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後編 新たなシーズンとライザの恋

秋の社交シーズンが始まった。


ライザは伯爵夫人に付き添ってもらって参加をすることにした。先のシーズンで醜聞を振りまいてしまった為、誰かになにか言われるかと思い、心配になったからだ。


しかし皆、自分の相手を探すのに必死で、ライザのことなど気にかけるようなひとはいなかった。

このシーズンを逃したら、来年まで待たなければならない。つまりひとつ歳をとってからということになる。男性はともかく女性は出産を考えると若い方が価値が高いのは当然だった。

少しでも良い条件の相手をと考えるのは誰もが同じで、自身の価値がより高いうちに相手を決めたいと考えるのは普通のことだった。


最初のうちは夫人にベッタリだったライザも徐々に調子が出てきて、離れたところに知り合いを見つけた為、別行動をとることにした。


「わたしは女性用の休憩室にいるわ、何かあったらいらっしゃい」


夫人はそう言ってライザを送り出した。


ライザは知り合いを見かけた方向に歩いて行ったのだが、既に移動したようでそこに彼女はいなかった。戻ってくるかと思い、しばらくそこに留まってみたのだがその気配はなく、仕方なく夫人の待つ休憩室へ向かうことにしたのだが、歩き出そうとしたところで声を掛けられた。


「失礼ですがよろしければわたしと踊って頂けませんか?」


それは、柔らかそうな薄い茶色の髪に、思慮深いグレーの瞳が印象的な男性だった。

歳はライザより五歳ほど上だろうか。大人の魅力溢れる素敵な男性に声を掛けられ、ライザはどぎまぎしてしまった。


「えぇ、もちろん。よろこんで」


それを悟られまいとわざとツンとして承諾したライザは、彼の差し出した手をとってホールへと出た。


たくさんのひとが踊っているなかでのダンスというのは結構、難しいのだが、彼は他のペアとぶつからないようにと巧みにリードしてくれる。


ライザは、カディス家の男性たちの他にはハルフォード侯爵令息のジョシュアとしか踊ったことがない。たったそれだけの経験で、この男性が一番上手だと言ってはいけないのかもしれないが、踊りやすい相手であることは事実だった。


