不安
「『獣の民』では今、不穏な動きはないのか?」
そう聞いてクレハは顔をしかめる。
「・・・どういう意味だ?」
「いや、深い意味ではない。どうも嫌な予感がしているんだ」
「・・・ほう・・・お前もか」
「お前も?」
「うん・・・実はオレも嫌な胸騒ぎをしているんだ。虫の知らせというか
普段より穏やかな感じがしない。特に部族で何か起きている訳ではない
のだがな」
「そうか・・・」
「ラ=ガ=ロウが部族に来たときもそうだ」
「ロウ?」
「そうだ。今日、ロウが来てルーといろいろと話をしておった」
(なるほど・・それでロウが狩猟後に居なかったのか)
「何かは分からんが、何かとてつもないことに巻き込まれそうな気がする」
「・・・・」
顔だけでなく感性も似ているのだろう。感じていることは同じだった。
「そういえば、明後日に出発するらしいな」
クレハはそう言って少し寂しそうな表情になる。
「うん・・・ロウが決めたことだからな。俺は従うまでだ」
「そうだな。お前とこうやって逢えなくなるのは寂しいよ」
クレハが思っていることをそのまま口にする。
実際、この男の傍にいるのはとても居心地がいい。
同じ部族であれば良かったのに・・・とさえ思う。
「ああ・・・そうだな」
「明日は来るのか?」
オアシスに来るかどうかを聞いているのだろう。昨夜のこともあるから
確認しているのだろう。
「そうだな・・・最後だしな」
「そっか・・・ならお前のために少しは役に立ちそうな情報を部族で聞いて
おこう。」
「いや、それには及ばない。スパイのようなことをさせるつもりはないからな」
「そっか・・・ありがとう」
「いや、しかしそろそろ戻らねばならない」
「そうだな・・・」
決められた時間がある訳ではない。しかし幕舎に残している2人が自分を
心配するかも知れない。
「明日・・」
クレハが言いかけて止める。
「また明日だな」
そう言ってクレハは振り返る。後ろ姿を見送って彼女との逢瀬は
もうほとんど残されていないことを悟った。
ロウの幕舎に寄る。しかしまだロウは帰ってきてはいなかった。
まだ『獣の民』のところにいるのだろう。話が長引いているのだろうか。
自分の幕舎に入る。アルテイアもレンもまだ起きている。
夕食後、日が落ちてからは特に何もすることはないこの大地の人々は
夜起きていることは余りない。
自分が帰ってくるまで待っていてくれたのだろう。
マサトは少し後ろめたい気持ちになった。
「まだロウは帰ってなかったの?」
「うん・・・」
レンの言葉に相槌をうつ。
「まぁそのうち帰ってくるよ!」
「そうだな」
マサトはレンの質問に応えながらアルテイアを見る。
先ほどの酷な質問から、アルテイアはまだどこかしら悲しげな表情のまま
部屋の中央でぼぅっとしている。
この部族の元に来てまだ1週間しか経っていないが、本当にいろいろなことに
巻き込まれている。心労が一番絶えないのはアルテイアだろう。
「アルテイア・・・」
座っているアルテイアを後ろから抱き締める。
「あなた・・・」
「いろいろ考えこむのは良くない。もう過ぎたことだから」
心を見透かされたような言葉。アルテイアはこの愛しい人が自分を全て受け入れて
くれていることに感謝している。しかし、自分はやはり愛される資格の無い女なんだ
と弱音を吐いてしまいたいときがある。
もし、この人との子供が出来たら・・・
そうして3人で静かに暮らせたら・・・
きっと自分の中の拘りは消え失せていくだろう。
いつかそういう日が来るといい。
そう願うだけのアルテイアだった。
夜半。
アルテイアとの行為が終わって、アルテイアは静かに寝息を立て
レンはもう既に寝入っていてあられもない寝相で毛布の中にいる。
マサトは一人眠れずにいろいろなことを考えていた。
―ロウが戻ってこない。
さすがに何かあったのかと気がかりになる。
もし万が一にでもロウに何かあれば、この部族は立ち行かないだろう。
それは蛮族のパワーバランスに絶大な影響を及ぼすことに違いない。
(もし、蛮族が全部族でまとまって王城に攻め入るようなことがあれば・・・)
それはそれで脅威になるだろう。しかし今は男手の足りないこの部族が
そうまでして戦を起こすことはない。王がロウでなくともだ。
