文芸部での時間
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──文芸部での時間
それから部活の間、羽黒さんはそのまま居座った。
「ねえねえ、東雲君。この女の子の表紙が可愛いから読んでいい?」
「どうぞ」
とは言え、文芸部の衝撃も去り、長良部長はノートパソコンでいそいそと自作小説の執筆にいそしみ、古鷹と伊吹はそれぞれが持ってきた本を読んでいる。
俺も部費で買ったラノベを読書中。
なので、羽黒さんが何の本を取ったのかよく確認していなかった。
「あ! あたし、用事があったから先に帰るね!」
「うえっ!?」
と、ここでいきなり古鷹がそう言い、荷物をまとめると足早に部室を出ていった。それを見ていた伊吹は我が半身を失ったかのような顔をしている。ブルータスに裏切られたカエサルのような顔、というと言いすぎか。
「ううううっ…………!」
しかし、そこで泣き始めたのは伊吹ではなく、何故か羽黒さん。長良部長と伊吹がぎょっとして羽黒さんの方を見て、俺も今度は何だとそっちを見る。
「酷い、酷いよ。こんなに自分に好意を寄せている女の子をフるなんて……」
何の話だ? と思って羽黒さんが持っているラノベのタイトルを見ると『それでも私たちは負けてない!』とある。
なるほど!
通称『それ負け』はメインヒロインが男にフラれるところからスタートするラノベだ。というか、サブからメインまで満遍なく一度フラれる。そして、物語が始まるというラノベなのである。
なので1巻から読み始めた羽黒さんも容赦なくフラれたメインヒロインを目の当たりにしたのであろう。
「ほら。涙をお拭き、お嬢さん……」
俺はそう言ってハンカチでも、ポケットティッシュでもなく箱でティッシュを渡す。花粉症の長良部長のために部室に備え付られていた品である。
「ありがと、東雲君……」
羽黒さんはティッシュで涙を拭くと同時に鼻をずびびびとやる。これをやられる未来が見えたのでハンカチは渡さなかったのだ。
「東雲君。どうしてこの子、フラれっちゃたの……。こんなに可愛いのに……」
それはね。そういうお話が受けるからだよ、羽黒さん。
……など言うほど俺は空気が読めないわけじゃない。
「麦踏なんだ」
「む、むぎふみ?」
「麦は発芽したときに一度踏むんだ。そうすることで立派に育って、実りが得られるようになるから。それと同じでヒロインも一度フラれることで強くなるんだ」
「お、おおー! なるほどー!」
天竜に以前『お前、ときどき息するように嘘つくよな……』って言われたが、俺がつくのは優しい嘘だけです。
「じゃ、じゃあ、この女の子も報われるんだよね!」
「タブンネ。オソラクネ」
俺はあからさまな棒読みで返す。その『それ負け』はまだ完結してないのでヒロインレースの結果は作者のみぞ知る。
「羽黒さん。そのヒロインが気に入ったかね?」
ここで長良部長が興味を持ったようでそう尋ねてきた。
「はい! お弁当を毎日作ってくるほど献身的だし、愛嬌もあるし、見た目も可愛いし、相手のことをよく考えているし。特に長年ずっと彼の傍にいてようやく想いを伝えるときの様子が、本当にいじらしくて!」
「そうそう! 芽衣ちゃんが可愛いのはそこなんだよね。尽くす系ヒロインというのはいつの時代もいいものなんだよ。特に人生で疲れたときには、その無条件の優しさがジーンと染みてたまらない……」
「分かる気がします……」
長良部長の言葉に羽黒さんも染み入るという表情をしている。
そう言えば、こいつも今まさに恋愛絡みのトラブルで人生に疲れている真っ最中だったな。そういう人にも染みるんだろうか、尽くす系ヒロイン。
「思わず感情移入しちゃった。何か似てるよね、私と芽衣ちゃん」
どこが? と言いかけて俺は言葉を飲み込んだ。
「うんうん。似てるね。そっくりだね。一緒だね」
「でしょ、でしょ!」
芽衣ちゃんはフラれても匂わせで反撃しようとはしなかったがな!
