第2話:屍憑きの少女(2)
リュアンがこの村に来て、二日が経とうとしていた。
二体目の屍人を送り終えたとき、丘の上には夕闇が迫っていた。
白い灰が風に散っていく。
二日かけて、わかったことはほとんどなかった。
焼け焦げた二体の亡骸からは、顔も名前もわからなかった。着ていたものは炭化し、身元につながる持ち物は何もない。村の者にも聞いて回った。畑の端に現れた屍人の顔を覚えている者はいなかった。この村の人間ではない。どこから来たのかもわからない。
——名も知らぬ、あなた。
それが、せめてもの弔いだった。
丘の頂に目をやった。少し離れた場所に、黒い塊と、その傍に座る小さな人影が見える。日はとうに落ちかけていた。暗がりの中に二つの影がぼんやりと浮かんでいる。
リュアンは丘の頂へは向かわなかった。鞄を拾い上げ、斜面を下りはじめた。
神父が中腹で待っていた。二日間、この老人はリュアンが屍人を送るたびにここに立っていた。近くには来ない。けれど離れもしない。
二人は並ばず、少し離れて丘を下りた。麦畑の縁を辿り、牧草地の脇を歩く。神父の足取りは遅かった。三ヶ月間、何度もこの道を歩いたのだろう。
リュアンが口を開いた。
「——あの子と、お母さんのことを、もう少し伺ってもよろしいですか」
神父はすぐには答えなかった。数歩、歩いた。
「……見つけたのは、村の樵夫だ。炭焼きに向かう途中で——獣道を外れた先に、座り込んでいたそうだ」
声が低くなった。丘の上で二体を送った静けさが、まだこの老人の中に残っているようだった。
「屍人のすぐ傍にだ。腕の届く距離にな。座り込んだまま、動こうとしなかった。樵夫が声をかけても反応しなかったそうだ。目は開いていたが、何も見えていないように見えたと……」
風が吹いた。丘の上から、細い呻き声が降りてくる。
「連れ帰るのに手間取った。引き離そうとすると暴れてな。噛みつくように抵抗して、母親の傍から離れまいとしたようだ」
神父の声が途切れた。一度、口を閉じた。
「——火をつけたのは翌日だった。あの子を追ってくるかのように、屍人が丘まで向かってきていたからな。村の男たちが薪を積んで燃やした」
リュアンは黙って歩いていた。
「火が収まるまで、あの子は自分の母が燃やされるのを目の前で見ていたよ。火の中でのたうち回って、声を上げて——母親だったものが、炭になっていくのを」
神父の足が少しだけ遅くなった。
「止めようとしていたよ。大人の腕を振りほどいて、火のほうに走っていった。叫んでいた。『やめて』と、何度も。何度もな」
神父が息をついた。長い息だった。
「……焼けても、声は止まらなかった。あの子はそれを聞いた。翌日も。翌々日も。三ヶ月間、毎日。毎日あの丘に登って、あの声の傍に座っている」
リュアンは足を止めなかった。ゆっくりと、同じ速度で歩き続けていた。
「少女は何か、母親について話をされましたか」
「いや……保護してから三ヶ月、あの子はほとんど口をきいておらん。名前を聞いても答えない。母親のことを聞いても黙っている。食事はする。与えれば食べる。だが、自分からは何も言わない」
リュアンの足取りは変わらなかった。表情も変わらなかった。香の匂いだけが、秋の風に揺れていた。
「そう、ですか……お二人のことについて知っていそうな方などは」
「あの子も、母親も、この村の者ではない。旅の途中だったのだろうが、どこから来たのか、どこへ向かっていたのか、何もわからん。あの子が話さぬ以上、わしらには知りようがない」
リュアンが足を止めた。教会の前だった。夕闇が落ちかけている。
「——明日、森に入ります」
神父が振り返った。
「森?」
「あの子たちが見つかった場所を。何か——手がかりが残っているかもしれません」
神父はしばらくリュアンの顔を見ていた。二体の屍人を、名前も知らぬまま送った女の顔を。
「……わかった。場所は、北の森だ。獣道を辿った先の——樵夫が道を知っている」