それはきっと『獣の民』『畏れる牙の民』も同様だろう。
(西の砂漠・・何もないところだと聞いたが・・・)
マサトが最も気になっている情報。
『畏れる牙の民』と北西太守ミラン=ミラン。均衡が破られるとしたら
そこに何かあるのかも知れない。
マサトは除々に忍び寄る睡魔を感じながら
寝ているアルテイアをそっと抱きしめる。
―何があってもこの人を守る。
暖かな温もりが今はとても心地良い。
いつしか抱き締めながら、眠りの海に身を漂わせていた。
翌日、ロウは幕舎に戻っていた。
長が丸1日、部族の元を離れるというのは余程のことだろう。
何かあったのかも知れない。
マサトはロウの幕舎に向かう。そこにはいつもと変わらない様子のロウがいた。
「おう。どうした?」
「いや、昨日の話のことで・・・」
「昨日の話?」
「西の砂漠に部族の1つがいる、という話のことなんだが・・」
「ああ・・今キャクルに探らせている。しばらく時間がかかるだろう」
「そのことなんだが、西の砂漠のさらに西の方には北西太守領があるだろう?」
「うむ。まぁ目の仇にされているだろうがな」
「北西太守ミラン=ミランにはそうかも知れないが、その嫡子ゲランは
解らぬぞ?」
「どういう意味だ?」
「ゲランはその父ミランとは違って騎士道に則った人物ではない。
もし権力欲に執着するなら、『畏れる牙の民』に父の暗殺依頼も、し兼ねない
人物だと思える」
「やけに詳しいな」
「ああ。以前会った事がある」
「ほう、そうか」
「もしゲランが北西太守の座を得ることになれば・・・」
「なれば、我々に危害を加えるのか?」
ロウは笑みを浮かべながらマサトの顔を見る。
「そんなことをして、ゲランとやらは何の得があるというのだ?」
・・確かにそうだ。ゲランが北西太守になったからと言って、『自由の民』に
危害を加える理由がない。戦をしてこの荒涼な大地を得たとしても何の得にも
ならないだろう。
「しかし、その情報はありがたい。叔父が何をしようとしているのかの1つの
目安になるかも知れぬからな。礼を言うぞ」
「・・・いや」
「また何か分かったら教えてくれ」
「うむ」
マサトはロウに礼をして幕舎を去ろうとする。
その背中にロウが声をかけた。
「そういえば、レンはどうだ?」
新婚生活のことを聞いているのだろう。
「よくしてもらってる。家事をこなしてくれるから、妻も助かっている」
「そうじゃない。夜の営みのことだ」
真っ赤になるマサト。まだ1夜だけの関係だが、彼女には酷い事をしてしまった。
「まぁ顔を見たらうまくいっているようで安心した。アルテイアと同じように
可愛がってやってくれよ」
ロウはさらに笑みを浮かべてマサトを見送った。
本当に人間的な民だと思う。
感情も豊かでこのやせ細った大地にしっかり根付いている。
マサトは10日に満たないこの大地での生活で1つの確信を得ていた。
―この民と争ってはならない。
この民が迎える困難はまだまだあるだろうが、少なくとも争いを望むような部族、
長ではない。国王陛下ラムセス2世の刺客を放ったのがこの民ではないことは
十分伝わる。
・・とすると誰がその刺客を放って混乱を導きだそうとしているのだろう?
マサトは1人考えこみながら自分の幕舎に戻っていく。
気難しい顔をしている伴侶の顔を見て、レンとアルテイアは顔を見合わせる。
ベッドに座りこんだマサトの真正面からレンが顔を覗き込んできた。
「そんな暗い顔してたら襲っちゃうぞ♪」
唇を奪われる。
「襲っちゃうぞ♪」
アルテイアにも。
2人はマサトを取り囲むように左右に座ってマサトに口づけをしてくる。
いつの間にこんなに仲良くなったのだろう?
疑問に思う間も無く再びアルテイアに唇を奪われる。舌を絡めてきた。
「ず、ずるい!!アルテイア!わたしも!」
頬を膨らませて抗議するレン。
「ふふ。わたしの旦那さまだから・・」
「わたしのでもあるもん!」
2人のやり取りを聞いて、少しだけ気持ちが晴れる。
今、考えても仕方がない・・なるようにしかならない。
レンに唇を奪われながら、そんなことを考える。
明日には出発だ。
あの女性とも最後の夜を迎えねばならない・・・そうマサトは考えていた。