その11
十一
雪の降る日が減り、ときには青空が見えるようになってきた頃。
博麗神社を訪ねてきた魔理沙が、縁側でお茶をすすりながら、ふと思い出したように言った。
「そういえばこのあいだ、あの外に行った時の人……九藤さんか。香霖の店で会った。びっくりしたぜ」
「えっ? あの人、まだいたの?」
「……まだいたの?」
魔理沙は首をかしげる。
霊夢はしまった、というような顔をするが、もう遅かった。
「それはつまり、こっちに来てたってことを霊夢は知ってたわけだな?」
「……うん。前に、ちょっとね。正月に永遠亭から戻ってきた日に」
「じゃあ、紅魔館のあれの後にか? ということはここに来てたのか?」
「ええ。紫が連れてきたらしいわ」
霊夢はそのときのやりとりについて魔理沙に話した。
「つまりあれか……霊夢の身体にチビがもう一回取り憑いてるんじゃないかと。それを確かめるためにわざわざ外から連れてきたのか? 九藤さんにしてみれば、いい迷惑だな」
「……まあ、そうよね」
「しかしそうすると、もうかれこれ一月以上はこっちにいるってことだな。まあ話を聞いた感じじゃ、けっこう里の生活には馴染んでるみたいだったなあ。ちなみに慧音のところで先生やってるらしいぜ? 子供たちには評判がいいらしい。なにしろ、子供にしてみると、ほとんどチビと同じような感じらしいんだ。人形が人間の姿に戻った、みたいな……実際、話し方とかそっくりだもんな」
「…………」
「どうした」
「魔理沙は、その……どう思った?」
「九藤さんか? まあ災難だったと言うしかないな。外の世界からいきなりこんなところに引っ張りこまれたわけだから、大変だっただろう。しかもいまは冬だからな。いちおう住まいはあるらしいが、ボロ家にちょっと手を入れたぐらいのところに住んでるらしいぜ。暮らし向きはきついだろうな」
「でも、おかしいと思わない? わざわざそんな辛い暮らしをしなくたって……戻ろうと思えば戻れたはずよ。紫もそこまで酷くはないはずよ。それに、あのふたりって……」
そこで霊夢は一瞬口をつぐむ。紫と彼が知り合いだったことは伏せておかなければならない。
すこし考えてから言葉を継ぐ。
「……あのふたりの様子からすると、見ず知らずの人を無理やり連れてきたっていう感じじゃあなかったし」
「でも、いま聞いた話からすると、これまでの経緯とかを全部知ってるわけだろう? そんな人間を素直に元の世界に返すか? わたしが紫の立場だったら返さないな。ここも住んでみればそう悪くない、ぐらいのことを言って、うまく言いくるめたんじゃないのか」
「うーん……」
「まあ、気になるなら慧音のところに行ってみればすぐ会えるとは思うぜ。住んでるところも寺子屋から近いらしいしな」
「べ、別に気になるわけじゃないわよ。ただ、意に沿わない形でここにいるなら、気の毒だと思って」
「香霖は喜んでたけどな。外の世界の話が聞けるってことで。それに、道具関係の知識もかなりあるらしいから、使い方の情報と交換でいろいろ取引してるんだと」
「…………」
「九藤さん自身がチビのことについて何を考えてるかは分からんが、それを理由にこっちがあの人のことを色眼鏡で視るってのもどうかとは思うからな」
「それは、そうよ……」
「ま、少なくとも悪い人ではなかったぜ。わたしの印象ではな」
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「さようならー」「さよなら、先生」
「さようなら。気をつけてね。道が滑りやすいから」
「はーい」
子供たちは元気に前庭から外の道へと出ていく。垣根の向こうからまだ手を振っている子もいる。子供というのはどうしてああも元気に手を振れるものだろう? こういうのは外界だろうが幻想郷だろうが変わりはない。
みんなの姿が見えなくなったところで、講義に使っている部屋を片付け、軽く掃除をしていると、障子が開いて慧音さんが顔をのぞかせた。
「お疲れ様です。もうすぐお昼の支度ができますから、座敷のほうに」
「ありがとうございます。こちらももう終わりますので、すぐ行きます」
掃除を終えて廊下に出ると、玄関から妹紅が入ってくるのが見えた。
「やあ。いつも絶妙なタイミングで来るね」
「なんだそれは。わたしが頃合いを見計らってここに来てるみたいじゃないか」
妹紅はちょっと拗ねたような顔をする。
「竹藪案内の仕事とかが終わると、だいたいこれぐらいになるんだよ」
「いや、べつにそれが悪いと言ってるわけじゃないさ」
私は思わず笑ってしまう。
「むしろ野暮ったい男がせっかくのおふたりの憩いの席に加わるようになって悪いと思っているよ」
「……べつにそんなことはないが」
座敷に入り、囲炉裏を囲んで昼食を摂る。今日は山菜と豆腐の入った雑炊に、漬物だ。
「授業の方は慣れてきたのか?」
と妹紅に訊かれる。
「まあ、そこそこ……かな。読み書きの方はましなんだが、算術は子供たちの集中力を保つのが難しいんだ。できる子はほうっておいてもやれるんだが」
「ただでさえ冬の間は子供たちは家にいる時間が長いですからね。どうしても落ち着かなくて」
慧音さんが苦笑を浮かべる。
「それでも、先代の先生が残してくれた資料は役に立ってるよ」
「先代?」
「チビさんのことですよ。前に今後の指導方針というのを打ち合わせた記録があったんです」
