第二話:ジンジャードール
ネルシェは右腕に絡みついた、わずかに透けて見える紫の茨を見下ろした。
「──よし」
やがて意を決したように、彼女は茨に包まれた杖をゆっくりと振るう。
杖の先端から、茨が音もなく伸び始める。
その動きは滑らかで、まるで蛇が“とぐろ”を巻くかのようだった。
「おお……」
フリントが感嘆の声を漏らす。
茨の先が円を描きながら螺旋状に編み上がり、徐々に形を整えていく。
そうして創り出されたのは、黒曜石の聖杯だった。
艶やかな表面が光を反射し、まるで本物そのもののように見える。
ネルシェは息を呑みながらそれを見つめる。
茨が動きを止めると、少し間を置いてから触れてみた。
「……これが私の貰った『恩寵』……?」
その聖杯を手に取る。重量、質感、どれもが限りなく同質だ。
「私が聖杯のことを考えていたから……? 本物そっくり……」
視審霊もまた、興味深げにコピーされた聖杯を見つめている。
『複製魔法か』
『恩寵って魔法なの?』
『識者求む』
流れる文字の群れを目で追っていたネルシェが、ぼそりと呟いた。
「魔法じゃないわ」
杖をもう一度振るい、コツリと先端を偽物の聖杯に当てる。
偽物の聖杯は光の粒となって霧散し、その場から消えた。
「恩寵は“奇跡”であり、魔力と呪文から成る魔法とは根本的に異なるそうよ」
「おぉー、さすがネルシェ先生、本の虫!」
「うっさいわね」
ふと、ネルシェの右腕に絡みついていた茨が消えた。
フリントが慌てて近寄り、まじまじと見つめる。
「お、おい! 茨が消えたぞ!? 大丈夫か?」
「“仕舞った”のよ。だいぶコツを覚えてきたわ」
ネルシェは小さく息をつき、腕を軽く回してみせる。
フリントは胸をなでおろした。
「ほっ……。あ、それってさ、動くものとかも作れるのかね」
「却下よ」
「はー!? まだ何も言ってねえだろ」
「貴方の分身は絶対に作らない。“二倍うるさくなる”からね」
『ワロタ』
『ひでぇ言い様』
が──、彼女は再び紫の茨を出現させ、杖を掲げた。
フリントがにっこりと笑った。
「お? 気が変わったか」
「勘違いしないで。動くものを作れるのか検証する必要があるだけ。馬よ」
「馬? ……さっきの馬車馬か?」
「かもね」
ネルシェは曖昧に応える。彼女は、紫の茨が滑らかに編み上げられる様子をじっと見つめていた。茨の動きは滑らかで、まるで命を持つかのように螺旋を描く。
「いけるか?」
フリントが少し身を乗り出して茨の動きを見守る。
ネルシェは無言のまま集中していた。
茨の形は馬の胴体らしきものを形作っていた。しかし──。
突如、その動きがギクシャクとし、動きを止めた。
「……止まった?」
フリントが眉をひそめ、呟く。
ネルシェも困惑の表情を浮かべたまま、茨を注視している。
馬の胴体の途中まで作られた茨は、全く動かなくなった。
「……どうしたのかしら」
ネルシェは低く呟きながら、杖を一度振った。
茨は弾かれるようにして解け、光の粒となって消えた。
「でかすぎたんじゃないか?」
フリントが肩をすくめながら言う。
「それとも、想像力の問題かもしれない」
「どういう?」
「イメージの欠如が、分身の生成を阻害した可能性があるわ」
言いながら、ネルシェは杖の上端を持ち、今度は手元に何かを編み始めた。
フリントがそっと近づいて、様子を見守る。
「今度は?」
「黙ってて。……よし」
彼女はぷらりと、小さな人形を摘まんでみせた。
「なんだそれ、ジンジャークッキー?」
「──の、人形よ。昔おばあちゃんが毛糸で編んでくれたの」
ネルシェは、紫の茨で編み上げたジンジャークッキーの人形を指先で回して見せた。
それは、丸みを帯びた手足と小さなボタンの目を持ち、なかなか愛嬌のある形をしている。