一曲を踊り終えて、彼はライザをダンスの輪から連れ出すと壁際に寄った。その途中ですれ違った給仕から果実水を受け取り、ライザに勧めることも忘れない。


「喉が渇いたでしょう?」

「ありがとうございます」


それは冷えていてダンスをした後ということも手伝ってかとても美味しかった。


「申し遅れました、わたしはジェラルド・ラートリー、ラートリー伯爵家の三男です」


名乗りあげられたら答えないわけにはいかない。ライザは少し緊張しながら自分の名前を告げた。


「わたくしはライザ・カディス。カディス伯爵の姪です」


ダンスをした相手が春に醜聞を振りまいた令嬢だと分かったらどう思われるか不安だったのだが、ジェラルドは特に何を言うでもなかった。


「今日のドレスはとても素敵ですね」

「そうですか?だとしたら伯母が喜びますわ、わたくしの為に仕立ててくださいましたの」

「カディス伯爵夫人はセンスが良いのですね、ライザ嬢によく似合っています」

「ふふふ。それほど褒められても困りますわ」


その後もライザはジェラルドと楽しく話をし、気がついたらかなり遅い時間になってしまっていた。


「まぁ大変、もうこんな時間だわ」

「どなたかと約束でも?」

「今夜は伯母と来ましたの、きっと休憩室で待ちくたびれていらっしゃるわ」


ライザはジェラルドに別れの挨拶をする。


「楽しい時間をありがとうございました」

「ライザ嬢、またわたしとのお時間を頂けますか?」


彼の瞳に宿る熱にライザは頬を染めた。


「えぇ、是非」


彼はライザの手をとり、その指先にそっと口付けをして去っていった。

ライザはしばらく彼の後ろ姿をうっとりと見つめていたがはっと我に返り、カディス夫人の待つ休憩室へと急いだ。





その後も色々な夜会に出たライザはたくさんの令嬢、令息と知り合いになり、彼らとのおしゃべりやダンスを楽しんだ。

しかしジェラルドほどしっくりくる相手に巡り会うことは出来ず、また本人にもなかなか会うことができなかった。





ライザは今夜も夜会に参加している。


「まぁ、ライザ様もいらしてたのね」

「ごきげんよう」


連日、集まりに参加していたおかげで知り合いは増え、探さなくても誰かに会えるようになった。

若い男女が入り交じって気軽なおしゃべりを楽しんでいるところに、なんとジェラルドがやってきたのだ。


「ライザ嬢、お久しぶりです」

「ジェラルド様、ごきげんよう」


自分たちとは違う大人の魅力に溢れたジェラルドの登場に令息たちはつまらなそうな顔をし、令嬢たちは色めき立った。


「ライザ様、こちらの素敵な殿方はどなた?」


令嬢の期待に満ちた視線にライザは苦笑しながらも言った。


「ご紹介しますわ、彼はラートリー伯爵家のご令息です」

「ジェラルド・ラートリーと申します」


以後、お見知り置きを、と言い、彼が微笑んでみせると、その場にいた令嬢たちは誰もが頬を染める。


「ジェラルド様は何をしていらっしゃいますの?」

「わたしは三男ですから、文官か騎士かで迷った末、とりあえず、今は人手不足の騎士職に身を置いております」


彼は前回、ライザに言ったのと同じ内容を話している。

夜会は言わば公開の見合いの場である為、その人がどこの家の人間で、どんな職業であるかは皆、知りたがることなのだ。


「とりあえず、というのは?」


「わたしはどうやら器用貧乏という部類の人間らしく、自分で言うのもなんですが、何事も程々にこなせてしまうんですよ。ですから、よく助っ人を頼まれることが多くて、今は騎士職を手伝っているのです」


それを聞いた令嬢たちはますます目を輝かせた。


騎士は誰もが憧れる花形職ではあるが、怪我をして剣を振るえなくなったら引退を余儀なくされる。

もちろん騎士団にも事務方の仕事はいくらでもある為、仕事にあぶれるということはないのだが、やはり剣をふるっていた側がそうでない側の仕事に回されるというのはプライドが傷つくものだ。


その点、ジェラルドはどちらも苦も無くこなせる言わばオールマイティ。もし何らかの事情で騎士を引退に追い込まれたとしても、事務方から必要とされるだけの能力も持っているのだ。

つぶしの効くジェラルドは、彼に群がる令嬢たちの結婚相手として最適と言えた。


しかしライザも黙っているつもりはなかった。

ライザは子爵を継承する為、婿に来てくれる男性を探している。その点でもジェラルドはライザの求める条件にピッタリ一致するのだ。


まず三男というのがなかなかいない。次男は割と見つかるが、嫡男のスペアとして手放したがらない家も多く、それは家格が上がるほど顕著になる。

そのうえ、きちんと事務仕事ができる男性というともっと見つからない。

ジェラルドのように伯爵家の三男で事務処理ができる男性となると、なかなか巡り合えないのだ。


ジェラルドを中心に話をしていると、やがて舞踏曲が流れ始めた。ダンスの時間が始まったのだ。おしゃべりを楽しんでいた令嬢の誰もが彼からのダンスの誘いを期待している、もちろんライザも。

そんな中、ジェラルドはもったいぶるかのように周囲を見渡してから、すっとエスコートの手を差し出した。


「ライザ嬢、わたしと踊って頂けませんか?」

「喜んで」


令嬢たちの嫉妬と羨望の入り交じる視線を浴びたライザは誇らしげに彼の手を取り、胸を張ってホールへと出た。









「ねぇ、おかしくない?」

「おかしくないですよ」

「やっぱり髪はおろした方がいいんじゃないかしら?」

「そのドレスにはハーフアップのほうがお似合いですよ」

「でも子供っぽくない?」

「どう見ても淑女にしか見えませんよ」


先日の夜会でジェラルドとデートの約束をした、今日がその日だ。


何日も悩みぬいてドレスとアクセサリーを決めた。早朝から準備を始め、ヘアスタイルを五回も変えてもらい、やっと今のハーフアップに落ち着いたのだが、改めて鏡に自分の姿を映してみると、悪い意味で少女のようだった。大人のジェラルドと並んだら彼の妹に思われそうで心配になってきたライザは、また髪型を変えてもらおうかと考えている。