リュアンが小さく頭を下げた。
神父は頷き、敷居を跨いで中に入った。リュアンの傍を通るとき、何かを言いかけたように口が動いたが、言葉にはならなかった。
******
翌朝、リュアンは森に入った。
少女が屍人と共にいたとされる北の森。村から二刻ほど歩いた先の、古い獣道を辿った奥。
森は深かった。樫と楢の木が頭上を覆い、地面には落ち葉が厚く積もっている。朝の光が梢の隙間から細く差し込んで、湿った土の上にまだらな影を作っていた。
獣道を辿って、しばらく歩いた。
やがて——匂いが変わった。
腐葉土の匂いに混じって、別のものが鼻をかすめた。薄い。かすかな。けれど、何度も同じ匂いを嗅いだことのあるリュアンの鼻はそれを見逃さなかった。
腐敗臭の名残。三ヶ月経っても、まだわずかに残っている。
足元を見た。獣道から少し外れた藪の中に、何かが引っかかっていた。布の切れ端。もとは白か生成りだったのだろう。今は茶色く変色して、端がほつれている。木の枝に引っかかって千切れたもの。
手に取った。薄い麻の布。衣服の一部。誰かがこの藪を通ったときに引っかかって裂けた——三ヶ月前か、それ以前か。
獣道を外れ、布が引っかかっていた方角へ歩いた。
倒木の根元に、土に半ば埋もれたものが見えた。黒ずんだ塊。落ち葉に覆われてほとんど見えなくなっている。
——肉片だった。
小さな。親指ほどの。腐食が進んで原型をとどめていない。けれど、ここに肉体があったことを示す痕跡。屍人がこの場所にいた。しばらくの間、ここにいた。
リュアンは立ち上がり、あたりを見回した。
木々の間を目で辿る。ここが母と娘のいた場所だとすれば、もっと何かがあるはずだった。暮らしの痕跡。娘が傍で看ていた——その時間の跡が。
少し先に、木立が途切れる場所があった。小さな平地。日当たりがいい。近づくと、地面に焚き火の跡が見えた。石を丸く並べた簡素な竈。灰は雨に流されていたが、石の配置と焦げた土の色はまだ残っている。
竈の傍に、草を敷き詰めた跡があった。寝床だろう。二人分。いや——最初は二人分で、途中から一人分になったのかもしれない。片方だけが浅い窪みになっている。長く寝ていた者の重みで沈んだ地面。
周囲を歩いた。草の合間に、小さなものが落ちている。木を削って作った匙。折れている。握りの部分がすり減っていた。何度も使ったのだろう。
——子供が削ったものだ、と思った。刃の跡が浅く、不器用で、けれど丁寧だった。
平地の端まで歩いた。そこで地面が途切れていた。
崖というほどではない。急な斜面が下に落ちている。木の根が露出して、赤い土がむき出しになっている。斜面の下には沢があるのだろう。水の音がかすかに聞こえた。
そして——斜面の途中に、何かが引っかかっていた。
木の根に。革の肩紐が絡まって、ぶら下がるようにしてそこにあった。
革鞄だった。
小さな。旅慣れた者が持つような。擦り切れた革の表面。雨に打たれて色が抜けている。肩紐の金具が錆びていた。
斜面を慎重に下りた。
木の根を掴み、足場を探りながら。土が脆い。何度か滑りかけた。
鞄に手が届いた。紐をほどく。根に絡まった肩紐を外す。思ったより軽い。けれど、中に何か入っている。かすかな重み。
平地まで戻って、鞄を開ける。
中には、小さな包み。油紙に包まれた薬草の束。種類は——リュアンにはわかった。熱冷ましに使うもの。痛み止めに使うもの。どちらも量が少ない。使いかけだった。
櫛。木製の。歯が二本折れている。長い髪を梳かすための櫛。使い込まれて、柄が手に馴染む形にすり減っていた。
そして——手記。小さな。掌に収まるほどの。革の表紙は鞄の中にあったおかげで、比較的損傷が少なかった。それでも水を吸って膨らみ、頁の端は波打っている。
開くと文字があった。細い。神経質ではないが、小さく詰めるような筆跡。
日付はなかった。地名が時折り記されている。
リュアンは頁をめくった。