『かわいい!』
『こんなの作れるんだ』
フリントは視審霊の言葉たちを横目に見ながら、人形に目を留めた。
「で、そいつ、動くのか?」
ネルシェは少し間を置き、茨で編まれた人形を地面にそっと置いた。
そして、杖の先端を軽く叩くようにして指示を送る。
すると──。
ジンジャークッキーの人形が、片足を上げ、よたよたと歩き始めた。
「おおっ!」
フリントは思わず歓声を上げ、視審霊の文字も一層騒がしくなる。
『すげえ!』
『かわいさで敵を混乱させる作戦か!?』
『何の役に立つの?』
ネルシェは微かな笑みを浮かべ、人形が滑らかに歩き回る様子を見守っている。
次の瞬間、彼女は杖を軽く振り、人形に新たな指示を出した。
すると、人形は両腕を振りながら軽快に踊り始めた。
まるで楽しい音楽を聞いているかのように、リズミカルに動く。
「はははっ、こりゃ面白いじゃねーか」
「なるほど、こうやってコントロールするのね」
ネルシェはコツリと杖で地面を突く。
人形が片足をあげたまま、ピタリと静止した。
「マスターしたか」
「それなりにね」
フリントは人形をまじまじと見つめた後、笑みを浮かべて口を開いた。
「で、この『茨のヤツ』、何て呼ぶんだ?」
ネルシェは杖を立て直しながら、少し考え込む。
「……別に名前なんて必要ないでしょう。恩寵は恩寵よ」
「いやいや、呼び名は必要だろ。人形動かして戦うとか、カッコいい名前がついてりゃ注目も集まるってもんだ」
「まったく、目立ちたがりね、相変わらず……」
そこで、視審霊の光が強まった。
先、献金を受けたときよりも、一層光っている。
『ジンジャードールにしよう +1000ナルクス』
ネルシェが杖を軽く突き、編み上げた人形を視線で追った。
視審霊から放たれる光から、文字が次々と流れる。
『ジンジャードール、気に入った!』
『いい名前!』
『もっと躍らせろ』
『国王を作って躍らせよう』
『↑はい、不敬罪』
「……ジンジャードール、ね」
ネルシェが視審霊に目を向け、ぽつりと呟く。
「そんな名前、誰がつけたのよ」
「誰でもいいだろ。俺は気に入ったぜ」
「……じゃ、それでいいわ。今後、この茨で編んだものは、全部 《ジンジャードール》って呼ぶわ」
視審霊が映す文字の流れが早くなる。
『採用やったー!』
『ネーミングセンス良し』
『ダークお人形劇は?』
ネルシェは杖を振り、《ジンジャードール》を霧散させる。
「“ダークお人形劇”は却下よ」
フリントが立ち上がり、光の散った場所を眺めながら口を開いた。
「それで、これからどうするんだ?」
「検証はこれで一区切りね」
ネルシェは杖を握り直し、周囲の空気を確かめるように視線を巡らせる。
「この恩寵がどこまで通用するのか……試すべき時は、すぐに来るんでしょうけど」
彼女は薄暗い廊下の奥に視線を向けた。
そこはどろりとした闇に覆われ、視審霊のぼんやりした光でも先が見えない。
「さあ、お遊びにかなり時間を使ってしまったわ。先に進みましょう」
(― 冒険記録 ―)
・冒険場所:暗廟 招き道(浅深度)
・発生イベント:
→・ネルシェの恩寵の能力が発覚。
→・恩寵の能力名を《ジンジャードール》と命名。
→・1000ナルクスの献金を受ける。
(― 現在の資金 ―)
現在の資金:1100ナルクス(+1000)
(― パーティーステータス ─)
・フリント(騎士)
→・状態:健康
→・装備:ツギハギの鎧、とんがり帽子、ナイフ、
鎖鞭、暖かい毛布
→・感情:「俺がもう一人居たらなぁ……」
・ネルシェ(祭司)
→・状態:健康、恩寵保持者
→・装備:古びた法衣、恩寵 《ジンジャードール》、
錫杖、黒曜石の聖杯
→・感情:「だいぶ慣れてきたわ」