しかし支度を手伝ってくれたメイドもさすがにうんざりしており、今は彼女との攻防戦の最中だ。



「やっぱりドレスを変えようかしら」


ライザの言葉にメイドはぎょっとした顔をする。ドレスを交換するとなると、ヘアスタイルはもちろん、アクセサリーも小物も、すべてが交換になる。

また一から支度をしなければならないなど、冗談ではない。


「お嬢様はもう十分に素敵です」

「でも」


ライザが反論しようとしたとき、ドアがノックされ、部屋の外から声がかけられた。


「ラートリー伯爵家のジェラルド様がお見えです」


彼の登場にメイドは心の中で盛大に安堵のため息をもらした。






「いってらっしゃいませ」


手伝いから解放されて満面の笑みを浮かべるメイドに見送られ、ラートリー家の馬車で屋敷を出発したライザは向かい側に座るジェラルドに聞いた。


「それで、この馬車はどちらに向かってますの?」

「先月オープンしたカフェに行こうかと」

「まぁ!予約が取れましたの?」


それは、とある貴族の屋敷を商人が買い取って丸々一軒をカフェに変えたというものだった。

そこは客の好みに合わせたシチュエーションを用意してくれ、涼し気な水辺でのお茶も、花々に囲まれた温室でも、どんな要望にも応じてくれる、と聞いている。

オープンと同時に若い男女のデートスポットとして大人気となり、今では予約がなかなか取れない状態だと聞いていた。


「内緒ですが、従業員に知り合いがいましてね。融通してもらったんです」


ジェラルドは口元で指を立てる仕草でそう言った。


店で働くのは平民だけ、つまり彼には平民に親しい友人がいるのだ。

貴族の中には平民と馴れ合うことを極端に嫌うひともおり、ジェラルドはそういう意味で自分に平民の知り合いがいることを内緒だと表現したのだろう。

先日の夜会、彼に群がる多くの令嬢の中で最初にライザをダンスに誘ったのは、彼もライザを結婚相手にと考えている証拠だった。貴族相手の婚姻ならば相手のことを調べるのは当然で、彼はライザが商会を所有していることも既に把握しているはずだ。

そんなライザが平民の友人を嫌うわけがなく、だから本当のことを打ち明けてくれたのだろう。


「ラッキーでしたね」


彼の誠実さにライザは微笑み、彼も同じように微笑んだのだった。





到着したカフェは外から見ただけではそれと分からない、完全に貴族の住まう屋敷だった。

予約が取れないほどの繁盛ぶりと聞いていたから、正面には多くの馬車が止まっているのかと思いきや、ライザたちの乗ってきたラートリー家の馬車と、あとはどこか別の家の馬車が一台あるだけだった。


「ジェラルド・ラートリー様ですね、お待ちしておりました」


出迎えた案内係の男性のあとに続いて屋敷の中へと入り、階段を上る。

二階のバルコニーにふたりの席が用意されていた。


「こちらをお使いください」


そこはガゼボ風に改造してあり、四方にはカーテンが取り付けられている。それを降ろせば周囲からの視線を遮ることもでき、ちょっとした密室の完成だ。

初めてのデートであるふたりがそれを求めたりはしないが、関係が進めばそういうこともあるかもしれない。

ふと横を眺めればずっと遠くに似たようなガゼボが見え、そこのカーテンはきっちりと閉められていた。あの中にいるのであろう恋人たちは、今、ふたりだけの秘密の時間を楽しんでいるのかもしれない。

