」
萃香は草原の上で動きまわる二つの影、正確には一匹の妖怪と一体の小さな人形を見やって、言う。
「地味だよね、絵面が」
「そりゃあ、弾幕戦とは違うから。本人たちはかなり必死だと思うわよ」
桜の木の下、中空に現れた切れ目から顔を出した紫は扇子で口元を覆いつつ、眼に笑みをたたえる。
「その必死さっていうのがどうもねぇ……美しさのかけらもないよ」
萃香の言葉に、紫はさらりと返す。
「木っ端妖怪と人間の戦いに美しさを求めるのがどだい無理というものよ」
「……なんで紫はあんな人間の男の贔屓をする?」
「贔屓なんかしちゃいないわよ。安全確認のために必要だから連れてきた。帰すわけにもいかないから、里に紹介した。わたしがやったのはそれだけ」
「どうだかな。なんにしても、こんな勝負はイカサマだろう……」
萃香は瓢箪から杯に酒を注ぐ。
「あら、どうしてイカサマだと?」
「あのイタチは人形の攻撃を避けてばかりで、あの男の本体を攻めようとしない。これでは、いつまでたっても勝負は決着しないだろう」
「ある意味、あのイヅナさんもいい根性をしているということじゃないの? 鬼であるあなたの脅迫に負けずに筋を通そうとしてるんじゃない?」
「わたしは脅迫なんてしてないぞ?」
「存在自体が脅迫でしょう、あなたの場合。自分でも分かってるでしょ?」
「…………」
紫は視線を草むらで戦うふたりへと向ける。
九藤の人形は空中を生き物というよりは、一定のテンションをもつ見えないゴムひもで操られているかのように動き回り、鞭のように動くイタチの腕を攻撃している。イヅナは左右に動きまわってその攻撃を避けつつ、九藤に向けて腕を伸ばそうとしているが、なかなか思うようにいかない。
「あの人形の動き、まるで多軸のロボットみたいね」
「……なんだそりゃ?」
「外界の機械にそういうのがあるのよ。でもまあ……わたしの見た感じでは、あれはイヅナさんが手加減してるわけじゃないと思うけど。たぶん、勝つための正攻法よ」
「正攻法? どういうことだ」
「ひとつは時間切れを狙ってるのよ。ただ、そういう勝ち方は本意ではないでしょうから、時機をみて……」
紫が言いかけたそのとき、イヅナが高く飛び上がった。一瞬、人形の動きがうろたえたように乱れる。その瞬間、イヅナの左腕が一直線に九藤に向かって伸びた。
*****
あっと思った時には彼の左腕がこちらの右手に巻き付いていた。
飛び上がった、というのは思い込みで、彼は距離を詰めるために飛んだのだった。
気づいたときはもう遅かった。
「!」
引き倒されそうになるのを脚を踏ん張ってこらえる。
お互いの間合いがさっきよりもかなり近くなった。
何よりも問題なのは、攻撃が右一本に絞られたために、こちらの反撃の選択肢がなくなってしまったことだ。
しかも、右一本になったので攻撃そのものが速くなった。
こちらの右腕を固定している彼の左腕を攻撃すると、瞬時に彼の右腕でこちらの本体がダメージを受けるだろう。
動きまわるイヅナ君の右腕、腕というよりは鞭に近いそれに人形を当てて、動きを封じようとするが、彼もかなり必死の形相だった。おそらく、人形が接触するたびに、力を吸い取られているのだろう。
ぎりぎりの勝負とみて、賭けを挑んでいるのかもしれない。
ならば、こちらも。
人形を左手に呼び込む。
一瞬、分かれていた感覚が一つになる。
私は本来の身体ごとイヅナくんの前に走りこもうとした。
と……。
「……!?」
焼けるような熱さが人形を抱えた左腕から肩へ、肩から右腕へと走り、その右腕が正面に向かって突き出されていた。
*****
イヅナの妖怪の身体が弾かれたように空中へと舞い上がる。彼自身が跳んだのか、何かに飛ばされたのか、そこは判然としなかった。
だが、次の瞬間、さらにイヅナは跳び上がって、後退する。
巻き付いていたイズナの『鞭』から解放された九藤の右腕はそのまま相手の位置を指し示すようにほぼ水平に上げられている。まるで拳法の構えをとっているかのようだった。そしてその腕の延長線上に、距離にして二、三メートルのところに彼の人形が浮遊していた。
「……なんか、さっきと状況が変わったみたいね」
レミリアが眼を細めながら言う。
「あの男の様子がちょっとおかしいと思うんだけど」
「意識を失ってるんじゃないでしょうか」
と咲夜。
「あら、やっぱり? でも、あの人形はまだ『生きて』るわね。それとね、とても怖ろしいことに気づいたわよ。あの人形の気配を……わたしは知ってるわ」
レミリアは口元に薄い笑みを浮かべるが、視線は厳しいままだ。
「これはつまり、幽霊ってことかしらね?」
*****
なんだ……これは?
前にもあった。
人形、だったか。人形の中に、意識が入っているのだったか。
『どうしたんだ、おい? 生きてるのか?』
前方の影から、聞こえる。
『きみは……誰だ』
『おい、しっかりしろ! 俺たちはいま勝負の最中なんだぞ?』
勝負……そう、勝負か。戦っているのだったか。そんな気はするな。
『私は……人形の中にいる。ということは、本体は人間か?』
『!……お前、魂がそっちに移ってるのか。もしかして、自分が誰なのか分からないのか?』
『そうだ、たぶん……その通りだ』
『戻れ! 自分の身体に戻るんだ。そのままじゃ、お前は自分を保てない。お前の身体は真後ろにある』
真後ろ……。
そう、あれが……そうか。あれが私か。あそこに戻れば……
*****
「射線から横にはずして!」
レミリアの一言と同時に、咲夜は時を停めた。
樹上から飛び降り、林の中から抜け出て静止した草むらを駆け抜け、距離をおいて向かい合っている九藤とイヅナの側面に達する。
「…………」
人形は、九藤の右手に吸い寄せられる直前だった。
咲夜はイヅナの横に真横に立った。
静止した時が、一瞬、動きを取り戻す。
「ごめんなさいね」
咲夜はイヅナの横っ腹を蹴り飛ばし、ふたたび時を停める。
(間に合えばいいけど)
咲夜は再び駆けて林の中に戻り、元通りに樹上の人となってから、時を動かす。
次の瞬間、地鳴りのような低い轟きが一本桜の原全体を包んだ。
*****
(あなたの場合、右は陽……『吐き出す』側なんだと思うわ)
なぜその言葉が浮かんだのか分からない。
ただ、なるほど、と思った。
その31につづく




