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その10



     十



 慧音さんの寺子屋を辞したあと、川沿いの道を進んでいると、後ろから声がした。


 振り返ると、さきほどの妹紅だった。


「ちょっと待ってくれ……!」


 彼女は雪の道を歩きにくそうに進んでくると、私の近くまでたどりついて言った。


「あんたともう少し話をしておきたいんだが。かまわないか?」


「私と……ですか」


 さきほどはなんとなく敵意のようなものを感じていたのだが、どういうことだろう。


 私の表情を読んだのか、妹紅はすこしばつの悪そうな顔をした。


「悪かったよ。いろいろあって気持ちの整理がついてない……だが、このあいだの一件はあんたに責任があるわけじゃないからな」


「境界の妖怪の言いなりになって、道具か何かのように使われているやつ、という風に見られてもおかしくはないですがね」


「そんな風には見ていないよ。ただの知り合いというだけの関係じゃあるまい。それはともかく、どうだ。このあとに何か約束でもあるというのなら遠慮するが」


「いや、そういうわけでは。夕方までには戻るように言われているだけなので」


「里に行きつけの店がある。わたしのほうから話を聞きたいと言ってるわけだから、おごるよ。そこでひとつお願いがあるんだが」


「なんでしょう」


「その堅苦しい言葉遣いはやめて欲しい。紫には普通に話してたじゃないか。あんな調子で頼むよ」


「……分かった。ただ、外の世界で彼女と知り合いだったということはできれば内密にしてもらうと助かる。彼女の立場としては具合が悪いようなんでね」


「というか、それはあんたの立場としても具合が悪いと思うぞ。紫の紐付きだと思われたら、それだけで周りが警戒する」


「そうなのか?」


「……あのあと、紫にはこっちで起きたこととか聞いたのか? これまでの経緯とか」


「だいたいは。正直言えば、ちょっと断片的な印象だったが。年末の事件があった夜、霊夢さんがかなり危なかったという話も聞いた。確か、どこかのメイドさんが活躍して、蘇生に成功したという話だったが。メイドなんてものがいるということ自体驚きだが」


「紅魔館には山のようにいるぞ。妖精メイドは」


「山のように……? いや、それ以前に妖精? あんまり日本的なものじゃないな」


「洋風の妖怪はいくらでもいる。吸血鬼もいるし、魔法使いもいるし、訳の分からない花の妖怪もいるし……」


 そう言ってから妹紅は、深くため息をつく。


「いまのうちに忠告しておくが、ここで生きていくのは本当に簡単じゃないぞ? 外の世界とどれぐらいの文明の格差があるのかわたしには分からないが、あんたからすると相当に不便な生活を強いられるのは間違いない」


「慣れていくしかないだろう。いったん決めた以上は、後には引けない」


「……なんにしても、あんまり他人の親切には期待しないほうがいいぞ。ここはかなり厳しい場所だ」


 人里の中心部に戻ってきたところで、妹紅は通りの一角にある店を指さした。


「あそこに入ろう。見かけは団子屋だが、頼めば料理も出る。しかしまあ、なんというか時間を逆戻りしているみたいだな」


「逆戻り?」


「あの団子屋の前で、チビと初めて出会ったのさ。そのあとにわたしが慧音を紹介したんだ」


「……そして寺子屋にも出入りするようになったと」


「そういうことだ」


 店の中は薄暗かったが、わたしたちの気配に気づいたらしくすぐに奥から店主らしき男性が出てきた。


「いらっしゃい。明かり、つけますから」


 灯された光が、やや薄汚れた感じの、しかし独特の落ち着いた空間を照らしだす。背もたれのない無骨な感じの椅子に、四隅を太い脚で支える卓。奥には小さな座敷席もあった。明治、いや江戸時代といってもいい雰囲気だ。


「良ければ、うちのおせちが残ってるんで出しましょうか? もう昼も近いですし」


「ああ、それは嬉しいな。あとこれもな」


 妹紅が手で小さく何かをつかむような形を作ってみせると、店主は笑顔でうなずき、厨房へと戻っていく。


「……いい店だな。つくりものじゃない、本物の匂いがする」


「?……外の世界にはつくりものの店というのがあるのか」


「まあ、いろいろだ。偽物も本物も入り交じって混沌としているな。現実から眼を背けるには具合がいいぐらいにね」


「混沌か……それはいつの時代も同じだ。現実を眼を背けるなんて、むしろあたりまえのことだ。そうでもしなければ生きていけない連中がほとんどだった。戦乱がないというだけでも、良い時代だ……しかし、こういうのはたまたま長生きしたから分かることだからな。あまり偉そうなことは言えない」


「貴女のことも少し聞いているよ。だがまあ、それは後にしておこう。私と話をしたいというのは、どういった意味合いなのかな?」


「……それは」


 急に彼女は黙りこんだ。それから、すこし低い声で言った。


「その……すまない。自分でも、よく分からない」


 私は半ばあてずっぽうで訊いてみた。


「もしかすると、その人形に憑いていた『彼』に私が近い存在だという点が問題なのかな」


「問題ってわけじゃない」


 あわてたように言う。


「ただ、なんというか……落ち着かないというか。うまく言えん」


「それなら、私のほうから話を訊こうか。あなたが知っている『彼』のことや、あの巫女さんとの係わりを聞かせて欲しい」


 酒と料理が出てからは、妹紅の口も滑らかになり、これまでの経緯について分からなかった部分もかなり穴埋めできた。とくにスペルカードルールという戦いのきまりやそれに沿って行われる決闘についての話は興味深かった。そして、そのきまりを作ったのが他ならぬ博麗の巫女、博麗霊夢であり、彼女自身も異変の解決という形で多くの戦いを経験しているという。