このカフェが人気な理由はこういうところなのだとライザは内心で納得した。





案内係が立ち去ったところでジェラルドは困ったような顔をしている。


「キャンセルが出たと知らせがきてすぐに押さえてもらったんですが、こういう席だとは思わなかった」


このカフェのコンセプトは客の望むシチュエーションを演出することだ。自分が密室を望んだと思われては困ると思ったのか、彼はそう言い訳をした。


「カーテンを開けておけば問題ありませんし、ジェラルド様の従者の方も同席くださっているのですもの。心配いりません」


ライザはちらりと端に控えている彼の従者を見た、馬車でも彼は同席してくれている。


「ここで起きたことが外に漏れるようなことはまずないと思いますがね。客同士が鉢合わせないようにと、来訪時間が被らないように調整されているんだそうです」

「だから他の馬車が見当たらなかったのね」

「おかげで一日に捌ききれるのはほんの数組のようで、だからいつも予約が取れない状態なんだとか」

「なるほど」


しかしそれはそれで商売のやり方としてはうまい気がする。予約が取れないことで付加価値が生まれる。


「なにか頼みましょうか」


ジェラルドはテーブルにおいてあったメニュー表のひとつをライザに手渡し、彼もそれを開いた。





美味しいケーキと紅茶でひとしきりジェラルドとのおしゃべりを楽しんだところで、ライザは化粧直しをすることにした。

女性用の休憩室には専用のメイドが配置されており、髪飾りの位置を少し直してもらった。化粧崩れを直し、口紅をきれいに引き直してからガゼボに戻ると、そこにはメイド服を着た女性がいた。

新しい紅茶でも給仕しにきたのかと思ったら、ライザに気づいた彼女は突然、言ったのだ。


「貴女がジェラルドの奥様になられる方ですか?」

「おい、やめろ!」


ジェラルドは慌てて彼女の口をふさごうとするがそれより早くその女性が言った。


「あとひと月もしたら臨月なんです、出産費用をお願いします!」










「あっはっはっは。で、結局、ジェラルドと別れたの?」


あの悪夢のようなデートから数日後、領地から出てきたカールにライザは愚痴を聞いてもらっている。


「別れたなんて人聞きの悪いことを言わないで、まだ付き合ってなんかなかったもの」

「あー、そうだったね。二回ダンスをして、初めてのデートで彼の愛人に詰め寄られたんだったね」


カールは心底おかしいとけらけら笑っているがライザは笑えない。

プライベートへの配慮が徹底されたあのカフェでなかったら、ライザはまた醜聞を振りまいていたところだった。




あの後、ジェラルドがメイドに平手打ちをし、それに気づいた男性の従業員が飛んできてひどい騒ぎになった。


彼女はジェラルドと長年付き合ってきた女性で彼の子を身ごもっていた。もちろんこのことはラートリー伯爵に知らせていない。愛人とその子供付きの三男との婚姻を望む女性などいるわけがなく、伯爵に告白しようものならジェラルドは即勘当されていたはずで、相手探しの為に社交界に出入りするなどさせてもらえなかったに決まっている。


さらにややこしいことになったのは、一番に駆け付けた従業員が彼女に横恋慕している男性だったからだ。

彼は、ジェラルドに騙されている彼女を救うヒーロー役になり切ってしまい、大声でライザとジェラルドを糾弾し始めたものだから、大騒ぎになってしまった。

男はあのとき、ライザも共犯だと決めつけていたが、騙されたのはライザのほうだ。


密室を作れるガゼボに案内されたのは偶然ではなく、ジェラルドはあの場でライザと既成事実を作り、逃げられなくしたところで愛人付きの婿入りをするつもりだったようだ。

あの席を用意したのは彼の愛人だったが、彼女はジェラルドが他の女を抱くことに耐えられなくなってあの場に乱入してきたのだ。

そういう意味ではあの愛人に助けられたのかもしれない。


今回の件はカディス伯爵家から、内々という形ではあるが、ラートリー伯爵家に抗議を入れてある。すべてを父親に知られたジェラルドがどうなるか、火を見るよりも明らかだった。



