第1話:屍憑きの少女(1)
秋の街道を、リュアンは歩いていた。
街道の両脇には刈り入れを終えた畑が広がっている。土の匂い。枯れた茎を踏んだ獣の足跡。空は西から橙に染まりはじめ、東の端にはすでに薄い藍がにじんでいた。
革の鞄を肩にかけ、旅慣れた足取りで歩く。急いではいない。けれど迷いもない。ただ北へ向かっている、それだけの足取りだった。
すると前方に荷車が見えた。
日に焼けた男が一人、轍の深い道を荷車を引いて南へ向かっている。荷台には麻布をかけた包みがいくつか積まれており、行商人のようだった。
リュアンが足を緩めた。
「すみません。少し、品を見せていただけますか」
男が荷車を止める。旅の女が一人、外套の埃も払わずに立っている。
男は荷台の麻布をめくってみせた。
「何がいる」
「蝋燭を五本。それから縫い針と、麻糸をひと巻き」
リュアンは荷台に並んだ品を眺め、迷いなく指で示した。
男が品を革紙に包みながら、何気なく訊いた。
「旅の途中か。なら食い物はいらないか? この先しばらく店はないぞ」
「いえ、大丈夫です」
短く答えて、銅貨を渡す。男は受け取り、釣りを返した。それだけの取引。けれどリュアンは品をしまいながら、ひとつ問いを添えた。
「──屍人が出たという話を、どこかで耳にしませんでしたか」
男の荷台の麻布を直す手つきが、わずかにぎこちなくなった。
男の目がリュアンの腰元に落ちた。外套の隙間から覗く小さな香炉。革紐に束ねられた道具の束。
「……あんた、墓守か」
声の調子が変わっていた。さっきまでの気安さが引いて、代わりにうっすらと壁のようなものが立つ。敵意ではない。嫌悪とも違う。ただ、早くこの会話を終わらせたいという空気が、男の体の向きに出ていた。
「はい」
リュアンは穏やかに答えた。
男は鼻の頭を一度擦り、視線を街道の先に逃がしながら口を開いた。
「……北の街道を抜けた二つ先の村だな。屍人が何体も出たとかで、気味が悪いってんで商いを早めに切り上げてきたところだ。三ヶ月くらい前からだって話だが、まだ片づいてないらしい」
「北の街道を抜けた二つ先の村ですね……ありがとうございます」
頭を下げる。男は短く頷いたが、もう目を合わせなかった。麻布を手早く荷台にかけ直し、荷車の柄を握る。行商人の背中が早足で遠ざかっていく。
再び歩きはじめる。街道にはふたたび一人分の足音だけが残り、纏い香の名残がしばらく空気の中を漂っていた。
******
村は小さかった。
街道から外れた細い道を辿ると、石壁の家が十数軒、寄り添うように並んでいる。畑と牧草地に囲まれた窪地の集落。人の気配が薄い。夕刻だというのに、家の前に出ている者がいなかった。戸口は閉ざされ、窓の鎧戸も半分降りている。
丘の上に教会の尖塔が見えた。夕陽を受けて灰色の石壁が淡く染まり、十字架の影が長く地面に伸びている。
リュアンは丘を登り、教会の前庭に入った。石畳を踏む靴音が、静かな敷地に響く。
扉の前で足を止めた。
ノッカーを二度叩き、手を下ろす。そのまま待った。
しばらくして、扉の向こうで足音がした。重い木の扉が内側から開く。老いた神父が顔を出した。短く刈った白髪。深い皺の刻まれた顔。その目がリュアンの腰元の香炉に落ち、そこからゆっくりと顔に戻った。
「──墓守どのか」
困惑と、安堵。二つの色が同時に浮かんで、老いた顔の皺をいっそう深くした。
「はい。こちらで屍人が出たと聞いて参りました」
リュアンは扉の外に立ったまま答えた。敷居を跨ごうとはしない。神父もまた、敷居の内側から動かなかった。
二人の間に、扉の厚みほどの距離がある。
神父はしばらく口を閉じていた。どこから話したものか迷うように、視線が一度足元に落ちた。やがて、低い声で語りはじめた。
「……麦畑の側にある丘の上に三体。焼いた体のまま、まだ呻いている。風向き次第で聞こえて来ていてな。夜になると、子供たちが耳を塞いで泣く」
リュアンは黙って聞いていた。表情は変わらない。
「三ヶ月前からだ。あの子を受け入れてから、この村に屍人が寄りつくようになった」
この少女は森の奥で樵夫が見つけた。屍人のすぐそばに、少女が座り込んでいた。動こうとしなかった。体にひどい腐敗臭が染みついていて、樵夫は最初、少女自身が屍人かと思ったという。
そして側にいた屍人は、少女の母親だった。
少女を保護してから数日後に村はずれの畑の端で、朝、農夫が見つけた。動きは鈍く、知性もない。村の男たちが引きずっていき、薪を積んで火をつけた。のたうち回って、やがて動かなくなった。
それで終わりだと思った。
けれど十日も経たないうちに、また一体。屍人が現れた。
「……おそらくあの子は『屍憑き』、だろう」
神父が言いにくそうに口にし、リュアンはわずかに目を伏せた。
噂が広まった、と神父は続けた。
「行商人が来なくなった。旅人も、この村を避けて通る。屍人が出る村だ、屍憑きの子がいる村だ、と。──先月は、薬売りすら素通りしていった」
言葉の端に、疲れがにじんでいた。三ヶ月という時間の重さが、そのまま老人の肩にのしかかっているように見えた。
リュアンは何も言わなかった。
神父の苦さにも、「屍憑き」という言葉にも、何一つ反応を返さなかった。
「承りました」
短く答えた。それから少しの間があった。
「──その保護されたという子は、今どうされていますか」
神父が目を伏せた。
「十にも満たない子を村の外に放り出すわけにもいかず、教会で保護してはいる」
「だが、村の子供らは石を投げる。あの子が通ると道を開けて、通り過ぎたあとで鼻をつまんでみせる。村の者も気味悪がってだれも近づこうとはせん……」
神父の声は淡々としていた。けれど、それは感情がないのではなく、語り慣れてしまった者の平坦さだった。
「では、日中はどこに」
「丘だ」
神父がわずかに顎を上げ、教会の裏手を示した。
「焼いた屍人は丘に置いてある。その中の一つがあの子の母親の亡骸だ」
それきり、神父は少し黙った。
「──毎日通っている。朝、教会を出て、丘に登って、母親の傍に座って、日が暮れるまで動かない。話しかけているのか、ただ座っているのか、わしにもわからん。夜には戻ってくるが、翌朝にはまた丘にいる」
リュアンの睫毛がわずかに揺れた。それだけだった。
「わかりました……少し、お時間をいただきたいのです」
「どのくらいかかる」
「三日、いただければ」
「……承知した。──宿は、教会の客間を使ってもらって構わない」
神父の声に疲れが滲んでいた。三ヶ月待った男に、あと三日待てと言っている。リュアンにもそれはわかっていた。
「いえ、納屋をお借りできれば、それで十分ですので」
「……そう、か」
それだけ言って、神父は目を伏せた