「まあ、人間と妖怪の対立という形だけ残して、中身は遊びというものに入れ替えたということだな。ただ、霊夢は必ずしも人の味方というわけじゃない。といって妖怪の肩をもつわけでもない。両者の間に立つ存在だ……だから、チビはその意味では特別だった」


「特別?」


「人でも妖怪でもない、というか正体不明だった。なにしろ記憶が無い……過去を持たない者だったからな。ある意味、立場的に霊夢に近かった。だから、彼女の側にいることができた」


「そうか。巫女も神の憑坐という意味では生きている人形とも言えるからな」


 こうなると、ますますここに居座り続ける理由が固まってくる。だが、そのためにもまずは自分自身の立場をしっかりとさせなければならない。


 団子屋から出たとき、妹紅が「ありがとう」と言った。


「たぶん、わたしは誰かにチビの話をしたかった。それもチビのことを何も知らない人に。そういうことだったんだと思う」


 再会を約束して、私たちは別れた。


 妹紅の姿が雪をかぶった里の家並みの中に消えた頃、どこからともなく藍さんが現れた。


「収穫はありましたか?」


「それなりにね。いちおう働き口は確保しました。あとは住まいとか、そこでの生活に必要なものとか、いろいろ準備していかないとね。その方法を探してみる。それを通してここで暮らしていくために必要なものの見方、考え方を学んでいくしかないね」


「そうですか……まあ、今日はこのあたりでお戻りませんか?」


 それから低い声でささやく。


「主がけっこう気をもんでおりますから」


 藍さんに案内されて居候先である酒井の家に戻る。道のりとしては人里からさして離れていないようだが、特別な道をたどらないと行き来できない仕組みがあるらしい。


 夏目漱石あたりの作品世界を思わせる和洋折衷の板張りの居間でテーブルに向かい、藍さんが淹れてくれたお茶を飲んでいると、ネグリジェを思わせるような薄い緋色の内着に身を包んだ酒井がのっそりと入ってきた。体つきは私が見慣れていたいつもの大人の背格好に戻っていたが、着ているものがそういう感じなのでかえって独特の印象が強まる。言い方は悪いが高級娼婦のようだ。


 彼女は暖炉の近くにある安楽椅子に腰を下ろし、すこしぼんやりとした感じの目つきで私を見た。


「……わりと早かったのね」


「まあ冬は日が暮れるのも早いし、今日はこれぐらいにしておいたほうがいいかと思ってね」


 必要があればいつでも迎えに来てもらえるという形になっていたので、いちおう私から迎えを呼んだということで口裏を合わせていただきたいと藍さんに言われていた。


「そう。まあ、まだ寒いしね。知らない場所で気も張るでしょうし。疲れたでしょう」


「きみこそ、休んでいたほうがいいんじゃないのか。ここのところの疲れが溜まっているんだろう」


「べつに疲れてなんかいないわ。妖怪はしぶといのよ。刃物で刻まれたって簡単には死なない」


 物騒な言い方だと思ったが、実際その通りなのだろう。ただ、身体はそうでも精神はどうなのだろうか?


「寺子屋の先生には会ってきたよ。講師の件に関しては承知してもらえた。向こうも困っていたらしいからな。まあそれで食えるものかどうかは分からないが、生活の足がかり程度にはなるだろう」


「それは良かったわね。まあ幻想郷は貨幣経済というものがあまり発達していないし、いろいろと不便なこともあるとは思うけど、要はなんらかの立場と後ろ盾を得ればなんとかなるものよ。でも……本当にいいの? いったんここに居着いたら、もう外の世界に戻ることは難しいわよ」


「考えた上での決断というわけじゃないんだ。頭じゃなくて、身体がここにいたいと言っている感じだ。だから、それに従う」


「外の世界では失踪扱いになるわよ?」


「当然そうなるだろうな。かまわないよ。どうせなら、いなくなったということを早めに周りが分かってくれる方が迷惑がかからなくていいと思うが」


「ああ……良ければそこらへんは、わたしの方で手当しておくけど」


「そうか? それならお願いする」


「…………」


 当惑したような顔。もしかして、私が幻想郷に居座るのは本意ではないのだろうか?


「もしかして、きみとしては都合がわるいのか?」


「いや、そういうわけじゃないのよ」


 酒井は身体を起こす。


「ただ、その……ちょっと心配になってきただけよ。ずいぶんあっさりと決めてしまうから」


「別の言い方をするとね、私はむしろここに『帰ってきた』ような気さえするんだよ。だから、ごく自然な流れに沿って行動している、そんな気分だ」


「そこまで言うなら……ただ、あなたが里の住人として暮らし始めたら、もうわたしはあなたとは個人的な立場で接触することはできないわ。支援をすることもあり得ない。そこのところは承知しておいて。わたしにもこの世界での立場があるから」


 それはちょっと衝撃だった。


「……話をすることもできないのか?」


「うーん、それはあなたが今後どういう行動をとるかにもよるでしょう。里の中で出会うことはまずないわ。でもまあ、例えば博麗神社に来れば偶然居合わせることはあるかもね」


「そうか。会えないというわけではないんだな」


「そうね。ただ、そのときはもうわたしは酒井縁ではなく、八雲紫だから。そこのところのけじめはつけてね」


「やっぱり『八雲さん』になるわけか……」


「『紫さん』でもいいわよ。どっちかといえば、そのほうが自然かな。同じユカリだしね」


 そう言うと、彼女はすこし寂しそうに笑った。もちろん、私の勝手な思い込みかもしれないが。



その11につづく

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