「わたしって男運がないのね、もう今シーズンの夜会は行かないことにします」


ライザの愚痴にカールは笑った。


「そんなことないさ、今は不運が続いてるだけだよ。それに明日の夜会はもう出席の返事をしてしまったんだろう?俺がエスコートするから、気を取り直して楽しもうよ」


カールはそう言ってライザを励ました。








「あら、ライザ様。ジェラルド様とご一緒ではないのね」


会場に着いてすぐ、知り合いの令嬢からそう言われてしまいライザは目を白黒させた。

彼は愛人の存在を隠して婿入りしようとしていた最低男ですよ、などと言えるわけもないし、ライザ自ら、彼の醜聞を振りまくことなどできない。そんなことをしたら藪蛇になってしまう。

どう言い訳をしようかと悩んでいるライザの代わりにカールが答えた。


「初めまして、従兄のカール・カディスです。領地から久しぶりに出てきましてね、無理を言ってエスコート役を代わってもらったんですよ」


見目の良いカールにちらちらと視線を送っていた令嬢は彼の美しい微笑で簡単に騙されてくれた。


「あら、そうでしたの。後からみえられるのかしら」


たぶんジェラルドを社交界で見ることはもうないだろう。


でもライザはカールを見習って、


「たぶんそう思いますわ」


と、しれっと嘘をついた。




カールに知人を紹介しながら会場を回っていて、すれ違った給仕係に空いたグラスを預けたとき、


「カディス伯爵令嬢様、ハルフォード侯爵令息様が別室にてお待ちです」


と、耳打ちされた。


「ありがとう」


ライザは小さな声で礼を言い、同じ声量でエスコート役のカールに告げた。


「ジョシュア様が別室にいらっしゃってるみたい」

「どうする?」

「行くしかないわ。侯爵様は誠実な対応をして下さったのだから無作法はできない」


醜聞を消し、多額の迷惑料を支払ってくれたハルフォード家に恨みなどない。

ならば、侯爵位を持つ家は尊重しなければならず、伯爵令嬢としても子爵としても無視はできなかった。


「俺も行く」


カールの申し出にライザは少し考えてから、


「ジョシュア様なら心配いらないわ」


と言った。


しかしカールは承知しない。


「ライザをひとりにしたらエドガーに顔向けできない」

「エドガーは関係ないでしょ」


避暑地での苦い思い出がよみがえってつい、きつい口調になってしまったが、カールは気にしていないようだった。


「相手を待たせるのは無作法だ、行こう」


カールはライザをエスコートして会場を出て、案内役の使用人のあとについていった。




月明かりを頼りに薄暗い廊下を進むと、やがてホールに出た。その奥はバルコニーになっていて、手すりにもたれるようにして彼が立っているのが見えた。


バルコニーの手前でカールはライザから手を離した。


「俺はここで待ってるよ」

「ありがとう」


カールの気遣いにライザは礼を言ってひとりで奥へと歩いて行った。




「ハルフォード侯爵令息様、ご無沙汰しております」


ライザの呼びかけにジョシュアは振り向いた。


「カディス伯爵令嬢、お久しぶりです」


彼は笑顔でそう言って、彼の側にあった背の高いテーブルから、ライザの為に用意してくれてあったのであろうグラスを取って手渡した。


「こんなところに呼び出してすまない、だが、わたしたちが会場で話をしていたら醜聞が再燃してしまうから」

「お気遣いに感謝します」

「いや、悪いのはハルフォードだ。礼はいらない」


ライザはグラスに口をつけた。中身は果実水で美味しい。


「エリザベスさんとはどうなったのですか?」


ライザの問いかけにジョシュアは言った。


「どうもならないよ。彼女は平民だ、侯爵夫人にはできない」

「でも最初はそうしようと考えていたから、お屋敷に招いたのでは?」

「父上がどういうつもりだったのかは分からない。わたしは、お前の婚約者だと言われて、そうかと思っただけだった」

「けれど、エリザベスさんのほうはそうでなかった」


