「昨晩は誰とも会っていない!」とおっしゃられましても
「昨晩は何をされていたのですか?」
食卓で行われる日常の何気ない会話。この世の夫婦間で、幾度となく繰り広げられたであろう言葉のキャッチボール。特段おかしな事は言っていない。そのつもりだった。
でも私の夫フロルグは、そんな平凡な何かに鋭く反応した。
「……俺は昨晩誰とも会っていない!仕事で疲れ、外の宿でぐっすり眠っていたのだ!」
フロルグは、二人と使用人以外誰もいない空間で、わざわざ大きな声でそう言った。
彼は額に浮いた汗を右手で拭い、グラスに注がれたワインを一気に飲み干す。呼吸を少し整え、空いたグラスを落ち着いて机に置くと、続けてしゃべり出した。
「一日いないと不安になる気持ちは分からんでもない。だが、俺はそんな事しない。この公爵家に婿入りしている身だし、何より、君の事を心から愛している。――そんなに疑うな。家にいないなんて、たいした問題では無いだろう?」
フロルグは私の事をジッと見つめる。私も目を合わせ見つめ返すと、何を思ったのか、「愛してるよ」といって笑みを浮かべ目をそらした。
適当な笑みだった。
「愛していると言うのなら、もう少し行動で示されてはいかがですか?――少なくとも昨晩は家を空けるべきではなかったかと」
「全く……一日家にいないからと、愛していないことにはなるまい。束縛するのは困りものだぞ?」
「そうではなく――昨晩は初めての結婚記念日だと、思い出すことは無かったのですか?」
私の言葉に、適当に浮かべられた笑みが凍り付く。表情は一切動かなかったが、目が驚きと焦りの色を見せていた。もはや夫婦の楽しい食卓とは言えない、カチコチに凍った空気が場を包み込んだ。
「そ、そんなこと、もちろん覚えていたさ!結婚記念日を忘れるなんてあるはず無いだろう!?――そう!風習の違いだ。そうか、公爵家では結婚記念日は二人で祝うんだね。グランド伯爵家では結婚記念日の際は一人で祈りを捧げるのが風習でね。だから昨日は……」
「見苦しい言い訳は止めてください。先ほど宿でぐっすり眠っていたとおっしゃっていたではありませんか」
言葉に詰まるフロルグ。ここまで不甲斐ない男だとは思っておらず、私も言葉がない。
「……黙れ。黙れ黙れ黙れ!」
突如、右手にナイフを持って椅子から勢いよく立ち上がる。ナイフを指揮棒のように空中で振り回し、最後は私に向かってナイフの先を向ける。
人一人分は距離があるとは言え、危険な行為には違いない。私は座ったまま、椅子を少し後ろにずらし、いつでも立ち上がれるようにする。
「婿入りなんて関係ねーんだ!この家の家長は俺!俺の言うことには黙って従えば良いんだよ!女のくせにくどくど鬱陶しいんだよ!そんなんだから俺は他の女と関係を持ったんだ!全ての原因はお前だ!」
「……そうですか。では、結婚は今日をもって解消いたしましょう」
「黙れ黙れ!離婚なんて絶対許さん!お前は俺の地位であり名誉なんだ!――そうだ。少し痛めつけてやろう!二度とそんな事を言わないよう体に教え込んでやる!」
ナイフを振りかぶり、座っている私に突っ込んでくる。興奮しているのか、ブレブレな重心。私は椅子から立ち上がり、少し後ろに揺れる。空をナイフが切る。風切り音。彼の勢いも空を切り、なだれ込むように突っ込んでくる。その顔めがけて、肘を空中に置く。瞬間、めり込む顔面。
一息つく頃には、顔を押さえて倒れ込むフロルグと、それを見下ろす私がいた。私は、地面で芋虫みたいにもがいている彼を見下ろし、近くの椅子を持ち上げ、思い切り叩きつけた。
「私が地位であり名誉だと理解しているのなら、もう少しわきまえて行動すればよろしかったのに」
地面でピクピクと蠢いている物体は、私のつぶやきを聞く余裕はなさそうだった。
******
使用人の証言と真実石による取り調べのおかげで、私が反撃しただけだと、加害者はフロルグだと国は結論づけた。公爵家の人間を傷つけようとしたのだ。フロルグはもちろん投獄されることとなり、グランド伯爵家は家を解体された。
フロルグは半年まともに動くことが出来ない重体らしい。椅子を叩きつけた衝撃で、体の骨がありとあらゆる方面に折れ曲がってしまったそうだ。
私は最近、久しぶりに師匠に稽古をつけてもらっている。フロルグとの一戦で衰えを感じたのだ。師匠も素手で岩を砕きながら、私の弱さを嘆いていた。
もし次、命を狙われる事があったら、一撃で相手の首と体をさよならできるよう、今日も鍛錬にいそしむのであった。
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