奴隷と仮面
これは、とある国に住んでいた令嬢と奴隷の物語。
奴隷は令嬢に虐められていた。奴隷の物は令嬢の物であるかのようにして。奴隷の少年のことも考えもせずに、ただ望むままに、令嬢は奴隷を従えていた。
しかし、終わりの時は突然訪れる。奴隷は逃亡するチャンスを窺っていた。そして、その望みは果たされた。隣国へと逃亡することができたのである。
奴隷を失った令嬢は屋敷の者に強く当たるようになった。今までは奴隷の少年にストレスをぶつければ良かったのだから。
それが叶わない今、屋敷の者に当たるしかなかったのである。しかし、それは令嬢に対する嫌悪感を抱かせることになる。
それから、幾年か経ち隣国との戦争が勃発した。令嬢が住んでいた国は戦争によって国土が削られていき、令嬢の土地は隣国のものとなったのである。
令嬢は見捨てられ、奴隷の身分へと落とされた。支配する側は支配される恐怖を抱えていくもの。元令嬢の彼女にとってはその時が到来したのだ。
彼女は最初、自分が奴隷の身分に落とされたことに反抗していた。自分が今でも支配する側にいると思い込んでいたのだ。
だが、そのプライドは粉々に砕け散ることになる。反抗的だった態度は奴隷商によって屈服させられた。金属音と金棒による恐怖を植えつけられることによって。いつ自分に当てられるか分からない。その恐怖が彼女を支配したのである。
やがて、彼女を奴隷として買う者が現れた。全てを筆談で済ませ、常に仮面を被っていた。無言の主人として接したのである。
彼女は恐怖を感じながら仕えていた。やがて、住む所が決まった。そこは彼女が落ちぶれる前に住んでいた我が家。令嬢としての日々を過ごしていた場所。金目の物は奪われてしまっていたが。
しかし、思い出に浸ることを仮面の主人は許さなかった。仮面の主人による筆談の命令。それは、彼女が住んでいた部屋を取り壊すというもの。
仮面の主人の部下たちが部屋にあった物を、その全てを運び去っていく。タンスもクローゼットも何もかも。彼女は必死で命乞いをするかのように引き留めても、主人は無視し続けた。煩わしいと感じれば、金属音を響かせて恐怖を感じさせた。想起される恐怖。金棒を当てられるかもしれない。その恐怖によって抗う意思を奪ったのである。
彼女のことを煩わしく感じた仮面の主人は、筆談で彼女に命令を出した。それは戦場の前線に送り込み、そこで兵士たちへの給仕をさせるというもの。
奴隷による仕事の中でも過酷なものである。いつ前線が突破されて生命を失うのか分からないのだから。
彼女のプライドはすでにズタボロであった。逆らうことすら許されない。恐怖に常に襲われる日々。過去に戻りたいと何度願ったことか。しかし、その願いを叶える者はいない。彼女は知らぬ間にあらゆる神々から退けられていたのだから。利用価値があるとすれば、貪欲なる邪神への供物ぐらいだろう。
戦場での給仕というのは辛いもの。仲間から省かれ、兵士たちに怒鳴られる日々。いっそのこと死んでしまったら楽になれるだろう。そうすれば、こんな辛い日々から解放される。死後の世界に行けるのだから。存在するならばになるのだが。
けれども、残念かな。彼女の願いというのは果たされない。いっそのこと逃亡すればいいのだが、身に沁みついた恐怖は拭うことはできないものだから。
彼女は思う。あの子もこんな気持ちだったのかと。しかし、自分のほうがより悲惨だと思っていた。
確かにそうだろう。金属音と金棒による恐怖。戦場の前線で兵士たちに怒鳴られる日々は、あの奴隷の少年よりは過酷なものなのだから。
彼女は自分の人生を呪っていた。過去の自分を、今の自分を、呪っていた。その境遇を。無力な奴隷であることを。落とされてしまったことを。
そのことに夢中になっていたからか、放たれていた矢に気づけなかった。そして、そのまま射貫かれてしまい、生命すらも落としたのである。
そのことが仮面の主人に伝えられた。全ては彼が仕組んだこと。幼い頃に奴隷として令嬢に虐められていた。その復讐でしかないのだから。
長い年月がかかった。しかし、その甲斐はある。虚しさに満ちているが。復讐というのは虚しいもの。その空虚さをどのように埋めていこうか。
同じ境遇の奴隷を買い漁って、自由にさせるのも良いかもしれない。従うのであれば、養い続けていくのも良いだろう。
彼女のような過ちは犯したくない。彼女のように振舞うならば、いつ裏切られてもおかしくないのだから。
仮面に手を付ける。外して鏡を見る。今にも泣き出しそうな自分がそこにいた。いつまで経っても慣れることは無い。死の知らせというのは。
涙を隠すために仮面を付けた。忌々しいこの場所に居続けるのは辛かった。けれども、もう終わりだ。この家諸共、欲しがっている者に売り払って、隣国の自分の拠点に戻るとしよう。
そうしなければ、辛い日々のことを思い出してしまうのだから。今までは耐えられたが、これからも耐えられることは難しい。だから、離れるのである。
彼はそう考えると、屋敷を売り払うための準備を始めたのであったーー。