ライザのつぶやきにジョシュアは目を伏せた。


「わたしはこういう見た目だから、良くも悪くも惚れられることが多くて」


ジョシュアはかなり整った顔立ちをしている。そのうえ侯爵という地位を持っているのだから、女性が放っておいてはくれないのだろう。

美男子には美男子なりの悩みがあるということか。


「彼女を好きだったかと言われたら、そうだった気もするし、そうでなかった気もする」


エリザベスを語るジョシュアの横顔にライザは思った。


この方はまだ誰にも恋をしたことがないのね、そしてそれはきっとわたしも同じ。


しばらくの沈黙のあとでジョシュアはライザに向き直って言った。


「君に直接、謝りたかったんだ。巻き込んでしまってすまなかった」


彼の謝罪をライザは受け入れた。


「十分過ぎるほどの対応を頂いております、もう気にしないでください。お互い、良い相手に恵まれるといいですね」


ライザの微笑にジョシュアは少し悲しそうな顔で微笑んで、


「君は優しいんだな」


と、言った。









結局、相手が見つからないまま短い秋の社交シーズンは終わりを告げた。


雪が降り始めると貴族も平民も巣ごもりの生活に変わる。交流は手紙のやり取りが主流となり、ライザは社交で知り合いになった友人たちに手紙を書いた。

エドガーにも一度だけ手紙を送ったのだが返事は来なかった。以前は必ず返信をしてくれたのに、それがないことが寂しかった。

でも、ライザは彼の想いを拒否した。エドガーにしてみたら自身を拒絶した令嬢の手紙など、受け取りたくもないのだろう。



冬の晴れ間、ライザは親しい友人を招いてちょっとした茶会を開くことにした。


「ライザ様、お久しぶりです」

「皆さま、お元気でした?」


数人の若い令嬢たちが集まれば当然、話題は恋の話になる。誰と誰が付き合い始めた、とか、あちらのカップルは別れた、とか。

そんな話をしている中でエドガーの話になった。


「ライザ様、エドガー様のことでなにか情報はありませんか?」

「情報って?」

「外国から来た令嬢と、とても親しくされていると聞きました」


ライザは思わず息をのんだ。そんなこと、自分は聞いていない。

エドガーからのたよりはないし、カールも伯爵も領地に帰ってしまっている。あの堅物なヴィンストンがゴシップなど知っているとは思えないし、知っていたとしてもくだらないと一蹴して語ってくれもしないだろう。


「そうなの、知らなかったわ」


冷静さを装って口を開けば、その話題を持ち込んだ令嬢はあからさまにがっかりした顔をした。


「ライザ様ならなにかご存じかと思っておりましたのに」


他の令嬢も同じような顔をしている。


「そんなにエドガーが気になるの?」


ライザの問いに令嬢たちは顔を見合わせた。


「だって、エドガー様はこのカディス伯爵家の次男よ?見た目も素敵だし、彼に憧れてる子は多いわ」

「でも結婚するならカールのほうがいいんじゃないの?彼は将来のカディス伯爵だもの」


ライザがそういうと令嬢たちは微妙な顔をした。


「それはそうですけれど。カディス伯爵家の夫人となると色々、大変そうですもの」


そう言われてライザは驚いてしまった。

確かに伯母は忙しそうにしている。カディス家は商売も営んでいて、貴族向け、商人向け、それぞれの集まりを開催しているし、頼まれれば両者を引き合わせる為の社交場も引き受けている。

すべての準備は伯母が取り仕切っており、なんならこの茶会も彼女がライザの為に用意してくれたものだった。



「その点、エドガー様は次男ですもの。カディス家のお仲間に入れて頂けて、それほどの重責もない次男の嫁くらいがわたくしたちにはちょうどいいのよね」


ひとりの令嬢がそう締めくくるとそれが冗談であると示し合わせるかのように、一同からどっと笑い声が起きた。

彼女たちに合わせるようにライザも笑ってみせたが、内心は穏やかではない。エドガーが令嬢たちに人気があること、その彼がライザの知らない令嬢と親密にしていることを知ったからだ。


