第九話 たとえ超絶美形だろうと、怖いのでとりあえず殴る
すみません。今回は少々長目です
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タタタタ……タン、タタタタ……
私はPCの画面を見つめ必死にタイピングをしていた。今日中に仕事を終わらせないといけないのに、指が重く呼吸が苦しい。まるで粘度の高い液体の中にいるみたい。
「あ、これも頼むわ」
「これもやっといてよ」
パソコンの横に纏めていないデータや資料がどさりと投げられた。
「!」
これは私の仕事じゃないと気づき慌てて振り返るが、頼んだ人達の姿はもうない。その代わりに人集りが出来ているのが見える。
「流石ですね! 大口契約じゃないですか!」
「A社の契約取れたって!? 凄いわ~!」
「やっぱりエリートは違いますな! 血筋でしょうね」
聞こえてきた賛辞に私は耳を疑う。
(A社!? そんな馬鹿な。明日私が最終プレゼンに行く予定だったのに……)
慌ててA社向けの資料を入れた共有フォルダを確認する。データの最新保存日時が今朝に更新されていた。中を開くと私が作った資料の担当者名が私から勝手に別の人物に書き換えられている! 新しい担当は、今人集りの中心にいる人物……社長の親戚だとかで、半年前にコネ入社してきた新人だ。
人集りの中心に駆け寄ろうとすると、その前に課長と先輩が立ちはだかる。
「ああ、塩谷君、例の案件は担当を彼に替わって貰う事になったから。事後報告で悪いね」
「塩谷。お前の意見、参考になったよ」
「!!」
参考って!! A社との契約が取れるよう何度もデータを取り、資料を何度も作り直して訪問もコツコツして、最初は冷たかった向こうの担当も今では好意的に話をして貰えるまで頑張ってきた。私に同行していた先輩だってそれを知っている筈なのに!!
私は反論したくて口を開くけれど、喉の奥にものがつかえたような感覚で声が出てこない。突如足元の床がヒュッと抜け、私の身体は奈落へと落ちた。
ああ、地面に叩きつけられて私はバラバラになるんだ……と思ったけれど、以外にも地面はふんわりと私を迎え入れる。ただ、そこは天国ではなかった。私が地面から身を起こすと目の前にクライヴ王子とヒナの姿が現れる。
「オーカ、今までご苦労だったな。お前を追放する」
「桜花さんが魔物との戦い方を研究してくれたからぁ、あとは私達だけで大丈夫ですぅ」
「餞別にお前の好きなワインくらいは持たせてやろう。さっさとこの国から出ていけ」
「何故!? 皆の為にここまで頑張ってきたのに!!」
私の両の目から涙が堰を切ったように溢れる。何故なの? 何故皆、私の努力を掠め取ろうとするの? 私がそんなに悪い事をした!? 皆が勝手に勘違いをしたんだし、私も最初は気づかなかっただけよ!!
夢の中で私は子供のようにわんわんと泣き叫んだ。すると。
「オーカ」
ふわりと優しく蕩けるような甘さを持ち、それでいて心が安らぐ低い声が私を包む。温かく大きな手がゆっくりと私の頭を撫で、時折私の髪の毛をさらさらと玩んだ。そしてまたよしよしと子供にするように頭を抱き込まれる。
この上なく優しい扱いに私の心はゆっくりとほどけ、緩んでゆく……。それでも涙は零れてしまうが、湿った温かい何かが私の頬を撫でてくれる。
「オーカ、どうした。何故泣いている」
その何かは私の涙をぬぐっているのだと気づいた。ふわっと世界が明るくなり、私は嫌でたまらなかった夢の世界から現実に戻ってくる。と、視界に映ったのは……
「あ、目、覚めたな。怖い夢でも見てたか?」
絵画か彫刻かと思うほど整った顔をした、青灰色の髪の毛を持つ見知らぬ男性だった。鼻と鼻とが触れそうなほどの至近距離で美しい金の瞳が私を覗き込んだかと思うと、ふっと優しく細められて太陽の様な眩しい笑顔になる。
「……?」
現状を理解できず、これも夢なのかと思った私の頬を男がぺろりと舐める。えっ、ちょっと、さっきまで私の涙をぬぐっていたのはもしかしてこの舌……。
「オーカ、かわいい。大好きだ。俺の奥さんに」
ベッドの中、先程まで私の頭を優しく撫でていたであろう彼の大きな手が動き、私の腰に回される。私をそっと抱き締めるその逞しい腕から肩、そして胸までが一糸纏わぬ裸だった。えっ、もしかして下半身も? と思うと同時に全身に鳥肌がぶわーっと立つ。
無理無理無理!! 幾らドが付くイケメン相手でも、これは恐怖と嫌悪感しか湧きようがない!!!