と慧音さん。
「へえ……そんなのが」
「算盤の勉強の中に段階を踏んでアラビア数字を取り入れてみるとかね。考え方はすごくいいと思ったんで、そのまま使わせてもらってるんだ」
「あんたもその立場に立てば、同じようなことを考えたんじゃないか?」
「うーん、どうだろうな。私だと、もっとあれもこれもって詰め込みすぎる感じになってしまったかもしれない」
「外の世界とは教えている内容にだいぶ差があるでしょうからね……」
と慧音さん。
「まあ、その差を急いで埋める必要はないと思いますよ。環境が違い過ぎますから」
私はさりげなく言っておく。真面目な性格の彼女は、子供たちの学力が外界に較べるとかなり低いのかもしれない、と気をもんでいるのだ。
子供たちがこれまでに積み重ねてきた生活も当然違う。教え方を改良していくにしても、慎重にやっていかなければならない。
昼食の後、簡単な打ち合わせを慧音さんとしてから自分の家へ戻った。
家というよりも小屋と言ったほうが近い感じで、八畳ほどの板の間の周りに一間ほどの幅の土間があるだけ簡素な作りだが、壁と屋根があって寒さがしのげるだけでも十分だった。もっとも、壁にはあちこちに穴が開いていたので、補修をしなければならなかったが、そのあたりは慧音さんの知り合いの人にやり方を教えてもらい、材料も分けてもらった。
食料と燃料に関しては、慧音さんの家に生徒たちの親が持ち込んでくれるものの量が増え、その増えた分を回してもらうという形でなんとかなった。つまりこれが事実上の給料というわけだ。実際、江戸時代の寺子屋というのはそういうものだったらしい。
慧音さんは人間寄りの立場にたつ妖怪とはいえ、他の妖怪との繋がりがないわけではないらしく、そのあたりを通じて得ている物資もあるようで、生活用品なども提供してくれた。とくにマッチやランプといった必需品を分けてもらえたのはありがたかった。
こうしたことに限らず、衣食住に関しては想像以上に苦労する部分はあったが、それでも日々の暮らしがなんとかできるぐらいの水準はなりつつあった。
板の間で囲炉裏の火を起こしていると、入り口の板戸を叩く音がした。
「こんにちはー」
ずいぶんと若々しい女性の声だ。
「どうぞ。お入りください」
立ち上がって板の間から降りようとしたところで扉が開いた。
「どうも、はじめまして。わたし、こちやといいます」
「こちやさん?」
「はい。東風の『こち』に谷と書いて東風谷です。まあ良かったら、さなえと呼んでもらってもかまわないんですけど。あ、さなえは早い苗と書いて下の名前です」
薄ピンクのハーフコートを羽織っているその姿は、ごく普通のOLないし女子大生のような感じで、幻想郷の住人らしからぬ印象だった。ただ、つけている髪飾りがカエルと蛇の形をしているというのが珍しいといえば珍しい。
「九藤さんですよね? 里の寺子屋で先生をなさってるという」
「そうですが……」
「わたし、山にある守矢神社というところの神職をしています。いちおう神でもあるんですが、わたしに対する信仰ってそれほどでもないので、巫女だと思ってもらえればいいと思います。それでですね」
早苗さんはとんでもないことをさらりと口にしつつ、板の間の縁にぺたんと腰掛ける。
「今日はわりとお天気もいいですし、信仰獲得のための勧誘に来ました。といってもですね、べつに押し付けがましいあれではないんです。とりあえずまずはお知り合いになっておきたいというぐらいのことでして。むしろ、そっちのほうが重要ですので」
「そ、そうですか……」
なんとなく勢いに呑まれてしまいそうな感じだ。しかし、博麗神社のほかにも神社があるというのは知らなかった。
「九藤さんって眼鏡の人だったんですね。いかにも理系の先生って感じです。同じ眼鏡でも香霖堂のあのかたとはまたちょっと違う感じです」
「……まあ、せっかくですからお茶でも淹れましょうか?」
「あっ、ありがとうございます」
彼女は最近自分が仕える神様たちとともにこの幻想郷に入ってきた人間で、いわば『新入り』なのだと言った。そういう意味ではここで言うところの外来人に近い存在でもあるという。
「ただ、九藤さんの場合は例のチビさんとの絡みで注目されているというのはあると思いますね」
早苗さんはお茶をすすりつつ言う。
「注目……されているんですか」
「ええ。主に妖怪からですけれども。もちろん、うちの神様たちも注目してますよ」
「……そういえば、神社同士のつながりということで、博麗神社との付き合いというのはあるんですか」
「もちろん、ありますよ。まあ、いろいろあったんですけど……いまはあそこにうちの分社を置かせてもらってるぐらいで、あっ……そうだ」
早苗さんは湯のみを持ったまま勢いよく立ち上がる。
「分社の掃除に行かなきゃなーと思ってたんですよ。今日は天気もいいし、ちょうどいいかも。九藤さん、博麗神社に参拝に行ったことありますか?」
「えっ、いや参拝はまだないですが……」
あのときはそういう状況ではなかった。
「それはいけません。良かったらご一緒しませんか。もう顔見知りなわけでしょう? だったらこの際、参拝ぐらいはしておくべきです。うちもそうなんですけど、人間の参拝客は貴重なんです。きっと喜んでくれると思いますよ」
その12につづく