手紙の返事が来ないのは、もうその令嬢に夢中になっているからかもしれない。あの夕立の日の出来事はほんの半年ほど前の話だ。


もう心変わりをするなんて、ひどいわ。

彼の口づけを拒否したことも忘れて、ライザはエドガーに憤慨していた。








この国は雪解けのあとに新年を迎え、新たな社交シーズンが始まる。

それに合わせるようにエドガーが王都の屋敷に帰ってきたのだが、なんと一人ではなく、例の令嬢を同伴しての帰宅であった。


「はジめまして、ヴィーラ・スフィルレッタ、と申しマス」


スフィルレッタとは世界を股にかけて商売をしている家であり、商会を所持しているライザには馴染みの深い名前だった。

カディス邸にやってきた外国訛りのアクセントでヴィーラと名乗った令嬢はとても美しい少女だった。

透き通るような白い肌に豊かなうねりを持ったプラチナブロンドの髪。青い大きな瞳は輝いて見え、その下には可愛らしくふっくらとした小さな唇がついている。


生きている人形のように見えるヴィーラにライザは挨拶をした。


「ようこそ、カディス邸へ。わたしはライザ・カディスです」


言葉が不自由な彼女に出来るだけ簡素な言い回しで歓迎の意を伝えると、ヴィーラは首を傾げた。


「エドガーには妹がイタのネ」


彼女の隣に立っていたエドガーがそれを聞いて、流暢な外国語で説明をした。勉強中のライザでは半分も聞き取れなかったが、ライザの生い立ちと、カディス邸に引き取られた経緯を伝えたのだということは分かった。


エドガーの説明を受けたヴィーラはライザに申し訳なさそうな顔をしている。


「スミマセン、ゴメンなさい。わたし、余計なコト、言いましタ」

「父が亡くなったのはもう随分前の話ですから、気にしないでください」


ライザの笑顔にヴィーラは安心したように微笑んだ。




エドガーが帰ってきたことは嬉しかったが、ヴィーラの言葉が不自由だったこともあり、彼は彼女の通訳としてずっと一緒に行動していた。ヴィーラはよく街に買い物に出かけているようで、エドガーは必ずそれについていく。

彼らの姿が街で目撃される度に噂は広まっていき、新年の社交シーズンが始まる頃にはエドガーとヴィーラは恋人同士ということになっていた。

本当のことなのかエドガーに問いただしたいライザではあったが、さすがにヴィーラの前でそれを聞くことは憚られて、真相はつかめないままだった。



そんな中、ついに社交シーズンが始まった。

新年の集まりは王宮での夜会と決まっており、カディス家の人々はもちろん、ライザも参加をした。

カールは領地で婚約を結んだ相手と参加することになったのだが、彼女にとっては王都の夜会はこれが初めての経験となり、彼女が不安を口にしているとカールから聞いて、ライザは終始一緒にいることを申し出た。


「いいのか?ライザだって久しぶりに友達と会えるんだろう?」


「彼女たちとはこれから先、いくらでも会えるし、わたしが一緒にいれば、婚約者さんにわたしの友人を紹介してあげられるわ。

それにわたしにはエスコートしてくれるひとがいないから、一緒にいってくれたほうが助かるのよ」


デビュタント前の集まりも含めて、ライザはずっとエドガーのエスコートを受けてきたが、今夜の彼はヴィーラと一緒だ。カディス伯爵も夫人のエスコートがあり、ライザの相手をしてくれる男性はいなかった。

