第三話:遭遇
階段を降りた先、そこからは迷宮と言って差し支えなかった。
ごつごつとした石の壁が無造作に広がり、空気は湿気を帯びていて、肌を怪しく舐める。天井は高くなく、歩くたびに足音が響き、闇が音を呑み込むようだった。
「いきなりダンジョンらしくなってきたじゃねーか」
フリントがぼやきながら、腰に佩いた鎖鞭の柄に手をかけた。
階段から差し込む光と、視審霊の薄暗い灯りだけがほんのりと道を照らす。
突き当りの曲がり角は、ほとんど暗闇になっている。
「右手法で進むわよ」
ネルシェが言い、杖を左手に持ち直した。
「右手法?」
「壁に右手を添えて進むの。単純だけど、迷いにくいのよ」
「ふーん、なるほどね。俺は、地図描きとか苦手だからな」
二人はゆっくりと廊下を進み始めた。
足音が低く反響するたびに、どこからともなく冷たい風が吹きつける。
湿り気が増していくにつれ、空気が重くなり始めた。
「……チッ、暗いな」
視界のほとんどが闇に覆われ始めた。
もはや、ここには地上の光はわずかにも届かない。
そして、フリントは右手に違和感を覚えていた。
岩のごつごつとした質感の中に、何度か濡れた感触が混ざる。
柔らかく、暖かく、そして濡れている何か……。
「ネルシェ、何かここいらの壁、妙じゃないか」
「……そうね……」
フリントは腰に下げた鞄から松明を取った。
「つけるぞ、火ィくれ」
「わかったわ」
短い詠唱と共に、ネルシェが小さく左手の錫杖を振る。
火の粉が松明の先端にまとわりつくように流れて、燃え盛らせた。
松明の光が暗闇を切り裂き、壁の輪郭を浮かび上がらせる。
そこには──。
「う、うわっ……!」
松明の灯りが、壁に張り付いた「それ」の姿を照らし出す。
そこにあったのは、人間の形を模した「何か」だった。
表面は不自然なまでに滑らかで、生娘の肌のような質感である。
だが、よく見ればその輪郭はぼろぼろにほつれ、無数の縫い目が露出していた。人間の顔のような凹凸を持つ頭部が、二人の方へとわずかに動いた。
「おい、これ……何だよ?」
フリントが松明を握る手に力を込めた。声が微かに震えている。
ネルシェは、右手の壁から手を離し、眉をひそめた。
「これは……『皮人形』ね。暗廟で最もありふれた暗廟の守り手……そして異形の者。藁束を人皮で覆った……ゴーレムの一種ということらしいわ」
フリントは一瞬、耳を疑ったかのようにネルシェを見た。
「は? 人間の皮……って、うわぁ……」
視審霊も震えている。
『やべえええええ』
『前大会で散々見た』
『キモすぎ』
『人間の肌ってマジ?』
「マジよ。そして、乾燥を嫌って湿気を好む」
ネルシェが冷静に言葉を続ける。
「熱源に対して敵対的ってのが、コイツらの習性ってとこね」
その瞬間、壁に張り付いていた「皮人形」の一体が、ずるりと這い降りた。
まるで湿った革靴が床をこすりつけるような、不快な音を響かせながら。
「……やっぱり松明、消した方がいいかも」
「それを先に言えッ!」
松明にふーっと息を吹きかけるが、炎はごうごうと燃える。
かく、かく、とした動きで、皮人形たちはその首を炎の方に向け始めた。
「もう遅いわ」
「やるだけやるしか、ってヤツかよ」
フリントは鎖鞭の柄を逆手向きに握った。
『初の戦闘!』
『さようなら、弱小教会』
『はよ死ぬとこ見たい』
フリントはとんがり帽子を掴み、被り直す。
「悪いがギャラリーの期待は……」
低く構え、左足を一歩分下げる。
そして鎖鞭を思いきり、腰のクリップから引き抜いた。
「──裏切らせてもらうぜッ!」
ジャラジャラと音を立て、鎖が鋭く跳ねる。
先端の錘が慣性のままに放たれ、凄まじい勢いで着弾した。
──直撃。皮人形の頭部に当たった。
皮が引きちぎれ、内側から血しぶきめいて藁が飛び散る。
視審霊の光が強まり、その表面を無数の文字列が駆けた。
『うおおおおお』
『めっちゃ練習してそう』
『やるじゃんこの騎士』
『どや顔やめろ』
するりと鎖を手元に引き寄せ、フリントはそれを巻き直した。
「……っ、どーよ!? ネルシェ!」
「へぇ、大道芸じゃあなかったのね」
その冷めた調子に、フリントは不満げに鼻を鳴らした。
が、視審霊の光が強まり、信徒たちの言葉が次々に表面を流れる。
『セント・ハーナル、これはダークホースか?』
『死なねーのかよ、つまんねー』
『もっと見せてくれ! +1000ナルクス』
フリントは視審霊を眺め、満足げに笑いながらネルシェを振り返る。
「見ろよ! 俺のファンが増えたぜ。これが本物のカリスマってやつだな!」
「それはいいけど、周りはまだ『皮人形』だらけよ。気を抜かないで」
その言葉の直後だった。頭上から鈍い音が響き、天井の岩肌にへばりついていた三体の皮人形が、ずるりと降りて──否、落ちてきた。
フリントは反射的に鎖鞭を振り上げるが、皮人形たちは彼らの背後を囲むように着地する。湿った皮の擦れる音が響き、三体の皮人形によって退路が断たれた。
鎖鞭を振りおろし、一体を激しく打つ。
乾燥しかけの皮が張り裂け、藁を散らして地に伏せる。
──が、その間に残りの二体がひたり、ひたり、と歩みを進めていた。
ぎこちない動きのわりに、歩行速度はそれなりにあるようだ。
「くそ……意外と足が速い」
「数で押されるわね。……フリント、不本意だけど貴方の望みを叶えるわ」
ネルシェは静かに右腕を掲げた。
紫の茨が杖に沿って絡みつき、ゆっくりと形を変え始める──。
「……《ジンジャードール》ッ!」
茨は杖の先端から滑らかに伸び、地面に触れると蛇のようにうねりながら形を作り始めた。その動きは徐々に速まり、あっという間に一人の「影」を編み上げる。
「──よう、俺。オレの登場だぜ」
すっと、影が立ち上がり、そんな言葉を発する。
それは紛れもなく──もう一人のフリントその人だった。
(― 冒険記録 ―)
・冒険場所:暗廟 大回廊(浅深度)
・発生イベント:
→・異形の者「皮人形」と初エンカウント。
→・皮人形を二体撃破。
→・さらに1000ナルクスの献金を受ける。
(― 現在の資金 ―)
現在の資金:2100ナルクス(+1000)
(― パーティーステータス ─)
・フリント(騎士)
→・状態:健康
→・装備:ツギハギの鎧、とんがり帽子、ナイフ、
鎖鞭、暖かい毛布
→・感情:「念願の俺の分身!」
・ネルシェ(祭司)
→・状態:健康、恩寵保持者
→・装備:古びた法衣、恩寵 《ジンジャードール》、
錫杖、黒曜石の聖杯
→・感情:「先行き不安ね……」