ある日の気まぐれ
「ぱんぱかぱーん。おめでとうございます」
唐突に聞こえた抑揚のない声と、安っぽいファンファーレ。
瞬きを一つすると、目の前にはやけに綺麗な顔をした人間が立っていた。ぱっちりとした大きな目が、こちらを見つめている。グレーがかった瞳が見慣れなくて綺麗だ。銀色のまつ毛と形の良い眉がキラキラしている。内側から光るような肌には、銀色の短髪が影を落としていた。綺麗すぎて性別の区別もつかない。
彼なのか彼女なのかわからないその人が一歩、こちらに近づいた。淡い赤色の少し薄い唇が開く。
「あなたは本日、なんでも願い事が叶う権利を取得しました」
棒読みの台詞は、先ほど聞こえてきた声と同じようだ。目の前の唇が動いて見えるが、そこから声が発せられているという感じがしない。まるで機械が話していて、それに合わせて映像が動いているようにも聞こえる。目から入ってくる情報の処理が追いつかないためかもしれない。その人が発したらしい言葉も上手く理解ができなかった。
そんな様子を知ってか知らずか、その人は全く構わない様子ですっと人差し指を顔の前に立てる。
「ただし、叶う願い事は一つだけ。願い事を増やしたいという願いは却下です。それ以外はなんでも叶います」
そう言って人差し指を下ろすと、「さあどうぞ」と言わんばかりに両手を広げてこちらに見せてきた。全く頭が働かないまま瞬きを繰り返していると、その人はこてんと首を傾けた。
「ワタシの言うこと、聞こえていますか?」
答えずにいると、次に瞬きした瞬間に目の前からその人が消えていた。
「……夢?」
思わず口に出る。その瞬間、「ぱんぱかぱーん」と再び声が聞こえた。瞬きすると、やはり現れるその人。
「おめでとうございます。あなたは本日、なんでも願い事が叶う権利を……」
「ちょっと」
先程声を出して緊張が解けたのか、思わずその人を制す。その人の唇がぴたりと動きを止め、声が止まった。ぴくりとも動かない。どうやらこちらの言葉を待っているかのようだ。
「なんで繰り返す?」
「聞こえなかったのだと思って」
尋ねるとすぐに答えが返ってくる。意思疎通が取れているらしい状況に、どうやらこれは幻覚では無いらしいと思う。
「聞こえたんだけど、理解が追い付かない」
そう言うと、その人は自分の顎あたりに手を当てて「それを解決するためにはどうすれば?」と尋ねてきた。
「まずは、きみ、誰?」
「使者です」
回答は素早く端的に、をモットーにでもしているのだろうか。
「シシャ、とは?」
「命令を受けて、使いをしています」
「誰の命を受けて?」
「我が主です」
「主とは?」
「あなた方の言葉で言うなら、神様です」
「……かみさま」
ぽんぽん弾けるように帰ってくる回答にちょっと楽しくなってきたところだったのだが、最後の言葉にはなんと返したら良いのか分からず、使者の言葉を繰り返す。
「神様?」
思わず聞き返した。「はい」と使者は頷く。
「生きとし生けるもの全てを対象に、気まぐれで神が決めます。抽選みたいなものです。それに、あなたが当選したと」
「待て待て」
使者の言葉を再び制する。
「唐突すぎる。あと、怪しい」
正直な感想を告げると、使者は「うーん」と首を傾げた。
「信じるか信じないかは、あなたが決めてください。あくまで私は使者ですので、決定事項をお伝えしたまでです」
人形のような無表情がいっそ清々しい。まあ、信じようが信じまいが、別に悪い話じゃない。とりあえず、今のところは。話を聞いてみるくらいはいいんじゃ無いかという気になった。
「なんでも願いが叶う権利?」
「はい」
「なんでも叶うの?」
「はい。1つだけ」
「その1つだけってすごい強調するね」
「大切なことなので」
使者はしかつめらしく言う。
「願いが叶った後は、あなたが持つ本来の運に戻ります。叶った願いが継続するかは、あなた自身と本来の運次第です」
「えーと例えば、恋人が欲しい、でも叶うの?」
「はい。続くかはあなたと恋人の相性、そして努力次第です」
「お金持ちになりたい、でも?」
「はい。続くかはあなたの使い方、そして努力次第です」
「希望の就職先とかでも?」
「はい。続くかはあなたの生き方、そして努力次第です」
「例えば世界平和は?」
「はい。続くかは世界の流れと人類の努力次第です」
それはもはや、願いが叶うと言っていいのだろうか。叶うとしてもどうやらそれは一時的なものらしい。
結局は努力。そう言われると、学生時分の説教を思い出す気分になる。不満が顔に出ていたのだろうか、使者は「所詮気まぐれなので」と肩をすくめてみせた。
「何か見返りが必要なの?」
「いいえ。ただ、願いが叶うだけです。おめでとうございます」
結局努力が必要なのに、祝いの言葉もあったものだろうか。それが本当に、神様によって叶えられたものだとも分からないのに。
「わかりますよ」
心の中を読んだように、はっきりと使者は言った。
「望んだなら、わかるはずです。それが叶えられたことが」
大きな目がすうっと細められて、心なしか少し気分を害しているようにも見える。やはり主を疑われるのは不服なのだろうか。神様を主だと言うくらいだから、きっとこの使者も人間では無いのだろうが、ずっと無表情を貫いてきた中でのその変化は、人間のようで少しだけ親しみが持てた。
「それで、神様はなんのためにその権利を定期的に配布するわけ?」
「それが神の望みですので」
神が与えたもうる試練なのか、褒美なのか、はたまた神自身の娯楽か。それこそ、神のみぞ知る、というところのようだ。
「で、きみは願いを聞くまで帰れないとか?」
「いいえ。お伝えしたので、あとはあなたの望みのままに。願えば、叶います。1つだけですが」
聞けば、期限も無いらしい。いつでも、どこでも、今日から願えばそれが叶う。ただし、1つだけ。それに意味があるのか分からないが、悪い話ではなさそうに思えた。
「OK。わかった」
両手を上げて使者に向け、頷いて見せた。使者は特にリアクションを返してくれるでもなく、じっとこちらを見ている。
「その時が来たら遠慮なく、願おう」
そう言うと、使者は小さく頷いたようだった。
「すぐには願わないんですね」
使者は言う。感情が見えないその言葉は、尋ねているのか、確認しているのか。
「不思議かい?」
聞いてみる。使者は首を傾げて見せてから「そうですね」と言った。
「人間というのはそれにこういった話には飛びつくものだと思っていました。それにすぐに忘れてしまいますし、時間が経つにつれ夢だと思いがちです。あなたもそうなのでは?」
使者は両手を広げてそう尋ねる。
「そうかもね。でも今は思いつかないんだよな。結局、願った後も努力だと言われては、ね。しばらくは足掻いてみて、努力しても叶わない願いを叶えてもらうことにするよ」
にっと歯を見せるようにして、わざと大袈裟に笑ってみせる。こちらを見つめ返すガラス玉のようなグレーの瞳が、きらりと光ったような気がした。
「今日から、願えばなんでも叶う。とりあえず最後の手段はあるのだと思うようにして、努力してみるさ」
そう続けると、使者はにっと歯を見せて笑った。まるで真似をしてみたかのように。
「神のご加護を」
瞬きした時にはその姿は消えていて、無機質な声が余韻を残した。
了
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