「尽くしてきたのに彼氏に蔑ろにされるところとか、本当に……」
不味い。まだどよんとした羽黒さんになっていまった。今の文芸部でそうなられるのは困る。ただでさえ陽キャの空気で有毒になりつつある部室の空気が、致死レベルに到達してしまう。具体的に言えば伊吹が死ぬ。
と思ったが、伊吹は本棚に走ると、そっと別の本を羽黒に差し出した。
「これ……ヒロインがちゃんと報われる話だから……。こっちの方がいい……」
「ありがとう! やっぱり頑張ってる女の子は報われなくちゃね!」
「私も……そう思う……」
羽黒さんが笑顔で本を受け取るのに、伊吹が照れてるし視線をそらしていたが、口元を小さくほころばせて笑った。
おお。伊吹が陽キャを克服した。今のやつは太陽を克服した吸血鬼だ。
「羽黒さん。よければ文芸部のグループチャット入っとく? その方が伊吹はやりやすいと思うから」
「いいの?」
「部長、いいですか?」
俺は長良部長に確認。
「いいんじゃない? 別に公式のもんじゃないし」
長良部長は適当にそう返した。
「じゃあ、これ」
「ありがとー!」
早速羽黒さんがグループチャットに加わり──。
ピコン、ピコンとスマホが鳴る。
「うわ。めっちゃ長文の推薦文が来た」
ふふふ。早速伊吹の攻撃にさらされたようだな。こいつは本当に面を向いて話さなくていいなら永遠に話し続けるぞ。
「なるほど。こういう話なのか……。ありがとう、伊吹さん!」
「あ、うん……」
しかし、声をかけられても返事できないぞ。インターネットが生んだ哀れなモンスター、ネット弁慶ってやつだ。
「やっぱ私、文芸部入っちゃおうかな。何か久しぶりに楽しいし」
「入部届、渡しとこうか?」
「お願い、東雲君」
俺は棚から文芸部の入部届のプリントを出し、羽黒さんに渡しておいた。
「それにしてもここまで真に迫った面白い恋愛が書けるなんて、作者の人は恋愛マスターなのかな?」
その言葉にまず執筆中の長良部長が呻き、伊吹が視線をそらし、俺がうなされるように額に手を置いた。
「割と、その、ラノベの恋愛はファンタジーだから……。男女の理想を手当たり次第に詰め込んだ欲張りパックというか……。あるいは文学における商業主義の求めに応じたというべきか……」
「そうなの?」
「そうなの」
フィクションと現実を混同しちゃいけないぜ。
「ま、まあ、そうだね、同志東雲。ミステリー作家も別に殺人犯や警察を経験しなくても推理小説を書いているしだね。そう、要は想像力だよ、想像力! 想像力の力が試されるのが小説なんだ!」
長良部長も童貞なのに異世界で俺TUEEEEして、いろんな女の子にモテモテになる話を書いているので、言い訳じみたことを言っている。俺も人のことは言えないけど。
「そっか。想像力か。小説って奥が深いんだねえ……」
人騒がせな羽黒さんはそんなことを漏らしていた。
「よし。私も想像力が豊富な女の子にならないと」
……何故に? 割と思考がブラックボックスだな、この人。
「想像力があるってことはこういう柔軟な思考ができるわけだし、恋愛においても一枚上手になれるわけでしょ? ね?」
「ソウダネ」
またしても棒読みの俺。ラノベ的解決手段が実際に役立つかは不明である。ウィキペディアの医学知識で手術するようなものだろ。
しかし、思ったより長良部長も伊吹も羽黒さんのせいで深刻に空気が悪くなるということもなく、何だかんだ受け入れてくれているようだ。
これも羽黒さんの人間的な魅力だったりするんだろうか?
あとは古鷹だけどあいつはそこまで人見知りしないって聞いてるし大丈夫だな!
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