ライザの言葉にカールはなにか言いたそうな顔をしていたが、ちょうどそのとき彼の婚約者が到着した為、それで話は終わりとなった。





今夜はたくさんのひとが来ているため、いちいち名前の読み上げはされない。

エスコートもなくひとりで入場する令嬢は惨めなものになるのだが、今夜はそれぞれが勝手に会場入りできる為、ライザは命拾いをした形になった。


「じゃぁライザ、ちょっと行ってくるね」

「すぐに戻ってきます」

「気にしないで楽しんできて」


カールは婚約者と一緒にダンスをしに行った。顔見知りの令嬢たちも踊りに行ってしまい、パートナーのいないライザは壁の花になるしかない。

できるだけつまらなそうな顔をしないように気を付けてホールを眺めていると、横からすっと手が差し出された。


「良かったら俺と踊ってもらえますか?」


それはヴィーラと一緒にいるはずのエドガーだった。


「スフィルレッタ子爵令嬢はいいの?」


我ながら可愛げのないことを言っていると思ったが、聞かずにはいられなかった。

エドガーが帰ってきてからというもの、ライザはずっと放置されてきたのだ。それなのに急にダンスをしてほしいなど自分勝手というものだ。


ライザの苛立ちが伝わったのかエドガーは苦笑している。


「彼女なら婚約者と踊ってるよ」

「婚約者?」


エドガーがちらりと視線を走らせた先には、ヴィーラと彼女をうっとりと見つめる男性がペアになってダンスをしていた。


「ヴィーラ嬢は長年、彼と婚約を結んでいたんだけど、子爵が別の男性と婚約するように言ってきたそうだ。彼女はそれに反発してこの国にいる婚約者の元に逃げてきたんだよ」


「でもそれとエドガーと何の関係があるの?」


「ヴィーラ嬢の婚約者は学園の卒業生で俺と同じ研究室に所属していたひとなんだ。彼が学園に遊びに来たとき、論文のことで相談にのってもらったんだけど、そのあとで彼の婚約がダメになりそうだって聞いたから、相談のお礼として力になることにしたんだよ」


「でもふたりでしょっちゅう街に出てたじゃない」


「あれはヴィーラ嬢を彼とのデートの待ち合わせ場所まで連れて行ってあげていただけだよ。言葉の分からない令嬢がひとりで王都をうろつくなんて、させられないだろう?」


それは確かにそうだ。普通ならメイドや御者に任せればそれで終わりだが、言葉の通じない彼女ではそれも難しい。


「だとしても無理よ、親に逆らうなんてできっこないもの」

「大丈夫、あのふたりはもう結ばれた。結婚を認めるしかない」


その言葉の意味するところを知ってライザは思わず赤面した。



秋のシーズンの後、雪に閉ざされていた間にライザは閨教育を受け、口づけの先があることを知った。

目の前には煌びやかな衣装に身を包んだエドガーがいる、この服の下に隠れているのはあの日に見てしまったたくましい男性の体だ。

そう思うといたたまれなくなって目をそらしたライザにエドガーは不思議そうな顔をした。


「どうした?」

「なんでもないの、踊りましょ」


ライザはエドガーの手をとってホールへ向かった。




久しぶりのエドガーとのダンスはやはり楽しかった。彼はリードがうまいし、ライザとの歩幅も合うのかとても踊りやすい。


「やっぱりあなたじゃなきゃダメみたい」


ライザの言葉にエドガーは顔を赤らめた。


「そんなこと言うなよ、都合よく解釈したくなる」


彼の赤面にライザもつられて頬を染めてしまった。


「え、なんで?」


疑問を口にしたエドガーにライザはむくれた顔で言う。


「もう、野暮なことは聞かないで」


それを聞いたエドガーは少し考えてから急に顔を輝かせた。


「やった、俺はついに手に入れた!」


エドガーは喜びのあまりライザの腰を持ち上げてリフトをし、その場でくるくると回ってみせた。若い二人の元気の良いダンスに、周囲からは微笑ましい視線が投げかけられてしまう。


「落ちちゃうわ!」


ライザの抗議の声もエドガーはどこ吹く風だ。


「俺がライザを落とすわけがないだろ?」


エドガーはライザを着地させると音楽に合わせて彼女をぐいっと引き寄せた。

そして彼女に聞こえるだけの声量でそっと耳元に囁いた。


「愛してるよ、ライザ」


ライザはあの日も彼に同じことを言われた、でも今度はもう逃げたりしない。


「わたしもあなたを愛してるわ」


ライザの告白にたまらなくなったエドガーはその場で彼女に熱烈な口づけをしてしまい、今度こそ死ぬほど怒られたのだった。

おしまい。


お読みいただきありがとうございました。

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