「嫌ああああ!!!」
私は持てる最大の力を込めて(ウソ。殺さない程度に、かつ気絶するよう加減した力で)男性の顎に向かって掌底を突き上げた。
「グファッ!!」
クリーンヒットした顎を抑え、男性がのけぞる。驚いたことに彼は気絶しなかった。確かにガタイがいいがそれにしても何という頑丈さか。それとも何か魔法で防御力を上げている? 閨の中で女を手籠めにしようとしながら魔法防御をする意味がわからないけど。
私も瞬時に攻撃に使った力を引っ込め、ベッドで身を起こして防御に専念する。これで彼がこれ以上私を襲う事はできないと思うけどやっぱり怖い。ぶるぶると震える身体を両の手でぎゅっと抱きしめながら、裸の男もベッドの上で(おそらく痛みにより)震えているのを見守っていると、彼は苦痛にゆがんだ顔を無理やり笑顔に変えて呟いた。
「……お、オーカ……それでこそ俺が惚れた女だ……」
「何言ってるかわかんないわ!!」
「聖女様、失礼します。何事ですか? ……えっ!?」
私の叫び声を部屋の外で聞いたであろうメイドさんが、ドアを開けて入ってきた。彼女はベッドの上にいる裸の男を見て一瞬声を失った後、金切り声を上げた。
「きゃあああ!! 誰かっ、誰か来て!! 聖女様に不届者が!!」
ああ、これで護衛の騎士が来てくれればこの男は捕まるだろう。それまで私は自らの身を守っていればいい。私は少し安心しメイドさんがドアの外に向かって助けを呼んだのをちらりと見て、目線をベッドに戻し……
「あっ!?!?」
目の前の光景に驚きのあまり思わず声が出る。男の姿は煙の様に消えていた。代わりにベッドの上にいたのは。
「くぅ~ん」
青灰色の耳をぴったりと伏せ、両の前足を顎の辺りに当て、金の瞳で可愛らしく上目遣いに見上げてくるチャッピーだった。
「聖女様! ご無事ですか!?」
騎士たちが数人部屋になだれ込んでくる。しかし部屋の中に私とチャッピーしかいないのを見て、丸かった目が更に大きく丸くなる。
「侵入者は!?」
「探せ!」
部屋中、そして続き部屋まで見て回ってくれるが誰も見つけられなかったらしい。騎士の一人がチャッピーを指さしながらメイドさんに詰め寄った。
「おいお前、この狼を侵入者と見間違えたんじゃないだろうな!?」
「そんな! さっきまで裸の男が確かに居ました!」
彼女は真っ青になって反論する。慌てて私もフォローに回った。
「本当に知らない男が部屋に居たのよ! でも一瞬で消えちゃったの!」
騎士達は顔を見合わせ、そして眉間に深く皺を寄せた。
「消えた!? 馬鹿な!」
「いや、だがこの部屋の外には常に誰かが詰めていたから扉からは入れない筈……。侵入者は部屋に入る時も出る時も転移魔法の類を使ったという事か?」
「まさか! 転移の魔法など過去の伝説レベルだぞ。自在に操れる魔術師などいるわけがない」
「……む、とりあえず部屋の前の警備を強化して、副団長に報告しよう」
「オーカ様、失礼致します」
そんな事を言いながら彼らとメイドさんは部屋を出て行った。暫くの間、私は閉じられた扉をずっと見つめ、部屋には静寂がたちこめる。
「オーカ」
その静寂に割り込んで、あの甘く低い声が後ろから私を呼んだ。私はハァ……と溜め息をついてからふり返った。そして改めて男の全身を観察する。
ひと筋だけ銀の毛が混じった青灰色の長い髪の毛は両のこめかみの上辺りから宙に向かって延び、二つの三角形を形成している。つまり、獣の耳だ。
神々の像のように雄々しくも美しい顔の下には、これまた神が作ったのかと思うほど理想的に鍛えられた逞しい身体。その身体は先ほどまでは全裸だったが、今はベッドのシーツをはぎ取って腰に巻いている。更にそのシーツの合間からは髪と同じ青灰色のフサフサとした尻尾がはみ出ており、機嫌がよさそうに左右に揺れていた。
「あんた……」
「チャスだ。チャス・ブレント・アッコラが俺の名前」
彼はまた太陽の笑顔を見せる。だが私はそれに心を動かされることなく彼を睨みつけて言った。
「チャッピー、あんた獣人だったのね」